2014年8月1日金曜日

エバるな塩

夏は嫌いではないが、汗っかきだから何かと面倒である。まったく迷惑な話である。こう暑いと呼吸するだけで汗が出てくる。

汗をたくさんかけば痩せるかと思いきや、ちっとも効果はない。汗っかきの利点は何もない。

大量に発汗したあと、水分だけを補給すると、血液中の何かの成分がどうちゃらこうしたとかで、かえって熱中症になることがあるらしい。適度な塩分を一緒に摂取することが大事なんだとか。

塩分、すなわち塩である。今日は塩の話。

塩はエラい。そんなことは百も承知だ。人間が生きていく上で不可欠なものである。給料を意味するサラリーという言葉の語源もソルトのラテン語版がベースらしい。そのぐらい大事な存在である。

それはそうなのだが、最近、外食の現場で塩が必要以上に威張っているような気がする。アマノジャク的見地からすると何となく気に障る。

「塩でどうぞ」。

やたらと耳にするようになったフレーズだ。ここ10年、20年ぐらいで急激に広まったように思う。気のせいだろうか。

その昔、昭和の頃は焼鳥といえばタレが当然で塩焼きは少数派だった。時は流れて今ではウマいと評判の焼鳥屋は塩焼きがメインになり、今ではどんな焼鳥屋でも塩、タレ選べるのが普通だ。

焼鳥業界の変化を先鞭に、上等な冷や奴なんかも塩で食べるのがポピュラーになるなど、その他の世界にも「塩の逆襲」が顕著になってきたのだろうか。

寿司、天ぷら、蕎麦等々。日本を代表する食べ物の世界でも近頃はやたらと塩がエバっている風潮がある。

寿司の場合、白身魚やタコ、イカをはじめ、貝類なんかも「塩でどうぞ」が強要?されたりする。

その手の場面では、スダチやカボスなど酸っぱい系の過剰演出も付いて回る。好きな人には申し訳ないが、私はアレが苦手だ。

塩がエバっている話から脱線して「柑橘系の邪魔者たち」のことを少し書く。

上等なイカの塩辛に遭遇しても、たいてい、刻んだ柑橘類の皮がトッピングされている。意味不明である。絶対に不要だと思う。

白身魚の刺身に柑橘類を搾るのもナゾだ。あんなことしたら、柑橘の味しかしない。レモンサワーじゃあるまいし、なんでせっかくの魚の旨みを消すのだろう。

マズい魚、腐りかけの魚、味がまったく無い魚。そんなヘタレだったら柑橘搾り汁もアリだ。でも、まともな魚にはああいうムダなことはやめた方がいいと思う。

さてさて、塩がエラそうにしている話に戻る。

塩はエラい。それは否定しないが、「塩万能説」みたいなケッタイな風潮が気に入らない。

近頃は蕎麦屋まで「最初は塩でどうぞ」などとおかしなことを言い出す。蕎麦屋といっても、どんぶりメニューもあって出前も手がける街場の蕎麦屋ではない。近年増殖中のこだわりの蕎麦屋だ。

蕎麦そのものの風味を味わって欲しいのだろうが、それなら蕎麦だけすすれば済む。塩で蕎麦を食べたってウマくはない。

最初の一口だけそうしろっていう提案もインチキくさい。ホントにウマいなら塩でずっと食べるのもオススメだと言えばいい。

何だか偏屈オヤジの小言みたいになってきちゃってスマンです。でも続けます。

蕎麦は蕎麦つゆで食べるからウマい。それ以上でも以下でもない。保守的でも何でもなく、それが単純な真実だと思う。

天ぷらも同じである。いつの頃からか塩が前面に出てくるようになってきた。なんでだろう。まあ、蕎麦よりはマシだが、それでも私としては???である。

作り手としてはカラっと揚がった衣をビチャビチャとつゆに浸されてフジャフジャにされるのが忍びないのかもしれない。

それでも「フジャフジャが正解」だと声を大にして言いたい。

もちろん、食べ方なんて人それぞれ自由である。逆立ちしたって塩で食ったほうがウマいという信念の人にまで私の主張を押しつけるつもりはない。

なんとなく、言われるがままに塩で食べさせられて味気ない思いをしている人は結構いるはずだ。そういう人はごく普通にフジャフジャ食べたほうが幸せだと思う。

「いいえ、私には天つゆをください」。この一言を勇気を出して言ったほうが幸せが手に入ったりする。

わが国では塩は特別な存在である。盛り塩をしたり、お相撲さんが取り組み前にバラまいたり、お清めに使ったりと神聖で尊いイメージがある。

そのせいで、「塩でどうぞ」って言われると、つつい、ヘヘーってひれ伏したくなるのかもしれない。

そんなDNA的に弱いところを突いてくる「塩推進派」の戦略は巧みである。

気付けば、トンカツも塩で食べる人が出てきたようだ。目玉焼きもコロッケもカツオのタタキからお好み焼きまで「塩派」は広まっているらしい。

大変な事態である。


とかいいながら、お寿司屋さんでウニのツマミを常に塩で食べて喜んでいる私である。

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