ちょっと堅い言い回しだが、「依存症」の定義とは次のようなものだ。
~~ある種の快感や高揚感を伴う特定の行為を繰り返し行った結果、それらの刺激を求める抑えがたい欲求である渇望が生じ、その刺激を追い求める行動が優位となり、その刺激がないと不快な精神的、身体的症状を生じる精神的、身体的、行動的な状態のこと~~。
フムフムである。
なぜこんなことを書いたかといえば、毎日のようにウナギを食べたい私の偏執狂っぷりは、一種の依存症ではないかと思ったからだ。
「何を食おうかな?」。ボケーッと考えていると、常にウナギが上位に来る。実際、しょっちゅう食べに行く。
ちょっと値は張るが、こっちとらぁ、しがない独り者である。エンゲル係数が高いのも仕方あるめぇ。
いわばウナギ依存症みたいなものだ。中毒である。これを抑えるにはウナギを食べるしかない。
いま、私が脅えているのは「耐性」である。クスリも摂取し続けると効かなくなる。すなわち耐性が出来てしまうわけだ。
ウナギを食べることで症状?を抑えているわけだから、度が過ぎて耐性が出来たら、1日3食ウナギを食べるとか、1週間に7回もウナギディナーとか、大変な事態になりそうだと心配しているわけだ。
こんなバカな話を書いているのだから、少なくとも今の私の心理状態は平和で安定しているのだろう。
ということで、8月はウナギばかりである。お盆休みでお店がどこも空いていなかった日もウナギが食べたくなった。
家から遠くない距離に大箱でそこそこ有名な鰻屋さんがある。ウマくて有名というわけではない。暖簾分けらしき名前の店がアチコチにあるウナギ屋の本店である。
何度も食べに行っているが、正直、あんまり美味しくない。でも、その日、たいていの店が休みなのにそこは営業していた。
美味しくないのを承知の上で行ってしまった。
キモ焼、うざく、白焼き、鰻重である。白焼き、うざくは妙に小骨が多い。鰻重のタレは何となく苦みを感じる。いつもと一緒である。
それでも嬉しい顔して冷酒とともに味わう。依存症である。
別な日、実家に出かけたついでに母親とともにウナギを食べることになった。実家のある杉並区の荻窪界隈には評判の高い鰻屋がいくつかある。この日は残念ながらそれらの店は定休日だった。
で、高井戸に近い「荻窪宮川」に出向く。近隣の有名店に押されて地味な存在のようだが、かなり美味しかった。うざくも白焼きも鰻重もバッチグーだった。
その前後の日には、豊島区の大塚駅そばにある「大塚宮川」に出かけたのだが、ここも想像以上に良かった。
白焼きには専用のタレが用意され、鰻重の味にも満足。貴重品だという塗りのお重でサービスしてくれたのだが、その重箱の具体的な値段をやたらと強調されたのは御愛敬である。
この2軒、グルメ本やグルメサイトなどとはあまり縁が無いみたいだ。ウナギのような保守的?な食べ物はそれでいいのだともう。
住宅街で昔から続く鰻屋さんが大当たりだったりすると非常に嬉しい。ハヤリスタリに関係なく、メディアの情報にも左右されず、キチッと良い仕事をしている店はアチコチに存在する。そういう店が日本の文化を支えているのだろう。
ちなみに「食べログ」で結構評価の高かった鰻屋のなかには、正直なぜ人気があるのか分からない店もある。ウナギみたいに保守本流の食べ物こそ地に足が付いた店が本物だと思う。
別な日、赤坂の有名店である「ふきぬき」を訪ねた。さすがに結構な混雑ぶりである。
期待大である。
マズいのに混んでいるのは、浅草にある某天ぷら屋のような観光客向けの店ぐらいである。普通はウマいから混雑している。
うざく、白焼きで冷酒をキュッキュとやっつけて鰻重ドッカンである。まっとうに美味しかった。人気のある老舗の安定感とでも言おうか。
この店も含めて、まっとうにウマいウナギを出す店は、ウナギ以外の酒肴メニューがほとんど無い。これが残念である。酒自体の品揃えも淋しい店が多い。
塩辛とか、佃煮に毛が生えた程度でもいいから珍味なんかを少し揃えてくれれば、白焼きを待つ間の酒タイムが幸せになるのに残念である。
私が知る限り、まっとうに美味しいウナギ専門店で酒肴や酒の品揃えがバッチリなのは日本橋の外れにある「大江戸」だ。ただ、極上の鰻重がドッヒャ~と言いたくなる値段なのが玉にキズである。
その他にも銀座三丁目にある「ひら井」も穴場だと思う。ここは逆に居酒屋みたいな雰囲気とメニュー構成である。襟を正してウナギを食べる雰囲気ではないが、白焼きも蒲焼きも実に丁寧に仕上げてくる。
これを書いているだけで、既に私の脳みその中はウナギがぎゅうぎゅう詰めである。今夜もウナギを堪能したいが、別な予定が入っている。切ない。
やはり依存症みたいだ。
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