今日のタイトルは、なんとなくロマンチック?な響きだが、いま私を悩ませているテーマだ。いや、大げさに言えば日本中がこんな感覚に陥っているような気がする。
ソフトバンクの孫さんが雑誌のインタビューで語っていたが、国を挙げて電子系、IT系分野への注力に邁進しなければならないことが明確なのに、因習にとらわれて物事が進まないのが現状の閉そく感の根底にあるのだろう。
明治維新後、工業立国を目指して重厚長大産業の育成に努力したわが国は、なんとか現在のポジションを得るに至った。時代の大転換の渦に巻き込まれて、今からは想像も出来ない葛藤や軋轢だらけで時代が作られてきたわけだ。
「龍馬伝」とか「坂の上の雲」でNHKがさんざん流しているあの時代の空気は、実際に凄まじかったんだろう。多分、大多数の人が漠然とした不安、恐怖、そして抵抗感を感じていたはずだ。
急激な路線転換にニコニコついていける人は単なるバカか偉人のどちらかなのかも知れない。
農業保護の重要性はコメが大好きな私にとっても切実な問題だが、そうはいっても国の政策遂行という枠における優先順位とは別な次元だと思う。
学校教育現場でも教科書の内容など昔と変わらず農業的視点の素材が目立つらしい。一方で先進技術、電子立国に向けた人材育成につながるような戦略的な取組みは遅々として進んでいないという指摘もある。
情報格差で国力はもちろん、人々の生活レベルの優劣が決まってしまう時代だけに思い切った舵取りは待ったなしに必要なはずだ。
なんか大げさな話になってしまった。
私自身の「ノスタルジックな抵抗感」が今日のテーマだった。
新聞事業、紙媒体を軸としている仕事をしている以上、時代の急激な変化は物凄く恐いことである。
端的に言って斜陽産業に携わっているわけだから、四の五の屁理屈をこねているうちに会社自体が無くなってしまっても不思議ではない。
いま、天下の大新聞社でさえ、赤字が当然の構造不況だ。黒字が出ていても、しょせん不動産関連収入で本業の赤字をごまかしているようなパターンが主流だ。
こんな事態を10年前に切実感を持って感じていた人は少ない。大きなうねりの渦中にあることを実感する。
わが社でも現在、アレコレと生き残り策を模索中だが、現状の嘆かわしい低迷状態も思い返せば「ノスタルジックな抵抗感」が原因にあることは確かだ。
主力商品しかり主力部門しかり、長く続けている会社であればあるほどそのイメージは硬直化する。主力だと思っていたものが冷静に見ると足を引っ張る存在になっていることなど珍しくない。
コスト削減も同じ理由で遅れる。看板事業だから、長年の慣習だから、長い付き合いだから・・。さまざまな浪花節的要素が決断を遅らせる。
わが社でも最近、何十年単位で付き合いのある取引先をいくつも変えた。ただ、変える決定を下すまでの逡巡の時間が大いなるムダを垂れ流していたことも事実。
これまで実行してきたコスト削減策を見返すと、当然効果は確実に出ている。ただ、同時に実感するのが「すべて手を付けるのが遅かった」という後悔。
同様の改善策を2~3年早く実行していればどれだけ今が楽だったか、つくづく思い知らされる。
後手後手に回ってきた理由は単純に「ノスタルジックな抵抗感」にあるのだろう。私自身、社内の組織変更やリストラなどを検討する際、つい自分の歩んできた“畑”に関しては思考停止に陥ってしまうことがある。
その事業部門の現場責任者ならともかく、全体像をトータルに俯瞰できないようなら経営者失格だ。おセンチな感傷みたいな気分で転換を避けたら会社やその仕事自身がホントに無くなってしまいかねない。
なんだか自分に一生懸命言い聞かせているのか、単なるグチなのか分からなくなってしまった。
2010年12月13日月曜日
ノスタルジックな抵抗感
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