誰もがさまざまなこだわりに縛られて暮らしている。仕事や家庭生活のすべてが自分なりの流儀というか、ちっぽけなこだわりに影響されている。
私もそんなルーティンのおかげで日々のリズムが保たれている気がする。別に大袈裟な話ではなく、ちっぽけなこだわりは数多い。
たとえば靴下の履きかただ。私は決まって左から履く。たいした意味はない。靴を履く時も左から、靴をしまう時にシューキーパーを入れるのも必ず左からだ。
きっかけは大学生の頃、潜水趣味に没頭し始めた際に足ヒレを左から装着すると事故に遭わないと信じていた当時の我がダイバー師匠の習慣だ。
信じたわけではないが、何だかそんなこだわりがカッチョよく思えてマネをした。不思議なもので、それがクセになると一種のオマジナイ効果もあって、必ず左足から装着しないと落ち着かなくなる。
靴下や靴も同じ。左足から履き始めることが習慣になって以来、事件事故にも遭わず過ごせているから、ついルーティンとして欠かせなくなった。
この時期、寿司好きがヨダレをたらすシンコの握りだ。私も大好きだが、決してツマミでは食べないのがマイ流儀だ。
仕込みに手がかかるシンコは、酒をダラダラ飲む際のツマミにしちゃうのはマナー違反だと勝手に思っている。味わうことに集中しがちな握りを食べる際に注文するのが正しい。
とはいえ、そんな職人さんへの敬意も時と場合で一瞬にして崩れる。職人さんから「ツマミでどうですか」などと優しく言われると「ぜひぜひ」などと応じてしまう。反省。
先日も「すし処築地」でいとも簡単にマイ流儀を破ってシンコをツマミに飲んでしまった。これはこれでウマい。ホワッとした食感こそシンコの醍醐味だ。寿司業界における羽二重餅である。
寿司に関して言えば、タマゴはシャリ付きで食べるのもマイ流儀だ、近頃はタマゴだけをツマミやシメに口にする人が多いが、私は握りで食べるほうが好きだ。シャリと組み合わせたほうが単純に幸福を感じる。
食べ物のこだわりは数え上げればキリがない。ハンバーグなど肉料理に添えられたニンジンやクレソンは必ず残す。カップ焼きそばのお湯は1分半で捨てる、濃縮3倍のそばつゆの薄めかたは2倍で充分などさまざまである。
最近は、プロントにタバコ休憩に行ったら必ずスイカジュースを頼むとか、ラーメン屋では必ずチャーシューメンを頼む等々、どうでもいいマイ流儀は増え続けている。
ちなみに私のスイカジュース推進運動?に触発された友人が自身のラーメンブログで、ラーメンそっちのけでスイカジュースを考察していた。
私に対する誤ったイメージは問題だが、なかなか深い洞察なので、ヒマで死にそうな人は読んでいただきたい。
http://blog.livedoor.jp/kin_nosuke/archives/1077641183.html
生活面でのこだわりといえば、スーツの胸ポケットに必ずポケットチーフを入れる、寝る前に寝室を「冷房強、設定温度19度」でキンキンに冷やす、朝は38度設定のぬるめの風呂に浸かる等々、いろいろある。
朝の入浴ルーティンではマイ流儀の歯磨きによって知覚過敏が直るという嬉しい効果もあった。
毎朝、ぬるま湯に浸かりながら歯を磨く、歯磨き粉はシュミテクトである。その後、さっさと口をゆすがずにシャンプーや洗顔に励む。
すなわち、シュミテクトが長く口中に残っているわけだ。浸透するはずである。洗顔、シャンプーを洗い流した後で、ようやく口をすすぐ。
これを何年も徹底していたら知覚過敏が直ってしまった。きっと効果的なシュミテクト活用法なんだと思う。
他にも眠る際は左を下側、すなわち心臓を下側にした横向きから始まって、そろそろ落ちそうになったら逆側を下向きにした横向きに切り替えるのが毎日のパターンだ。なぜかその流れにすることで眠りに落ちる。
ここ数ヶ月、寝る前に時代小説を読むことがルーティン化している。それに慣れてしまうとサボれなくなる。
短編を2つ3つ読むことが多い。いずれ読みたい本が無くなってしまうぐらいになれば大したものだが、そこまで続ける前に別なヘンテコなルーティンを見つけてしまう気がする。
2 件のコメント:
この度は拙ブログをご紹介いただきありがとうございました。
ジジイになっても人の話に耳を傾け、新たなことにチャレンジすることの大切さをスイカジュースが教えてくれました。
スイカジュースは人生そのものですね。。。
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