娘と暮らし始めて1年が過ぎた。当初は短期で出ていくような雰囲気もあったがドカンと居座ってまだまだこの先も同居が続きそうな気配である。居心地が良いのだろう。
しょっちゅう外食をともにするのだが、還暦が遠くないオジサンと女子大生だから意見が合わないこともある。とはいえ、親子ともども食い意地が張っているので店さえ決まればバクバクムシャムシャ状態である。
八丁堀の焼きとん屋に行った時もこちらは串焼きで満足するが娘はピリ辛ホルモン炒めのような刺激物をせっせと食べていた。
近所の居酒屋にフラっと出かけて一人でモツ鍋を食べてくるような娘だから焼きとんの店は気軽な親子メシの場として悪くない。この日もどうでもいい話に花を咲かせながら過ごす。
コーンバターに赤ウインナーがトッピングされた昭和の子どものような食べ物に異様なテンションで狂喜乱舞する父親の姿が娘の目にはどう映っているのか少し心配である。
しょっちゅう一緒に散歩もする。先日も4時間ぐらい歩き回った。一人での散歩よりも無駄話効果で歩数が稼げるから健康にも好影響である。
スイーツに付き合わされる頻度も多い。私自身が甘いものも好きだから娘のおかげで斬新な味に遭遇できている。この歳になってイマドキスイーツを頻繫に食べているわけだから私の人生も幅が広くなったものだ。
モンブランかき氷なる一品が人気だという人形町の「ふわり」という店に行った時の画像だ。イチゴのかき氷とサクラモンブランである。
モンブランといえば昔はソフトクリームに線を引いたような怪しげな?ニョロニョロが定番だったが、近年は糸状に細分化された体裁で出てくるパターンが増えた。
昔の人間としてはオーソドックスなモンブランのほうが好きなのだが、ここのモンブランは素直に美味しかった。お客さんが並ぶのもよくわかる。甘さもちょうどいいし全体に丁寧に作られている感じが良かった。
娘のおかげで順調に太り続けているわけだが、娘も私との同居を機に大型化が顕著だ。朝からマックをデリバリーで頼んでしまう父親と一緒に住めば当然の帰結である。
最近つくづく思うのだが、親子仲良く暮らしながらも私の場合は娘をだいぶスポイルしている。一人暮らしをしていた頃の娘はやたらとマメに部屋の掃除に励み、自炊にしても魚の煮物を作るなどそれっぽく行動していた。
今はまったく料理もせず、家政婦さんが毎週来るから掃除の心配もない。洗濯だって乾燥機付きだから労力不要だし、それですら私がせっせとやってしまうことも多い。
ゴミ出しだって毎日私のほうが早く出かけるので出がけにゴミ捨て場に寄って行く。私にとっては一人暮らしの頃と同じ行動パターンである。娘のために何かをやってあげている意識はないのだが、結果的に全部こなしてしまっている。
もともとガミガミ怒るようなタイプの父親ではないから娘にとって今の暮らしは天国みたいなものだろう。愛する娘が快適に暮らしているのは結構なことだが、それが依存心ありきで成り立っているのなら困ったものである。
甘甘とうちゃんとして20年以上を過ごしてきたから今更ピリっとした態度をとるのも変だ。娘もしたたかだから私が怒るようなベタな失態をみせない。考えてみれば娘のことを真剣に怒りまくったことなど一度もないかもしれない。
それはそれで幸せなことだ。それはそうだがそう考えるとますます甘甘に拍車がかかりそうだから問題である。
まあ、放っておいても社会に出て自立する日がくればイヤでも荒波にもまれて様子も変わっていくはずだ。甘々父ちゃんでいられる日もいずれ懐かしい思い出になるのだろう。