2025年10月31日金曜日

18年の日々


このブログを書き始めたのは2007年の10月からだ。気づけば18年も経った。我ながらビックリである。最初は職場のSEО対策の一助になればと考えたのだが、早いうちにそんな目的は忘れ去り、個人的な身辺日記に終始し始めた。

 

内容はともかく18年という歳月はかなりの時間だ。生まれた子が成人するほどの年月である。今から18年前だから42歳の頃に始めたわけだ。40代と50代という人生の円熟期?の日々をまるまるカバーしていたことになる。

 

18年前の私は普通の家庭人だった。当時子どもは6歳と1歳。イクメンみたいなことにも励んでいた頃だ。結婚は2回しかしていないから家庭人だったのは通算でも15年ぐらいか。それもまた人生経験になった。

 

それなりに頑張って父親役もこなした、その後は愛人も囲ったし離婚もしたし、優雅な独身貴族を謳歌もした。ナゼか今は娘と二人暮らしだから準家庭人みたいな日々である。

 

豊島区に構えた家は元嫁に差し上げてしまったから、その後は文京区内を転々とし、会社の移転に合わせるように中央区に引っ越し、中央区内でも今は3か所目だ。

 

18年前に今の暮らしはまったく想像できなかった。流転というほどではないがかなり環境は変わった。20年近い歳月は状況を大きく変えるものだと痛感する。

 

逆に言えばこの先の18年なんてもっと想像できない。平均寿命の観点から見れば18年後はまだ生きている可能性は高い。でも私自身は70代前半ぐらいでオサラバしちゃっても構わないと思っているので、もしそうなるのなら18年もの時間は残っていないことになる。

 

なかなかシュールな話だ。そう考えるといま生きている日々って凄く貴重だと思う。このブログを書き始めた時から今日まではアッという間だった。その程度のアッという間の時間がヘタするとこの先は残っていないわけだ。ちょっとゾワゾワしちゃう。

 

この18年、有難かったのはとくに大きな病気にならなかったことだ。コロナやインフルは風邪みたいなものだし、すい臓に時限爆弾があると医者に脅されてはいるが定期検査でとくに問題はない。

 

十数年前、歩けないほどの腰痛に難儀したこともあったが、あれも離婚前後のゴタゴタによるストレスが腰に来ただけの話だったのだろう。扁桃腺も年齢的に腫れまくる頻度は激減した。むしろ20代、30代よりも体調面では順調だったかもしれない。

 

サプリやら各種の薬は真面目に飲んでいたが、そのせいもあって健康に気をつけた食生活に努めたことはない。いわば好きなものしか口にしない半生だったのに60年も支障なく過ごせたわけだから幸せだ。そのツケがこの先に待っているとしたら怖い怖い。

 

男性機能もまったく問題ない。下世話な話にはなるが、この部分は案外重要だろう。男として現役を実感する時間ナシでは日常が味気ないものになるし、活気が湧いてこなくなる。

 



むしろ今では現役であることの確認のためだけに無理に頑張っている感じもある。正直に言えばメンドーでカッタルイなあなどと思いながらオネエサンがたとの“試合”に臨むこともある。我ながらバカだと思う。実にご苦労なことだ。

 

18年前はまだまだ水中撮影に必死になっていた頃だ。さすがにあのエネルギーは今はない。環境が環境だけにあの趣味は無理をすると命にかかわるから自分の体力に見切りをつけて引退した。でも学生時代から30年以上も夢中になれた趣味を持てただけでラッキーだった。

 

15年ほど前に始めたバンド活動は今も継続中だ。今年も11月後半にライブを予定している。練習も佳境に入ってきた。今年も今まで以上に盛り上がりそうな演目を用意している。

 

毎年100人以上のお客さんの前でシャウトしたりアホなМCで笑いを取ったりしているのだが、思えばこれだって18年前には想像していなかった姿だ。変われば変わるものだと痛感する。

 

18年前、自分がなりたかった60歳になれたかといえば答えはノーだ。全然ダメだった。でも人生ってそんなものだろう。とはいえ、この18年間に特別な後悔や無念さを感じているわけではない。もっと言うなら、たとえ18年前に戻ったとしても似たような日々を過ごすと思う。

 

さてさて、残りはあと何年残っているのだろう。一応そんな感覚にとらわれているが、きっと明日にはそんな感傷的な気持ちはどこかへ忘れてヌボーとした時間を過ごしているはずだ。

 

人生は成りゆき。今更ながらそんな言葉しか出てこない。それはそれで幸せなことだと思う。

 

 

さて、今日もペヤングの話です。

 





「岩井の胡麻油付き」という謎めいたペヤングだ。胡麻油のブランドなど私にはチンプンカンプンだが、きっと評判の良いものなのだろう。「ソース焼きそばに胡麻油」というだけでダメな味を想像したのだが、案外ウマかった。

 

ヘンテコペヤングの中でも「マヨツナ味」「世界の山ちゃんコショウ味」と並んで「むしろウマい」と言いたくなるシリーズだと思う。これもまたソースや胡麻油は7割かせいぜい8割だけ投入することがポイントだと思う。

 

ペヤングシリーズ、まだ続くので苦手な人はごめんなさい!






 

 

 

 

 

 

2025年10月29日水曜日

東京っぽさ

 更新が追いつかなったので過去ネタを載せます。「東京っぽさ」についての話。10年前はまだ平日の浅草は人混みも少なくノンビリしていたことを思い出す。


https://fugoh-kisya.blogspot.com/2014/01/blog-post_22.html





2025年10月27日月曜日

フレンチは苦手だけど

 

いい歳した男ならこだわりを持つべきだと長年このブログで書いてきた。一応いまもそう思う。何事においても自分の軸や芯みたいなものが無ければ頼りない。ただ流されているだけなのはシャバダバだろう。

 

とか言ってるくせに最近の私はかなりテキトーになってきた。いろんなことに執着心が無くなってきた。良し悪しは分からないが、それもそれでアリだと自己肯定している。

 

こだわりって時には単なる意固地や偏屈にも化けるから程度問題だ。考え方をしなやかに保つには「テキトー」もまた大事だ。高田純次師匠を尊敬する私としては自分の中の「こだわり男」と「テキトー男」をうまくコントロールしながら過ごしていこうと思う。

 

さて、前フリが長くなったが、こんなことを書くきっかけになったのが「コースのフレンチ」なる私が最も苦手とする料理を楽しく食べたことがきっかけだ。

 

とはいえ、肩が凝りそうな高級店ではない。銀座のママさんに連れて行かれた銀座7丁目の小洒落たカジュアルフレンチである。長い付き合いのママさんがご馳走すると言い張るので店選びを任せたらそんな店を指定してきた。

 

5年ぐらい前までの私なら他の店に変えてもらったはずだが、今はテキトー路線に傾きつつあるので素直に提案を受けてみた。

 

この半年、小麦の摂取を減らすためにパンをほとんど食べていなかったから久しぶりにバターを塗りたくったパンを求めていたのかも知れない。

 

お店の名前は「地球星」。雑居ビル4階に構える。カーテンの使い方が上手だから席によっては個室感覚にもアレンジできるようだ。食べ物はその日のコースのみ。ある意味潔い。

 

前菜、スープ、魚料理、肉料理にデザートだ。アルコール類は飲み放題のシステムで料理と合わせて何と一人8千円税込みである。スパークリングやら白赤のワインをぐびぐび飲みまくっても8千円である。気取った居酒屋で飲むより安く上がる。

 




飲み放題のアルコールには期待できないのが普通だが、この店ではグラスワインでも出てくる料理ごとに違う銘柄を選んでくれる。かなり気が利いていると思う。

 

料理も全体に優しい味付けで日本人が日本人向けに作った取っつきやすい味わいだった。ビックリするほどウマいわけではないが、すべて普通に美味しく食べられた。

 





おかわりできるホカホカでモッチリしたパンがまた良かった。トリュフバターを相棒にすれば延々と食べていられそうなほどだった。

 

銀座の一等地でこういう店は貴重だ。ワインの銘柄に何もこだわりがない私には便利な店だ。フレンチは重くて苦手だが、こちらの料理はフレンチ風家庭料理みたいなノリだったから何も問題なし。気軽に若い女子などを連れていくには悪くない。使い勝手は良さそうだ。だから結局支払いは私が済ませた。意味不明である。

 

ちなみに、誘われた時に「ウゲ~、フレンチなんかイヤだよ」と断ったらこういう店を知ることはなかったわけで、改めて偏屈なこだわりが強すぎると自分の世界を狭くするだけだと痛感した。

 

まるで意味は違うが「老いては子に従え」という格言をフッと思い出した。自我を抑えて年下の考えに沿ってみるのも偏屈ジジイ予防策として有効だと思う。

 

ちなみに我が師匠・高田純次先生は「老いても交尾したまえ」という格言を残している。どちらも本質を突いた素晴らしい言葉だ。胸に刻んで生きていこう。

 

 

というわけで、ここで本日のヘンテコペヤングに話を移す。

 



たらこ焼きそばである。この味を試すには「超大盛」というサイズしかないから仕方なくお湯をやたらと投入して作成。もちろん完食など無理だ。あくまでヘンテコペヤング研究が目的だから3分の2は捨てるハメになった。ごめんなさい。

 

たらこスパゲッティーが好きな私としてはかなり期待したのだが、あまりたらこ感は強くなく中途半端な味に感じた。ドデカサイスのカップ焼きそばを食べたい人はやはり普通のソース焼きそばを選ぶような気がする。

 



マズくはないけど印象に残らない。そんな感じ。大量のお湯を捨ててソースを混ぜ合わせて完成した時の量の多さにゲンナリしちゃったのが正直なところだ。40年前ならもっと興奮しながらむさぼった可能性は高い。


それにしても出来上がったペヤングの画像ほど「映え」ないものはない。パッと見はみんな同じだ。さすがペヤングである。




 

 

 

 

 

 

2025年10月24日金曜日

松茸ペヤング

 この半月ぐらい誕生日を言い訳に還暦祭りという趣旨で日々いろいろハシャいでいた。で、簡単に体調を崩した。さすがに還暦だけのことはある。実にだらしない。寄る年波には勝てないとはまさにこのことである。


普段より多めに遊び歩いたぐらいで熱を出しちゃうわけだから身体は正直だ。連日のように夜遊びしていた40代半ばまでが体力面では一つの境目だった気がする。そこから体力は落ちていく一方だ。もろもろ自覚しないといけない。


残念なことに中高の還暦記念同窓会も欠席した。たまたま会場が我が家から徒歩10分の距離という幸運に恵まれたにもかかわらず当日にキャンセルするハメになった。


100人近くが集まったようなので、おそらく半分ぐらいの面々とは残りの人生で顔を合わせる機会はないだろう。それもシャクなので幹事の方々にはゼヒ10年後にも記念同窓会を企画してもらいたい。


というわけで今日はペヤングの話だけ書く。さすがにとっくに飽きている。ペヤングは2ヶ月に1度ぐらい食べてこそウマいのだろう。それを言っちゃあオシマイか…。


このブログの末尾で毎回紹介しているペヤングはノーマルのペヤングではなくヘンテコ系だ。どれも個性的かつ方向性の違う味付けだ。それなのにナゼか「ペヤングはペヤング」という食後感は共通している。


わかりにくい表現かもしれないが、それこそがニッポンのジャンクフードの横綱・ペヤングが持つ魔法の力かもしれない。




今回、10種類ほどのヘンテコペヤングを取り寄せるきっかけになったのが「松茸ペヤング」である。発想が突き抜けている。善し悪しを語る以前にそんなものを商品化しようと考えた人を尊敬する。


定価でも1000円近くするらしいが、希少品だったようでネットではバカげた値段で売られている。私も2個セット3500円で買った。バカである。




乾燥松茸がかなり使われていたのが驚きだ。小袋を開けた途端にしっかり松茸の香りが広がる。どうやら本気で商品化されたようだ。


で、食べてみた。ペヤングというジャンクフードの王道を自己否定するかのような上品な味付けだ。ふむふむ、妙に美味しい。とはいえ、素直にウマいと喜べない自分もいる。


「ペヤングにそれは求めてないんだよなあ」。そんな言葉を口に出してしまう。普通のペヤングを愛して50年。私の中に染み付いたペヤングDNAのせいで、お吸い物のような優しい味わいの松茸ペヤングには違和感しか無い。




半世紀に及ぶ我がペヤングの記憶をすべて消し去って味わえば普通にウマいウマいとむさぼり食うのかもしれない。人間の味覚は実に厄介だと感じた。


いろいろ書いたが、この摩訶不思議ペヤングは名ばかりの松茸風味のインチキ食品とは違い、ちゃんと松茸を楽しめる真面目な商品であることは確かだ。


ヘンテコとか言って申しわけない気分だ。心からお詫びしたい。


でもやっぱりヘンテコだった。







2025年10月22日水曜日

寿司修行、5周目?


寿司の修行に長年励んだ。それこそ全国各地で修業した。客としての修行だ。30歳ぐらいの頃、将来、どんなお寿司屋さんに入っても悠然と構えていられるオヤジになろうと決意したのがきっかけだ。

 

修業時代は、時に笑われ、時に叱られ、時にはボッタくられてさまざまなことを学んだ。かなり詳しくなった。自分なりの“寿司ポリシー”も確立した。

 



それこそ3周、4周と修業を重ね、いまは5周目ぐらいだろうか。意味不明だがそんな感覚がある。5周目ともなると、かつてはクサしていた回転寿司の存在意義もよく分かるし、なんならファンになった。シャリにハンバーグが乗っていても構わないと思えるようになった。

 

回転寿司に限らず、カジュアル系の回っていないお寿司屋さんへの向き合い方もだいぶ変わった。かつては凛とした佇まいの個人店こそ正しい寿司屋であり私の修業の場だと思っていた。ちょっと偏っていたと思う。カジュアル系のお寿司屋さんにはそっちならでは良さがある。

 

一品料理も豊富で写真付きメニューがあるようなカジュアル系のお寿司屋さんはたいていが大箱系だ。職人さんとの距離が近過ぎないのも良い。

 

常連になった個人店だとどうでもいい世間話の一つもしなきゃというヘンテコなプレッシャーがかかる。お寿司そっちのけで同行者とバカ話するのも適度に控え気味だ。

 

その点、カジュアル店はカウンター居酒屋に近い感覚で過ごせる気安さが有難い。言葉は悪いが雑な気分のままでホゲホゲできる。これって案外大事な要素だ。

 

修業が長かった私は、それこそメニューも無くネタケースも表に出ていないような個人店で店主と向き合うのは得意だ。季節ごとの魚も分かるし、自分なりの組み立ても確立している。店主とのやり取りの中でウマいものを引き出したり、ワガママにならない範囲で気の利いたツマミを作ってもらって楽しく過ごす。

 

もちろん、それなりに気は使う。高級店ではちょっと背筋が伸びているだろうし、知ったかぶりにならない程度に上手にこちらの知識を混ぜながら「寿司に詳しい客」であることを何となくアピールしがち。大げさに言えば試合しているような感覚だ。

 

カジュアル系のお寿司屋さんではそういう要素は全部ナシだ。自分が作り上げてきた“寿司道”に完全に背を向けてあっけらかんと過ごせる。邪道メニューもバンバン食べる。サーモンだって普通に食べちゃう。

 




こちらはアチコチに店舗を持つ築地玉寿司の築地本店で頼んだ「塩辛手巻き」と「たらこマヨ手巻き」である。こういう“プチ邪道”ばかり頼んでしまう。またそういうズレた頼み方をしやすいのがカジュアル系のお店の有難さだ。

 

元をたどればお寿司屋さんは江戸時代のファストフードが出発点だ。カジュアル系のお店のほうが本来の流れを汲んでいるという解釈もできる。

 

支店をいくつも持つ大箱カジュアル系の店は、仕入れの点でのスケールメリットも強みだ。ネタの種類の多さは個人店の比ではない。高級個人店の“仕事系”にはもちろんかなわないようなモノもあるが総じてちゃんとしたネタが揃っている。

 



この画像はナマの穴子の炙り。巣立ちと塩で食べた。こういう面白いものも日替わりで用意されているのも楽しい。高級個人店でありがちな「こだわりの押し付け」みたいな要素も皆無だ。

 

カジュアル系と表現してみたが、好き勝手にさんざん食べてしっかり飲めばそこそこの値段にはなる。その点はさすがにお寿司屋さんというカテゴリーだ。それでも中途半端な高級寿司屋のお仕着せコースを食べさせられるより満足度は高い。

 

考えてみれば私の長年にわたる「修行の成果」をいかんなく発揮できるのはカジュアル系のお店かもしれない。なによりネタの種類が多く、こだわりの押し付けも無く、ワガママなオーダーも当然のように受けてくれる。基礎知識を備えていれば縦横無尽に寿司時間を楽しめる。

 

時には凛とした個人店でダンディーな寿司通オヤジを気取り、時にはカジュアル系の店でセオリー無視のガサツなオヤジに徹する…。修業5周目時点での私流寿司道の結論かもしれない。

 

 

で、話は変わる。今日も懲りずに恒例のヘンテコペヤングの紹介だ。

 

本日も二つ。まずは「ソースカツ丼やきそば」である。福井県にヨーロッパ軒のソースカツという名物があるらしいが、そことのコラボみたいだ。

 



ヘンテコペヤングのいくつかは「かやく」が後入れである。こちらもその一つ。小袋に入っていたのはミニチュアサイズのカツである。ちょっと笑える。ふやかした麵に付属のソースを混ぜ合わせてから最後にカツを乗せて完成だ。

 


 

感想はビミョー。ソースの味がかなり甘い。普通のペヤングもソース味だからそれとの差別化のためにソースの味を大幅に変えているのだろうが、ちょっと甘過ぎ。お子ちゃま向けという印象だ。

 

まあ、私の味覚もお子ちゃまとたいして変わらないが…。

 

お次は「海老つけ麺味」である。先日紹介した「醤油油そば」に似ていた。すなわちマズかった。ヌメッとしていた。つけ麺やら油そば系はどうも調子が悪いみたいだ。

 



中身の画像は取り忘れた。っていうかペヤングの中身の画像ってどれも似たり寄ったりで華々しい蓋のデザインに比べるとシャバダバなのがカワイイ。

 

ペヤングシリーズ、今後も続きます。ごめんなさい。

 

 

 

 

 

 

 

2025年10月20日月曜日

人形町雑食日記、ついでにペヤング


今の住まいから人形町は徒歩圏だ。東京の中でもとくに「東京っぽい」と言えるのがこの街だと思う。渋い店構えの老舗もたくさんあるし、イマドキのカフェもあちらこちらにある。散歩するのが楽しい街だ。

 

和菓子屋さんもやたらと多いので、すっかりスイーツオヤジになった私としては散歩のたびにアレコレ買ってしまう。10万円出したら12万円ぐらいに化けてくれた「中央区お買物券」をここぞとばかりに利用している。

 

今は娘と同居しているので週末などはよく二人で散歩しながら外食ばかりしている。近くに住むようになって3年ほど経ったがまだまだ開拓途上である。ねぎま鍋やすき焼き屋の有名店なども未踏である。

 

「ご近所メシ」は気軽な店に限る。サンダル履きで思い立ったら行けるようなお店が美味しかったら幸せだ。工事の騒音などで騒がしい都心部に住んでいるからそういう店がたくさん無いと面白くない。

 

以前からデリバリーで注文して気にいっていた中華料理屋さんに初めて行ってみた。人形町の交差点そばの「万葉軒」というお店だ。娘情報によると点心がウマかったそうだが、この日はいろんな一品料理を頼んでみた。

 


 

最初に食べた自家製チャーシューが私好みで一気にファンになった。中華料理屋さんのチャーシューはホントにピンキリで残念モードに陥ることも多い。香港でよく出てくるような窯焼きの蜜汁チャーシューが大好きな私にとって自宅から徒歩5分でウマいチャーシューにありつけるのは幸せだ。

 

卵の炒めモノも優しい味付けだったし、牛バラも香港にいるみたいな味で、温めた紹興酒との相性がバッチリだった。特大フカヒレ姿煮込みはサイスも味も期待したほどではなかったが、それ以外は美味しかった。穴場だと思う。

 

お次は「てんみ」という居酒屋さん。フレンチと和食のマリアージュを居酒屋価格でというウリの気軽な店だ。喫煙可能なのが私にとっては有難い。メニューも豊富で、突き出し代わりに出てきたトリュフ風味洋風茶碗蒸し?が妙に美味しくてバンザイ。

 


 

馬刺しもあれば、燻製料理もいろいろある。さっさと出てくるメニューの中にも半熟ウズラみたいなニクいメニューがある。牛ハンバーグもそこらへんの洋食屋さんよりウマかった。シメのトリュフTKGは誰もが幸せになる味だった。穴場だと思う。

 



「喫煙可能店はマズい居酒屋」みたいなイメージがある。実際にそれも一種の真理だろう。とはいえ、タバコが吸えるような今どきはガサツと呼ばれそうな店の中にも真っ当な食べ物、丁寧に仕上げた食べ物を提供するお店は結構存在する。

 

嫌煙ファッショに抵抗して相変わらず紙巻きたばこを愛している私にはそういう店はオアシスである。喫煙可能店を多くの人が否定するのも分からなくはないが、禁煙の店のほうがはるかに多いのが今の時代だ。だから否定派の人は四の五の言わずに禁煙の店に行ってくれればいいだけだと思う。

 

次のお店もタバコが吸えるから私にとっては憩いの場所だ。こちらは引っ越し当初から何度も訪ねている。「竹とんぼ」というちょっと洒落た居酒屋だ。気の利いた料理をいろいろ用意している。座席間隔も広めで居酒屋というジャンルにおいては上級路線だろう。

 



刺身や焼き魚もちゃんとしたものを使っているし、焼鳥や焼きとんもある。ナゼか私はこの店の酢だこが好きで必ず注文してしまう。この日は牛すじの煮込みやアサリの山椒煮や、太ったサンマの塩焼き、串ものを食べながら梅干しサワーで酩酊。ここも穴場だと思う。

 

全然話は違うが、人形町は結構な繁華街であり、江戸情緒っぽい雰囲気をウリにしている。訪れる人の年齢層もオトナ中心だ。そのわりに甘味処が「初音」という老舗一軒しか見当たらない。和菓子を売る店は多いのに実に不思議だ。

 

スイーツを提供するカフェは数えきれないほどあるのに、あんみつやお汁粉系の甘味処が決定的に足りない気がする。ちょっと風情がある甘味処をオープンしたら繁盛すること間違いナシだと感じる。本気で出店を考えてみようか…。

 

というわけで、本日もヘンテコなペヤングの紹介に移る。本日は2種類。まずは「贅沢焼きそば・蟹トマト味」だ。

 




やたらと種類が出ているヘンテコ系、いや、迷走系ペヤングを一気に大量に取り寄せたので、それぞれの単価はよく分からない。きっと「贅沢」をうたっている商品は値付けが高いのだろう。

 

ちなみに後日紹介する「松茸ペヤング」はネット界隈では一個1500円以上の値段で出回っている。私もそんな値段で買ってみた。かなりマヌケかもしれない。

 

で、蟹トマト味である。悪くない。案外ウマいという表現が適当だろうか。ご多分に漏れず付属のソースは78割しか投入しないことが条件である。一応蟹の身も入っているし、風味はしっかり蟹だ。

 

強いて言うなら「ペヤングにそれは求めていないぞ」と言いたくなる味でもある。何となく上品な雰囲気だからジャンクな気分の時にこれを食べてもピンとこないかもしれない。

 



 

お次のペヤングは「醤油油そば」である。感想は単純明快に「マズい」の一言である。どうマズいかは上手く説明できないから是非食べてみてほしい。何だかヌメっとしている。付属のソースを全量入れたらきっとあり得ないぐらいマズいと思う。

 

頑張って開発した人、ごめんなさい。でもマズかった…。

 

 ペヤングシリーズ、まだまだ続きます。




 

 

 

2025年10月17日金曜日

甦れシャトーソース!

 

最近はナゼか西洋料理系を食べる機会が多い。本格的なフレンチなどはあまり得意ではないが、日本的な洋モノだとガツガツ食べてしまう。

 

日本的洋モノの代表といえばピラフだろう。コメ好きニッポン人の典型みたいな私もピラフは大好きだ。我がソウルフードと言っても過言ではない。

 

ピラフの中でも私が心酔?しまくっていたのが、九段下にあったホテルグランドパレスのピラフだ。通った学校が近くにあったから小学生時代から親しんだ味だった。

 



シャトーソースという魅惑の液体をぶちまけて食べるのがグラパレのピラフだった。ホテル閉館がアナウンスされた頃には焦って何度も食べに出かけた。もう食べられない今となっては思い出すだけでヨダレまみれになる。

 

グランドパレスの親戚である皇居横のパレスホテルには「伝統メニュー」という冠付きで今もシャトーソースを楽しめるピラフがある。以前から時々こちらのピラフも食べていたのだが、グラパレとはビミョーに味が違う。どうしても自分の原点のピラフと比べてしまうため評価は辛口になりがちだった。

 

先日久しぶりに“ピラフ脳”になった日があったのでパレスホテルに出向いてみた。この半年、それなりに節制暮らしをしてきたのでピラフをはじめとする洋食とはご無沙汰状態だった。

 

節制もほぼ終了したいま、ちょうど誕生日を迎えてめでたく還暦を迎えたから、自分にとってのお祝いメシ、ご褒美メシは何が最適かを考えた末にたどり着いた結論が「ピラフ」と「ペヤング」だったわけだ。

 

で、パレスホテルでアレコレ食べた。ピラフの前にトリュフ風味のフライドポテトやらエスカルゴやら舌平目なんかをワイン片手に味わった。

 



で。ピラフ登場。泣きそうになるほどワクワクしたのだが、シャトーソースの風情に違和感を覚えた。「なんか違う…」としか言いようがない。私の好きなシャトーソースはもっとサラっとしているはずだ。この日出てきたソースは粘度強めのデミグラスソースみたいな見た目に感じた。

 



とはいえ、私の大好物だったグランドパレスのピラフには既に思い出補正がかかっている。「アッチのほうがウマい」という思い込みのせいでそんな印象を持ったのだろうと気を取り直して食べ始めた。

 

普通に美味しい。一般的に言ってちゃんと美味しい。でも、でもである。やはりシャトーソースが違う。やはりちょっとデミ系に寄っている印象がある。私が愛したシャトーソースはもう少し白ワインの要素が強めでサラっとしていたはずだ。

 



ブツクサ文句を言うなら食べなきゃいいのだが、そこは「ピラフィスト」「ピラファー」を自認する私である。同行者にはほんの一口食べさせただけでほぼすべてを独り占めして完食した。一応幸せだった。

 

歳を重ねるとヘタな経験値のせいで素直に喜んだり感動することが減る。そんな現実を改めて思い知ったような感じだ。とはいえ、次にパレスホテルに行く機会があっても、どうしたってシャトーソースのピラフは注文すると思う。そんなもんだろう。

 

というわけで、話を変える。

 

前回に引き続きヘンテコなペヤングを紹介する。「世界の山ちゃん・幻のコショウ味」である。手羽先唐揚げの人気店の独特の味わいを焼きそば向けにアレンジした挑戦的?な商品である。

 


 

率直に言ってウマかった。むしろ普通のソース味よりウマいかもしれない。ただし、美味しく感じるには大事な注意点がある。これはどのカップ焼きそばにも言える話だが、付属のソースは78割だけ投入すること。これは厳守したいところだ。

 



ソースを全量入れちゃうと味が強すぎてダメだ。この山ちゃんペヤングもソースや特製コショウを75%ぐらい入れて味わったのだが、それで充分だった。全量入れていたらきっと美味しく感じなかったと思う。

 

ペヤングシリーズはまだまだ続きます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 





2025年10月15日水曜日

夜の銀座。ついでにペヤング


このところ夜の銀座をウロつくことが増えた。11月末に行う我がオヤジバンドライブの集客営業?のためにクラブ活動もちょこちょここなしている。コスパが全くかみ合わない営業活動だが、それはそれで仕方ない。

 


 

私自身の誕生日も絡んでいた時期なので何回かはお祝い攻撃を受けた。素直に喜ぶ。一昔前なら小っ恥ずかしいだけだったが、さすがに還暦である。無事に過ごせていることをメデタイと思ったほうが健全だ。

 

クラブ活動に行くたびに世情の移り変わりが垣間見える。客層の変化や繁盛している店とそうでない店の違いをアレコレ取材するのも何かと学びがある。繁盛店のカギは結局はいろんな場面での努力量の差に尽きる。当たり前のようでこれを実践できるか否かが分かれ道である。

 

ところで、ナゼ自分が夜の銀座にあまり行かなくなったかを考えてみた。結論は「馴れ」だ。アウェー感の有無と言ってもいいかもしれない。30代、40代の頃の気持ちと今を比べてみるとワクワク感も衰退したし、背伸びしたい感覚も無くなってしまった。

 

20〜30年前の夜の銀座には謎めいた老人客がたくさんいた。どこかの業界のフィクサーだろうなと思わせる重厚なジイサマ達をやたらと見かけた記憶がある。見るからに高価そうだがちょっと趣味の悪いスーツやジャケットに身を包んで独特の存在感を放っていた。

 

ヤクザさんとも違う、エリートサラリーマン上がりのお偉いさんとも違う一種独特の濃いオーラを感じた。一喝されたら震え上がっちゃいそうな妙にアクが強いジイサマ達だった。

 

私ごときはハナタレ小僧みたいなもので、そんな客層のいる世界の端っこでちょっと小さくなって飲んでいた。またそれこそが楽しかった。場違いな未知の世界に無理やり忍び込んだみたいな面白さを感じた。

 



アウェー感たっぷりだったし、背伸びしたい気持ちが強かったのだと思う。どこかの支配者みたい人達が集う場所の片隅に混ざっている感じが初期中年時代の私には刺激的に思えた。

 

その後、世の中のマイルド化、平準化に比例するようにアクの強い怪しい老人たちをあまり見かけなくなった。気づけば私自身も50歳をとっくに過ぎてあの世界の客層の中では小僧じゃないぐらいのポジションになっていった。

 

ホリエモンが時代の寵児になった20年前ぐらいから客層も変わってきた。クセ強ジイサン達とは対極のTシャツにジャケットみたいな若めのお客さんが一気に増えていった覚えがある。

 

年上ばかりの客層の中で背伸びすることが楽しかったのに、年下みたいなお客さんばかりになると背伸び願望も消えていく。次第に馴染みの店も増えていたから気づけばアウェー感も無くなってしまった。

 

ある時、店に着くなり「梅昆布茶ちょうだい」と言っている自分を俯瞰してちょっと残念な気持ちになった。それじゃあコナれたオヤジそのものである。そこには背伸びしたい気持ちもアウェー感にドギマギする感覚も無い。知ったかぶりオジサンの完成である。

 

そんな残念な気持ちになった頃にコロナ禍が到来した。結果、なんとなく夜の部活に励むことが激減して今に至る。

 

それでも有難いことに我がオヤジバンドライブにはこの10年、そこそこの人数の銀座組の面々が賑やかしに来てくれる。古い付き合いのママさんや黒服さんのおかげだ。そのせいもあって今も私は夜の銀座と縁が切れていない。

 

バンド活動をやめる日が来たら私の部活も正式引退ということになるのだろうか。何だかそれも淋しい。夜の銀座の空気感にはそれなりに愛着もある。自分の現役感?を保つために時にはあの世界に身を置くことも必要だろう。

 

たかだか還暦を迎えたぐらいでウジウジとそんなことを考えてしまう自分がちょっとイヤだ。まだまだいろいろハッスルしないと老け込んじゃうから気をつけよう。

 

ここからは全然違う話。

 

最近、あのペヤングがやたらと風変わりな商品を発売している。“迷走系焼きそば”だ。アレコレと取り寄せてみた。このブログではこれからしばらく話の末尾にヘンテコペヤングを紹介していきたい。

 

 



今日は「マヨツナカレー味」である。私はカレー味の麺があまり好きではない。カレーの味に合うのははコメだろうという固定観念のせいだ。

 

で、期待せずに食べてみた。酷評する気バリバリで食べてみたのだが、妙にウマい。何だか気に入ってしまった。ジャンク気分の時にはオススメです。やはりマヨって魔法みたいな調味料だと思う。





2025年10月10日金曜日

甘い還暦

 

還暦を迎えた。なんだか妙に感慨深い。普段の誕生日と違って節目ならではのいろんな感情が湧いてきた。60年生きてきてどこにも故障がなく好き勝手に過ごせていることをつくづく幸せに感じる。

 

同級生の中にも先に逝ってしまったヤツもいるし、健康に生きていられることを喜ばないといけない。喜怒哀楽の感情にしても生きていなければ味わえない。怒や哀はイヤだが、それだって生きていればこその話である。

 

40代の頃までは誕生日に何かを思うことはなかった。生きていれば勝手に誕生日はやって来ると平然としていた。それ自体が若さだったのだろう。50歳の誕生日を迎えたとき、四捨五入したら100歳だと意味不明な感慨にふけって以来、最近は誕生日イコール「今年も無事だった」的な気持ちになる。

 

「おじさん」というカテゴリーで生きる日々も随分と長くなった。オジサン界隈?ではすっかりベテランの域である。オジサンを40歳からだと定義すると既に20年もオジサンだ。だんだんと次のステージが近づいていることに我ながら驚いている。次のステージは「おじいちゃん」である。実にヤバい。

 

おじいちゃん予備軍なのに最近はそこらへんのギャルみたいに甘いものを食べまくっている。かなりのスイーツ大好きオジサマになってきた。

 

さすがに血糖値を心配していたのだが、直近の血液検査でも標準値に収まっていた。こればかりは遺伝的要素に感謝である。

 



これは娘が買ってきてくれたマロンシャンテリーである。パレスホテル、東京會舘が覇権を争っているマロンシャンテリーだが、正直言ってどちらのもウマい。ニッポンのスイーツ業界における伝統芸能的な逸品だと思う。

 

もはやマニアックな趣味になった大学野球観戦に行ってもついつい甘いものを買ってしまう。自販機で売っているようなどうでもいいアイスも好きだし、絶対にメロンじゃない謎の物体がトッピングされているメロンかき氷だって食べてしまう。

 




 その一方で繊細さがウリの練りきりのような和菓子も大好きだ。下の画像は東京駅のステーションホテル内にある虎屋直営カフェの練りきりだ。煎茶も頼んで一息つくとエネルギーが湧いてくるような気分になる。

 

つくづく砂糖が貴重品だった時代に生まれなかったことはラッキーである。「時代ガチャ」でいえば勝ち組みたいな話だ。

 



刑務所に服役していた人が出所した途端に口にしたくなるものが甘いものだという。酒でもタバコでもなくスイーツに飢えてしまうらしい。分かる気がする。絶対に服役することがないように気をつけようと思う。

 

和菓子、洋菓子問わず大好きだが、太らないために実行している努力?が「外側を捨てる」という極悪非道な行為だ。

 

シュークリームやエクレアあたりは外側あってこその一品だが、私は中身だけ食べる。ただの甘いクリームと言われたらその通りである。外側はほんのちょっとかじれば満足してしまう。

 




この画像はどこかの人気店の特製シュークリームである。生クリームやアンコ、カスタードクリーム等々がうじゃうじゃ投入されているのに外側はほぼ残した。はたしてこれで体重に影響があるかは不明だ。でも罪悪感という感情に勝ててしまうという効果があるのは確かだ。

 

最近はふるさと納税でも口コミ評価が高いピスタチオアイスを何種類も取り寄せたりしている。アイスクリームはちょっと溶けた状態が美味しいので電子レンジで温めるのが常だ。シェイクだかアイスクリームだか分からないぐらい柔らかいと嬉しい気分になる。

 

端的に言ってスイーツは幸せの象徴だろう。日々の暮らしの中で幸せを感じる場面は意外に少ない。その点、ちょろっと口にするスイーツはいちいちプチ幸せを感じさせてくれる。

 

と、相変わらずどうでもいい話を書き殴ってしまった。いま私の手元にはグミが転がっている。グミがテンコ盛りになったバケツサイズのハリボーをわざわざ職場に取り寄せている。バケツに手を突っ込んでどんなグミが出てくるかワクワクドキドキ?するのが楽しい。


ハリボーの中でも「ハッピーコーラ」という商品はどこかの国で大麻成分が検出されたとかで回収騒ぎになったらしい。それはそれで禁断の味みたいな話で気分がアガる。不謹慎だが、ハッピーコーラを食べるたびにハイになれないものかと期待している。

 



グミを口にするたび幸せって身近なところにあるんだと感じる。60歳、ノーテンキ極まりない日々である。

 

 

 

2025年10月8日水曜日

見栄

 また更新できなかったので、見栄っ張りについて考察した過去ネタを載せます。


https://fugoh-kisya.blogspot.com/2017/07/blog-post_21.html






2025年10月6日月曜日

にょぼん

 更新が間に合わなかったので過去ネタを一つ。


女犯と邪淫







2025年10月3日金曜日

リーグ戦100周年

 


相変わらず大学野球観戦にハマっている。いまは東京六大学、東都大学など各地で秋のリーグ戦真っ盛りである。秋のリーグ戦は4年生にとっては最後の舞台だ。春の甲子園と夏の甲子園が違うように秋季リーグ戦は一種独特の面白さがある。

 

私が好きだから言うわけではないが、大学野球の面白さが世間からちょっと忘れ去られているのは惜しいと思う。「コンテンツ」として非常に優良だ。ガラガラの観客席で観戦しながらいつもそう思う。

 



かつてはプロ野球よりはるかに人気があって国民的娯楽の筆頭だった時代もあるらしい。日本人は野球が大好きだ。WBCのアノ盛り上がりは凄かったし、プロ野球の球場も全国どこでも活況だ。甲子園の高校野球も毎年大いに盛り上がる。

 

そんな中で出遅れ感?があるのが大学野球だ。東京六大学を例にとると今年は結成100周年だ。100周年って物凄いことだが、そんな話が世間で注目されることはない。何だか残念だ。

 

学生主体の運営だから広報戦略に乏しいのだろうが、さすがに今ぐらいの注目度だと淋しい限りだ。選手のモチベーション、今後の高校球児の進路選びという点でももっと盛り上げて然るべきだと思う。

 

ちなみに神宮ではなく東京ドームに併設されている野球博物館では期間限定で東京六大学100周年記念展示が行われている。天皇杯をはじめ昔の貴重なユニフォームや資料、長嶋や田淵のバット、名物監督だった明治・島岡御大のノックバットまで見ることが出来る。野球好きなら見逃せない展示内容だ。

 






さて、ちっとも活況にならない大学野球を嘆いてみせたが、今の私は早慶戦以外のガラガラの球場が嫌いではない。イニングごとに座席を移動していろんな角度から観戦できる。野球好きにとっては贅沢な観戦方法である。

 

先日、平日夕方の東都大学リーグを観戦した。週末に神宮球場を優先利用する東京六大学に比べて東都の“追いやられてる感”はなかなかだ。球場の売店もたいてい閉まっているし、球場内の廊下など各所にあるモニターも固定カメラでの中継映像しか流していない。

 



この秋も東都リーグが神宮を利用する日程はかなり直前になってから決まった。こういう“追いやられ感”の中で鍛えられ、全国選手権などでは東京六大学代表に勝つところが東都のカッコ良さだ。

 

リーグ戦ごとに一部最下位と二部一位の入れ替え戦が行われることも「戦国東都」という言葉とともに東都リーグの醍醐味だ。万年最下位の東大が加盟している東京六大学は実質的に5大学の争いである。一部と二部が拮抗している東都との根本的な違いだ。

 

東都ばかり持ち上げたが、東京六大学もコンテンツとしては面白い。今は早稲田の小宮山監督を始めプロ野球出身者が監督やコーチに就くことも増えた。甲子園を沸かせた野球名門校からの進学も多いから「甲子園のその後」というストーリー性もある。

 

応援合戦も楽しい。時代遅れの学ランや袴姿の応援団の凛々しさも大学野球観戦の楽しみとして欠かせない。チアリーダーの華やかさも然り。各校とも独自の応援歌、応援スタイルがあって頻繁に観戦しに行くうちにそれぞれの特徴が掴めてくる。

 




高校野球も面白いが、大学生になるとやはり身体つきがたくましくなる。その分、高校野球よりプレーに迫力もあるのが大学野球の特徴だ。そのうえでアマチュアであり学生だから礼儀正しい感じが見ていて清々しい。

 

私は試合前後の整列からの挨拶の場面が大好きで、毎度なぜだか胸をうたれる。ベースボールとは違う野球道そのものという感じがして常に襟を正して見入ってしまう。

 



各校とも試合当日には独自のパンフレットを無料配布したり、ネットを活用してチームの紹介や部員のエピソードなどを披露している。各校のカラーが感じられて意外に面白い。そんなことを続けていると各校それぞれに注目したくなる選手も出てくる。彼らの活躍に一喜一憂するのも楽しい。

 

選手との距離感が近いのもアマチュア野球ならではだろう。試合前後には選手も球場の廊下をうろうろしているし、観客と同じトイレを利用するから有名人気選手と連れション状態になることも珍しくない。

 




ドジャースタジアムでベッツ選手や大谷選手が隣で立ちションしている場面など想像できないが、大学野球の神宮ではドラフト一位確実のスター候補選手と連れションが可能だ。連れションマニアのかたにはオススメである。

 

東京六大学はこの秋、早稲田が4季連続優勝を目指している。この春と昨年秋はいずれも同率で明治と並んだ上での優勝決定戦をものにした早稲田が天皇杯を守っている。

 

この秋は雪辱を期す明治も好調で早稲田と並んで2週連続で勝ち点をあげている。それを上り調子の立教、低迷期脱出を目指す法政が追う展開だ。慶応は既に脱落。11月まで続く戦いの行方が今から楽しみだ。

 

ついでに言えばリーグ戦の最中にプロ野球のドラフト会議が行われるため、リーグ終盤戦はドラフトでの悲喜こもごもが混ざり合った人間ドラマ的な要素も織り込まれる感じだ。見ごたえのある大学野球がもうちょっと世間から注目されることをファンとして期待している。