2019年4月3日水曜日

令和元年

令和。なかなかクールな響きだと思う。30年前に「へいせい」と聞いた時ほどの違和感はない。

中高年の人なら昭和から平成になった時のあの妙な感覚を覚えているはずだ。へいせい。良い悪いではなく、音の響きにカッチリした感じがなく、どことなく掴み所がない印象を受けた。

当時は昭和天皇崩御の流れでの改元だったから、新元号をめぐってお祭り的な騒ぎはなく、平成に決まった際もただただフムフムと難しい顔をして受け入れたような記憶がある。

あれから30年。「へいせい」に慣れた今では、新しい「れいわ」のほうが借り物みたいな感じがする。とはいえ、昭和人的には語尾の「わ」のおかげで、元号っぽさを感じる。

令和は万葉集に語源があるとか。梅の花がどうしたこうしたという意味合いがあるそうなので、桜より梅派である私としては好きになろうと思う。

たぶん、私の享年はこの元号になる。つまり「令和〇〇年没」となる可能性が高いから早めに馴染めるようにしたい!?。

決まってしまえば、テレビが騒いでいた新元号予想のアホらしさは一体何だったんだと思う。

安倍首相の「安」の字が入るだとか、あり得ないだろう。そんなベタなことが現実になっていたら日本中の右翼が首相官邸に押しかけて騒乱状態になったかもしれない。

徹底した秘密主義もあまり意味があるとは思えないが、天皇陛下の諡号(おくり名)としての意味合いを考えれば政府の厳重管理も仕方ないのだろう。

衆議院の副議長が政府の厳重な情報漏れ対策を巡って大げさに騒いだようだが、あのへんの正論モンスターっぷりが旧社会党系のピント外れの象徴みたいで、ある意味、わかりやすかった(笑)。

そんなどうでもいいことより、元号の候補にどのようなものがあったか、いくつの案から選ばれたのかといったプロセスの部分までかん口令を敷く必要があったのかは疑問だ。結局、「万和」「英弘」「久化」など他の候補は報道によって表に出たが、わざわざ隠匿する必要はあったのだろうか。

いま世界中で元号を使っているのは日本だけらしい。なかなか凄いことだ。グローバルな視点から不要論や廃止論も一部に根強いが、単にそんな理由で切り捨てる必要はないだろう。

世界には無いオンリーワンの習慣がこれほどまで国全体に染みこんでいることは、個性や独自性という点で、むしろ日本の格好良い部分として捉えたほうが建設的だ。

「令」の字が命令に通じるとか、中国あたりからは「令」は「零」と同じ音だから「平和ゼロ」に通じるといったチャチャが入っているようだが、どんな言葉を使おうとも揚げ足取りの声はでる。解釈をわざわざネガティブにするより、伝統的な慣習として染み渡っている元号制度の存在そのものを誇示しちゃえばいいと思う。

ついでにいえば共産主義者みたいに天皇制ウンヌンとかそっちの議論に闇雲に関連づけず、単に一つの時代のアイコンとして便利に使い分ければいいだけの話。

元禄文化、大正デモクラシー、大化の改新、明治維新、享保の改革、建武の新政、応仁の乱、大宝律令・・・、元号が特定の時代やトピックスを表す重要な“記号”になっているのは周知の通り。

まあ、そんな話を素人がつらつら書いたところでしょうがないので適当にしておく。

それにしても新元号の発表からわずか数分後にネットの検索トップページに「令和Tシャツ 1500円」が画像付きで表示されていたのにはビックリした。

そういう時代になったことを痛感した。

0 件のコメント: