「優」という文字を分解すると「人」を「百」回も「愛」するという意味になるらしい。なんだか気取った話だがフムフムって感じである。見方を変えれば人を百回愛するのではなく、人に百回愛されるという解釈も成り立つ。ちなみに私は優しい人間だ。ふむ。
愛するか愛されるか。嫌うか嫌われるか。やるかやられるか等々、立ち位置が変われば随分とイメージも変わる。いわばSとМみたいなものである。例えがヘンテコか…。
Sっ気が強い人ほどМっ気も強いという定説もある。表裏一体、鏡合わせみたいなことだ。ちょっと違うか。いや、そういうものだと思う。Sが強くなればなるほどМに近づき、その逆も然りだ。相手側への理解が深まり指向性が似通ってくるという理屈だ。
ジェンダーという言葉とは無縁な時代に育った男性であれば事あるごとに「男らしく」「男たるもの」云々などと昔ながらのステレオタイプな男子像を押し付けられてきた。結果、男は強いもの、主導権を握るもの、なんなら攻め込む側であることが当然といった感覚で大人になった。
だから私も当然のように自分はSでありМ性なんかカケラも無いと信じて生きてきた。そういう男性は多いと思う。ところがひょんなことで自分にも少なからずМっ気があることに気付くことがある。
私の場合も30代半ばぐらいに「ひょんなこと」があった。具体的には書きにくいが、とにかく稲妻に撃たれたような感覚に陥った。とはいえ、自分の中ではМっ気など認めたくない心理も強かった記憶がある。
おそらく「ひょんなこと」を経験した多くの男性が、そこから禁断の道には進まずあくまで元々持っているSっ気だけを信じてМっ気にフタをするのだと思う。認めちゃったら恥みたいな感覚で“Мの芽”を摘んでそんな要素は無かったことにしているはずだ。
私もそうしたかったのだが、自分にМっ気があったことが妙に愉快で素直に面白がることにした。もともとスケベ男だからスケベの世界が少しでも広がるなら何でもアリだと思ったわけだ。
その後はわりとアッケラカンと「どっちでも好みに合わせますよ」などと無頼な姿勢?を貫いている。SだのМだの語る以前に「二刀流」を宣言しちゃったほうがワイ談ひとつとっても世界が広がる。オススメです。
いや、オススメしたところで“癖”だから無理強いはできない…。
このブログで10年前に私自身の脳内を支配するヘンテコなフェチについて書いたことがある。奥さんでも恋人でもセフレでもただの顔見知りでも構わないのだが、自分にかかわりのある人の「過去ネタ」を聞いて妙に興奮する特殊な性癖についてだ。
https://fugoh-kisya.blogspot.com/2016/04/blog-post_25.html
こういう思考は男性に限られるみたいだ。長年、この〝癖〟の理解者を探してきたが、男性だったらわりと簡単に同感してくれる人が見つかるが、女性陣からの支持はゼロである。脳の仕組みが違うのだろう。
先ごろ亡くなった昭和の名歌手・菅原洋一の大ヒット曲「知りたくないの」も女性目線の歌詞である。知りたがりの私には理解できない世界観である。
私自身にМっ気があると書いてきたが、より詳しく分析するなら“脳内Мっ気”がかなり強いのは確かだろう。痛いのはそもそもイヤだからしょせんは感覚的な部分が破たん?しているのだと思う。
いや、破たんなどと書くと全国380万人の同好の士に申しわけない。ユニークな感性とでも表現しておこうと思う。
「過去ネタ」に萌えると白状する一方で、それがエスカレートすると「NTR」にまで発展しちゃうのは由々しき問題かもしれない。すなわち「寝取られ」である。
無料アダルト動画の世界を調査!?してみたのだがNTR系はジャンルとしてしっかり成立しているようで正直感心してしまった。同好の士は380万人程度では済まないのかもしれない。
愛する、愛されるの違いをウダウダ書き始めたらこんなテーマにまで発展してしまったわけだが、NTRという風変わりな趣味嗜好も一種の愛の形だとも言える。
難しい心理描写はそれこそ谷崎潤一郎先輩に任せるとして、やはり嫉妬心、背徳感、喪失感、はたまた怒りや絶望の感情、敗北感みたいな心の葛藤がNTR路線に萌える人たちの基本原則である。それが興奮に繋がるわけだからやはり特殊ではある。
それって相手に対する情がしっかり無ければ成立しない。まるで知らない女性が目の前で誰かと行為に励んでいても視覚的な興奮はあっても心理的興奮はない。そこが大きなポイント。NTRはあくまで愛情の応用系、愛情のバグみたいな話なんだと思う。
ちなみに色恋道の達人みたいな某知人からは「それって自慢とか誇示じゃないのか?」という意見も聞いた。自分の相手を誰かに寝取らせる深層心理にはそういう要素もあるはずだという分析だ。
確かに寝取り役の男がキチンと興奮してくれなければ何も始まらない。すなわち自分のパートナーが第三者から見ても興奮対象なのかどうかを客観的に確認したい歪んだ狙いも心の奥底に潜んでいるのだと思う。
今日は「優」という文字を分解すると気取った意味になるという話を書き始めたのだが、そこからどんな話に持っていくか決めずに成り行きまかせに書き殴ったせいでヘンテコな話を力説してしまった。
我ながら呆れる。こういう路線の話がただただ好きなんだと思う。本当にすいません。


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