2021年1月15日金曜日

日本人の美徳と私権制限

あらゆる世論調査で政府のコロナ対策への不信感が示されている。内閣支持率も下がる一方だ。誰が見たってすべてが後手後手に回っているわけだから当然だろう。

 

来週からようやく始まる通常国会では新型コロナウイルス対策をめぐる、いわゆる特措法改正案が審議される。これだって今更感は否めない。

 

昨年、コロナ禍という状況なのに国会を長々と休会していたのに今になってドタバタと“やってる感”を出しているように映る。

 

特措法改正の焦点は休業要請に応じない事業者や行政の指示に応じない感染者への罰則の創設だ。事業者に対しては50万円程度の罰金を科す方向で詰めているようだ。

 




昨年3月の特措法改正では、付帯決議として「国民の自由と権利の制限は必要最小限のものとすること」という文言がわざわざ付け加えられた。

 

それから1年も経たないうちに「罰則ありき」があたかも至極当然かのような空気になりつつある。かなり恐いことだと思う。

 

「要請に従わなければ罰則」。要請は要請である以上、そもそも論理破綻した話だが、国会審議でどのように整合性をとるのか大いに気になる。

 

言うまでもなく私権制限の話である。国家権力にとって、いわば伝家の宝刀である。野党の中にまで私権制限の賛成派が少なくないことがブキミだ。

 

新型コロナ対応に実効性を持たせるという意味では有効かもしれないが、軽々に決めていいはずがない。憲法にも絡む重大なテーマだ。

 

菅首相は今回の緊急事態宣言について「限定的に集中的に行う」ことを強調したが、特措法改正についてもこの考え方が大事だ。

 

あくまで限定的で、なおかつ臨時的、時限的なものと規定するぐらいの慎重さが必要だ。いったん制度化されてしまったら、その後が問題になる。

 

一度決めてしまったことは前例主義や拡大解釈につながっていくのが世の常だ。

 

例えとしてはちょっと適切ではないが、かつて消費税導入をめぐって世論が紛糾していた際、政府関係者から聞いた話を思い出す。

 

当初は税率3%からスタートした消費税だが、政府関係者の弁は「最初は2%でも1%でも構わない。一度導入すればその後に上げていくのは簡単だ」という話。

 

もくろみ通り今や税率は10%。おまけに更なる増税を主張する意見も多く、それに対する批判の声は以前とは比較にならないほど弱い。

 

今回の特措法に関する議論では罰則の見返りに手厚い補償という話がセットで語られている。いわばアメとムチである。

 

アメにつられて反発の声は当然弱まる。それはそれで仕方ないし当然必要な措置だが、改正法が動き出した後が心配だ。

 

すなわち罰則は強化される一方でアメの部分だけ削られるような改悪だって簡単に出来るようになる。

 

コロナ騒動がパニック状態に近くなればなるほど「罰則は当然」という風潮は強まる。それでも私権制限というデリケートな話は慎重の上にも慎重であるべきテーマだ。

 

先の戦争の悲惨な結末をみれば、国家による私権制限の恐ろしさは言うまでもない。我が国の負の歴史は私権制限が原因だったと言っても大袈裟ではない。

 

その反省から安易な私権制限を禁じる法体系を作ってきたのが今の国の姿である。だから欧米のような強制的なロックダウンなどは行われなかったわけだ。

 

昨年春頃の見事なまでの自粛の徹底は罰則など無いなかで粛々と国民の自発的努力で行われた。世界に誇れる民度の高さが証明されたようなものだろう。

 

この国の美徳は、大震災の後ですら騒乱が起きなかったことを世界から称賛される国民性にある。

 

それを忘れてすべてが後手後手のまま迷走する政府に私権制限という強力なカードを安易に持たせることは非常に危険なことだと思う。

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