このところ夜の銀座をウロつくことが増えた。11月末に行う我がオヤジバンドライブの集客営業?のためにクラブ活動もちょこちょここなしている。コスパが全くかみ合わない営業活動だが、それはそれで仕方ない。
私自身の誕生日も絡んでいた時期なので何回かはお祝い攻撃を受けた。素直に喜ぶ。一昔前なら小っ恥ずかしいだけだったが、さすがに還暦である。無事に過ごせていることをメデタイと思ったほうが健全だ。
クラブ活動に行くたびに世情の移り変わりが垣間見える。客層の変化や繁盛している店とそうでない店の違いをアレコレ取材するのも何かと学びがある。繁盛店のカギは結局はいろんな場面での努力量の差に尽きる。当たり前のようでこれを実践できるか否かが分かれ道である。
ところで、ナゼ自分が夜の銀座にあまり行かなくなったかを考えてみた。結論は「馴れ」だ。アウェー感の有無と言ってもいいかもしれない。30代、40代の頃の気持ちと今を比べてみるとワクワク感も衰退したし、背伸びしたい感覚も無くなってしまった。
20〜30年前の夜の銀座には謎めいた老人客がたくさんいた。どこかの業界のフィクサーだろうなと思わせる重厚なジイサマ達をやたらと見かけた記憶がある。見るからに高価そうだがちょっと趣味の悪いスーツやジャケットに身を包んで独特の存在感を放っていた。
ヤクザさんとも違う、エリートサラリーマン上がりのお偉いさんとも違う一種独特の濃いオーラを感じた。一喝されたら震え上がっちゃいそうな妙にアクが強いジイサマ達だった。
私ごときはハナタレ小僧みたいなもので、そんな客層のいる世界の端っこでちょっと小さくなって飲んでいた。またそれこそが楽しかった。場違いな未知の世界に無理やり忍び込んだみたいな面白さを感じた。
アウェー感たっぷりだったし、背伸びしたい気持ちが強かったのだと思う。どこかの支配者みたい人達が集う場所の片隅に混ざっている感じが初期中年時代の私には刺激的に思えた。
その後、世の中のマイルド化、平準化に比例するようにアクの強い怪しい老人たちをあまり見かけなくなった。気づけば私自身も50歳をとっくに過ぎてあの世界の客層の中では小僧じゃないぐらいのポジションになっていった。
ホリエモンが時代の寵児になった20年前ぐらいから客層も変わってきた。クセ強ジイサン達とは対極のTシャツにジャケットみたいな若めのお客さんが一気に増えていった覚えがある。
年上ばかりの客層の中で背伸びすることが楽しかったのに、年下みたいなお客さんばかりになると背伸び願望も消えていく。次第に馴染みの店も増えていたから気づけばアウェー感も無くなってしまった。
ある時、店に着くなり「梅昆布茶ちょうだい」と言っている自分を俯瞰してちょっと残念な気持ちになった。それじゃあコナれたオヤジそのものである。そこには背伸びしたい気持ちもアウェー感にドギマギする感覚も無い。知ったかぶりオジサンの完成である。
そんな残念な気持ちになった頃にコロナ禍が到来した。結果、なんとなく夜の部活に励むことが激減して今に至る。
それでも有難いことに我がオヤジバンドライブにはこの10年、そこそこの人数の銀座組の面々が賑やかしに来てくれる。古い付き合いのママさんや黒服さんのおかげだ。そのせいもあって今も私は夜の銀座と縁が切れていない。
バンド活動をやめる日が来たら私の部活も正式引退ということになるのだろうか。何だかそれも淋しい。夜の銀座の空気感にはそれなりに愛着もある。自分の現役感?を保つために時にはあの世界に身を置くことも必要だろう。
たかだか還暦を迎えたぐらいでウジウジとそんなことを考えてしまう自分がちょっとイヤだ。まだまだいろいろハッスルしないと老け込んじゃうから気をつけよう。
ここからは全然違う話。
最近、あのペヤングがやたらと風変わりな商品を発売している。“迷走系焼きそば”だ。アレコレと取り寄せてみた。このブログではこれからしばらく話の末尾にヘンテコペヤングを紹介していきたい。
今日は「マヨツナカレー味」である。私はカレー味の麺があまり好きではない。カレーの味に合うのははコメだろうという固定観念のせいだ。
で、期待せずに食べてみた。酷評する気バリバリで食べてみたのだが、妙にウマい。何だか気に入ってしまった。ジャンク気分の時にはオススメです。やはりマヨって魔法みたいな調味料だと思う。
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