飽食の時代といわれて久しい。地球レベルで考えても日本、とくに東京の食の充実ぶりは驚異的だと思う。随分と海外にも出かけたが東京の外食産業の百花繚乱ぶりは異次元レベルといっても大げさではない。
ラーメンを例にとってもその種類や食べ方は無数にある。コンビニのおにぎりにしても何でもありだ。ミシュランの星付き高級店から屋台の料理に至るまでウマいものが溢れかえっている。
タマゴかけご飯「TKG」も日本独自の逸品だ。海外では鶏卵の処理管理体制の違いによって基本的に生卵を食べる習慣がない。シンプル極まりない食べ物だが日本のウマいコメに上質な生卵を合わせれば、この国ならではの極上の一品になる。
TKGがその代表格だが「シンプルこそ正解」という真理は何となく軽視されがちだ。ついつい複雑怪奇?な一品を有難がってしまいがちだ。
ありとあらゆるウマい料理が揃う東京だから多種多様な食べ物を求めたくなるが、シンプルにウマいものに遭遇するとハッとする。「これだよこれ!」「これでいいんだよ!」とつぶやいてしまう。
銀座店は深夜営業だから以前にも何度か酔っぱらって訪ねたことがある。この日も深夜1時だというのに満卓だった。無難に蕎麦を食べてシメにしようかと思ったのだが、同行の還暦オヤジたちが天ぷらうどんやらカツドンやらのチャレンジングな注文をしていたので、私も親子丼(重)を選択。
ごく普通の親子丼である。特筆すべきことはないが、しみじみウマかった。鶏肉もたくさん入っていたし卵の火加減も無難、麺つゆベースのタレの味も的確。まさに教科書通りの一品だった。
鶏肉のいろんな部位を入れたり、必要以上に卵をトロトロにするような“進化系”の親子丼も美味しいが、昭和人である私としてはこういうシンプルな親子丼に遭遇すると「これだよこれ!」という気分になる。
別な日、銀座の維新號に出かけた。ここも以前は頻繁に食べに行ったが、最近はモノグサ太郎状態だったのでかなり久しぶりの訪問。
お目当てはフカヒレの姿煮だ。私は「不幸のフカヒレ」と呼んでいる。タレというかスープが他のどこの店とも違う官能的な味がする。おかげで他の店ではフカヒレを食べなくなってしまった。ある意味「不幸」のきっかけになった逸品だ。
話がそれた。フカヒレの話ではなくシンプルな料理の話だった。
この日、フカヒレの感動とは別に印象的だったのがチャーハンだ。いまやチャーハンも多種多様の時代である。いろんな具を使ったりあんかけをウリにしたり、様々なチャーハンが世の中に溢れかえっている。
この店にも海老海苔チャーハンという人気メニューがある。たいていはそれを注文するのだが、この日の同行者が海老が苦手だという。しかたなく五目チャーハンを注文した。
コメのパラパラ感も過剰ではなく実に適度な状態、味付けのバランスも完ぺきだった。町中華のシンプルなチャーハンもウマいが、高級中華のシンプルなチャーハンには凄みすら感じる。
こちらはこれまた抜群に美味しかったカニと玉子の炒めもの。カニ玉だ。あんがかかっているわけではなく塩味ベースで素材を前面に押し出したシンプルさが潔い。味付けはもちろん火加減が最高だった。プロのワザを実感した。
最近はデリバリーで「餃子の王将」のカニ玉ばかり食べている私だ。甘酢あんが大好きだからタマゴの味付けや火加減などにまるで意識が向いていなかったことを痛感した。
餃子の王将のカニ玉ももちろん捨てがたいが、富豪を目指す私としては高級中華のシンプルなカニ玉をしょっちゅう食べているような顔をして過ごしていたい。いや、実際にしょっちゅう食べたいから来年はもっとマメに訪ねようと思う。
ついでにもうひとつ。この店の肉シューマイもシンプルながら抜群にウマい。さすが日本中のデパ地下で肉まんを売っている維新號である。肉まんの親戚?みたいな肉シューマイが平凡なワケがない。これがあれば延々ビールが飲めそうだし、おかずにしたら永遠に白米も食べられそうだ。
シンプルさには凄みがある。ウマい店に関してはこんな表現が的確だと思う。
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