♪何にも知らない~
子どもに戻って~
やり直したい夜もたまにあるけど~♪
最近よくこのフレーズが頭をよぎる。つくづく幼かった頃の無知の強さというか無邪気な幸せを懐かしく思う。
そう思うこと自体が老化の極みみたいだからやめよう。
身に付けるものの話を書くつもりだった。
子どもの頃は何を着ようがお構いなしだったのだから、あんな平和なことはない。いい年した大人になるとそうはいかない。
20代の頃、着るものにこだわりはじめた。ご多分に漏れずブランドものにも結構手を出した。
30代になって、そんな自分がふと気持ち悪くなって、あえて安物を喜んで着込んだりした。
男は中味で勝負だぜ、とか言いながら、気付いたら40代、あんまり粗末な身なりだと、世間から粗末に扱れかねないことに気付いた。
で、ここ数年はそこそこちゃんとするように意識している。
そうは言っても一点豪華主義みたいに靴ばかり気にしているから中途半端なことも確かだ。
でも、不思議なもので、高級時計店とかその手の店にはいると、店員さんが何気なくこっちの足元を見ていることが多いので、やはり靴には神経を使いたい。
男の制服といえばスーツだが、最近は面倒なのでオーダー専門にしている。一昔前は高価なイメージがあったが、今ではデパートでそれなりの吊しのスーツを買う値段で作ることが出来るから好都合だ。
私の場合、どうも肩の位置が変みたいで、既製の上着だと肩から背中、首の後ろのラインが何となく収まりが悪いことが多い。
体系に合わせて作ってしまえば問題ない。袖ボタン周りで遊んでみたり、裏地をちょっとふざけてみたり、一見変り映えのないスーツでも、少しは面白がることができる。
そうは言っても、普通は4つか5つの上着の袖ボタンを8個付けてみたいとか、ボタンホールの糸の色を全部変えてみたいとか、アホのような冒険?はテーラーのオジさんに制止されていることもあって実現していない。
コンサバ路線で少し欲求不満だ。
ワイシャツはそれこそオーダーに限る。私の場合、首も太め、腕も長めだから既製品がなかなか合わない。
たまに合ったものが見つかっても首と腕の長さの両方を満たすと全体がだぶだぶ。腕を水平に広げたら、二の腕から脇腹にかけてのラインがジュディオングの衣装みたいになるので始末が悪い。
ワイシャツは元来、下着的な役割だ。下着がダボダボなのはどう転んでもセクシー?ではない。普通体系以外の男性ならオーダーワイシャツにすべきだと思う。
スーツやワイシャツだけでなく、コートも去年、はじめてオーダーしてみた。清水の舞台から飛び降りて選んだ生地だったので十二分に満足できる仕上がりになった。
調子に乗って、今年も別な生地で新しいコートを作ったのだが、普段のコンサバ志向の反動で裏地をガンバってしまった。
初めに選んだのは蛍光オレンジだったのだが、テーラーが仕入れた生地の現物を見て愕然。あり得ないほど派手で品がないから、さすがにキャンセルした。
やはり小さいサイズの生地見本で選ぶとあとあとビックリすることは珍しくない。
改めて選んだのは、黄色で光沢がある生地。最初のオレンジが気が狂ったような感じだったので、随分おとなしく見えた。
そして完成。思っていた以上に派手だ。細かな柄が入っているのは知っていたが、大きくなったらトラ柄に見えなくもない。
カタギにしては冒険だ。まあ、前ボタンを止めずに歩いた時にヒラヒラ見える程度だから、こういう遊びはアリだろう。
オーダーで作る以上、「そこらへんで売ってなさそう」というのがひとつのポイントとも言える。だから昨年のコートも今年のコートも妙に丈を長くした。
イマドキの短めのコートが好きではないので、誰が何と言おうが、超ロングだ。階段で少し難儀するぐらいでちょうど良い。
アレコレと書いては見たが、人様から見て不格好に見えたり、トンチンカンに見えることもあるだろう。
そんなことを気にするようでは、毎日、濃紺のスーツに平凡なレジメンタルのタイをするしかない。ブロイラーみたいだからイヤだ。
少しぐらいの脱線は承知の上だ。
時たま、突き抜けたファッションセンスのお年寄りを目撃することがある。オシャレしていることは間違いないのだが、凄まじい色の組み合わせだったりする。
ただ、お年寄りの場合、ナゼかそれが板についているというか、一線を越えてしまった余裕みたいな空気ですべてを丸く収めている。
そういう域に達してみたい。「志茂田景樹」みたいな域に達したらきっと心が解放されるのだろう。
東京出身。富豪になりたい中年男。幼稚園から高校まで私立一貫校に通い、大学卒業後、財務系マスコミ事業に従事。霞ヶ関担当記者、編集局長等を経て現在は副社長。適度に偏屈。スタイリッシュより地味で上質を求め、流行より伝統に心が動く。アマノジャクこそ美徳が信条。趣味は酒器集め、水中写真撮影、ひとり旅、葉巻、オヤジバンドではボーカル担当。ブログ更新は祭日以外の月曜、水曜、金曜。 ★★★スマホでご覧頂いている場合には画面下の「ウェブバージョンを表示」をクリックしてウェブ画面に飛ぶと下側右にカテゴリー別の過去掲載記事が表示されますので、そちらもご利用ください。
2012年1月27日金曜日
キモ男
来週、胃カメラを飲むついでに血液検査をしてもらう。去年の秋にかつてない健康値だったから、この冬はガンガンぶりぶりプリン体を摂取している。その結果がどう変化しているか興味シンシンだ。
最近、少し足の指がムズっとするから黄信号なのは間違いない。
キモ男になってどれぐらい経つのだろう。気持ち悪い男という意味のキモ男ではない。「キモを喰らうのが好きな男」だ。
肝心要の言葉通り、キモは大事だ。だからいっぱい食べないといけない。そう言い聞かせてもう20年ぐらいになろうか。珍味好きを自称する以上、キモとはまさに「肝胆相照らす仲」である。
最近仲良くしたキモを列挙しよう。
高田馬場・鮨源でボケッと飲んでいた時のこと。ネタケースから何やら魅惑的にウィンクしてくる物体が目に止まった。
悩まずいただく。タイのキモとヒラメのキモだ。キモ醤油にして本体?にベチョっと塗って食べた方がよいのだろうが、キモ男としてはそのまま摂取してみた。
さすがに王様であるカワハギよりは、淡い風味。生で食べてもまずいわけではないが、単独で勝負するほどの味わいではなかった。
王様級であるカワハギのキモのほうがそのままベチョッと食べるには適していると思う。
やはり、キモ業界の横綱はアンコウ様のキモだろう。底性魚類のアンコウ様は、放射性物質をせっせと身体に取り込んでいるから、アンキモはヤバいという説をよく聞く。
もっともらしいし、もっともなんだろうが、毎日食べるわけじゃあるまいし、たかだか数切れ口にするだけだ。私の場合、放射能より尿酸値のほうが差し迫った危機だ、などと屁理屈をコネながら喜んで食べてしまう。
キモの「近接種」とでも言いたい連中も冬の華である。白子様がその代表格だろう。フグの白子が最上級みたいなイメージもあるが、モノによる。やはり、定番のタラの白子の新鮮・上質な味わいにはウットリする。
写真は、これまた鮨源で出してもらったスーパーエロティックフーズである。その名も「白子の明太ソースがけ」だ。反則のような味だ。
焼きそばパンを「炭水化物ON炭水化物」と表現するのなら、こちらは「プリン体ONプリン体」だ。究極だ。
痛風の人、ホントにスイマセン!私はまだこんなモノを食べる権利を所持しているわけです。
「美味しいものは身体に悪い」という当たり前のフレーズが頭をよぎるような味わいだった。
キモでも白子でもないのだが、この時期ウマい牡蠣も残念ながらプリン体の多い食べ物だ。でも、下半身の元気に直結するらしいからついつい食べてしまう。
だいたい、ああいう独特のコクとか後に残る風味が強いヤツほどプリン体が強いから困ってしまう。貝と言えば、ヘルシーの代名詞みたいなモノだが、牡蠣だけはそんな甘ちゃんじゃないから頼もしい。
生ガキを食べ過ぎて体調不良になるのを恐れる臆病な私がこの日注文したのが、牡蠣バターだ。デブだったり不健康だったりする人が好んで頼みそうな感じだ。
ウットリする。なまめかしい。まさにエロスの塊だ。バターの禁断の甘味、ふくらみに牡蠣の風味が加わる。官能的な世界が拡がる。
そして、私に喰われてしまった彼らの遺産である「汁」である。牡蠣エキスを溶けたバターが包み込んだスーパーラブジュース?とでも言いたくなるほどのシロモノだ。
黙って皿からすすろうかと思ったが、シャリだけもらってジョワジョワかけてみた。
これまた中学生相手に全力投球するダルビッシュとでも言おうか、それこそ「情け容赦のない反則」みたいなウマさだ。
こういう得体の知れない絶妙にウマい食べ物が流れ込んでくる私の食道とか胃袋は、どんな顔して受け止めているのだろう。きっと、歓喜の涙に打ち震えているのだと思う。
キモだの魚卵だの、俗に言う不摂生モノは、魚介類に多い。イカの塩辛しかり、酒盗しかり、カニミソしかり、カラスミしかり、このわたとか色々とスターはいる。
肉業界の雄が「牛のレバ刺し」なんだろうが、インチキ業者のせいで、世の中からほぼ絶滅に近い状態になってしまった。悲しむべきコトである。
とはいえ、わたしは牛のレバ刺しより鶏のレバ刺しが大好物なので、まだまだ各地でありつける鶏レバを求めてさまよっている。
写真は、飯田橋で見つけた上等な焼鳥屋さん「わかば」で食べたレバ刺しとハツ刺し。この店では、砂肝刺しも用意されていて、刺身だけでヘベレケになれる。
やはり、鶏のレバ刺しは最高だ。抱かれてもいいと思う。
ちなみに、世の中に拡がる肉の生食禁止の風潮が心配である。実際に、昨年あたりから自主規制で鶏のレバ刺しをメニューから外した店がいくつもある。
幻の一品になってしまったら困る。そうなったらそうなったで、闇に隠れて、密やかに好き者だけが集まる会員制レバ刺し屋とかが出来るのだろう。
絶対に入会しようと思う。
最近、少し足の指がムズっとするから黄信号なのは間違いない。
キモ男になってどれぐらい経つのだろう。気持ち悪い男という意味のキモ男ではない。「キモを喰らうのが好きな男」だ。
肝心要の言葉通り、キモは大事だ。だからいっぱい食べないといけない。そう言い聞かせてもう20年ぐらいになろうか。珍味好きを自称する以上、キモとはまさに「肝胆相照らす仲」である。
最近仲良くしたキモを列挙しよう。
高田馬場・鮨源でボケッと飲んでいた時のこと。ネタケースから何やら魅惑的にウィンクしてくる物体が目に止まった。
悩まずいただく。タイのキモとヒラメのキモだ。キモ醤油にして本体?にベチョっと塗って食べた方がよいのだろうが、キモ男としてはそのまま摂取してみた。
さすがに王様であるカワハギよりは、淡い風味。生で食べてもまずいわけではないが、単独で勝負するほどの味わいではなかった。
王様級であるカワハギのキモのほうがそのままベチョッと食べるには適していると思う。
やはり、キモ業界の横綱はアンコウ様のキモだろう。底性魚類のアンコウ様は、放射性物質をせっせと身体に取り込んでいるから、アンキモはヤバいという説をよく聞く。
もっともらしいし、もっともなんだろうが、毎日食べるわけじゃあるまいし、たかだか数切れ口にするだけだ。私の場合、放射能より尿酸値のほうが差し迫った危機だ、などと屁理屈をコネながら喜んで食べてしまう。
キモの「近接種」とでも言いたい連中も冬の華である。白子様がその代表格だろう。フグの白子が最上級みたいなイメージもあるが、モノによる。やはり、定番のタラの白子の新鮮・上質な味わいにはウットリする。
写真は、これまた鮨源で出してもらったスーパーエロティックフーズである。その名も「白子の明太ソースがけ」だ。反則のような味だ。
焼きそばパンを「炭水化物ON炭水化物」と表現するのなら、こちらは「プリン体ONプリン体」だ。究極だ。
痛風の人、ホントにスイマセン!私はまだこんなモノを食べる権利を所持しているわけです。
「美味しいものは身体に悪い」という当たり前のフレーズが頭をよぎるような味わいだった。
キモでも白子でもないのだが、この時期ウマい牡蠣も残念ながらプリン体の多い食べ物だ。でも、下半身の元気に直結するらしいからついつい食べてしまう。
だいたい、ああいう独特のコクとか後に残る風味が強いヤツほどプリン体が強いから困ってしまう。貝と言えば、ヘルシーの代名詞みたいなモノだが、牡蠣だけはそんな甘ちゃんじゃないから頼もしい。
生ガキを食べ過ぎて体調不良になるのを恐れる臆病な私がこの日注文したのが、牡蠣バターだ。デブだったり不健康だったりする人が好んで頼みそうな感じだ。
ウットリする。なまめかしい。まさにエロスの塊だ。バターの禁断の甘味、ふくらみに牡蠣の風味が加わる。官能的な世界が拡がる。
そして、私に喰われてしまった彼らの遺産である「汁」である。牡蠣エキスを溶けたバターが包み込んだスーパーラブジュース?とでも言いたくなるほどのシロモノだ。
黙って皿からすすろうかと思ったが、シャリだけもらってジョワジョワかけてみた。
これまた中学生相手に全力投球するダルビッシュとでも言おうか、それこそ「情け容赦のない反則」みたいなウマさだ。
こういう得体の知れない絶妙にウマい食べ物が流れ込んでくる私の食道とか胃袋は、どんな顔して受け止めているのだろう。きっと、歓喜の涙に打ち震えているのだと思う。
キモだの魚卵だの、俗に言う不摂生モノは、魚介類に多い。イカの塩辛しかり、酒盗しかり、カニミソしかり、カラスミしかり、このわたとか色々とスターはいる。
肉業界の雄が「牛のレバ刺し」なんだろうが、インチキ業者のせいで、世の中からほぼ絶滅に近い状態になってしまった。悲しむべきコトである。
とはいえ、わたしは牛のレバ刺しより鶏のレバ刺しが大好物なので、まだまだ各地でありつける鶏レバを求めてさまよっている。
写真は、飯田橋で見つけた上等な焼鳥屋さん「わかば」で食べたレバ刺しとハツ刺し。この店では、砂肝刺しも用意されていて、刺身だけでヘベレケになれる。
やはり、鶏のレバ刺しは最高だ。抱かれてもいいと思う。
ちなみに、世の中に拡がる肉の生食禁止の風潮が心配である。実際に、昨年あたりから自主規制で鶏のレバ刺しをメニューから外した店がいくつもある。
幻の一品になってしまったら困る。そうなったらそうなったで、闇に隠れて、密やかに好き者だけが集まる会員制レバ刺し屋とかが出来るのだろう。
絶対に入会しようと思う。
2012年1月25日水曜日
銀座のクラブ SとM
相変わらず「部活」と称して銀座のクラブめぐりをしている。部活だから、純粋な気持ちで頑張ったり、努力しないとならない。
などとアホなことを言いながら、どこで飲んでも同じ味がするはずの酒をハイパーインフレのような値段で飲んでいる。
先日は、たまにしか顔を出さない8丁目の老舗クラブに同窓の友人数名が集っていると聞き、ほろ酔い気味で途中参加した。
メンバーの中に、店にとって特別太い客がいた関係で、その日のお勘定は全部彼が持ってくれた。後輩だったので大恐縮な話。
それならコソっと新しいボトルを入れておけば良かった、などというフラチなことは一瞬たりとも思っていない・・・。
さて、あの街で飲みながら気付いたことがある。大きく分ければ男の分類みたいな話だ。
女性が接客してくれる酒場に喜んで通う人と通わない人。この2種類の違いについて考察してみた。
高級クラブでも大衆キャバクラでもスナックでも、はたまたガールズバーでもいいのだが、そうした店に足繁く通う人間はM。その手の店で飲むことに興味がない人はSだと思う。
その店に、少しぐらい無理してまで通っていればまず間違いなくM決定!だと思う。
わざわざ高いお勘定を払って、ただお世辞だけを言われて、伸びた鼻の下をおさめる手だてもなく悶々と帰路につく。これは間違いなくMだろう。
同伴して~、お寿司食べた~い、シャンペン抜いて~等々。こういうリクエストに必死に応えても待っているのは愛想笑いだけだ。
なのに「しょうがね~な~、ガハハハ」と半分引きつりながら大枚が消えていく。これをMと呼ばずして何と呼ぶ。
何を祝ってるのか知らないが、パーティー期間だと言われれば、のこのこ義理で顔を出し、同伴の強制日なんです~とか言われれば、協力させられ、新調日だと言われれば、その服、素敵だねえとかお世辞を言いに出かける。
おまけに陰ではハゲだのデブだの陰口を言われ、ちょっとお尻でも撫でようものなら、そういう店とは違うのよって叱られる。
あの世界に長く通えば通うほど、そんな現実が見えてくるのに、あえて承知した上でまた出かけていく。
完全にMだ。
先日、某店で、銀座の客はたいていMだというこの持論を得意になって展開したら、「みなさん、そうおっしゃいます」とシレっと返された。
どうやら私がようやく気付いただけで、世間一般ではそういう共通認識が既に成り立っているらしい。
男の場合、Sは若い頃からSであることに気付くが、Mに気付くのはそこそこ年齢を重ねてからだと思う。
私自身、若い頃は間違いなくS系だと思っていたのだが、中年に近づくに連れ、微妙なMっぽさを自覚しはじめた経験がある。
若い男なんてものは、征服したい、強く見せたいといった意識が強すぎるから、多かれ少なかれ隠し持っている逆の部分に気付かなかったり、自覚しなかったりするのだろう。
年を重ねて力みや気負いが少しずつ薄まり、期を同じくして、若い頃とは比較にならない重圧やストレスにさらされる。こういう背景があれば、ふと、S路線に位置する自分に疲れを感じ、ふと真逆の路線への興味が湧いてくるのかもしれない。
なんか力説してしまったが、ここで言うSとかMは、別にムチやロウソクでプレイするような短絡的な話ではない。
心の揺れ動き、意識の置きどころみたいな意味でS系かM系なのかといった次元の話
だ。
あくまで性的な嗜好とは別のより広い精神性のタイプ分類として、どちらに寄っているかという趣旨で力説しているつもり。
さんざん自分のMっぷりを書いていたら、誰かにムチで叩かれやしないか心配になってきた。
私だって、どちらかといえば、拘束されるより拘束したいほうだ。いや、どちらもそれなりに捨てがたい。
危ない、話がそっちに生きそうだから軌道修正。
ちょっと無理して銀座の常連ヅラしている人々がMだと結論づけると、裏返せば、そういう世界に興味を持たない人達はSに違いない。
「ちぇ、何が楽しくてクラブなんて行くんだい、バカくせー」。この考え自体がS的ではある。
確かに、抽象的な暗黙のルールのようなものに制約され、思ったようにコトが運ばないし、どっちが楽しませたり、もてなしてるのかよく分からないこともある。だから、そんな空気を嫌うのはS的な思考だと言えよう。
ちょっと強引だろうか。
まあいいか。
今日はなかなか高尚かつ文化的な考察を書いてしまった。
などとアホなことを言いながら、どこで飲んでも同じ味がするはずの酒をハイパーインフレのような値段で飲んでいる。
先日は、たまにしか顔を出さない8丁目の老舗クラブに同窓の友人数名が集っていると聞き、ほろ酔い気味で途中参加した。
メンバーの中に、店にとって特別太い客がいた関係で、その日のお勘定は全部彼が持ってくれた。後輩だったので大恐縮な話。
それならコソっと新しいボトルを入れておけば良かった、などというフラチなことは一瞬たりとも思っていない・・・。
さて、あの街で飲みながら気付いたことがある。大きく分ければ男の分類みたいな話だ。
女性が接客してくれる酒場に喜んで通う人と通わない人。この2種類の違いについて考察してみた。
高級クラブでも大衆キャバクラでもスナックでも、はたまたガールズバーでもいいのだが、そうした店に足繁く通う人間はM。その手の店で飲むことに興味がない人はSだと思う。
その店に、少しぐらい無理してまで通っていればまず間違いなくM決定!だと思う。
わざわざ高いお勘定を払って、ただお世辞だけを言われて、伸びた鼻の下をおさめる手だてもなく悶々と帰路につく。これは間違いなくMだろう。
同伴して~、お寿司食べた~い、シャンペン抜いて~等々。こういうリクエストに必死に応えても待っているのは愛想笑いだけだ。
なのに「しょうがね~な~、ガハハハ」と半分引きつりながら大枚が消えていく。これをMと呼ばずして何と呼ぶ。
何を祝ってるのか知らないが、パーティー期間だと言われれば、のこのこ義理で顔を出し、同伴の強制日なんです~とか言われれば、協力させられ、新調日だと言われれば、その服、素敵だねえとかお世辞を言いに出かける。
おまけに陰ではハゲだのデブだの陰口を言われ、ちょっとお尻でも撫でようものなら、そういう店とは違うのよって叱られる。
あの世界に長く通えば通うほど、そんな現実が見えてくるのに、あえて承知した上でまた出かけていく。
完全にMだ。
先日、某店で、銀座の客はたいていMだというこの持論を得意になって展開したら、「みなさん、そうおっしゃいます」とシレっと返された。
どうやら私がようやく気付いただけで、世間一般ではそういう共通認識が既に成り立っているらしい。
男の場合、Sは若い頃からSであることに気付くが、Mに気付くのはそこそこ年齢を重ねてからだと思う。
私自身、若い頃は間違いなくS系だと思っていたのだが、中年に近づくに連れ、微妙なMっぽさを自覚しはじめた経験がある。
若い男なんてものは、征服したい、強く見せたいといった意識が強すぎるから、多かれ少なかれ隠し持っている逆の部分に気付かなかったり、自覚しなかったりするのだろう。
年を重ねて力みや気負いが少しずつ薄まり、期を同じくして、若い頃とは比較にならない重圧やストレスにさらされる。こういう背景があれば、ふと、S路線に位置する自分に疲れを感じ、ふと真逆の路線への興味が湧いてくるのかもしれない。
なんか力説してしまったが、ここで言うSとかMは、別にムチやロウソクでプレイするような短絡的な話ではない。
心の揺れ動き、意識の置きどころみたいな意味でS系かM系なのかといった次元の話
だ。
あくまで性的な嗜好とは別のより広い精神性のタイプ分類として、どちらに寄っているかという趣旨で力説しているつもり。
さんざん自分のMっぷりを書いていたら、誰かにムチで叩かれやしないか心配になってきた。
私だって、どちらかといえば、拘束されるより拘束したいほうだ。いや、どちらもそれなりに捨てがたい。
危ない、話がそっちに生きそうだから軌道修正。
ちょっと無理して銀座の常連ヅラしている人々がMだと結論づけると、裏返せば、そういう世界に興味を持たない人達はSに違いない。
「ちぇ、何が楽しくてクラブなんて行くんだい、バカくせー」。この考え自体がS的ではある。
確かに、抽象的な暗黙のルールのようなものに制約され、思ったようにコトが運ばないし、どっちが楽しませたり、もてなしてるのかよく分からないこともある。だから、そんな空気を嫌うのはS的な思考だと言えよう。
ちょっと強引だろうか。
まあいいか。
今日はなかなか高尚かつ文化的な考察を書いてしまった。
2012年1月23日月曜日
荻窪、飯田橋
千昌夫の「北国の春」とか、細川たかしの「望郷じょんから」とか、はたまた森高千里の「渡良瀬橋」などを聞くと、「ふるさと」に妙に憧れる。
ずっと東京で過ごしたせいで、思いを寄せる故郷が無い。何か損したような気になる。
東京の杉並区に生まれ、実家を出た時は豊島区に住み、その後、新宿区に住み、今も豊島区にいる。実家を起点に10キロ程度しか移動していないわけだから、何となく面白くない。
あちこちすぐに旅に出たくなる性分は、そのあたりが原因なんだろうか。
さて、そうはいっても、自分なりにふるさと的感覚が無いわけではない。アド街ック天国とか、モヤモヤさまーず並みに狭い範囲になるが、「荻窪」と「飯田橋」が私のふるさとだ。
荻窪は実家のある街。24歳まで過ごした。駅前のルミネが出来たのが中学生の頃、それ以前のカオスのような駅前付近の雑踏も覚えている。
戦前は、結構なお屋敷街というイメージがあったらしいが、近年はラーメンの街とか言われる。なんかビミョーだ。
小学生の頃から、バスで荻窪駅まで通い、総武線か地下鉄東西線で飯田橋の学校まで通った。中央線も丸の内線も通っているから、都心部ではない割に便利な場所なんだろう。
小学校の頃、通っていた学校の聖歌隊がなぜか学校からは遠い荻窪の杉並公会堂で発表会だかイベントをやった。ハレの舞台だ。
実は私も選ばれし聖歌隊メンバーだったのだが、直前に、練習後のお菓子をめぐって先生とひと悶着を起こし、クビになった。せっかくの凱旋公演?に出られなかった悔しさは、今も杉並公会堂を見るたびに思い出す。
始めてグローブを買ってもらったスポーツ用品店、いつも覗いていたレコード屋、高校生の頃、学校をサボって昼寝場所にしていた全席ナゼか喫煙OKのポルノ映画館などなど思い出の宝庫だ。いまやみんな消滅した。
甘酸っぱい思い出もある。小雨の中、駅前でバスを待っている時に、隣に立っていた妙齢の美女がそっと傘を私に差しだしてくれていたのに気付いて猛烈にドキドキしたこともある。
改札口で待ち伏せしていた獅子舞のような顔をした女子高生からラブレターをもらったこともある。いまなら大喜びで抱きつきそうなものだが、当時はシレッっと応対したことが悔やまれる。
バスの中で、土偶のような顔をした女の子からイニシャル入りのマグカップをもらったこともある。私の名前をどこかで聞き違えたらしく、彫られていたのは全然違うローマ字。冷たく突き返した自分の態度を今でも反省している。
いまなら別な人宛のプレゼントだろうと喜々としてもらって喜ぶ。諸行無常だ。
荻窪よりも印象が強いのが「飯田橋・九段下」だ。幼稚園から高校まで同じ場所に通った。荻窪とは違い、友人達も絡むわけだから思い出はいっぱいある。
小学生の頃、フラフラ意味もなく歩くのが好きだったので、下校時にお濠端を四谷まで歩いたり、迷子になりそうなほど界隈を歩いた思い出がある。
中学の野球部では、皇居一周のランニングを課せられ、当然のように私は、九段下あたりの物陰でしばしサボって、頃合いを見て息を切らせたフリをして学校に戻った。学校の校舎に寝泊まりした夏休みの合宿中には、学食のオジサンに靖国神社の夏祭りに連れて行かれ、酒まで飲まされたこともある。
高校生の頃は、何かの罰ゲームで飯田橋駅の線路を走り回って駅員さんに構内放送で怒鳴られたこともある。学校から駅まで歩くのを面倒がって通りすがりのトラックの後ろに飛び乗って横着していたら運ちゃんに怒鳴られたこともある。
いたずらばかりしていた。
30年以上前の飯田橋は、駅隣接の大型ビルがまだ無かったから、駅のホームからはお濠の眺めが一望できた。小綺麗な飲食店とか瀟洒なオフィスビルも無かった。目白通り沿いのきしめんの尾張屋ぐらいしか記憶にない。
飯田橋駅寄りの神楽坂エリアには放課後よく出没した。ジャンボ餃子、ジャンボチャーハンで有名な神楽坂飯店を越えたあたりに「人形の家」という2階建ての喫茶店があって、先生の目を盗んでよく潜んでいた。
2階席に上がる階段に、2階は貸切と書かれた小さい看板を置いてもらえたから、学校の先生の巡回があってもセーフだった。近隣の女子高生を2階の特等席に連れ込む猛者もいた。つい先週、その男と飲んだのだが、相変わらずのスケベ大王ぶりに感心した。
三つ子の魂、みたいな話だ。
神楽坂をのぼり始める場所にある「甘味処紀の善」にもよく通った。現在のビルに
建て替える以前は、店舗の奥に隠れた離れがあって、そこに潜んで悪さしていた。
坂を上っていった所の「天下一ラーメン」も懐かしい。今をときめく「天下一品」ではない。「てんかいち」だ。いつもスタミナご飯大盛りをかっこんでいた。
飯田橋西口の居酒屋庄やのランチにもよく行った。高校生だから当然、学食か弁当しか許されていなかったのだが、なぜかサラリーマンに混ざって居酒屋で昼時のひとときを過ごした。不思議だ。
目白通りから一本入ったところにある東京大神宮は中学高校の頃、恐い先輩や地域の不良に呼び出される場所だった。参道にあたる道も、その頃は鶴亀という蕎麦屋と団子屋があるぐらいで何もなかった。
学校帰りに団子屋で「すあま」を買って頬ばりながら歩いた記憶がある。今やその道もレストランがたくさん並んでいる。
九段下に向かって右手にそびえるホテルグランドパレスは、ある意味、あの周辺のランドマークだ。小学校の卒業謝恩会もここだった。今や売れっ子俳優の同級生の母親が、即興でミニ歌謡ショーをやったように記憶している。
プロ野球のドラフト会議もその昔はグランドパレスが会場だった。西武グループが野球界に進出してからは、プリンスホテルにその座を奪われてしまった。
金大中さんが韓国のKCIAに拉致された事件も犯行現場はグランドパレスだった。当時は何かとメジャーなホテルだったんだろう。
その後、近くに登場したホテルエドモントが、裏通りに立地してショボンとしているせいで、グランドパレスはシュッとした顔で佇んでいる。
まあ、この2つのホテル、現在の東京ホテル事情とかホテル競争とかとは一線を画した独特な存在。一応、ビジネスホテルではなく、シティホテルというカテゴリーだが、ワクワクするような感じでもない。牧歌的マイナー路線とでも言おうか。
アマノジャクな私は、以前からグランドパレスの昭和っぽい雰囲気、普段着のような感じが好きで機会があれば食事に出かける。特製ピラフは、私の好きな食べ物ベスト10に過去30年以上ランキング入りしている。
ランチブッフェもホテルにしては格安。華やかさはない。ワクワク感もない。品数は少ない。でも味は間違いない。「昭和の東京の洋食」だ。
思えば、高校卒業後も、大学生の頃にもアルバイトで飯田橋にあった広告代理店で少しだけ働いたことがある。わが社の主要紙媒体も数年前から飯田橋の印刷会社に印刷を発注している。
現在、仕事関係の裁判を3つ抱えているのだが、共闘してもらっている弁護士さんも、お隣の神楽坂に事務所を構えているので、打ち合わせついでに界隈をふらつくこともある。
それ以外にも飯田橋界隈に出かける機会は多く、今もあの街は半分地元のような気がする。好きな街の筆頭みたいなものだ。
大人になった今の目線で、改めてゆっくり散歩してみたい。
ずっと東京で過ごしたせいで、思いを寄せる故郷が無い。何か損したような気になる。
東京の杉並区に生まれ、実家を出た時は豊島区に住み、その後、新宿区に住み、今も豊島区にいる。実家を起点に10キロ程度しか移動していないわけだから、何となく面白くない。
あちこちすぐに旅に出たくなる性分は、そのあたりが原因なんだろうか。
さて、そうはいっても、自分なりにふるさと的感覚が無いわけではない。アド街ック天国とか、モヤモヤさまーず並みに狭い範囲になるが、「荻窪」と「飯田橋」が私のふるさとだ。
荻窪は実家のある街。24歳まで過ごした。駅前のルミネが出来たのが中学生の頃、それ以前のカオスのような駅前付近の雑踏も覚えている。
戦前は、結構なお屋敷街というイメージがあったらしいが、近年はラーメンの街とか言われる。なんかビミョーだ。
小学生の頃から、バスで荻窪駅まで通い、総武線か地下鉄東西線で飯田橋の学校まで通った。中央線も丸の内線も通っているから、都心部ではない割に便利な場所なんだろう。
小学校の頃、通っていた学校の聖歌隊がなぜか学校からは遠い荻窪の杉並公会堂で発表会だかイベントをやった。ハレの舞台だ。
実は私も選ばれし聖歌隊メンバーだったのだが、直前に、練習後のお菓子をめぐって先生とひと悶着を起こし、クビになった。せっかくの凱旋公演?に出られなかった悔しさは、今も杉並公会堂を見るたびに思い出す。
始めてグローブを買ってもらったスポーツ用品店、いつも覗いていたレコード屋、高校生の頃、学校をサボって昼寝場所にしていた全席ナゼか喫煙OKのポルノ映画館などなど思い出の宝庫だ。いまやみんな消滅した。
甘酸っぱい思い出もある。小雨の中、駅前でバスを待っている時に、隣に立っていた妙齢の美女がそっと傘を私に差しだしてくれていたのに気付いて猛烈にドキドキしたこともある。
改札口で待ち伏せしていた獅子舞のような顔をした女子高生からラブレターをもらったこともある。いまなら大喜びで抱きつきそうなものだが、当時はシレッっと応対したことが悔やまれる。
バスの中で、土偶のような顔をした女の子からイニシャル入りのマグカップをもらったこともある。私の名前をどこかで聞き違えたらしく、彫られていたのは全然違うローマ字。冷たく突き返した自分の態度を今でも反省している。
いまなら別な人宛のプレゼントだろうと喜々としてもらって喜ぶ。諸行無常だ。
荻窪よりも印象が強いのが「飯田橋・九段下」だ。幼稚園から高校まで同じ場所に通った。荻窪とは違い、友人達も絡むわけだから思い出はいっぱいある。
小学生の頃、フラフラ意味もなく歩くのが好きだったので、下校時にお濠端を四谷まで歩いたり、迷子になりそうなほど界隈を歩いた思い出がある。
中学の野球部では、皇居一周のランニングを課せられ、当然のように私は、九段下あたりの物陰でしばしサボって、頃合いを見て息を切らせたフリをして学校に戻った。学校の校舎に寝泊まりした夏休みの合宿中には、学食のオジサンに靖国神社の夏祭りに連れて行かれ、酒まで飲まされたこともある。
高校生の頃は、何かの罰ゲームで飯田橋駅の線路を走り回って駅員さんに構内放送で怒鳴られたこともある。学校から駅まで歩くのを面倒がって通りすがりのトラックの後ろに飛び乗って横着していたら運ちゃんに怒鳴られたこともある。
いたずらばかりしていた。
30年以上前の飯田橋は、駅隣接の大型ビルがまだ無かったから、駅のホームからはお濠の眺めが一望できた。小綺麗な飲食店とか瀟洒なオフィスビルも無かった。目白通り沿いのきしめんの尾張屋ぐらいしか記憶にない。
飯田橋駅寄りの神楽坂エリアには放課後よく出没した。ジャンボ餃子、ジャンボチャーハンで有名な神楽坂飯店を越えたあたりに「人形の家」という2階建ての喫茶店があって、先生の目を盗んでよく潜んでいた。
2階席に上がる階段に、2階は貸切と書かれた小さい看板を置いてもらえたから、学校の先生の巡回があってもセーフだった。近隣の女子高生を2階の特等席に連れ込む猛者もいた。つい先週、その男と飲んだのだが、相変わらずのスケベ大王ぶりに感心した。
三つ子の魂、みたいな話だ。
神楽坂をのぼり始める場所にある「甘味処紀の善」にもよく通った。現在のビルに
建て替える以前は、店舗の奥に隠れた離れがあって、そこに潜んで悪さしていた。
坂を上っていった所の「天下一ラーメン」も懐かしい。今をときめく「天下一品」ではない。「てんかいち」だ。いつもスタミナご飯大盛りをかっこんでいた。
飯田橋西口の居酒屋庄やのランチにもよく行った。高校生だから当然、学食か弁当しか許されていなかったのだが、なぜかサラリーマンに混ざって居酒屋で昼時のひとときを過ごした。不思議だ。
目白通りから一本入ったところにある東京大神宮は中学高校の頃、恐い先輩や地域の不良に呼び出される場所だった。参道にあたる道も、その頃は鶴亀という蕎麦屋と団子屋があるぐらいで何もなかった。
学校帰りに団子屋で「すあま」を買って頬ばりながら歩いた記憶がある。今やその道もレストランがたくさん並んでいる。
九段下に向かって右手にそびえるホテルグランドパレスは、ある意味、あの周辺のランドマークだ。小学校の卒業謝恩会もここだった。今や売れっ子俳優の同級生の母親が、即興でミニ歌謡ショーをやったように記憶している。
プロ野球のドラフト会議もその昔はグランドパレスが会場だった。西武グループが野球界に進出してからは、プリンスホテルにその座を奪われてしまった。
金大中さんが韓国のKCIAに拉致された事件も犯行現場はグランドパレスだった。当時は何かとメジャーなホテルだったんだろう。
その後、近くに登場したホテルエドモントが、裏通りに立地してショボンとしているせいで、グランドパレスはシュッとした顔で佇んでいる。
まあ、この2つのホテル、現在の東京ホテル事情とかホテル競争とかとは一線を画した独特な存在。一応、ビジネスホテルではなく、シティホテルというカテゴリーだが、ワクワクするような感じでもない。牧歌的マイナー路線とでも言おうか。
アマノジャクな私は、以前からグランドパレスの昭和っぽい雰囲気、普段着のような感じが好きで機会があれば食事に出かける。特製ピラフは、私の好きな食べ物ベスト10に過去30年以上ランキング入りしている。
ランチブッフェもホテルにしては格安。華やかさはない。ワクワク感もない。品数は少ない。でも味は間違いない。「昭和の東京の洋食」だ。
思えば、高校卒業後も、大学生の頃にもアルバイトで飯田橋にあった広告代理店で少しだけ働いたことがある。わが社の主要紙媒体も数年前から飯田橋の印刷会社に印刷を発注している。
現在、仕事関係の裁判を3つ抱えているのだが、共闘してもらっている弁護士さんも、お隣の神楽坂に事務所を構えているので、打ち合わせついでに界隈をふらつくこともある。
それ以外にも飯田橋界隈に出かける機会は多く、今もあの街は半分地元のような気がする。好きな街の筆頭みたいなものだ。
大人になった今の目線で、改めてゆっくり散歩してみたい。
2012年1月20日金曜日
昭和 郷愁
昭和を題材にした映画やドラマを見ると、ノスタルジックな気分になる。郷愁なんていう言葉が脳裏をよぎる。
お年寄りみたいだ。
映画「ALWAYS 三丁目の夕日」の新作が間もなく公開される。1作目、2作目ともになぜかぶりぶり泣きながら見た。音楽のせいだろうか、どうでもいい場面でもウルウルする。
先日、NHKが2週連続で放映したドラマ「とんぼ」を見ても泣いた。昭和40年代から50年代の世相をバックに父と息子の情を描いた秀作だった。
連続ドラマも、外務省の機密漏えい事件である、かの「西山事件」をドラマ化した山崎豊子原作の「運命の人」が始まった。これは泣く話ではないが、昭和40年代の空気が色濃く描かれた力作のようだ。
昔を懐かしむことで、今の世相を悪く言うような薄っぺらジジイみたいなことは言いたくない。昔は昔で良かったし、今は今で悪くはない。ただそれだけの話だ。
よく「いまどきの若い連中は・・」などとシタリ顔で四の五の言うオッサンがいるが、あれもスマートではない。あんなもん、ヘタすると若さへの嫉妬に聞こえる。
それぞれがそれぞれで善し悪しウンヌンはどうでもいい。
なんか理屈っぽくなってきたから軌道修正。
昭和の時代だ。何が特徴だったかといえば、楽観的な空気だった気がする。その点で、今の若い人は気の毒ではある。ほんの30年前にはリストラなんて言葉はなかった。過労死とか中高年の自殺だって今より間違いなく少なかった。
極端な言い方をすれば、黙っていても年齢相応に階段を自然に上っていける感覚が誰にでもあった。
まあ、そんな分析をしたところで始まらない。そういうことを書くつもりではなかった。もっと俗っぽい話題を取り上げたい。
携帯電話やメールがない環境で若者時代を過ごした。当時は当然のことだが、今思えばアナログな日々が妙に意地らしく切なく思い出される。
時間にルーズだと確実に仲間はずれになったし、駅の改札そばにある伝言板にはいつでも書き込みが賑やかだった。
待ちぼうけ、ドタキャンの意味や重さが今とは比べようがないほどドッシリしていた。
会いたい人に会えないことへの忍耐力も当然今より強かった。「我慢できない」などというわがままも、アナログな時代は、手の打ちようがないわけだから、ひたすら忍ぶしかない。花びらをつまんで、会える、会えないなどとシミッたれているしかなかったわけだ。
いまや気になる相手の動向を知ったり連絡を取り合うには、小さい機械をチラッと見るだけでコト足りる。デジタル化の恩恵だ。
固定電話の前でひたすら待つなんて経験をした人は案外多いはずだ。相手の親に電話を取り次いでもらう時のビビる感覚とか、ああいうやるせなさを時々ふっと思い出すと、まさに隔世の感がある。
便利になった反面、今の人にとっては、その便利さが大変なこともあるらしい。メールが1日来ないだけで、やれどうした、大丈夫か、死んでるのかなどなど。
でも、便利に連絡が取り合える以上、それはそれで当然の成り行きなんだろう。アナログな頃だって、例えば熱烈交際中の若人は2,3日連絡が取れない事態になれば顔色が変わったりした。
考えれば、電話のない時代は、熱烈交際中の若人は手紙しかなかった。それより遙か昔であれば、手紙だって一往復するのに何ヶ月もかかったりした。
我慢する気持ち、忍ぶ気持ち、気長に耐える気持ち。こういう感覚は世の中が便利になればなるほど、薄らいでいくのだろうか。
色恋沙汰は別として、生きていく上で、大らかに気長にドッシリと構える姿勢は大事だ。大人の男の品格などこの部分だけで決まると言っても大袈裟ではない。
そう思うと、最近、短気に拍車がかかった自分の小者ぶりが情けない。加齢のせいもある?が、要は世の中の便利さにドップリ浸かってしまったせいで、何事においても、ちょっと流れや段取りが悪いだけですぐにカチンと来るようになった。
ダメダメだ。大らかさや心の余裕が足りないと、人間は途端に卑しく見えるものだ。不便を普通と思うかどうか、そのあたりに改善のヒントがあるような気がする。
話が飛びまくった。昭和の話を書くつもりだった。
昭和40年代、50年代について、いくつか書き出してみたい。
とにかく、誰もがどこでもタバコを吸っていた。電車だろうと飛行機だろうと、どんな高級レストランだろうと、人様の家だろうと、お茶を飲むかの如く普通にスパスパしていた。
誰もが知っているヒット曲が街中のあらゆるところで流れていた。西城秀樹のヤングマンとか都はるみの北の宿からとか、布施明のシクラメンのかおりとか、大ヒット曲は老若男女みんな口ずさんでいた。
年末の歌謡大賞とか、レコード大賞の権威が、きっと今より3千倍ぐらい高かった気がする。
ツッパリのお兄ちゃんだけでなく、パンチパーマの人が沢山いた。オバサンもパンチパーマみたいな髪型の人がいっぱいいた。そう言えば、やたらと賑やかだった暴走族の騒音も昭和ならではの音色だった。
ポルノ女優とか雑誌で見かけるトルコ嬢とか、水商売方面の人達が、不思議とみんな独特の風貌だった。素人っぽいとか、お嬢様系とか、そういうジャンル分けなど無かった。説教始めたら恐そうなオネエサンばかりだった。
ファミレスやファーストフードが贅沢な世界だった。いまではデフレを象徴する産業とも言えるが、昭和50年代の前半ぐらいまでは、どこかヨソイキの雰囲気が漂っていた。まさに「たまのご馳走」。デパートのレストラン街も同様。デパート自体が「ハレの場」だった。
昭和40年代ぐらいまでは、ファミレスはもちろん、コンビニが無かった。回転寿司も無かった。夜は街が暗かった。
駅の改札には切符切りの達人のような国鉄マンがいて、カチッカチッとせわしなく改札バサミをリズミカルに鳴らしていた。
切符切りに集中しているかと思いきや、期限切れの定期券で通過しようとする子どもなんか一発で見つける観察眼まで持っていた。
ゴミの分別が大雑把でもOKだった。ゴミ出し用の袋も真っ黒が常識で、なんでもかんでもごちゃ混ぜに捨てることが出来た。イマドキは収集日も減ったし、客に対する注文が多すぎやしないか。腹が立つ。
そのほか、下半身丸出しで歩いている変な人に頻繁に会えたとか、週休2日の人なんかいなかったとか、高校野球見たり、アリVS猪木の決闘見たり、みんなが同じものを見ていた。
そのほかには、25歳ぐらいになると男も女もすっかり老け込んでいた記憶がある。年齢のイメージというか、年齢の位置付けが顕著に変化した部分かもしれない。
今の時代、40歳を過ぎた俳優でも若者風の装いで若造的な役柄を演じている。30歳ぐらいになってもアイドルみたいに歌っている女性タレントも珍しくない。
以前にも書いたが、「太陽にほえろ」で石原裕次郎がボスを演じた時はまだ30代。「踊る大捜査線」の青島刑事より年下だったわけだ。
昔の人が生き急いでいたのだろうか。いや、今の人間が中高年までひっくるめて幼くなったことが理由だろう。
変な話、あの時代、私と同じ年齢の男が、下世話な身辺雑記を喜々として書き、ましてやその行動内容が若造なみに幼稚だったりすることは無かったと思う。
もっと漢詩を引用したり、先人の詩歌から処世訓なんかを学び、国を憂い、社会を憂い、太平のなかに研鑽の道を求むような年齢だったはずだ。
そんな時代の中年じゃなくて心からホッとしている。幼稚で結構だ。ずっと青春でいてやろうなどと考えている。
いやあ、それにしても、今日はどうでもいい話をダラダラと書き殴ってしまった。ここまで目を通してくれた方に心から敬意を表わしたいです。
お年寄りみたいだ。
映画「ALWAYS 三丁目の夕日」の新作が間もなく公開される。1作目、2作目ともになぜかぶりぶり泣きながら見た。音楽のせいだろうか、どうでもいい場面でもウルウルする。
先日、NHKが2週連続で放映したドラマ「とんぼ」を見ても泣いた。昭和40年代から50年代の世相をバックに父と息子の情を描いた秀作だった。
連続ドラマも、外務省の機密漏えい事件である、かの「西山事件」をドラマ化した山崎豊子原作の「運命の人」が始まった。これは泣く話ではないが、昭和40年代の空気が色濃く描かれた力作のようだ。
昔を懐かしむことで、今の世相を悪く言うような薄っぺらジジイみたいなことは言いたくない。昔は昔で良かったし、今は今で悪くはない。ただそれだけの話だ。
よく「いまどきの若い連中は・・」などとシタリ顔で四の五の言うオッサンがいるが、あれもスマートではない。あんなもん、ヘタすると若さへの嫉妬に聞こえる。
それぞれがそれぞれで善し悪しウンヌンはどうでもいい。
なんか理屈っぽくなってきたから軌道修正。
昭和の時代だ。何が特徴だったかといえば、楽観的な空気だった気がする。その点で、今の若い人は気の毒ではある。ほんの30年前にはリストラなんて言葉はなかった。過労死とか中高年の自殺だって今より間違いなく少なかった。
極端な言い方をすれば、黙っていても年齢相応に階段を自然に上っていける感覚が誰にでもあった。
まあ、そんな分析をしたところで始まらない。そういうことを書くつもりではなかった。もっと俗っぽい話題を取り上げたい。
携帯電話やメールがない環境で若者時代を過ごした。当時は当然のことだが、今思えばアナログな日々が妙に意地らしく切なく思い出される。
時間にルーズだと確実に仲間はずれになったし、駅の改札そばにある伝言板にはいつでも書き込みが賑やかだった。
待ちぼうけ、ドタキャンの意味や重さが今とは比べようがないほどドッシリしていた。
会いたい人に会えないことへの忍耐力も当然今より強かった。「我慢できない」などというわがままも、アナログな時代は、手の打ちようがないわけだから、ひたすら忍ぶしかない。花びらをつまんで、会える、会えないなどとシミッたれているしかなかったわけだ。
いまや気になる相手の動向を知ったり連絡を取り合うには、小さい機械をチラッと見るだけでコト足りる。デジタル化の恩恵だ。
固定電話の前でひたすら待つなんて経験をした人は案外多いはずだ。相手の親に電話を取り次いでもらう時のビビる感覚とか、ああいうやるせなさを時々ふっと思い出すと、まさに隔世の感がある。
便利になった反面、今の人にとっては、その便利さが大変なこともあるらしい。メールが1日来ないだけで、やれどうした、大丈夫か、死んでるのかなどなど。
でも、便利に連絡が取り合える以上、それはそれで当然の成り行きなんだろう。アナログな頃だって、例えば熱烈交際中の若人は2,3日連絡が取れない事態になれば顔色が変わったりした。
考えれば、電話のない時代は、熱烈交際中の若人は手紙しかなかった。それより遙か昔であれば、手紙だって一往復するのに何ヶ月もかかったりした。
我慢する気持ち、忍ぶ気持ち、気長に耐える気持ち。こういう感覚は世の中が便利になればなるほど、薄らいでいくのだろうか。
色恋沙汰は別として、生きていく上で、大らかに気長にドッシリと構える姿勢は大事だ。大人の男の品格などこの部分だけで決まると言っても大袈裟ではない。
そう思うと、最近、短気に拍車がかかった自分の小者ぶりが情けない。加齢のせいもある?が、要は世の中の便利さにドップリ浸かってしまったせいで、何事においても、ちょっと流れや段取りが悪いだけですぐにカチンと来るようになった。
ダメダメだ。大らかさや心の余裕が足りないと、人間は途端に卑しく見えるものだ。不便を普通と思うかどうか、そのあたりに改善のヒントがあるような気がする。
話が飛びまくった。昭和の話を書くつもりだった。
昭和40年代、50年代について、いくつか書き出してみたい。
とにかく、誰もがどこでもタバコを吸っていた。電車だろうと飛行機だろうと、どんな高級レストランだろうと、人様の家だろうと、お茶を飲むかの如く普通にスパスパしていた。
誰もが知っているヒット曲が街中のあらゆるところで流れていた。西城秀樹のヤングマンとか都はるみの北の宿からとか、布施明のシクラメンのかおりとか、大ヒット曲は老若男女みんな口ずさんでいた。
年末の歌謡大賞とか、レコード大賞の権威が、きっと今より3千倍ぐらい高かった気がする。
ツッパリのお兄ちゃんだけでなく、パンチパーマの人が沢山いた。オバサンもパンチパーマみたいな髪型の人がいっぱいいた。そう言えば、やたらと賑やかだった暴走族の騒音も昭和ならではの音色だった。
ポルノ女優とか雑誌で見かけるトルコ嬢とか、水商売方面の人達が、不思議とみんな独特の風貌だった。素人っぽいとか、お嬢様系とか、そういうジャンル分けなど無かった。説教始めたら恐そうなオネエサンばかりだった。
ファミレスやファーストフードが贅沢な世界だった。いまではデフレを象徴する産業とも言えるが、昭和50年代の前半ぐらいまでは、どこかヨソイキの雰囲気が漂っていた。まさに「たまのご馳走」。デパートのレストラン街も同様。デパート自体が「ハレの場」だった。
昭和40年代ぐらいまでは、ファミレスはもちろん、コンビニが無かった。回転寿司も無かった。夜は街が暗かった。
駅の改札には切符切りの達人のような国鉄マンがいて、カチッカチッとせわしなく改札バサミをリズミカルに鳴らしていた。
切符切りに集中しているかと思いきや、期限切れの定期券で通過しようとする子どもなんか一発で見つける観察眼まで持っていた。
ゴミの分別が大雑把でもOKだった。ゴミ出し用の袋も真っ黒が常識で、なんでもかんでもごちゃ混ぜに捨てることが出来た。イマドキは収集日も減ったし、客に対する注文が多すぎやしないか。腹が立つ。
そのほか、下半身丸出しで歩いている変な人に頻繁に会えたとか、週休2日の人なんかいなかったとか、高校野球見たり、アリVS猪木の決闘見たり、みんなが同じものを見ていた。
そのほかには、25歳ぐらいになると男も女もすっかり老け込んでいた記憶がある。年齢のイメージというか、年齢の位置付けが顕著に変化した部分かもしれない。
今の時代、40歳を過ぎた俳優でも若者風の装いで若造的な役柄を演じている。30歳ぐらいになってもアイドルみたいに歌っている女性タレントも珍しくない。
以前にも書いたが、「太陽にほえろ」で石原裕次郎がボスを演じた時はまだ30代。「踊る大捜査線」の青島刑事より年下だったわけだ。
昔の人が生き急いでいたのだろうか。いや、今の人間が中高年までひっくるめて幼くなったことが理由だろう。
変な話、あの時代、私と同じ年齢の男が、下世話な身辺雑記を喜々として書き、ましてやその行動内容が若造なみに幼稚だったりすることは無かったと思う。
もっと漢詩を引用したり、先人の詩歌から処世訓なんかを学び、国を憂い、社会を憂い、太平のなかに研鑽の道を求むような年齢だったはずだ。
そんな時代の中年じゃなくて心からホッとしている。幼稚で結構だ。ずっと青春でいてやろうなどと考えている。
いやあ、それにしても、今日はどうでもいい話をダラダラと書き殴ってしまった。ここまで目を通してくれた方に心から敬意を表わしたいです。
2012年1月18日水曜日
こだわりの男
最近、色々な分野でこだわりが無くなってきた。いいことなのか悪いことなのか、ちょっと悩む。
何事にもこだわりの無い人がスマートに見える反面、何かとこだわりを貫く人の魅力も捨てがたい。
もちろん、私にもまだまだ捨てがたいこだわりはいくつもある。ただ、以前ほど執着しない場面が多くなった。
純米酒だ吟醸酒だ、山田錦だ、精米歩合がどうしたとか、そんなウンチクで日本酒を選んでいた頃もあったが、最近はウマいと感じれば何でもありだ。
銘酒の品揃えが豊富な店でも、あれやこれや悩まずに「お燗の酒ちょうだい」で済む。
だいたい、日本酒なんて封を開けた途端に劣化が始まる。シュポシュポと一升瓶の空気抜きをして管理する店なんて一握りだ。そうなると銘柄で選んでもあまり意味がない。
私の場合、冷酒を飲む際にわがままが言える店なら、「口開け間もないヤツちょうだい」などと生意気なことを言ってしまう。
ひょっとして、それも「こだわり」なのだろうか。
葉巻にしても、このところ、軽め、重めを問わずキューバ産ならほぼ全方位対応になってきた。もちろん、キューバ産といえどもピンキリだ。そんなことは分かっているのだが、紙巻きタバコを禁煙して以来、葉巻のほうは「全部好み」みたいな節操のない状態になってしまった。
嗜好品こそ、こだわりが大事なのかも知れないが、どうにもテキトーな路線になってきた。
これが「オッサンとして楽ちんになること」の典型的症例なのだろうか。
とかく、20代、30代の人間特有の気負いとか力みのような感覚は40代も半ばを過ぎると薄まってくる。
達観という次元とも違うが、ようやく地に足がついたとでも言おうか。「不惑」なんだから当たり前ではある。
なんだかんだ言って楽になれば結構な事だ。読んで字の如く「楽」になれば楽しい。
などとエラそうに書いてみたが、変なこだわりがまだまだ無数にあるから、我ながら論理矛盾というか意味不明だ。
愛用のボールペンの画像だ。ウォーターマン製の一品。気付けばもう20年も使っている。他にもお気に入りはいくつかあるが、真剣に何かを書く時は決まってこれを使う。
その昔、原稿が手書きだった頃、毎日毎日こればかり使っていた。理由はいろいろあるが、端的に言って馴染んでしまったというしかない。
お茶を飲む時は、家でも職場でも斑唐津の湯飲みと決めている。自分でも理由は不明。割れて買い直す時も、湯飲みだけは斑唐津を選ぶ。
ぐい呑みや徳利はアレコレ取っかえ引っかえなのに湯飲みだけは妙にこだわってしまう。
水中撮影に励む時の機材のうち、BCD(ライフジャケットの役割の機材)も25年間同じものを使っている。スキューバプロというメーカーの古典的なもので、同社が今風の新作を出しても浮気はしない。3~4回買い換えたが全部同じもの。レンタルしなければならない時でも、同じ製品を必死で探す。
基本的に不器用なことも理由のひとつだ。潜水機材に限らず、使い方やボタンの位置が変わるのが苦手。家電製品も操作性が似ているので買い換える時は、単に同じメーカーという理由だけで選んだりする。
飲み食いになると、こだわりというか偏屈な傾向はもっと強くなる。何があっても発泡酒は飲まないとか、紅茶を選べる時はアールグレイしか頼まないとか、硬く炊いた米じゃなきゃ食べないとか、意地にも似た好き嫌いが結構多い。
マグロのトロが苦手なので、寿司屋に入っても「刺身を適当に盛ってくれ」などとは言わない。おまかせにすると、たいてい中トロがスターみたいな顔して盛られる。これが気に入らない。
とかなんとか言ってるクセに、脂の乗ったブリなんかも喜んで刺身で食べるし、喜々としてトロタクとかネギトロを巻いてもらったりするから一貫性には怪しいところもある。
話は変わるが、女性については昔から「犬、タヌキ系」に惹かれる。「猫、キツネ系」は苦手だ。ガリガリより小太りという志向とともに30年以上一貫している。
とはいえ、それだって「強いて言えば」「あえて言わせてもらうと」というレベルなんだと思う。猫顔の柴崎コウとか中山美穂にウィンクされれば、いとも簡単に好みなど変わってしまうのかもしれない。
なんだか話が七転八倒?してきた。
こだわりがあるのか無いのか、あったほうがいいのか悪いのか、結局良くワカランちんだ。
ひとつ言える事は、中途半端なこだわりは損をするということだろう。こだわりといえば聞こえが良いが、要は偏屈や意地っ張りと似たような感覚だ。それに囚われすぎると自分が知らなかった新しい喜びや楽しさを逃しちゃうことになる。
「こだわりを持った男でいよう」と何気なく思い込んでウン十年。そのせいで私も随分損をしてきた気がする。
人生を楽しむには柔軟性こそがカギなのかも知れない。
高田純次を目指そう。ちょっと違うか。
何事にもこだわりの無い人がスマートに見える反面、何かとこだわりを貫く人の魅力も捨てがたい。
もちろん、私にもまだまだ捨てがたいこだわりはいくつもある。ただ、以前ほど執着しない場面が多くなった。
純米酒だ吟醸酒だ、山田錦だ、精米歩合がどうしたとか、そんなウンチクで日本酒を選んでいた頃もあったが、最近はウマいと感じれば何でもありだ。
銘酒の品揃えが豊富な店でも、あれやこれや悩まずに「お燗の酒ちょうだい」で済む。
だいたい、日本酒なんて封を開けた途端に劣化が始まる。シュポシュポと一升瓶の空気抜きをして管理する店なんて一握りだ。そうなると銘柄で選んでもあまり意味がない。
私の場合、冷酒を飲む際にわがままが言える店なら、「口開け間もないヤツちょうだい」などと生意気なことを言ってしまう。
ひょっとして、それも「こだわり」なのだろうか。
葉巻にしても、このところ、軽め、重めを問わずキューバ産ならほぼ全方位対応になってきた。もちろん、キューバ産といえどもピンキリだ。そんなことは分かっているのだが、紙巻きタバコを禁煙して以来、葉巻のほうは「全部好み」みたいな節操のない状態になってしまった。
嗜好品こそ、こだわりが大事なのかも知れないが、どうにもテキトーな路線になってきた。
これが「オッサンとして楽ちんになること」の典型的症例なのだろうか。
とかく、20代、30代の人間特有の気負いとか力みのような感覚は40代も半ばを過ぎると薄まってくる。
達観という次元とも違うが、ようやく地に足がついたとでも言おうか。「不惑」なんだから当たり前ではある。
なんだかんだ言って楽になれば結構な事だ。読んで字の如く「楽」になれば楽しい。
などとエラそうに書いてみたが、変なこだわりがまだまだ無数にあるから、我ながら論理矛盾というか意味不明だ。
愛用のボールペンの画像だ。ウォーターマン製の一品。気付けばもう20年も使っている。他にもお気に入りはいくつかあるが、真剣に何かを書く時は決まってこれを使う。
その昔、原稿が手書きだった頃、毎日毎日こればかり使っていた。理由はいろいろあるが、端的に言って馴染んでしまったというしかない。
お茶を飲む時は、家でも職場でも斑唐津の湯飲みと決めている。自分でも理由は不明。割れて買い直す時も、湯飲みだけは斑唐津を選ぶ。
ぐい呑みや徳利はアレコレ取っかえ引っかえなのに湯飲みだけは妙にこだわってしまう。
水中撮影に励む時の機材のうち、BCD(ライフジャケットの役割の機材)も25年間同じものを使っている。スキューバプロというメーカーの古典的なもので、同社が今風の新作を出しても浮気はしない。3~4回買い換えたが全部同じもの。レンタルしなければならない時でも、同じ製品を必死で探す。
基本的に不器用なことも理由のひとつだ。潜水機材に限らず、使い方やボタンの位置が変わるのが苦手。家電製品も操作性が似ているので買い換える時は、単に同じメーカーという理由だけで選んだりする。
飲み食いになると、こだわりというか偏屈な傾向はもっと強くなる。何があっても発泡酒は飲まないとか、紅茶を選べる時はアールグレイしか頼まないとか、硬く炊いた米じゃなきゃ食べないとか、意地にも似た好き嫌いが結構多い。
マグロのトロが苦手なので、寿司屋に入っても「刺身を適当に盛ってくれ」などとは言わない。おまかせにすると、たいてい中トロがスターみたいな顔して盛られる。これが気に入らない。
とかなんとか言ってるクセに、脂の乗ったブリなんかも喜んで刺身で食べるし、喜々としてトロタクとかネギトロを巻いてもらったりするから一貫性には怪しいところもある。
話は変わるが、女性については昔から「犬、タヌキ系」に惹かれる。「猫、キツネ系」は苦手だ。ガリガリより小太りという志向とともに30年以上一貫している。
とはいえ、それだって「強いて言えば」「あえて言わせてもらうと」というレベルなんだと思う。猫顔の柴崎コウとか中山美穂にウィンクされれば、いとも簡単に好みなど変わってしまうのかもしれない。
なんだか話が七転八倒?してきた。
こだわりがあるのか無いのか、あったほうがいいのか悪いのか、結局良くワカランちんだ。
ひとつ言える事は、中途半端なこだわりは損をするということだろう。こだわりといえば聞こえが良いが、要は偏屈や意地っ張りと似たような感覚だ。それに囚われすぎると自分が知らなかった新しい喜びや楽しさを逃しちゃうことになる。
「こだわりを持った男でいよう」と何気なく思い込んでウン十年。そのせいで私も随分損をしてきた気がする。
人生を楽しむには柔軟性こそがカギなのかも知れない。
高田純次を目指そう。ちょっと違うか。
2012年1月16日月曜日
酔っぱらい
アルコールと付き合い始めて30年以上が過ぎた。長い付き合いだが、まだアイツのことがよく分からない。
わかったつもりでいたのだが、先日も激しく呑まれてしまった。酔っぱらいの見本のような状態になったらしい。
なったらしい、と書くあたりが切ない。どんなに呑んでも記憶を失くさないのが私のささやかな自慢だったのだが、先日、完全に記憶が飛んだ。
不思議な体験だった。極端に飲み過ぎれば気分が悪くなって嘔吐小僧に変身するのが普通なのだが、その日はまったく気分は悪くならなかった。ただただ酔っぱらった。
卑猥な歌を即興で作り出して次から次に歌い続けていたらしい。記憶が無いからちっとも恥ずかしくないのが救いだ。
どんな内容の歌だったのだろう。ぜひ聞きたい。目撃者もシラフで口にするのはためらわれるのか口が思い。どんな名曲だったか大いに気になる。
ちなみに私は、酩酊すると昭和40年代の隠れヒット曲「緑色の屋根」を歌い出す癖がある。
http://www.youtube.com/watch?v=8ew7jO-oOtY
この日もきっとお下劣な替え歌を作って歌っていたのだろう。
その日、深夜に帰宅した後もヘロヘロだったようで、眠りについた後も異常な夢を見た。
起きている時間帯の記憶がないのに、夢を覚えているのも不思議だ。夢の中でなぜか私は紅白出場歌手だった。白組の2番目に登場予定。緊張でトイレに駆け込む。大ではなく小なのだが、なぜか勢いよく出たまま一向に止まらない。5分ぐらい出続けている。実に気持ちいいのだが、焦りまくる。出番が迫っている。
ようやく終わって、舞台に向かうと、私の出番は飛ばされていた。悔やむ私。聞けば、たまたま廊下を歩いていた一般人の男性が趣味で習っていた民謡を急きょステージで披露し、その人は大スターになったことを聞かされる。
ほんの5分で大スターになったこと自体が変なのだが、夢の中では不思議とそれが自然な流れだった。
気落ちしてNHKを出ようとする私は「本業に集中しろ」という声を聞く。なぜか私の本業は野球の選手だった。
所属チーム名は分からないが、すぐに楽天イーグルス戦に出場する予定になっていて、私の役割はショートで2番でスタメン。手袋を付けて素振りを始めた。
そこへ、対戦相手である楽天の関係者がやってくる。「岩熊がいなくなっちゃったからキミが代わりに投げるべきだ」と強い口調で言われる。
その口調に圧倒され、よく分からないまま相手チームの先発投手の大役を引き受けることになった。
意味不明だ。眠っている間も酔い続けていたみたいだ。
夢の内容は何かの啓示、何かの暗示なんだろうか。夢占いで判断してもらいたい。朝起きたら猛烈な頭痛と疲労感にビックリした。頭がおかしくなったのだろうか。
あの日、私の精神状態はすこぶる陽気でハイだったのかもしれない。何かから解き放たれたような感覚があった。
いずれにせよ、気持ち悪くならずに、ただただ酔うのは実に素晴らしい!?。やみつきになりそうだ。
今年は日々、その境地を目指すことにしようか。
判断力、記憶力が著しく低下する。理性、自制心も吹っ飛んでいく。だから解放された気分になる。視野は極端に狭くなり、魂は宇宙をさまよう感じ。
言ってみれば、そこらへんで売っている液体を数百ミリリットル飲むだけで、あれだけの異次元体験が出来るんだからお手軽で有難い。今更ながらそんなことを実感する。
マリファナとかそういうのも全然必要ない。普通の酒で充分に違う世界に行ける気がする。なんか大袈裟な表現になってしまった。でも酒の魅力、魔力は歳を重ねるほどに実感するものなのかも知れない。
未成年者が飲んじゃいけないのも当然だ。禁酒法を導入した為政者の気持ちもよく分かる。きちがい水という呼び方も実に的確。
そう考えると、柔道金メダリストの内柴事件には腹が立つ。酒を使って女子学生を手籠めにするなんてサイテーだ。ずいぶん話が飛んでしまった。
でも、内柴センセーは酩酊していなかったのだろうか。酩酊していたのに成し得たとしたら、それはそれで凄いというか、危なくってしょうがない。フツーは大酒飲んだらそんな余裕はなくなるはずだが、大いに気になる。
酒の失敗といえば、今は亡き「横山やすし」を思い出す。今思えば、純粋で一本気だったんだろう。伸助事件のほうがよっぽどタチが悪いと思う。
確か、晩年にも酩酊をきっかけに暴行に巻き込まれ、言語機能に問題が生じ、完全に復帰の道が閉ざされたと記憶している。酒に救われ、酒に殺された生き方だったんだろう。
救ってもくれるが、殺されることもある。酒という存在の二面性を改めて考えたくなる。なかなか恐い存在だ。
凡人を自覚し、凡なる量の酒を飲み、凡なる範囲の軽口を叩き、凡なる程度の放歌高唱に留めるように心掛けようと思う。
わかったつもりでいたのだが、先日も激しく呑まれてしまった。酔っぱらいの見本のような状態になったらしい。
なったらしい、と書くあたりが切ない。どんなに呑んでも記憶を失くさないのが私のささやかな自慢だったのだが、先日、完全に記憶が飛んだ。
不思議な体験だった。極端に飲み過ぎれば気分が悪くなって嘔吐小僧に変身するのが普通なのだが、その日はまったく気分は悪くならなかった。ただただ酔っぱらった。
卑猥な歌を即興で作り出して次から次に歌い続けていたらしい。記憶が無いからちっとも恥ずかしくないのが救いだ。
どんな内容の歌だったのだろう。ぜひ聞きたい。目撃者もシラフで口にするのはためらわれるのか口が思い。どんな名曲だったか大いに気になる。
ちなみに私は、酩酊すると昭和40年代の隠れヒット曲「緑色の屋根」を歌い出す癖がある。
http://www.youtube.com/watch?v=8ew7jO-oOtY
この日もきっとお下劣な替え歌を作って歌っていたのだろう。
その日、深夜に帰宅した後もヘロヘロだったようで、眠りについた後も異常な夢を見た。
起きている時間帯の記憶がないのに、夢を覚えているのも不思議だ。夢の中でなぜか私は紅白出場歌手だった。白組の2番目に登場予定。緊張でトイレに駆け込む。大ではなく小なのだが、なぜか勢いよく出たまま一向に止まらない。5分ぐらい出続けている。実に気持ちいいのだが、焦りまくる。出番が迫っている。
ようやく終わって、舞台に向かうと、私の出番は飛ばされていた。悔やむ私。聞けば、たまたま廊下を歩いていた一般人の男性が趣味で習っていた民謡を急きょステージで披露し、その人は大スターになったことを聞かされる。
ほんの5分で大スターになったこと自体が変なのだが、夢の中では不思議とそれが自然な流れだった。
気落ちしてNHKを出ようとする私は「本業に集中しろ」という声を聞く。なぜか私の本業は野球の選手だった。
所属チーム名は分からないが、すぐに楽天イーグルス戦に出場する予定になっていて、私の役割はショートで2番でスタメン。手袋を付けて素振りを始めた。
そこへ、対戦相手である楽天の関係者がやってくる。「岩熊がいなくなっちゃったからキミが代わりに投げるべきだ」と強い口調で言われる。
その口調に圧倒され、よく分からないまま相手チームの先発投手の大役を引き受けることになった。
意味不明だ。眠っている間も酔い続けていたみたいだ。
夢の内容は何かの啓示、何かの暗示なんだろうか。夢占いで判断してもらいたい。朝起きたら猛烈な頭痛と疲労感にビックリした。頭がおかしくなったのだろうか。
あの日、私の精神状態はすこぶる陽気でハイだったのかもしれない。何かから解き放たれたような感覚があった。
いずれにせよ、気持ち悪くならずに、ただただ酔うのは実に素晴らしい!?。やみつきになりそうだ。
今年は日々、その境地を目指すことにしようか。
判断力、記憶力が著しく低下する。理性、自制心も吹っ飛んでいく。だから解放された気分になる。視野は極端に狭くなり、魂は宇宙をさまよう感じ。
言ってみれば、そこらへんで売っている液体を数百ミリリットル飲むだけで、あれだけの異次元体験が出来るんだからお手軽で有難い。今更ながらそんなことを実感する。
マリファナとかそういうのも全然必要ない。普通の酒で充分に違う世界に行ける気がする。なんか大袈裟な表現になってしまった。でも酒の魅力、魔力は歳を重ねるほどに実感するものなのかも知れない。
未成年者が飲んじゃいけないのも当然だ。禁酒法を導入した為政者の気持ちもよく分かる。きちがい水という呼び方も実に的確。
そう考えると、柔道金メダリストの内柴事件には腹が立つ。酒を使って女子学生を手籠めにするなんてサイテーだ。ずいぶん話が飛んでしまった。
でも、内柴センセーは酩酊していなかったのだろうか。酩酊していたのに成し得たとしたら、それはそれで凄いというか、危なくってしょうがない。フツーは大酒飲んだらそんな余裕はなくなるはずだが、大いに気になる。
酒の失敗といえば、今は亡き「横山やすし」を思い出す。今思えば、純粋で一本気だったんだろう。伸助事件のほうがよっぽどタチが悪いと思う。
確か、晩年にも酩酊をきっかけに暴行に巻き込まれ、言語機能に問題が生じ、完全に復帰の道が閉ざされたと記憶している。酒に救われ、酒に殺された生き方だったんだろう。
救ってもくれるが、殺されることもある。酒という存在の二面性を改めて考えたくなる。なかなか恐い存在だ。
凡人を自覚し、凡なる量の酒を飲み、凡なる範囲の軽口を叩き、凡なる程度の放歌高唱に留めるように心掛けようと思う。
2012年1月13日金曜日
山本五十六と恋文
先日、時間があったので、ふらっと映画を見ることにした。選んだのは「山本五十六」。役所広司が主演。なかなか見応えのある作品だった。
昨年暮れに完結したNHKのドラマ「坂の上の雲」もいずれ全編DVD化されたら買ってしまうのだろう。
戦争映画が好きなつもりはないのだが、思い起こせば子どもの頃から随分その手の映画を見てきた。やはりスマートに描かれる海軍モノに惹かれる。
最近でも「ローレライ」とか「真夏のオリオン」あたりのビミョーな作品もついつい見てしまった。
今回の「山本五十六」はそうしたビミョーな路線ではなく、まっとうに仕上げられた王道的な作品だった。
役所広司が細くて格好良すぎるのが最後までしっくりこなかったが、脇を固める俳優陣にも軽々しい感じがなく、退屈せずに楽しめた。
実は、山本五十六に興味を持ったのは、戦争とはまったく関係ない本を読んだことがきっかけ。
その本は、戦術論でも偉人伝でもなく、明治以降の著名人の恋文を集めた新書だったのだが、そこに紹介されていた山本五十六の純情ぶりが印象的だった。
ヒトカドの人物なら、家族以外に愛する女性を囲っていたのが当時の常識だが、その女性に送った手紙がいじらしい。
~~~実はあなたの力になってそれで孤独のあなたをなぐさめてあげたいと思って居った自分が かへってあなたの懐に飛びこみたい気持なのですが 自分も一個の男子として、そんな弱い姿を見られるのは恥ずかしくもあり 又あなたの信頼にそむく次第でもあると思って ただ寂しさを感じるのです こんな自分の気持は ただあなたにだけ今こうしてはじめて書くのですが どうぞ誰にも話をなさらないでおいて下さいね~~~
五十六さんはこのとき51歳。お相手の芸妓は30歳そこそこ。当時の51歳といえば、オジイチャンと呼ばれて隠居顔で過ごす人もいたはずだが、さすがの傑物ぶり。「懐に飛びこみたい」とサラッと言ってのける純粋な感覚は凄いことだと思う。
その後、五十六さんは戦死するまで10年近くこの女性との関係を続ける。昭和18年4月、戦死直前に送った手紙に添えられていた歌がまたニクい。
~おほらかに吾し思はばかくばかり妹が夢のみ毎夜に見むや~
いい加減な気持ちで思っているのであれば、こんなにも夜ごとあなたの夢ばかり見るだろうか、という内容だとか。
60歳を目前に、こんなロマンチックな歌を詠む姿勢を素直に尊敬したくなる。カッコイイと思う。
たかだか40代でアチコチが痛いの痒いのと言っている自分のだらしなさを反省しないとならない。
色恋がどうのこうのではない。年齢に関係なく、エネルギッシュで情熱的な姿勢を保ち続けることの大切さを五十六さんの恋文や歌は教えてくれる。
ちなみに映画の中の山本五十六は、戦争嫌いなのに戦争を仕掛ける立場になってしまった境遇と卓越したリーダー像を中心に描かれている。
もちろん、恋人が存在したことなどカケラも想像させないような描かれ方だが、「軍神」と呼ばれるまでになった彼の現実の日常を支えていたのは「懐に飛びこみたい」ほどの情熱的な恋だったのかもしれない。
昨年暮れに完結したNHKのドラマ「坂の上の雲」もいずれ全編DVD化されたら買ってしまうのだろう。
戦争映画が好きなつもりはないのだが、思い起こせば子どもの頃から随分その手の映画を見てきた。やはりスマートに描かれる海軍モノに惹かれる。
最近でも「ローレライ」とか「真夏のオリオン」あたりのビミョーな作品もついつい見てしまった。
今回の「山本五十六」はそうしたビミョーな路線ではなく、まっとうに仕上げられた王道的な作品だった。
役所広司が細くて格好良すぎるのが最後までしっくりこなかったが、脇を固める俳優陣にも軽々しい感じがなく、退屈せずに楽しめた。
実は、山本五十六に興味を持ったのは、戦争とはまったく関係ない本を読んだことがきっかけ。
その本は、戦術論でも偉人伝でもなく、明治以降の著名人の恋文を集めた新書だったのだが、そこに紹介されていた山本五十六の純情ぶりが印象的だった。
ヒトカドの人物なら、家族以外に愛する女性を囲っていたのが当時の常識だが、その女性に送った手紙がいじらしい。
~~~実はあなたの力になってそれで孤独のあなたをなぐさめてあげたいと思って居った自分が かへってあなたの懐に飛びこみたい気持なのですが 自分も一個の男子として、そんな弱い姿を見られるのは恥ずかしくもあり 又あなたの信頼にそむく次第でもあると思って ただ寂しさを感じるのです こんな自分の気持は ただあなたにだけ今こうしてはじめて書くのですが どうぞ誰にも話をなさらないでおいて下さいね~~~
五十六さんはこのとき51歳。お相手の芸妓は30歳そこそこ。当時の51歳といえば、オジイチャンと呼ばれて隠居顔で過ごす人もいたはずだが、さすがの傑物ぶり。「懐に飛びこみたい」とサラッと言ってのける純粋な感覚は凄いことだと思う。
その後、五十六さんは戦死するまで10年近くこの女性との関係を続ける。昭和18年4月、戦死直前に送った手紙に添えられていた歌がまたニクい。
~おほらかに吾し思はばかくばかり妹が夢のみ毎夜に見むや~
いい加減な気持ちで思っているのであれば、こんなにも夜ごとあなたの夢ばかり見るだろうか、という内容だとか。
60歳を目前に、こんなロマンチックな歌を詠む姿勢を素直に尊敬したくなる。カッコイイと思う。
たかだか40代でアチコチが痛いの痒いのと言っている自分のだらしなさを反省しないとならない。
色恋がどうのこうのではない。年齢に関係なく、エネルギッシュで情熱的な姿勢を保ち続けることの大切さを五十六さんの恋文や歌は教えてくれる。
ちなみに映画の中の山本五十六は、戦争嫌いなのに戦争を仕掛ける立場になってしまった境遇と卓越したリーダー像を中心に描かれている。
もちろん、恋人が存在したことなどカケラも想像させないような描かれ方だが、「軍神」と呼ばれるまでになった彼の現実の日常を支えていたのは「懐に飛びこみたい」ほどの情熱的な恋だったのかもしれない。
2012年1月11日水曜日
デブまっしぐら
太っちまってしょうがない。最近そんな感じだ。
12月に入ってから胃の調子が悪くなり、とくに空腹時に痛みが強かったから、空腹を避けようとムシャムシャ食べていた。
悪循環極まるってパターンだ。
そうはいっても、胃腸に配慮して、揚げ物はしばし我慢したし、極端なドカ食いもやめていた。
だから年末年始は意外に痩せたんじゃないかとタカをくくっていたが、全然ダメ。しっかり体重増加。
きっと基礎代謝が皆無なんだろう。バカ食いしないのに太るなんて実に切ない。
ただ、携帯に残る食べ物画像を見ると、年末年始に摂取した高カロリーに妙に納得する。そりゃ太るわって言葉しか出てこなかった。
某日、大塚の「蒼天」にて焼鳥をぶりぶり食べた。最近見つけた奇跡的にウマい店だ。わが社の半径5キロ圏では無敵のナンバーワン。食べ終えた後の串の残骸の量に我ながら驚く。太るはずだ。
銀座の「さ久ら」で食べたイクラ丼、サバ寿司、焼きおにぎりだ。シャリのウマい店で作ってもらう焼きおにぎりは、どんなネタにもかなわない極上の味だったりする。
この日は、新鮮なホッキ貝をバター焼きにしてもらったり、カキの酒蒸しやカラスミを肴にヒレ酒をグビグビ飲み続け、握りも結構食べた。太るはずだ。
高田馬場・鮨源で食べた「ヅケにしたブリをちょっと炙ってもらった握り」もガツンと味覚中枢を刺激してくれた。うっとりだ。確実に高カロリーだ。
いろいろとスタミナ不足なのでカキにパワーをもらおうとしたら、産地の違う3つのカキを食べ比べさせてもらった。
福岡産、北海道の厚岸産、志摩の的矢産。どれも極上。味が濃くてうっとり。この日は、知名度の劣る福岡産がもっとも美味しく感じた。
黄色いイクラは、ヤマメの卵だとか。初体験の逸品。川魚だけあってどことなく爽やかな味わいだった。
結局アレコレ食べ過ぎ。太るはずだ。
鶏のレバ刺しの画像は銀座の「東京やきとり亭」で食べたうっとりな一品。最上級の牛串の名店だった「三福」が無くなった跡地に改装して移転してきたばかり。レバ刺しがレギュラーメニューだから今年は頻繁に通いそうだ。
この日もレバ刺しをオカワリした。いちいち摂取量が多い。
九段下のそば、住所で言うと神保町にある「全家福」でも食べ過ぎてしまった。この店、何を食べてもウマい。穴場だと思う。
上海ガニの老酒漬けも絶品。この年になるまでアチコチで食べてきたが、正直ここの老酒漬けが一番私の味覚に合っていると感じる。
老酒漬け以外にも、山椒汁に漬け込んだ一品やニンニク汁に漬け込んだ一品もウットリ。
暖めた紹興酒をぐいぐい飲みながらカニをチューチュー。冬場ならではの最高の組み合わせだろう。
車海老のガーリック炒めや黒酢の酢豚もバカウマ。何がエライって野菜とか余計なモノが混ざっていない点が嬉しい。
辛い麻婆豆腐も食べたし、チャーハンも食べたし、焼き餃子も食べた。
どう考えたって太るはずだと思う。
これ以外にもホテルニューオータニのトレーダーヴィックスで牛串、スペアリブを肴にカクテルをガブ飲みし、コッテリコテコテのシーザーサラダと特製カレーまで食べた日もあった。高カロリー。
某日は帝国ホテルの「サール」にランチビュッフェに行った。別な日はホテルグランドパレスのランチビュッフェにも行った。
あの手の食べ放題レストランに行くと、ついつい「勝つか負けるか」という価値判断しか頭に浮かばないアホな私だ。支払う値段に比べて納得するほど食べたかどうかが勝敗の分かれ目だ。
結果はいずれも圧勝だった。歩くのが苦しくなるほど食べてしまった。
そりゃ太って当然だと思う。
本当に胃が悪いのだろうか。我ながら甚だ疑わしいと感じてきた。
12月に入ってから胃の調子が悪くなり、とくに空腹時に痛みが強かったから、空腹を避けようとムシャムシャ食べていた。
悪循環極まるってパターンだ。
そうはいっても、胃腸に配慮して、揚げ物はしばし我慢したし、極端なドカ食いもやめていた。
だから年末年始は意外に痩せたんじゃないかとタカをくくっていたが、全然ダメ。しっかり体重増加。
きっと基礎代謝が皆無なんだろう。バカ食いしないのに太るなんて実に切ない。
ただ、携帯に残る食べ物画像を見ると、年末年始に摂取した高カロリーに妙に納得する。そりゃ太るわって言葉しか出てこなかった。
某日、大塚の「蒼天」にて焼鳥をぶりぶり食べた。最近見つけた奇跡的にウマい店だ。わが社の半径5キロ圏では無敵のナンバーワン。食べ終えた後の串の残骸の量に我ながら驚く。太るはずだ。
銀座の「さ久ら」で食べたイクラ丼、サバ寿司、焼きおにぎりだ。シャリのウマい店で作ってもらう焼きおにぎりは、どんなネタにもかなわない極上の味だったりする。
この日は、新鮮なホッキ貝をバター焼きにしてもらったり、カキの酒蒸しやカラスミを肴にヒレ酒をグビグビ飲み続け、握りも結構食べた。太るはずだ。
高田馬場・鮨源で食べた「ヅケにしたブリをちょっと炙ってもらった握り」もガツンと味覚中枢を刺激してくれた。うっとりだ。確実に高カロリーだ。
いろいろとスタミナ不足なのでカキにパワーをもらおうとしたら、産地の違う3つのカキを食べ比べさせてもらった。
福岡産、北海道の厚岸産、志摩の的矢産。どれも極上。味が濃くてうっとり。この日は、知名度の劣る福岡産がもっとも美味しく感じた。
黄色いイクラは、ヤマメの卵だとか。初体験の逸品。川魚だけあってどことなく爽やかな味わいだった。
結局アレコレ食べ過ぎ。太るはずだ。
鶏のレバ刺しの画像は銀座の「東京やきとり亭」で食べたうっとりな一品。最上級の牛串の名店だった「三福」が無くなった跡地に改装して移転してきたばかり。レバ刺しがレギュラーメニューだから今年は頻繁に通いそうだ。
この日もレバ刺しをオカワリした。いちいち摂取量が多い。
九段下のそば、住所で言うと神保町にある「全家福」でも食べ過ぎてしまった。この店、何を食べてもウマい。穴場だと思う。
上海ガニの老酒漬けも絶品。この年になるまでアチコチで食べてきたが、正直ここの老酒漬けが一番私の味覚に合っていると感じる。
老酒漬け以外にも、山椒汁に漬け込んだ一品やニンニク汁に漬け込んだ一品もウットリ。
暖めた紹興酒をぐいぐい飲みながらカニをチューチュー。冬場ならではの最高の組み合わせだろう。
車海老のガーリック炒めや黒酢の酢豚もバカウマ。何がエライって野菜とか余計なモノが混ざっていない点が嬉しい。
辛い麻婆豆腐も食べたし、チャーハンも食べたし、焼き餃子も食べた。
どう考えたって太るはずだと思う。
これ以外にもホテルニューオータニのトレーダーヴィックスで牛串、スペアリブを肴にカクテルをガブ飲みし、コッテリコテコテのシーザーサラダと特製カレーまで食べた日もあった。高カロリー。
某日は帝国ホテルの「サール」にランチビュッフェに行った。別な日はホテルグランドパレスのランチビュッフェにも行った。
あの手の食べ放題レストランに行くと、ついつい「勝つか負けるか」という価値判断しか頭に浮かばないアホな私だ。支払う値段に比べて納得するほど食べたかどうかが勝敗の分かれ目だ。
結果はいずれも圧勝だった。歩くのが苦しくなるほど食べてしまった。
そりゃ太って当然だと思う。
本当に胃が悪いのだろうか。我ながら甚だ疑わしいと感じてきた。
2012年1月6日金曜日
竜
新しい年の干支は竜。十二支の中で唯一空想上の生き物だ。実在しない生き物なのに、自然界には「竜の子ども」は存在している。
一応、今日の更新は新年1発目なので、それっぽいことを題材にしようと、過去に撮影してきた水中写真の中から「タツノオトシゴ」の画像を探してきた。「竜の子ども」だ。
この画像は、フィリピンのプエルトガレラというダイバー天国に行った時に撮影したもの。
浅瀬の草場のようなエリアにわんさか生息していた。きっと、ドラゴンがそこに産み落としていったのだろう。
写真を撮るダイバーの好みもお国柄によって違う。基本的に欧米人は小物より大物狙いだ。大型回遊魚やサメを見て大喜びする。
そうした生き物が少ない海では、彼らの好みはウツボ。会うたびにいちいち喜ぶ。カリブ海とかの欧米人リゾートのダイビングスポットでは、餌付けされてアホほど太ってしまったウツボを見ることが多い。
巨大化したウツボはかなり気持ち悪いが、アメリカ人などは目を細めてナデナデしている。
タツノオトシゴなんか見向きもしないのが彼らのスタイルだ。ヘンテコ系の小物が好きなのは日本人の写真派ダイバーだろう。私も、どちらかといえば、チビっこい変なヤツにレンズを向けているのが好きだ。
こちらは、バリ島の海で撮影したピグミーシーホースだ。シーホース、すなわち英名ではタツノオトシゴは、竜の子ではなく、「海の馬」と称されている。
この可愛いヤツは、名前の通り凄く小さなタツノオトシゴだ。全長が2センチあるかないか。生息環境に見事なまでに保護色となって同化している。地元の目利きガイドに教えてもらわないと見つけることは至難のわざ。
教えてもらって撮影を始めても、露出をいじったり、構図を変えようと動いたりする際に、ヤツから目を話すと、もうどこにいるのか分からなくなる。
肩は凝る、目は疲れる。ピントは合わない。結構シンドイ思いをしないと、それっぽく撮影できない魚だ。だいたい肉眼ではこんな顔の表情など分からない。
写して見て拡大してはじめて可憐な表情に出会える。ついつい激写したくなるわけだ。
こちらの画像はニシキフウライウオだ。海シダという水中植物に同化して隠れている変なヤツで、これもタツノオトシゴの近接種だ。英名をゴーストパイプフィッシュという。フワ~と漂う姿は確かにゴーストという表現が似合う。
英名よりも、風来坊のフウライと名付けた日本人のセンスが好きだ。フウライだ。凄い名前だ。
ブラブラと根無し草のように生きてるイメージだ。本人?にとっては迷惑なネーミングかも知れないが、風来坊になってみたい私としては、妙に可愛く感じる。
新年早々、どうでもいい話を書き殴ってしまった。
まあ、辰年にちなんで、タツノオトシゴの画像を載っけてしまった時点で、書くことはちっとも思い浮かばなかった。
仕方がないから、わが社の発行物に仕事で書いた新年用のコラムを転載してみる。
~~~~~~~~
何かと暗い話題を取り上げたり、ブツクサ文句ばかり書いている当欄だが、今回ぐらいは、前向きな気分、楽天的な気分になれるように努めたい。ちょっと強引に干支の話を書く
▼新しい年の干支は辰(竜)。十二支の中で唯一、実在しない生き物だ。現実から目を背けたくなった2011年の日本。新しい年は空想上の生き物、それも神格化された竜に引っ張っていってもらいたい
▼竜にまつわる伝承や言い伝えは世界中に存在する。ヨーロッパでは神の敵役である悪の象徴として描かれることが多いが、アジアでは尊い存在とみなされてきた。農耕民族的な視点では、水の神を大事に扱ったのが理由なんだろう
▼風水でも竜は最も格上の聖獣という位置付け。すべての気の源であり、運を左右するパワーを持つ特別な存在だ。疲弊したわが国を奮い立たせるにはもってこいのシンボルと言えよう
▼中国では太陽に一番近い惑星(水星)を辰星と呼ぶそうだ。日本では時刻を表わす辰は午前7時から2時間の間を指す。まさにスタートとか再生を連想するには竜は適任だ。のぼり竜にあやかった1年を目指したい
一応、今日の更新は新年1発目なので、それっぽいことを題材にしようと、過去に撮影してきた水中写真の中から「タツノオトシゴ」の画像を探してきた。「竜の子ども」だ。
この画像は、フィリピンのプエルトガレラというダイバー天国に行った時に撮影したもの。
浅瀬の草場のようなエリアにわんさか生息していた。きっと、ドラゴンがそこに産み落としていったのだろう。
写真を撮るダイバーの好みもお国柄によって違う。基本的に欧米人は小物より大物狙いだ。大型回遊魚やサメを見て大喜びする。
そうした生き物が少ない海では、彼らの好みはウツボ。会うたびにいちいち喜ぶ。カリブ海とかの欧米人リゾートのダイビングスポットでは、餌付けされてアホほど太ってしまったウツボを見ることが多い。
巨大化したウツボはかなり気持ち悪いが、アメリカ人などは目を細めてナデナデしている。
タツノオトシゴなんか見向きもしないのが彼らのスタイルだ。ヘンテコ系の小物が好きなのは日本人の写真派ダイバーだろう。私も、どちらかといえば、チビっこい変なヤツにレンズを向けているのが好きだ。
こちらは、バリ島の海で撮影したピグミーシーホースだ。シーホース、すなわち英名ではタツノオトシゴは、竜の子ではなく、「海の馬」と称されている。
この可愛いヤツは、名前の通り凄く小さなタツノオトシゴだ。全長が2センチあるかないか。生息環境に見事なまでに保護色となって同化している。地元の目利きガイドに教えてもらわないと見つけることは至難のわざ。
教えてもらって撮影を始めても、露出をいじったり、構図を変えようと動いたりする際に、ヤツから目を話すと、もうどこにいるのか分からなくなる。
肩は凝る、目は疲れる。ピントは合わない。結構シンドイ思いをしないと、それっぽく撮影できない魚だ。だいたい肉眼ではこんな顔の表情など分からない。
写して見て拡大してはじめて可憐な表情に出会える。ついつい激写したくなるわけだ。
こちらの画像はニシキフウライウオだ。海シダという水中植物に同化して隠れている変なヤツで、これもタツノオトシゴの近接種だ。英名をゴーストパイプフィッシュという。フワ~と漂う姿は確かにゴーストという表現が似合う。
英名よりも、風来坊のフウライと名付けた日本人のセンスが好きだ。フウライだ。凄い名前だ。
ブラブラと根無し草のように生きてるイメージだ。本人?にとっては迷惑なネーミングかも知れないが、風来坊になってみたい私としては、妙に可愛く感じる。
新年早々、どうでもいい話を書き殴ってしまった。
まあ、辰年にちなんで、タツノオトシゴの画像を載っけてしまった時点で、書くことはちっとも思い浮かばなかった。
仕方がないから、わが社の発行物に仕事で書いた新年用のコラムを転載してみる。
~~~~~~~~
何かと暗い話題を取り上げたり、ブツクサ文句ばかり書いている当欄だが、今回ぐらいは、前向きな気分、楽天的な気分になれるように努めたい。ちょっと強引に干支の話を書く
▼新しい年の干支は辰(竜)。十二支の中で唯一、実在しない生き物だ。現実から目を背けたくなった2011年の日本。新しい年は空想上の生き物、それも神格化された竜に引っ張っていってもらいたい
▼竜にまつわる伝承や言い伝えは世界中に存在する。ヨーロッパでは神の敵役である悪の象徴として描かれることが多いが、アジアでは尊い存在とみなされてきた。農耕民族的な視点では、水の神を大事に扱ったのが理由なんだろう
▼風水でも竜は最も格上の聖獣という位置付け。すべての気の源であり、運を左右するパワーを持つ特別な存在だ。疲弊したわが国を奮い立たせるにはもってこいのシンボルと言えよう
▼中国では太陽に一番近い惑星(水星)を辰星と呼ぶそうだ。日本では時刻を表わす辰は午前7時から2時間の間を指す。まさにスタートとか再生を連想するには竜は適任だ。のぼり竜にあやかった1年を目指したい