2024年4月26日金曜日

六大学野球とナポリタン

 

「昨日亡くなった誰かが生きていたかった日」。今日はそういう日だ。要は一日一日無駄に過ごしてはいけないという戒めのような言葉である。

 

果たして自分はどうだろう。無駄な時間ばかり過ごしている。きっと最後の段階でもっとあーすれば良かった、こーしておけば良かったと後悔しまくるのだろう。そんなもんだろう。

 

予定のない休みの日などはダラダラ寝坊してメジャーリーグ中継を観て、ベランダでタバコを吸いまくって散歩に行って大福を買って食べるといった同じようなパターンで過ごしている。

 

ラジオ体操を10回ぐらいやってみたり、料理教室に通ってみたり、熟年お見合いバスツアーに参加すればいいのになかなか新たな試みにトライしない。もったいないことだと思う。

 

この前の週末、たまには変わったことをしようと六大学野球を観戦に行った。数十年ぶりである。観戦したのは明治対東大。東大戦なら観客もまばらだろうと思ったのだが、実際にガラガラだった。妙にゆったり野球を楽しめた。

 




応援団席にまとまったお客さんがいるぐらいで一般内野席はチラホラと観客がいる程度。いとも簡単にネット裏に陣取って野球観戦が出来るのだからなかなか画期的な時間だ。

 

これなら老後の趣味にも良さそうだ。ちゃんとビールの売り子もいる。内野席全体で23人だったから注文するのがちょっと大変だったが、コロナ明けの頃はプロの試合でもアルコールが禁止だったことを思えば天国である。

 



この歳になって学生野球を真面目に見てみた感想は素直に清々しいの一言。ハタチ前後の若者が必死に野球を頑張っている姿は眩しい。パスボールをバックネット裏付近まで追いかけてきた東大のキャッチャーの必死の形相になぜだかちょっと感動した。

 

プロ注目の明治・宗山選手の打席もしっかり見てきた。今年のドラフトの目玉だけにさすがに立ち姿から他の選手とは違うオーラを感じた。打撃、守備ともに身のこなしが柔らかい。別モノだった。

 

想像以上だったのが東大野球部の頑張りだ。もっとヘロヘロなイメージがあったが、ホームランは打つわ外野ではファインプレーを連発するわ、かなり鍛えられている印象だった。

 

私の人生には縁もゆかりもない東大だが、判官びいきで東大野球部のファンになってみるのも面白いかもしれない。電光掲示板に表示された選手の出身高校も明大とは当然ながらまるで違う。プロ予備軍が何人もいる明大相手にキチンと試合になっていただけで褒めたくなった。

 



試合観戦後、神宮球場の周りを散歩する。中学3年から2年ぐらいこの近辺のテニススクールに通ったことを懐かしく思い出す。女子が大勢いたから男子校生だった私の胸はいつもキュンキュンしていた覚えがある。青春初期の甘酸っぱい思い出を辿りながら時の流れの速さに唖然とした。

 

老け込んでばかりもいられないとその後はレンタルチャリで帰宅することにした。外苑前から赤坂、霞が関、日比谷、東京駅を経由して30分かからない程度の距離だ。運動不足解消を目論んだが、やはり電動自転車はちっとも疲れない。単に心地良いだけだった。

 

話は変わる。休みの日には簡単調理も手掛ける。まな板と包丁を使わないという私のルールの中で今回作ってみたのがナポリタンである。


野菜嫌いなのにピーマンとタマネギまでちゃんと入れた。もっとも冷凍カット野菜を取り寄せて使ったので自分では料理っぽいことはしていない。

 

ピーマンは親の仇ぐらい嫌いなのだが、不思議とナポリタンには入っていて欲しい。味の完成度に不可欠だと思う。それ以前にピーマンを抜くとナポリタンとは名乗れない気がしたのでしっかり投入。これを怠たら負けた気がするから仕方ない。

 

ソーセージはシャウエッセンだ。それも普通バージョンではないシャウエッセンプレミアムである。このあたりのコダワリが私のエンゲル係数を破壊的にするのだろう。正直、普通もプレミアムも味はたいして変わらない。

 



で、それっぽく完成。レトルトのナポリタンソースをベースにちょこっと余計な味付けをしていっぱしのナポリタンが出来上がった。味も実に真っ当で満足した。でもちょっと意外だったのが麺の茹で加減である。

 

イタリア人並みにアルデンテにうるさい私だ。普段、自宅でパスタを作る時はかなり硬めに仕上げるのが基本だ。ナポリタンも同様に作ったのだが、不思議なことにナポリタンにはアルデンテが合わないような印象があった。

 

あくまで個人的な感覚だが、ナポリタンの麺はモサっとしてるかブヨっとしてるのが正しい姿だと感じた。やはり昭和に生まれた日本のオリジナル料理だからそこが大きなポイントなのかもしれない。茹で置きしたムッチリ感がナポリタンの真髄だと気付いた。

 

「パスタ」どころか「アルデンテ」という言葉を誰も使っていなかった時代の食べ物だ、謎のソフト麺ですらスパゲッティーという名前を臆面もなく名乗っていた時代の産物である。麺は規定時間通りに茹でるぐらいでちょうど良かったのだろう。

 

こんな発見をしたぐらいだからこの日の私の時間は無駄ではなかった。大いに意味のある一日だった。無理やりそう解釈することにした。





0 件のコメント:

コメントを投稿