2019年12月20日金曜日

歩く楽しさと靴の関係


この秋ぐらいから意識して歩くようにしている。歩いた後は身体が少しだけシャキッとする感覚があるから、健康法というより気分転換が主な目的だ。

このところ雨の日以外は徒歩通勤だ。そう書くと頑張っている感じだが、せいぜい1213分の距離だ。ちっとも大変ではない。

たったそれだけの散歩でも身体の循環が良くなった気がする。普段あまりにも身体を鍛えていないから、その程度でも充分リフレッシュになる。

ことさらジムに行ったりするのはゴメンだが、私だって大昔は運動系の少年だった。野球はピッチャーとして頑張ったし、少林寺拳法もかじったし、学校外の活動でテニスも4年ほどやった。

今は歩くぐらいだから、もっと真面目に散歩に取り組まないといけない。



自宅から徒歩2分ぐらいの場所に「靴業発祥の地」なる記念碑がある。革製の西洋靴が初めて製造された場所だとか。

革靴が大好きな私としては、自宅の至近距離にそんな場所があったことに妙に興奮する。

日本人が革靴を履き始めたのは明治時代からだ。それまでは草履やワラジ、下駄である。電車もバスもない時代にそんなものでよく歩き回っていたものだと思う。

「男十里、女九里」という言葉がある。遠距離移動の際に、1日で歩く歩数のことである。男なら140キロ、女なら36キロという計算だ。江戸時代の標準である。

にわかには信じられない。まさに健脚。道路だって舗装されているわけではない。雨が降ればグチャグチャで馬や荷車も通るからデコボコ道が普通である。

そこをワラジで歩くわけだから。私だったら5キロぐらいで熱出して倒れそうだ。40キロも歩いたら、その後の数日間は生死の境をさまようはずである。

変な話、男性機能の強さは脚力に比例するのが通説だ。江戸時代の男達はおそらくバリバリに元気野郎状態だったのだろう。

ウタマロ伝説も元をたどれば健脚にも原因があるのかも知れない。

どうして、そっち方面に話が飛んでしまうのだろう。軌道修正。

今の住まいから職場がある京橋までは、碁盤の目というほどではないが、比較的、タテヨコ整然と大通りや細い道が配置されている。

無数の路地も方向が一定だから、適当に歩いても安心だ。だから徒歩出勤の際にはいつもその日の気分で歩くコースを変える。ちょっとした発見が楽しい。

こんなところに渋い和菓子屋があったのか、この床屋は穴場っぽいなあ、などとプチ探検気分で歩く。路上喫煙の穴場にも詳しくなった。

帰りはたいていどこかで飲んだくれてしまうせいで、しっかり歩くことは少ない。それでも寒さが厳しくない時には銀座あたりから夜更けの街をふらふら歩いて帰ることもある。

ネオン街を過ぎれば、街の様子はガラッと変わる。まさに眠りについた街である。そこをトボトボ歩きながら、昼の景観との違いを眺めるのも案外楽しい。



お気に入りの靴をその日の気分によって履き分けるのは、平日のちょっとした喜びである。

出勤の際、玄関でお気に入りの靴に脚を滑り込ませた瞬間にモードが切り替わる。グダグダモードから真人間モード?に変わる私にとっては大事なアイテムが靴だ。

まとめて業者に預けてピカピカにしてもらって間もないから、最近は毎朝ワクワクしながら靴を選ぶ。

雨の日は二軍、三軍の靴になってしまうので、グダグダモードが切り替えられない。ドンヨリと仕事場に向かうことになる。

雨が10日も続けば私の気力は完全にゼロになってしまう。私がマメに天気予報をチェックするのは靴のためである。ちょっとフラチかもしれない。

何が書きたいか分からない結論になってしまった。

2 件のコメント:

  1. 来年は、革靴製造150年で、革靴イベントがいろいろありますよ。

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  2. コメントありがとうございます。

    150年記念ですか。知らなかったです。ありがとうございました!

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