2018年3月12日月曜日

敬語フェチ


「とりま」、「りょ」。若者言葉の一種だ。それぞれ「とりあえずまあ」、「了解」の意味。いつの時代も若者は変な言葉を使う。

私だって高校生ぐらいの頃は意味不明な言葉を使っていたから、どうこう言う話ではない。

昔と違い、今はLINEやメールという文字情報が飛び交うからヘンテコな造語というより極端に省略するのが主流なんだろう。

普段、友達同士では変な言葉を使っているはずの若い女子が綺麗な敬語を使っているのを聞くと、ちょっと萌える。途端に「ちゃんとした人」に思えてくる。

あくまでプライベートでの関係が前提だ。仕事の付き合いでの敬語には何も感じない。楽しくホゲホゲした気分の時に投下される敬語こそグッとくる。

敬語フェチ、敬語萌えという世界があるそうだ。ネットの世界ではそんなコミニュティーもあるらしい。


この画像はネットの知恵袋で見かけた質問だ。妙にそそられてわざわざ載せてみた。素敵な?話だと思う。。。

敬語フェチの世界、なんとなく理解できる。

さてさて、その場の状況によっては、相手に敬語を使われると他人行儀に感じることは多い。距離をとられた気になる。

しかし、和気あいあい、もしくはイチャイチャしている時に笑顔で敬語を使われるとモリモリした?気分になる。


だいぶ前に、かの「みうらじゅん」師匠がベッド敬語について熱く論評していた。若者の草食化、セックスレスは「敬語レス」が原因だろうという趣旨だった。

タメ口の応酬に比べれば、確かに「ベッド敬語」には独特ななまめかしさがある。私自身も大好物である。

それにしても「ベッド敬語」という5文字であの空気感を表しちゃうところが師匠の師匠たるゆえんだ。

「そこはダメです」

「もう許してください」

「好きにしてください」

すべて敬語にすることで、何でもない言葉に妙な背徳感が漂う。

だいたい、男女のまぐわいなんてものは、背徳や禁断といった背景があってこそ面白い。敬語が持つ魔力はエッチ方面において格好のスパイスになるわけだ。

時々遊んでくれる女性が何度か会ううちに徐々にタメ口に近づいてくると、少し残念な気がする。

ひょっとすると、そっち方面の敬語が減ってくるからかもしれない。それを理由にまた別の相手を探しているようではゲスの極みである。

ちなみに敬語だけでなく、私にとって馴染みの薄い関西弁などを浴びせられる?のもモリモリ気分になる。

「何ばしようとね」

「いい加減にしんしゃい」

「アカン、そんなことせんといて」

こういう言葉を聞かされた時の私は間違いなくヒヒ親父感たっぷりで好色丸出しの顔付きになっていると思う。

東京モンにとって方言には独特の魅力がある。普段は標準語で話している人が何かの拍子で方言に変わると、うらやましいような気分になる。

当の本人はそれをコンプレックスに感じるようだが、大きな勘違いだ。私から見ればバイリンガルと同じ。2種類の言語を操るわけだから素直にカッチョイイと思う。

敬語が上手な人と可愛い方言を聞かせてくれる人と3人で川の字になって一夜を過ごしてみたい__。そんなバカげた妄想が頭に浮かぶ。

春うららである。

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