2009年12月28日月曜日

アル中

年末は何かと野暮用が多く、おかげで毎晩のように酩酊状態だ。最近、自分の酔っぱらい方が全然ダメだ。我ながら情けなくなる。

いつからなのか判然としないが、どうもここ1~2年だと思う。以前より確実に酒に呑まれるようになった。いい年して恥ずかしい。

若い頃の方がもっと神経を使って呑んでいた。出先では平然とした顔を維持して、帰宅後にドカっと崩れ落ちるパターンだった。

最近は1件目でヘロヘロだ。なのに3件も4件も飲み歩いて記憶が無くなることが頻繁だ。次の日、綺麗どころのお礼メールを読んで自分の行動を思い出したりする。

先日、久しぶりに銀座のお寿司屋さん「さ久ら」を訪ねた。8丁目のビル地下にひっそり佇む隠れ家的なお店だ。別に隠れる気はないのだが、居心地が良く、美味しい食材をアレコレ楽しませてくれるので、時々覗かせてもらう。

この日は仕事関係の知人と一緒だったので、途中までほぼ仕事モード。なんだか難しい話をしていた。

アンキモとか極上の巨大車海老の刺身とか美味しいツマミが次々に出てくる。ちゃんと脳みそは仕事モードなのだが、うまそうな食べ物が気になって仕方ない。

例えるなら、デート中にヨソの美女に目が行く心理と同じだろうか。全然違うかも知れない・・・。

知人は資料なんかも出してくる。こちらとて興味シンシンの話題だっただけに、私も結構真面目にその資料を読み込んでしまう。でも不思議なもので、片目は資料、片目はツマミ類を追っかける。

資料を手にしたままでは箸は持てない。必然的にグラスを口に運ぶ回数が増える。ビールを舐めていたはずが、いつの間にか山崎のハイボールに変わっていた。グビグビとピッチが早まる。

その後、チョロチョロとつまみを出してもらい、それをウマいウマいと喜んでいたはずなのに、いつもと違うペースでグビグビしていたから、何を食べたかあまり覚えていない。

やはり仕事モードの時はマズい店、どうでもいい料理を出す店に行ったほうがいい。そうしないと落ち着かない。つくづくそう感じた。

同席した知人が焼酎のお湯割りを2杯呑んだ段階で、こっちは既にハイボールを6杯も飲んでいたらしい。エンジン全開だ。難しい話を終えた後は、ひたすら幸せな顔をして呑んでいたみたいだ。

恥ずかしいかぎり。

もともと私はそんなに酒が強いほうではない。呑むことは大好きだが、呑みすぎれば記憶を無くす前に気分が悪くなる。だから大量には呑めない。・・はずだった。

“嘔吐モード”という抑制機能のおかげでバカ呑みが出来なかったのに、ここ1~2年、体質の変化だろうか、微妙に路線が変わってきた。

ちっとも気持ち悪くならないまま記憶が飛ぶ。ただ幸せに呑み続けてしまう。

嘔吐モードが退化したせいで、ウマい酒とウマいつまみがあれば「猿のマスターベーション」状態になる。まさに“やめられない、止まらない”。

私にとって今年は割合と不思議な年で、かつてなく色々なことがあった。ここで書けないような内緒の話は別にしていくつかトピックを思い返してみる。

人生初のメガネデビュー、自宅へのサウナ購入、10数キロもの減量、禁煙達成・・・。そのほかにも個室寝台特急の初体験や水中撮影機材の一新などいろいろある。

私にとってはすべて大きなテーマなのだが、それら以外にも「本格的なアル中化」も今年の特徴かも知れない。

自慢げに書く話ではない。
もうずいぶん前に「不惑」を迎えた年齢なのに惑うことばかりだ。幼稚なんだろうか。

来年も肝臓や胃腸、そして体重と相談しながらウマい酒を呑んでいたい。

今年の更新はこれでおしまいです。新年は5日頃から再開予定です。来年もよろしくお願いします。良いお年を!!

2009年12月25日金曜日

クエ鍋

冬になるとやっぱり鍋だ。ひとくちに鍋と言っても様々。人それぞれにお気に入りの鍋や鍋へのこだわりがある。

私の場合、実は長い間「鍋嫌い」だった。
すき焼きにしろ、フグ鍋にしろ、なぜか野菜がエラソーに陣取っている情景が許せなかったのその理由だ。

単なる偏見だが、野菜が好きな男性はどうにも信用ならない。「春菊うまそう」とか「白菜サイコー」とか言う男は私の友人にはいない。

野菜を食べずに済ますために毎月毎月「青汁」を通販で買っている私だ。一生懸命に緑黄色野菜なんかを食べてしまうと青汁に失礼な気がする。

ところで、鍋の主役が高価になればなるほど野菜の量ばかり目立つ。この現実は鍋料理の由々しき事態だと思う。

そうは言っても、年を取ったのとダイエット生活の習慣で、この冬は私の身体にちょっとした異変が起きている。イヤイヤ喰ってる顔をしながら、内心では鍋の野菜をウマいと感じてしまう・・・。男として少し情けない。

あっさり系よりしっかり系の味の鍋が好きだが、もつ鍋とかキムチ鍋とかその手のゲテモノ方面はあまり興味がない。トマトスープの鍋とかカレー味の鍋だとか最近は変なのが増えているらしいが、そういうインチキみたいな鍋もイヤだ。

20年近く前に錦糸町だったか亀有だったか、その辺のディープゾーンでご馳走になったちゃんこが最高だったのだが、あいにく店の名前を忘れてしまった。こってり系のスープで最後に沖縄そばを入れてシメにしていた。

最近は鍋へのこだわりもさほど無く、冬が来れば、フグだのアンコウだのと行き当たりばったりで鍋をつついている。水炊きも大好き、カキ鍋もウマい。

時折無性に食べたくなるのが「クエ鍋」だ。
本場の和歌山や九州で味わったことがないので、実際のところ私が食べているクエがどんなレベルなのかは知らない。でも、都内でわざわざ「クエ鍋」を用意してある以上、それなりのものなんだと思う。

先日、銀座にある土佐料理「ねぼけ」でクエ一式をムシャムシャ食べた。刺身も美味しかったが、やはり鍋で食すと満足感が大きい。単なる魚の鍋というイメージとは違うパワーがある。

一見、なんでもない白身魚だが、弾力、舌触り、旨味それぞれがクエ独特のもの。

「肉食の良さも知ってしまった魚食国家ニッポン」という我が国の客観的現状に照らすと、クエの評価はもっともっと高まっていい(なんか大げさだ)。

そんな味だ(どんな味だ?)。

“肉っぽい魚”とでも表現するのが適当だろう。

ちなみにこの「ねぼけ」。新宿や赤坂にもあるチェーン店だが、銀座店の使い勝手もなかなか。大げさな懐石料理を食べる雰囲気でもなく、かといって居酒屋的ノリも困るという場面にバッチリ。

カツオのタタキは一年中美味しいし、クジラのさえずりとかの珍味類も常備。ありがちな郷土料理店と違って割合いつも繁盛しているからさすがだ。

この日、またハイボールをグビグビしながらクエやクジラなんかを食べた。ありがたいことに「山崎」のハーフサイズがメニューにあったので、炭酸と氷をもらって一丁上がり。

野菜までウマかった印象があるから、相当酔っぱらったんだろう。

2009年12月24日木曜日

所得制限の行方


すったもんだした税制改正大綱がまとまった。マニフェスト放棄が乱発されたが、財政事情を考慮するとある程度の“修正”は仕方ないという受け止め方が一般的だ。

財源規模という点で一番の焦点だったのがガソリン関連の暫定税率をマニフェスト通りに廃止するか否かという点。

結局、事実上の廃止見送りという「公約違反」がまかり通ったわけだが、世論が比較的平静なのは、鳩山首相自身の巧みなマスコミ対応にも理由がある。

一応、暫定税率を廃止するものの、新税創設という形で課税水準を維持するという今回の決着は、一種のマヤカシであり、単なる“衣替え”でしかない。

旧来型の政治家や官僚であれば、こういう手法について、「廃止は廃止、公約違反ではない」といった屁理屈で押し通す傾向があった。苦し紛れの言い逃れだ。

今回、鳩山首相がストレートに謝罪を口にしたことは、何でもないことのように見えて一連のドタバタ劇の中のポイントになったように思う。

「形の上では廃止かもしれないが、現実は存続することになったことは、率直におわびしなければならない」。

こういう表現で、姑息に言い逃れせずに、さっさと謝罪を口にしたわけだ。“屁理屈”を主張されたら批判しようと手ぐすね引いていたマスコミ陣営も拍子抜け。

鳩山首相のこのあたりの政治センスというか、嗅覚みたいなものが、下落中とはいえ高支持率をキープしているひとつの理由だろう。

一族あげての脱税疑惑の渦中にある首相を評価する気はさらさら無いが、もし、これが「小沢首相」だったと仮定してみよう。

“小沢首相”だったら、マニフェスト違反が相次いでも例の傲慢不遜なマスコミ対応に終始するだろうから、政権瓦解ぐらいの事態を招くのは確実だと思う。

逆にいえば、そんなことは百も承知の小沢幹事長にとって、鳩山首相ほどタッグを組みやすい相手というか、コントロールするのに格好な相手はいないだろう。ある意味、結構強力な組み合わせだと思う。

さてさて、そんな雑感はともかく、一連の騒動の中で注目された「所得制限」の行方が気になる。

民主党政権の目玉政策である「子ども手当」と高校の実質無償化について、いずれも最終的に所得制限は設けられないことになった。

最初から首相自身が「所得制限は設けない」と言明していたわけだし、ある意味、当たり前の結論だが、税制大綱の決定前日まで「年収2千万円」あたりで線引きされる公算が強かった。

富裕層向けのメディアを発行しているわが社では、仮に所得制限が設けられた場合には、当然、大々的な批判キャンペーンを準備していた。所得制限という金持ち冷遇策がいとも簡単にダマシ討ちみたいに実行されるのは異常なこと。

今回はかろうじて、そういう事態は避けられたが、かえって今後のウサン臭さが強まったという見方も出来る。

ガソリンの暫定税率の廃止見送りは、政権の母体である「民主党」が「内閣」に対して要望という形で強力な影響力を行使したことが原因。

子ども手当についても、民主党サイドは内閣に対して「所得制限を検討しろ」と要望。結果的に内閣側が逃げ切ったものの、肝心のマニフェストの発信元である「党」が平然と公約違反を働きかけた事実は重い。

これが何を意味するのか。

導入初年度こそ所得制限が設けられなかった子ども手当だが、二年目、三年目に醜く変貌していくと見るのが妥当だろう。

間違いなく、来年の今頃、「年収2千万円未満」あたりを子ども手当支給基準にする改正案が堂々と閣議決定されるだろう。

たった1年で約束をホゴにされる“被害者”は全体の数パーセントに過ぎないため、マスコミからのバッシングも少ない。

そして、一度、所得制限という既成事実が出来てしまえば、その後は支給制限される所得ラインはどんどん引下げられる。

「お金持ちへの支給制限は必要」などとシタリ顔で語ってる中堅所得者層の人々は多い。自分達レベルなら安泰と思っているから安易にそういう発想をするのだろうが、いずれ所得制限という約束違反が自分達にも降りかかることを自覚した方が賢明だ。

政治家や官僚が新しい制度を創る時の口癖は「導入ありき」。「導入さえ出来れば、あとはどのようにでもいじれる」という意味合いだ。この感覚を所得制限に置き換えれば、子ども手当は決してバラ色の制度なんかではない。

2009年12月22日火曜日

クリスマス

世の中すっかりクリスマスモードだ。あちこちで電飾がやかましい。

寂しい人にとっては寂しさを実感しすぎちゃうから世界で一番自殺者が増える時期でもある。確かに何となく切ない感じもする。

キリスト教系の学校に幼稚園から高校まで通った。おかげで変な劇もやったし、聖歌もずいぶん歌わされた。

そうはいっても、純日本系じいさんの元で育ったせいもあり、サンタが実在するなどと思ったことは人生でただの一度もない。

クリスマスプレゼントはあくまで親から貰うもので、サンタが運んでくるなどというインチキ話はわが家では通用しなかった。あくまでスポンサーである親や祖父母に頭を下げて、感謝の言葉を述べるのがルールだった。

わが家の娘はもう2年生だというのにいまだにサンタ実在説を信じている。バッカじゃなかろうかルンバだが、同級生達も同様なら相当幼稚だ。

でも、どうも怪しい感じがする。サンタ実在説の裏で、したたかな子ども達の陰謀が渦巻いているように思えて仕方ない。

わが家では「サンタさんからのプレゼント」と「親からのプレゼント」の2つを期待される。サンタ実在説に基づけば確かにそれは理屈だ。

これって一種の利権だ。

サンタなど架空の生き物だと分かったうえで、あえて信じているフリをする。そしてプレゼントをダブルで搾取する。そのぐらいズルいのがイマドキの子どもかも知れない。

うちの娘は同級生の何人かがサンタ目撃体験があると言ってうらやましがっている。間違いなく、気の毒なお父さん達が赤白の衣装を着せられてウロウロさせられたんだろう。

でも子どもにとって、変な衣装のオジサンが自分の父親だと分からないはずはない。絶対に分かっているのに、自分達の利権であるサンタ実在説を守ろうと“本物”を見たフリをしているのだろう。

恐るべし。

銀座あたりでは、店の中もクリスマス一色だ。ちっとも嬉しくない。こちらにとって何も良いことはない。サイフばかり軽くなる。チューのひとつももらえない。

若い頃は、なんちゃらグランドホテルやら、なんとかプリンスホテルとかを早くから予約して、旨くもないお仕着せのディナーを大勢のカップルと同時にヨーイドンで喰わされた。変な気取った服を着て、クルマもピカピカに磨いて、プレゼントも奮発して熱くなっていた。

いま思えば当時の若者達はブロイラーのチキンみたいにパターン化した行動をとっていた気がする。無邪気というか平和というかバカだったんだろう。

30才を過ぎたあたりからクリスマスシーズンが妙にこっ恥ずかしく思えてきた。あえてイブの日にモツ焼きでホッピーを痛飲したりしていたが、逆にそれもクリスマスを意識し過ぎた感じで居心地が悪い。

いつの間にか私は結構なクリスマス嫌いになってしまった。自宅でツリーなどの飾り付けを禁止するほどストイックではないが、一連の作業は当然私の担当外。知らん顔で済む。だいぶ前にルール化したお陰で面倒な作業はやらないで済んでいる。

でも、私自身、幼い頃に自宅でさんざんクリスマスムードを楽しませてもらったことを思い出すと少し反省したくなる。

当時、12月になると植木屋さんがやってきて庭に植えてあった本物のもみの木を実家にあった吹抜けの大広間に移設した。2~3メートル級の立派な木に電飾や人形を飾るんだから家族総出のイベントだった。

あんな手間をかけてくれた親のことを考えると、今の自分の小物ぶりはちょっと情けない気もする。

今年はサンタの衣装でも着てみようか。

いやそれは無理なので、少しは楽しそうな顔をして過ごすことにしよう。

2009年12月21日月曜日

プレミアムソーダ

今日はサントリーの回し者のような話。

私が最近とことんハマっているのが「プレミアムソーダ」。感動的に美味しい。炭酸水にウマいもマズいもありゃしないと考えていたが、劇的に違う。ウイスキーのソーダ割り、ハイボール用の究極のソーダだ。

値段は通常の2倍程度だろうか。そのぐらいの贅沢で抜群にウマいハイボールが飲めるなら安いもの。

わが家で楽しむ場合、クルマで5分ぐらいの酒類量販店で売っているので、頻繁にまとめ買いしている。それでも一晩で4~5本消費するので、先日は通販で2ケース・48本を注文した。

キレがいい。こう書くと抽象的だが、まさにそんな印象。後味がスキッとしていてウイスキーの旨味が際立つ。

「山崎」の仕込み水で作ってあるので、当然「山崎」との相性はいいが、「マッカラン」、「グレンリベット」あたりと合わせても絶品。爽快感ばっちりって感じだ。

正直、ハイボールの概念が変わるほど美味しい。いくらでも呑み続けられる。ヘロヘロになるが・・・。

さてさて、B型で凝り性の私だ。最近はすっかりハイボール愛好家になってしまい、行きたい食べ物屋さんがあっても、ハイボールの用意がないと敬遠してしまうほど。

先日のバリ島旅行に行く際も機内でずーーーと山崎のハイボールを呑み続けた。気付けば酔いやすい機内でわずかな時間で500mlも呑んでしまった。

座席で映画を一本見たのだが、映画のタイトルと内容をまったく忘れている。ひどい話だ。そのぐらい酔ってしまった。この時は、乗務員がチョコレートを大量に持ってきてくれたので、ナッツ類とチョコを交互につまんでグビグビ呑み続けた。幸せだった・・。

ハイボールの偉大な点は、料理を選ばないことだろう。まあ個人的な嗜好の問題だが、和食、洋食、サッパリ系、こってり系、なんでもOKだ。シラコだろうとレバニラ炒めだろうと何でもOK。

最近のお気に入りはボイルした上等なソーセージにハイボール。パブロフの犬になれる。

夜のクラブ活動でもすっかりハイボールオヤジだ。ついつい呑みすぎてしまう。一時はゼロカロリーコーラばかりを注文していた頃もあったが、あの頃よりもボトルの減りが早くなってしまった。経済的に大問題だ。

銀座8丁目、有名なビルにある有名なクラブ「G」。有難いことにここで使っている炭酸水はプレミアムソーダだ。実に素晴らしい選択だと思う。

非日常的な世界なんだから、炭酸水だってこだわってもらいたい。他のお店でもプレミアムソーダが普及するように運動しようと思う。

2009年12月18日金曜日

脂バンザイ

「脂」。なんともセクシーな響きだ。禁断の味であり、デブにとっての天敵でもある。

あのテカり、皿や鍋に滲み出るあの汁、口の中で芸術的に広がる甘味、旨味。考えるだけでウットリだ。

脂にもいろいろある。牛肉のカルビ、マグロのトロ、キンキの塩焼きから溢れる脂も抜群だし、上等なアンキモからジュワっとにじむ脂も最高だ。

出来たてメンチカツをかち割った時の肉汁の脂、旬のサンマの塩焼きの腹回りの脂、ホルモン焼きの脂、変わりどころでは鶏の心臓につながる太い血管であるハツモトの脂、茹でたての海老から取り出すエビミソの脂・・・。みんなウマい。

脂大会の中でもやはり上位に陣取るのは豚関係ではないだろうか。

「豚の脂」。有形無形文化財でもいいし、世界遺産でもいい。とにかく神が作りたもうた奇跡の逸品だ。

最近はブランド豚が大流行だが、健康な豚ならたいていウマい。ブランドうんぬんより、料理の仕方、調味料の使い方の方が大事だと思う。

とはいっても、やはりブランド豚がメニューにあればついつい惹かれる。値段の違う数種類の豚がメニューにあれば、必然的に私は一番高い豚を選んでしまう。こういう点は富豪だと思う。

冒頭の画像とともにこの画像はイベリコ豚だそうだ。先日、仕事上の関係者に連れて行かれた某店で食べた。

冒頭の画像は目の前で削いでくれた生ハム。イベリコ豚はとにかく脂身のためだけに人間に喰われる運命だ。さすがに脂がうまい。気のせいではなく木の実のような味が濃厚だったので、本物なんだろう。

二枚目の画像は豚しゃぶ用の肉。一件、真っ白けでくどそうだが、しゃぶしゃぶスープにくぐらすことであっさりと脂の甘さが引き立つ。素直にうまかった。

豚肉料理の王道といえばトンカツ。この画像は先日訪ねた銀座の平田牧場でパチリ。脂身の輝きが素敵だ。“まるでダイアモンド”。

この店には2度目の訪問。初回より冷静に豚料理を分析?する。その結果、トンカツはウマいが、それ以外の料理は今ひとつという感想になってしまった。でも居心地の良い座敷もあり、値段的にもあのあたりでは穴場だろう。

そういえばダイエット中だった。終了宣言していないのでダイエット継続中なのだが、こんな脂三昧では体重は減るわけない。

最近は体重を減らすことより、しっかり食べたのに体重が変わらないでいることに喜びを感じるようになってしまった。こんなことではダイエッターとは呼べない。

まあいいか。

2009年12月17日木曜日

リゾートの時間

またまたバリ島の話。

バリ島といえば、女性雑誌が特集を組むようなアジアンリゾートの本場であり、上質なリゾートホテルが沢山ある。

最近では、ブルガリリゾートやセントレジスなんかが超高級路線で登場、私程度の富豪では泊まれないほどの高価格だ。

ホテル選びで悩むのもバリ旅行の楽しみのひとつ。先日の旅行もダイビング基地にした宿とは別に2カ所選んで泊まってみた。

山側のウブドにある「マヤ・ウブド」と南部エリアのヌサドゥアにある「ヌサドゥア・ビーチ・ホテル」だ。前者は比較的新しいイマドキ系ホテル、後者はバリの本格的リゾートホテルの草分け。古めかしい系だ。

旅行雑誌などでは、必然的に新しいリゾートばかり紹介されるが、古いリゾートの熟成は捨てがたい。新しいリゾートは、たいていサービス面などにこなれていない粗さが目立ったりして興ざめする。

「マヤ・ウブド」。出来たてというほど新しくないので、施設内の木々や花々もいい感じに茂っている。イマドキ系ならではモダンな感じも行き過ぎるほどではない。

ウブドでは珍しい大型ホテルだが、敷地も広くゴミゴミ感はない。むしろブティックリゾートのような小ささゆえの不便さが無い分、かえって使い勝手が良い。

敷地は川沿いの渓谷に面していて、自然たっぷりな遊歩道を歩けば、ウブドの濃い緑をトレッキング気分で堪能できる。

最高級リゾートほどの窮屈感は無いものの、汚いビーサンと汚いTシャツでウロウロするのは気がひける程度の上質感はある。

とはいえ、レストランやバーの価格は、最高級路線。ちょっと高すぎ。内容と合っていない。スタッフの質もちょっと低めに感じた。この点もイマドキ系のモダン路線のリゾートならではの課題だろう。

さて、熟成系、すなわち古めかしい系の宿代表として今回泊まったのが「ヌサドゥア・ビーチ・ホテル」。ブルネイの王様がオーナーだとか。

バリの古めかしい系のホテルの代表といえばサヌールにある「バリ・ハイアット」だ。苔むした感じ、庭園内に生い茂る木々、草花の雰囲気が時間の経過無しにありえないほど渋くて私のお気に入り。

同じグループでも上級ラインの“グランド”を冠するヌサドゥアのグランド・ハイアットよりも全体の雰囲気の良さは上だと思う。

「ヌサドゥア・ビーチ・ホテル」も正直、今更わざわざ選ぶようなホテルでもないとは思ったが、バリ・ハイアット同様の渋さを期待して出かけた。

結果はちょっと拍子抜け。全体にセンスが悪い。中途半端。一応、上等な別扱いが受けられるクラブフロアに泊まったのだが、一般客室だったら全然ダメそう。

パレスクラブと呼ばれるクラブフロア専用のエリアはそれなりの雰囲気があって癒しの時間が流れる。一方、一般客室とメインプール、レストラン周りは、なんとなくひと世代、二世代前のリゾートという感じ。

クラブラウンジでは朝食サービスやアフタヌーンティー、カクテルサービスなど時間帯であれこれ楽しめる。それぞれ結構なボリュームで食べ物やつまみが用意され、使い方によっては昼飯にも夕飯にもなる。

アフタヌーンティーの時もサンドイッチから甘いものまで随分と盛られてくる。残った分はちぎって庭に投げるとアヒルとかリスが寄ってきてムシャムシャ食べてくれる。

そういえば、朝食時にもフルーツが取り放題でマンゴスチンも堪能できた。果物に興味のない私が唯一大好物なのがマンゴスチン。無くなるたびに追加を持ってきてもらってワシワシと食べた。

ちなみに水中撮影目的で何十回と南国旅行をしてきたが、結論的に思うのは、やはり南国では「スイカジュース」と「マンゴスチン」と「チョコバナナシェイク」だということ。

私にとっての三種の神器みたいなものだろうか。これが揃っていればニンマリだ。ついでに葉巻があれば言うこと無し。

ちなみに今回の旅行には30本近くの葉巻を画像のように旅行用ヒュミドールに入れて持っていった。

多めに持っていったつもりだったが、結局吸い尽くしてしまった。多すぎだ。絶対に身体に悪いと思う。

でも、10日近くの間、イクラとかカニミソとかアンキモとか珍味をまったく食べなかったので、尿酸値は改善したはずだ。

ホテルの雑感を書くつもりが随分それてしまった。

2009年12月16日水曜日

首相のパパは国税庁大幹部

鳩山首相の脱税疑惑について二つの報道記事を引用したい。まず初めは産経新聞から。



▼鳩山由紀夫首相の資金管理団体「友愛政経懇話会」をめぐる偽装献金問題で、鳩山氏の実母(87)が東京地検特捜部に上申書を提出していたことが14日、関係者の話で分かった。 
(中略)
実母は「詳しい経緯は覚えていないが、元秘書に毎月1500万円を渡していたのは事実。息子を応援するためだった」「利息もないし、返済もないので、贈与といわれてもしょうがない」などと記した上申書を作成、特捜部に提出したという。偽装献金の原資に対する認識は否定した内容とみられる。特捜部はこの資金提供を実母から鳩山氏への「贈与」とみており、贈与税の課税の観点からも上申書を検討した上で、実母に参考人聴取すべきかを最終的に決めるもようだ▼


続いて時事通信から。

▼鳩山由紀夫首相の資金管理団体「友愛政経懇話会」をめぐる偽装献金問題で、首相と弟の鳩山邦夫元総務相側に資金を渡したとされる母親が、同時期に両氏の姉にも資金提供していたことが14日、関係者の話で分かった。東京地検特捜部もこうした事実を把握しているもようだ。政治と無関係の姉への提供が判明したことで、母親の資金が政治活動への支援ではなく、相続対策の贈与だった可能性が強まった。首相は姉と邦夫氏との3人きょうだい。姉は鳩山家関連の財団理事を務めているが、政治に直接のかかわりはない▼



このブログでも何度も書いてきたし、わが社の新聞でも以前から問題していた部分だが、ようやく大手メディアも“課税逃れ”の観点から取り上げはじめた。

これまでは、「母親から政治資金の提供を受けていた。政治資金収支報告でその内容をキチンと記載していなかった」という実にトンチンカンな角度からの報道ばかりだったが、ようやく常識的解釈が普通になりそうだ。

けた違いのリッチマンである鳩山兄弟が政治資金に窮して親からの資金提供を受けるという理屈は、どう考えても不自然。巨額な資産を持つ母親の相続税対策と見るのが当たり前だ。

「相続税対策」と書いたが、突っ込んで言えば「相続税脱税」と表現した方が的確だろう。合法的な相続税対策をしている人々から見ればあまりに図々しい手法だ。

政治団体を使って資金を移動させ、贈与税をまるで無視する手口は、少しでも税知識がある人から見れば悪質に映る。ましてや政治に無関係な娘にも同様な感覚で資金移動していたのなら純粋に脱税だろう。

「バレちゃったから贈与税を納めます」などという話で済んだら、世の中に税務署なんか要らなくなる。

年が明ければ確定申告の季節だ。所得税に限らず、贈与税の申告シーズンでもある。少なからず首相の言動が日本中の現場にネガティブな影響を与えることは確実だろう。

首相サイドは巨額な資金移動を「贈与ではなく貸付金」と主張する方向だったようだが、本当ならあまりにお粗末。一般的に贈与税逃れの場面で使われるチンケなやり方だ。

金銭貸借契約書もなく、利子のやり取りもなく、貸付金だという主張が通用すると思っていたらあまりに幼稚だ。

贈与税逃れ、相続税逃れを追及する税務調査では、たとえ、契約書があっても貸付金だという主張が否認されることもあるし、毎年贈与税申告をしていても、実態によっては一括贈与だとみなされることだってある。

検察当局の思惑はどこにあるのか、着地点をどのあたりで見ているのか実に興味深い。

ちなみに鳩山首相の父であり、巨額の資金移動の元となった鳩山安子氏の夫であった鳩山威一郎氏について触れてみたい。

元外務大臣、元大蔵事務次官という経歴で有名だが、税の世界にも足跡を残した人であることは知る人ぞ知る。

大蔵官僚時代、主計畑が中心だったが、関東信越国税局長も勤めたし、何といっても国税庁直税部長というキャリアが光る。

国税庁の直税部長ポストは、機構改革によって今は存在しないが、当時の大蔵省・国税庁にとっては重要ポストのひとつ。役割は直税、すなわち直接税全体の統括だ。

直接税とは、所得税や法人税の他、相続税・贈与税が基本。いうなれば、国家の相続税・贈与税政策のまとめ役というわけだ。

ウン十年経って息子が首相に上りつめたものの、よりによって相続税・贈与税の脱税疑惑にさらされているのも何かの因縁だろうか。

2009年12月15日火曜日

ウソツキ

来年度改正に向けた税制審議がスッタモンダしている。民主党政権になって初の政府税制調査会での議論が大詰めを迎えているが、今週末の結論取りまとめまで揉め続けそうだ。

さきの総選挙での勝利は、あくまで民主党に吹いた突風が原因であり、マニフェストが評価されたわけではないという屁理屈もあるようだが、あれだけ高々と掲げられた政権政策は、当然守られるべきもの。

まさに最低限の信義の問題だろう。

ところが政権を取って半年も経っていないこの時期に、堂々とマニフェストに掲げた公約をホゴにしようという動きが強まっている。

中小零細のオーナー系同族会社を狙い打ちにした「特殊支配同族会社の役員給与の損金不算入制度の廃止」は、わざわざマニフェストに取り上げられていたシロモノ。

税制関係のマニフェストの中で制度名まで明記されていただけに、税界関係者にとっては民主党政権のトピックとして認識されていた。

ところが同制度廃止による減収額(約670億円)を補充する見合いの財源がないという理由で、廃止が見送られる公算が強まってきた。

やはりマニフェストに得意げに掲示されていた「中小企業の法人課税の軽減税率引下げ」に関しても同様の理由で見送られる可能性が強まっている。

なんだかなあ~って感じだ。

見合いになる財源がないから見送ります、などと言っていたらすべての新しい政策は実行されないという意味だろう。

民主党内では「今やるべき課題なのか、明日の生活に困ってる人に財源を回すほうが優先」という理屈を、いけしゃあしゃあと約束を破る理由にしている。

信用して投票した有権者に対して説得力を持つ理由には思えない。

税制調査会の議論をオープンにして、記者にも公開しはじめたのはとても画期的だが、肝心な部分は密室協議になっている点も見逃せない。

経験不足のせいで結局は官僚の支配下で動いているという指摘もあながち的外れではない。今週末にまとまる税制改正大綱でマニフェスト違反が堂々と成り立つようだと、税制以外の政策も迷走しはじめることは確実。

マニフェストに違反しようと、もっともらしい理屈をこねれば通用するという意識が強ければ、ウソツキ政権という批判は強まるはず。

子ども手当にしても所得制限をつけないといいながら、既に反対派の声が強まっており、なんらかの制限が用意されることは容易に想像がつく。

わが社の新聞では、今後どのように動いていくか読みにくい税制展望やその影響、また課税強化に対する防衛策なども次々に企画中だ。読者から寄せられる不安は「どれが本当の情報か分からない」という内容が多い。的確な情勢分析が専門報道の使命だと思う。

なんか全部が行き当たりばったりの日和見的な感じで、信頼という言葉からもっとも遠い印象がある現政権。

鳩山首相がオバマ大統領に言った「TRUST ME」。どうにもうさん臭い言葉に思える。

2009年12月14日月曜日

首相の偽装献金と金丸事件

どうにも気持ちが悪い展開になってきた。鳩山首相の献金問題についてだが、一連のインチキ工作は、どっからどう見ても脱税の臭いがプンプンする。にもかかわらず、なぜだか政治資金規正法の範囲で決着しそうな雲行きだ。

弟の邦夫元総務相も登場し、一族ぐるみの資金移動の金額は想像以上の規模にのぼる。時効分まで考えれば数十億円という規模と考えていい。

それなのにいつのまにか、「修正申告して贈与税を納付」という行為がさも免罪符であるかのような雰囲気まで出てきた。実におかなしな話。

一般紙の報道では「兄弟揃って母親に依存」といった論調が目立つ。これだとあくまで政治資金を母親が提供していたという構図に矮小化されてしまい、根本的な問題がぼやかされる。論点があえてずらされているような感じさえする。

わが社の新聞では、この問題を鋭意取材中だが、国税内部からもいろいろな話が漏れ聞こえてくる。

鳩山兄弟のリッチマンぶりは周知の事実。それなのに長期に渡って母親から資金提供を受けていた事実は何を意味するのか。政治資金が足りなかったからという理屈は成り立たないだろう。

“税的な視点”で捉えれば極々単純な話になる。政治資金団体を利用した相続税逃れと見るのが、ごくまっとうな解釈だ。

政治資金団体が持つカネは相続税がかかる個人資産ではない。政治資金団体を先代から引き継ぐ際にも、あくまで個人資産ではない以上、税金はかからない。

世襲議員の問題も、本来は親の資産を政治団体のカネに化けさせることで、相続税の洗礼を受けずに受け継げるという点にある。

今回の鳩山首相らの資金移動問題もこうした意図で計画されたと見るのが普通だろう。

おまけに鳩山首相の場合、巨額な資金移動を証書も利子のやり取りもないのに母親からの貸付金と言い逃れようとしていた。この行為自体が、税法上、悪質な脱税を定義する「仮装・隠ぺい」にあたるように思う。

一般の脱税事件は、「バレそうになったから修正申告」では許されない。“税務調査を予知した修正申告”にはペナルティーがあるし、巨額悪質事案なら事前に修正申告したってマルサの摘発を逃れられない。

今回の件も、修正申告したら済むという話だとは思わない。

ちなみに、今回の件に関連して、その昔の金丸元副総理の事件を思い出す向きも多いだろう。

佐川急便事件に関連して5億円の違法献金
が発覚したものの、政治資金規正法違反での罰金20万円という超安直な決着。国民の怒りは大沸騰。検察の威信も地に落ちたのだが、国税を中心とした“巻き返し”で、急転直下、金丸逮捕という事態に発展したというもの。

今回の鳩山首相の件では、世論の反応は鈍い。しょせんお金持ち一族内のカネのやり取りみたいなイメージが強い。贈収賄みたいな臭いが無いから、舌鋒鋭く批判を展開するような知識人もいない。

今後については、やはり国税当局の動向がカギを握る。

2009年12月11日金曜日

マクロレンズ 手ぶれ補正

今日は昨日のようなセクシーショットはありません。すいません。

バリ島の水中撮影では、マクロレンズを中心に使った。新調した水中カメラハウジングは先月の沖縄で“進水式”を行ったのだが、その時使っていたのは、シグマ製の70ミリマクロ。

なかなか使い勝手の良いレンズだが、ハウジングやポートとの相性を考えると難点もあって、結局、バリ行き直前に新しいマクロレンズを購入した。

キャノンのEF100mm F2.8L マクロ IS USM

いろいろと“世界初”らしい。100ミリマクロレンズを使いこなすには当然手ぶれとの闘いだ。その点、世界初の手ぶれ補正機能がついたこのレンズは期待できる。アホみたいに高いレンズだったが、頑張って買ってみた。



全長1,5センチぐらいの小さなハゼを狙ってみた。やや被写体まで距離を取れるので、神経質なハゼを捉えるには使い勝手がいい。
ボケ味もそれなりに綺麗だ。

撮影ポジションによっては、どうしても身体とカメラハウジングの固定に完璧を期せないこともある。そうした際にも手ぶれ補正機能に期待してシャッターを切ることが出来る。

ちょっと距離がとれることで、エビにクリーニングされるウツボも悠々と撮影できる。ウツボもエビもこっちが70~80センチぐらいは離れて撮影したため、警戒心が薄く自然な様子が撮れた。


描写力もさすがに高水準。肌の質感とか微妙な色合いのグラデーションを綺麗に映し出してくれる。肉眼で見るよりもファイダー越しだと被写体の色合いがくっきり見えるため、望遠鏡を覘いているような楽しさもある。

それにしてこのハナヒゲウツボ、どうしてウツボのくせにこんなに洒落た衣装を着ているのだろう。何を目指しているのだろう。




一人のんびりマイペースで潜れたので、初めて見る魚、初めて撮る魚などあれこれと楽しく切り取ることが出来た。

およそ25年前、私がダイビングを始めた頃は水中写真撮影は今よりも当然厄介だった。その後、一眼レフを比較的手頃な価格のハウジングに入れて水中に持ち込む時代が到来し、今ではデジカメの進化でビギナーダイバーだろうと手軽に綺麗な写真が撮れるようになった。

なかでもマクロ撮影は、海の透明度やコンディションに左右されずにくっきり鮮明な撮影が出来るため、いまや水中写真の代名詞のような位置付け。

マクロ撮影は一種独特なオタク的世界でもあり、なかにはテレコンをつないだりしてスーパーマクロ撮影に挑む人も多い。

まあ正直、スーパーマクロレベルになると魚の目玉の中心とかヒレの表面の色彩とか何だかサッパリ分からない被写体にピントを合わせて喜んでいるだけみたいな人も多い。

私の場合、多少当たり前の構図になろうとも、潜らない人でも一目で何だか分かるような単純明快な綺麗な写真を撮りたいと思う。

コンテストにも興味はないし、とことん自己満足の世界だが、高いレンズも買っちゃったし、なんとかやめないように続けていきたいものだ。

2009年12月10日木曜日

トキナー フィッシュアイ 水中写真

食えもしない魚の写真を見せられても面白くないというご指摘に応えて、こんな写真をアップしてみた。すべて今回のバリ島旅行で撮影したもの。

画像をクリックすると大きなサイズで見られます。

まあこれも水中写真には違いない。プールに花びらを浮かべて“芸術作品”を撮っていたついでにシャッターを押した。



“芸術作品”とはこういう感じ。魚眼レンズを水中撮影用ハウジングに入れてプールでしばし激写。さすがに何枚も撮っていると飽きてくる。ビキニの女性が近くにいれば、そちらの造形美に芸術を感じて、触りたく、いや撮ってみたくなる。

このレンズ、トキナーのAT-X107DXというしろもの。フィッシュアイ(魚眼)レンズのくせにズーム機能が付いている。フィッシュアイの超広角画角では被写体にとにかく近づく必要があるが、そうもいかない状況では、ズーム機能でそこそこの構図に変化する。非常に便利だ。

だから無防備のお尻も撮影可能だ。

そんなことより、帰国して写真をパソコンで整理していた時に気付いたのだが、デジタル写真のトリミングの簡単さは想像以上だ。実は冒頭の画像はトリミング済みのもの。元画像は下の画像だ。

冒頭の画像以上にお尻をアップにすることは可能だ。でも何だか分からない画像になるので、この程度にとどめたのだが、トリミングして拡大しても画像の精度にさほど劣化がない。思った以上に優秀だ。

ついでにもう一点水着画像。こちらは被写体までの距離が20~30メートルはあった。安いズームレンズの200ミリ望遠側で撮影。おまけにちょっとビビりながらシャッターを押している。

当然、激しく手ぶれしそうだが、手ぶれ補正機能が優秀で何とかそこそこクリアに撮れた。なかなかいい感じだ。

ついでにトリミングしてみた。かなり拡大してもさほど粗さは感じない。指先の感じなどからは、さすがに手ぶれが感じられるが、まあ許せる範囲。

デジタル一眼レフの入門機であるEOS-KISS―X3とシグマのズームレンズでこの程度の撮影は簡単に可能。随分楽になったものだ。

さて、本来の水中写真だ。今日は、さきほど紹介したフィッシュアイズームレンズで撮影した作品をいくつか紹介したい。




トランベンエリアの人気ダイビングポイント「沈船・リバティレック」に居付いているギンガメアジの群れ。

この日、アジの群れがダイバーのせいでバラけてしまう前に撮影したかったので、朝8時からエントリーして、ずーっとこの群れだけを撮影。上がったり下がったり、アッチ行ったりこっち向いたりで結構バテた。

透明度は10メートルもなかった状況だったが、被写体までせっせと接近したのでそれなりに広がり感のある仕上がりになった。


イソバナに群れるキンギョハナダイがキレイだったのでバシバシシャッターを押した中の数点だ。このレンズ、合焦距離が最短でレンズ先端から2.5センチという実力を誇る。寄りに寄っても魚の輪郭が出てキレイ。


今回は、接写中心に潜ったので、ワイドアングルの画像はさほど無い。でもこのレンズで抜群の透明度とピキピキ元気なサンゴなんかを撮影したらきっと凄いと思う。ミクロネシア方面に行きたくなってきた。

明日は接写系の写真を紹介したい。

2009年12月9日水曜日

おひとりさま

こんな時期に休みを取ってバリ島に行ってきた。バリは10回目ぐらいだが、雨期に旅するのは初めて。スコール程度は覚悟していたが、滞在中一滴も雨に降られなかった。暑すぎて参ったほど晴天続きだった。

最近世の中では、「おひとりさま」が何かと話題になる。おひとりさま歓迎の宿だとか、ひとり飯におすすめな店とかが雑誌なんかを賑わせている。

もともと一人気ままに遊んでいるのが好きな私は、いわば“おひとりさま業界”の酸いも甘いも知り尽くしているつもりだ。だからどうだというわけではないが。

なんだかんだ言って究極のわがままがひとり旅だと思う。すべて自分のペース。寂しいなどと感じたことは一度もない。ただただ快適だ。

今回の「おひとりさまスペシャル」は、水中撮影目的で滞在したホテルに尽きる。その名も「エメラルド・トランベン」。

http://www.tulambenbali.com/index_j.html

そんなに小さな規模の宿ではないのだが、滞在中、ゲストは私ひとり。すべての機能が私ひとりのために動いているのかと思うと変な気分だ。

以前にも何度か滞在したことがあるホテルなのだが、いつもガラガラ。お洒落な感じはまったくないものの、清潔だし妙に居心地がよい。ダイビングの基地として使うには完璧な立地。

オーナーは日本人。その関係で露天風呂が用意されているのがポイント。今回は最近このトランベンエリアに増えてきた洒落たリゾートに泊まるつもりだったが、熟考の末、露天風呂に惹かれて再訪となった。

結果オーライだ。夕方、潜りすぎて冷え切った身体を露天風呂で癒すのは最高の瞬間だ。どんなにお洒落なリゾートだろうと、この部分はエメラルドトランベンにはかなわない。最高だ。

私が毎回予約する部屋は2階建てのコテージタイプ。2階がベッドルームで1階に水回りがあって室外に東屋部分が用意されている。朝食は2階のベランダか1階の東屋で誰の目も気にせずワシワシと食べる。

僻地の滞在なので食事は基本的にホテル内で済ますのだが、ダイエットにはもってこい。以前よりも味が落ちた。結構まずくてビックリ。まあここで美味しいものを食べようと考えているわけではないので気にならない。

初日にウイスキーをボトル買いして、炭酸水と氷を用意してもらってハイボール三昧の日々。ツマミになりそうなものを適当に注文する。

一緒に潜ってもらったダイビングスタッフ2人と毎晩3人で晩餐。アレコレといくつも料理を注文したがる私にとっては、2人のおかげで食べ過ぎないで済んだ。

ダイビングスタッフは40代のくせに筋骨隆々の現地人ベテランガイドとバリ在住歴1年のチャーミングな日本人女性ガイド。私ひとりのためにすべてのダイビングに付いてくれた。

といっても、それぞれ勝手に魚を探したり写真を撮ったりと好き放題に潜っていたのだが、そういうユルい感じが非常に快適だった。水中でもおひとりさまのマイペースを徹底できた。

おかげで結構いい感じに水中写真も撮れた。
水中画像は明日アップしようと思う。

トランベンという場所は、バリで一番人気のダイビングエリアなのだが、空港や一般的なリゾートエリアからはクルマを飛ばして2時間半~3時間もかかる。若い頃は空港に着いてそのまま移動していたが、そんなガッツはもうない。

今回はJAL便だったので、バリ到着が夜の10時半過ぎ。到着日の長距離移動はイヤだが、それでも翌日午後から潜るためには、それなりにトランベンに近いエリアまで移動しておきたい。そんなことを考えていたせいで一風変わった宿に泊まることになった。

事前に研究していた時に空港から小1時間移動した場所に「バリサファリパーク」とかいう施設を発見。まだ新しいテーマパークで、なんと「マラリバー・サファリロッジ」なるホテルもある。

到着日の宿は、そんな事情でなぜかアフリカ風のホテルに泊まった。

話によるとコテージの前をシマウマとか草食動物がウロウロしているらしい。そんな宿に深夜に到着するのはちょっと不気味だが、機内で山崎のハイボールを呑みすぎたこともあって、さっさと眠る。

翌朝、おそるおそるカーテンを開けると目の前にサイとかワニがいるわけではなかったが、少し遠くに大型の動物や鳥が見える。子連れとかには楽しい宿だろう。

朝食を食べにホテル内の「ライオンレストラン」に行く。大げさな名前だなと思っていたのだが、目の前にライオンはいた。結構笑える。


オフシーズンなので朝食レストランには私の他にもうひと組しかない。おまけに何やら深刻に話し込んでいて、ライオンなど眼中にない様子。

目の前でライオンを見ながら食事をする、こんな凄まじい状況をひとりで大騒ぎするわけにもいかず、興奮を隠して普通の様子で食べる。

ゆっくり敷地内を散策してそこそこ動物を見てからトランベンに向かった。1時間半ほどで到着。

このパターンはトランベンに潜りに行くダイバーにとって大いに“技アリ”だと思う。

エメラルドトランベンで潜りまくった後は、いわゆるリゾーターの時間だ。

ウブドのリゾート「マヤ・ウブド」、そのあと、ヌサドゥアの老舗リゾート「ヌサドゥア・ビーチホテル」に滞在した。

その辺の話はまた後日。

2009年12月2日水曜日

ちょっと休憩

実は先週末から休みを取ってバリ島に行ってます。ここ数日は更新作業を人任せにしていました。何日分かブログ用の原稿を書きためようと企んだもの、さすがに無理なので、1週間ほど更新はお休み。

今回は水中撮影機材を一新したので、それを使いまくるのが旅行の目的だったのだが、いろいろ計画しているうちに路線変更。

潜水三昧は前半のみで後半はリゾートホテルでボーッとしながら陸上の景色や雰囲気も撮影してみることにした。

前半はバリ島東部の田舎のホテルに滞在して水中撮影に没頭する予定。聞いたところ私の滞在中、客は私一人らしい。なんか微妙だ。

帰国したらトピックを報告します。

2009年12月1日火曜日

オールドパー クラシック

このブログの更新もいつの間にか500回を超えた。平日はほぼ毎日更新するので、もう2年にもなる計算だ。

管理者ページでは随分と興味深いデータを見ることができる。日にちごとのアクセス数はもちろん、リピーターと新規アクセスの割合とか平均閲覧時間とかあれこれだ。

どんな検索キーワードでアクセスしてくれたかというデータもある。やはり「富豪記者」という検索キーワードでのヒット数が一番多いが、なかには意外な言葉も少なくない。

飲食店や宿の固有名詞が上位にある一方、「腰痛 セックス」とか「銀座 愛人」とかのキーワードで検索してこのブログにたどり着いてくれた人が結構多い。なんか不思議だ。

そのほか、なぜか常に上位になっている検索キーワードが「オールドパー」だ。だいぶ前に銀座のクラブ活動ではオールドパー専門だという話を書いたのだが、その時のブログの累計アクセス数がなぜか多い。

やはり、「パーじいさん」とは何者なのか調べる人がネット上に多いのだろうか。インターネットを使う世代にとっては、あまり馴染みがないのだろうか。

オールパーには確かに古めかしいイメージがある。昔の流行というか、そんな感じだ。

吉田茂や田中角栄が愛飲したことでも有名。明治初期、岩倉具視の欧米視察団がオールドパーを持ち帰ったことがわが国のスコッチウイスキー文化のスタートという話もある。

いまでこそウイスキーはごく普通にそこら辺のコンビニでも売られているが、その昔は憧れの西洋文化の象徴。上流階級だけが楽しむ特別な存在だったらしい。

そんなイメージは明治以来長く染みついていたようで、私自身、海外旅行に行った人は必ずウイスキーを免税枠一杯まで買い込んで帰国するという“昭和の常識”をはっきり覚えている。

私がオールパーを好むのは、単純に今は亡き祖父を偲ぶのが理由。昭和30年代、40年代に銀座界隈でブイブイいわせていたらしい祖父が自宅の晩酌で愛飲していたのがオールドパー。

中学生の頃、私のコーラが祖父のイタズラでコークハイになってしまい、メロメロに酔っぱらったことがある。

あの日、コーラにこっそり投入されたのもオールドパーだったから、私のウィスキー体験の第一歩も「パーじいさん」の顔が描かれたあのボトルということになる。

中年になった今だからよく分かるのだが、あの頃、壮年、老年の人達の間で“オールドパー信仰”が広まっていたのは、純粋にパーじいさんにあやかりたかったからだろう。

その昔のイギリスに生きたトーマスパーじいさん。ウソかホントか知らないが、152歳の長寿をまっとうした傑物。おまけに100歳を超えてから、不倫の子を作って教会で懺悔したというエロジジイぶりだ。

長寿に加えて卓越したエロぶりが認められて、普通は入ることができない高貴な人専用の墓地に埋葬されたらしい。

いろんな方面が弱くなってきた私も、そんな偉人を素材にした酒なら呑み続けたいと思う。だから銀座ではオールドパーを選ぶことが多い。

変なところにマメだった祖父は、晩酌用のオールドパーのボトルに小細工をしていた。パーじいさんの似顔絵部分にサイズを合わせて自分の顔写真を貼っていた。何の意味があるのか分からなかったが、それこそあやかりたい気持ちだったんだろう。

先日、銀座の某店でオールドパーのキャンペーンとやらで新規ボトルを入れさせられた。冒頭の写真がそうなのだが、画像が暗くて、というかオッパイが気になって良く分からないのだが、このボトルはオールドパークラシックというもの。

標準のオールドパーのボトルの方がパーじいさんの似顔絵部分が大きいのだが、この日は、クラシックの方が安いというので仕方なくこっちのボトルにした。

ポラロイドで撮ってもらった顔写真をカットしてボトルに貼り付けてみた。やはり、祖父のように貫禄がないから収まりが悪い。まだまだ修行が足りない。

いま思えば、あの頃の祖父がどんなことを考え、どんな思いで酒を呑んでいたのか凄く興味がある。

祖父も何歳になろうとも子作りに励みたいような気持ちになっていたのかと思うと今更ながら妙な親しみを感じる。

オールドパーを呑むたびにそんなことを考える。