2025年12月29日月曜日

NMN、健康寿命…


今年もまなく終わる。本厄だったのでちょこっと不安な一年だったが、かつてなく順調に過ごせた。厄除けのお参りに行かなかったせいかもしれない。

 

厄除けに行きたい気持ちはあったのだが、そこに集う人は皆さん厄年だ。何となく「邪気の集合体」みたいだ。悪い運気をもらっちゃってもマズいから敬遠してみた。というより単に面倒だから行きそびれただけだ。

 

で、ビビりながら過ごした一年だったが、春先に一念発起して節制暮らしに努め、体重は15キロ減り、キックボクシングジムに行き始めたこともあって以前から懸案だった倦怠感が消えた。これだけで良い一年だったといえる。

 

節制のおかげでコンビニメシや菓子パンを食べることはなくなった。最近でこそミスタードーナッツを頻繁に食べているから「小麦抜き」は出来ていないが、以前に比べれば激減だ。

 

カップ麺にしても秋口にペヤングのヘンテコシリースを10種類ぐらい集中して味見したが、それ以外では食べていない。なによりカップ麺の買い置きをやめたことが大きい。

 

糖質過剰、怪しい小麦の大量摂取、運動不足という私にとっての「普通の日常」を変えてみたら随分と変わった。減量目的というより倦怠感退治に必死だったから運よく体重も減らせた感じだ。

 

で、この12月からはチマタで話題のNMNのサプリも飲み始めた。話題になり始めたころは1ヶ月分で10万、20万みたいな話をよく聞いたが、最近では価格もある程度こなれてきた。

 

私が注文したのは1ヵ月3万円ぐらいの商品だ。ビミョーな値段ではある。はたして効果を実感できるようなものだろうか。半信半疑だ。黙って3か月ほど飲み続けてどんな変化を感じるのか試そうと思う。

 



なんだかこう書いてくると「健康維持に必死な人」みたいである。そんな私だが実は長生き願望はない。逆に長生きは怖いとさえ思っている。

 

年寄りになればどう頑張ったって身体のアチコチが言うことを聞かなくなる。記憶力も凄い勢いで劣化してボケたことを言い出す。偏屈さは歳を追うごとに強くなる。おまけに収入面も今と同じわけにはいかないだろう。

 

これって単なる恐怖だ。怖い怖い。ちなみに平均寿命と健康寿命は違う。私が重視しているのは健康寿命である。簡単に言えば「誰の助けも必要なく一人で何も困らず生きていられる状態」だ。この部分が怪しくなるのが健康寿命の終わりを意味する。

 

健康寿命は平均寿命から78歳下あたりが平均値だとか。そうなると男性の場合、7374あたりが相場という話になる。矢沢永吉が76歳、舘ひろしが75歳であることを思えば、もちろん個人差はある。70代でもバリバリな人もいるだろう。

 

とはいえ、日頃いろいろとストイックに頑張ることに無縁な私が「永ちゃん、ひろし」を想定するのは無理がある。やはり、70代前半か中盤あたりに健康寿命が終了する可能性が高い。

 

健康寿命が終われば人様の手助けが必要という話になる。家庭人の頃、嫁さんに何かを頼んだり手伝ってもらうことすら苦手だった私である。いま同居している娘にも何かをせっせと手伝わせることはない。たいてい自分で済ませる。「人にやってもらう」ということ自体が昔から苦手である。

 

誰かの手助けが無ければ生きていけない状態になるのは想像するだけで息苦しくなる。気疲れして死んじゃいそうだ。だから必然的に健康寿命が終わるあたりでオサラバするのが正解だと感じる。

 

もちろん、70歳になった時にどう考えが変化しているかは分からない。100まで生きたいと言い出すかもしれない。70歳まであと10年である。アッという間に10年は過ぎていくのだろう。50歳から60歳になるまでは本当に一瞬だった。実際にたいした変化もなかったし「なんとなく」月日が過ぎ去った感覚もある。

 

これから先、60歳から70歳の10年ともなれば事情は変わってきそうだ。いよいよ“大病”みたいな試練がくるような気がするし、仕事面でも“手仕舞い”みたいな話とは無縁ではいられない。今まで以上に想像がしにくい段階に入ったといえる。

 

脳も肉体も劣化する中で最終コーナーに突入しようってわけだからどうしたって楽しみより怖さのほうが強い。「人生100年時代」という言葉も苦手だ。というより大嫌いだ。「隠居させないぞ、死ぬまで働け」と同義語でしかない。そういう意味でも長生きすることへの怖さはどうしても消えない。

 

でも、長生きが怖いという感覚はある意味で幸せなことでもある。言い換えれば今の段階でも一定の満足感があることの裏返しだ。「思い残すことはない」などと気やすく言えるものではないが、ある程度それに近い感覚はある。わりとエンジョイ?してきた自負はある。

 

図々しく言えば、この先にこれまで以上に楽しいことがあるような気はしない。そう言い切れちゃうほど楽しいことや充実感は味わってきたつもりだ。

 

決して後ろ向きの話を書いているつもりはない。70代でオサラバは早すぎると誰もが簡単に口にするが、70歳はもともと「古くはマレなこと」だから古希と称される。一応そこまではたどり着いてみて、その先は脳や身体、はたまた富豪度合い?に応じて考えられたら最高だと思う。

 

というわけで、節制に励んだり高いサプリを飲んだりする目的がイマイチよく分からないまま今日も過ごしている。そんなことをブツクサ言いながら今年も暮れていく。

 

本厄は突破できそうだが、来年は後厄という年回りだ。あまり調子にのらず平穏無事に過ごしていきたい。

 

★来年は15日から更新します









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