2014年8月4日月曜日

ウナギと浮気


暑い。暑い。

暑いからウナギが欲しくなる。もともと大好物だから一年中食べているが、この時期は頻繁に身体が求める。


少しイヤミな言い方になってしまうが、ウナギほど「知ってしまった悲しみ」を感じる食べ物はない。

昔は、安物の冷凍ウナギでも大喜びして食べていたクセに、今ではどの店がウマいのマズいの余計なことばかり口にしてしまう。

凝り性な性格のせいもあって、自分好みのウナギを求めて予算も気にせずアチコチで食べ散らかしてきた。

結果、ちょっと好みと違うと、普通に美味しいはずの鰻重を前にしてもブツクサ文句を言ってしまう。何か一言余計なことを言いたくなる。反省である。

そんな私だが、学習能力に乏しい習性ゆえ、「通」みたいなフリをしている割には、スーパーに並んでいる出来合いの蒲焼きや真空パックのウナギを頻繁に買ってしまう。

そんなモノが真っ当な鰻屋さんで食べるウナギよりマズいのは百も承知なのだが、ついつい買ってしまう。我ながら不思議だ。

焼鳥やお寿司だったらスーパーのお惣菜コーナーで目撃しても無視するのだが、なぜかウナギだけは買いたくなる。

いま、これを書いている段階で、今日の夕飯はウナギに決めかかっている。昨日もウナギだったのに不思議である。

先日、前から気になっている銀座の鰻屋さんに行ってみた。評判も良く、以前、予約が取れなかったこともあったので期待に胸を膨らませて出かけた。

その結論が、さっき書いた「知ってしまった悲しみ」という一語である。もっとウマい店を知ってしまっているから、つい四の五の言いたくなった。そんな感じ。

いやはや、そんな言い方自体がイヤミである。この店、普通に美味しいと喜ぶレベルなんだと思う。事実、私が近所のスーパーで買っちゃうウナギよりは遙かにウマかった。

和モダンで洒落た空間、ワインもたくさん揃っている。デートには最適だろう。一品料理のメニューも豊富だ。

うん?待てよ・・・。それ自体が黄色信号ではないか。基本的に絶品の鰻重を出す店にそんな路線の店はない。

ウナギ以外のツマミがまったく用意されていないストイックな店は苦手だが、一品料理がワンサカとメニューに並んでいる鰻屋さんもビミョーである。


ウナギの白焼きをツマミに冷酒を飲むのが大好きな私としては白焼きは外せない。上品な盛りつけだなあと文句の一つも言いたくなったが、これは普通に美味しかったのでウホウホ食べた。


う巻きにトリュフがトッピングされた一品も頼んでみた。自ら注文したくせになんだが、意味不明だった。ウナギの風味はトリュフの前に全面的に消滅してしまっていた。


楽しみにしていたのが「ウナギの西京焼」なる一品。いままでウン十年、アチコチでウナギを食べてきたが、未知の料理である。

結果は「残念」の一言。一切れ食べた後は全部残してしまった。あくまで個人の好みだが、私としては論外だった。

そして鰻重である。普通に美味しいのだが、トリュフ問題、西京焼問題が私の狭量な心に影響して、フンガフンガ鼻を鳴らしてかっ込む気分にならない。

そのうち、タレの甘さが気になり始めた。半分ほど食べたところでクドさばかり感じてしまった。

隣席の若い男女は幸せそうに食べている。タレが甘いのクドいのブツクサ言ってるのは見回してみても私ぐらいである。

そんなことなら、最初からお気に入りの鰻屋以外には行かなきゃいいのに、ついつい開拓したい気持ちに負けてしまう。

う~ん、マヌケである。かつて何度そんな失敗を繰り返してきただろう。分かっちゃいるのに・・・という感じだ。

惚れぬいた店に一途に通っていれば間違いはない。いつでも安心して満足が得られる。これが真理なのに他の店にも興味が湧くあたりが私のダメな点である。

落ち着きがないというか、浮ついているというか、どうにも締まらない話である。

たかがウナギ、されどウナギである。店選びに迷走した私が気付いたのは、浮気心はロクな結末を招かないという真実である。

フムフム、切ない教訓である。

ウナギから人生を学ぶ今日この頃である。

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