変な癖は無数にあるのだが、そのひとつが、感動するたびに「抱かれてもいいと思った」と書き殴ることだ。
たとえ、それがオッサンだろうと、老婆だろうと、私に深い感動と喜びを与えてくれたら、ついついそういう感覚になる。
でも、「抱かれてもいい」という表現は、考えてみると、ちょっと上から目線ではある。生意気と言えば生意気だ。
仮に女性からそんな言い方をされたら、「別に結構です」と私は答える。たぶん・・・。
「抱かれてもいい」ではなく、「抱いてください」と言われたほうがグッとくる。
そんなことを言われたら、「もっと自分を大事にしなさい」と私は答えるはずだ。きっと…。
一応、そういうことにしておく。
くだらないことを妄想してスイマセン。本題に入る。
ハマショーのコンサートに行ってきた。今年のツアー最終日、埼玉スーパーアリーナにいそいそ出かけてきた。
浜田省吾歴30年ちょっとの私だ。さすがに行かないとマズイだろう。今回はニューアルバムを出した上での全国ツアーでもなく、本人が言っていたように「選曲が自由」だったらしい。
オールドファンには感激のラインナップを生で聞けた。中学、高校時代に聴いていた曲もガンガンやってくれた。
抱かれてもいいと思った、と書こうとして考え直した。
「抱いてくださいハマショー!」。これが感想だ。
休憩を挟んで4時間ほどの長丁場。堪能した。ちょっと泣いたりしてしまった。どうも年齢とともに涙腺が変だ。
ハマショーは来年には60歳だ。そんな年齢であれだけのステージを息も切らさず、バテたそぶりも見せず、実に丁寧に誠実にこなす姿勢に敬服する。
ファンとしての身贔屓だけでなく、「誠実な姿勢」が彼の現在につながっているのだろうと実感した。
大ヒット曲があるわけでもなく、特別なプロモートをするわけでもない、あえていえば古い時代?のミュージシャンのアリーナツアーが全国的に即完売するのは珍しいだろう。
コンサート中のMCにしても、ロックミュージシャンの横柄さ、ガサツさはまったくない。キチンと敬語だ。かといって、堅苦しさはなく、説教臭い感じもなく、真摯に観客とともにその一瞬一瞬を充実した時間にしようとする姿勢が伝わる。
一つ一つの楽曲を丁寧に歌っている姿も印象的だ。激しい曲であっても過剰なシャウトや興に乗った変なアレンジはなく、あくまで発声も安定している。
完成した安定感だからファンも安心してその世界に一体となって没頭できる。言葉にするのは簡単だが、日本のロックというジャンルの一種の到達点と表現しても大袈裟ではないかもしれない。
随分と熱く語ってしまった。
ハマショーを知ったのは中学2年の時。当時、あまりにも勉強しなかった私に付いた家庭教師が教えてくれた。
初期のハマショーのカセットテープをわが家に持参した大学生の家庭教師は、勉強もロクに教えないでハマショーを解説してくれた。
いま思えば、とても良い学習時間だった。
あれから30年、、、というと「きみまろ漫談」みたいだが、年月を経てハマショーの歌う世界も、主人公が若者から大人、そして中高年の世界へと移ってきた。
「若者の熱い反抗」みたいな世界が、「然るべき大人の達観」みたいな路線につながっていったわけで、リアルタイムでその流れを共有できたことは幸運だったと思う。
たかが音楽、されど音楽。長年連れ添ってきたような楽曲が持つ力は想像以上に人の心に大きい影響を与える。ここ5~6年の間にそんなことを実感するようになった。
願わくば、何年後か分からない次のコンサートツアーにも今回のような気持ちのままで参加したい。
いまふと思った。生まれ変わるなら何になりたいって聞かれたら、間違いなくこう答える。
「ハマショーになりたい!!」
写真はJ.Boyの時のものかな?
返信削除おれもハマショーになりたい!!
今度ハマショー縛りのカラオケ大会を開催する予定。
富豪記者さんも乱入しますか?
さすがにビンゴ。J-BOYのときですよ。
返信削除ハマショー縛り、タイミング合えば是非行きたいです。ポルトガルでもハマショー広めてきてください。