2019年4月12日金曜日

ダウンちゃん中学生になる


今日は久しぶりに我が息子・ダウンちゃんの話を書く。気付けば12才になった。この春で中学生だ。


生まれた直後にダウン症と宣告され、お先真っ暗に感じたのも随分前のような気がする。

支援学校の小学部から中学にそのまま上がったので、とくに感慨は無いつもりだったが、小学校の卒業式で格好つけていっぱしの姿で卒業証書を受け取る姿にホロっときた。

親の私が思っているより、いろんなことが分かってきたみたいだ。最近でも元嫁サマから「あなたはあのコをなめている」と叱られる。

確かに一緒に暮らしていない分、着実に進歩している息子の姿をきちんと認識していないのかもしれない。反省だ。

先日、息子と2人で過ごした時も細かいことを自分でしっかりこなしていて感心した。以前より聞き分けも良く、物事の理解度も上がっている。

ダウン症だから仕方ない--。そんな私自身の固定観念は彼のためにはマイナスにしかならない。母親のほうがその点をちゃんと分かっている。

厳しくてもステップアップさせるように忍耐強くしつけることのほうが正しい愛情だ。

母親の判断で公文にも通い始めたが、私などはついつい「意味あるのかね」と言ってしまう。これではダメだ。投げやりが一番悪いことだろう。

分かってはいるのだが、常に一緒にいない私としては、ついつい甘やかしたい気持ちもあって叱咤激励ではなく何でもかんでも手助けしてしまう。

このブログでも、過去に何度かダウンちゃんをめぐる葛藤を書いてきた。励まされたり、同じ境遇の人達からいろんな声をいただいた。

https://fugoh-kisya.blogspot.com/2016/05/blog-post_16.html

私自身、エラそうなことをさんざん書いてきたが、結局は何も出来ていない。ダウン症の息子に適応力をつけさせるためにどんな努力をしたのかと自問自答してもロクな答えは出ない。


会った時も、好きなだけ散歩させて、ウマいものを腹一杯食べさせて、風呂でさんざん遊ばせて、好きなテレビを見させて、カルピスをどしどし飲ませて、じゃがりこを食べさせるだけである。

そう書いてみるとダメ親父である。彼の成長のために役立つ情報収集に励んだり、建設的なサポートをすることも大事だ。

ちょっと考え直さないといけない。そう思ってもついつい甘やかしてしまう。



幼い頃の散歩姿と小学校入学式の画像だ。上に載せた画像と比べると随分と成長した。健常児に比べるとはるかにゆっくりしたペースだが、着実に進化している。

それに比べて私はちっとも成長していない。それこそ、いきなり障害児の親になった頃のほうが、アレコレと思索にふけり、それ以上に情報収集とその整理に必死になっていた。今のほうが後退しているかもしれない。

まあ、後退などと書くのもシャクだから、あえて言うなら普通になったと言い換えてみたい。

「普通」。これってある意味では私にとっては進化だと思う。突然、障害児の親になった当初は普通でいられなかったわけだから確実に変わったと思う。

でも強がりではなく、ダウンちゃんとの12年の月日のおかげで、彼は彼なりに「普通」であり、親としてはそんな彼が「普通」に可愛いのは間違いない。

時に不憫に思えたり嘆きたくなる感情が沸き起こるのも、障害の有る無しにかかわらず、親としては「普通」のことだろう。

きっと息子が健常児だったとしても、私の性格上、教育熱心だったはずはない。おそらく今と同じように「普通」に甘やかしていただろう。

要は健常児だろうがダウンちゃんだろうが、たいして変わらなかったような気がする。

これからもダウンちゃんだからと構えずに、「普通」に子どもの成長に目を細めたり「普通」に悩んだりすればいいのだろう。

なんだかトピックもオチもない「普通」の話になってしまった。

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