2014年6月6日金曜日

背中は語る


男の肩と背中には

むかしの影がゆれている

恋も涙も悲しみも

だれにも言えない傷あとも



その昔、プロ並みの歌唱力で人気を集めたニヒルなお相撲さん・増位山がヒットさせた「男の背中」である。

なかなかカッチョいい歌詞だ。

男の背中には様々なものが揺れているらしい。ホンマかいな?である。

俗に「背中で語る」とか「背中に漂う哀愁」とか言われる。男の背中は何かと意味ありげな存在として世間にイメージされているわけだ。

そうだろうか。アマノジャク的な解釈をすれば、中高年になると腹筋も背筋も弱くなって、ふと気を緩めると背中が寂しげに丸くなる。その結果、どことなく切ない雰囲気を漂わせているだけではないだろうか。

私の場合、まず間違いなくそうだと思う。「むかしの影」などスグ忘れちゃうし、「だれにも言えない傷あと」などありゃしない。おまけに背中に「恋」や「涙」など背負っちゃいない。

そうはいっても、確かに世の中を歩くオトナの男たちの後ろ姿を眺めていると、不思議と様々なストーリーを背負ってるんだろうなあ、と感じ入る。

女性の背中にはそれを感じないのに、男の背中にはそんな印象がある。不思議である。

女性には失礼な言い方かもしれないが、男のほうがピーチクパーチクと感情を発散できない人が多い。思ったことは内に秘めたり、取りつくろえない。その鬱憤みたいなシコリが背中に溜まっていくのかもしれない。

まあ、平均寿命が女性よりはるかに短いのが男という生き物だ。いろんな葛藤のせいで背中に表情が生まれるのも仕方ないことである。

言うまでもなく背中は後ろ側である。女性ほどには自分の後ろ姿に関心を向けない男にとっては注意力が反映されない場所だ。だからその男の特徴が背中に表れるのだろう。

健康面、エネルギー、孤独感、強がり、意地、脅え、プライドみたいなものが背中に滲み出ている。

背中はウソをつかない。浮ついた背中、薄っぺらい背中、自分の世界を持っているドッシリした背中なのか否か。いっぱしの大人の男の背中には確かに表情がある。

昔から「男は外に出れば7人の敵がいる」と言われる。後ろ姿に関心を向けない男とはいえ、自分の目が届かない背中にも然るべき緊張感を漂わせないとなるまい。

スキだらけの丸まった背中になると、もはや「男の背中」ではなく「爺ちゃんの背中」になっていく。

喜怒哀楽の表情を作って取りつくろえるのが前側だ。後ろ、すなわち背中はそんな器用なことは出来ない。だから面白いのだと思う。

なんだか、書く内容がまとまらなくなってきた。





男の背中の話ばかり書いてみたが、女性の背中も捨てがたい魅力がある。無防備じゃない魅力とでも言うべきか。

女性の場合、後ろ姿への気配りは男の比ではない。背中もしっかり見られている意識が高い。

髪型、うなじの見せ方に始まり、背中のスキンケア、むだ毛脱毛、はたまた背中の肉を取るためのエクササイズに励む人もいる。

無頓着な男は、髪を整えるときでも正面の鏡に映る部分にしか目が行かない。後ろ側がスンゴイことになっているのにスカした顔で電車に乗っているオジサンも珍しくない。

女性の場合、後ろ姿が驚異的に綺麗で永遠に見とれていたいような人も大勢いる。ああいう美への努力は、世の男性陣全員がしっかり賞賛しないといけないと思う。

美しい背中を持つ女性を前にしたら、うなじから首筋の付け根、はかなげな肩のラインから肩甲骨へ、そして腰のあたりにかけての「旅」をいつまでも繰り返していたいものだ。

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