東京出身。富豪になりたい中年男。幼稚園から高校まで私立一貫校に通い、大学卒業後、財務系マスコミ事業に従事。霞ヶ関担当記者、編集局長等を経て現在は副社長。適度に偏屈。スタイリッシュより地味で上質を求め、流行より伝統に心が動く。アマノジャクこそ美徳が信条。趣味は酒器集め、水中写真撮影、ひとり旅、葉巻、オヤジバンドではボーカル担当。ブログ更新は祭日以外の月曜、水曜、金曜。 ★★★スマホでご覧頂いている場合には画面下の「ウェブバージョンを表示」をクリックしてウェブ画面に飛ぶと下側右にカテゴリー別の過去掲載記事が表示されますので、そちらもご利用ください。
2016年2月19日金曜日
ゾワゾワする気分
何かが足りない。最近とみにそんなことを思う。ドーパミンとかセロトニンとやらの成分かもしれない。
難しいことは分からないが、自分の精神状態、心理状態がちょっとばかりグズグズしている。なんだかスッキリしない。
まあ、中年になれば日々スッキリシャッキリ暮らしている人などいない。とはいえ、中年の場合は気をつけないと割と簡単に心の病になるらしいからアドレナリンが出まくるような努力をしないとなるまい。
肉体的には快調だが、時々、脳に幕がかかったような感じになってタチの悪い脚のムズムズ感なんかも強まる。プチ更年期なんだろうか。
散歩に入浴、読書にエロ動画。このあたりに励めば気分を変えられるのだが、そんなことすらまったくやる気が起きないほどベロ~ンと動けなくなる時が増えた。
ベロ~ン問題。今後の私の課題である。
話を変える。
最近、自分でもちょっと変だなあと思うのが、やたらとモノをストックするようになったことだ。
病的なほどではないが、一人暮らしにしてはやや過剰な買い置きをする。少しずつ度合いが強まってきたから、数年後には病的なレベルに進むのかと密かに心配している。
行き着く先はゴミ屋敷に住む偏屈老人だったりして。ちょっと問題である。
都会暮らしだから近所にコンビニもスーパーもあるし、便利なネットスーパーの宅配も使いこなしているから日用品をストックする必要はない。
頭ではわかっているのに、食料品をはじめ、洗剤や柔軟剤、ハンドソープに歯ブラシやゴミ袋、割り箸、はたまた使う機会もないコンドームまでいっぱいストックしている。
籠城できるほどだ。誰も攻めてこないが。
冬には滅多に食べないソーメンなんかもストックが少ないことに気付くと大量に買ってしまう。もう買わないと心に決めたカップ焼きそばもナゼか常時5個ぐらいストックしていないと落ち着かない。
先日もギターのピックを8個も買ってしまった。すでに自宅にはいくつもあるし、肝心のギターは1本しかないのにバカみたいだ。
ストック病という言葉があるらしい。私ぐらいのレベルなら可愛いものだが、世の中には病的な状況の人も結構いるそうだ。
原因は不安の裏返し、達成感の欠如、はたまた愛情不足だとか。そりゃあ誰だって何らかの不安を抱えて生きている。いちいちストックしたって解決しないのに不思議だ。
私の場合、「意地」みたいな心理が影響しているのだと思う。独身生活に何ら不都合はないぜ、満ち足りているぜ!と自分自身に暗示をかけているのかもしれない。
御苦労なことである。そんなことを心の底で考えながら暮らしているのなら、それ自体、心が歪んでいる証拠みたいなものだ。危ない危ない。
時々遊びに来る娘が、ストックの多さに半ば呆れている。お菓子やジュース類もやたら多めに用意してあるが、あれは私の娘に対する「エエカッコしい」だろう。
父ちゃんとこは快適やで~。いつでも遊びに来いや~という魂の叫び?が原因だ。そんなところでハッスルしたって仕方がないのにアホである。
この頃よく聞く「断捨離」とは真逆のライフスタイルだ。断捨離は、人生や日々の暮らしに不要なモノを断ったり捨てることで、執着から解放されて快適な人生を手に入れようという発想だ。
もっともらしい言いぐさだが、文明社会で煩悩の沼に浸かって生きている以上、そんなご立派な生き方は簡単ではない。いや、そんな生き方をしたいとも思わない。
人生が狂わない程度に物欲や執着心と駆け引きしながら生きているほうがよっぽど楽しい。そっちのほうが文明人っぽいのは確かだろう。
どうせなら愛欲に執着して、恋人や愛人をストックしちゃうぐらいの傑物になりたいものである。
もしかして、災害が近いって本能が警告しているとか!(笑)
返信削除コメント有り難うございます!
返信削除そんなことになったら予言ブログとして注目されちゃいます。。。