2023年8月23日水曜日

朝飯を抜く日 美國屋


朝と夜の2食生活になってからもう20年以上は経っただろうか。元々、起きた途端に空腹で朝からドカ食いをするタイプだったから昼飯を抜くことが普通になったのがきっかけだ。

 

今やすっかり2食生活に慣れたのだが、やむなき事情で朝食を食べられない日がある。胃カメラなど検査の予定が午前中に入った時は仕方なく朝抜きで出かける。

 

最近もすい臓チェックのための超音波内視鏡を突っ込まれ、別な日には胃のポリープの発育状況?を調べるための胃カメラを突っ込まれ、また別な日には腹部MRI検査を受けに行った。すべて朝飯抜きである。

 

食べられないと思うと普段より空腹を感じるのが私の意地汚いところだ。水しか飲めないからやたらとジュースやヨーグルトドリンクなども恋しくなる。とにかく欲求不満の塊になる。

 

そんな日は検査を受けている段階から頭の中では何を食べようかと悶々とする。検査を受ける場所は銀座や東京駅近辺になることが多い。必然的に?洋食屋さんでドカ食いみたいなパターンが多い。

 

オムライスとクリームコロッケ、はたまたグラタンとハヤシライスみたいなガッツリ系を選ぶ。昨年は高島屋の特別食堂で帝国ホテルのシャリアピンステーキと野田岩の鰻重を同時に食べるというハッピー組み合わせを選んだ。

 

先日、胃カメラを突っ込まれた日は幸か不幸か10時半には検査が終わってしまった。そんな時間だとガッツリ飯を食べようにもファストフード系の店しか空いていない。私にとって朝飯抜きのあとの“待ちくたびれメシ”は一大イベント?みたいなものである。マックや吉野家で終わらせるのはシャクである。

 

しかし、強力鎮静剤のフラフラも残っており自宅も近かったからそのまま出社せずにいったん帰宅することにした。ウーバーで画期的な丼メシでも注文すればいいかと考えたわけだ。

 

帰宅後、なぜか米より麺が食べたいことに気づき、結局自分で簡単パスタを作ることにした。空腹バリバリだったから私の中の悪魔が「マヨだろマヨ!」とささやく。

 

というわけで、「ツナマヨ」というその名も怪しげなあえるだけのパスタソースをアレンジして特製パスタを作った。出来合いのパスタソースに別途ツナ缶を一つ追加してそこにマヨをぶりぶり投入、めんつゆと醤油も適当に加えて固く茹でたパスタと絡めるだけである。仕上げに刻みのりをどっさり加えて完成。

 



天性の料理人みたいなセンスの塊?である私が作っただけに美味しいのは当然なのだが、なぜか納得がいかない。せっかくの「朝飯抜きの後の昼飯」にしてはシャビーである。なんとなく負けた気がした。

 

そしてほんの数日後、今度はMRI検査を受けに行った。検査開始は10時半である。せいぜい1時間で終わる。場所は日本橋だ。シメシメである。気分がアガるゴージャス飯?を食べることを決意しながら検査を受ける。

 

終了後、検査画像が出来上がるまで20分待てと言われたから断固拒否する。そんなものは後で取りに来れば済む話だ。なんなら取りに行かなくたって死にはしない。検査を受けるだけで満足して結果をあまり気にしないのが私の悪いクセである。

 

というわけでクリニックから徒歩3分ほどの距離にある老舗の鰻屋「美國屋」に駆け込んだ。初訪問の店だ。期待に胸は高鳴る。

 

私にとって鰻は夜に食べるのが基本だ。うざくや白焼きをつまみに酒を飲み、シメに鰻重というのが基本パターンである。実はシラフで鰻重を食べる機会はほとんどない。

 

というわけで昼に鰻重だけ食べるというスペクタルな?状況に妙に気分が上がる。メニューを見たら「二段重」という魅惑の一品があったから迷わず注文。店に漂う鰻の香りに勃◯しそうなほどワクワクする。

 



やってきた鰻重は見た目も美しく朝飯を抜いた私の心を撃ち抜く。最高だ。パブロフの犬ってきっとこういう気分だったんだろう。

 

じっくりと味わう。実に美味しい。タレに頼っていない正統派の味だ。文句ナシ。これが二段で楽しめのかと思うと勃◯しそうなほど興奮する。

 

しかし、しかしである。ご飯を突っついても引っくり返しても下にいるはずの隠れた鰻が見当たらない。半ばパニックになってお重の中を箸でこねくり回したが鰻様は上に乗っている分だけである。

 

店員さんを呼んで「オイラは二段重を頼んだのだよ」と尋ねてみたのだが、想定外の答えが帰ってきた。ご飯の入ったお重と鰻が入ったお重が一段づつ用意されているから二段重なのだと説明された。

 

言われてみれば注文の際に店員さんから「鰻はご飯に載せてしまっていいですか?」と意味不明な質問をされたことを思い出した。二段というのは、ご飯の下にも鰻が入っているいわゆる「中入れ重」だと思いこんでいた私の思い込みによる不覚である。

 

物凄く悲しい気分になりながらそれでも妙にウマい鰻重を食べ続けた。よく考えればこのぐらいのボリュームの鰻重で充分なボリュームだ。意地汚い私の気持ちはザワザワしたままだったが食べ終えた後にかなりの満足感があった。おそらく通常の鰻重より鰻の分量は多かったのだろう。

 

オチはない。ただただ食い意地をはりすぎると思わぬ落とし穴が待っているという話である。だいたいこんな歳になって鰻が二重に入っている中入れ重を食べようというあさましさが問題である。

 

以上です。

 




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