東京出身。富豪になりたい中年男。幼稚園から高校まで私立一貫校に通い、大学卒業後、財務系マスコミ事業に従事。霞ヶ関担当記者、編集局長等を経て現在は副社長。適度に偏屈。スタイリッシュより地味で上質を求め、流行より伝統に心が動く。アマノジャクこそ美徳が信条。趣味は酒器集め、水中写真撮影、ひとり旅、葉巻、オヤジバンドではボーカル担当。ブログ更新は祭日以外の月曜、水曜、金曜。 ★★★スマホでご覧頂いている場合には画面下の「ウェブバージョンを表示」をクリックしてウェブ画面に飛ぶと下側右にカテゴリー別の過去掲載記事が表示されますので、そちらもご利用ください。
2014年8月29日金曜日
誤解
楽しそう、お気楽、浮かれてる等々、私の暮らしぶりをそんな印象で捉えている人がいる。
人様の目線って、こちらの現実にはお構いなしだから、いちいち気にしてもキリがない。
実際、そういう部分はある。そりゃあ、朝帰りしようが無断外泊しようが誰にも叱られることはない。
休みの日などは好きな時間に起きて、好きなものを食べて、好き勝手に過ごしている。エロサイトだって見放題である。
実に自由である。それは認める。ただ、無人島に一人流れ着いちゃったような孤独感と隣り合わせの自由だったりする。
まあ、そんな書き方をしても、息苦しく窮屈な思いで暮らしている人からすれば、自由ということ自体が羨ましく見えるのだろう。
意識して楽しそうにしている部分はあるし、意識して浮かれている部分はある。そうしないとウツウツしちゃうし、そうしないと過ぎていく日々がもったいない。
そんなことは、気ままな一人者だろうが、窮屈に暮らす家庭人だろうが、同じだと思う。気持ちの持ち方である。
そりゃあ、家庭人だったら糾弾されるような遊びが出来てしまう私だって、平和な家庭のホッコリした団らんには物凄く憧れる。
旅先で、楽しそうな家族旅行の姿を見たら切なくなって目をそらす。そんな光景が目に入る場所にはなるべく行かないようにする癖もついてしまった。
10年、20年、いやそれ以上の歳月を一緒に生きてきた伴侶と無駄話をしながらお茶をすする、そんな瞬間に憧れる。
峰不二子ちゃんみたいな素敵なオネエサンが横にいてくれても、長い年月を共にしたからこそ生まれる味わいのある会話は望めない。
「隣の芝生」みたいなものだろう。
私自身、一人暮らしを選んだことには、ひとかけらの後悔もない。ただ、後悔とは異質の「無念」という感覚はある。
やはり、イレギュラーより、レギュラーの方が何かと便利だし、都合もいいだろう。なにより一人暮らしの現実って、他人様が思うよりも結構シビアである。
中高年になってからの男の一人暮らしには適性が必要だと思う。適正がない人の場合、住まいがゴミ屋敷になっちゃったりする。
体調を崩した時の不安は独特である。若い頃の一人暮らしの時には感じなかった変な恐怖を感じることもある。
昨年、深夜に救急車を呼んだ「尿管結石事件」(http://fugoh-kisya.blogspot.jp/2013/09/blog-post_6.html)の際には、一人のたうち回りながら、玄関ドアの内鍵だけは外した。私が死んじゃっても内鍵がかかっていたら誰も中には入れない。
気絶しそうなほどの悶絶状態でもそんなことを考えるのが一人暮らしの現実である。
それ以外にも、泥酔して深夜に嘔吐オヤジになりそうな時も相当な恐怖感に襲われる。だからいつも胃の内容物が消化されるようギリギリまでムダに我慢する。
その昔、一人暮らしの某有名女性歌手が深夜に嘔吐した際に、それが詰まって窒息死していたことがあった。
嘔吐オヤジになりそうな時は、その事件をいつも思い出す。一人暮らしになってからは、妙にリアルな恐怖感が加わった。そういう時も玄関ドアの内鍵は開けてしまう。
若い時からずっと一人暮らしを継続していれば中年になってもジタバタしないで済むのかもしれない。私の場合、いまの形になってまだ2年弱だから、まだまだ達観の域には程遠い。気ままな反面、いろいろな不安も抱えている。
誰かと暮らすのは厄介だが、この先まるっきり一人だと問題もある。ということで、仕事を引退するしないにかかわらず、サービス付きの老人ホームに入ることだって考えたりする。
一般的には65歳以上が入居条件だが、「おひとりさま」の増加によって、もっと若い段階から入れるところも出てきているそうだ。
ちなみに、あと10年もすれば、60歳を超えた程度の現役オヤジが老人ホームから職場に通うというスタイルも珍しくなくなるはずだ。
都市部ではワンルームをはじめ単身世帯用のマンションが今後一斉に余ってくる。その手の物件は「おひとりさま高齢者」向けにもリニューアルされるだろうし、「住まい」に関する感覚自体が大きく変わっていくような気がする。
おっと、随分、話がそれてしまった。
そうそう、一人暮らしのメンドーな感じを書きたかったんだ。
「おーい、体温計はどこにあったっけ?」とか「絆創膏買っておいてくれ」。家庭なら当たり前のこういうやりとりはどう逆立ちしても無理である。
「おーい、外れたボタンを付けておいてくれ」、「宅急便受け取っておいてくれ」。当然、これもダメ。
「おーい、小腹が空いたから何か作ってくれ」、「熱いお茶入れてくれるか」。もちろん、無理な相談である。
「タイガースは相変わらずトホホだなあ」、「こんなに泣ける映画はなかなか無いよ」、「今朝の地震怖かったなあ」、「お、もう秋の虫が鳴いてるぞ」等々、ちょっとした出来事への共感なんかも相手がいないわけだから一切ナシである。
もっとも、そんなやりとりも相手がマトモであることが前提である。何気ない会話すら出来ないほど冷え切って修復不能な相手となら無理に頑張る必要はない。とっとと別れた方がいい。
そんな相手と同じ屋根の下で暮らすこと自体が拷問であり、寿命を縮めるだけだ。右から左にいかないだろうが、少なくとも見切りをつけるための努力はすべきだと思う。
逆に、そこそこ普通に無駄話も出来て、そこそこ腹を割って話せる程度の関係が築けているなら、中途半端に「自由」なんかに憧れてはいけない。退屈に感じても平和な暮らしを満喫すべきだろう。
当たり前か。
いずれにせよ、イレギュラーよりレギュラーのほうが何かと都合が良い。これは間違いない。
自由といっても色々である。
「悲しいほど自由」って言い方もある。
2014年8月27日水曜日
このブログを分析してみた
このブログを読んでくれている友人から「最近は硬派っぽい話を書かないな」と指摘された。
何かに噛みついたり、もっともらしい自説を主張する路線から遠ざかっているという意味合いだ。
特に理由は無いのだが、言われてみればそうかもしれない。逆にいえば、自分自身の心理状態が平和なのだろう。穏やかに暮らすのが一番である!?。
正直に言えば、気に入らないことや噛みつきたいことは常にある。例の氷水をかぶる不思議な風潮とか、ネットに溢れるエセ正義感の押しつけとか、朝日新聞のこととか、いくらでも素材はある。
闇雲に暴論を書き散らかすのは簡単だが、ただの感情論に終始するのは自分としてもシックリこない。ヒステリーオバチャンみたいなのはカッコ悪い。
硬派な論陣?を張るにはエネルギーが必要だ。結構疲れる。軟派な話題ならさらっと書き殴れるが、マトモな話題だとやはり神経を使う。
軟派路線の話ばかり書いているのは、気合いが足りないせいかもしれない。もっと気合いを入れねばなるまい。
もう5年以上も前だが、その頃やたらと話題になっていた派遣社員のリストラ、すなわち「派遣切り」について、経営者サイドの視点からアレコレ書いたことがある。
平たく言えば、経営判断としてそういうことも当然起こりえると書いただけである。
当たり前のことを書いただけなので、荒れるようなことは無かったが、その前後の日のブログ閲覧者数が猛烈に増加した。
ネットの世界の情報の拡がり方は活字媒体の仕事をしてきた私には驚きだった。トラックバックというのか、転用というのか、よく分からないが、こっちの知らない間に想像以上の数の人に読まれていた。
このブログは仕事ではない。いわば趣味で雑文を書いているだけなのだが、そんな経緯もあって、あまり乱暴なことは書かないようにしている。
などと、もっともらしく言い訳しているが、予定調和的なチキンな性分のせいで、ハジケた内容がなかなか書けない。反省しようと思う。
先日、このブログの解析データを見ていたら、ある日の閲覧者数が爆発的に増加していた。普段の十倍ぐらい。たまにそういうことがある。
それなりのレギュラー読者をもつ見知らぬ人のブログか何かで、このブログが引用されたり、転用されたりすると、当然、一気に閲覧者数が増加する。
今回は、「セックスは遊びか恋か」という今年初めの小文にドカンとアクセスが集中していた。
http://fugoh-kisya.blogspot.jp/2014/01/blog-post_20.html
どうやら、結構な人数の固定読者をもつブロガーさんが引用してくれたせいで、多くの人が覗いてくれたらしい。
このブログ、7年以上も続けてきたから、全部で1千を超える雑文を載せたことになる。
データ解析ページを細かくチェックすると、過去に載せたすべての回それぞれにトータルの閲覧数が表示される。
改めて分析すると、延べ1万ページビューを超えるような「ヒット作」?は軟派系ばかりである。
まあ、文芸雑誌よりもお色気雑誌の方が売れるのと同じである。そう考えると、今後は柔らかいテーマばかり書きたくなる。ちょっと悩む。
トータルでの閲覧数トップは、銀座のクラブ活動をちょろっと書いた話。
http://fugoh-kisya.blogspot.jp/2010/10/blog-post_27.html
銀座の部活シリーズ?は何度も書いてきた。これよりも面白おかしく書いた話もあったつもりである。でも、この日の分が栄光の?第1位である。不思議な感じだ。
第2位は靴をパリに買いに行った話である。
http://fugoh-kisya.blogspot.jp/2011/07/blog-post_22.html
上位にランクインしているのは、内容がどうとかではなく、ブログやSNSで引用された頻度によるものだと推察している。
第3位はこれまた軟派の極みみたいな話である。セックスと腰痛の関係を高尚に?リポートした話である。
http://fugoh-kisya.blogspot.jp/2008/04/blog-post_16.html
第4位には真面目な話が入っていた。ちょっと安心である。上位にずらっとセックス方面の話題が集まっていたらさすがの私も切なくなる。
ダウン症に関する話も何度も書いているが、そのうち最も多く読んでいただいたのがこれである。
http://fugoh-kisya.blogspot.jp/2010/02/blog-post.html
第5位はまたまた銀座のクラブネタである。数え切れないほどのシキタリというか、暗黙のルールみたいなものが存在するという内容だ。第1位になった銀座ネタより、第5位になったこれよりも面白く書いた話はあるのだが、閲覧数とこちらの意図はまるで一致しない。
http://fugoh-kisya.blogspot.jp/2012/02/blog-post_17.html
キリがないので、適当にするが、このほか、ざっとベスト20に入っているのは、「固有名詞モノ」が目立つ。
★オールドパーのウンチクと思い出を書いた話
http://fugoh-kisya.blogspot.jp/2008/03/blog-post_10.html
★同級生でもある俳優の香川照之についての話
http://fugoh-kisya.blogspot.jp/2012/06/blog-post_08.html
★いにしえのAVクイーン小林ひとみに関する話
http://fugoh-kisya.blogspot.jp/2011/05/blog-post_11.html
★AVという言葉がまだポルノと呼ばれていた時代の愛染恭子についての雑文
http://fugoh-kisya.blogspot.jp/2009/10/blog-post_28.html
★壇密についての雑文
http://fugoh-kisya.blogspot.jp/2012/11/blog-post_19.html
いやあ、軟らかい話ばっかりである。ベスト20位ぐらいには堅い話は少ない。まあ、何かのついでに引用、転用されるのはとっつきやすいテーマが中心になるのだろう。
上位ランクの中に入っていた真面目な話をいくつか紹介してみる。
★中小企業経営者の公私混同に関する話題
http://fugoh-kisya.blogspot.jp/2009/04/blog-post_15.html
★赤ちゃんポストやダウン症に関する話
http://fugoh-kisya.blogspot.jp/2012/05/blog-post_16.html
★焼き物に関する実に高尚?な話
http://fugoh-kisya.blogspot.jp/2008/02/blog-post_8872.html
それ以外には旅行ネタも結構上位に入っていた。ネット検索では、ホテル名などの固有名詞が多く含まれているほど検索に引っかかりやすいと聞いたことがある。そんな関係もあって、旅の話が読まれることも多くなるのだと思う。
今日は何だか分からない内容に終始してしまった。それにしても、何年にも渡って代わり映えのしないことを書いているものである。我ながら感心?する。
偉大なるマンネリと呼ばれるまで頑張ろうと思う。
2014年8月25日月曜日
中年の時代
NHKの朝ドラ「花子とアン」で渋い演技を見せた吉田鋼太郎が人気沸騰中とのこと。
今日の画像(3点)はネットから勝手にパクってきました。スイマセン!
ドラマは見ていなかったのだが、吉田鋼太郎扮する「伝助さん」と白蓮の別れの回だけはたまたま見ることが出来た。
その放送回は、吉田鋼太郎のアドリブによって「伝説」と化したらしいから、そこだけ見た私はラッキーである。
そんなことはどうでもいい。
吉田鋼太郎という俳優をはじめて知ったのは、昨年放送されたNHKの硬派ドラマ「七つの会議」がきっかけだった。
その存在感に圧倒された。舞台中心にキャリアを積んできた無名の俳優の中には凄い人がいるもんだと感心した。
あっという間に無名どころの話ではなくなり、先日読んだ週刊誌では、隠し撮りされて、複数回の結婚歴までバラされていた。
一言でいうなら「カッコいいおっさん」だ。中年の星である。まだ40代の私にとって、50代半ばの彼のカッコよさは物凄く励みになる。
ヒゲにも白いものが混ざり、髪の毛だって減って、シワだっていっぱい刻まれている。普通だったらネガティブな印象を与えるそうした要素が逆に彼の魅力になっている。
これって大きなポイントだ。
枯れてきている部分をアピールポイントにする。世の中の中年男たちが見落としがちな逆説的レトリック!(何じゃそりゃ?)である。
役所広司なんかもそうだ。白髪混じりの髪がボサボサだったり、潔く伸ばした無精ヒゲだったり、極論すれば「美しくない姿」を上手に武器にしている。
もちろん、彼らがそれを意識してやっているかどうかは分からない。でも、放っておいても勝手に滲み出てくる雰囲気であり、男としての年輪みたいなものである。
一歩間違えれば、ムサくるしいとか、オッサンくさいとか、批判されかねない様子だとしても、単なる不潔とは微妙に一線を画すところがミソである。
投げやりとは異質な突き抜けた感じ、無頼な感じとでも言おうか。流されない男のダンディズムと表現してもいいと思う。
う~ん、何だかうまく表現できない。
中年男の魅力って結局は人生経験に尽きる。衰えてきた風貌自体が歴史を刻んできた証だと居直って武器にするような開き直りが大切だと思う。
吉田鋼太郎より年上なのに、今もピキピキ踊っている「郷ひろみ」になれるオッサンは一般的な社会では存在しない。ある意味、あんな歳の取り方は不気味である。
郷ひろみさん並びにファンの皆様、スイマセン・・・。
潔く、自然に枯れていく風情を隠すことなく堂々としている姿。これって、無理して若作りに必死になるイタい感じのオッサンより遙かに素敵だと思う。
彼らもオッサンである。2枚目というジャンルではない。吉田鋼太郎もそうだが、「自然体で味のある中年男」というジャンルが一気に世間を席巻しはじめているとしたら素晴らしいことだ。
世の中が、超高齢化社会となったことで、昔なら「一丁上がり」だった50歳代以降のオッサンが、いつの間にかさまざまな面で現役感を漂わす時代になってきた。
これから50歳代を迎える私としても大いに有り難い風潮である。だからこそ、適度なハッチャケ精神は忘れてはいけないと思う。
中年になると、分別ヅラしてつまらない言動に走りがちだ。いっぱしのオッサンだし、充分な経験を積んでいる以上、良識は大事だが、訳知り顔で後ろの方に引っ込むようでは退屈だ。
もっともっと攻めていいと思う。
ついでに言うと、イマドキの若い男たちに覇気が無いおかげで中年男が現役バリバリで奮戦しているという現実もある。
タナボタ?みたいで、それはそれで結構なのだが、次の次代を担う男たちがシマウマみたいにフニャフニャしている現状は気になる。
我々の世代が若かった頃、とくにバブルの頃などは、同年代の女性たちをオッサン達にことごとく奪われ、地団駄ふんで悔しがった。それこそライバル心剥き出しでオッサン達を眺めていた。
今の時代、若者達がそんなギラついた目でオッサン達を眺めている様子はない。大丈夫だろうかと余計な心配をしたくなる。
それだって、いまオッサンとして生きている世代が、「カッチョいいオッサン」としての姿を見せることが大事なのかもしれない。
ということで、世の中の中年男の皆様、若者達から「あんなオッサンになりたい」と思われるような男を目指して頑張りましょう!
2014年8月22日金曜日
依存症
ちょっと堅い言い回しだが、「依存症」の定義とは次のようなものだ。
~~ある種の快感や高揚感を伴う特定の行為を繰り返し行った結果、それらの刺激を求める抑えがたい欲求である渇望が生じ、その刺激を追い求める行動が優位となり、その刺激がないと不快な精神的、身体的症状を生じる精神的、身体的、行動的な状態のこと~~。
フムフムである。
なぜこんなことを書いたかといえば、毎日のようにウナギを食べたい私の偏執狂っぷりは、一種の依存症ではないかと思ったからだ。
「何を食おうかな?」。ボケーッと考えていると、常にウナギが上位に来る。実際、しょっちゅう食べに行く。
ちょっと値は張るが、こっちとらぁ、しがない独り者である。エンゲル係数が高いのも仕方あるめぇ。
いわばウナギ依存症みたいなものだ。中毒である。これを抑えるにはウナギを食べるしかない。
いま、私が脅えているのは「耐性」である。クスリも摂取し続けると効かなくなる。すなわち耐性が出来てしまうわけだ。
ウナギを食べることで症状?を抑えているわけだから、度が過ぎて耐性が出来たら、1日3食ウナギを食べるとか、1週間に7回もウナギディナーとか、大変な事態になりそうだと心配しているわけだ。
こんなバカな話を書いているのだから、少なくとも今の私の心理状態は平和で安定しているのだろう。
ということで、8月はウナギばかりである。お盆休みでお店がどこも空いていなかった日もウナギが食べたくなった。
家から遠くない距離に大箱でそこそこ有名な鰻屋さんがある。ウマくて有名というわけではない。暖簾分けらしき名前の店がアチコチにあるウナギ屋の本店である。
何度も食べに行っているが、正直、あんまり美味しくない。でも、その日、たいていの店が休みなのにそこは営業していた。
美味しくないのを承知の上で行ってしまった。
キモ焼、うざく、白焼き、鰻重である。白焼き、うざくは妙に小骨が多い。鰻重のタレは何となく苦みを感じる。いつもと一緒である。
それでも嬉しい顔して冷酒とともに味わう。依存症である。
別な日、実家に出かけたついでに母親とともにウナギを食べることになった。実家のある杉並区の荻窪界隈には評判の高い鰻屋がいくつかある。この日は残念ながらそれらの店は定休日だった。
で、高井戸に近い「荻窪宮川」に出向く。近隣の有名店に押されて地味な存在のようだが、かなり美味しかった。うざくも白焼きも鰻重もバッチグーだった。
その前後の日には、豊島区の大塚駅そばにある「大塚宮川」に出かけたのだが、ここも想像以上に良かった。
白焼きには専用のタレが用意され、鰻重の味にも満足。貴重品だという塗りのお重でサービスしてくれたのだが、その重箱の具体的な値段をやたらと強調されたのは御愛敬である。
この2軒、グルメ本やグルメサイトなどとはあまり縁が無いみたいだ。ウナギのような保守的?な食べ物はそれでいいのだともう。
住宅街で昔から続く鰻屋さんが大当たりだったりすると非常に嬉しい。ハヤリスタリに関係なく、メディアの情報にも左右されず、キチッと良い仕事をしている店はアチコチに存在する。そういう店が日本の文化を支えているのだろう。
ちなみに「食べログ」で結構評価の高かった鰻屋のなかには、正直なぜ人気があるのか分からない店もある。ウナギみたいに保守本流の食べ物こそ地に足が付いた店が本物だと思う。
別な日、赤坂の有名店である「ふきぬき」を訪ねた。さすがに結構な混雑ぶりである。
期待大である。
マズいのに混んでいるのは、浅草にある某天ぷら屋のような観光客向けの店ぐらいである。普通はウマいから混雑している。
うざく、白焼きで冷酒をキュッキュとやっつけて鰻重ドッカンである。まっとうに美味しかった。人気のある老舗の安定感とでも言おうか。
この店も含めて、まっとうにウマいウナギを出す店は、ウナギ以外の酒肴メニューがほとんど無い。これが残念である。酒自体の品揃えも淋しい店が多い。
塩辛とか、佃煮に毛が生えた程度でもいいから珍味なんかを少し揃えてくれれば、白焼きを待つ間の酒タイムが幸せになるのに残念である。
私が知る限り、まっとうに美味しいウナギ専門店で酒肴や酒の品揃えがバッチリなのは日本橋の外れにある「大江戸」だ。ただ、極上の鰻重がドッヒャ~と言いたくなる値段なのが玉にキズである。
その他にも銀座三丁目にある「ひら井」も穴場だと思う。ここは逆に居酒屋みたいな雰囲気とメニュー構成である。襟を正してウナギを食べる雰囲気ではないが、白焼きも蒲焼きも実に丁寧に仕上げてくる。
これを書いているだけで、既に私の脳みその中はウナギがぎゅうぎゅう詰めである。今夜もウナギを堪能したいが、別な予定が入っている。切ない。
やはり依存症みたいだ。
2014年8月20日水曜日
Never Too Late
書こうかどうか悩んでいた話を書く。
大げさな書きぶりだが、何のことはない。いや、私自身にとっては大ゴトである。
ギターを始めることにした。
すぐに断念する可能性もあるので気張った感じで「ギターを頑張るぜ」などと書くのはやめておこうと思っていた。
でも、適度に自分を追い込むことも必要だ。宣言?しちゃうことで、渋々でも続けることができたら儲けモノである。
「ギターを頑張るぜ!」
よし、宣言完了である。
オヤジバンドの活動を始めてから漠然とギターをやってみたいと思っていた。でも、中年になってからマスターできるはずもないし、ウジウジ考えるだけで具体的な行動には移れないでいた。
ところが、半年ほど前から「一念発起すべし」という囁きが聞こえるようになってきた。まるで映画「フィールド・オブ・ドリームス」である。
あの映画は、ナゾの声に導かれて大事な農場をつぶして野球場を作ってしまうという道楽オヤジの破天荒ぶり?が描かれていたが、私の場合はそんな大した話ではない。
ギターを買って練習するだけの話である。
とある眠れぬ夜、ネット通販で「一から始めるギター初心者10点セット!」みたいな通販商品を買いかけた。なぜか最後のクリックをせずにやめてしまったが、あの時スタートしていれば、キャリアはもう3ヶ月ぐらいになっていたはずだ。
そもそも、2年以上前にオヤジバンドの活動を始めた時にギターを手にしていれば、今ではキャリア2年以上だったわけである。
ということで、ウジウジ思っているだけだと、時間だけが無駄に過ぎていく。
この春には、中学の軽音楽部に入った娘にエレキギターを買わされた。すでにアイツはそこそこ上達したらしい。
一緒に買いに行ったあの日、自分の分まで買えば良かったという後悔は日増しに強くなっていく。そんなこんなでギター問題が一種のストレスになっていた。
そして、先日、一人でクルマを運転していた時に「ナゾの声」が聞こえてきた。
「Today is The Day」。なぜ英語なのかは分からないが、気分はフィールド・オブ・ドリームスだから仕方ない。「今日こそ、その日だ」という意味合いである。
で、楽器屋さんに行ってみた。親切そうな店員を選んで声をかける。あれこれとアドバイスを受けながら、考えていた予算より遙かに高いアコースティックギターを買ってしまった。
娘に買ったエレキより10倍も高い。痛い出費ではあるが、見栄を張ったわけではない。安物を買ったらきっとすぐにやめちゃいそうだからチョット頑張ったわけだ。
で、家に持ち帰ってさっそくイジる。だが、コトはそう簡単ではない。チューニングが簡単にできるオートチューナーの使い方がサッパリ分からない。
「説明書読んだら子供でも分かりますよ」と私を軽くいなした店員を呪い殺す準備をしかけたが、そんなことをしている場合ではない。
仕方ないからYouTubeを一生懸命見てみた。ようやく、チューナーの使い方を猿でも分かるように解説した動画があったので一歩クリア。
チョロいぜ~と独り言をいいながら、チューニングを始めたのだが、力加減が分からないから、いきなり弦が1本ブチきれる惨事が発生。
ギターなんかやめようと決意した瞬間だった。
でも、痛い出費だったことを思いだし、地球が逆回転しそうなほどデカいタメイキを連発しながら交換用の弦を買いに行った。
さあ、弦の交換である。ギターと一緒に買った全ページカラーで文字も大きい初心者向け教本に書いてある通りにやってみる。
ちっとも出来やしない。私の場合、無器用なことでは日本で、いやアジアでも一、二を争うレベルなので、まあ、想定内である。
で、またしてもYouTubeである。動画だと実に分かりやすい。それでも失敗した。変なところでカットしてしまい、新品の弦をムダにした。もうタメイキも出ない。悲しくもない。切ない。
予備に買っておいた弦を用意し、YouTubeを改めて検索し直す。より分かりやすい弦の張り方動画を見つけて、なんとか成功した。やれやれである。
次の日、家からも職場からも近い場所にある音楽教室を覗きに行った。やたらと感じのいい講師の若者達が上へ下へのオモテナシである。そのまま体験レッスンとやらを受ける。
近くにもう一軒ギター教室があるので、そっちも見学したかったのだが、もうメンドーである。そのまま正式に申し込む。
26歳の音大出のギタリストが私の専任講師である。初めての講座の日、忍耐強く我慢するのは、私よりもキミの方かもしれないと訓示?しておいた。
無器用に関してはアジアチャンピオンである中年男にギターを教えるのだから彼も大変である。心から同情する。
その後、毎日わずかでもギターに触れるようにしているが、根本的にマトモに音が鳴らないのが現状である。論外である。
指が太いし、でかいし、なかなか動かないし、正直、適正はゼロ以下だと思う。人類は楽器が出来る人と出来ない人の2種類に分かれていることを痛感する。
子供の頃、ピアノ教室はわずか1日でやめたし、小学生の必需品である変な縦笛もちっとも吹けないまま逃げ切った私である。
家族、親戚に楽器が得意な人などいなかったような気がする。そんな私が今更ギターである。無謀だっただろうか。
だいたい、右ききの私にとって、左手の薬指を意識して動かす場面など、今までの人生で経験していない。
ましてや中指、人差し指とともに3本セットで何かをすることなど考えられない。まさにアクロバットである。
女性相手に必殺技を繰り出す時だって、そんな凄まじいフィンガーテクニックを駆使したことはない。
いつの日か、それっぽくギターを弾ける日はやってくるのだろうか。正直、そんな日は来ないと今は思っている。
でも、痛い出費だったし、意地もあるし、人生後半戦だし、なんとか少しぐらいは出来るようになりたいと願っている。
やる気満々だが憂鬱が同居しているような気分である。指は痛いし、身体中が変な筋肉痛である。
おお神よ!我に力を与えたまえ!
まさにそんな心境である。
2014年8月18日月曜日
サウダージ
昨年秋、スペインのアンダルシア地方を旅しながら、「アラブ系文化の香りがするヨーロッパ」に惹かれた。エキゾチックでどこか哀愁漂う独特な雰囲気が気に入った。
基礎知識はまったくないのだが、時々そっち方面の地図を見ながら、いつかゆっくり旅をしたいと企んでいる。
先月、パリとイタリアに出かけたのに、靴とパスタにかまけて、そっち側まで行かなかったことを後悔している。
まあ、そんな後悔が「次」へのモチベーションになるから、それはそれで大事な「熟成期間」である。マイレージはアホほど貯まっている。スターアライアンス、ワンワールド、どっちでもOKである。
ということで、ポルトガルである。凄く行きたい場所だ。地図で見るとヨーロッパの西端だ。海峡を越えればすぐにアフリカ大陸のモロッコがあり、カサブランカがある。
もうなんだかその辺りの地名を聞いているだけでワクワクしてくる。
先日、BSのドキュメント番組でポルトガルの伝統音楽『ファド』を特集していた。しびれた。哀愁たっぷり、情感たっぷりのあちらの演歌である。
言葉などちっとも分からないのに泣きそうになった。「ファド酒場でグダグダになりたい」というのが私の近々の目標である。
ポルトガルといえば「サウダージ」である。この言葉、誰もが耳にしたことがあるのではないか。哀愁とか切なさとか、そんなニュアンスで理解されている。
ところがどっこい、「サウダージ」は翻訳不能な言葉なんだそうだ。もちろん、哀愁や切なさという意味合いも正しい。
それ以外に郷愁、憧憬、思慕、未練、愛惜、孤独はもちろん、恋しい、逢いたい、柔らかな思いといった意味合いも持つらしい。
実に複雑なニュアンスを持つ言葉だ。日本語にも「もののあわれ」など外国語に翻訳できない言葉があるが、サウダージもポルトガル人の精神性や考え方と密接に関連する「文化ワード」である。
もともとは「孤独」という言葉が語源で、その他の情感描写に拡がっていったらしい。一言でいえば微妙な心のヒダの部分を意味する。
情緒、情感があって繊細な感じである。どことなく日本人的な感性とも通じるような気がする。何となく親しみを感じる。
思えば、カステラとかテンプラもポルトガル由来だし、鉄砲だって確かあっちから伝来した。昔からお世話になっているわけだ。
私自身、バリバリの中年である。中年状態が深く進行?してくると、一種の懐古趣味が強まってくる。聴きたくなる音楽にしても自分が今の半分ぐらいの年齢の時に聴いていた曲が多い。
際限なく拡がっていた未来への期待と、未来が見えないことへの不安という相反する感覚の中で悶々としていた頃のことである。
その後、あっという間に過ぎた時間のおかげで、すっかり分別顔が上手になり、要領も良くなった。今では好き勝手に快適に暮らしているが、それでも無器用だったあの時代を思い返すと「サウダージ!!」である。
どうしたって過去をふり返れば、ああすれば良かった、こうすべきだった等々、後悔の気持ちが強くなる。それは当然だろう。
後悔の根本を笑い飛ばすぐらいじゃなきゃ大人の嗜みに欠けるが、ブルーな気分だと、サウダージも憂鬱モードに変化してしまう。
「こんなはずじゃなかった・・・」。私にだってそんな思いはある。いっぱしの年齢の大人ならきっと誰もが経験する憂いである。
でも、人生なんてしょせんは「こんなはず」でしかなく、満面の笑みで迎えられる未来などなかなか存在しないのが現実である。
う~ん、サウダージである。
だからこそ、まだまだ半端な年齢だった頃の無邪気な時間を思い出して切なくなるのだろう。
ちっともその頃に戻りたいとは思わないのに、無性に愛おしく思い出す時代。そんな時代を持っていることは幸せだ。
先日、80年代前半の、それこそ小林克也がベストヒットUSAでノリノリだった頃の洋楽と、当時のややマイナーな邦楽をガッツリiPodに収録して、カーオーディオにつなげて半日ドライブしてみた。
サウダージバロメーター全開である。
POLICE、REO SPEEDWAGON、 CHICAGO、KOOL&THE GANG、HALL& OATES、AIR SUPPLY、RICK SPRINGFIELD等々、書き出したらキリがないほどだ。
邦楽は、佐野元春、門あさ美、レベッカ、山下久美子、須藤薫、EPO、安部恭弘、村田和人などなど、これまた今になって聴くとなかなか新鮮だったりする。
それぞれの楽曲を聴いていると、当時のささいな出来事を思い出す。本当にどうでもいいような記憶ばかり甦るのが不思議である。
青春時代特有の胸がキュン?としたことや衝撃的だった事件なんかはちっとも浮かんでこない。
飲み過ぎてゲロを吐きまくった場所とか、同伴喫茶で隣のカップルからお金を借りた話とか、ロクでもないことばかり思い出す。それも普段は忘れていることばかりなのに、昔聴いていた音楽によって急に覚醒するから謎である。
切なすぎるサウダージはしんどいが、甘酸っぱいサウダージならいくらでも味わいたい。長く生きている以上、ポジティブなサウダージを楽しむことは一種の特権だと思う。
ポルトガル。遅くとも来年には行こうと思う。
2014年8月15日金曜日
しっぽり湯河原
この前の週末、連日の暑さがイヤになり、いつでも気温が低いことで知られる北海道の釧路まで行くはずだった。ところが天気が芳しくなかったから急きょ中止。成り行きで湯河原に行ってきた。
釧路と湯河原。何の脈略もないが、運良く、その日は関東の猛暑も収まり、温泉でグダグダするには悪くない気候だったので結果オーライである。
今更ながら、湯河原、熱海、伊豆方面に車で行く場合、小田原から箱根ターンパイク、湯河原パークウェイ、伊豆スカイラインあたりの有料道路を上手に使うのが有効だと気付いた。
カーナビについつい頼るクセが付いている人は多いが、カーナビはそうした有料道路を無視することが多い。夏場の海沿いの道の大混雑を考えたら、山側からアプローチするのが正解だ。
まあ、気が狂ったとしか思えない料金体系には唖然とするが、渋滞でイライラすることに比べればまだマシである。信号もないし、眺めもいいし、快適なドライブが楽しめる。
さて、湯河原だ。今回は突発的に宿を探したので、希望の旅館はさすがに空いておらず、「阿しか里」という老舗旅館に出かけた。
もう20年以上前、熱海か伊東にダイビングに行った際に泊まったことがある。雄大な露天風呂が印象的だった。
今回は露天風呂が付いている部屋にしてみた。この露天風呂は源泉掛け流し。何とも贅沢だが、季節のせいもあって熱い。水で温度調整できるのだが、ガンガン水を入れて冷ましたから、「バリバリに加水した温泉」になってしまった。
広めのテラスに設置された風呂は緑に囲まれて快適、テラスにはソファもあって、なかなか優雅な空間でのんびりと過ごせた。
浴衣がはだけるのが嫌いなので、旅館に行く時は「マイ作務衣」を持参する私である。便利ではあるが、これを着てウロウロしていると、宿の従業員だと思われて他の客からアレコレ頼まれたりする。困ったものだ。
さてさて、ぬるくした温泉に浸かりながらビールをがぶ飲み。ついでに軟派系週刊誌を熟読しながら葉巻をプカ~。BGMは蝉しぐれと野鳥のさえずりである。これぞ極楽である。
夕方になるとビッグサイズのヤブ蚊の攻撃が始まったが、蚊取り線香をテラスに3箇所ほど置いたら問題なし。
ヒグラシのカナカナ~という音色と蚊取り線香のアノ香りが融合すると、「ニッポンの夏」を心から実感する。
部屋は畳に板の間、ベッドの和モダンタイプ。これは布団敷きの人が出入りしない点で気楽である。朝の布団上げなんてイヤガラセにしか感じない私としては有り難いパターンだ。
問題は食事の場所である。超高級旅館ではないので仕方がないのだが、食事処がオープンな造り。仕切りも少なく、他の部屋のお客さんと合同で食べているような錯覚になる。これなら割高でも部屋食にしてほしかった。
食事自体は工夫を凝らして丁寧に作られていて素直に美味しかったから尚更残念。残念というか、あの路線では全然ダメだ。
安宿なら仕方がないが、そこそこの旅館なら、そこそこの非日常感の演出は生命線である。食事スペースの配慮さえ出来れば良い宿なので実にもったいないと思った。
近くの席に陣取っていたオバチャン二人組が妙に高いテンションでくだらない噂話に明け暮れていたせいで、なおさらゲンナリした。
まあ、宿泊前日に予約が取れた宿だし、部屋自体は快適だから、食事はさっさと切り上げて部屋にこもる。夜の月を眺めながら入る露天風呂がまた情緒タップリで良かった。
湯河原は昨年の終わり頃に有名旅館「海石榴」に出かけたし、以前にも「白雲荘」「石亭」などに行った。
箱根湯本方面や熱海界隈とは違って、どこか地味な感じがシッポリとしたイメージと重なる。私にとってお気に入りの場所だ。
さほど大きくない規模の旅館が個性を競っていて、紅葉も綺麗だし、梅の名所だってある。団体客が少ないのもホゲホゲ旅には有り難い。
近いうちにまたフラフラ行くことになりそうだ。クドいようだが、小田原からターンパイクを使ってドライブしていくのがお勧めだ。
2014年8月13日水曜日
夏の公園
時々、ナゾの整体師の所に出かける。ボキボキコキコキするようなことは一切やらず、身体の波動を探りながら少しだけ触れる程度で全身の崩れたバランスを整える。なんとも不思議な世界である。
時々、調整してもらうと一気に視界が広くなるし、いつもドンヨリ重い腰もスッキリする。
先日の施術中、私の正体がMだということを指摘された。施術中にアッハン、ウッフン言ったわけではないのに見透かされてしまった。
若かりし頃のSの仮面を脱ぎ捨て、Mとしての人生を歩んでいる私だから、いまさらM性を隠す気はない。
実際に最近お近づきになる女性はヤンキーだったり、ヒョウ柄の服を着ていたり、髪の毛が真っ赤だったり、いつもムチを持参していたり、そんなのばっかりである。
ウソです。
ということで、Mとして生きていると、時に変なことに没頭する。
と、書くとエロティック方面の話題かと勘違いさそうだが、ちっともそういう話ではない。
真夏の炎天下に散歩すること。これが結構好きである。立派なM的指向である。
あらかじめ水風呂をためておき、帰宅した途端にドップリ浸かるのが快感である。その気持ちよさのためだけにわざわざ大汗かいて散歩しているのかもしれない。
クラクラするほど暑い中をヘコヘコ歩いていると、身の回りの厄介事やストレスが汗とともに流れ出ていくような気がする。
たとえば、最愛の娘と会おうとしていたのに、元嫁にプチ妨害されることがある。イラつく。そういう時はガンガン歩きたくなる。
その後、娘からこっそり気遣いメールが来たりすると、今度は嬉しくなって、またガンガン歩きたくなる。
そんなものである。健康のためには適度なイライラは良いことなのかもしれない。
話を変える。
「東京って緑が多くてうらやましい」。大阪の知人から言われて意外な気がした。コンクリートジャングルの象徴が東京だが、その人いわく、大きな公園や緑地が結構アチコチにあるから緑が多いイメージなんだとか。
東京の中心には皇居を中心とした緑があるし、考えてみればその周辺にも公園や緑地は結構多い。
銀座で飲んだ後に日比谷公園でエロ満開なことに励んだ女性の話を聞いたことがある。その話自体が東京は緑が多い証である。
うーん、そっちの話に移行したいが、今日は散歩の話だから泣く泣く真面目な話に戻す。
私の住まいの近くにも散歩にちょうど良い場所がある。小石川後楽園と六義園である。それぞれクルマなら10分程度で行けるので気が向くと出かける。
小石川後楽園は、水戸徳川家の大名庭園で、黄門様の代に完成したらしい。六義園は、忠臣蔵には欠かせない幕府側の策士・柳沢吉保の大名庭園である。
明治維新後、それぞれ紆余曲折はあったようだが綺麗に残されている。後世に生きる私のような平民にとっては気軽に散策できることは有難いことだ。
夏の時期は、蝉しぐれを浴びに出かける。蚊除けスプレー持参でふらっと歩いてみる。数百円の入場料を払えば、静かで美しい別天地でノンビリできる。
どこに行っても混雑している夏休み時期の週末は特にお勧めだ。やかましい子供がいるはずもなく、夕方になれば人もまばらになる。
爺さん婆さんの散歩コースのようなイメージがあるが、若い女性が一人で散策している姿を頻繁に目撃する。なかなかセンスのよい趣味だと思う。
汚いカッコでヘンテコな帽子をかぶって、汗でグチャグチャな私としては、「お嬢さん、素敵なご趣味ですね」などと声をかけるわけにもいかず、すれ違うそんな女性たちの幸せを陰ながら願っている。
話がそれた。
この手の公園散歩のメリットは、意外に涼しいということ。コンクリートが無いというだけで想像以上に過ごしやすい。
ヒートアイランド現象を実感する。土と緑に囲まれていれば暑さの質が違う。夏だから暑いことは暑いが、そよそよと吹く風が心地良い。
木陰のベンチに腰掛け、風に揺れる池の水面を眺めていると、それだけで涼を感じる。夕方になれば私の大好きなヒグラシがカナカナ~と鳴き始め、情緒もたっぷりである。
全方位からこだまするように響いてくる蝉しぐれに打たれていると、普段無意識のうちに力んでいる心がほぐれていく。ほぐれ過ぎてフヌケになりそうだ。油断すると寝そうになる。
私にとっては、「蝉しぐれ健康法」と名付けたいほど効き目タップリのリラクゼーションである。
先日も週末の夕方にぶらっと出かけたのだが、この日はカラスの大合唱が蝉しぐれより優勢で興ざめだった。
カラス問題、結構やっかいなテーマである。ヤツらにもヤツらなりの言い分はあるのだろうが、ケタタマし過ぎるのは事実である。
あいつらが皆、九官鳥やオウムのように訓練して蝉の鳴き声の真似ができるようになればいいのだが・・・。根本的に音色に情緒がないから困ったものである。
というわけで、情緒たっぷりに夏の夕暮れを味わうつもりだったのに、ベンチに腰掛けスマホを取り出し、カラスの食用化問題を必死にネット検索することに終始してしまった。
ビミョーな時間だった。
2014年8月11日月曜日
エゴの喜び
それにしても猛暑である。我ながら元気で暮らしていることが不思議なぐらい暑い。若いのだろうか。うん、きっと若いのだろう。
そういえば、最近クルマを換えた。「一人者のくせに4ドアセダンに乗ってるのはおかしい。2ドアクーペでスカしているべきだ」。ある人から言われたもっともらしい理屈にのせられて10年ぶりぐらいに2ドア車にチェンジした。
車高は低い、なんとなく派手、う~ん頑張らないといけない。スカした顔してドライブしなければならない。
運転中は、たいてい信号待ちで必死になって鼻毛を抜くことに集中する私だが、そんな習慣からも卒業しないといけない。
暑苦しいこんな季節だからこそ、シュっとした顔を作ってキリリとした様子で生きていたいと思う。
などと、頑張っているつもりでも劣化していく身体の現実はいかんともしがたい。最近ショックだったのは立ったまま靴下が履けない自分に気付いたことだ。じつに悲しい。無理したところで、すっ転んで怪我するだけだからヨッコラショと言いながら座って靴下を履くようになった。
先日はかつてないほど強烈な胸焼けに襲われた。いよいよ重病モードに突入かと思って、そそくさと胃カメラを飲みに行った。
定期的に胃と大腸の内視鏡検査をしてもらっているクリニックを訪ねたのだが、ここはカメラを突っ込む前に強力な危険ドラック、いや、強力な鎮静剤のような薬でコテっと寝かせてくれる。
当然、苦しい要素はゼロである。むしろ、クスリで落とされるときのフワフワ~と天国に行くような気持ちよさは最高である。
検査用の採血のついでに注射器ででクスリ注入。ものの1~2分でクラっとし始める。そこで落ちないように抵抗するのが私のいつもの楽しみ方である。
ストンと落ちそうになると、ドクターに世間話を仕向けて復活を試みるのだが、そんな抵抗もものともせず、ヤクは私の神経をフニャフニャにしていく。
「負けないぞ~」と悪アガキをしている私の様子をドクターと看護婦さんが「このバカ、またやってるぜ」という顔で見下ろしている。私の「負けないぞ」という叫びは徐々に「ふぁ~けない~じょ~」に変わり、気付けば熟睡である。
30~40分経った頃、ふと目覚める。検査機材も撤去された部屋には私一人。何となくバカが取り残されたような変な敗北感に包まれる。
私が落ちたあと、ドクターと看護婦はクソミソに私の悪口を言っていたかもしれない。ヘタすると鼻クソを私のオデコに塗りつけていたかもしれない。
そんなヒマじゃないか。
この検査、というか、この強力鎮静剤は、全身の力が抜けていく作用がある。そのため、終わった後に肩こりなどが一気に解消する。身体が軽くなって、おまけにしばらくはフワフワした副作用が残っているから最高である。
肝心の検査結果は、一部のただれた部分を病理検査に回したようだが、思ったよりも快調だったらしい。ドクターいわく「いつもと変わらないよ」とのこと。
あの激しい胸焼けは何だったんだろう。きっと身体が発した何らかのサインなんだろう。そう思うことにした。
病理検査用に何カ所かの胃壁をちょろっと削ったので、その日はアルコール禁止という過酷なお達しを命令されてクリニックを後にした。
既に夕方である。朝から何も食べていない。空腹の極みである。検査結果も悪くなかった。これはどこかでドカ食いだとワクワク歩き始める。
こういう時、どこで何を食べようかとアレコレ考えてる時間は至福の時である。際限なくイマジネーションは拡がる。羽田から飛行機に乗ってジンギスカンを食おうかと一瞬だが真剣に考えたほどだ。
結局、頭に浮かんだのはピラフだった。この日は皇居そばのパレスホテルに向かう。
リニューアルオープンしてからカッチョよく変身したパレスホテルは、1階のカフェレストランも小洒落たメニューに一新されてしまった。
でも、オールドファンのため、ほんの数種類は昭和からの人気メニューを残している。私の目当ては当然そっち方面である。
シーフードピラフと舌平目のボンファムで決まりだ。ピラフの量が結構多めなのは知っているが、ドカ食いしたい時はもう一品必要だ。
そこで舌平目である。この料理、舌平目自体は大した量ではないが、周りを取り囲む有り得ないほどクドい大量のクリームソースが特徴である。
アルコールは禁止だから、しぶしぶ生ビール一杯だけで我慢しようと思っていたのだが、サービスで出てきた焼きたてパンをオリーブオイルにヒタヒタして食べていたら、どうしたって白ワインが欲しくなる。
おまけにクドいホワイトソースの魚料理が登場しちゃったわけだから白ワインちゃんも一杯だけ飲むことにした。
この舌平目のボンファム、美味しいけど、ビックリするほどクドいので白ワインは必需品である。胃壁がどうたらとか言ってる場合ではない。
そして、秘伝のソースをビチャビチャかけながら食べるピラフである。いやはや私にとっての天国とはこれを口にしている時のことを言うのだろう。
可愛いオネエサンの巨乳に顔を埋めることと、このピラフをガシガシ食べることのどちらか一つを選べと言われたら、私は迷わずピラフを選ぶ。本当である。きっと。たぶん・・・。
この日、検査の後だったし、夜と呼ぶには早い時間だったし、当然付き合ってもらう人はおらず、お一人さまディナーである。
誰かと美味しさを分かち合うことは素晴らしいことだ。美味しさをより強く感じることが出来たりする。
でも、死ぬほど食べたかったウマいものを誰に遠慮することなく、一人で抱えてウホウホ食べることも違った意味で至福の時かもしれない。
名付けて「エゴイッシュ・エクスタシー」である。そんな戯れ言を言い続けていると、ますます偏屈ジジイの道を極めそうで問題である。
2014年8月8日金曜日
蝉しぐれ
今年の夏は不思議と若い頃を思い出す。原因は不明だ。暑すぎて頭が変になっているのだろうか。
若い頃といっても、10代後半ぐらいの青春真っ盛りの青い時間ばかりフラッシュバックするように甦る。
もっと不思議なのは、思い返している瞬間は決まって、少女バンドの元祖であるZONEの「secret base~君がくれたもの~」という歌が脳裏をよぎっている。
https://www.youtube.com/watch?v=mRgcXn9P_OY
この歌、2001年の発売だそうだ。正直、その当時は聴いた記憶がない。その後、懐メロ的に耳にしていたぐらいだ。思い入れも思い出もないし、それこそサビしか知らない。それにしてもこの曲、ケツメイシの「さくら」とソックリで驚く。まあ、そんなことはどうでもいいか。
何の脈略もないのに10代の終わりに伊豆高原のペンションに泊まって、可愛いらしい女の子と宇佐美あたりの海水浴場で遊んでいた瞬間がこの曲と共に甦る。
実際には、バービーボーイズの「目を閉じておいでよ」というエロい歌を口ずさみながら海水浴場で欲情していただけだから、まさに青春の美化である。
いやあ、過ぎ去った日々は美化するに限る。10代の後半なんて既に30年も前の話である。殺人の時効だって15年である(延長されたんだっけ?)。30年といえばとことん美化してもOKだろう。創作したっていいぐらいだ。
青春時代を思い出したくなるのは不思議と夏だけである。どういう心理状態がそうさせるのだろう。
これを書いている今も、高校1年の頃、停学処分とセットで坊主頭にされたことが恥ずかしくて夏休みに家で引きこもっていた日々がふと脳裏に浮かんだ。不思議とBGMはこれまたZONEである。意味不明である。
高校二年の頃、悪友と式根島に出かけ、ナンパもままならずに男同士でハシャいでいた場面も甦った。そういえばアイツはもうこの世にいない。凄く切ない。ここでもBGMはZONEである。不思議である。
さて、夏の思い出がふと脳裏をよぎる理由だが、私の場合はセミの鳴き声が引きがねになっているように思う。
蝉しぐれに身を置くと無性に昔の日々が頭の中に浮かんでくる。ここ5年ぐらい特にその傾向が顕著だ。
街を歩いていても、先を急いでいても、蝉しぐれが聞こえると、ふとすべての行動が止まってしまうほどその音色に集中してしまう。
セミの鳴き声って物凄く郷愁を誘う。ミンミン鳴こうが、ツクツクだろうが、カナカナ鳴かれようが、私にとってはすべてが郷愁の対象だ。
生まれた時から東京暮らしだが、実家の庭が比較的大きかったせいで、夏といえばセミの大合唱だった。かき氷とセミの声。条件反射で子供の頃のいろんな思い出が甦る。
セミを捕まえて、爆竹を使ってここで書けないような悪さをしていたくせに、ウン十年も経つとそういうことは横に置いて美しい思い出だけが残る。
人混みを気にせず海水浴に行ったり、自然溢れる環境で夏休みを過ごしていた10代の頃までは、夏といえば常にセミの鳴き声がセットだった。
ミンミンゼミは真っ昼間の強烈な日射しを一層暑く感じさせたし、寂しそうに響くヒグラシの「カナカナ~」という声は1日の終わりを告げる合図だった。
でも、考えてみれば蝉しぐれって、セミにしてみれば生殖のための必死の叫びである。
長い年月を土の中で過ごし、子孫を残すためには地上に出たわずか1週間程度の間に相手を見つけないとならない。
すなわち、「誰かやらせてくれ~」、「頼む、させてくれ~」、「オイラと一発決めないか~」等々、要はその一念だけを鳴き声にして発しているわけだ。
私が勝手に情緒を感じているだけで、ヤツらは「やらせろ!やらせろ!」と連呼しているだけである。
ここ数年、妙に強く蝉しぐれに惹かれている私は、ヤツらに共感しているのだろうか。ヤツらの境遇に自分に似た何かを感じ取っているのだろうか。
そうだとしたら切なすぎる。
2014年8月6日水曜日
ディスる しょんどい
40代後半といえば、世が世なら「退役・隠居」扱いの年齢なのに、日々、現役バリバリみたいな顔で過ごしている。超高齢化社会のおかげである。
その昔の大ヒットドラマ「太陽にほえろ」で貫禄タップリだった石原裕次郎は当時まだ40歳になるかならないかだったから、昔の人達の老成ぶりは尋常ではない。
山口百恵が引退したのは21歳の時だ。引退コンサートで見せた成熟した様子は、イマドキのアイドルはもちろん、イマドキの30代の人と比べても驚異的である。
SMAPは香取クン以外は40代だそうだ。結構ビックリだ。「太陽にほえろ」のボスより草ナギ君は年上ということだ。そりゃあスッポンポンで騒ぐのも無理はない。
高齢化が進むに比例して「若者」「中年」「老人」というくくりも昔とは違ってきているのかもしれない。
若作りに興味もなく、アンチエイジングなどクソ食らえだと思っている私としても、そんな時代の流れは有り難い。バカっぽい言動をしても、そこそこ許されちゃう風潮に救われる時もある。
世が世なら茶室にこもって漢詩でもそらんじている年齢なのに、いまだにオネエチャンを追っかけて「壁ドン」とかに励んでいる。
御苦労なことである。
さて、そんな私でも世代間ギャップを感じるのが若者言葉が分からない場面だ。
「ディスる」。やたらとよく聞く。最近になって意味を知った。「ディスリスペクト」(disrespect)が語源だとか。
軽蔑する、馬鹿にする、けなすという意味合いで使われる。逆の意味、すなわちリスペクトをはしょった「リスる」という言い回しもあるらしい。
「~~る」と無理やり動詞にするパターンは古くからポピュラーだ。「サボる」も今やごく普通の言葉のようだが「サボタージュ」を元にした強引動詞である。
重なりを意味する「ダブる」や歌う際の「ハモる」、「ヤジる」とかも、元を正せば「ディスる」と同じように時代時代に生まれた新語だったわけだ。
最近の強引な動詞シリーズで笑っちゃったのが「ヤグる」である。意味は浮気現場を目撃したり、目撃されることだとか。浮気騒動で雲隠れしちゃった女性タレントの名前をもじって生まれた言葉だ。
若者言葉を言葉の乱れだと言ってウジウジ言う人がいるが、どんな時代にも付きものだし、一過性のものが大半だから気にする必要はないと思う。
私に言わせれば平板化したアクセントの方がよほど気持ち悪い。カレシ、カノジョ、クラブなどなど。例の音感が気になる。
「かなり暑い」は「か」と「あ」にアクセントがあるべきで、今風の発音で聞かされるとゾワゾワする。
さてさて、最近、意味が分からなかった言葉が「かまちょ」と「しょんどい」だ。
それぞれ「かまってちょうだい」、「正直しんどい」の意味だとか。なかなかセンスがいいはしょり方だと思う。
個人的に「しょんどい」は気に入ってしまった。無理に乱発して「あのオッサン、きしょい」とか言われそうで危険である。
勘違いしていた言葉が「推しメン」である。「一推しのメンバー」が正解だが、「メン」だから「好きな男性タレント」という意味だと思っていた。なかなか難しい。
そんな私でも、「マツエク、しくっっちゃってさ~」というギャルの会話の意味が解読できたから立派?なものである。
自分の若い頃を思い出してみても、おかしな言葉を多用していた記憶がある。それこそ「ナウい」という言葉が生まれた時代だから、ヘンテコな言い回しは多かった。
男女の関係が進展していく段階をA、B、Cで表現することは一般化していたが、いまの20代の若者にはまったく通じなかったりする。
あんなに誰もが普通に使っていた言い回しなのにアッという間に消えていくわけだ。♪E気持ち~♪って楽しそうに歌っていた今は亡き沖田浩之も浮かばれない。
同じ年齢を意味する「タメ」という言葉も最近、若者相手に通じなかったことがある。ごく普通の用語だと思っていたから少しショックだった。
考えてみれば「チョー面白かった」の「チョー」を誰も使っていなかった時代に若者時代を過ごした。「マジ」とは言ったが「ガチ」という言葉はなかった。
30年以上も前だから当然だが、随分と変われば変わるものだ。
可愛い女の子を「マブい」と言ったり、何かを盗むことを「ギる」、仲間はずれを「ハブ」とか「ハブる」とか言っていた。セブンスターは「ブンタ」だったし、ショートホープは「ショッポ」だった。タクシーのことを「オートン」と呼んだりもした。
そのほか、当時普通に使っていたのに死語になったのが「アベック」である。いまや「カップル」に全面的に制覇されてしまった。
アベック。なんとなく哀愁を感じる。フランス語が語源だし、オシャレな響きだと思うが誰も使わなくなってしまった。「カップル喫茶」より「アベック喫茶」のほうが濃厚なプレイが展開されていそうで良いと思うが残念である。
「ビフテキ」。これも聞かれなくなった。現実に若者相手に通じなかったことがある。言わずと知れたビーフステーキだが、単にステーキと呼ぶより美味しそうなのに、これまた残念である。
「アベックでビフテキ」。
なんとなくハイカラ?に聞こえるのは私だけだろうか。
2014年8月4日月曜日
ウナギと浮気
暑い。暑い。
暑いからウナギが欲しくなる。もともと大好物だから一年中食べているが、この時期は頻繁に身体が求める。
少しイヤミな言い方になってしまうが、ウナギほど「知ってしまった悲しみ」を感じる食べ物はない。
昔は、安物の冷凍ウナギでも大喜びして食べていたクセに、今ではどの店がウマいのマズいの余計なことばかり口にしてしまう。
凝り性な性格のせいもあって、自分好みのウナギを求めて予算も気にせずアチコチで食べ散らかしてきた。
結果、ちょっと好みと違うと、普通に美味しいはずの鰻重を前にしてもブツクサ文句を言ってしまう。何か一言余計なことを言いたくなる。反省である。
そんな私だが、学習能力に乏しい習性ゆえ、「通」みたいなフリをしている割には、スーパーに並んでいる出来合いの蒲焼きや真空パックのウナギを頻繁に買ってしまう。
そんなモノが真っ当な鰻屋さんで食べるウナギよりマズいのは百も承知なのだが、ついつい買ってしまう。我ながら不思議だ。
焼鳥やお寿司だったらスーパーのお惣菜コーナーで目撃しても無視するのだが、なぜかウナギだけは買いたくなる。
いま、これを書いている段階で、今日の夕飯はウナギに決めかかっている。昨日もウナギだったのに不思議である。
先日、前から気になっている銀座の鰻屋さんに行ってみた。評判も良く、以前、予約が取れなかったこともあったので期待に胸を膨らませて出かけた。
その結論が、さっき書いた「知ってしまった悲しみ」という一語である。もっとウマい店を知ってしまっているから、つい四の五の言いたくなった。そんな感じ。
いやはや、そんな言い方自体がイヤミである。この店、普通に美味しいと喜ぶレベルなんだと思う。事実、私が近所のスーパーで買っちゃうウナギよりは遙かにウマかった。
和モダンで洒落た空間、ワインもたくさん揃っている。デートには最適だろう。一品料理のメニューも豊富だ。
うん?待てよ・・・。それ自体が黄色信号ではないか。基本的に絶品の鰻重を出す店にそんな路線の店はない。
ウナギ以外のツマミがまったく用意されていないストイックな店は苦手だが、一品料理がワンサカとメニューに並んでいる鰻屋さんもビミョーである。
ウナギの白焼きをツマミに冷酒を飲むのが大好きな私としては白焼きは外せない。上品な盛りつけだなあと文句の一つも言いたくなったが、これは普通に美味しかったのでウホウホ食べた。
う巻きにトリュフがトッピングされた一品も頼んでみた。自ら注文したくせになんだが、意味不明だった。ウナギの風味はトリュフの前に全面的に消滅してしまっていた。
楽しみにしていたのが「ウナギの西京焼」なる一品。いままでウン十年、アチコチでウナギを食べてきたが、未知の料理である。
結果は「残念」の一言。一切れ食べた後は全部残してしまった。あくまで個人の好みだが、私としては論外だった。
そして鰻重である。普通に美味しいのだが、トリュフ問題、西京焼問題が私の狭量な心に影響して、フンガフンガ鼻を鳴らしてかっ込む気分にならない。
そのうち、タレの甘さが気になり始めた。半分ほど食べたところでクドさばかり感じてしまった。
隣席の若い男女は幸せそうに食べている。タレが甘いのクドいのブツクサ言ってるのは見回してみても私ぐらいである。
そんなことなら、最初からお気に入りの鰻屋以外には行かなきゃいいのに、ついつい開拓したい気持ちに負けてしまう。
う~ん、マヌケである。かつて何度そんな失敗を繰り返してきただろう。分かっちゃいるのに・・・という感じだ。
惚れぬいた店に一途に通っていれば間違いはない。いつでも安心して満足が得られる。これが真理なのに他の店にも興味が湧くあたりが私のダメな点である。
落ち着きがないというか、浮ついているというか、どうにも締まらない話である。
たかがウナギ、されどウナギである。店選びに迷走した私が気付いたのは、浮気心はロクな結末を招かないという真実である。
フムフム、切ない教訓である。
ウナギから人生を学ぶ今日この頃である。
2014年8月1日金曜日
エバるな塩
夏は嫌いではないが、汗っかきだから何かと面倒である。まったく迷惑な話である。こう暑いと呼吸するだけで汗が出てくる。
汗をたくさんかけば痩せるかと思いきや、ちっとも効果はない。汗っかきの利点は何もない。
大量に発汗したあと、水分だけを補給すると、血液中の何かの成分がどうちゃらこうしたとかで、かえって熱中症になることがあるらしい。適度な塩分を一緒に摂取することが大事なんだとか。
塩分、すなわち塩である。今日は塩の話。
塩はエラい。そんなことは百も承知だ。人間が生きていく上で不可欠なものである。給料を意味するサラリーという言葉の語源もソルトのラテン語版がベースらしい。そのぐらい大事な存在である。
それはそうなのだが、最近、外食の現場で塩が必要以上に威張っているような気がする。アマノジャク的見地からすると何となく気に障る。
「塩でどうぞ」。
やたらと耳にするようになったフレーズだ。ここ10年、20年ぐらいで急激に広まったように思う。気のせいだろうか。
その昔、昭和の頃は焼鳥といえばタレが当然で塩焼きは少数派だった。時は流れて今ではウマいと評判の焼鳥屋は塩焼きがメインになり、今ではどんな焼鳥屋でも塩、タレ選べるのが普通だ。
焼鳥業界の変化を先鞭に、上等な冷や奴なんかも塩で食べるのがポピュラーになるなど、その他の世界にも「塩の逆襲」が顕著になってきたのだろうか。
寿司、天ぷら、蕎麦等々。日本を代表する食べ物の世界でも近頃はやたらと塩がエバっている風潮がある。
寿司の場合、白身魚やタコ、イカをはじめ、貝類なんかも「塩でどうぞ」が強要?されたりする。
その手の場面では、スダチやカボスなど酸っぱい系の過剰演出も付いて回る。好きな人には申し訳ないが、私はアレが苦手だ。
塩がエバっている話から脱線して「柑橘系の邪魔者たち」のことを少し書く。
上等なイカの塩辛に遭遇しても、たいてい、刻んだ柑橘類の皮がトッピングされている。意味不明である。絶対に不要だと思う。
白身魚の刺身に柑橘類を搾るのもナゾだ。あんなことしたら、柑橘の味しかしない。レモンサワーじゃあるまいし、なんでせっかくの魚の旨みを消すのだろう。
マズい魚、腐りかけの魚、味がまったく無い魚。そんなヘタレだったら柑橘搾り汁もアリだ。でも、まともな魚にはああいうムダなことはやめた方がいいと思う。
さてさて、塩がエラそうにしている話に戻る。
塩はエラい。それは否定しないが、「塩万能説」みたいなケッタイな風潮が気に入らない。
近頃は蕎麦屋まで「最初は塩でどうぞ」などとおかしなことを言い出す。蕎麦屋といっても、どんぶりメニューもあって出前も手がける街場の蕎麦屋ではない。近年増殖中のこだわりの蕎麦屋だ。
蕎麦そのものの風味を味わって欲しいのだろうが、それなら蕎麦だけすすれば済む。塩で蕎麦を食べたってウマくはない。
最初の一口だけそうしろっていう提案もインチキくさい。ホントにウマいなら塩でずっと食べるのもオススメだと言えばいい。
何だか偏屈オヤジの小言みたいになってきちゃってスマンです。でも続けます。
蕎麦は蕎麦つゆで食べるからウマい。それ以上でも以下でもない。保守的でも何でもなく、それが単純な真実だと思う。
天ぷらも同じである。いつの頃からか塩が前面に出てくるようになってきた。なんでだろう。まあ、蕎麦よりはマシだが、それでも私としては???である。
作り手としてはカラっと揚がった衣をビチャビチャとつゆに浸されてフジャフジャにされるのが忍びないのかもしれない。
それでも「フジャフジャが正解」だと声を大にして言いたい。
もちろん、食べ方なんて人それぞれ自由である。逆立ちしたって塩で食ったほうがウマいという信念の人にまで私の主張を押しつけるつもりはない。
なんとなく、言われるがままに塩で食べさせられて味気ない思いをしている人は結構いるはずだ。そういう人はごく普通にフジャフジャ食べたほうが幸せだと思う。
「いいえ、私には天つゆをください」。この一言を勇気を出して言ったほうが幸せが手に入ったりする。
わが国では塩は特別な存在である。盛り塩をしたり、お相撲さんが取り組み前にバラまいたり、お清めに使ったりと神聖で尊いイメージがある。
そのせいで、「塩でどうぞ」って言われると、つつい、ヘヘーってひれ伏したくなるのかもしれない。
そんなDNA的に弱いところを突いてくる「塩推進派」の戦略は巧みである。
気付けば、トンカツも塩で食べる人が出てきたようだ。目玉焼きもコロッケもカツオのタタキからお好み焼きまで「塩派」は広まっているらしい。
大変な事態である。
とかいいながら、お寿司屋さんでウニのツマミを常に塩で食べて喜んでいる私である。
汗をたくさんかけば痩せるかと思いきや、ちっとも効果はない。汗っかきの利点は何もない。
大量に発汗したあと、水分だけを補給すると、血液中の何かの成分がどうちゃらこうしたとかで、かえって熱中症になることがあるらしい。適度な塩分を一緒に摂取することが大事なんだとか。
塩分、すなわち塩である。今日は塩の話。
塩はエラい。そんなことは百も承知だ。人間が生きていく上で不可欠なものである。給料を意味するサラリーという言葉の語源もソルトのラテン語版がベースらしい。そのぐらい大事な存在である。
それはそうなのだが、最近、外食の現場で塩が必要以上に威張っているような気がする。アマノジャク的見地からすると何となく気に障る。
「塩でどうぞ」。
やたらと耳にするようになったフレーズだ。ここ10年、20年ぐらいで急激に広まったように思う。気のせいだろうか。
その昔、昭和の頃は焼鳥といえばタレが当然で塩焼きは少数派だった。時は流れて今ではウマいと評判の焼鳥屋は塩焼きがメインになり、今ではどんな焼鳥屋でも塩、タレ選べるのが普通だ。
焼鳥業界の変化を先鞭に、上等な冷や奴なんかも塩で食べるのがポピュラーになるなど、その他の世界にも「塩の逆襲」が顕著になってきたのだろうか。
寿司、天ぷら、蕎麦等々。日本を代表する食べ物の世界でも近頃はやたらと塩がエバっている風潮がある。
寿司の場合、白身魚やタコ、イカをはじめ、貝類なんかも「塩でどうぞ」が強要?されたりする。
その手の場面では、スダチやカボスなど酸っぱい系の過剰演出も付いて回る。好きな人には申し訳ないが、私はアレが苦手だ。
塩がエバっている話から脱線して「柑橘系の邪魔者たち」のことを少し書く。
上等なイカの塩辛に遭遇しても、たいてい、刻んだ柑橘類の皮がトッピングされている。意味不明である。絶対に不要だと思う。
白身魚の刺身に柑橘類を搾るのもナゾだ。あんなことしたら、柑橘の味しかしない。レモンサワーじゃあるまいし、なんでせっかくの魚の旨みを消すのだろう。
マズい魚、腐りかけの魚、味がまったく無い魚。そんなヘタレだったら柑橘搾り汁もアリだ。でも、まともな魚にはああいうムダなことはやめた方がいいと思う。
さてさて、塩がエラそうにしている話に戻る。
塩はエラい。それは否定しないが、「塩万能説」みたいなケッタイな風潮が気に入らない。
近頃は蕎麦屋まで「最初は塩でどうぞ」などとおかしなことを言い出す。蕎麦屋といっても、どんぶりメニューもあって出前も手がける街場の蕎麦屋ではない。近年増殖中のこだわりの蕎麦屋だ。
蕎麦そのものの風味を味わって欲しいのだろうが、それなら蕎麦だけすすれば済む。塩で蕎麦を食べたってウマくはない。
最初の一口だけそうしろっていう提案もインチキくさい。ホントにウマいなら塩でずっと食べるのもオススメだと言えばいい。
何だか偏屈オヤジの小言みたいになってきちゃってスマンです。でも続けます。
蕎麦は蕎麦つゆで食べるからウマい。それ以上でも以下でもない。保守的でも何でもなく、それが単純な真実だと思う。
天ぷらも同じである。いつの頃からか塩が前面に出てくるようになってきた。なんでだろう。まあ、蕎麦よりはマシだが、それでも私としては???である。
作り手としてはカラっと揚がった衣をビチャビチャとつゆに浸されてフジャフジャにされるのが忍びないのかもしれない。
それでも「フジャフジャが正解」だと声を大にして言いたい。
もちろん、食べ方なんて人それぞれ自由である。逆立ちしたって塩で食ったほうがウマいという信念の人にまで私の主張を押しつけるつもりはない。
なんとなく、言われるがままに塩で食べさせられて味気ない思いをしている人は結構いるはずだ。そういう人はごく普通にフジャフジャ食べたほうが幸せだと思う。
「いいえ、私には天つゆをください」。この一言を勇気を出して言ったほうが幸せが手に入ったりする。
わが国では塩は特別な存在である。盛り塩をしたり、お相撲さんが取り組み前にバラまいたり、お清めに使ったりと神聖で尊いイメージがある。
そのせいで、「塩でどうぞ」って言われると、つつい、ヘヘーってひれ伏したくなるのかもしれない。
そんなDNA的に弱いところを突いてくる「塩推進派」の戦略は巧みである。
気付けば、トンカツも塩で食べる人が出てきたようだ。目玉焼きもコロッケもカツオのタタキからお好み焼きまで「塩派」は広まっているらしい。
大変な事態である。
とかいいながら、お寿司屋さんでウニのツマミを常に塩で食べて喜んでいる私である。