2018年6月25日月曜日

ウソがヘタ


知り合いにウソばかりつく女性がいる。自慢げに見せられた彼氏の画像と、以前に見せられたストーカーだという人物の画像がどう見ても同一人物だった。

ストーカーだった人が彼氏に昇格したわけではなさそうだし、どうも妄想癖があるようだ。そういう人をメンヘラというのだろうか。

こういうウソにツッコミを入れたら気の毒なので、こちらは気付かないフリをする。ひとしきり話を聴いてふんふんとうなずく。それが賢明だ。

あくまで推測だが、どうやら自分には言い寄ってくる男もいるし、日々あれこれバタバタしてるんだぞというアピールに励んでいるみたいだ。ご苦労なことである。歪んだリア充である。

リア充アピールが世の中に広まったせいで、くだらないウソが大量に出回っているのが今の社会だろう。

まあ、見栄みたいな可愛いウソに目くじらを立てる必要もない。人間なんて基本的には、いわゆる承認欲求みたいな心理で生きているから、自慢めいた言動に走りがちだ。

そうはいっても、私も若い頃だったら今のような他人様のリア充アピールの洪水の中で、すべてを鵜呑みにしちゃって悶々としたかもしれない。

ある程度の年齢になって、それなりに達観すれば周りがヤイノヤイノしていても普通にやり過ごせるのだが、若い頃はさすがに他人様が気になっていた。

やたらと誰かと比べたり、少しばかりの優劣を気にしていた。それが若さなんだろう。逆にそれが向上心や負けじ魂の元になっていた部分もある。

SNSに害されている今どきの若者は大変だと思う。背伸びすることに疲れてメンヘラ状態な人も大量発生しているはずだ。少し気の毒に思える。

さて、ウソの話である。冗談としてのウソは私の得意技だ。「実は父親がクロアチア人なんだ」とか「プロボウラーの資格を持っている」とかのバカげたウソを日夜連発している。

でも、ちゃんとしたウソ?が苦手だ。もっと器用にウソがつけたら違った人生があったんじゃないかと思えるほどだ。

ウソをつくと目が泳ぐ。表情が変わる。これではダメだ。ドッシリとした様子で表情一つ変えずに大胆なウソを語ってみたいものである。

吉田茂だったか佐藤栄作か忘れたが「心の底から真剣にウソをつけば真実になる」と語っていたらしい。なんかカッチョいい話だ。

ヘタれた私の場合、人の目を見てウソをつくことができない。だから相手の鼻先や眉間を見つめて頑張ってみる。しっかり目を見て話しているように錯覚してもらえる。でも、身体や表情がぎこちなくなるのは避けられない。気が弱いんだと思う。

堂々と相手を信じ込ませるウソがつける人は詐欺業界なんかでは引っ張りだこだろう。見え透いたウソをつくバカとは違って、一種の才能だ。ビジネスの面などでは大いに参考にしたい。

もちろん、対女性問題でもアノ才能があれば世の中が楽しくなるはずだ。女性という生き物は男に比べて「疑いのカタマリ」である。身を守りたいというDNAのなせるワザだろう。

対する男はウソがヘタだ。これも古くからの因習で「男らしく」「男たるもの」みたいな固定観念のせいで、ウソを闇雲に罪悪と思い込んでいることが背景にある。だからアタフタする。

確かにウソは悪いことだが、必要なウソもあれば、許される程度のウソもある。そんなウソならサラっとこなしたい。

ちなみに私が最近ついたウソで、相手が信じちゃったやつをあげてみる。

「大学生の頃、アルバイトで渡哲也の付き人をしたことがある」。

「マレーシアに旅行したときにマントヒヒのモモ肉を食べた」

「初体験の相手が友人の母親だった」

こういう話をすると、周辺事情というか、枝葉の話について質問攻めにあう。そこを乗り切るのがポイントである。

経緯や細かいディテールを聞かれても、その場でもっともらしいウソを上塗りできれば完璧である。

瞬時に整合性の取れた話を構築するわけだから脳ミソはフル回転だ。ボケ防止に非常に有効だと思う。

ただ、最後には「ウソだよーん」と明かしてしまう。そこが私の限界である。シレっとした顔でそのままに出来たら私もいっぱしの詐欺師予備軍になれるかもしれない。

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