2008年12月16日火曜日

父親の存在

お父さんの姿って随分変わってきたように思う。その昔のイメージは、黙々と仕事に打ち込み、休みの日はぐうたらと過ごし、家族サービスは、たまの外食ぐらい。子どものことは母親にまかせ、我が道を行くといった印象があった。

良き家庭人であろうという人もいただろうが、それでも一応の役割分担があって、子どもの学校のこととかは、あくまで母親の仕事だった。

私の子どもが通っている学校では、気のせいか妙に父親のための行事が多い。正式な学校行事というわけではないようだが、父親の会みたいな組織が作られ、そこが音頭を取って“準学校行事”のような位置付けになっている。

困ったことに参加率が高いようで、全然行かない私は完全な少数派。

もともと、普段忙しくて子どもと接する時間が持ちにくいお父さんのために、皆さんがアレコレ企画をしているものだ。

私の場合、休みの日は割と子どもと遊んでいるし、毎朝死ぬ思いでなんとか会話も維持しているので、わざわざ群れてまで行事に参加したいとは思わない。

困ったことにIT化の波は、こういう父親の世界にも波及しており、いちいちメーリングリストでいろいろと案内が来る。おまけに出欠表明や質問なども全員の分がメーリングリストの参加メンバーにその都度飛び込んでくる。欠席者はさらし者みたいな気分になる。

一生懸命、諸雑務をこなしているお父さん方は立派だし、有難いのだろうが、このメーリングリストの仕組みは有難くない。

メールで飛び交う会話や、流れてくる話を聞くと、相当な数のお父さんが喜々として、活動している。生き甲斐みたいにハッスルしている人もいる。社交的なタイプとは言えない私には驚異的だ。

30代から40代の大人が中心だが、皆さん忙しくないのだろうか。私が変なのだろうか。時々悩みたくなるほど、多くのお父さん達が大活躍している。

学校に預けた以上、子どもの学校のことは信用して学校にまかせようと思っている私は、PTAとか保護者会にもあまり興味がない。母親の役割だと思うし、お父さんがしゃしゃり出ない方が普通だと思う。でも、この考え方自体が時代とずれているのかも知れない。困った。

先日、子どもと二人で日帰りで熱海まで行ってきた。温泉プールのような施設で、恐怖のウォータースラーダーを何度もやらされ、一緒に低温サウナに入って母親へのグチを語り合ったりした。

東京に戻って、ふたりで寿司屋で語り合い、1日フルで付き合ったことで結構な収穫があった。お父さん同士で宴会やるぐらいなら、こっちの方が子どもと向き合える。

まあそんなこと言っていると、今の時代、お父さん達の世界では、変人扱いされて子どもに飛び火してもマズいので、たまには付き合わないと行けないのかも知れない。

向田邦子の名作「父の詫び状」に出てくる父親が私の理想なんだろう。不器用な父親は、家族で食事をしている時におかしなことがあっても、笑いをこらえる。その後、そっとトイレに行って一人で爆笑している。精一杯、威厳を保とうとしているが、いまひとつ迫力に欠ける姿が愛らしくもある。

もう何世代も前の父親像だから、いまさら通用する話でもないが、作品の中で一生懸命、母親と父親の役割と位置付けが違うことを小さい子どもに体験させようとする姿勢自体は、現在でも同じでいいと思う。

なんか世の中、ユニセックス化が加速しているように思う。それも時代の流れなのだろうか。

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