2018年3月5日月曜日

安倍さんと麻生さん


5年と2ヶ月。安倍政権が発足してからの年月だ。第一次政権の時の在職日数と合わせると、既に戦後3番目の長さだとか。

佐藤栄作、吉田茂という大物に次ぐ第三位。数字だけ見れば大宰相だが、そんな貫禄をちっとも感じないのは気のせいだろうか。

国会論戦で自らヤジを飛ばしたり、最近もFacebookに朝日新聞を揶揄する書き込みをしたり、どうにも大物感とは程遠い。

まあ、マヌケな野党議員や朝日新聞にイラつくのは当然だが、それを態度や行動に出しちゃうあたりが度量の限界なのか。

くすぶり続ける森友問題の対応にしても「なんだかな~」という印象しか無い。

森友問題では、会計検査院が財務省による国有地売却価格の値引きを過大だと指摘している。単純に失策であり不祥事以外の何ものでもない。

問題はコトの発端だ。仮に安倍首相の“知らぬ存ぜぬ”が真実で、単に官僚による忖度(そんたく)がきっかけだったとしても、忖度を招いたことへの責任はある。

もちろん、忖度されたことで法的に罪に問われることはないし、辞める辞めないという次元の話ではないかもしれない。

それでも、忖度を招いたことを自らの不徳として詫びるような言動があっていいはずだ。

世の中、不祥事が起きれば、当事者はもちろん上役やトップにまで責任は及ぶ。当たり前のことだ。これが組織の緊張感維持に欠かせない。

モラルや道義的な意味合いだけでなく、民法にも「使用者責任」は規定されている。近年ではヤクザの親分にも暴対法の使用者責任が適用されるようになった。

組員の犯罪は、親分への忖度で行われとしても親分の責任が問われるわけだ。知っていたか否か、指示をしたか否かに関わらず、上に立つ以上、責任は生じる。

親分がボソっと「アイツは許しちゃおけねえ」とつぶやく。子分が意を汲んでそいつを袋だたきにしちゃったとする。これも「忖度」だ。もちろん、親分の責任が問われる。

極端な例えで正しくないかもしれないが、上に立つ人間の責任ってそういうことだと思う。

「僕は無関係だもん」と逃げ回ったり、ましてや居直るような人物ってどうなんだろう。ビミョーだ。杓子定規な強弁を続けるだけでは、無自覚極まりない。

財務省理財局長時代の国会答弁を理由に今の国税庁長官をどうするこうすると騒ぐ向きもあるが、あれだってコトの本質を隠すズレた話でしかない。

「すべて悪いのは財務省」として幕引きをはかりたい政権側の思惑通りだろう。

今の国税庁長官はあれであれでアウトだろうが、国会に呼んで追求すべきは彼なのだろうか。

森友学園に格安で国有地を払い下げた時の理財局長は彼ではない。あくまで彼の前任の理財局長に話を聞くべきであって、肝心のその当事者への追及が浮上しないこと自体が怪しい。

ついでに言うなら、麻生財務省の「我関せず」みたいな様子も腑に落ちない。コトが安倍首相への忖度であろうがなかろうが、インチキな処理をしたのは財務省であり、その責任者である財務大臣が悠然と構えているのがブキミだ。

今年の自民党総裁選も現状では風が吹く気配がない。安倍政権は更なる長期政権になる公算が強い。在職日数だけがどんどん大宰相に近づいていく。

大きく話は飛ぶが、結局、自民党内の派閥が牽制し合っていた中選挙区制時代の政権運営と、現状の小選挙区制をもとにした政権運営の違いが「なんとなく安倍一強」を作り上げたのだろう。

なんだか脈略のない小難しい話になってしまった。

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