2021年11月29日月曜日

突如としてパン


半世紀にわたって朝ご飯はコメ食をモットーに生きてきたが、最近はパンを食べる機会が増えた。宗旨替えである。

 

きっかけはコーヒーの香りだ。この春、嗅覚が数日間死んでしまって困っていたのだが、ある日、コーヒーの香りを感じたことで嗅覚復活に気付いた。

 

あの時のコーヒーの香りはもはや天国に咲く花のようだった。天国に行ったことはないがそのぐらい感激した。

 

以来、朝起きるとドルチェグストのスイッチを入れてコーヒーを飲むことが増えた。人間変われば変わるものである。

 

コーヒーほどコメに合わない飲み物はない。仕方なく朝飯としてコンビニのサンドイッチや朝マックをウーバーに運んでもらうことが増えた。

 

いい歳したオジサマがコンビニのサンドイッチを朝ご飯にかじっている姿はシャバダバである。誰も見ていない一人暮らしとはいえ私自身の股間が痒くなる、いや、沽券にかかわる問題である。

 

で、スーパーでパンを買ってみたが元々パン好きではないからハッピーな食事にはならない。ついつい焼きそばパンなんかを買いたくなる。

 

根本的に私はパンの耳が嫌いだ。トーストも耳があるからイヤだ。必然的に食パン以外のパンを攻略するのが基本姿勢である。


惣菜パンや食パンでもない普通のパンを何とか楽しく食べる方法はないかと思案していたのだが、レンジでパンをふっくら温めるパンウォーマーなる便利グッズを見つけてさっそく使ってみた。

 


 

原理は分からないが、どうでもいいロールパンや詰め合わせの安っぽいクロワッサンがこの便利グッズのおかげで妙に美味しくなった。いや、非常に美味しくなった。

 

こんなグッズを使わずとも乾いた布を載せてレンジで軽くチンするだけで同じように格段に美味しくなるらしい。目からウロコである。

 

お次はパンに塗る相棒たちである。上質なエシレバターをてんこ盛りに塗りまくりたいところだが、そんなことをすると緩やかな自殺みたいだからそうもいかない。

 

しかたなく普通のジャムや安いバターをちょこっと塗って食べていたのだが、さすがにすぐに飽きたのでアレコレ探していたらピスタチオクリームというムホムホする一品を見つけた。

 



しっかり甘い。でも人工香料のようなピスタチオ風味ではなくちゃんとした本物の味わいを感じる。ほかほかと暖まったパンに塗ると「なんですのん、これ、バカウマでんねん」と標準語を忘れるほど官能的な味がする。

 

このピスタチオクリームもウーバーイーツで調達した。成城石井のチマチマした商品をウーバーで頼もうとした際にたまたま発見した。

 


 

ついでに注文した「果実60%のイチゴジャム」も思ったより美味しかった。甘いだけでなく正しいイチゴの酸味を感じる。ちょっと大人っぽい?味がした。

 

温めたパンにピスタチオクリームとイチゴジャムを交互に塗りたくって味わいながらコーヒーを飲むのは結構幸せな時間である。

 

甘いのだけだとさすがにキツいのでサイドメニューとして茹でたシャウエッセンなんかも用意すれば充分にハッピーな朝食の完成である。

 

これまで世界中を旅していくつもの高級ホテルで豪勢な朝食を味わう機会があった。パンがあまり好きではなかった私は、物凄い品揃えのいろんなパンが並んでいても、ほぼ見向きもせずに、ソーセージやハム、卵料理ばかり食べてきた。

 

パンに手を出した時でもクロワッサンの横っ腹をかっさばき、そこにハムやスクランブルエッグなどをギュウギュウ押し込みケチャップを投入して惣菜パンに変身させて食べるぐらいだった。

 

いま思えば残念な話である。いつかまたヨーロッパに行く機会があれば、ピスタチオクリームや日本製のピーナッツクリームを持参しようと決意している。

 

これまでの人生でまったく興味の無かった数限りない種類のパンの食べ比べをクリーム達の助けを借りながら断行してみようと思う。

 

 

 

 

 

2021年11月26日金曜日

スペインを食べに行く


少し前にこのブログで旅の思い出を書いたせいで無性にスペイン料理が食べたくなった。私の脳はかなり単純に出来ているらしい。

 



 加齢とともに新たなお店を開拓するフロンティア精神が薄れてきたせいで以前に何度か行ったことがある銀座の「スペインクラブ」を訪ねた。

 

スペイン料理の良さは「カヴァ」に尽きるかも知れない。イタリアの「スプマンテ」とともに時に私を助けてくれる有難い酒である。

 

洋モノ系レストランに行くとシャンパンのせいでお勘定がオッペケペーになることが少なくない。

 

私はさほど普通のワインが好きではないから洋モノレストランではシュワシュワを飲んで過ごす。

 

スパークリングワインとシャンパンがあった場合、見栄っ張りの私としては後者を頼まざるを得ない。もちろん高い。

 

スペイン料理の場合には泡モノは地元の「カヴァ」が定番だ。シャンパンを置いてある方がおかしいわけだから堂々とカヴァを飲んで過ごせる。

 

シャンパンより遙かに安いから気軽にボトルで頼んでグビグビ出来るのが良い。その店で一番高いカヴァを頼んだところでたいしたことはない。

 

この日もお店のスタッフに勧められたロゼのカヴァをボトルで注文。頼んだ料理との相性も良く美味しく楽しめた。

 



 

イベリコ豚の生ハムやタコとポテトの和え物といったツマミを味わいながらホロ酔いになる。

 

料理を運んでくるスペイン人のオバサン相手に「ブエノ、アミーゴ、バモス!」などテキトーな言葉を乱発しながら過ごす。

 

“スペインの気分”だから無理やり陽気になってみる。これって意外に大事だ。陽気になれば笑いも増える。楽しい気分になれば免疫力もアップして健康になる。笑門来福だ。

 




 スペイン版のモツ煮みたいなカジョスとイベリコ豚の首肉のグリルだ。カジョスはハチノスのトマト煮込みだが、カヴァとの相性も良く酔いが進む。

 

豚肉のグリルがまた絶品だった。お店の人によるとかなり希少な部位だとか。他の料理メニューより二段階ぐらい高い値付けだったのも納得。

 

脂身が無いのにパサつき感は皆無で、噛んだ時の締まった食感やジューシューさ、味の濃さともに豚好きの私には最高の一品だった。

 

そしてシメは冒頭の画像のパエリア。いろいろ種類はあったがこの日はシーフード。シラスと何とかの和風パエリアみたいなその日のアレンジパエリアも頼んでみたかったが、これまた加齢のせい?で冒険できなかった。自分の保守性が自民党みたいでイヤだ。

 

普段は焼鳥、寿司、小料理屋、ときどきウナギや中華といった定番パターンで生きている私である。久々の異国料理は新鮮だった。

 

味はさておき、気分が新鮮さを取り戻すことに意味があるのかも知れない。予定調和から外れたところに身を置くことは案外大事だ。

 

なんだか大袈裟な書きぶりになってしまったが、時には斬新な時間を過ごすのも悪くない。老化対策として心がけようと思う。

 

 

 

 

 

2021年11月24日水曜日

横向きにして口を封じる

 

人生の3分の1は寝ているわけだから睡眠の質は大事だ。眠るという行為は単に身体を休めるためのものではない。無心になって日々の邪念をリセットする時間でもある。

 

だから悪夢ばかり見たり、無呼吸になって苦しんだりするのは避けたい。若い頃なら勢いだけでぐっすり眠れたが中年になるとそうもいかない。睡眠環境を整えることは非常に重要だ。

 

いつだったかテレビで「鼻呼吸の大切さ」を説いている番組を観て、影響されやすい私は鼻呼吸を常に心がけるようになった。

 

鼻にはいくつものフィルター機能があって喉に取り入れる空気をしっかりチェックしているらしい。鼻クソがその結果である。

 

口呼吸だとフィルター機能が働かず、悪い菌などを直接取り込んでしまう。寝ている時に口を開けっ放しにしていると、せっかくの鼻のフィルター機能は使われず、おまけに長時間の口呼吸によって喉がカラカラに渇いてしまう。

 

というわけで、通販オヤジである私も対策グッズを購入した。その名も「口封じテープ」である。口にバッテンを付けちゃうわけだからコントみたいである。

 



 使い始めてから1ヶ月ぐらいになるが、慣れるのには結構時間がかかった。異物感が凄かったし、拷問されているような気分にもなった。

 

ピッタリ口を閉じてテープを貼るより数ミリ程度は口を開けて貼るように工夫したら徐々に気にならなくなってきた。いまはしっかり口を閉じてもバッテンテープが気にならなくなった。

 


 

朝の喉の感じが確実に変わったことを実感する。変な乾きで不快に感じることがなくなった。思い込みかも知れないが効果が出ている気がする。

 

お次は枕である。先月このブログで私の「枕難民」ぶりを書いた(http://fugoh-kisya.blogspot.com/2021/10/blog-post_22.html?m=1)が、またしても新しい枕を買ってしまった。

 

イマドキのネット広告のせいである。過去の購入歴やら閲覧歴のせいで私のスマホには枕の広告がビシバシ表示される。その中の一つを衝動買いしてしまったわけだ。

 

おまけに「今だけ大特価」という安直なセールスにウホウホと乗っかってしまった。1万円の商品が8千円になっていた。

 

よく考えたらいつも枕は35千円程度のモノを買っている。最近買ったニトリの8千円の枕を買うのにも躊躇していたのに、今回はコロっと乗せられてしまった。

 



 横寝専用の枕だ。ちょっと個性的なデザインに惹かれた。デコボコと立体系のデザインが主流の中で皿の上に頭を載せるような感じだ。

 

使ってみた感想は「普通」である。狙って買った枕は最初のうちはたいてい「オッ、これはいいぞ」的な印象があるのだが、今回はそれがなかった。

 

とはいえ、その「普通」な感じが私には良かったみたいで、もう10日ぐらい連続で使っている。私にとってこれは珍しいことである。

 

今まで買った枕は最初は気にいっても3日、4日と使ううちに他の枕と変えたくなっていた。日によって枕を使い分けることが多い私にとって同じ枕を何日も使い続けることは画期的だ。

 

           

 



身体を横向きにした際の下側に来る腕の格納スペース?があるのが何となく嬉しい。妙に落ち着く。頭を載せる平面の部分の感触も悪くない。

 

枕ほど好みに個人差があるものは無い。その好みだって体調や気分によって変化する。気に入った枕を一つだけ使うのが普通なのだろうが、ワガママな私は「もっと快適な枕があるはずだ」と常に考えてしまう。

 

今回のニュー枕は結構気に入った。いまある枕の中でもエース級の活躍をしてくれそうだ。

 

と同時に「もっと快適なヤツがあるはずだ」という上昇志向?もまだまだ消えない。既に気になっている枕がいくつかある。

 

凝り性なのかアホなのか、自分でも面倒くさい性格だと感じ始めている。

 

 

 

 

 

 

 

2021年11月22日月曜日

ラーメンを語る


普段はあまりラーメンを食べないのだが、寒くなってきたせいか、ちょくちょく食べたくなる。

 

こっちとらぁ江戸っ子だぜい、とイキがっている時は「ラーメンはやっぱり醤油だな」と言いたくなる。ましてや私の実家は荻窪に近い。一部の人には醤油ラーメンの本場?みたいに思われている場所だ。

 

確かに馴染みがあるのは醤油ラーメンだ。子供の頃はそれが基本だった。ラーメンが今みたいに世間から大注目される時代ではなかったから、あくまでラーメンといえば昔ながらの醤油ラーメンだった。

 

そんな私も半世紀以上生きてきて、本当は醤油ラーメンがたいして好きではないことに気づき始めている。いや、前から気付いていたのだが、東京人の矜恃のせいでそれを認めていなかったわけである。

 



 ここ数年、ちょこちょこラーメンを食べてきたが、私は紛れもない味噌ラーメン好きだと痛感する。今年の9月に行った札幌旅行で再認識した。

 

「醤油ラーメンこそ一番」などと得意げに語っているのは、実は巨人ファンなのに阪神を応援しちゃうインチキみたいな話である。

 

まあ、醤油ラーメンも嫌いではないのだが、チャーシューがぶりぶりトッピングされた場合に限ってムホムホ食べているのが実情だ。

 

チャーシューをあり得ないぐらいトッピングしてくれるラーメン屋さんは不思議と醤油ラーメンの店ばかりである。詳しいわけじゃないので断定できないのだが、そんな印象がある。ちなみに下の画像は肉塊油そばという名のジャンクな一品。まあこれは例外だ。

 


 

だいたいチャーシュー麺といえば漠然と醤油ラーメンの上にチャーシューが多めに乗っかっているイメージだ。味噌ラーメンの場合、味噌チャーシュー麺と呼ばないとピンとこない。

 

味噌ラーメンだろうと私はチャーシューを山ほど載せたい。厳密にいえば味噌ラーメンファンではなく味噌チャーシュー麺が好きだ。

 

ちなみにチャーシューが山ほど乗った醤油ラーメンとチャーシューが12枚しか乗っていない味噌ラーメンだったらどちらを選ぶか考えてみた。

 

断然、チャーシューがぶりぶり乗っているほうを選ぶ。そう考えると声高に味噌ラーメン好きだと叫んだことも怪しいものである。

 

結論としては単なるチャーシュー好きというシャバダバな話になってしまった。ビミョーだ。


ついでに言わせてもらうと、トンコツラーメンのチャーシューは何であんなに薄っぺらいのだろう。人を小馬鹿にしたような薄さだ。


カツオの刺身をやたらと分厚く切る風習とトンコツラーメンのペラペラチャーシューはニッポンの食における隠れた大問題だと思う。


話がそれた。


先日、散歩の途中で「どうでもいい感じのラーメン屋」が目にとまった。店名が北海道っぽい印象だったから味噌ラーメンが基本だろうとノレンをくぐってみた。

 



「どうでもいい感じの店」というのがポイントである。イマドキのラーメン屋は何だかマニア向けに凝りすぎている印象がある。ただ普通に何となくラーメンを食べたい時には「どうでもいい感じ」が恋しくなる。

 

○△系だ、渾身のナンチャラスープとか、食べログだミシュランだとか、そういうのを完全排除した「どうでもいい感じの店」って意外に見つからない。あったとしてもマズそうな雰囲気が漂ってくる店ばかりだ。

 

先日入ってみた「どうでもいい感じの店」はビルの地下にあったせいで外観がよく分からず、階段を降りたついでに扉を開けちゃったから引き返す勇気も出ず黙って椅子に座った。

 

ガランとした店内は空いていて、いわゆるラオタさん達が来るような気配はまったく無い。絵に描いたような「どうでもいい感じ」だった。

 



で、チャーシューとコーンをトッピングした味噌ラーメンがやってきた。見た目は悪くない。味は普通。いや、良い意味で「どうでもいい感じ」の味だった。

 

スープが脂っぽい感じがしたが、きっと味噌ラーメンと抜群の相性を誇るバターがたっぷり溶けているのだろうと都合良く解釈したら妙に美味しく感じた。たぶん違うのだが。

 

「どうでもいい感じの店でどうでもいい味のラーメンを味わう」。アマノジャク精神を旨とする私にとっては悪くないパターンかも知れない。

 

問題はそんな路線の店の話を書いたところで、ちっとも面白くならず、誰にも参考にならない点である。

 

やはり私はチャーシューだけをトッピングした冷やし中華を一年中食べているのが無難みたいだ。

 





 

 

 

2021年11月19日金曜日

日常メシがウマい店

 

時々訪ねる小料理屋的居酒屋?がある。限りなく銀座に近い新橋に位置する初老の男性が二人で切り盛りする渋い店だ。

 

雑居ビルの地下にあって目立たず客層もオジサマばかり。色気とは無縁だが個人店の見本のような風情に惹かれてコロナ前は時々顔を出していた。

 

店の名は「かとう」。某日、2年ぶりにフラっとノレンをくぐった。頻繁に通っていた客ではなかったのにちゃんと私のことも覚えてくれていた。昔ながらの酒場はこういう点が嬉しい。

 

メニューは壁に手書きされた雑多なラインナップ。値段表示がないところもこなれた?大人心をくすぐる。とりあえず魚も肉も揚げ物もひと通り揃っている。

 

特別うなるようなウマいものが出てくるわけではない。かといって得体の知れないヘンテコなものを食べさせられる恐れもない。

 


 

ちょうどいい店。その一言に尽きる。デートや接待向きではない。一人もしくは少人数でしっぽり過ごすのに適している。

 

その日、座って間もないタイミングで銀座のオネエサンからLINEが来た。なんとも不思議な話だが「かとうに行きたいから付き合え」という内容だった。

 

2年ぶりにフラッと訪ねて店主と大袈裟に旧交を温め合っていたタイミングにそんな誘いが来たわけだからビックリである。

 

もしかして私の行動は監視されているのかと思ってビビる。そのオネエサンとは長い付き合いで気軽な間柄だ。同伴向きとはいえないこの店にも二度ぐらい来たことはある。

 

見張られていたのかという疑念は消えないままオネエサンが来る前にクジラベーコンや牛タン塩焼き、冷や奴を食べながらグビグビ飲む。

 

店主と世間話の見本のような会話を繰り広げながら居心地の良さにとっとと酔い始める。コロナ禍で酒が弱くなった。まだまだ以前の感覚には戻らない。

 

そのうちオネエサンがやってきたので、なぜ今日の私の居場所がバレたかを尋問する。私の身体にGPSでも埋め込んだのかと問いただしたがあくまで偶然だと言い張る。

 



2年ぶりに一人しっぽり過ごすつもりが、結局バカ話大会に変更になった。一人酒も楽しいが、私は逆立ちしても女嫌いではないのでこれはこれで悪くない。食後にそのまま家に帰れないという罰則!が加わってしまったがそれも浮き世の義理である。

  

オネエサンは納豆やソーセージといった家で食べられるようなラインナップを黙々と食べる。オムレツもやってきた。

 

このオムレツがまた良かった。昭和的なオムレツとでもいおうか、古典的な昭和の家庭のオムレツみたいで心がホッコリする味がした。

 


ありそうでない店と言いたくなる。お勘定も安くはないけど高くはない。銀座のようで実は新橋という立地をそのまま体現したような日常使いに最適な店だと思う。

 

私のようにいい歳してシングルライフを過ごしていると日常的に使えるホッコリする店は大事だ。ライフラインみたいなものである。

 

一品料理が揃っていて気取らない雰囲気でキチンとした料理が出てきて、かつタバコまで吸わせてくれる店はなかなか無い。

 

こちらの画像もそうした店の一つ。わが家から歩いて2分の焼鳥屋さんである。高レベルの焼鳥だけでなくニクいツマミも多い。

 


私にとって一種の食堂みたいな感じだから時々は冷やしトマトなんかも注文して野菜不足解消に1ミリぐらいは効果を発揮している。

 

画像はタコの唐揚げと長芋の千切りだ。ホッピーを相棒に充電する時間が過ごせる。串焼きも絶品揃いなのでいつも食べ過ぎてしまう。

 

オシャレな店、ハヤリの店などに意識が向かなくなって久しい。開拓精神や好奇心が弱まっているわけだから褒められた話ではない。でも、快適に“日常メシ”を楽しめる店があるほうがQOL維持には大事だと思う。




2021年11月17日水曜日

博多の夜


先週末、福岡に行ってきた。今回も娘との二人旅である。目的はとくに無い。ウマいものを食べるぐらいである。

 

福岡は15年ぶりぐらいだろうか、ぐい飲みや徳利を調達しに唐津に出かけた際に立ち寄ったぐらいで福岡自体を目的に出かけたのは若い頃の出張ぐらいだ。

 

娘にとって福岡、博多といえば「もつ鍋」をイメージするらしい。私はオジサマだから「水炊き」を連想する。今回は父親の威厳が勝って水炊きのウマい店に行ってきた。

 


 

ミシュランにも載ったという「橙」という専門店に向かう。水炊きと唐揚げしかメニューにない潔さに期待は高まる。

 

私にとって水炊きといえば、新宿にある「玄海」がまず頭に浮かぶ。引っ越して新宿が遠くなったのでご無沙汰しているが「野菜を入れずに鶏肉だけ」という点が最高だ。

 

「橙」の水炊きも「鶏肉だけ」の状態で始まる。鍋奉行はお店の人が引き受けてくれるので安心。まずはスープだけを飲んでみる。

 


 

ややパンチに欠けるかと思ったがジンワリとウマい。後から知ったのだが、ここの店はスープを三段階で楽しませてくれる。

 

最初の一杯に続いては、キャベツ中心の野菜を加えてその旨味が加わったスープを第二弾として飲ませてくれる。

 

その後、やたらとウマいつくねを鍋に投入し、その旨味が加わったスープを第三弾として飲む段取りだ。

 




 徐々に味が変わっていくスープを味わうのは至極の時間だった。この段取りを守るために店員さんが鍋奉行を担当してくれるわけだ。

 

スープはさておき鶏肉のウマさが際立っていた。味の濃さ、食感ともに実に高レベルの肉でそれこそ毎日でも食べたくなるような味だった。

 



 

シメの雑炊も悶絶するウマさだった。もつ鍋派の娘も感嘆しっぱなしだった。私もうなり続けた。旅先の高揚感を抜きに冷静に思い返しても高水準の味だったのは間違いない。

 

さて、福岡といえばトンコツラーメンも忘れてはならない。今回は2軒の人気店を訪ねてみた。

 

抜群に美味しかったのが「二男坊」という店。トンコツ特有の臭みはゼロ。味はしっかりしながらまろやか。強すぎず弱すぎず万人ウケする絶妙な加減だと思った。

 


 

もう一軒は「一幸舎」。泡立つとろみのあるスープが特徴の店らしい。ここも美味しかったが「二男坊」の感動を先に味わってしまったから「まあまあ」ぐらいの印象になってしまった。

 

ちょっと塩気が強すぎる感じがしたが、こればかりは個人の好みである。小ぶりの餃子もウマかったし、チャーマヨ丼というジャンクな一品も良かった。チャーシューのマヨネーズあえ御飯である。

 



 

泊まったホテルは駅からすぐの都ホテル博多。最近出来たそうで屋上のスパエリアの評判が良かったので2泊してみた。

 

屋上露天のスパエリアは気持ちの良い温水プールとジャグジーが用意され、男女それぞれの内湯大浴場からつながっている。

 

寒空の下で温かい温水に浸かってホゲホゲするのは最高だった。ジャグジーは熱いぐらいで寒さをすぐに忘れるほど。

 

ムーディーな雰囲気で巨大な博多駅のすぐそばとは思えないリゾート感を楽しめた。

 

子供は入れないようで大人の空間である。客層はカップルや女子グループばかり。親子連れは我々だけである。ご愛敬だ。

 



 

福岡市街だけは面白くないので太宰府まで足を伸ばした。やたらと人出の多い天満宮をお参りして参道を冷やかしながらぶらぶらする。

 

近くにある光明禅寺の庭園が美しいということでそちらにも足を伸ばす。うって変わって誰もいないお寺で秋の庭の静かな風情をしばし楽しむ。

 

こういう場所に来ると「旅に来たな~」と感じられるから嬉しい。草木の枯れ果てた真冬の頃や夏の時期に蝉時雨を感じながら眺めたらまた違った風情を感じるのだろう。

 



 長くなってしまったが、最後は福岡最古の喫茶店「ブラジレイロ」に行った件。洋食が美味しい喫茶店とのことで立ち寄ってみた。

 

メンチカツが絶品という噂がきっかけで訪ねてみたのだが、あいにく品切れで仕方なくオムライスとドライカレーを注文。

 

どちらも昭和感ぶりぶりの料理である。「正しい喫茶店の食事」をワンランクアップさせたような幸せな味わいにちょっと感動した。

 



オムライスは見ての通りデミ系ソースの海に浮かぶシャれた佇まい。ドライカレーは古き良きニッポンのドライカレーそのもので、ご飯と混ぜ合わせてガツガツ食べるとタイムスリップしたかのような気分になった。

 

なんだか食べ物の話ばかりになってしまったが、今回の旅もオチは「飛行機が行ってしまった事件」である。

 

わずか2ヶ月前に札幌を旅した際も帰りの便を乗り過ごした。空港でダラダラ遊んでいたせいである。

 

http://fugoh-kisya.blogspot.com/2021/09/blog-post_10.html

 

それから間もないのに今回もノロノロと保安検査場に行ったら「もう締め切りだぞ」との冷たい言葉を浴びた。ANAの係員に何とか掛け合ったがダメ。

 

運良く20分後ぐらいのスターフライヤーという飛行機に振り替えてくれるとのことでとくに被害?もなく機内に乗り込む。

 


たまたまその便だけかもしれないが、エコノミーシートはANA便より足元の空間が弘かったのでゆったりと過ごせた。

 

2回も続けて飛行機を乗り過ごすあたりが私のシャバダバなところである。旅慣れているとウソぶいてはいるが、単に図々しくなっているだけだと思う。

 

 

 

 

 

2021年11月15日月曜日

旅に出たいなあ


コロナのせいで旅に出られなくなって随分経つ。12泊の国内小旅行にはコロナ以降でも十数回は出かけたが、一週間以上のしっかりした旅には2年以上出かけていない。

 

若い頃は水中撮影のためにリゾート地ばかり選んだが中年になってからはヨーロッパをあてもなく散歩するのが好きになった。

 




 この画像はパリのオペラ座で華麗に舞う私とスペイン・グラダナで散策に励む私だ。顔は消しちゃったが実に楽しそうな表情をしている。

 

旅先での表情は普段とは別人のようにイキイキしている。まさに転地療法の効果バッチリという感じである。別に病気ではないのだがそんな言葉がピッタリだと思う。

 




毎年のようにヨーロッパに足を運んでいたが、この2年は計画すら立てられない。今の私は「ヨーロッパ行きたい病」にかかっている。

 

最後に出かけたのはクロアチアとポーランドだ。マイレージをアホほど貯めているので無料航空券でちょくちょく渡欧できるはずだったから斬新?な場所を選んだ。

 

スペインやイタリアのほうが断然好きなのにわざわざワルシャワの街を散策したのが最後だ。

 

ワルシャワの人には申し訳ないが、何年もご無沙汰する前の最後の滞在地だと分かっていたら間違いなくワルシャワは選ばなかった。

 

ヨーロッパの楽しみは何てことのない路地をブラブラ散策することに尽きる。あの風情の中に身を置くことが妙に楽しい。

 





 

上の2枚はスペインのトレド。時間が止まったような路地で迷子になるのが楽しかった。下の2枚はバルセロナでの夕方の景色。ヨーロッパの夜の色合いはどこか独特な風情がある。

 

夜に限らずヨーロッパ特有のあの雰囲気は街全体から感じる色味によって醸し出されていると思う。

 

パステルカラーを多用するような景色もあるが、やはり印象に残るのは落ち着いたトーンの渋みのある色味だ。

 




 イタリアのボローニャの煉瓦色の街とイギリス・ロンドンの街並みだ。暗いといえば暗いがこの落ち着いた色味が「哀愁」という言葉を思い起こさせる。

 

あてもなくそんな街をぶらぶら歩く私の頭の中にはいつもサンタナの「哀愁のヨーロッパ」のリフが鳴り響いている。いつもの隅田川沿いの散歩の際には決して流れてこないメロディーだ。

 

https://www.youtube.com/watch?v=TiXCgTTGk5Q

 

世界的に見ればまだまだコロナ禍は収まっていない。今だけをみたら日本が世界一安全といえるような状況だから、気軽にヨーロッパに行けるのはいつになるのだろう。

 

行けないとなるとやたらと行きたくなるから困ったものである。ヨーロッパ用と言ってもいい私のマイレージは今も貯まり続けている。

 

時々国内線で使ってちょこっと減るのだが、普段の光熱費や買い物でもマイルが貯まるからすぐにリカバリーする。

 

ついでに言うと、マイレージによる無料航空券が旅の基本になってしまったせいで「新幹線に乗れない病」にもかかっている。

 

旅の移動は無料という習慣のおかげで新幹線代がバカ高く感じてついつい敬遠している。

 

昨年京都に行った際もわざわざ飛行機で伊丹まで飛んだ。東京駅までタクシーで5分程度の距離に住んでいるのに実にバカみたいである。

 

日々ムダなことに散財しているくせに新幹線代をケチるのもヘンテコだが、北海道や九州にタダで出かけるクセがついたから新幹線が必須の名古屋方面に行きたくてもなかなか行けない。


ヨーロッパの話を優雅なフリして書いてきたつもりが何だかポンコツなオチになってしまった。

 



2021年11月12日金曜日

私の銀座物語


このブログでも過去に何度か書いてきた銀座のおでん屋さん「おぐ羅」。2年ぶりにふらっと訪ねた。

 


 

残念なことに店の大看板だった大将がかなり前に亡くなっていたそうだ。82才だったとか。何とも切ない気持ちになった。

 

私にとっての「銀座物語」が一つ終わってしまったような気がした。

 

大柄で押し出しの強いタイプの大将はいつもカウンターの真ん中でどっしり構えていた。おでんの前に一品料理をアレコレと勧めてくれる大将の“圧”が一種の名物だった。

 

私は正直に言うとおでんがあまり好きではない。でも渋いオジサマを目指そうと力んでいた30代半ば頃にこの店の存在を知り、通を気取った中年になりたくてポツポツと通うようになった。

 




 丸椅子に座らせるおでん屋さんというカテゴリーなのに安くはない。でも一品料理は居酒屋とは一線を画す仕上がり。季節ごとにウマいものが揃っている。

 

客層も“分かった大人”が中心で銀座っぽい店の筆頭だろう。20年ぐらい前はとくにそう感じた。どこぞの業界のフィクサーみたいな風貌のお爺さんやキリッとした風情のダンディーなオジサマが多かった。

 

まだ30代の私などヒヨッコみたいな気分で小さくなって座っていた。時々通うようになって何年か経った頃にちょくちょく大将と世間話を交わすようになった。

 

そんな何でもないことが嬉しかった覚えがある。客として認定?されたというか、いっぱしのオジサマ族に仲間入りしたような気持ちになった。

 

あの頃、夜のクラブ活動に夜な夜な励むようになり、銀座という世界に対して知ったかぶりばかりしていた。そんな私にとってクラブ活動でチヤホヤされるより渋い料理屋さんで常連扱いされることのほうが正しいオジサマっぽくて嬉しかった。

 

銀座らしさを漂わせながらちょっとばかり敷居が高そうなお店でしっぱり飲むことにこだわっていた。それが絵になるようなオジサマを目指していたのだろう。

 

たかがおでん、されどおでん。おぐ羅の雰囲気はまさにそんな感じ。オジサマ族の入口にいた当時の私にとっては「銀座イコールおぐ羅」だった。

 

その後、大将とは何度も野球談義に花を咲かせた。往年の学生野球で活躍した人だったから面白い話をいっぱい聞かせてもらった。

 

https://fugoh-kisya.blogspot.com/2012/04/blog-post_27.html?m=0

 

大将は大谷翔平の今年の活躍を見ずに亡くなったそうだ。その日、大谷の話題で盛り上がるつもりで訪ねた私としてはただただ残念としか言いようがなかった。

 



献杯のつもりでお店自慢の銅(錫だったかも)のヤカンで燗をつけた日本酒をしっかり飲んだ。昔から変わらぬまろやかな味わいが心にも染みる。

       

この店に来て外せないのが名物の薬味たっぷりのカツオのタタキだ。薬味たっぷりの理由はカツオを食べ終わった後におでんの豆腐を投入するためである。相変わらず絶品だった。





 店の隅に置かれた亡き大将の写真を時折見ながら自分の“銀座史”を思い起こす。一人しみじみそんな時間を過ごした。感慨深い時間だった。

 

一時期、おぐ羅で食べた後は道を挟んで向かいにあるクラブ「麻衣子」に出かけるパターンが多かった。移動距離10秒である。

 

おぐ羅での献杯に飽き足らず、当時を思い出しながら「麻衣子」に顔を出す。地下の店に入るなり漂ってくるお香の香りにまめに銀座通いをしていた頃を思い出す。

 

この店に初めて来たのは20代の終わりの頃だ。銀座デビュー?の店である。よく分からないまま迷い込んだのがきっかけだった。

 



全然行かない時期も結構あったが、時々訪ねると妙に落ち着く。お店がどう思っているかは知らないが個人的にはホームみたいな気分になる。

 

10年以上前にもこの2軒をハシゴした話を書いていた。私にとって定型パターンの一つだったみたいだ。

 

http://fugoh-kisya.blogspot.com/2008/10/blog-post_29.html

 

気付けばいっぱしのオジサマを目指して力んでいた日々も随分と昔の話になってしまった。

 

今ではいっぱしのジイサマになれるかどうかを考える年齢になってしまった。


肛門屁の出口、いや、光陰矢の如しである。