歳をとってきたせいか、著名人の訃報に特別な感慨を抱くことが増えた。こんな傾向はますます強まるのだろう。
舘ひろしだって永ちゃんだって70代である。昔の感覚ならオジイチャンである。山下達郎だってハマショー師匠だって三浦友和だって70代だ。当たり前だが皆さん10年も経たないうちに80代である。私が少年時代から普通に存在していた著名人が先に逝くのもある意味当然だ。
火野正平さんが亡くなった。昭和のプレイボーイの代表格だ。晩年はBSの人気番組でひたすらチャリに乗って旅をしていた。あの番組は火野さんが漂わせるほのぼのした雰囲気が良かった。
かつては目が合うと妊娠しちゃうとまで言われた御仁だが、自転車旅の際に街の人と触れ合う姿はすっかりアクが抜けた楽しいおっちゃんという感じだった。ひょうひょうとした語り口と相まって観ているほうもホゲホゲした気分になれた。
ひょっとするとあの空気感が女性をトリコにしたのかもしれない。
このブログではだいぶ前に高倉健や田村正和を「教科書だった」と書いたことがある。
https://fugoh-kisya.blogspot.com/2021/05/blog-post_26.html
二人とも一種の神秘性を持った大スターだった。カッコよさ、男らしさといったオモテ版の教科書である。火野正平さんはいわばウラの教科書だった。私にとって「いつも女性問題でワイドショーに追われていたトボけたオッサン」である。若造だった私にとっては不思議な存在でもあった。
決して二枚目路線で売っていたわけではない。でも綺麗な女優さんにモテモテだったという点が謎だった。いや、謎というより底知れぬエロスを感じさせる存在だった。スケベ感満点オジサンという印象を抱いた。
「いろいろ凄いんだろうなあ」。漠然とそんなふうに火野さんを見ていたのだと思う。想像でしかないが、そんな“凄さ”を見習いたいと強く思った。そういう点で教科書的な人だったわけだ。
プレーボーイとして名を馳せたのは昭和の頃の話である。その後は名バイプレーヤーとして渋い演技を見せていた。若い世代から見れば俳優というよりチャリンコで旅する人というイメージのほうが強いだろう。
チャリ番組でも時折、かつての武勇伝を思い起こさせる一言をボソっと口にするあたりがカッチョよかった。握手を求めてきた女性に茶目っ気たっぷりの顔で「子供できちゃうよ」と言ってのける。NHKの番組だからそんな姿が尚更素敵に見えた。
チャリ番組から生まれた火野さんの名言がある。なかなか含蓄に富んでいる。
「人生、下り坂、最高!」である。シンプルな中にも高齢化社会のニッポンを勇気づける言葉だと思う。
私自身、歳を重ねていろいろ肉体的、精神的に厄介事が増えてきたのだが、それでも若い頃に戻りたいという感覚はない。中年以降こそ面白いと痛感している。
生まれてから半世紀も過ぎればイヤでも人生は後半戦である。その下り坂を鬱々した気分で受け入れるのか、居直って楽しむのかでは随分と違う。どうせ残り時間が減ってきているならウジウジしているヒマはない。下り坂を最高だと開き直って楽しむことは大事だと思う。
晩年の火野さんを端的に言い表すなら「肩の力が抜けたオジサマ」と言えよう。チャリ番組で天候が悪い時には「雨にも負ける、風にも負ける」と洒落っ気たっぷりに悠然としていた。
誰もが若い頃には色んな場面で力んで過ごしていた。力んだことで上手くいくことなどまず無いのだが、それに気づくのは人生後半戦になってからだ。
肩の力を抜くことの大事さ。晩年の火野さんのキャラはそれを自然に教えてくれていた。おおらかな時代の一種の象徴だった。またひとつ時代の幕が下りたような気がする。
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