いやはや猛暑である。毎年のことながらゲンナリする。
といいながら個人的には夏が好きだ。自然のエネルギーが強く感じられるし、どんよりとした寒さより全てが活性化する気がする。
それにしても、こう暑いと恋しくなるのがセミの声だ。気のせいか、東京では昔よりセミが鳴き始めるのが遅く感じる。
強い日差し、勢いを感じる白い雲とくれば、セミの騒々しい鳴き声が加わらないと物足りない。
夏の音はセミに尽きる。ミンミンでもジージーでもいい。夕方のヒグラシのシュールな感じも堪らない。
参院選の候補者のガーガー騒ぐ声しか聞こえてこない東京の無粋な今がちょっと面白くない。
それにしても共産党が伸びている現実って何なんだろう。やるやる詐欺の民主党のお陰で健全野党が無くなってしまい、仕方なく共産党に目が行くのだろう。
でも、共産党は共産党だ。個人的には意味不明だ。無理矢理どっかの政党を選ばなくても、棄権や白票だって立派な権利行使だとつくづく思う。
話がそれた。
今日は音の話を書きたかった。
なんとなく耳にする音って、その時点の気分を大きく左右する。結婚式であればオメデタイBGMが集まった人を浮ついた気分にさせるし、葬式だったら坊さんのダミ声やポンポコした音が厳粛な気分にさせる。
「好きな音」を改めて思い起こしてみると、結構いろいろあることに気付く。
空港にいる時、絶えず聞こえてくる発着予定などを告げるアナウンス、東海道新幹線が停車駅に着く直前に流すピンピロしたメロディーなどは、旅好きな私にとって旅情を誘う好きな音だ。
夕方の商店街のざわめきなんかも悪くない。5時の時報を兼ねた「夕焼け小焼け」とか「七つの子」のメロディーがどこからともなく聞こえてくる。行き交う自転車のベルの音、もう絶滅?しちゃったが、豆腐屋さんのラッパの音が混ざれば完璧だ。「日々是好日」って感じの空気になる。
そんな音は、暮らしている街では気にも留めないのだが、見知らぬ土地にいる時に限って妙に耳に残る。やはり、それなりに感覚が鋭敏になっているのだろう。
その昔、小林麻美が“アンニュイの権化”のように歌う「雨音はショパンの調べ」が大ヒットした。日本語詞はユーミンだった。雨音をピアノの旋律に例える感性は凄いと思った。
実際、雨の音は悪くない。運転中に急に降り出した強い雨、車体を叩く音、ワイパーがせわしなく動く音、運転席という個の空間に籠もっている感覚が強く感じられて結構快適だったりする。
夏の夕暮れに急に降り出した時なんか、慌てる人々の焦った気配も加わって独特だ。木々の葉を叩く音と熱が冷まされるような匂いが混ざり合って「夏」を強く感じさせる。
秋の虫の声にもウットリする。とくに夏の終わりが最高だ。昼間の熱暑は相変わらずなのに、夜になると風が少しだけ涼しくなってくる頃、都会の隅のちょっとした草むらから聞こえる虫の音色に癒やされる。
自然の音ばかりではない。酒場の音も好きだ。
今年3月に20年もの歴史に幕を閉じたFM番組が好きだった。サントリー1社提供の名物番組で、「アバンティ」という酒場を舞台に、お客さんのウンチク話や体験談、日常会話に聞き耳を立てるという設定だった。
話の内容もさることながら、店のドアの開閉音やグラスの中の氷の音、グラスがぶつかる音、シャーカーを振る音などの効果音が絶妙だった。
さて、実際に酒場に腰を下ろして、音に注意を払うと、それぞれのテーブルやカウンターから聞こえる客同士の会話が心地よいざわめきになる。
居酒屋なら演歌、洒落たバーならジャズ、銀座あたりのクラブならピアノの生演奏が、適度な音量で客達のざわめきを包み込む。
家でノホホンと酒を楽しもうと思っても、酒場独特の喧騒が無いから何となくシックリこない。なぜかグイグイ飲めない。あれは不思議だ。
生活感の有る無しも影響しているのだろうが、それだけではない。きっと「音」の違いに違和感があるのだろう。
それっぽい音楽をBGMに流してみても、酒場にいる感覚とはまったく異なる。きっと酒場独特の「効果音」が根本的に足りないのが理由だろう。
そう考えると、外に飲みに行きたくなる心境って、酒場の音の中に身を置きたくなる部分もあるのかもしれない。もちろん、音だけで無く、「空気感」という魔物も影響はしているが、「音」の影響が思ったより大きいのは確かだ。
お勘定のうち、「音」に対価を払っている部分は何割ぐらいだろうか。
職場の音に耳を向けてみた。キーボードのカタカタ音、ファックスの機械音、電話の音、シュレッダーの音・・・。う~ん、聞こえてくるのは電子音ばかりだ。
あ~、沖縄あたりの浜辺でゴロゴロしたくなってきた。三線の音色をバックに波音に耳を傾けてボケッと葉巻でもふかしたいものだ。
そう考え出すと、ソク実行に移したくなる悪い癖があるから、この辺でやめておこう。
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