私も現役男子だからそういう時間は一応カッコつけたりする。日頃、ボケっと過ごしているから夜のクラブ活動のおかげで多少はキリっとした気分になるのだろう。
夜のクラブ活動にバリバリ励んでいたのは10年以上前だ。40代後半ぐらいの頃が一番元気だった。凝りもせず週に何度もアフターに付き合ったりした。我ながらマメだったと思う。
マメに動いていたせいでムホムホしちゃうスぺクタルな?体験にも何度か恵まれた。今はあの頃ほどのガッツがないのが問題だ。男たるもの狩猟本能を忘れてはいけない。と、自分に喝を入れたくなる。
12月だからクリスマス柄?の着物を着たママさんとよもやま話に花を咲かせ、オネエサンがたには相変わらず胸元ショットを撮らせてもらう。昔からまったく進歩していない。
17年も前にこのブログで夜のクラブ活動についてアレコレ書いた話を二つ載せてみる。読み返すと自分が元気ハツラツだったことを痛感する。と同時に一応それなりにこだわりをもって活動していたことを思い出す。
https://fugoh-kisya.blogspot.com/2008/02/blog-post_26.html
酒場との付き合い方
https://fugoh-kisya.blogspot.com/2008/03/blog-post_14.html
いっぱしの紳士ヅラをして生きている以上、趣味嗜好や行動パターンなどに自分なりの美学というか、譲れないこだわりを持っていなければダメだと思う。
夜の銀座では毎度毎度ワチャワチャ過ごしているだけだが、行くたびに日頃のヌルさを自戒したくなる。案外この効果は自分にとって大事だ。
ほろ酔いのまま店を出て見送られる時などもちゃんと背筋を伸ばしてビジっとしたダンディーなオジサマを気取ってみる。そんなのバカらしいと片づけちゃうのは簡単だが、やはり「気取ってみる瞬間」って大事だと思う。
日常で自分の後ろ姿を意識することなど滅多にない。長い時間しつこいぐらいに見送られる夜の銀座だと、私としても後ろ姿をカッコよく見せようと無意味な努力をしてしまう。ちょっと自意識過剰だ。
せいぜい背筋を伸ばすぐらいしか出来ることはないのだが、要はそういう「頑張る気分」になることが現役生活を維持する上では欠かせないはずだ。
思えば、コロナ禍を境に私の銀座通いは激減した。マメに顔を出していた当時よりも今のほうが至近距離に住んでいるのになかなか足が向かない。
近くに住んでいると「いつでも行けるからまた今度…」という感じになってしまう。マメに行ってた時は行くことが標準だったのに、行かなくなるとそっちの状態が標準になる。一種のバイオリズムのようなものかもしれない。
今では我がオヤジバンドライブへの集客営業?の目的で昔なじみの店に顔を出し、その後は来場してくれたお礼参りに出かけるというパターンが中心になっている。バンド活動が無かったらコロナ禍を境にして“引退”しちゃってた可能性が高い。
ちなみにコロナの前にはスケベ心満載で“憩いの時間”を過ごしていた。好々爺みたいな顔でダラダラしている今の私より間違いなくエネルギッシュだったはずだ。
https://fugoh-kisya.blogspot.com/2018/11/blog-post_7.html
アンチエイジングは苦手な言葉だが、かといって自分を放ったらかしにしていたら年寄り度合いはグングン進んでしまいそうだ。人間いくつになっても色気やイタズラ心を忘れてはいけない。
まだまだ老け込まないためにも夜のクラブ活動から引退せず、時々はムホムホした気分になってワンパクな時間を過ごそうと決意している。
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