私はいっぱしの大人だ。大人というより人生後半戦にあるレッキとした中年、高年期直前である。
そんな私の恥ずかしい特徴は「好き嫌いが多い。おまけに猫舌」である。まるで子供レベルである。
年齢とともに演技が上手くなったから、好き嫌いの多さや猫舌であることを隠すことは得意だ。さすがに堂々と宣言するのはちょっと恥ずかしい。
猫舌だから鍋焼きうどんなんて絶対に食べない。食卓に運ばれてから食べ始めるのに20分は待つ必要がありそうだ。
味噌煮込みうどんとか、あんかけラーメン、ジュージューと音まで出している中華料理のおこげも無理。
ご飯類ならジッと待てば食べられるが、麺類は厳しい。私が食べられる頃にはデロデロに伸びてしまう。
猫舌なのに熱燗は大好きだ。逆にぬる燗、人肌燗などは苦手だ。チンチンに熱くしたお燗酒が最高だ。
家飲みの際、ウチで燗付けする時は「お燗メーター」を使って60度ぐらいになったら飲むようにしている。
徳利が熱くて持てないぐらいが私の適温。おしぼりで徳利を包みながら注ぐぐらいで丁度いい。
冬場は町中華の店で餡がたっぷり載ったラーメンを食べている人を目撃する。玉袋筋太郎のBS番組「町中華でやろうぜ」でもそんなシーンは多い。
あれをハフハフとウマそうに食べている人をみると素直に尊敬する。憧れのまなざしで見てしまう。玉袋のことも尊敬する。
猫舌に関してはちょっと時間をおけば何とかなるが、好き嫌いに関しては困ってしまう。時間が経ってもどうにもならない。いっそうマズさが増すことすらある。
ある時、焼鳥屋さんでボケっと飲んでいたら私が絶対に注文することの無い茄子の煮浸しが出てきた。サービス品である。
茄子は大嫌い、煮浸しみたいな料理も嫌いだ。目の前の茄子はそんな私をあざ笑うかのように佇んでいる。
冷や汗が出そうになる。サービス品だから、オカミさんには嬉しそうな顔でお礼を言って口の中に放り込む。
吐きそうになる。必死に違うことを考えながら噛まずに一気に飲み込む。人よりも食道が広い身体で心底良かったと思う。でも涙目になる。
ある時はシャレたレストランで謎の食べ物が出てきて卒倒しそうになった。皿の上に枝みたいな物体が鎮座している。はたしてこれは食べ物なのだろうか、ここから何かウマそうなソースでもかけるのか、はたまた炎のフランベでも始まるのかと、じっと見つめていた。
じっと見ていても何も始まらなかった。睨んでみてもコイツは消滅してくれない。仕方ないから少しづつカットして噛まずに頑張って飲み込んだ。つらい思い出である。
もともと野菜全般が嫌いだったのだが、ここ数年、薬味の野菜やタマネギあたりは大好物になった。とはいえ、相変わらずニンジン、ピーマン、セロリといった子供が嫌うような野菜は全部ダメだ。
飲み屋さんでタマネギステーキを頼むことがあるのだが、これを食べていると「好き嫌いを克服した立派なオトナ」になったような気がしてナゼか万能感に浸る。
どっさりネギを載せたネギチャーシューメンを食べる時も自分が“野菜を好んで食べる立派な人”に思えて自己承認欲求が満たされる。
昔はマックのハンバーガーに入っているネギも苦手だったし、ピクルスには殺意を覚えた。今ではピクルスも好きでウキウキ食べるほどである。
野菜嫌いにとって大問題なのは家メシである。飲食店なら人の目を気にして野菜も我慢して食べる、いや噛まずに飲み込む。その点、家では自由気ままに野菜を排除できる。
中華料理屋の五目焼きそばをよく注文するのだが、乗っかっている野菜の大半は除ける。
チンゲン菜や青菜も芯のあたりは捨ててシナシナの葉っぱ部分だけを食べる。もはや五目ではなく「二目」ぐらいの状態で食べるのが好きだ。
ライオンだって野菜なんかちっとも食べないのに元気だ。そう思えば私だって野菜から逃げながら半世紀以上も元気で生きているわけだから今更無理に食べても仕方ない。
というわけで、野菜のヤの字もないフィレオフィッシュをむさぼり食いながら頑張って生きていこうと思う。
なんだかシマリのない話になってしまった。
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