2019年5月22日水曜日

キチンとする喜び


若い頃よりキチンとするようになった。何だかヘンテコな書きぶりだが、「ちゃんとしている自分」って嫌いではない。

独身生活がその理由だが、若い頃の一人暮らしの際はハチャメチャだったから別人みたいに変化したわけだ。

自宅も基本的には散らかっていないし、最近はタバコだってベランダで吸っている。律儀である。



食事の後の洗い物も速攻で終わらせる。洗った食器も割とすぐに食器棚に仕舞い込んで、水回りは画像のようにいつもスッキリしている。

週に一度、家政婦さんが来るのだが、あまり散らかっているのは恥ずかしいので、家政婦さんが来る直前にキチンとしはじめたのがきっかけである。

部分的にキチンとすると、その他の部分が気になる。だからそっちもキチンとする。好循環である。

真面目なのか、気が小さいのか、神経質なのか、見栄っぱりなのか、きっとミックスだろう。

ただ、根本には「いい歳して原理」が働いているのは間違いない。「いい歳して散らかり放題の家に住んでいる」、「いい歳して整理整頓が出来ない」みたいな世間様の目が恐いから、それなりにちゃんとするわけだ。

先日、3年半使っている洗濯乾燥機が故障した。ドラム式の洗濯乾燥機はたいてい3年ぐらいでおかしくなるらしい。ヒドい話である。

昭和のニッポン家電にはありえないダラしなさだろう。パソコンだのスマホだのITウンヌンが言われ始めてから、どうにも家電製品の信頼性が落ちた気がする。

不完全な製品を平気でバグとかいう一言で片付けて「そんなもんだ」、「仕方ない」で済ませる風潮が強くなったと思う。情けないことだ。

話がそれた。

洗濯乾燥機の故障で、買い直しの出費を覚悟したのだが、ふとわざわざ追加費用を払って「5年保証」にしていたことを思い出した。

保証書もすぐに見つかった。実にキチンとしている。我ながら自分のしっかり者ぶりにチョット感動した。

若い頃は保証書や取説もすぐに無くしていたから、ちゃんとした大人として生きていることが妙に嬉しい。

移転した職場でも、前の職場のように散らかり放題にしてはいけないと、日々奮戦中だ。

社会人のスタートが昭和の頃の記者稼業だったから、書類の山に囲まれて、デスク周りは乱雑極まりないのが標準だった。

無頼派を気取っていたのも若いから許されたわけで、それこそ、いい歳して昔のままではカッチョ悪い。



今のところデスク周りは片付いている。なんとか続けたい。モチベーションを保つために、殺風景な壁に自作の水中写真を並べてみた。プチギャラリーである。

根っからキチンとしている人には分からないだろうが、中年になってようやく発揮されるようになった私の“キチンと精神”は、自分を律する大事な心掛けになっている。

シングルライフは油断してしまえば、とことん自堕落になる。エラそうに書いている私だって、娘が時々わが家に泊まりに来たり、家政婦さんが来るという外的要因のおかげで、なんとかキチンと出来ているだけだ。

それが無ければヒドい暮らし方をしている可能性もある。実際、20代の頃に一人で暮らしていた部屋は、歩くだけで常に綿ボコリが舞い、水回りはすべてカビだらけだった。

それを自分ではちっとも気にしていなかったから、自堕落暮らしの素質はかなりあるほうだと思う。

人生後半戦、なんとかこのままキチンと暮らせればハッピーである。

キチンと働き、キチンと遊び、キチンと酔っ払い、キチンといかがわしい遊びもこなして、キチンとしたジジイになりたいものだ。

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