東京出身。富豪になりたい中年男。幼稚園から高校まで私立一貫校に通い、大学卒業後、財務系マスコミ事業に従事。霞ヶ関担当記者、編集局長等を経て現在は副社長。適度に偏屈。スタイリッシュより地味で上質を求め、流行より伝統に心が動く。アマノジャクこそ美徳が信条。趣味は酒器集め、水中写真撮影、ひとり旅、葉巻、オヤジバンドではボーカル担当。ブログ更新は祭日以外の月曜、水曜、金曜。 ★★★スマホでご覧頂いている場合には画面下の「ウェブバージョンを表示」をクリックしてウェブ画面に飛ぶと下側右にカテゴリー別の過去掲載記事が表示されますので、そちらもご利用ください。
2014年9月19日金曜日
四半世紀
「光陰矢の如し」とはよく言ったもので、自分の中ではつい最近だったような記憶が遙か昔のことだったりする。
先週末、函館に行ったのだが、初めて訪れたのが30年も前だったことに気付いて愕然とした。
当時まだ生まれてなかったオネエサンのお尻をいまだに追っかけているかと思うと、ちっとも成熟しないオノレの愚かさにも愕然とした。
社会人になって少し経った頃、仕事で函館を訪れた。この時のイメージが凄く良かったので、それ以来、事あるごとに函館を訪れてる。現地に別荘マンションを買おうとしたこともある。
四半世紀にわたって、一種の定点観測をしてきたようなものだ。四半世紀、長いようでアッという間だったようにも感じる。25年である。25年の歳月が変えるものは無数にある。
世間で何かと話題に上る地方都市の疲弊というか過疎化にしても、函館あたりを散歩しているとつくづく実感する。
25年前に活気のあった場所がすっかり廃れて人の気配がない。シャッター商店街という言葉だけでなく、街自体が消滅しているような印象がある。
この10年ぐらい、日本の地方都市に行くたびに感じる印象は同じようなものだ。四半世紀前なら、田舎には田舎の活気があって、街の規模に見合った数の人も闊歩していた。
数十年もすると日本の人口は8600万人にまで減少するそうだ。人口減少だけでなく、お年寄りばっかりの国になるわけで、当然、高度成長期が土台のインフラはすべて様変わりする。
集落や村はもちろん、ちょっとした規模の街だって、閉鎖されて近隣の街に吸収されるような動きが加速度的に増えるはずだ。
昭和の頃は数万人の人が暮らした街が正真正銘のゴーストタウンになることも非現実的な話ではない。
空恐ろしい話だが、現状のままではそれが当然の帰結である。女性の社会進出をどうたらこうたらする大臣ポストが出来たとか、女性の管理職の割合を引き上げるとか、相変わらずその手の話が飛びかっている。
それより何より少子化対策ありきだろう。出産育児に障壁となっている問題をことごとく大胆に改善するほうが先決だ。
野心のない若者が増えて、地元から離れない「マイルドヤンキー」が増殖中だという。それはそれで結構なことだと思う。ついでにいえば、そういう人々が子供をバンバン作ってくれればいい。
社会全体で出産育児に取り組む仕組みを検討する方が、女性管理職の割合うんぬんより有意義な話だと思う。
人間の特徴の一つが、生殖期を終えた後にいつまでも元気で生きていることだ。生殖活動を終えてから50年も生きているのは珍しい。鮭なんて卵を生んだらスグに死んじゃう。
ジイサン、バアサンは今後物凄いペースで増えていく。この人達が、将来の社会を支える赤ちゃんや子供の世話をサポートする制度なども検討されて然るべきだ。
超高齢化社会の在り方を研究している有識者から聞いた話だが、育児サポートの貢献度合いをポイント制にして、それに応じて年金支給額を増額したりすれば、ヒマをもて余している高齢者の生きがいにもつながって効果的だという。
もっともなことだと思う。
個人的には、婚姻外でもバンバン子供を作れるような社会慣行にしていくことを強く主張したいが、こればかりは日本的道徳の問題があるから、そう簡単にはいかないだろう。
なんだっけ?
そうだ。今日は「四半世紀で何がどう変わったか」を書こうと思っていたんだ。
軌道修正。
「書こうと思っていた」と書いてみたが、「書く」という言い回し自体がどうにも落ち着かない。正しくは「打つ」だろう。
四半世紀で変わったものの代表だ。25年前、もちろんパソコンはあったが、今のように猫も杓子も一人一台パソコンで仕事をする時代ではなかった。
新人記者時代、当然、原稿は手書きだった。修正も多いから鉛筆が基本。5年ぐらい経ってボールペンを使うようになった時には我ながらエラくなったと錯覚?したものだ。
電子メールなんてもちろん使っていない。だから電話で人と話す機会が多かったし、職場にはそうした声が溢れて騒々しかった。
すべてがアナログだった。音楽をダウンロードするという文化もなく、CDを買うかレンタルするか、ヘタすればそれをカセットテープに録音し直してオリジナルムード音楽集を作っていた。
ドライブデートの前には、一生懸命カセットテープを編集して、何曲目ぐらいでムーディーな路線にすべきかなどとアレコレ下らないことに時間をかけていた。
今ではあんなに小さな機械に数千曲もの音楽を詰め込んで持ち歩ける。クルマに接続すればそのまま全部聴けてしまう。カセットテープの時代には考えられないことだ。
あの時代からタイムマシンで今の時代にひとっ飛びで来たら、卒倒する人が続出すると思う。
一言でいうなら「携帯もインターネットも無い日々」だった。まるで違う国の話のように聞こえる。
あの時代の方が情緒があったとか、そういう懐古趣味はないが、実際にすべてがアナログだったから、今の時代よりもあらゆる物事や行動が濃かったことは事実だろう。
「成り行きで~」というノリは通用しなかった。待ち合わせにしても時間、場所をきっちり決めないと合流できないのは当然だった。
知恵を絞ったり、工夫を凝らしたり、何事においても力んでいたような気がする。それこそイマドキ言葉である「サクっと」片付くことが少なかったような記憶がある。
私が若かったからそう思うのだろうか。
よく分からないが、すべてが手軽な時代になったことを痛感する。
良いか悪いかと聞かれれば、もちろん良いことだろう。何事も手軽な方が便利である。
そうは言いながら、世の中すべてが無器用だったかのような昭和の頃を時々懐かしく感じる。
正しきオジサンの姿である。
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