2011年8月31日水曜日

人生後半戦

酒も煙草も遊びもやらず、それで百まで生きる馬鹿。

私の好きな「格言」だ。

言い得て妙だと思う。人生の楽しみを捨てて長生きしても仕方がないように思う。

好きなように生きて適度なタイミングで寿命を迎えるのが一番だ。もっとも、適度というのが何歳ぐらいなのか、これが難しい。

若いつもりでいたのだが、私だって、どう逆立ちしたって人生の折り返し地点はとっくに突破している。男性の平均寿命まで頑張れたところで、あと30年ちょっとだ。

30年前を思い返すと、今に至るまでの30年なんて、割とあっという間だった気がするから、残り時間は案外少ないのかもしれない。

色々な意味で現役でバリバリ行動できる時間となると、あとどれぐらいだろうか。結構やばいかもしれない。10年か15年か、せいぜい20年ちょっとか。

じゃあ何をすべきだろうか。聖人君子のように生きることでは無い。これだけは確かだ。かといって、好き勝手といっても限度がある。どうしたもんだろう。

古今東西、男のDNAには「放浪したい」という感覚がある。現代社会の制約の中で、そんな願望にすら気付かずにいる人は多いが、間違いなくそういう感覚はある。

山頭火みたいに汚らしくボロボロになって放浪するのはイヤだが、寅さんみたいにブラブラできたら最高だろう。

寅さん映画があれだけの人気を得たのも、元を正せば誰もが憧れる放浪への思いが背景にある。暑くなったら北へ、寒くなったら南へ。

それで日々、恋が出来たらなんて素敵なことだろう。

永井荷風とか壇一雄あたりの無頼を真似したくなるのも男の憧れだろう。破天荒というよりも自分自身に正直ゆえの型破りだったんだと思う。貫ければ幸せだ。

吉行淳之介みたいに愛憎劇を一生続けるエネルギーも凄いと思う。正妻と内縁の妻以外にも、30年近くにわたって愛した人がいたという逸話は、彼の死後に公になった。いい悪いという次元ではなく、素直に尊敬に値する。

さてさて、凡人の極みである私は、放浪も無頼もいまだ夢想の中の話でしかない。それでも、自分の心に正直に信じる道を突き進みたいといつも思っている。

根拠に乏しい漠然と通説化しているだけの常識という枠のせいで変な妥協はしたくない。だから時には息苦しいこともある。それでも光明は必ず見つかると信じて行動するしかない。

なんか、表現が固くなってきたので軌道修正しよう。

冒頭で書いた「酒や煙草にも無縁で長生きしたってしょうがねえ」という話だが、そうはいっても、最近、タバコをやめようとしている自分がいる。これって情けないことなんだろうか。ちょっと悩む。

咳や痰が最近かなり気になる水準になってきた。近いうちに肺のCT検査も受ける予定だが、そろそろ煙草からは完全引退しようかと思っている。

30代後半に禁煙に成功して4年近く吸わなかった経験がある。あの時の便利さが懐かしい。店選びにも困らないし、電車や飛行機だって快適。なにより、ライターが見当たらないとか、タバコがきれたとか、そういう面倒から解放されたことが大きかった。

禁煙の目的は、あくまで「不便だから」ということにしておきたい。健康のためとかいうと、少し情けない感じがする。

まあ、そんなことで格好付けても仕方がない。せめて「もっと子孫を残したいから健康に気をつける」ぐらい大きく出たほうが潔いかも知れない。

子どもは二人いるのだが、許されるものなら自分の生きた証しとして10人ぐらいこの世に残していくのもカッチョ良いかもしれない。現実の社会生活の中では不可能だが、時にはそんな荒唐無稽なことも頭をよぎる。

無責任だのワガママだの、そういう批判は当然だろう。でも案外、それをやっちゃったもん勝ちってことだってある。

これからでも何とか企んでみようか。それとも、私の知らないどこかで既に存在していたらそれはそれで面白い。面白いとか言っちゃ不謹慎だろうか。いや、そのぐらい悠然と構える人になりたい。

最近はつくづく社会秩序というシロモノを作り上げてきた先人達の知恵に恐れおののいている。自分が悶々としているすべての根源は社会秩序という名の制約であり、しょせんはそんな殻を破れない凡人である自分がイヤになる。

せいぜい、社会秩序の中で新しい形、新しいスタイルを模索しようと思う。秩序の破壊ではなく、秩序の中での革命を実現したいものだ。

うーん、今日はどうも話が重いというか、うっとおしい。鬱っぽい。季節の変わり目だからだろうか。そういえば最近、やけに季節の移り変わりに敏感になっている。先が長くないのだろうか。困ったものだ。

いま考えていることの一つが、「素の自分の反芻と分析と自己表現」をどうやって手掛けようかということ。

日記でもシコシコ書こうかと思ったが、あそこまでアナログなものだと、あとあとどこかから発見されてもマズい。

明治の粋人は、家族に読ませないために漢文で日記を残したという話もある。カッチョいい。残念ながら私にはそんな教養はない。

せいぜい秘密のサイトを作って、すべての思いや考え、行動の裏表を日記形式で記録してみようか。書くという行為がもたらす自己分析はなかなか侮れないもので、冷静に自分と向き合うにも有効だ。

真剣に考えてみよう。

今日は何を書きたかったんだろう。8月最後の日、おセンチ?な気分になってしまった。

2011年8月29日月曜日

フォーシーズンズホテル

高級ホテルに感じる憧れというか、高揚感には独特なものがある。人によって違うだろうが、私の場合、ホテルでお茶だ、食事だ、待ち合わせだなどというだけで妙に気分が高まる。

なんでだろう。

幼い頃、現役経営者だった祖父に連れられて会社の周年パーティーだとか、ファミリーイベントのようなホテルの催しに出かけた頃の体験がベースになっているのだろうか。

蝶ネクタイをして、頭をポマードで固めたキッチリした大人の男性がキビキビ働いている。集う人達もどこかおめかしして、非日常的な感じを楽しんでいる。

そんな印象が昭和の時代のホテルには色濃かったように思う。

私が小さい頃は、帝国ホテル、ホテルオークラ、ホテルニューオータニが漠然と「エラい」位置付けで、パレスホテル、京王プラザホテルとか、キャピトル東急ホテルあたりが「まあまあエラい」ような印象があった。

外資系ホテルなど無かったから、昨今のいわゆるホテル戦争を見聞きしても、個人的についつい日本の古参組に肩入れしたくなる。どこか判官贔屓?みたいな感覚なのだろうか。

ペニンシュラだコンラッドだリッツカールトンだとか、最近はカタカナ外資が高級ホテルの代名詞になっている。確かに演出上手だし、日本中の腕っこきホテルマンを引き抜いたりして、必死に質を高めようとしている。

ドメスティック男の矜持として、とんがっているカタカナホテルを避けてしまう私だが、たまにはお茶や食事に出かけることもある。でもどこか落ち着かない。

外資系のなかで一か所だけ、私が妙に思い入れがあるのがフォーシーズンズホテルだ。

フォーシーズンズホテルと言えば、ヨーロッパやハワイやバリ島あたりでも、高価すぎて泊まらずに、食事やお茶を楽しみに行っただけだ。そのあたりはちっとも富豪ではない。

東京では丸の内にもあるが、私が好きなのは文京区の高台・椿山荘の一角にあるフォーシーズンズホテルだ。場所が場所だけに、孤高というか、一種独特の存在感がある。

文京区ってところが良い。流行とか最先端とは異質のホンモノの東京っぽい場所だと思う。区長が幼稚園時代からの旧友なのがシャクにさわるが、そればかりは仕方がない。私自身、文京区は好きなのだが、住民票とかいちいち旧友の名前で証明されるのがイヤなので、隣の区に住んでいる。

なんといっても、このホテルは私の会社からクルマで10分もかからずに行けるので親しみがあるし、使い勝手がいい。オープン当初に比べると、こなれてきたというか、角が取れてきて良い感じだ。

池袋周辺エリアにあるホテルといえば、巣鴨プリズン跡地の墓標である?プリンスホテルか、JR系の高級ビジネスホテルであるメトロポリタン(中華はかなり美味しいです)ぐらいで、それ以外は百花繚乱のラブホテルばっかりだから、「ホテルの高揚感」を感じさせてくれる目白台のフォーシーズンズホテルは貴重な存在だ。

実は私の最初の結婚式はここでやった。自分の住まいや勤務先から近かったという点が最大の理由だったが、アマノジャッキーとしては、15年以上前のあの当時、こんな僻地?で結婚式を挙げる人が少なかったから迷わず選んだ。

そういえば、照明を真っ暗にした会場でデザートが炎に包まれてサーブされていたことを思い出した。実に小っ恥ずかしい過去だ。若気の至りだ。

親友の応援団出身男が現役の学ラン応援団を引き連れて太鼓をガンガン叩いて祝ってくれたのだが、あのホテルでは、その後、披露宴会場に太鼓持ち込みが禁止されたと聞く。若気の至りだ。

割とすぐにその結婚自体をやめちゃったから、大いなる無駄を費やしたことになる。いにしえのあの日、お祝いしてくださった方々、いまさらながらスイマセン。

まあ、そういう恥ずかしい過去は別として、それ以外にもちょくちょく使ってきた。会社帰りにここのバーに寄って葉巻をプカプカ、アルコールをグビグビしてから帰宅したことも何度もある。一種の止まり木に使っていた。

このホテルの良さは、場所柄ゴミゴミしていない点だろう。ロビー周りはいつもすがすがしく適度に凛とした空気が漂う。

全体的に暗いトーンで統一されているが、不快な感じはなく、適度な重厚感につながっている。

椿山荘の緑がどこにいても良い景色になっており、椿山荘と共有する庭も都内では貴重な散策コース。初夏は螢が舞い飛ぶ。

この夏は、全国から集めた風鈴が庭園内にいくつも設置され、灯籠の明かりの中、涼を呼ぶ音色が気持ちを和ませる。

都内中心の高層ビル系のホテルではこの感じはどう逆立ちしても味わえない。オフィスビルと同居しているようなイマドキの外資系ホテルにどことなく漂うインチキな感じは、立地自体の問題に尽きる。

ビルの一部分だけ異空間にしようとしても無理がある。高級ホテルを名乗るのならビルの外の段階から異空間になるような演出は必要だ。巨大庭園を持つ立地を活かしたフォーシーズンズホテルは、その点かなり有利だ。

正面玄関に車を横付けしてそのまま乗り捨てられるバレットパーキングも気分がよい。
車を運んでくれるドアマンさん達も優秀で、何度か使っていると、すぐにこちらを名前で呼ぶ。大したもんだと思う。

都内中心部では帝国ホテルが好きな私なのだが、あの駐車場ビルをグルグル登っていく感じだけはわびしくて嫌いだ。まあ、常に運転手さんとともに行動するようなVIPになれればそんな目には遭わないのだろうが、そうだとしても自分で運転していきたい時だってある。

フォーシーズンズホテルの場合、駐車場の立地がすこぶる使い勝手が悪いので、しょうがなくバレットパーキングが一般的になっている。そんな背景があるだけの話なのだが、結果オーライだ。

大きすぎないホテルならではの良さは、館内で迷子にならない点にもある。方向音痴では人に負けない私だ。ここでは、すべてが分かりやすく配置されているので助かる。

ロビー奥のカフェラウンジで楽しめるアフタヌーンティーも都内屈指の穴場だと思う。窓の外に見える緑を眺めながら、ソファ席にどっかり腰をおろせば、ひとときの現実逃避が可能だ。

ホテル開業時、鳴り物入りでオープンした超高級中華の店は無くなってしまったが、イタリアンに和食、ビストロもあるので、食事にも困らない。

実は格安デイユースも手配するやり方があるし、宿泊料金も昔とは比べようもない破格値を探すやり方もある。

と誰かが言っていた。

小さいながら設備の整った室内プールやジャグジーもあるし、スパや綺麗な温泉大浴場もサウナ付きで用意されている。客室もベーシックなカテゴリーでも充分広めだ。

私がもっと稼げて、ついでに無頼に生きていける事態になったら、きっとこのホテルに長期逗留するような気がする。

2011年8月26日金曜日

島田紳助と前原前外相

島田紳助の引退で世の中、結構大騒ぎだ。正直、どうでもいい話だとは思うが、テレビの影響力を考えるとニュースバリューは高いのだろう。

割を食ったのが、奇しくも島田紳助と同じく京都を地盤にする前原前外相だ。つくづく運の良くない人だと思う。

満を持して、それこそ真打ち登場のようなイメージで、民主党代表選、すなわち日本の総理大臣指名選挙に出馬しますよとブチあげたはよいが、発表翌日のニュースは島田紳助一色。

国民の意識の中で、あきらめムードが強い政治の世界と比べて、島田紳助問題のほうが大事なニュースだと言うことなんだろう。

まあ、真相は知らないが、有名人であろうが、一民間人である島田紳助が暴力団とちょっと関わりがあったというだけで引退という結論になったわけだから、潔いといえば潔い。

潔さという意味では、菅直人とか、もっといえば鳩山由紀夫にこそ見習って欲しいものだ。

次の総理大臣選びをめぐっては、結局民主党も昔の自民党と同じで主流派だの非主流派だの派閥闘争がベタベタだ。「小沢史観」なるわけの分からない言葉まで飛び出し、てんやわんやの様相。

本命視されている前原前外相だが、言うまでもなく外相ポストを手放したのは、外国人からの政治献金問題が発覚したから。

それから半年も経っていない今、「総理になりたい」って言い出して、周囲からも本命と目されている現状が気になる。

だいたい、つい先週あたりに出馬するかどうかを聞かれて「自分には覚悟も能力もない」と明言した人だ。能力も覚悟もないなら頼むからおとなしくしていて欲しいと思う。

外国人からの違法献金問題は、古くからの知り合いである在日韓国人の飲食店経営者からのもので金額も少額。それゆえに「大したことのない話」という受け止め方が一般的だ。はたしてそうだろうか。

政治家の仕事、国の仕事って何だろう。自国の安全確保と国益の追求に尽きる。国際社会の一員という建前の中で、あくまで自分の国のエゴをゴリゴリ押し通すのが仕事だ。

外国からの影響を排除するために政治資金規正法で外国人からの政治献金が厳禁されていることは当たり前であり、政治のイロハのイであり、一丁目一番地だ。

この考え方は、決して偏狭な国粋主義とは違う。国という存在、それを動かす政治家という存在を考えるうえで当たり前の話だ。

前原氏の問題の場合、在日韓国人の知人が日本に長く根を下ろしている人だったこともあり、あまりにエモーショナルな反応だと、結果的に在日韓国人の人達への差別問題になりかねないという側面もあって、世論やメディアも「ケアレスミス」でコトを済まそうとしてきた部分があるのだろう。

これも変な話だ。まったく別問題だ。「日本の政治家は外国人から政治献金を受けてはいけない」という大原則に違反したことを問題視することは、外国人差別とはまったく異質の話だ。変に混同するから論点がおかしくなる。

何のためのルールなのか、あくまでルールがある以上、脱線したら糾弾されて然るべきだし、責任は問われて当然。

おまけに、献金してきた人との付き合いの古さだとか、献金額が小さいことで見過ごされていいはずはない。

もちろん、前原氏に献金した人をどうのこうの言うつもりはない。あくまで一般論としての危うさを指摘したい。

考えようによっては、暴力団とそこそこの付き合いがあった島田紳助よりも、外国人から政治献金をシレっともらっていた前原氏の体質のほうがヤバい話じゃないかと思う。

有名芸能人だから青少年に影響を与える、とかなんとか言う理由で引退までするハメになった問題と、国家のリーダーとなろうとする人間が犯していた危険性。考えただけでどっちが大問題か分かろうというもの。

仮にこの国に影響を与えたい外国勢力があったとする。古い付き合いならいいとか、金額が小さければ献金が許されちゃうなら、それを逆手に長期に渡って緻密に日本の有力者に工作を仕掛けることだって可能になる。

国際的な謀略とかマインドコントロールなんてものは、ほんの少しのスキや油断を突いてくるのが当たり前だ。実際に某大陸から長年にわたって懐柔されてバリバリのシンパになっている国会議員の多さがその証しだ。

いざ国益を左右しかねない問題に直面した時に弱腰になってしまうのが人間の情というもの。魑魅魍魎がうごめく国家間の覇権争いだって、結局はそういうところを突いてくるものだろう。

総理大臣は言うまでもなく国権の最高責任者であり、有事の際には国防の最高指揮官である。外国人献金問題は「のど元過ぎた」話ではないことを強く訴えたい。

2011年8月24日水曜日

値段か看板か

このところ食べ物の話ばかり書いている。グルメぶってるオヤジみたいでチョット問題だ。お盆休みだったし、他に面白いトピックがあっても、堂々とここには書けないような話が多いので、今日も食べ物の話にします。

そろそろ、裏富豪記者ブログも検討せねばなるまい。。。

さて、いつも自分の気にいった店ばかり行けば間違いないものの、ついつい未知の世界に足を伸ばしたくなる。当たれば良いが外すと切ない。

わざわざ開拓する以上、はなからヤバそうな店は避ける。当たり前だが、ここで結構重要な判断ポイントになるのが価格だ。

安さをウリにしている店に過剰な期待は禁物だ。ファーストフードは別としてそれが実態だろう。

若者がカキコミするようなサイトでコストパフォーマンスが悪いと批判されているぐらいが、オジサン達には丁度いいのかもしれない。ちょっと暴論か。

で、妙に値段が高いことを一つの安心材料として麻布十番にある中華料理店に行ってみた。「登龍」という店。看板に自ら「高級」と謳っていたので、それがウリなんだろう。


価格帯はこんな感じ。一流ホテルのうやうやしい中華もビックリの値段だ。これならマズいことはないだろうと、ある意味、大いに期待してみた。

名物の餃子は2000円だ。1個400円だ。餃子1個で100円マックが4つ食べられる。

お店の名誉のために書くが、はっきり言って美味しいです。餃子の餡も皮も焼き加減も問題なし。少し上品すぎるだろうか。まあ、値段ありきで頬ばってみるとウダウダ言いたくなる。1個400円かと思うと感動しないというだけ。


価お店自体は極めて普通の造りで、仰々しさや落ち着かないきらびやかさとは無縁。むしろ、昔からある街の中華屋さんという感じ。居心地はよい。サービスも真っ当。

でも餃子が1個4百円かあ・・とついついセコビッチ根性がしつこく頭をもたげて辛口評価をしたがってしまう。ちっとも富豪的ではない。

そこそこお客さんは入っているのだが、よく見ると、皆さん、餃子と担々麺ぐらいしか頼んでいない。そういう使い方がポピュラーな店なのかも知れない。

こちらは意気込んで前菜や一品料理をいくつか注文。それぞれ、マズいものは無いのだが、昔ながらの街の中華屋さんが良い素材で丁寧に作ったという感じ。

「福臨門」とか「富麗華」のような、こういう価格帯の高級中華で体験するような官能的なウマさとはちょっと違う。

でも、麻布十番あたりに昔から住む中高年のお馴染みさんが安心して美味しく味わうには適度な加減なのかも知れない。


最後にフカヒレかけご飯を注文してみた。4千円だ。100円マックなら40個食べられる。単純に美味しかったのだが、官能的という感じではない。キザにいえば、エロスが足りないとでもいおうか。

セットで出てきたスープがある意味特徴的だった。完全に街のラーメン屋でチャーハンと一緒に出てくるあのスープの味そのもの。

近所にあれば、気軽に麺と餃子だけ食べに行くだろうが、腹ぺこがっつりディナーとか、ましてや接待やデートには使いにくいカテゴリーというのが私の結論だ。

値段があえて高いほうが安心するという歪んだ?店選びの基準とおなじで、初めていく店を「看板」で選ぶのもよくあるパターンだ。

老舗には老舗ならではの存在理由があるし、有名店もしかり。伝統的な看板があるだけで一定の味の水準は維持されていると見るのが一般的だ。

で、看板に頼って初めて行ってみたのが「神田・藪」。珍しく夜の酒のお供に蕎麦屋を選んだ日のこと。良い評判をよく耳にする「まつや」を横目に、藪の門をくぐった。


通りを歩く人が減ったお盆休み時期だというのに大盛況。期待して、つまみをアレコレ頼んで冷や酒やら蕎麦焼酎でウダウダ過ごす。

蕎麦抜きの鴨を食べたり、天ぷらを食べたり、味噌をなめたり、とろろで精を付けたり、しばし風流人もどきの時間を過ごす。悪くない。

そして、せいろがやってきた。

「うーん」というのが率直な印象。最近は以前ほど蕎麦の旨い店にアンテナを張っていなかったせいで、安易に「看板」だけを頼りにしてしまった。「うーん」だ。

雰囲気も良い、つまみも悪くない。ただ、そばが残念。こういうところで主観的なことを書き殴ってはいけないのだが、さすがに闇雲に誉めてばかりもいられない。

浅草・大黒屋の天丼と同じカテゴリーとでもいおうか、観光客向けといおうか、割とアチコチで旨いそばを食べてきた自負のある私としては、つい辛口になってしまう。

いやあ、読み返してみると今日の内容は、随分とイヤミだ。いかんいかん。少し反省してみたが、せっかく書いたからこのままアップする。

「登龍」と「神田・藪」ファンの人、すいませんです。

もう少し気の利いた話を書くように仕切り直ししないといけない。

2011年8月22日月曜日

熱海の効能

夏休み気分もさすがに終わりだ。この夏はいろいろ熱かったのだが、日焼けを全然しないインドアな夏だった。

そろそろ潜水旅行に行きたいが、遊んでばかりなので、さすがに時間が取れそうにない。困ったものだ。

この8月、近場への小旅行を何度かした。高速の渋滞とか大混雑電車は苦手なので、新幹線こだまに乗ったり、あれこれと快適に過ごすために工夫をしてみた。

熱海にも行った。東京駅からこだまで45分ぐらいだ。ピーク時期でも、グリーン車を選べば車両ごと貸切にしたかと思うほどガラガラ。実に快適。

いまだに喫煙車両が用意されている点も素敵だ。JR東海だかの大株主が日本たばこ産業だという理由が大きいみたいだ。良いことだ。

日本たばこ産業には、日本中の公共交通機関の大株主になってもらいたいものだ。

熱海の話だった。

泊まった宿は「石亭」。昔ながらの情緒のある宿だ。熱海、伊東あたりは、小洒落たお忍び風旅館が増殖中だが、イマドキのその手の宿が、どうにもラブホテルみたいに感じてしまう私としては、老舗の王道みたいな宿を選びたくなる。

敷地中が石をベースにした渋い庭園になっていて、すべての部屋が離れ形式。造りこそ古いが、清潔でゆっくりできる。

別邸を建てるには、こんな感じがいいなあ、などとカネもないのに考えてみる。


部屋についていた露天風呂もゆったりサイズ。急ごしらえしたような「部屋付露天」とは一線を画す。4,5人でも入れそうだ。お湯もしっかり源泉が引かれ、舐めればしょっぱい熱海の湯だ。

竹や松の木を見ながら、蝉時雨の中、半身浴。煙草もプカプカしちゃって極楽モード。夜になれば満月を愛でながら束の間のリラックスモード。

料理旅館的な要素が強い宿なので、食事も高水準。日本酒に合う料理がゆったりと一品づつ運ばれ。悦楽の一時。持参した唐津のぐい呑みでグビグビ。



熱海に行った頃は、ちょうど鬼嫁様、お子様御一行様が高原に避暑に出かけていたので、気兼ねなく自分の「素」に戻って命をジャブジャブ洗濯できた。

翌朝、のんびりと宿を後にしてMOA美術館へ。レンブラントもあったし、モネの睡蓮もあった。ちょうど、九谷焼の名工の陶芸展も開催されていたので、結構じっくりと館内を散策。

宗教団体が作った施設だけになかなかの威容だったが、立地条件が素晴らしく、初島を望む海の絶景に見惚れる。


老舗の宿、そして美術館。われながら行動パターンが立派すぎる?と反省して、次に向かったのは「熱海秘宝館」だ。

ロープウェイで高台に行き、わざわざ下品極まりない展示物を見て回る。最低最悪の品ばかりで少し感動する。エロ一辺倒だ。あそこまで徹底すると一種の芸術だろう。結構混んでいたのにも笑った。

若い女性観光客が「ゲッ、またチン○だよ・・」とかつぶやきながら歩いていたのが印象的だった。どんなところか知らずに来たのだろうか。そんな人間観察もちょっと楽しかった。

日本全国城めぐりを老後の趣味の候補にしている私だが、日本中の「秘宝館」めぐりをライフワークにするのも面白いかも知れない。

秘宝館の建物外から見る海の眺めが素晴らしく、しばし絶景を眺める。どうも海ばかり見ていた小旅行だった。高台から見る夏の海の輝きは何とも言えずロマンチックで、心も少しばかり綺麗になった気がした。

熱海の魅力は、何と言っても東京から鼻歌歌いながらついてしまう立地だろう。ピークシーズンでも苦労せずいけて、いいお湯もあって、ウマいメシもあって、絶景もある。

中古のリゾートマンションがだぶついてる話は、このブログでも以前書いたことがあるが、真剣に物件探しがしたくなってしまった。

またすぐにでも行きたい。

2011年8月19日金曜日

肉を食う

草食男子がはびこるおかげで、肉食世代に回ってくる「食べ物」が豊富になって何よりだと思う。

いや、やはり若い人たちが肉食になって頑張ってくれないと、こっちの老後が心配だから、少しは分け前をプレゼントしようかと思案中だ。

わけの分からない話を書いてしまったが、先日、人から聞いた話だと、若者の草食ぶりはかなりひどいらしい。

その人の目撃情報によると、都内某所の若者で賑わうプールでのこと。見るからにナンパ待ちをしている女子グループのそばで、いくつもの男子グループが男子だけで楽しくはしゃいで帰って行ったそうだ。

健康的といえなくもないのだろうが、我々の世代からすると、純粋に不健康な行動だと思いたくなる。

2~30年前、ヒドいことになっていた伊豆七島あたりも今では草食系の男子たちが男同士で草でもはんでいるのだろうか。少し心配だ。

最初から大きく話がとっちらかってしまった。今日は、肉を食べる話を純粋に書こうと思っていた。そっちの話に戻す。

松阪牛、近江牛専門の焼肉屋さんに出かけた某日。結局、たくさん食べたのは、ハツとかホルモン系、あとはチャンジャとかユッケ。韓国焼酎を呑んで辛いクッパを食べておしまい。

どうにも「どうだい牛肉だぜ」みたいな肉が食べられなくなった。

若い頃はカルビだけで5,6人前は一人で平気で食べられたのに、自分のだらしなさが悲しい。ウマいなあとは思うのだが、ちょびっとで満足してしまう。加齢だ。

今では、牛よりも豚、豚よりも鶏が好きな肉類の順番になってしまった。


というわけで、先日、久しぶりに鶏肉をブリブリ食べてきた。新宿に昔からある水炊きの店「玄海」。ここのスープが絶品で、気付けば訪ねたくなるのだが、だいぶご無沙汰した。

鍋物といえば、すき焼きだろうが、しゃぶしゃぶだろうが、フグだろうが、クエだろうが、主役よりも野菜が幅をきかせているのが難点だ。

その点、「玄海」の水炊きは最高だ。鍋の中には鶏肉だけ。野菜はカケラ一つもない。登別とか霧島温泉のように白濁したコクのあるスープに包まれてブツ切りされた鶏肉がゴロゴロ。

この潔さがたまらない。どう考えたって鍋に野菜を入れれば薄まっちゃうし、ヘタすると鍋の旨味を野菜が吸いとってしまう。


スープを楽しむことがこの店の魅力の70%を占めるような気がする。漉したニンニクを加えて味わえば、まん丸く、かつ、がっつりした旨味が口の中に広がる。バツグンだ。

ブツ切りされた鶏肉は特製ポン酢で食べる。骨の周りの肉までチューチュー絞り取って食べ続ける。

牛肉にはすっかり弱くなってしまった私だが、鶏肉相手だと際限なくむさぼり続けることができる。不思議だ。

スープだけを追加注文することも可能だ。いつも当然のように追加する。熱いスープを肴に冷酒をグビグビ呑むのが最高だ。私の価値観の中で、液体方面?で酒の肴になるのは玄海のスープぐらいだ。


鶏のロース焼きも食べた。単純明快に焼き上げた奇をてらっていない一品だ。両手でバキバキと裂き、したたり落ちる肉汁にヨダレを垂らしながらカブりつく。素直にウマい。

ケンタッキーフライドチキンに10回行くのなら、この店に1回来るほうが、人として正しいように思う。ちょっと大袈裟か。

こちらの店は基本的に全席個室で、店の作りも昔ながらの料亭風で居心地も良い。さすがに一人メシには場違いだが、恋人、接待、家族、友人同士など、相手を選ばない懐の広さがある。

小さめの個室に陣取り、素敵な女性と二人、冷酒を差しつ差されつしながら、ズズズっとスープをすする状況がイチオシだと思う。

コラーゲンをたっぷり吸収した肌を、その後デザートとしていただけるかどうかは別として、お店のどっしり感は意外なデートの穴場と言えそうだ。

いまハヤリのインチキっぽい和テイストとは一線を画した純日本的造りは、束の間の小旅行気分になれる。変に格好良すぎるレストランなんかよりオススメだと思う。

2011年8月12日金曜日

カミングアウト

成り行き上、「富豪」を名乗ってしまったせいで、このブログでみみっちい話は書かないようにしている。

なんだかんだ言っても、私もセコビッチ太郎なので、貯めている小銭がいっぱいになって、銀行でお札に交換してもらうのが至上の喜びだし、会社の近所の古本屋を覗いて100円の本を吟味するのも楽しみだ。

灰皿の中のシケモクをヤケドしそうになりながら吸うこともあるし、自宅近所の90円で缶ジュースが買える自販機にも良く行く。

このブログでは富豪として振る舞わねばならないため、日々、高級寿司店とか高級料理屋で食事をしているような書きぶりだ。

実際には、そんなはずはない。プロントでまずいピザを食べて終わる夕飯もあるし、リンガーハットの皿うどんで終わる日もある。

なんだかんだ言って、俗に言うB級グルメとかファーストフードも実はかなり好きだ。ジャンクフードとともに育ってきた年代だからだろうか。

牛丼は「松屋」支持派だ。アマノジャクとしては、単なる牛丼ではなくビビン丼やキムカル丼あたりが好物だが、別注の牛皿を更にトッピングするあたりは、一応、富豪的だと思う。

最近は「旨辛ネギ玉牛丼」がイチオシだ。辛めのネギと半熟卵が牛丼に加わっている。これに別注の牛皿をトッピングすれば言うこと無しだ。


話は変わる。

シンコは終わりだ、新イカはまだか、などと寿司通みたいなことを書き連ねている割には、隠れ回転寿司ラバーでもある。

カミングアウトしてスッキリした!

回転寿司は、あれはあれで別格のジャンルを確立している存在だ。

握り寿司というより、乗っけ寿司と呼んだほうが的確だろう。寿司を文化的、学術的に捉えずに、新しい時代の食い物として割り切ってハジケているところが良い。

邪道か否かという次元ではない。正しいか正しくないか、という議論もあの世界では不毛だ。変なモノにこそ、ある意味、回転寿司の「矜持」があるのだろう。大袈裟か。

先日ぶっ飛んだのは「シュリンプピザの握り」だ。説明は不要だろう。ピザ味だ。善し悪しに関係なく、この居直り具合が凄い。

「豚しゃぶ握り」も食べた。「げそマヨサラダ軍艦」も食べた。「明太ポテト軍艦」、「エビフライロール」、「トンカツロール」、「コーンマヨ軍艦」も食べた。

食べた、というか、私の場合、回転寿司に出撃する場合、その手のヘンテコ寿司しか食べない。普通のオーソドックスな握りは、滅多に頼まなかったりする。

一見、変わり種ではない「エンガワ」もよく注文する。話によると深海に住む得体の知れないナントカガレイが素材らしい。

脂が乗ってると言うより、不健康にビチャビチャしている。そのゲテモノ感に引き寄せられて結構良く食べる。

しょせん私の味覚はそんなものなんだろう。

で、ここからは話を富豪っぽく持っていく。

回転寿司で奇妙な寿司を食べると、あらためて真っ当な寿司の有り難さというか、偉大さが分かる。

馴染みのお寿司さんでは、邪道な注文を平気でしてしまう私だが、基本的には王道的な正しい寿司に惹かれる。




写真は上から、イワシ、サンマ、シンコの握りだ。この季節、青魚が恋しくなるが、イワシもサンマもまだまだ締まっていて素直にウマい。

脂が乗りすぎると、どうもグジャグジャした食感が出てくるので、ハシリに近い頃のネタのほうが好みだ。いくらでも食べられる感じだ。




こちらの画像は、キスの昆布絞め、カツオの握り、イサキの刺身だ。

カツオは薄切りを3枚ほど重ねて握られていた。空気感?のせいで食感が変わる。

つまみで頼んだイサキは関アジ、関サバで知られる大分の佐賀の関からやってきた。身が締まっていて旨味もあってバツグン。キモまで付いてきたのでウヒョウヒョだ。

この画像はすべて、よくお邪魔する高田馬場の鮨源で味わった逸品たちだ。いつもスーパーツナマヨ軍艦とか、刺身用の馬肉をバター炒めにしてもらうような邪道オーダーばかりしているが、この日は真っ当な寿司ネタを真っ当に食べた日だった。

いつも、こんな風に真っ当に寿司をパクついていればイキなのだろうが、頻繁に出没しているとついつい変なものを頼んでしまうのが困りものではある。

先日も、腎虚?気味だったので生牡蠣用のカキを摂取することにしたのだが、こってりバター炒めにしてもらった。

イタリアン顔負けのオリーブオイルをしっかり投入されたカキバターは実に官能的な味だった。

携帯が壊れてしまって、せっかく撮った画像がないのが無念だ。

実は邪道はここで終わらないからリアル邪道だ。

牡蠣を食べちゃった皿に浮かぶ不健康そうな「オイルバターソース」が私に何かを訴えている。

「うまいぞ~!」と囁いていた。

「パンある?」。天下のお寿司屋さんでそういう失礼な問いかけをした私だ。アホ丸出しである。

残念ながらパンは無かった。その代わり「シャリを入れてリゾット風にしますか?」と板前さんが神のような言葉を私にくれた。

ニコニコうなずく私。しばし待っていたら、クリームチーズまでミックスされた「牡蠣エキスオイルバターしゃりリゾットクリームチーズ和え」が出てきた。

そりゃあウマいでしょう。悦楽の味が口に広がる。冷酒を飲んでいたので、酒との相性は全然ダメだが、それが気にならないぐらいパンチの効いた味だった。

「まっとうなネタをイキにつまんで、四の五の言わずに颯爽と店を後にする小粋な男」。実はこれ、15年前に目指した私の15年後の姿だ。ちっとも近づいていない。それどころか、年々だらしなくなってきている。

次の15年。私はどんな不気味な進化を遂げるのだろう。

★★夏休みモードなので、来週の月曜日と水曜日は更新をお休みします。

2011年8月10日水曜日

朝飯を考える

朝飯は断然和食党だ。気取ったホテルのルームサービスで、変なパンや食べたくもないフルーツやヨーグルトが出てくるとゲンナリする。

やはり白米だろう。日本人が元気になるには白い米だ。

究極の朝飯は生卵かけご飯でしょう。やはり。あのタン壷のタンみたいなデロデロをどかして、多めに醤油を垂らして、熱々ご飯の真ん中に穴を開けてジョワーっと流し込んでかっ込む。グルメだなんだの言ってもこれにかなう好敵手は中々見つからない。

などとお爺さんみたいなことを力説してしまった。私はもともと朝食をしっかり食べるほうなので、変なトーストとか、シリアル類にはまるで興味がない。

理想は、日本旅館の朝食だろう。

ここ数年随分と真っ当な旅館を訪ね歩いた気がする。漠然と思っているのは、イマドキの隠れ家風モダン旅館よりもオーソドックスな保守的旅館の朝飯のほうが嬉しくウマい。

朝から奇をてらったものなど食べたくもないし、かといって、あんまり侘びしいのも旅の朝をつまらない空気にしてしまう。

伊豆方面で言えば、アジや金目鯛などの干物が熱い状態で出てくるようなら合格だ。その他のものも間違いがない。

ビュッフェ形式も悪くはないが、やはり部屋か個室でしっぽりとゆるやかな気分で味わいたい。前の晩の余韻など関係ないような旅行ならいざ知らず、やはりシッポリ系がよい。

欧米人がモーニングコーヒーを愛の証しと捉えるのなら、こっちとらあ、個室でしっぽりモーニング味噌汁だろう。

ここ数年、何度も出かけている熱海・大観荘あたりの朝食は、正しい干物、正しい玉子焼き、正しい味噌汁、その他正しい小鉢がたくさん並ぶ。ご飯も美味しく、お代わりしまくる事態になる。

真っ当な旅館といえば、夜の食事がハイライトだ。正当な日本料理に腕を振るう板前さん達が日々精進している。そんな板前さん達が手がける朝食だ。まずいわけがない

大観荘のほかに朝食が印象的だったのは、伊東のいずみ荘、湯河原の海石榴と白雲荘、登別の滝乃家、仙台・秋保の佐勘、伊香保の福一あたりだろうか。


先日出かけた伊豆長岡の旅館でもイメージ通りの朝食に遭遇した。宿の名前は「正平荘」。ちょっとベタだ。

夕食も予想以上に良かったのだが、その延長線上で朝食も実に真っ当だった。

特別、得体の知れないものはない。そこが安心。イカ刺し、少し炙ったタラコ、自家製のじゃこ、黒はんぺん、おひたし、上等な味噌汁。そして骨が巧みに処理されて頭から丸ごと食べられるアジの干物。

滋味だ。一日が豊かになった。

ここで出色だったのが、オリジナルの自然薯豆腐。文字通り粘り気があって、豆腐の風味と自然薯の風味がうまく混ざり合っている。

夏バテ気味の身体に染みこむ感じだった。


初めて行った宿だったのだが、部屋の質、料理の内容などから見てコストパフォーマンスが非常に優秀だった。予約する段階では、ちょっと安すぎるかなあと逆に心配したが、すべての分野で上手にコストを削って頑張っている感じ。

ここ数年全国で流行している「日本旅館再生プロジェクト」のような改革の洗礼を受けた宿の一つみたいだ。ケチを付けるところはいくつもあるが、価格面から見ればトータルで充分満足できるレベル。

適価という言葉を実感できた。一人一泊5万円から取る旅館だったら、すべてが完璧で当たり前という感覚でこちらも評価してしまう。ちょっとしたダメポイントを見つけた時の落胆も大きい。結構そういう宿は多い。

一方で、心配してしまうぐらいの価格だったのに、フタを開けたら満足できちゃうというのは実に気分がいい。

高級感というには物足りないものの、変に凛とし過ぎちゃっている宿より考えようによってはくつろげる気がした。

特筆すべきはチェックアウトの時間が午後1時という点。全国でも珍しいと思う。それだけで価値を見出す人も多いだろう。

朝飯の話が、宿のウンチク話になってしまった。まあ、誰と行くか、誰と食べるかにも左右されるのだろうが、一人旅でもウマイものはウマイし、ふたり旅でもマズイものはマズイ。

要は自分の好みを確立しておけば、そうそう外れることはないと思う。

先月のパリ旅行では、オシャレなカフェでクロワッサンにカフェオレといった朝食を考えてみたのだが、結局、一度も実行せず。

持ち込んだカップラーメンだったり、前の晩にホテル近くの中華惣菜屋で買った冷めたチャーハンだったり、随分侘びしい朝飯を食べていた。

その点、たった一日の旅館の朝飯だけで、こうやってウダウダと書き込めてしまうのだから不思議だ。

快適な気分で食べる旅先の爽やかな朝飯は、たった一度でもインパクトのある思い出になる。

2011年8月8日月曜日

インチキ集団の末路

わが社は専門新聞を発行している会社だ。編集畑で四半世紀ほど仕事をしてきた私としても、一応、物事は淡々と客観的に書かねばならないと意識している。

このブログはわたしの趣味みたいなものなので、主観ブリブリに好き勝手なことばかり書いている。それでも、仕事に絡む話などは、どこか客観的な書きぶりに注意している。

なんでこんなまどっろこしい前振りを書いているかというと、私の仕事分野にドンピシャの「子ども手当」問題について、どうにも客観的に事実を淡々と書く気が起きないからだ。

連日メディアを賑わす子ども手当問題の行方について、正直言えば「なんか四の五の言ってらあ・・」という印象しかない。

10月以降は、月額支給額がいくらになるだの、所得制限をどうするとか、3歳未満だったらあーだのこーだの等々、枝葉末節な内容ばかりが日々報道される。

「ふーん」としか言いようがない。単純に国民がだまされた部分への怒りが既存メディアの報道からは一切見えてこない。


政権交代のきっかけになったマニフェストの目玉政策がいとも簡単にホゴにされる。一体なんなんだろう。“げにあさましき”というフレースが頭をよぎる。

現行の子ども手当は、社会全体で子ども達を育てるという大義名分で所得制限を設けなかった経緯がある。それが陳腐な思想のもとで制度の根幹部分がいとも簡単にうち捨てられるわけだ。実にインチキでいい加減な話。

結局、今の政権が目指すのは中堅、高所得者層から絞れるだけ絞り取る社会だということ。奇しくも導入後わずかでインチキが露呈した子ども手当が、政権のウサン臭さを証明してしまったわけだ。

もともと、労働組合をメインの支持母体にする政党がイメージだけで手に入れた政権の座だ。実際に国家運営を行う上で、発想の落としどころはしょせん、成長支援より富の分配という部分でしかない。これが悲しい現実だ。

みんなで平等に貧乏を目指す路線とでも言おうか。この言い方は決して大袈裟ではない。金持ちは憎悪の対象、持ってる人からは収奪して、適度に小さくまとまって競争も避けてノホホンと暮らす人々に分配しましょうという考え方が基本だろう。

政権交代選挙で圧倒的な勝利を収めた事実をもって「選んだのは国民だから」という責任逃れの声もある。なんともビミョーだ。

一応、それも理屈だし、もっともらしく聞こえるが、まさに笑止千万だ。

選ばされた基準がウソだらけだったのだから、国民はサギにあったようなもの。

「オレもこの前の選挙で、民主党に投票しちゃったからなあ」という気まずい感覚を持つ国民が意外に多いことが、「民主党おろし」の世論が盛り上がらない隠れた理由の一つだろう。

繰り返しになるが、しつこく書く。確かに選んだのは国民だ。狭い解釈でいえば、選んでしまった以上は選んだことによる結果責任があるのが普通だ。

ただ、今回のような「不可抗力」では責任などちっとも感じる必要はないと思う。選ばされる段階で、基礎資料がまるでデタラメだったのだから、逆に悪質な裏切りにキレまくるほうが正しい反応だと思う。

今日は真面目に感情的に熱くなってしまった。

2011年8月5日金曜日

ダウンちゃん奮戦中

このブログにたどり着いていただいた人の中には、ダウン症関連のキーワードをきっかけにリピーターになってもらった人も多い。

今日は、そちら方面の話題を書きます。

生まれつきダウン症という宿命を背負った我が家の息子は、いま4歳半。有難いことに視力が弱いことのほかは目立った合併症も無く、ゆっくりと育っている。


先天的に体温のコントロールが苦手な傾向にあるため、今の季節は寝ても覚めても汗をたくさんかく。中年オヤジみたいでちょっとおかしい。

身体の面では、同年代の健常児と大差なく育っているのに、知能の面では、2歳弱、1歳半レベルだろう。

何かしゃべっているのだが、まだまだ会話のレベルではない。こちらが言い聞かせようと思っても理解度は1歳半。身体は4歳なのに知能がまだついて行ってないことは、親としてはちょっとシンドい。

体力勝負だ。

4歳児といえば、普通はたいていの身の回りの作業をこなせる。我が家のダウンちゃんは、いまだに自分では着替えられない。トイレに行きたい意思は親に伝えることが出来るものの、勝手にトイレに行ってズボンやパンツをおろし、用を済ますことが出来ない。

便座に持ち上げるのもヨッコラショだし、突然昼寝しちゃってどこかに運ぶ際にもヨッコラショだ。

散歩に行っても、まだ帰りたくないと暴れ出せば、無理やり、抱っこや肩車で運ばないとならない。クルマの乗り降りも自分で出来なくはないが、ノロさに根負けして、結局、ヨッコラショになってしまう。

しょっちゅう腰が痛くなる。どうせ腰が痛くなるのなら「腎虚」あたりを理由にしたいが、アイツのせいで腰や腕が痛い。

そうは言っても彼は彼で気の毒ではある。頼りの父ちゃんは、いまやすっかり若者の頃の元気さを失い、身体を張って遊んでくれるわけではない。

もっと激しくヘトヘトになるような遊び方をしてやりたい気持ちもあるが、結局、週末に散歩に連れ歩くぐらいだ。

不思議なもので、散歩に連れて行ったり、近所の公園に連れて行ったあとは、彼は私に異様に親しげになつく。普段遊んでいない時とはまるで態度が変わる。

動物的感性とでも言おうか。丁寧に相手してくれたり、遊んでくれた相手を殊更、重要人物だと認識する。

最近の週末は、そんなこんなで、私の書斎兼寝室に頻繁に登場する。赤ちゃん対策商品である「通せんぼゲート」のような脱走防止用扉をいとも簡単に突破するようになった彼は、私の部屋を集中して破壊しに来る。

彼にとって、私の部屋は探索場所として魅力的らしい。タバコや灰皿、パソコンやiPodやiPad、カメラにビデオ、水中撮影機材、工具の他、無数の引き出しも引っ張り出して楽しめる。サウナやエロ本なんかもガサゴソいじっている。

私がいないスキに侵略されると、書斎兼寝室は、まさに破壊的状況に陥る。先日もガムテープ1本分がまるまる芯から引きはがされ、部屋中にベタベタ散乱していた。

今、私の部屋のテレビのリモコンが紛失中。居間のエアコンのリモコンも紛失中。固定電話の子機もずーっと紛失中。上の子が大事にしていたWiiのソフトも2本紛失中。

すべてアイツの仕業だ。

先月、私が8日間ほどフランスに行っていた際には、最初の3日間連続で私の部屋に乱入。日々、あるじが不在だったせいで、3日目に「もういい!」と叫んでパタッと覗かなくなったらしい。

その程度の知恵、というか判断能力はあるみたいで感心した。

最近は保育園でも同年の友達の遊びについていけなくなり、ポツンと一人で遊ぶ時間が増えたらしい。

1歳年下のやはりダウン症の女の子と二人にしか分からない宇宙語で慰め合う場面も増えてきたそうだ。親としては、いよいよ特殊な環境で彼が生きていく現実を突きつけられた気分になる。

思えば、このところ、街行く人からあからさまに不快な表情を示されることが何回かあった。

健常児とはやはり異なる風貌のせいで、彼は今後、数え切れないぐらいそういう経験をしていくのだろう。

それも現実だ。

そういう表情を向ける人をどうこう言っても始まらない。「未知なもの」、「異質なもの」への嫌悪感は人の感情として自然なことだ。

綺麗事ではなく、それが社会の本音だから馴れるしかないのだろう。

私自身、わが家のダウンちゃんと出会う前は、障害を持つ人達にそういう表情や視線を無意識のうちにむき出しにしていたのかもしれない。

わが家のダウンちゃんは、なぜだか、障害を持った人達を見つけると親しげに手を振ったり、近づいたりする。

もちろん、彼自身が幼いので、特別な意識であえてそういう動きをしているわけではないのだろう。ただ、見ているこっちとしては実に不思議な気分になる。彼の辞書に偏見という文字はないのかも知れない。

毎朝、わが家の前を電動車椅子で通過する身体の不自由な30歳ぐらいの男性がいる。
わが家のチビは、保育園の通園時にその人に出会うと、必ず握手と挨拶を交わす。

お互い通常の会話が出来ない状態なのだが、二人で楽しげに挨拶しあっている。

おかげで私も通勤時に時々すれ違うその人とは、元気に挨拶を交わす間柄になった。こんな体験自体、わが家のチビのおかげだ。

ダウンちゃんのおかげで知ったこと、気付いたことは無数にある。強がりではなく、自分の糧になったことは確かだ。そういう点では、有難い限りだが、先行きへの不安が消えないのも事実ではある。

まあ、親がどんな思いをするかよりも、チビ自身が、これからいくつもの葛藤と向き合うことのほうが気の毒ではある。

ひょうひょうと乗り越える強さを身に付けてもらいたい。キリッとした大木の強さ、張り詰めた枝の強さではなく、柳の枝のようにしなやかに折れることなく受け流せる強さを身に付けてもらいたい。

そんなことを真面目に考えていても、アイツの福笑いみたいな変な顔を見ると、不思議と「なるようにしかならないな」という単純明快な結論が頭に浮かぶ。

ひょっとすると、こちらを楽天的な気分にさせてくれる能力を隠し持っているのかも知れない。

そういうことにしておこう。

2011年8月3日水曜日

器と物語

先日、facebook上で、旧友がお気に入りの湯飲みを金継ぎして使い続けている話を読んだ。

作家モノの白磁の湯飲みだったが、少しだけ欠けた口周りを金細工で補修。器も幸せだろうと思う。

かくいう私も、昨年、家で愛用している唐津の湯飲みが欠けてしまい、金継ぎして復活させた。愛着のある器には自分なりの歴史やドラマを閉じこめているので、なんとか使い続けたい。



この画像のぐい呑みは、かれこれ15年近く前に岐阜まで窯場めぐりに出かけて買ったお気に入りだ。その頃の私は、画像の器のようにひしゃげた作品が好きで、これもその典型的な一品。

東海地方を代表する美濃焼や瀬戸焼は、一般的に志野、黄瀬戸、瀬戸黒、織部といった手法・色柄に分類されるが、画像のぐい呑みは愛好家が多い鼠志野というジャンルだ。

そんなに高価な品ではなかったが、大ぶりでひしゃげていて、当時、冷酒ばかり呑んでいた私が一目惚れした。

磁器と違って陶器の場合、使えば使うほど風合いが変化してくるのが楽しみ。「萩の七化け」といわれるほど、アッという間に変化する萩焼ほどではないが、志野も使い込めば表面の様子が変化してくる。

とはいえ、一般人が一般的な家庭で、その他にいっぱいぐい呑みを使う中で、お気に入りの器を変化するほど使い込むのは至難のワザである。

このぐい呑みは、当時、毎週一度は通っていた目白台のお寿司屋さんに預けて鍛え込んだ経緯がある。私が行った際はもちろん私専用の器として使い、その他の日はお客さんに使ってもらった。

そのお店には風流なお客さんも多く、器好きな御仁も少なくなかった。カウンターの端におかれた備前の花器には季節の野の花が飾られ、穴子の握りなどは緑色の発色が美しい織部の小皿に笹の葉とともに供されていた。

預けたぐい呑みも、大将に頼んで、私以外に使ってもらうお客さんを絞り込んだ。意味の分かる人に使ってもらいたくて、一定の人達にだけ使ってもらった。

5年近く、その店で鍛えられたぐいのみは、この画像では分からないが、物凄く変化した。角が取れたというか、表面がトロッとした風合いに変わり、見込みの部分も日々、冷酒を注ぎ込まれたことで適度に枯れてきた。

10年ぐらい「丁稚奉公」させたかったのだが、店の大将の不慮の死により、この器は私の元に里帰りした。

いろんな思い出のせいで、しばらくは使えなかったのだが、ここ2,3年ちょくちょく使っている。

20代中盤ぐらいから30代前半ぐらいまでの私自身の物語がこの器には閉じこめられているように思う。

思い入れのある器だけに、たとえ間違えて木っ端みじんに割れるようなことがあっても、専門家に頼んで修復するだろう。

価格だけで見れば、この器より10倍、20倍もするぐい呑みも持っているが、大事さという点では一番かも知れない。



こちらは唐津の井戸ぐい呑み。井戸茶碗の井戸から来た呼び方だ。俗に井戸のように深いという意味合いでそう呼ばれる。

釉薬の縮れ具合を表わす「梅花皮(かいらぎ)」の風情が好みで一目惚れした。この一品は佐賀・唐津に出かけた際に作家の工房で購入したお気に入りだ。

何年か前に、思うところあって、日々、家に帰らずふらついていた時期があった。

週末は、ほぼどこかの温泉宿で過ごしていたのだが、当時お供してくれたのがこのぐい呑みだった。苦い酒ばかり注いだ気がする。

そんな記憶があるので、最近は陳列棚でひっそり置かれたままだ。楽しい酒を飲む時に付き合わせてやらねばと思っている。



こちらのぐい呑みは、伝説的巨匠・荒川豊蔵の内弟子だった豊場惺也さんの一品。本来、絵付けとか文字入りの酒器には興味がない私なのだが、この一点だけは特別。

それこそ、さっき書いたふらついていた時期を過ぎ、ようやくマトモな状態に戻りかけていた時期に、ふと近代陶芸も扱う骨董屋で出会って、迷わず手に入れた。

「福」の文字のけれんみのない勢いに惹かれた。おまけに私の干支「巳」も書かれている。お守りみたいに感じて大事にしている。

これで一杯ひっかけると不思議とウサが晴れるし、前向きな気分になるから不思議だ。

たかが器、されど器。酒器ならば尚更、酒という素材を受け止める性質上、いろいろなドラマを投影することが出来て楽しい。

黙ってコップ酒というスタイルも格好いいが、たいして呑めない私だから、その一杯一杯にストーリー性を求めたくなる。

ちょっとキザでイヤミっぽいから適当にしておこう。

最近は、憂いもなく楽しい酒が多い。これって幸せなことだ。こんな幸せを記念して新たな一品を買おうかと思う懲りない私だ。

2011年8月1日月曜日

螢か蝉か

虫が苦手な私だが、ホタルとセミには心惹かれる。もちろん、触ったりするのはイヤだ。あくまで、存在として、イメージとしてのホタルとセミが好きだという意味。

ホタルもセミも、日本人が好む「はかなさ」の概念を象徴する代名詞だ。虫業界における桜みたいなもの?だ。

ホタルの放つ恋の灯り、セミが命をかける恋の歌。いずれも限られた時間の中で精一杯に命を輝かせる。

何年か前までは毎年ホタルを見に名所といわれる場所をいくつか訪ね歩いた。

闇の中、水辺のせせらぎの音と、優しく飛び交う黄緑色の光。ホタルの生息地ならではの水辺の香りも不思議な癒しの雰囲気を醸し出す。

今年も見に行く機会を逃した。実に残念。浴衣姿の愛らしい女性を連れ立って出かけるのは来年の楽しみにとっておこう。

さてさて、都心でもセミが賑やかになってきた。ホタルが静ならセミは動。はかなさのシンボルでも随分とイメージは違う。

「鳴く蝉よりも鳴かぬ螢が身を焦がす」という諺もある。ウダウダ言う人よりも沈思黙考タイプの人のほうが深く愛情に身をやつすという意味だ。

本当だろうか。愛情を感じたら一生懸命伝えたほうがいいように思うけど、いかがだろう。黙ってたら屁の突っ張りみたいなモノだ。

まあいいか。どっちがどうあれ、ホタルもセミも恋を表わすシンボル的な存在には違いない。

土の中で7年暮らし、地上に出ても7日で命を終える姿がセミのイメージを決定付けている。

雌伏の時を経て、最後の数日、全身全霊で愛を求めて鳴き続けるわけだから、それはそれはロマンチックではある。

少年の頃、いたずらついでにセミに爆竹を抱えて飛ばした残酷極まりない自分をつくづく反省したくなる。

話を戻す。

考えてみれば、命が尽きる寸前になって一心不乱に愛の歌を叫ぶなんて芸当は、「はかなさ」というより「勇ましさ」かもしれない。

自分に置き換えて考えてみた。人生の終わりが見えてきた頃に、そこまで必死になれるだろうか。むしろ、そんな情熱を忘れずに晩年を迎えられたら、実に素敵な老後ではないだろうか。

たくましいセミを見習わないといけない。

まだまだ最晩年ではない私だ。最晩年になったら、そんなパワーは残っていないだろうから、今のうちにセミを見習ったほうが良さそうだ。

粉骨砕身、一日中、やかましく愛の歌でも叫んでみようか。

さてさて、私にとってセミの鳴き声といえば、「カナカナカナ」と切なく響くヒグラシが一番印象的。

小学生、中学生の頃、夏休みも後半になると、夕暮れとともに聞こえるヒグラシのモノ哀しい声に妙に焦りを覚えた。

「夏の終わり、宿題に手を付けていない自分」。そんなシチュエーションにはヒグラシの鳴き声が染みた。ホントに切なくなった。

ミンミンゼミやツクツクボウシの鳴き声は、野球だ、プールだとガンガン遊んでいた時のBGMだ。太陽が真上にある時間帯に聞こえてくるイメージ。これはこれで「楽しい夏」を盛り上げてくれる音色だ。

ヒグラシは、楽しいと言うより、郷愁を誘うとでも言おうか、どことなくしっぽりとした気分にしてくれる。

すいませんが、ここからアホな妄想が始まります。。。



入道雲が少しだけおとなしくなった晩夏の夕暮れ。

さっきまでの通り雨が嘘のように、彼方にはうっすらと淡い色合いの虹。

夕立を浴びた木々の緑が、みずみずしくも気だるい香りを放つ。

人気の無い公園のベンチ。すぐ横で無人のブランコが時折風に揺れる。

藍色の浴衣姿のその人は、私に向けてゆるりと団扇の風を送る。

ふと彼女の髪の香りが風に乗って私の鼻をくすぐる。

どこかから聞こえてくる風鈴の涼やかな音色。

遠くに聞こえる豆腐屋の笛の響きが混ざり合う。

二人の間に流れていた静かな、そして決して退屈じゃない沈黙が終わる。

「かき氷でも食いに行くか」。物憂げにつぶやく私。

「あーさんとならお酒のほうが嬉しおす」。潤んだ瞳が私を優しく見つめる。

そんな二人に嫉妬でもしたかのようにヒグラシが鳴く。

「カナカナカナ~・・・」




ウヒョヒョのヒョだ。考えただけでクラクラする。いいなあ、そういうシチュエーション。どうやったら実現できるだろうか。

というか、この妄想、かなりバカみたいだ。

母校出身者限定のSNSがあるのだが、そこでしょっちゅう、妄想的な日記を書いている旧友がいる。幼稚園から一緒だった男で赤坂で中華料理店を経営している。

彼は妄想ではなく、実際にあった話だと言い張るのだが、どうにも怪しい。偶然出会った美女とどうしたこうしたみたいな話が頻繁に出てくる。絶対に妄想だと思う。

でも、ここで妄想を書いてみて分かった。

妄想は楽しい。妄想のなかで生きていければどんなに幸せだろう。
旧友ももきっと妄想の中で幸福なのだろう。

私の妄想に登場する私は、常にニガみばしったいい男で、クールで無口。どこか陰を感じさせ、近寄りがたい気配もある。渋い男だ。高倉健と田村正和がミックスされたような感じ。

誰だそれ!。実物の私とはまったく違う。バカみたいだからこの辺でやめよう。