銀座の数寄屋通りは私にとって思い入れのある場所だ。数寄屋橋交差点から見て銀座の中心より日比谷側の裏通りみたいなエリアだ。30代の頃、まだまだ背伸びをしながら銀座通いをし始めた頃からこの通り沿いのいろんな店に縁があった。
いろんな通りや路地がある中で数寄屋通りにたまたま通う店が多かったのが不思議である。おでんの「おぐ羅」、魚料理の「佃喜知」、クラブ「麻衣子」、料理屋でいえば「むとう」「三亀」「東京やきとり亭」「たんや又兵衛」「おかやす」等々、いろんな店にちょくちょく出かけた。
既に閉店したお店もある。名物大将が亡くなってしまったお店もある。かの“失楽園”にも登場した「三亀」も閉めちゃうらしい。20年前から10年前ぐらいの間に頻繁にあの通りをウロウロしていた私にとっては淋しい話である。時の流れはアッという間である。
銀座のクラブ活動の道に迷い込んだのは30歳になるかどうかぐらいの頃だ。それまでは夜の六本木で“活動”することが多かったのだが、ひょんなことでクラブ「麻衣子」に行く機会があり、そこで味わった“怪しげな爺さんたちの空気感”に魅了されてその後の銀座通いに繋がる。
もう30年以上前かと思うとびっくりだ。当時とても魅力的に思えた銀座に漂うあの怪しげな空気感を今は感じない。単に私が歳をとったのか、客層そのものが様変わりしたのか、たぶん両方だと思う。
今の時代、どこのクラブを覗いてもその昔に見かけたような謎めいたスーツやネクタイに身を包んだ老紳士はいない。カジュアル全盛だ。昔はナゼそんな色柄を選んだのか、はたしてどこで買ったのか、何を狙ってそれを仕立てのか、と聞きたくなるぐらい怪しげないで立ちの老紳士を結構見かけた。
普通のカッコの若造だった自分がやたらと小者に思えておとなしく隅っこでチンマリ飲んでいるのが妙に楽しかった。М的な喜びというか、背伸びしたって太刀打ちできないアウェーな感じが好きだった。
その後、気付けばすっかり私自身が高齢化してアウェー感が薄らいでしまった頃から銀座に通う頻度は減っていった。そしてコロナ禍によってすっかり出不精になって今に至る。
一応、今も時々は顔を出す店がいくつかある。もう十数年続けている我がオヤジバンドのライブを賑やかしに来てくれる有難い面々がいるので、そのシガラミ?のせいで、いや、その有難い協力に感謝する意味もあっていくつかの店とは縁が切れていない。
バンドライブは毎年11月ごろなので、私が“営業”のために顔を出すのは9月、10月あたりが多くなる。10月は私の誕生月でもあるのでこの時期に行くとケーキやら無料のシャンパンが出てきてワイのワイのと祝ってもらえる。
それはそれで有難いのだが、そこでサービスされると人の良い私はお礼参りみたいな感じでついつい、行く必要?がない時にでも顔を出してしまう悪循環に陥る。
ちなみに上の画像はアップルパイにローソクを立てられた時のものだ。普通のケーキじゃありきたりだという気づかいでこういう仕立てになったようだ。ちなみに私はアップルパイが苦手である。でもそれを言っちゃうほどヤボではない。頑張って食べた。いくつになっても人生は修行だと痛感した。
40代の頃は血気盛んだったから頑張って綺麗どころを口説いたりしたが、最近はお父さんみたいなポジションで相談を持ち掛けられてそれに熱心に応えたりしている。諸行無常である。一応、“現役男”として活躍する一面も無くは無いのだが、そのあたりはここでは内緒だ。
ジェンダー、ジェンダーと騒々しい時代だが、夜の銀座にいると男の優位性?のような現実の世情をつくづく感じる。私のような還暦過ぎのオジサマが若いオネエサン相手に鼻の下を伸ばしていても世間では普通のことのように受け止められる。
女性だとだいぶ印象が変わる。還暦過ぎのオバサマがホストクラブで若いオニイサン相手にデレデレしていたら何かと好奇の目で見られがちだ。
麻生太郎が銀座のクラブで葉巻をふかしていてもちっともスクープにならないが、高市首相がホストクラブで葉巻をふかしていたら間違いなく“事件”のように扱われるはずだ。そう考えると世のオバサマがたに同情したくなる。
ジェンダー論をアーだコーだと語ったり、それの良し悪しを語るつもりはないが、そういう意味では男で良かったと今更ながら思う。もっと言えば、だったらせっかくの“男道”を遠慮なく突き進み続けようとさえ感じる。
アンチエイジングという言葉は好きではないが、私のそんな思考回路自体が私にとってはアンチエイジング効果に繋がっているのかと思う。
それにしても単なる“オンナ好き”、“スケベ”という現実をもろもろ屁理屈を並べ立ててもっともらしく考察するのは私にとって一種の趣味になっているみたいだ。



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