2023年8月30日水曜日

雑食日記



大衆酒場では黒ホッピーを飲むことが多いが、この日は謎のサワー。その名も「みぞれサワー」。バイスを凍らせて溶かしながら飲む。暑い日ならではだ。冬にこんなのが出てきたら倒れそうだ。人形町の「大穴」でのこと。厚切りゆで豚と合わせたら幸せな気持ちになった。

 

 

某日、久しぶりに新橋の「ほりうち」に行く。ヤケクソみたいにチャーシューをてんこ盛りにすることで有名。麺もスープもまるで特徴はない。あくまでチャーシューを楽しむ店。

 



この日は半チャーシューざるらーめんを注文。チャーシューは半分だ。そんな情けない頼み方をしたのには理由がある。串揚げ屋でしっかり飲み食いした直後だったから。さすがに通常盛りのチャーシューは無理だと判断、年齢的にはハシゴするだけで立派だと思うが、やはり半チャーシューというシャバダバな頼み方に敗北感を覚えた。悔しい。

 

 

某日、東京駅近くの「釧路」という店に行く。毛ガニを久々に堪能。10年ぐらい前まではアホみたいに毛ガニを食べていたが、最近は以前ほどカニに対する情熱がない。これも加齢のせいだろうか。

 


その昔、カニに詳しい大人になりたいと一念発起して北海道、北陸、山陰、九州などにカニを食べるためだけの旅をした。あの頃の執着心が懐かしい。

 我がカニ研究の結論は「毛ガニが最高」。この日も無心にホジホジする。カニ味噌をちょこっと載せた脚肉と冷酒の組み合わせに無言で悶絶。

 

 

某日、しこたま酔った流れでラーメン屋。場所は築地あたり。普通のラーメンを注文すると負けた気がするのでチャーシュー麺。空腹でもないのに相変わらず無謀だ。

 


客がいないラーメン屋ほど危険な店はないというのが世の中の常識だが、その教訓通りちっとも美味しくなかった。硬めでと頼んだ麺はまったく茹でてないようなゴリッとした食感、スープはただただしょっぱい、チャーシューは冷たい。惨敗。それでもいつかまた酔っ払っていたら再訪しちゃうのかもしれない。

 

 

某日、今年始めての生のイクラに遭遇。初めて入ってみた東銀座のカジュアルなお寿司屋さん「きたろう」でのこと。大箱系チェーン店の系列だから回転寿司に毛が生えた程度のお店だと思っていたが違った。良い意味で裏切られた。

 


近隣の高級寿司店よりは遥かにカジュアルだが、結構いいネタが揃っていた。雰囲気も大衆的過ぎず適度な落ち着きがある。凛とした高級寿司店の空気は時に億劫に感じるからこういう店の存在は貴重だ。

 生のイクラを楽しめる期間は短い。醤油漬けで出されたのだが、味付けが強すぎず生卵みたいな味わいが感じられて柔らかな食感と相まってこれまた冷酒のお供に最高だった。

 

 

某日、バンド練習を終えた後に神保町の老舗「揚子江菜館」に行く。池波正太郎が愛したというやたらとボリュームのある焼きそばや元祖だと主張する冷やし中華で有名な店。

 


冷やし中華は自宅で食べるのが私の基本である。その理由は具材が鬱陶しいからである。家では麺を2玉、横にチャーシューを4,5枚添えてあくまでも麺だけを主役に食べる。

 この店では当然のようにキュウリとか邪魔なものがゴッソリ載っていたが「元祖」と言い張られている以上、冷やし中華ラバーとしては有難がって食べねばならない。普通に美味しかったが麺があまり冷たくなかったのが残念。

 ウチで冷やし中華を食べる際には、冷蔵庫に常備してあるキンキンに冷えた水でシメるようにしている。そんなちょっとしたこだわりだけでウマさは510倍にも感じる。ウチの勝ちである。でも、こちらのお店は一年中冷やし中華が食べられるからその点に関しては尊敬している。

 

というわけで今日は短文で雑食の日々を書くつもりが結局いつものように長文になってしまった。

 

 

 

 

 

 

2023年8月28日月曜日

サウスポー大谷?


実に悲しい。ショックである。大谷翔平選手が右ひじ靭帯損傷によって今シーズンはマウンドに立たないことになった。今シーズンどころか場合によっては来年もピッチャー大谷の勇姿は見られないかもしれない。

 

靭帯損傷と診断された直後に試合に出て二塁打をかっ飛ばしたのには驚いた。打者として今後もチームに帯同するという。プレーオフ進出の希望のないチーム状況でもそうするところが大谷さんの素晴らしい点だと思う。

 

今年はWBCがあった関係で例年より早く始動し、あのアメリカとの決勝戦で魂のピッチングを見せるなど身体への負担は想像を絶するものだったのだろう。

 



シーズンに入ってからも他のレギュラー陣が適度に休養を取るのをヨソ目に大谷さんは試合に出続け大車輪の活躍をしていた。チームがプレーオフ進出に望みがあった頃に頑張りすぎてしまったこともあって今回の靭帯損傷につながったわけだ。

 

トミー・ジョン手術に踏み切れば1年以上はピッチャーとして試合に出ることは出来なくなる。もちろん打者としてガンガン打ちまくる姿は見せてもらえるが、二刀流はお休みだ。実に残念な話だ。

 

変な話、大谷さんぐらいの野球センスがあれば「左投げ」も出来ちゃう気がする。ひょっとしたら超人大谷翔平ならそんなことを考えているかもしれない。冗談みたいなことを実現させてきた彼のことだから万が一そんな事が実現したらとても楽しい。

 

プロのピッチャーなら身体のバランスを調整するために練習などで遊び半分で利き腕と逆の腕で投げることがある。右投げなら左投げ、左投げなら右投げだ。

 

ヘタレた中学の野球部のピッチャーだった私も普段は普通に右投げだったが遊び程度なら左投げも出来た。球威は右投げの半分以下だが緩い玉ならストライクは普通に投げられた。

 

超人である大谷さんならおそらく左投げでも140キロぐらいの速球は軽く投げちゃうだろう。これまでも漫画の世界を超えてきた人だから右ひじが完治するまで時おり左投げでマウンドに上がったら野球ファンが卒倒することは間違いない。


いやいや、やはりそんな願いは大谷サマに対して不謹慎だ。ゆっくり肘の治療に専念してもらいたい。

 



冗談はさておき、大谷さんの凄さ、その存在の大きさ、歴史的価値についてはこのブログで何度も書いてきた。世間一般では「大谷慣れ」のせいでもろもろな感度が鈍っているようだが、野球の世界に起きている変化は確実に大谷翔平の影響によるものだ。

 

今年は夏の甲子園をわりとしっかり見た。長髪論争みたいなくだらない話はともかく高校球児の変化が強く印象に残った。とにかく昔よりはるかに表情豊かに野球をしていた。あれこそ大谷効果だと感じる。

 

修行僧みたいな様子で根性、忍耐を絵に描いたような表情でプレーする選手のほうが少数派だった。かつて大谷さんがアメリカに渡って活躍し始めた頃、物怖じせずに楽しそうに表情豊かにプレーする姿が印象的だったが、そんな姿と似た雰囲気を高校球児からも感じた。

 

MVPになるほどのスターになった今も大谷さんのプレー中の姿には傲慢さはない。第一打席では相手チームの監督に向かって打席から会釈、審判にも挨拶を欠かさない。ファールチップが当たったキャッチャーをいたわり、打球が相手ベンチに飛び込みそうになれば瞬時に声を出して注意を呼びかける。塁に出れば近寄ってくる相手選手とにこやかに談笑する。

 

かつてのイチロー選手のような求道者的な姿とはまるで違う。イチロー流?が良くないという意味ではないが、大谷さんのスタイルはかつての野球界を思えばやはり異質だ。時代の変化を象徴する存在だと思う。

 

高校球児からすれば大谷さんは神様みたいなものだ。彼らにすれば物心がついた頃から二刀流という異次元の活躍と真摯な野球への姿勢を見ているわけだから大谷さんの行動すべてが教科書そのもの。

 

大谷翔平を生きた教科書にしている以上、高校球児の野球スタイルが表情豊かでハツラツとしたものになるのも当然の結果だろう。極端にいえば100年以上の歴史がある甲子園の野球スタイルを変えてしまうほどの影響力があるわけだから、やはり大谷さんは超人としか表現できない。

 

つくづく大谷翔平が活躍している時代に生きていることは幸せだと感じる。一日でも早い回復を祈りたい。笑っちゃうぐらい凄い二刀流でのプレーをいずれまた見られる日を心待ちにしたい。

 

 

 

 

 

 

 

2023年8月25日金曜日

徒歩圏…


マツコ・デラックスは都内の一部のエリアだけで生きているそうだが、最近の私も似たような状況になってきた。

 

中央区民になって5年ぐらい経つ。職住接近に加え何かと便利だから中央区の中だけで生きている感じがする。仕事で出かけるのも都心中心だから千代田区や港区に少し足を踏み入れるぐらいで何でもかんでも近所で済ませている。

 

先月のことだが、40数年ぶりに床屋さんに行った。それまではずっと美容院を利用していた。引っ越したせいで通っていた美容院が行きにくくなったので、今の住まいから歩いて30秒の距離にある床屋さんを恐る恐る?訪ねてみた。

 

以前から髪の毛を切るだけのために美容院で1時間も過ごすのはストレスだった。床屋さんは30分弱で終わったからナゼさっさと鞍替えしなかったのかと後悔した。男の髪の毛のカットなんて美容院も床屋も出来栄えはたいして変わらない。今さらそんなことに気付いた自分が残念である。

 

毎月処方箋の薬をもらいに行くクリニックも内視鏡検査や超音波内視鏡をやってもらうクリニックも京橋の職場から徒歩圏だ。歯医者さんも同じく徒歩2分の距離に通っている。

 

外食するのもすっかり職場や住まいの近所ばかりになった。同じ中央区なのに銀座がすっかり遠くなった気がする。ウロウロするのは銀座一丁目界隈がせいぜいで、7丁目、8丁目まで行かねばならない夜のクラブ活動はサボりまくっている。

 

戦う男!?たるもの近所だけですべてを済ますのはシャバダバな気もする。10年以上前に豊島区民だった頃にはマメに都心に出かけていた。ご近所専門で酒を飲んで過ごすのは疲れたオヤジがすることだと思っていたのだが、今ではすっかり疲れたオヤジ状態だ。

 




先日、珍しくお台場まで出かけてみた。今をときめく?港区である。電車とゆりかもめを乗り継いで遠足気分になれた。娘が参加していた某イベントを見学するために頑張って遠征したわけだが、やはり時には見知らぬ場所に身を置くことは大事だ。気持ちが新鮮になる。

 

とはいえ、炎天下の外にいたので熱中症寸前のバテバテ状態になってすごすご新橋まで戻って居酒屋でオニオンスライスを食べて疲労回復に務めるハメになった。やはり慣れないことはやるものではない。

 



 港区で足を踏み入れるのはたいてい端っこの新橋あたりだ。あとは友人が営む赤坂見附の焼き鳥屋さんに時おり行くぐらいである。千代田区はこれまた中央区寄りの有楽町とバンド練習で使っている神保町のスタジオぐらいだ。渋谷区、新宿にはまったく足を運ばなくなってしまった。

 

実は20年以上前は新宿区民だった。新宿の中心からかなり離れた中井という住宅地に済んでいたのだが、先日BSで放送されていたバナナマン日村の散歩番組が中井を取り上げていたので真剣に見入ってしまった。

 

妙に懐かしかった。画面を見ているだけで郷愁に浸れた。当時のいろんな思い出が頭をよぎって胸キュンになったから涼しくなったら散歩に出かけようと決意した。

 

今の住まいに引っ越してからまだ4ヶ月ぐらいだからご近所散歩はまだまだ新鮮だ。それもあって区外に出ていかない引きこもりみたいな生活になっている。右に行ったら三越やコレドが立ち並ぶイケてるエリアで、左に行ったら下町風情が楽しい人形町だ。ご近所界隈だけで何かと用は済んでしまう。

 

先日もウマいトンカツが食べたくて築地まで出かけようと思ったのだが、疲れていたからウチから徒歩圏のごく普通の風情のトンカツ屋さんに入ってみた。

 

店構えも特徴はなくチマタのグルメ批評に登場するような雰囲気はまったくなかったのだが、食べてビックリ、呆れるほど美味しかった。アチコチのトンカツ屋さんを訪ね歩いた私の感想だからたぶん間違いはない。

 

ナントカ補正みたいな気持ちがそう感じさせたのかと思って数日後に再度訪ねてみたのだが、やはり非常にウマい。まさしく灯台もと暗しだった。

 




上ロースはやや脂身が多めで若い人向けの印象もあったが、上ヒレが抜群だった。コレドの近くに常に大行列が出来ているトンカツ屋さんがあるのだが、個人的にはそっちより断然美味しく感じた。

 

こういう店を偶然見つけてしまうと私の近場引きこもり生活は一向に改善されない。お寿司屋さんも洋食屋さんも大衆酒場も徒歩圏で美味しい店を発見済みだ。トンカツ屋さんまでクリアしてしまったわけだ。

 

残すは焼鳥屋だ。ナゼか最近は焼鳥が食べたくならないので開拓していないのだが、ウチから徒歩30秒の距離と同じく3分ぐらいの距離にマークしている店がある。そこがウマかったらそれはそれで問題かも知れない。開拓精神、冒険心のカケラも無い引きこもりオヤジが完成してしまう。

 

健康のためにはもうちょっとアクティブになったほうがいいのは間違いない。50代にして「ご隠居」と呼ばれてしまいそうだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2023年8月23日水曜日

朝飯を抜く日 美國屋


朝と夜の2食生活になってからもう20年以上は経っただろうか。元々、起きた途端に空腹で朝からドカ食いをするタイプだったから昼飯を抜くことが普通になったのがきっかけだ。

 

今やすっかり2食生活に慣れたのだが、やむなき事情で朝食を食べられない日がある。胃カメラなど検査の予定が午前中に入った時は仕方なく朝抜きで出かける。

 

最近もすい臓チェックのための超音波内視鏡を突っ込まれ、別な日には胃のポリープの発育状況?を調べるための胃カメラを突っ込まれ、また別な日には腹部MRI検査を受けに行った。すべて朝飯抜きである。

 

食べられないと思うと普段より空腹を感じるのが私の意地汚いところだ。水しか飲めないからやたらとジュースやヨーグルトドリンクなども恋しくなる。とにかく欲求不満の塊になる。

 

そんな日は検査を受けている段階から頭の中では何を食べようかと悶々とする。検査を受ける場所は銀座や東京駅近辺になることが多い。必然的に?洋食屋さんでドカ食いみたいなパターンが多い。

 

オムライスとクリームコロッケ、はたまたグラタンとハヤシライスみたいなガッツリ系を選ぶ。昨年は高島屋の特別食堂で帝国ホテルのシャリアピンステーキと野田岩の鰻重を同時に食べるというハッピー組み合わせを選んだ。

 

先日、胃カメラを突っ込まれた日は幸か不幸か10時半には検査が終わってしまった。そんな時間だとガッツリ飯を食べようにもファストフード系の店しか空いていない。私にとって朝飯抜きのあとの“待ちくたびれメシ”は一大イベント?みたいなものである。マックや吉野家で終わらせるのはシャクである。

 

しかし、強力鎮静剤のフラフラも残っており自宅も近かったからそのまま出社せずにいったん帰宅することにした。ウーバーで画期的な丼メシでも注文すればいいかと考えたわけだ。

 

帰宅後、なぜか米より麺が食べたいことに気づき、結局自分で簡単パスタを作ることにした。空腹バリバリだったから私の中の悪魔が「マヨだろマヨ!」とささやく。

 

というわけで、「ツナマヨ」というその名も怪しげなあえるだけのパスタソースをアレンジして特製パスタを作った。出来合いのパスタソースに別途ツナ缶を一つ追加してそこにマヨをぶりぶり投入、めんつゆと醤油も適当に加えて固く茹でたパスタと絡めるだけである。仕上げに刻みのりをどっさり加えて完成。

 



天性の料理人みたいなセンスの塊?である私が作っただけに美味しいのは当然なのだが、なぜか納得がいかない。せっかくの「朝飯抜きの後の昼飯」にしてはシャビーである。なんとなく負けた気がした。

 

そしてほんの数日後、今度はMRI検査を受けに行った。検査開始は10時半である。せいぜい1時間で終わる。場所は日本橋だ。シメシメである。気分がアガるゴージャス飯?を食べることを決意しながら検査を受ける。

 

終了後、検査画像が出来上がるまで20分待てと言われたから断固拒否する。そんなものは後で取りに来れば済む話だ。なんなら取りに行かなくたって死にはしない。検査を受けるだけで満足して結果をあまり気にしないのが私の悪いクセである。

 

というわけでクリニックから徒歩3分ほどの距離にある老舗の鰻屋「美國屋」に駆け込んだ。初訪問の店だ。期待に胸は高鳴る。

 

私にとって鰻は夜に食べるのが基本だ。うざくや白焼きをつまみに酒を飲み、シメに鰻重というのが基本パターンである。実はシラフで鰻重を食べる機会はほとんどない。

 

というわけで昼に鰻重だけ食べるというスペクタルな?状況に妙に気分が上がる。メニューを見たら「二段重」という魅惑の一品があったから迷わず注文。店に漂う鰻の香りに勃◯しそうなほどワクワクする。

 



やってきた鰻重は見た目も美しく朝飯を抜いた私の心を撃ち抜く。最高だ。パブロフの犬ってきっとこういう気分だったんだろう。

 

じっくりと味わう。実に美味しい。タレに頼っていない正統派の味だ。文句ナシ。これが二段で楽しめのかと思うと勃◯しそうなほど興奮する。

 

しかし、しかしである。ご飯を突っついても引っくり返しても下にいるはずの隠れた鰻が見当たらない。半ばパニックになってお重の中を箸でこねくり回したが鰻様は上に乗っている分だけである。

 

店員さんを呼んで「オイラは二段重を頼んだのだよ」と尋ねてみたのだが、想定外の答えが帰ってきた。ご飯の入ったお重と鰻が入ったお重が一段づつ用意されているから二段重なのだと説明された。

 

言われてみれば注文の際に店員さんから「鰻はご飯に載せてしまっていいですか?」と意味不明な質問をされたことを思い出した。二段というのは、ご飯の下にも鰻が入っているいわゆる「中入れ重」だと思いこんでいた私の思い込みによる不覚である。

 

物凄く悲しい気分になりながらそれでも妙にウマい鰻重を食べ続けた。よく考えればこのぐらいのボリュームの鰻重で充分なボリュームだ。意地汚い私の気持ちはザワザワしたままだったが食べ終えた後にかなりの満足感があった。おそらく通常の鰻重より鰻の分量は多かったのだろう。

 

オチはない。ただただ食い意地をはりすぎると思わぬ落とし穴が待っているという話である。だいたいこんな歳になって鰻が二重に入っている中入れ重を食べようというあさましさが問題である。

 

以上です。

 




2023年8月21日月曜日

ブヨッチョとかマヨとか


常にドカ食いの息子と一緒の時は普段行くようなお寿司屋さんには行かない。破産しそうだから迷わず回転寿司やカジュアルな店に出かける。

 

ウン十年に渡って寿司の修行(客として)に精進してきた私だが、最近はカジュアルで大衆的なお寿司屋さんに感心させられることが増えた。

 

怪しいネタ、クサいネタ、マズいネタが中心だったのも今や昔、今では気取った個人店も真っ青なウマいネタや工夫をこらした邪道系?のネタが百花繚乱で一つのジャンルとして確立されている。

 



人気チェーン店なら仕入れ面のスケールメリットが大きいからヘタな高級店より鮮度の良いモノも珍しくない。いつだったか、カジュアル系の人気店である「すしざんまい」がやっている回転寿司屋で出てきたマグロの赤身の美味しさに感激したことがある。個人店とは違う仕入れパワーの強さを痛感した。

 

回転寿司やカジュアル系の店で私が好んで食べるのはコーンマヨである。邪道の極みだ。もはや魚のカケラも無い。寿司ネタだか何だか意味不明の食べ物である。当然、普通の寿司屋で食べることは不可能である。

 

コーンマヨを3皿か4皿も食べてしまう。価格的には最も安い部類だから店の人にはきっと私は貧乏な人だと思われているはずだ。

 

初めて食べたのは20年ぐらい前だと思う。「何じゃコレ、こんなもん寿司じゃねえよ」と間違いなくつぶやきながら口に入れたはずだ。そのぐらい「邪道系」を毛嫌いしていたのに今では大ファンである。


加齢とともに中途半端な知識やこだわり、思い入れがどんどん崩壊して今やウマけりゃ何でもアリである。ずいぶんとオトナになった?ものである。

 

他にも「サーモンマヨ」だの「ツナ軍艦」だの「海鮮サラダ巻」などをガツガツ食べてしまう。考えてみればすべてマヨネーズ系である。マヨラーを自認するほど普段はマヨネーズを食べない私だが、本当は毎食でもマヨの世話になりたいのが本音だ。

 

でも本能的に控えてしまう。洋食屋さんのタルタルソースも大好きだし、時々はツナ缶にマヨネーズをぶりぶり入れて醤油を垂らしてガッツくこともあるが、健康を考えてなるべくマヨさんのことは見て見ぬフリをして暮らしている。そんな欲求不満が回転寿司の世界で爆発してしまうのだろう。

 



さてさて、こちらは正しいエンガワの握りだ。普通のお寿司屋さんでは好んで注文するが、回転系の店の「インチキエンガワ」も最近は大好きである。言わずと知れた謎の深海魚?が回転寿司で出てくるエンガワの正体だ。あのブヨっとしてちょっと水っぽい変な味が妙に美味しく感じる。

 

「ブヨっとしてちょっと水っぽい変な味」である。こんな最低な表現をしているくせにそれを美味しく感じるのだから私の味覚なんてテキトーである。

 

もちろん、本物のエンガワのほうが好きだし、そっちのほうが遥かに旨味もあって食感も良い。本来、“謎エンガワ”と比べるようなものではない。違う名前にしてくれたほうが世間の誤解をとくにも良いと思うのだが、的確なネーミングはないものだろうか。

 

「エンガワモドキ」ではあんまりだし「ブヨッチョ」とか「アブラシロミ」とか「ジャンクエンガワ」などはどうだろう。それじゃあちっとも売れないか。

 

褒めているのかケナしているのか分からない書き方になってしまったが、私があの“ブヨッチョ”の大ファンであることは間違いない。その証拠にネット通販で見つけて買ってしまったほどである。

 




私が息子を連れて何度も訪ねた「がってん寿司」という回転寿司チェーンがあの謎のエンガワを冷凍便で届けてくれた。これさえあればウッシッシである。自宅で寿司飯を作れば延々とアイツを味わうことが出来る。

 

届いてから数週間経つのだが、私にとっては貴重品である。もったいなくてまだ食べていない。独り占めするためには同居する娘がいない時にコッソリと秘密の寿司会を開催しないとならない。

 

その日を思うと今からヨダレが出てしまう。

 

 

2023年8月18日金曜日

洋食探検


明日地球が滅亡するとしたら最後に食べたいものは何か。私の答えはトンカツである。

 

トンカツはさも日本料理みたいな雰囲気だが、元を正せばいわゆる「ニッポンの洋食」の代表メニューだ。西洋料理を日本式にアレンジして進化した食べ物がトンカツだ。

 

ニッポンの洋食といえばオムライス、ハヤシライスを始めデミグラスソース系、ベシャメルソース系の逸品達が顔を揃える。揚げ物はポークカツレツ、ビーフカツレツ、メンチカツ、クリームコロッケ、エビフライ等々。全て私の大好物だらけだ。

 

洋食大好きオヤジとして今まで随分と名店と言われる店を訪ねてきた。20代の頃はデートといえば麻布のグリル満天星ばかりだったし、亡き祖父が好きだった根岸の香味屋にも片道1時間かけて行った。赤坂・津つ井のステーキ丼を予算が足りなくて断念したこともあった。

 

30代、40代も過ぎアッという間に50代になったが今も洋食を愛する気持ちは普遍だ。銀座日本橋界隈の「みかわや」「資生堂パーラー」「南蛮銀圓亭」「煉瓦亭」、「スイス」、「たいめいけん」、浅草の「グリルグランド」「よしかみ」「ぱいち」、上野湯島の「さくらい」「黒船亭」や、他にもいろんな店でドカ食いを続けてきた。

 

やはりそれなりの名の遠った店ならハズレはない。上に列挙したお店の中には強烈なインパクトがあったところもあれば、まあまあのところもあったが、どの店も総じて満足感に浸れる。

 

これは私の持論なのだが、ニッポンの洋食と呼ばれる老舗の名店が出す料理は「東京の郷土料理」だと感じる。文明開化で必至に西洋のマネをしていた時代、首都である東京がハイカラな洋食を磨き上げていったのは間違いない。

 

ついつい行ったことがあるお店を訪ねがちだが、まだまだ未開拓のお店も多い。先日ようやく訪ねてみたのが人形町にある「芳味亭」だ。こちらも古くから有名な洋食の老舗だ。

 




何年か前に建て替えたという店内はなかなか素敵な居心地の良い空間だった。堅苦しいほどではなく適度に重厚感もあって接待やデートにも使えそうだ。

 

アレコレ食べてみたのだが全体に丁寧に仕上げられている印象。価格的にカジュアル路線の洋食屋さんだともろもろ雑な感じが残念だが、こちらは丁寧さがウリだと感じた。

 





コース料理といくつか単品も注文したのだが、すべて標準以上の味わい。洋食マニアなら納得の味が揃っていた。個人的にはもう少しメニューにバリエーションを求めたいところだが、よほどの大食漢じゃない限り問題はないレベルだ。

 

昔から気になっていたお店なのにナゼか縁がなくて今になって初訪問したわけだが、気付けば自宅から徒歩で行ける距離である。今後はマメに通ってみたいと思った。

 

別な日、これまた以前から気になっていた日本橋の「レストラン東洋」に行ってみた。こちらは大衆路線の昔ながらの気軽なレストランという雰囲気。昭和を感じさせる入口前のショーケースがオジサマ心をくすぐる。

 



夜は居酒屋的に運営しているようで、悪くいえば「洋食屋の迷走」とも言えるが、肩肘張らずに酒を飲みながら洋食を突っつくという憩いの時間が過ごせる。

 

店内の風景は昭和のデパートのレストランみたいなベタな感じ。中高年以降の人なら落ち着く雰囲気かもしれない。

 

もろキュウ、梅水晶、もずく酢や塩辛といった居酒屋定番メニューも用意されている。もはや洋食屋さんとは呼べない迷走ぶりだが、それはそれで酒を飲みたい気分なら有難い迷走である。居酒屋の定番つまみでグビグビ飲んでから王道の洋食メニューを頼めちゃうわけだから割り切ってしまえばかなり楽しい店だと思う。

 





ポーク、サーモン、海老のフライ盛り合わせ、ドイツ風ライス、謎の焼きそばである。フライ盛り合わせは揚げ加減もキチンとしていて何よりタルタルソースの量と味が洋食屋の矜持を示しているようで良かった。

 

ドイツ風ライスという謎の食べ物は、いわばデミソースたっぷりのオムライスである。意味不明なネーミングが最高である。謎の焼きそばはその名も「スパゲッティー焼きそば」である。パスタ麺で作る焼きそばである。ヤケっぱちみたいな一品だが案外ウマかった。

 

他にもハヤシライスやシチューやグラタンなど定番洋食メニューが揃っているわけだから、梅水晶と冷奴で酒を飲んでからそうした洋食メニューでシメるという有りそうで無い宴が楽しめるわけだ。

 

それぞれの食べ物がちゃんとした味わいだからこういう迷走も悪くない。職場からも遠くないし、こちらもリピートしたくなる。シャレた店が増殖している日本橋にあって中高年男性にはオアシスみたいな場所だと感じた。

 

 

 

 

 

2023年8月16日水曜日

内視鏡マニア?


今年はナゼか内視鏡検査ばかりしている。もはや趣味みたいな状況だ。先月は以前から課題?になっているすい臓のチェックのために超音波内視鏡を突っ込まれ、今月は半年前にちょっと引っかかった胃のポリープの状況を調べるために胃カメラを突っ込まれた。

 

すい臓問題は、今年の春に「のう胞」、すなわちデキモノの生体検査のために入院するハメになった。この時は超音波内視鏡で胃を経由してすい臓をまさぐって癌性のモノではないことが判明したが、今回は経過観察的に改めて検査を受けてきた。

 

私は内視鏡検査マニア?みたいである。15年ぐらい前から胃と大腸の内視鏡検査を頻繁に受けてきたからカメラを体内に突っ込まれることは慣れっこである。変な話だが検査前にはワクワクするほど大好きな時間である。

 

というのもいつも胃と大腸を診てもらうクリニックでは強力鎮静剤のような薬物でコテっと寝かされているうちに検査は終了。その後は全身が弛緩するせいで肩こりは取れるし、しばらくフワフワしていられるので一種の快楽が味わえる。何よりクスリで落ちていく寸前のクラクラする感じが実に気持ち良い。

 

すい臓問題は別なお医者さんにかかっているのだが、今年の1月に初めて超音波内視鏡で胃を経由してすい臓を調べるという体験をした。こちらもちゃんと鎮静剤を使ってカメラを突っ込むと聞いたので、今までの“快楽内視鏡”と同じワクワクしながら検査に臨んだ。

 



しかし、薬物の種類が違ったのかうっすら意識がある状態でカメラを突っ込まれた。“完落ち”しないままの内視鏡は人生初だったので結構シンドイ思いをした。オエオエモードだ。内視鏡歴15年以上で初めて世間一般で言われているツラさを体験したわけだ。

 

その検査で問題があったので春に生体検査を受けたわけだが、この時はお医者さんに執拗に「ちゃんと落としてくれ」と要求したおかげで無事に完落ち。しかし、朝の検査だったのに夜まで猛烈な睡魔が続いて難儀した。

 

で、すい臓の経過を診るための先月の検査である。過去2回のビミョーな薬物の効き目を参考にちょうど良い加減で薬物を使ってもらうはずだったのにまたもや完落ち出来ずに終わった。どうもこっちのお医者さんとは相性が悪いみたいだ。

 

この日も検査前に薬物をうたれたのだが、ちっとも効いている感覚がないまま検査が始まった。ちゃんと意識があるのに普通の胃カメラより太い超音波内視鏡がグイグイ入ってきた。悶絶の一言だった。

 

オエオエヒーヒー言いながら何とか検査は終了。その後は休憩スペースで一時間近く横になっていないといけないのだが、ナゼかこのタイミングで強烈に眠気がやってきた。意味不明である。クスリが効くタイミングが違う。つくづく相性が悪い。というか、胃と大腸の際の“快楽内視鏡”で使う薬物とこちらの薬物は種類が違うのだろう。

 

知り合いの看護師さんに効いたら寝落ちさせる薬物にもさまざまな種類があって、普通のやつの他に麻薬、劇薬など段階があるらしい。効き目が強いやつになればなるほど管理面でも物凄い厳重さが必要になるらしい。

 

そういえば、胃と大腸の内視鏡検査をしてもらう馴染みのお医者さんに検査の時にいつも完落ちする例の快楽薬をちょっと分けてくれとお願いしたことがある。ところが、病院内で落として破損しただけでもどこかに届出するぐらい管理が厳しいからダメと言われた。

 

ひょっとすると私が大好きなあの薬物は麻薬劇薬系の凄いやつで、すい臓検査の時のクスリはごく一般的なヌルい鎮静剤なのかもしれない。由々しき事態である。

 

で、恐怖のオエオエ内視鏡検査を受けた10日後ぐらいに胃の検査のために“快楽薬物”のほうのクリニックに出かけた。半年前に引っかかったポリープの成長具合?の確認である。

 



まさかこちらではオエオエモードにはならないだろうと検査台に横になる。ゆるゆると注射器で私の好きな劇薬?が注入される。お医者さんとの無駄話も成り立たないぐらい早めに天井がぐるぐる回り始めた。

 

「これだよこれ!来たよ来たよ~!」とつぶやきながらコテっと完落ち。気づいたら誰もいない検査室に一人。まるで記憶なし。フワフワした状態で目覚めた。こっそりと無臭の電子タバコ「プルームテック」をふかしながら陶然としたひと時を過ごした。

 

その後、肝心のポリープの状況について説明を受けたがフワフワしていたのであまり覚えていない。たぶん大丈夫だろう。

 

やはり私はこちらの内視鏡検査が大好きである。

 

 

 

 

 

 

2023年8月14日月曜日

おみやげ

                    


 先日、草津温泉に2泊で出かけてきた。毎年恒例の「元家族旅行」である。高校2年になるダウン症の息子にとっては一年に一度の大イベントだから甘々父ちゃんとしては奮戦する機会でもある。

 

いまやスネ毛が私よりも濃い息子だが、知能的には小学校低学年レベルである。ここぞとばかりに私にべったりだ。散歩したり温泉やプールに入ったりして過ごした。寝る時までもそばにくっついてくる。

 

5年ほど前にもこの「元家族旅行」の意義について書いた。(https://fugoh-kisya.blogspot.com/2018/08/blog-post_13.html)。私にとっても毎年の課題になっている。

 

離婚して10年以上が過ぎたがこういうパターンの付き合い方は珍しいのだろう。まあヨソと比べる必要はないがこれはこれで悪くない。親っぽいことが出来た。

 


 

草津はとにかく温泉の泉質がバツグンである。日本全国の温泉地と比べても別格だと思う。それよりも何より夏場のこの時期は涼しいのが有難い。東京の猛暑に比べてあちらは昼でも高くても25度程度、朝夕は薄手の上着を羽織りたいぐらいの温度だったからエアコンいらずで過ごせた。

 

さて、今さら「元家族旅行」の意味などを書いたところで仕方ないので今日は旅の土産について取り上げる。普通の人より10倍か20倍ぐらい旅をしてきた我が人生において、旅の最大の楽しみは「無事に家に帰り着くこと」だと感じる。

 

元も子もない結論だが、どんなに最高の旅だったとしても家に帰り着いた瞬間のホッとした心地良い気分は類まれな感覚だと思う。ひょっとするとあの気持ちを味わうために旅に出かけるのかもしれない。

 

さてさて、旅にはお土産が付き物である。人に配るものはさておき、自分用のみやげをアレコレ選ぶ楽しさも旅行の楽しみの一つだ。たとえ現地の地名だけが書かれた安い使い捨てライターでも使う際にはその土地のことを思い出す。

 

Tシャツも買い続けてきた。潜水旅行ばかり出かけていた頃は当然ながら暑い場所ばかりだったから、みやげというより現地で必要な着替えとして買い続けた。人生において旅先で買ったTシャツは2~300枚にはなるのではなかろうか。今はその10分の1も残ってはない。

 

20年前にバリ島で買ったTシャツを今も寝間着に使うことがある。当然ヨレヨレだ。ナゼか生地感が柔らかくて妙に気に入って穴が空いているのに捨てられない。でも、時おり当時の旅を思い出して悦に入っている。

 

カリブ海の方で買ったチェ・ゲバラが葉巻を咥えたカッチョいいTシャツは娘に奪われてしまったのだが、娘がオーバーサイズ的にそれを着ている姿を見るたびに現地でのアレコレが思い出される。

 

78年前から始めたのがマグネット集めだ。マグネットなら何でも良いわけではない。現地の名物料理がモチーフになっているものに絞って買うようにしている。わが家の冷蔵庫にペタペタ貼り付けている。

 


 

食べ物のマグネットに絞っているから探すのが結構大変でもある。先日のタイ旅行でもなかなか見つからず苦労した。あきらめかけていた旅の後半でカオマンガイやガパオライスのマグネットを見つけて狂喜乱舞した。きっと探す楽しみと見つけた時の喜びが私の旅の目的の一つになっているのだろう。

 

集め始めたのがわりと最近なのが悔やまれる。マグネット集めを始める前のほうが頻繁に海外旅行に出かけていたからもっと早く始めていれば、それこそ全世界の奇天烈マグネットが我が家の台所に所狭しと並んでいたはずだ。

 

スペインのパエリヤ、フランスのワインやクロワッサン、ドイツのビールやソーセージ、台湾の小籠包など実際に現地で食べたわけだから、その気になってマグネットを見ると旅の思い出に浸れる。国内バージョンも函館のイクラ丼や福岡の豚骨ラーメンなどはブツとして可愛いからラインナップに加えている。

 

今後どんどん増えていけばそれだけ旅を重ねられるという意味である。私にとってはコレクションを増やすことは元気で順調に生きていることの証にもなる。いわばマグネットを増やすことがちょっとした人生の目標みたいになっているわけだ。

 

ところで草津温泉には名物の食べ物はない。強いていえば温泉まんじゅうだがそんなマグネットなど見たことがない。そうなると食い意地がはった私はどうでもいい食べ物を土産に買ってしまうのが常だ。

 

草津にはウン十年通っているから今さら蕎麦だの山菜だのには興味がない。今回入手したのはあんずジャムと謎のミルクジャムっぽい商品である。

 



びっくりするようなウマいものに遭遇することなど無いと知っているのに旅先だとこういうものが欲しくなる。普通に美味しかったのだがわざわざ我が家の冷蔵庫を大混雑させるほどの価値があったかはビミョーである。

 

 

 

 

 

 

 

2023年8月9日水曜日

アーカイブです

 

今日は更新が追いつかなかったので過去ネタを一つ載せます。暑いからバカみたいなネタにしました。


セックスと刷り込み

https://fugoh-kisya.blogspot.com/2011/05/blog-post_20.html






2023年8月7日月曜日

蝉しぐれ

 

夏真っ盛りの風物詩といえば蝉しぐれだ。ジージー、ミンミンと響く鳴き声を騒々しいと捉えるより情緒と受け止めるのが大人の嗜みだと思う。夕暮れ時のヒグラシの音色は自然界の音の中でも最も情緒あふれる珠玉の響きだと感じる。

 

いつの頃から蝉しぐれに強く郷愁を感じるようになった。子供の頃には無かった感覚だ。いまや桜を見るのと同じような気持ちで蝉しぐれの中に身を置いている。「あと何回この音色を聞いていられるのかなあ」という老境みたいな気持ちになる。

 

蝉しぐれという言葉もまた魅力的だ。漢字で書けば蝉時雨だ。時雨とは通り雨のようにパラパラと降る雨を意味する。セミの鳴き声に包まれる時の表現として実に美しい。

 

土の中で長い年月を過ごし、ようやく地上に出ても短い日数で死んでいくセミの姿に昔から日本人は“もののあわれ”や命のはかなさを投影してきた。音色の美しさも一瞬の輝きに過ぎないわけで、そこに尊さを見出すところは日本人の国民性とも言える。

 



と、なんだか仰々しく書いてみたが、セミに関するウンチクはワイ談にも応用出来るので、私自身、飲み屋などでセミ談義に花を咲かせることは多い。

 

何といっても鳴くのがオスだけだという現実の切なさが良い。ミンミン、ジージー、カナカナなどそれぞれの音色は交尾相手を求めるオスの叫びである。いわば「やらせてくれ~!」と主張し続けているわけだ。

 

数年もの間、静かに土の中を這いずり回り、成虫になってやっと地上に出ても一週間とも言われる短い余生をひたすら「やらせてくれ~!」と叫び続けるわけだ。切ない。実に切ない。同じ男として深いシンパシーを覚えずにはいられない。

 

考えてみれば、鳴いているセミは晩年期である。若々しかった頃の姿ではない。人間に例えるなら中高年というか老年である。にもかかわらず交尾のことだけを考えて余生を過ごしている。身につまされる話ではないだろうか…。

 

人生の後半になってセックスのことだけを考えるなんて「紀州のドンファン」もビックリのエネルギッシュさである。ある意味うらやましい。男なら見習わないといけない姿勢だろう。

 

平均寿命までまだまだ随分と時間が残されているはずの50代、60代の男性ならば人生の教訓はセミから学ぶべきなんじゃないかとさえ思う。

 

「しずけさや岩にしみいる蝉の声」。日本人なら誰もが知っている俳句である。松尾芭蕉が晩年に詠んだものだ。芭蕉先生も人生後半戦のもどかしい気持ちをセミを通じて痛感していたのかも知れない。

 

蝉しぐれに郷愁を感じるのは誰もが持っている夏そのものへの強い印象も影響している。四季の中でも一番エネルギッシュな季節が夏だ。人生を四季に例えるならば夏は多感な青年期にあたる。

 

井上陽水の名曲「少年時代」にしても晩夏の頃を情感たっぷりに描いているように誰もが甘酸っぱい記憶といえば夏を舞台にしている。

 

風鈴の響き、蚊取り線香の香り、はたまた甲子園のサイレンの音色、かき氷にスイカ…。風物詩も思い返せばキュンとくる情景がいくつも浮かぶ。それらの情景のBGMといえばどうしたって蝉しぐれになる。

 

誰もが持つ「いつかの夏」への思い入れは蝉しぐれと切り離しては考えられない。だから歳を重ねるごとにセミの鳴き声に対して一種独特な愛惜の念を感じるのだと思う。

 

このブログも15年ぐらい書き続けてきたが、夏も盛りになると毎年のように蝉しぐれについて書いてしまう。別に新しい発見など無いのだがそれでもなにか書きたくなる。

 

来年も再来年もその先も平穏無事に蝉しぐれの話を凝りずに書いていられるように過ごしたいものだ。

 

 

 

 

 

 

2023年8月4日金曜日

渋いすき焼き、モダンなすき焼き


暑いから鍋物など見向きもしたくないが、案外食べてしまえば幸せになれる。気付けば身体は冷房のせいで変な冷え方をしているから健康面ではアリだと思う。

 

というわけで、今日は最近食べた趣のまったく異なる2種類のすき焼きについて書く。相変わらず話の舞台は中央区である。

 

一軒目のすき焼きは人形町の「大和」という店。基礎知識はまったく無いまま通りすがりに入ってみた。入ってみてビックリ。私好みだった。渋さ満点の昭和感漂う店の雰囲気にまずは感動。

 



畳に座って鍋を突くなんて正しいオジサマ族の見本である。牛、豚がメインのようだが、この日はさくら鍋を選ぶ。夏バテ対策には馬肉で力をつけたい。


鍋の前に軽く馬刺しで一献。これがまた赤身の刺し身だったから嬉しかった。脂の旨味も捨てがたいが、夏場は何でもかんでもサッパリが恋しい。

 




で、鍋登場。割下の他に味噌も用意される。江東区森下にある老舗「みの家」みたいな感じだが、あちらのように「賑わう宴」という風情ではなくノホホンとした空気感で居心地が良い。フラっと通りすがりに馬肉を突っつくみたいな小粋でユルい感じだ。

 

刺し身で食べるような鮮度の良い馬肉をレア気味に仕上げて味わう。ヘルシーな気分になるし実際に食べた後のお腹の感じが楽ちんなのも馬肉の魅力だ。

 



仕上げには何の変哲もないうどんで決まりだ。場肉の旨味を吸った割下と生卵の残り汁で味わう。マズいはずがない。オーソドックスで単純明快な美味しさに満足した。

 

別な日、今度は京橋にある「婆裟羅(ばさら)」でトマトすき焼きを味わった。こちらは渋さとは対極のイマドキの高級和風モダンなしつらえのお店だ。

 

肉自体はオーソドックスな牛肉だが、トマトを上手にすき焼き味で食べさせるのがウリである。お店の人が全部やってくれるのでラクチンだ。

 



 メインのすき焼きの前にはウマいものがちょっとづつ箱に敷き詰められた八寸が出てくる。正直、この宝箱?さえあればオジサマ族は肉を食べなくても満足できちゃうレベル。どれもウマいし、アルコールとともにちびちび突ついていればお腹も落ち着いてくる。

 

肉ももちろん美味しいがトマトやタマネギが実に味わい深い。子供の頃にこんな味を知ったら野菜嫌いにならなかったと思う。ちなみに春菊とか白菜とか余計な野菜を使わないのがこの店の嬉しいポイントだ。

 



何年か前にこの店に始めて行った際に衝撃だったのがすき焼きの後に出てくるパスタである。これもまたお店の人が作ってくれる。すき焼きという食べ物の進化系を強烈に実感した記憶がある。

 

この日も当然のようにトマトやタマネギ、牛肉の旨味を吸収した割下をベースにしたトマト味の平打ち麺がシメとして出てきた。思わず笑ってしまうほどウマい。

 



賑やかに盛られた八寸を突っついて程よく酩酊気味になり、美味しいトマトすき焼きで充分に満腹になったとしてもこのパスタは絶対に手を出さずにはいられない。いや、完食せずにはいられない悪魔的な美味である。

 

大げさに言えば日本料理の象徴みたいなすき焼きがイタリアンの象徴であるパスタを仲間に入れちゃうわけだから日本人の美食追求への貪欲さを体現した逸品だと感じる。

 

というわけで、オーソドックスな渋いすき焼きもモダンに進化するすき焼きも甲乙つけがたいというのが本日の結論。

 

 

 

2023年8月2日水曜日

ノーパン

                                                            


 「ミニスカートでノーバン投球」。ネットニュースなどでよく見かける表現だ。アイドルや女優の始球式ではもはや定番用語である。

 

言うまでもなくノーバンとはノーバウンドのことだが、“ノーパン”という目の錯覚を狙ったあざとい表現として定着している。

 

ノーバウンドで投げた、パンツを履かないで投げた、では随分と雰囲気が違う。普通に考えれば下半身丸出しで始球式をやるはずはない。目を引く見出しを付けたい編集者の確信犯的な企みである。

 

ノーパン。実に良い響きだ。崇高というか神々しい印象がある。どことなくロマンも感じる。そう思っているのは私だけだろうか。

 

本日のこのブログの見出しはノーバンではない。ノーパンである。目の錯覚ではない。モノホンである。何だか書いているだけで嬉しい!

 

おまけに冒頭のミニスカ画像である。今日はエロ話を書き進んでいく感じだが、実はぜんぜん違う話題を書く。スケベな話を期待した人には心から謝りたいと思う。

 

何はさておきノーパンである。私はノーパンが大好きだ。といっても女性の話ではない。デートの相手にノーパンで来てもらったとかの話でもない。とりあえず今日は私自身の話である。すいません。

 

下着を履かないで過ごすのは実に快適だ。さすがにスーツを着て仕事をしている時にノーパンというわけにはいかない。基本的には家でくつろいでいる時に限られる。

 

下着の締めつけ感ほど鬱陶しいものはない。中年になって腹回りがだらしなくなるに連れ、あのゴムの締め付けがたまらなく不快になる。

 

私の部屋着や寝間着は常にダラダラのテロテロである。よく分からない表現だが、要はオーバーサイズで柔らかい生地を好むという意味だ。身長180センチ弱、体重80数キロの私の場合、普段のTシャツやポロシャツはXLだが、寝間着用のTシャツなどは3L4Lだ。

 

5歩や10歩動いたらズリ落ちてくるような短パンやスウェットが理想である。郷ひろみが着るようなピタったとした服は昼だろうと夜だろうと苦手だ。

 

せっかくダラダラテロテロの部屋着や寝間着を愛用しても肝心の下着がピシっとしていては台無しである。すべてがユルユルにならないとリラックスは出来ない。理想はノーパンでいることだ。

 

実際に以前は家ではノーパンで過ごしていたのだが、今は年頃の娘と同居していることもあって一応下着は常時着用している。それだけではない。加齢とともにいろいろな“キレ”が悪くなってきたから安易にノーパンで過ごすと思わぬ“事故”につながりかねないので安全のためにも下着は着用している。

 

私が着用するのはいわゆるボクサーパンツだ。ブリーフは何だか恥ずかしいし、トランクスはスボンを履く際に裾が持ち上がって気持ち悪いのでもう何十年もボクサータイプである。

 

で、肝心のサイズ感である。普段はXLで問題はないが、家でくつろいだり寝る際には巨大サイズが必要になる。市販品で3L4Lを見つけるのは案外厄介だから結局はネットに頼ってデカパンを購入する。

 

ところが3L表示なのに一般的なXLと変わらないようなシャバダバな商品も多い。仕方なく余裕をもって4L5Lを買ってしまう。洗濯乾燥機で縮むリスクも考慮すると、そんなお相撲さんサイズを選ぶことになる。

 

時にはサイズ表記にウソがなく乾燥機でも縮まない良品?に出会うこともある。そうなるとユルユルなだけでなく丈も長めだ。鏡に写った自分の着用姿の奇天烈さにズッコケたくなる。

 

色は黒やグレーなどの無地が中心だから問題になるのが昼間に履くパンツと寝る時のパンツの区別だ。使い分けは私の日常生活において重要な問題である。

 

一応、家専用のユルユルお相撲さんパンツのままスーツを着たって何も支障はない。でも私だって現役男子である。時にはムホムホな展開を迎えることもある。女子の前で服を脱ぎ捨てた際に奇天烈パンツだったら大変である。下半身丸出しで街を歩くよりも恥ずかしい。

 

同じメーカーの同じ色のパンツでもXL4Lが混在しているから家用のデカパンにはラベルあたりに油性マジックで印を付けている。子供の頃の持ち物に何でもかんでも名前を書かされた時のようだ。印を見るたび何となくシュールな気分になる。

 

今日は私の奇天烈パンツ姿の画像を載せようかと思ったのだが、理性が勝ってヤメにした。その代わりにノーパン姿でも披露しようかと一瞬脳裏をよぎったのだが、それこそ公害みたいなものだから自主規制する。