2022年11月16日水曜日

男の子の成れの果て


私は昭和の男の子の成れの果てである。昔は食品添加物をうるさく気にする人はいなかったし、炭水化物がどーだ糖質制限があーだといった概念に触れる機会は少なかった。

 

そんな時代に少年だったから駄菓子屋で売っていた凄い色のスモモが好きだった。舌まで赤くなるヤツである。もちろんコーラもファンタも大好きだった。袋麺、カップ麺を問わず即席麺はある意味ご馳走だったし、マックなんて毎日でも食べたいぐらいだった。

 

大らかに生きてきてしまったから還暦が近づいてきた今でも率先してジャンクなものを食べたくなる。男メシ、邪道食い、大いに結構だと思う。

 

先日、散歩しながら月島界隈に足を伸ばした。夕方だったから適当な居酒屋にでも入ろうと思ったのだが、もんじゃの街だから漂ってくるのはソースの香りである。

 

私はもんじゃが苦手だ。美味しいと思わない。見た目だってゲロみたいである。もんじゃ関係者、もんじゃファンの皆様、本当にスイマセン。

 

でも私が育った杉並区あたりではもんじゃ焼きの店は無かったから、昭和の子供だったとはいえ馴染みはまったくない。

 

地方の人の中にはもんじゃを東京の名物料理だと思っている人は多いが、東京でもちょっと限定的なエリアの食文化だろう。今では観光的な食べ物としてある意味“東京ばな奈”的な位置付けに思える。違うだろうか。

 

「東京ばな奈」というお菓子は私が少年、青年時代には見たことも聞いたこともなかった。いまだに一度も食べたことはない。あれを東京銘菓と言われてもピンとこない。

 

まあ、雷おこしも鳩サブレーも東京の人が食べる機会は滅多にないのではないか。名物ってそんなものかもしれない。

 

先日、鳥取出身の人と話す機会があったから私が大好きな鳥取銘菓「若草」について熱く語ったのだが先方は若草を知らなかったからズッコケてしまった。

 



話が逸れた。

 

さて、香りに誘われて苦手なはずのもんじゃ屋に入った私だが何を選べばいいか分からない。どうせならヘンテコなものを頼もうとヤケッパチ精神で選んだのが「オムライスもんじゃ」なる一品だ。

 

ネーミングから意味不明だ。どんなものが出てくるのか分からない。お化け屋敷の中を怖々歩くような気分で待っていたのだが、出てきたのはもんじゃの上にご飯とケチャップ、タマゴを乗せる不思議な食べ物だった。

 


 

もんじゃ焼きの店は自分で作らなければならないから困ったものだ。大名家の血を引き華族に列せられていた実家で育った私には荷が重い作業だ。大ウソです。すいません。

 

しかたなく店員のオニイチャンに「こんなもの分からないよ~。何とかしてくれ!」と頼み込んで作ってもらった

 

オニイチャンは鮮やかな手さばきでオムライスもんじゃを仕上げてくれた。華族の家に生まれた私から見ればまさに魔法である。

 


 

これほどまで「映え」と程遠い食べ物は珍しい。見た目だけではちっとも食べたいと思えない。でもそこそこ空腹で独特の香りが漂ってくれば案外ウキウキと手を伸ばしたくなる。

 

食べてビックリ。意外に美味しい。正確には美味しいという表現とは違うのかも知れないが、そもそも食事なのかおやつなのか分からないもんじゃという物体にご飯が混ざっただけで立派に「料理」に格上げである。

 

“オムライス風の味がするキャベツが多めのリゾット”と表現すれば分かりやすいだろう。そう思いながら食べ進める。なかなか悪くない。私の身体の根っこにあるジャンク魂が揺さぶられた。

 

その後に運ばれてきた焼きそばセットは私が張り切って作った。私はウチで頻繁にウマい焼きそばを仕上げている“天性の料理人”である。本格仕様の鉄板という舞台が用意されればマズく作るのが難しいぐらいである。

 


 

オムライス風もんじゃ、焼きそば。昔の男の子の成れの果てとしては実に心が満たされる組み合わせだった。生ビールとレモンサワーをお供にしばしの悦楽タイムが過ごせた。

 

つくづく男子に生まれた幸せを感じた。この歳の女性がこんな組み合わせの夕飯を選ぶのは考えにくい。いわば男メシである。寿命の直前までこんなモノを美味しく感じながら過ごしたいものだ。

 

 

 

 

 

 

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