東京出身。富豪になりたい中年男。幼稚園から高校まで私立一貫校に通い、大学卒業後、財務系マスコミ事業に従事。霞ヶ関担当記者、編集局長等を経て現在は副社長。適度に偏屈。スタイリッシュより地味で上質を求め、流行より伝統に心が動く。アマノジャクこそ美徳が信条。趣味は酒器集め、水中写真撮影、ひとり旅、葉巻、オヤジバンドではボーカル担当。ブログ更新は祭日以外の月曜、水曜、金曜。 ★★★スマホでご覧頂いている場合には画面下の「ウェブバージョンを表示」をクリックしてウェブ画面に飛ぶと下側右にカテゴリー別の過去掲載記事が表示されますので、そちらもご利用ください。
2013年10月30日水曜日
血液型はBです
4種類しかない血液型で人間性をアーダのコーダの分析されちゃうのは困りものである。
私はB型だから特にそう思う。たいてい、B型の男はネガティブな特徴ばかり指摘されがちだ。
確かに私は変だ。でも、それを血液型のせいにされるのが嫌いだ。
などと強がってみたが、世間で言われるB型男の特徴を知るにつれ、私の血液型が疑いようもなくB型であることを痛感してしまう。
面白いデータがある。
国ごとの血液型の分布だ。
(左からA、B、O、ABの順)
●日本 38% 22% 31% 9%
●中国 23% 25% 46% 6%
●米国 40% 11% 45% 4%
●英国 42% 9% 47% 3%
●仏 44% 7% 46% 3%
●印度 21% 40% 31% 8%
●タイ 22% 33% 39% 6%
欧米人が苦手な私としては妙に納得だ。日本でもB型は少数派なのに、ヨーロッパでは、B型は1割以下である。なんとも肩身が狭そうだ。
それに比べてタイとかインドは凄いことになっている。移住したいぐらいだ。でも正直言って、インドは国として大丈夫なのか?と言いたい気持ちもある。
さてさて、B型の特徴として「熱しやすく冷めやすい」「興味のあることしかしない」。この二つは昔から言われ続けてきた。
私自身、思い当たることはある。高校生の頃、理数系の勉強は大げさではなく一切しなかった。
単位制で、ある程度まで単位を落としても進級できたから、数学や科学だ物理は最初から放棄してギリギリで乗り切っていた。
現代国語がなぜか得意で、学年で10番以内に入ったこともある。東大に10人は合格していた学校だったから、あの科目だけだったら私だって東大レベルである。
屁の突っ張りみたいな話でスイマセン。。。
数学の試験はいつも0点とか5点とかだった。
興味や関心のあることに熱中する傾向は確かに昔から強かったと思う。
ボリュームがゼロのステレオの音が出ないことを機器の故障だと大騒ぎするメカ音痴なのに、ケッタイな水中撮影機材はいそいそ組み立てたり、メンテしたりする。すべて誰にも教わらずにマスターした。
そのくせ、コンテストとかにまったく興味がないから25年以上も水中撮影をしてきたのに全部ただの自己満足である。
お寿司に詳しくなりたいと一念発起したら、お寿司屋さんばかり道場破りのように出かけた。関係する本なんかも読み込むのに、興味のないフレンチなんかは何が出てきてもチンプンカンプンである。
Tバック水着でのプール撮影を計画した時には、10着ほどのキワどい水着を注文翌日に手元に取り寄せたマメさがある一方で、自分の海パンは10年以上前に買ったものしかない。
ちょっと極端な面はあるのかもしれない。
そういえば、10代も終わりの頃、入院中の祖母の手術の際にB型の若い男性の血液が大量に必要だと言われて、急遽、友人達に声をかけたことがある。
女子ではないので、友人の血液型なんて気にしたこともないし、知るはずもない。四方八方手を尽くして集まってもらったのだが、その顔ぶれを見て少し動揺した。
言っちゃあ悪いが、変わったヤツばかりだった。おまけに若くもないのに名乗りを上げてくれた高校の恩師もヘンテコ系だった。
B型恐るべし!を実感した瞬間だった。
ネットに溢れるB型男の特徴をいくつか集めてみた。
●マイペースで自分のリズムを大切する
●マイペースなため、常識に欠ける行動を取りがち
●わかりやすい性格なので、浮気などの隠し事もバレやすい
●集団で行動するのは苦手だが、仲間はずれには敏感
●独特の金銭感覚を持っている
●浮気が悪い行為だと、あまり自覚していない。
●実は打たれ弱い
●美的センスにすぐれており、芸術面でもすぐれた才能をもつ。
●表現のしかたがストレートで無理して自分をよく見せようとは思わない
●自己中心的で人から頭ごなしに言われたり、命令されたりすることが嫌い
●万事において計画性がないので、お金に対して無頓着
なんだか散々な言われようである。個人的に当たっていると思う点もある一方、まったく違うと思う点もある。
実はB型の8割がO型の特徴を自分に当てはまると感じているというデータもあるらしいからテキトーなんだと思う。
血液型なんてものは、どうとでも捉えられるから、こんなものを気にしたって仕方ないし、気にする方がマヌケだと思う。
でも、不思議なもので、私の場合、若い頃から長く付き合ったり、いい思い出しか残っていない女性の血液型は揃ってO型だった。やはり血液型にも多少は特徴とか傾向はあるのかもしれない。
まあいいか。とりあえず、インド人になることも考えておこう。
2013年10月28日月曜日
クルマの話
クルマの話で盛り上がる機会が減ってきたように感じる。私の周りだけだろうか。
確かに車の売れ行きは低下を続け、輸入車販売台数もピークに比べれば相当減少した。
若い頃は、誰それがソアラを買ったらしいとか、あのコの彼氏はポルシェに乗ってるだの、そんな話をよく耳にした。
「おクルマは何にお乗りになってるのですか?」と女子から尋ねられたときに、「カローラです」と答えたくない一心で、ビンボー学生まで必死にローンを組んで中古の真っ赤なクーペなんかに乗っていた時代だ。
世代ごとに確実に「クルマ・ヒエラルキー」みたいな空気が存在していた。実際、自動車メーカーも若者ウケするクルマをたくさん開発して、テレビCMも今より盛んだった。
今のクルマのCMは、すっかりファミリー向けが主流になり、夢を売るというより実用性を強調するようなものばかりだ。
時代の変遷と言ってしまえばそれまでだが、なんだか淋しい。女性がファッションや宝飾品にウツツをぬかすのと同じように、男子の社会でもクルマへの熱い思いが盛り上がってほしいと思う。
先日、免許証の更新に行ってきた。免許を取得してからもう30年になる。「じぇじぇじぇ」である。これから30年も運転するとは思えないから、考えてみればドライバー人生も後半戦である。
数えてみたら随分いろんなクルマに乗ってきた。おんぼろ、へんてこ、家族用のゲタ車まで全部含めれば25台ぐらいになる。長く持つと下取り価格がなくなるのでコマメに回転させてきたから台数だけは多い。
4駆小僧だった名残りで、ジープタイプの四輪駆動車も8台乗った。今でもラングラージープは常に欲しいクルマである。
中古車屋で衝動買いした幌仕様の真っ赤なジープが大好きだったし、昭和の頃には改造しまくった日産サファリ(商用登録、軽油仕様)でオフロード踏破に励んだりした。
カイエンも乗ったが、どうにも馴染めずに、高く売れるうちに数ヶ月でとっとと手放してしまった。シボレーやキャデラックの四駆の方がしっくり来たから、やはりあのタイプはアメ車のほうが好みなんだろう。
ドイツ車、イタリア車、英国車も乗った。最近は、英国車に肩入れすることが増えた。根拠はないのだが、なんか落ち着く。ドイツ車の素晴らしさも充分知っているつもりだが、何てったって街中に溢れているから、アマノジャッキーとしては、ついつい少数路線を選んでしまう。
車種やメーカーごとのウンチクはさておき、一人で運転しているときの「おこもり感」は他の場面では味わえない快適さだと思う。
書斎とか自分専用の個室は狭い方が落ち着く。男の心理はそういうものである。おこもり部屋、秘密基地感覚である。
助手席に女性を乗せてのドライブデートも悪くない。密室である。会話に気を遣うことはない。横並びに座っているから面と向かってキザな台詞をはかずに済む。
クルマの話ついでに、ちょっとした節税ネタをひとつ紹介したい。少し儲かってしまった中小企業向けの手法だ。
ポイントは6年落ちぐらいの高級中古車を購入すること。税務処理上、耐用年数は2年で済む。2年といえども減価償却のパターンによっては1年目に取得価格の大半が損金になる。
数百万とか1千万円ぐらいの利益が見込まれる場合に、割と簡単に大きな金額を経費に出来る有効な策となるわけだ。
6年落ちぐらいで1千万円前後の高級車は結構あるから、社用車として購入すれば結構な節税効果があるわけだ。
その後、クルマの価値が大暴落しちゃえば面白みもないが、中古でも高い価格が維持されているものなら、その後もそこそこ高値で処分可能であることが多い。
クルマ好きの経営者なら知っておいて損はないと思う。そんなことより黒字を出すことのほうが大変なのが現実か。
2013年10月25日金曜日
SPの話
SP。セキュリティーポリスの略だ。要人警護に当たる屈強な警察官である。
実は私も人生で一度だけSPと行動を共にしたことがある。いや、あれは単なる私服警官の護衛だったかもしれないが、ちょっとだけVIP気分を味わった。
といっても、もちろん私専属に護衛がついたわけでない。とある国にVIPと一緒に出かけたときに現地で護衛が四六時中ついてきただけで、あくまで私がいたグループが護衛されていただけだ。
少し窮屈さも感じた。さすがにエロい場所に行けないし、ヨダレを垂らしながら鼻クソをほじるわけにもいかない。
なんでこんな話を書き始めたかというと、先日、常に警視庁のSPがついている人にアレコレ話を聞かせてもらう機会があったからだ。
慣れたとしてもやはり窮屈らしい。そりゃそうだ。警察官の中でも屈強な人が選ばれるのがSPだ。だいたい大柄な男である。クルマでの移動の際にもいつも前の座席に大柄な男が陣取っている。邪魔そうだ。
気を遣うのは帰宅時間だそうだ。SPには一般で言う「直行直帰」はありえない。拳銃を持っている以上、それも当然ではある。
先日、足立区の交番勤務の警官が失踪した事件がニュースになった。発見されて逮捕された罪状は銃刀法違反である。職務外で拳銃を持っていれば犯罪になる。
SPもどんな深夜だろうと警視庁に戻って拳銃を保管してから帰宅する必要がある。当然、翌朝も仕事前に拳銃を取りに行かねばならない。
警護対照のVIPもそのあたりには気を遣ってダラダラ飲んだりするのをつい遠慮するそうだ。
SPがついている人だと自宅前にも立ち番の警察官がいる。帰宅した後、SPが去ったことを見計らって、一人で遊びに行こうとしても立ち番に見つかる。おちおち遊びにも行けない。
実につまらなそうな生活である。そのぐらい窮屈な思いをしているVIPは世の中にたくさんいるわけだから、総理大臣なんてどんだけ窮屈なのかと今更ながら感じる。
ましてや皇室の方々だったら、生まれてから最後までずっとそんな生活である。凡人だったら胃潰瘍、いやノイローゼになってしまうはずだ。
つくづくエラくなる可能性がない自分に安堵したくなる。
話がまとまらなくなってきたから余談を書く。
ちなみに警察と言えば「神奈川県警」とか「福岡県警」とか道府県ごとの警察本部が置かれるのが普通だ。東京だけ「東京都警」と呼ばれない理由もSPの存在と無関係ではない。
国の重要施設や要人警護や駐日大使館、皇室などの警備、護衛を担当しているから単なる「都警」ではないという理屈だ。
少しひねくれた言い方をすれば、国の重要施設や要人警護にかかるコストは、国民が応分に負担しているわけではなく、都民の税金で賄れているという話になる。
都民としてはオヨヨと感じなくはないが、「首都警察」の機能がある以上、それが現実である。
さて、前半で書いたSPに守られている人と近いうちに「ハッチャけた飲み会」をやることになった。何のことはない。スーパーコスプレカラオケ大会である。
SPはそこにも付いてくるらしい。ビミョーである。でも会場の中ではなく、ドアの外で待機するそうだ。
それが賢明である。ミニスカポリス軍団が乱れ踊る姿を見たら、射殺されるかもしれない。気をつけよう。
2013年10月23日水曜日
おやじバンド 12月15日
このブログでも何度か書いてきたおやじバンドのライブ日程が決まった。今年は12月15日の日曜日夕方だ。
場所がなかなか決まらずに一時は来年まで延期かと思っていたが、なんとか四谷にあるライブハウスを確保した。人様を招くには悪くない場所だと思う。
昨年はいくつものバンドが順番に出演するライブだったので、何かとアセアセしたが、今回はワンマンライブである。
実に図々しい。
このあたりが「おやじ」の強さである。向こうみずというか、怖いもの知らずである。もう結構な年齢だから怖いものはいっぱい経験してきた。だからこその図々しさだろう。
バンドと言っても大げさなものではなく、メンバーは3人。ピアノとバイオリンと、私がチェロを演奏する。
ウソです。
アコースティックギターが2人、そしてボーカルの私の3人編成である。幼稚園から高校まで同級生だった男がリーダーで、中学、高校の同級生である男がバンマスである。
後者の男は初参加である。音楽性の違い(ウソです)で活動を休止したメンバーの代わりに鳴り物入りで?加入した。
書類審査を経て、筆記試験と実技審査、そして2度に渡る面接を突破して、競争率1倍の難関を突破した。
以前から私とその男は、カラオケスナックに行くと「ザ・ピーナッツ」いや、「ゴスペラーズ」ばりのハモりを連発して、他の客を恐れおののかせて帰らせ、店を貸し切りにして歌いまくってきた実績がある(ウソです)。
ということで今回は絶妙なハーモニーやコーラスを加えた「ハイファイセット」並みの美声をお聴かせするすることになる(大ウソです)。
この画像は練習中のリーダーである。吸いかけのタバコをギターの弦に挟んでピロピロピ~ンと演奏する姿にはシビれる。
とても毎週毎週、お見合いをしている男だとは思えない(少しウソです)。
私も今更ながらギターの練習をしようといつも思うのだが、その理由はただひとつ。弦に吸いかけのタバコを挟んで音楽論をぶちたいからだ。
さてさて、いま必死に練習中だ。演奏曲もほぼ固まってきた。1曲だけネタばらしをすると、「竹内まりあ」の名曲「駅」をオヤジが熱唱する予定である。
バンド名も書きたいところだが、YouTubeに昨年のライブ映像がアップされているので、さすがに小っ恥ずかしいから内緒にしておく。
今更恥ずかしがっても仕方がないが、なんか堂々とあの日の姿をさらす自信がない。だったら2度目のライブなんかやるなボケ!と叱られそうだが御容赦いただきたい。
昨年のライブにはこのブログを読んでくださってる方にも来ていただいた。まったくもって恐縮至極である。
今回はワンマンライブと言うことで集客には力を入れなければならない。もったいつけずにもっと宣伝すべきなのだろうが、まだ尻に火がついていないからウジウジしている。
ライブ日程が決まったのに、スケジュールの関係で、この先3週間以上練習が出来ない。私が今月末に長い旅行に行ってしまうことも理由だ。
私は声を張り上げていればいいだけだから気楽なものだが、あとの二人はそうもいかない。私が自分勝手に指摘したり要請した微妙なアレンジや演奏パターンを固めていかなければならない。大変そうである。
まあ、私もスペインのフラメンコ会場に乗り込んで、飛び入りで「駅」でも熱唱しようかと企んでいる(大ウソです)。
でも、ボローニャ、グラナダ、バルセロナと渡り歩く旅では、きっと課題曲を延々と歌いながら散歩することになるはずだ。
2013年10月21日月曜日
内視鏡、CT、ロウリーズ、運動会
尿路結石でキッツい思いをしてから1ヶ月半が経った。石を発射して以来、すこぶる快調である。
それにしても何だったんだろう。
今年3月の血液検査では、過去になくすべての数値が改善されていたから、それによる油断が原因だろうか。
でも、この秋の血液検査でも尿酸値も合格だし、その他の全体の数値もそこそこ優秀だった。だからこそ、あの石が気になる。
誕生日直前に、いままでの半生、いや3分の2ぐらい歩んだ人生の澱(おり)のようなモノが結晶となったのだろうか。
昨年来、ドタバタしながら少しばかり人生の転換期を迎えた。島倉千代子じゃないが、人生いろいろだから中年になれば誰だって生きている上での“ザワザワ事”は増える。
そんななか、持病の扁桃腺も腫れず、持病の逆流性食道炎も暴れずに、おまけに風邪ひとつひかなかったから、「疲れ成分」がヘンテコな石になって出たのかもしれない。
先日、毎年恒例の胃と大腸の内視鏡検査を受けてきた。口と尻からカメラを突っ込まれたわけだ。
強力鎮静剤でコロっと落とされているうちに終わっちゃうからチンチン、いやラクチンである。
結果、ポリープも無し、状態も良好だとのこと。一人生活を始めてから「石事件」以外は常に検査結果が優秀な状態である。
数値は正直だ。ちょっと複雑な気分だなどと言いたいところだが、それが現実である。
検査終了後、鎮静剤の名残りでふわふわしながら空腹を満たしに行く。九段下のホテルグランドパレスでオムライスとピラフのドカ食いだ。幸福なひとときを過ごす。
数日後、胸部CT検査に行ってきた。胃カメラ、腸のカメラに続き、肺のCTもやっておけば結構なマジメオジサンと言えるだろう。
前述の胃カメラドクターからの斡旋で毎年のように出かける池袋のCT・MRI専門クリニックである。上半身だけ肌着になるだけで、チョチョっと撮影してオシマイ。ラクチンだ。
いつも結果は斡旋元のドクターに届けられるのだが、なぜか今回は、帰る際に画像データを直接渡された。冒頭の画像がそれ。郵送経費の削減だろうか、はたまた何か問題があったのだろうか。
ということで、パソコンで眺めてみた。
ちっともワカラン。でも「この人、もうダメやし・・・」とか書いてある形跡は無かったから大丈夫だろう。
しょうがないから斡旋元のドクターの所に郵送しておこう。でもあのドクターは胃腸専門医だから、こんなの見て分かるのだろうか。
ダイエットも順調である。一応6キロは減った。結構楽しくなってきた。ストイックなことは嫌いなので、お寿司屋さんにも行くし、先日は溜池山王のロウリーズにプライムリブを食べに行った。
お寿司屋さんでは、握りを一つも食べない邪道ぶりを発揮し、ステーキ屋では一番小さいサイズの肉を3口ぐらい食べて我慢した。
さっさと酔っ払ってしまえば、結構ヘッチャラである。必死に我慢する感じでもない。だいたい、いつも空腹だから2~3杯急ピッチで飲めばすぐに酔っ払う。
で、少ししか食べずに終われば、何かに勝ったかのような妙な気分になってご機嫌だったりする。
マラソン好きな人々が感じる「ランナーズ・ハイ」みたいなものかもしれない。「ダイエッター・ハイ」とでも名付けようか。
先日、娘の運動会に出かけた。6年生だから最後だ。寂しさより、もう行かなくていいんだという安堵感が強いから困ったものだ。
いままで徒競走で1着になったことがない娘だ。「ズルしてでも勝て」とフライングすることを指導してみた。
真面目に言うことを聞いた娘は、スタートの合図直前に飛び出し、初の一等賞を獲得した。デブ爆走である。
これから大人になっていく娘に「ぎりぎりのズルっこさ」が大事なことを教えられたから良しとしよう。いや、マズいことをしたかもしれない。
まあ、いいか。
こうやって身辺雑記を書いてみると、なかなか快調な日々である。「好事魔多し」とかいう諺もあるが、私の「魔」は石だけだったと思うことにする。
大殺界まっさかりの、そんな日常である。
2013年10月18日金曜日
エロの道
最近、あんまり色っぽい話を書いていないような気がする。まあ、色っぽい機会に遭遇する機会が減ってきたから仕方がない。
いや、あきらめてはいけない。エロ道を歩み続けることは大事だ。かの「みうらじゅん」大先生なぞは、人生の3分の2はエロいことを考えてきた、と毎週毎週、雑誌で高尚なエロ道を説いておられる。
この画像、何年か前に潜水旅行に行った際、レストランに大きく飾ってあったイラストだ。最初は気付かなかったが、よくよく眺めて感動した。
まさに男の頭の中はこんな感じだろう。
最近の週刊誌の「中高年セックス特集」は結構エグい。高齢化が進めば、中高年のセックス問題は、かつてのタブーから、ごく当然のことへと変化してくるはずだから、その流れを象徴しているのかもしれない。
少子高齢化の進展は、あと30年もすると風俗業界にも地殻変動をもたらすそうだ。
風俗嬢はみんなオバサン、オバアチャンになり、少数派の若い女性は、たとえヘチャムクレだろうが希少価値となり、それこそ高額紙幣がたくさん必要な高嶺の花になるらしい。
先日、高齢者相手のお茶友達紹介サークルが、実は売春組織だったことが発覚した事件があったが、中には82歳の売春婦もいたそうだ。
オッタマゲである。
需要と供給が成り立つからそういう組織も存在するわけで、それがこの国のいまの世相なんだろう。
でも82歳って凄い。20歳で初体験だったとして62年間の原液、いや現役生活である。中日ドラゴンズの山本マサもビックリの快挙だ。
私の現役生活はまだ30年ちょっとである。見習わないといけない。
さてさて、エロ話だった。
最近、とある飲み会の席上、「これまでの人生でどんな変な場所でシタことがあるか」という実に崇高な話題で盛り上がった。
世の中にはツワモノはいるもので、結構すごいシチューションで「試合」をこなしてきたようだ。
私などは、東南アジアの孤島の人気のない夜の砂浜で突然襲われた(断じて襲ったのではない)経験があるぐらいで、飛行機の中とか電車の中とか、そんな「会場」で試合に臨んだ経験はない。
高速道路の路肩に停めたクルマの中で、とか、高校時代に学校の非常階段で、とか、混雑した流れるプールの中で、とか、出るわ出るわ、世の中には奇想天外な「試合」が展開されていることを実感した。
道ばたの電話ボックスで「試合」経験がある人間が「あれは個室だ」と言い張っていた。その図々しさこそ正しいエロ道追求には必要なんだろう。
前も後ろも横もすべての壁がガラス張りである。それなのに「個室」という屁理屈で、青空の下でするより健全だと認識している感覚。高邁な思想である。
南米の標高4千メートルの会場で試合した知り合いも実際にいるし、ダイバーのカップルが水深10メートルの世界でキチンと試合を成立させた話を聞いたこともある。
エロ道の奥深さというか、人類のHならぬ叡智の凄さは、私ごときが語るエロがいかに初心者レベルに過ぎないかを表わしている。
負けるもんか!、と一人勝手に気合いを入れたくなる。
さて、「試合会場」の多様性を知ることで、人々の趣味嗜好の多様性を思い知ったわけだが、同時につくづくレッテルの無意味さも感じた。
ご活躍めざましい人に接すると、とかく誰もが「あいつはエロ過ぎ」とか「変態め!」みたいなレッテルを貼りたがる。でも、しょせん、エロ過ぎるとか変態などという基準は、あくまで統計上の話に過ぎない。
同じことをやる人が多いか少ないか。たったそれだけで、変態とかドスケベとか決めつけられたら堪ったものではない。
少数派と言うだけで変態扱いされたら、ここには書けない私の○○とか××といった性癖も異常行動になってしまう。
まあ、異常ではあるが・・・。
人間の欲は、それこそ色々である。
話がまとめられなくなったので、格言をひとつ紹介して終わりにしよう。
~~すべての人間が世に生まれてきたのは快楽のおかげである~~
2013年10月16日水曜日
銀座「華蓮」 旧友と痛飲
30年前、私の体重は今より20キロ軽かった。20キロ分の知恵と教養と思い出を蓄えてきたわけだ。
先日一緒に飲んだ旧友は30年前に比べて体重が40キロ増加している。偉大である。本人は35キロしか増えていないと言い張っていたが、多分「40キロ増」が正しい。
中学、高校と同じ学校に通い、大学も一緒だった。35年以上の付き合いである。どっちかが先に死ねば、どっちかが葬式に参列するのだろうが「40キロ増VS20キロ増」である。
多分、私が香典を包むハメになると思う。
脱サラして飲食店経営を始めた彼だが、思うところあって、近いうちに「転進」することに決めたらしい。
しばし、充電して次のステップに移行するようだ。で、そんな趣旨もあったので、久しぶりに二人で飲むことになった。
20キロ増と40キロ増である。ターゲットは豚だ。銀座に最近出来た鹿児島のJA経済連が直営する店に行ってみた。
「華蓮」という店がそれ。農協団体直営だと聞いたから、気さくな郷土料理屋さんかと思ったが、結構な高級感。接待とかにも充分使えそうな店だった。半個室風テーブル席に二人で陣取る。
係の仲居さんも丁寧かつ親切。なかなか快適な店だった。
黒豚専門店かと思ったが、黒牛のほうが自慢メニューみたいだ。でも我々の頭の中には豚が居座っている。迷わず豚しゃぶコースにする。
黒豚とんかつとか薩摩揚げも注文してロックの芋焼酎を片手にアレコレと談論風発。
豚と豚が豚を食べる共食いの宴だ。
前菜も美味しかったし、全体に丁寧な印象だった。アンテナショップ的な店は、単なる営利目的だけではない地産商品の広報戦略的な意味合いがあるから、ヘタな仕事はしないのだろう。
豚しゃぶのつけだれがポン酢とごまダレしか無かったことが残念。鹿児島を旅した時に知った「豚しゃぶはソバつゆで食べるべし」という真理を信じて疑わない私としてはその一点がマイナスで、あとはバッチリ。多分、次回はこっそりソバつゆ持参で行くだろう。
肝心の豚しゃぶの画像を撮るのを忘れた。ダイエット中の私は、豚しゃぶもとんかつもチョロっとだけにして、友人にドシドシ食べてもらった。
シメのしゃぶ麺とやらも彼が2人分食べたし、最後の何ちゃらシャーベットも彼が二人分食べた。フフフッ、私の勝ちである。
来年あたりは「15キロ増VS50キロ増」という構図になっているかもしれない。
その後、夜の銀座を徘徊しようとふらふら。最近、あまり食べずに飲むせいで酔いが早いし長い。気持ちよしである。
とあるビルの上層階にある店に向かう。エレベーターを待つ間に、一人ぽつんと立っていたどこかの店の可愛いオネエサンにオッサン二人で見とれる。バカである。
そのオネエサンの店に吸い込まれそうになったが別な店に行く。この日は久々にはしご酒の予定だったが、私が話のついでに自分の誕生日が数日前だったことをバラしてしまい予定が狂う。
だいたい、夜の世界では自分の誕生日をあまり明かさないようにしている。お祝いされるのは有難いが、ガンガンお祝いされて、その後のお礼参りという「倍返し」が待っているから「大和田常務」になりそうでビビってしまうわけだ。
この日も、私が誕生日を明かしてしまった20分後には、突如、ケーキとかフルーツが出てきてしまった。付き合いの長い黒服の関係で最近訪ねたばかりの店である。そのせいもあってか、逆にサービス攻勢を受けてしまった。嬉しいことだが、紳士?としては早々に移動できなくなる。
結局、長っ尻になってダラダラ飲む。まあ、それはそれで旧友とともにバカ話に花を咲かせられたから良しである。
それにしても子供時代から付き合いのある友人と酒を飲むことは、楽しいだけだから貴重な時間だ。
互いの背景も事情も歩みも性格も嗜好も何となく頭に入ってるから気軽である。ためらいなく本音を口にできる相手の存在は実に有難い。
エスカレーター式の学校に通ったせいで、子供の頃から長い付き合いの友人がたくさんいる。思えばこれって貴重なことなんだろう。
恋人、愛人、はたまた嫁さんは、ある程度、急ごしらえできるが、男同士の親しい友人はそうはいかない。歴史の共有があってこそ深い付き合いになる。
この日飲んだ友人は、人生の岐路に結構長い間立たされている感じだ。でも、よくできた嫁さんと可愛い二人の子供との家庭には波風は立っていないらしい。
そこが安定していれば何も問題はないだろう。健闘を祈りたい。
2013年10月11日金曜日
鶏肉、その悩ましき存在
鶏肉はおいしい。つくづくウマいと思う。牛や豚も頑張っているが、上等な鶏肉のウマさにはウットリする。抱かれてもいい。
前に住んでいた家の近くに小汚いけど、抜群にウマい焼鳥を食べさせる店があった。週に一度は通っていた。白レバの刺身や白レバの炙りポン酢なんかで焼酎をグビグビ飲んでいた。
引っ越してからはすっかり縁遠くなり、もう2年ぐらい行っていない。その後、近所で新規開拓をしてもしっくりくる店は見つからない。焼鳥難民になってしまった。一大事である。
極上の焼き鳥店を自宅近くで見つけたが、全席禁煙という冷酷極まりない店だから、馴染みになるほど行く気になれない。
会社の近辺は池袋だから問題外。銀座あたりにはウマい店はいくつもあるが、あの街に出ちゃうと余計な寄り道しちゃうから、焼鳥で酩酊してそのまま幸せに帰宅するというパターンにならないからダメだ。
何年か前は、都内某所に内緒の隠れ家?みたいな場所があった。そこから歩いて行ける距離の焼鳥屋に頻繁に出かけた。その店も白レバ刺しがレギュラーだったから貴重な止まり木だった。あそこも随分ご無沙汰だ。
個人的な感覚では、焼鳥屋は近所にあってこそ有り難い存在だ。そんな気がする。近場にふらっと出かけてヘロヘロ気分でふらっと帰る。そういう図式が似合う。なんとなくそう思う。
さて、涼しくなってくると鍋が恋しくなる。鶏肉ラバーとしては水炊きは外せない。アチコチで水炊きは味わえるが、私が大好きなのが新宿の外れにある「玄海」という老舗。
料亭とか日本旅館のような大げさな造りで、初めて行く人は身構えそうな雰囲気だ。でも、入ってしまえば気楽に極上の水炊きが味わえる。
スープという液体なのに酒の肴として成立するからアッパレである。
この店の水炊きの特徴は鶏のぶつ切りだけで、野菜はいっさい投入しない点だ。実に清廉潔白な水炊きである。あくまでスープと鶏肉だけで闘っている勇猛果敢さ?が素晴らしいと思う。
「お鍋って野菜もいっぱい食べられてヘルスィ~だね~」とか呑気な感覚でいると、この店の水炊きにはたじろぐはずだ。
白濁スープの中にゴロゴロと骨付きぶつ切り鶏が入っているだけ。それだけである。
潔いったりゃありゃしない。
ムダをそぎ落としたサメの体型のように、いや、過飾を捨てた晩年のオードリーのように、なんとも崇高な姿である。なんか例えが変だろうか?
話は変わる。ちなみに中華料理では、牛肉の位置付けは低い。鶏系、家禽類を上等な食材として讃えている。
その代表格が北京ダックである。鶏ではなくアヒルだが、大きく分ければ鳥である。鴨やガチョウもそうだが、あの手の食材のウマさを引き出す中国4千年の知恵には敬服する。
じっくり丁寧に焼き上がった北京ダックの輝きは辛抱タマラン状態である。皮だけでなく、身も一緒に包んで食べると噛み応えがしっかりして満足感が高い。
時々、無性に食べたくなる一品だ。
西洋料理屋さん、とくにグリル系を得意とする店に行くと困るのが、鶏肉の値段問題である。
牛や豚、本日の鮮魚などという連中につけられている値段に比べると、鶏肉はかなり安めの価格設定だ。鶏好きとしては嬉しいが、注文の際にウェイターの顔が気になる。
「ビンボーだから安い鶏をオーダーするんだろ?ケッ!」と言いたげな目をされる気がしてビビる。
女性をエスコートしている時もそうだ。こっちがさっさと鶏肉を選ぼうとすると、「このオッサン、ケチなんやろか?アンタが鶏なら、こっちはステーキなんか注文できないやんけ?ケッ!」と心の叫びが聞こえてくるような気がする。
ホントに鶏が食べたいだけなのに、「えっ?マジかよ?セコいのか?」と世間に漂う誤った空気が私の判断を狂わせる。おかげでこれまでの人生で、食べたくもない牛肉を何度食べてきただろう。
バカみたいだ。いや、私の珍妙な被害妄想がバカなのだろう。
ということで、鶏を食べたい時は鶏の専門店に限る。お高い牛さんはメニューに無いから安心だ。安心して富豪ぶっていられる。
とりあえず、焼鳥難民になっている状態を解決することが今の私にとってかなり大きな問題である。
2013年10月9日水曜日
ホテルめしと味噌汁
ちょっと前になるが、皇居横のパレスホテルで晩飯を食べた。昨年、全面改装して小洒落たホテルに変身してから何度か出かけたが、新装オープンの高揚感も収まって中々いい感じだ。
外資系のカッコいいホテルよりもメイドインジャパンの老舗ホテルはどことなく落ち着く。
この日は、1階のカフェレストランのお堀に面したテラス席でスパークリングワイン片手にクダをまいていた。
白レバのパテとか、トマトとモッツァレラなんかをツマミにグビグビ飲んだ。ちょこちょこ小皿料理を食べた後のシメにはピラフである。
シャトーが何を意味しているのかは知らない。でも、このソースをピラフにビチャビチャかけることで、ウットリメロメロの味わいが完成する。
この日のピラフはどことなくベチャッとしていて、ピラファーとしては大いに不満だったが、シャトーソースは昔と変わらずウッヒヒな味である。
ワシワシ食べた。
話を変える。ピラフだ、寿司だ、ウナギだ何だと、このブログでは、まるで一年中ハレの日みたいにウマいものを食べているかのように書いているが、実は今の私に欠けているのは「美味しい味噌汁」である。
一人暮らしもまもなく一年。縁遠くなったのが味噌汁だ。
もともとミソシラー?だったわけではないので、味噌汁が無くてもさほど気になるほどではない。それでも、時々和食屋さんで上質な味噌汁が出てくると妙にシミジミする。
シジミだったらとくにシミジミする。
すいません、ダジャレです。
フリーズドライとか、いまどきのインスタント味噌汁はかなりマトモな味がする。安い定食屋で出される味噌汁よりウマいと思う。
でも、不思議なもので、お湯を入れて簡単に出来上がるインスタント味噌汁を自分で作る気にはならない。なんとなく抵抗感がある。
カレーだの「金のハンバーグ」は気にならないのに、味噌汁だけはナゼかレトルトがダメだ。おいしいまずいの問題ではない。どんなにウマい立ち食いの店でも、立ったままメシを食う行為がイヤで絶対に行かないのと同様、味噌汁のインスタントバージョンがどうも気に入らない。
やはり男にとっての味噌汁は、誰かに作ってもらってこその味である。勝手ながらそう思う。子供の頃にDNAに刻まれた家庭料理の原点みたいな存在が味噌汁なのかもしれない。
「家庭の味」である限り、一人暮らしだと味噌汁の出番はない。意味もなくかたくなにそんな思い込みがある。
たとえば私に同居人がいたとする。きっと知的で聡明で美しい女性である。私のために朝食を作ってくれる際には、当然のように味噌汁も食卓に並ぶだろう。
しかし!、私がその人と家庭を持つ気がなかったとしたら、私はその味噌汁を口にしない。味噌汁は家庭の味である。家庭ではない以上、そうするのが当然だ。
いや、まったくのウソです。きっと味噌汁ばかりすすって塩分過多で病気になると思う。
今日もまた何が書きたいのかよく分からなくなってきた。
ということで、やはり味噌汁は特別な存在であり、チャラっと袋を破いて熱湯を注ぐだけで済んでしまうのはイヤだ。
だから当分の間、いや、この先ずっとかもしれないが、私が自分の住まいでシミジミ味噌汁を味わうことはないと思う。
そんな私が妄想するのが、「味噌汁のウマい小料理屋」だ。最近、その手の店を探しているのだが、なかなか見つからない。
そんなに理想が高いわけではない。
カウンターだけで8席ぐらい。間接照明で、玄関にはいつも打ち水、ドラマ「相棒」に出てくる水谷豊が通う小料理屋みたいな店。
おかみさんは私に密かに好意を寄せる往年の大原麗子そっくりの優しい人。いつも淡い色の着物姿だ。カウンターには備前の花入れ、いつも地味な和花が生けてある。
なぜか私が行くときには他のお客さんはいない。おかみさんは私好みの料理をササっと作ってくれる。
時々、往年の酒井和歌子に似た常連の美女が一人ふらっとやってくる。この人も私に好意を寄せていて、3人の空気が微妙に固くなったりする。
酒井和歌子似が帰ると、これまた往年の坂口良子に似た常連の女性が、往年の松原智恵子似の女性と連れだってやってくる。
この二人組も私に好意を寄せている。ちょっと世間話しただけなのに鼻の下を伸ばしてニヤつく私。おかみさんは、味噌汁を渡すついでに、さりげなく私にふくれっ面を見せる
そういう店だ。
どこかに無いだろうか。あったら教えて欲しい。
あるわけないか。
2013年10月7日月曜日
オトナの規範の脆さ
いつの頃からか、世の中が窮屈になってきた。自分の加齢による苛立ちではない。確実に昔よりも表層的な建前ばかりが絶対視される空気が広まっている。
飲食店アルバイトのイタズラ、いわゆる「悪ふざけ画像」にしても、正直言って騒ぎすぎだと思う。いつの時代もバカはいた。私自身、何度も経験したが、バカは結局バカな目に遭っておのれのバカさに気付くしかない。
バカを擁護する気はないが、SNSで流布するようになったから目につくだけの話。あんなもの世間が騒げば騒ぐほどマネするバカが増殖する。
さてさて、世の中の窮屈さの話だった。真面目一筋に規範に安直に乗っかっていれば確かに平穏である。ちょっと脱線したり、少しだけ抜きんでている人を、すぐに排除したがるのが日本的村社会の特徴だ。
そうした平穏絶対主義、ことなかれ主義みたいな空気は、いつの間にか規範をどんどん狭い範囲に絞り続けて、より多くの排除を生み出すことに嬉々とするから気持ち悪い。
一歩を踏み出す勇気の無い人間が、一歩踏み出した他人をねたんで足を引っ張ったり、悪し様にののしる。目立ったらダメ、人より突出したらアウトでは暗黒社会みたいだ。実に醜い。
規範自体が、しょせん誰が決めたか分からない根拠に乏しいものだったりする。秩序とか常識は大事だが、それ自体の定義を見誤ると、単に無意味な呪縛でしかない。
私自身、男としてそこそこ長く生きてきたが、何度も腑に落ちない気分になった。
「男のくせに・・・」、「大人なんだから・・・」「男だったら・・・」、「人の子の親だったら・・・」等々、もっともらしい言い回しで男の牙を抜くための方便を聞かされてきた。
社会秩序のためにはある程度仕方ないが、こうした無思想な曖昧模糊とした呪縛によって世の中の活力が削がれているのだろう。もったいない。
実際、世間が定めた規律やルールから少し外れただけで、非道な人間と言えるだろうか。不思議なもので、ちょっと脱線するような人間のほうが自分なりの指針を厳然と守っている。
無思想ではない分、自分専用の規律やルールを持って、その中で行動の是非を常に意識しているわけだ。美意識とか矜持なんかもここに含まれる感覚だろう。
そもそも「大人」って何か。端的に言って、自分の責任と自分の裁量で物事を判断したり行動する生き物のことだ。それだけの話。
小さくまとまるとか、冷静沈着なふりが得意だとか、あきらめ上手とか、そういう要素だけが、さも大人の証だと勘違いしている人が多すぎると思う。
しょせんオトナという仮面など大したものではない。社会全体が波風立たずに流れていくように仕向けられたレトリックみたいなもので、一皮めくれば、誰もがただの感情的な生き物である。
そんなことをグダグダ書いていること自体が「子供っぽい」と叱られそうだが、逆に言えば、世間様からそんな叱られかたをする人間のほうが人生を楽しめるような気がする。シェキナベイビー?である。
昔読んだ小説に凄くそそられた話があった。
絵に描いたようなカタブツの老人が、実はオカマとしての一面を持っていて、妻や子供、職場には気付かれることもなく、そっちの世界では大勢のオカマ達から尊敬を集めるほどの存在だったという話。
亡くなった後も表向きの世界では、数十年のオカマ人生はいっさい気付かれずに葬式は済み、自宅と別に借りてあったオカマとしての住まいも葬儀の直後には綺麗さっぱり整理されていたというストーリーだった。
こういうのを大人の嗜みと言うのだろうか。人生を自分なりにしっかり管理してきちんと始末する姿は素直に格好いいと思う。
家庭を持つ人が家庭を大事にすることは当然だが、かといって、「もう一人の自分」の世界を持っていられたら幸せだ。
別に愛人を作れとか、浮気をしろとか、そういうことではなく、メインの自分の世界からは干渉されない「個」の時間は必要だ。
男が思う「もう一人の自分」の世界など、たいていの女性には理解してもらえないから、家庭持ちの場合、それを維持するのは大変だ。大変だから面白くもある。
知り合いに「隠れ部屋」を持つ男がいる。浮気相手との逢瀬に使うような色っぽいものではない。4畳半一間のボロい部屋だとか。
そこで大の字になって好きなだけタバコを吸ったり、ジャンクフードをかっこんだり、エロ本を一生懸命読んだりするのが命の洗濯になっているそうだ。
悪いことをしているわけではないのに、その部屋のことは家族には内緒にしている。そこがミソなんだと思う。男としてはとてもよく分かる感覚だ。
子供の時の「秘密基地」と同じ。男だったらワクワクする。私もその話を聞いて、職場か家の近くに「秘密基地」として安い小部屋を借りようかと真剣に考えたほどだ。
私の場合、一人暮らしだから、秘密の部屋など持つ必要は無いのだが、それでも日常生活とはまったく乖離した空間に身を置きたくなる。そんな場所を持つ人が羨ましい。男の変な習性かもしれない。
言いたいことは単純だ。分別、年甲斐、クソ食らえである。
やるべきことはこなしながら、あとは刹那の川の深いところで泳いでいたいと思う。
年齢がまた一つ更新された日に、こんな戯れ言を書いている自分の平和な感じが結構嬉しい。
2013年10月4日金曜日
デブの幸せ
実は隠れダイエット中である。なんか自分が重くてしょうがなかったから、気分一新のために少しばかり節制中だ。
先月、尿路結石でヘロヘロになった事件のせいで、チョビっとだけやつれた。それが心地よかったから、ゆるゆると体重を落とし始めている。
元来、過酷なダイエットは苦手だ。突然、ハードな運動に励んで体重を落としても運動をやめれば元に戻る。
だいたい「頑張ってるんだぜ」という感じが性に合わない。適度にウマいものを食べながら気付いたら少しスッキリするという都合の良い路線を狙っている。
で、カニである。何年も前の話だが、2ヶ月ぐらいで10キロ以上ダイエットをしたことがある。カニばかり食べて痩せた。
カニはほとんど水分みたいなモノだから思った以上に低カロリーだ。カニフライとかカニの天ぷらはダメだが、蒸したり茹でたり刺身で味わえば安全?である。
殻から身をホジホジする作業のせいで間が持つし、ちょっと贅沢している感じもダイエットの悲壮感と無縁だ。
馬やウサギじゃあるまいし、サラダという生野菜をムシャムシャ食べてダイエットに励むより精神衛生上もよろしい。
カニミソをチビチビ舐めれば酒のツマミとしても充分活躍してくれる。
今回の体重調整は、その頃のような真剣なものではない。今月末に予定している欧州旅行で炭水化物をガシガシ食べたいことがきっかけだ。
インターナショナル・タンスイカブラーとして暴れるためには今のうちに少しは節制した方がいいと判断したわけだ。
簡単に言えば「散歩と炭水化物抜き」だけである。朝はしっかり食べるが、昼はほとんど何も食べずに、夜は炭水化物や揚げ物を我慢するぐらいの話だ。
夜の酒のために、もともと昼はあまり食べなかったから、自分としてはさほど変わったことをしているつもりはない。夜も軽く済ませるようになって胸焼けも減ってまあまあ快調である。
そんなユルい作戦ではあるが、徐々に効果は出てきている。ベルトの穴がまもなく2個分は変化しそうだ。歩いていても心なしか軽快な気分である。
でも、その代償として鰻重のご飯を3分の2ほど残したり、ピザの具だけセッセと食べてパイ生地は全部残したり、お寿司屋さんに2時間近く陣取って握りを一つも食べなかったり、神をも恐れぬ不逞の輩のような行動が続いている。
ちなみに、ダイエットに関係なく、ピザを酒の肴にする場合、パイ生地以外の具だけを食べた方が美味しいと思う。
実に罰当たりだが、チーズと具をフォークで剥がして食べた方がシャンパンなんかのツマミとしてはバッチリだ。行儀悪さの極みみたいな話だが、時々そんな非道な行為を実践してしまう。
一応、4~5キロは減ったのだが、分母が分母だけに誰にも気付いてもらえない。まあ、そのほうが「さりげなく調整する」という思惑に合致するから、コッソリと続ける意欲につながる。
アルコールもなるべく蒸留系にしている。日本酒を飲みたい季節なのだが、焼酎のロックで我慢している。でも、ついつい飲み過ぎるから、適量の日本酒を飲んだところでちっとも変わらないと思う。あくまで心掛けみたいなものだ。あまり意味は無い。
中年になって何が困るかというと、基礎代謝がまるで機能していないかのような現実だ。
昔は2,3日食事量を減らすだけで効果を感じたが、最近は相当メリハリをつけないと体重計の数字はびくともしない。
きっと呼吸するだけで太っているのだろう。若い頃に戻りたくはないが、取り戻したいのは毛髪と基礎代謝である。
思えば、ダイエットなどという自然の摂理に思いっきり逆行した行為に励めることは贅沢な話である。
地球上から飢えは消えないのに、こっちではわざわざ食べ物を選り好みして残したりする。ダイエットすること自体が罰当たりみたいな話ではある。
まあ、そんな殊勝なことを言っても始まらない。
ダイエットが必要になるほど飽食の暮らしが出来る国に生まれ、メタボな人達ばかりに囲まれた時代に生きていることは物凄く幸運なことだと思う。
過去1千年ぐらいの全地球上の人類すべての暮らしぶりを思えば、「デブを気にして、食べる量を減らす」という私の状況はどれだけ幸せなことだろう。
宝くじで一等が当たるよりラッキーなことかもしれない。
2013年10月2日水曜日
音楽の効用
おやじバンドの練習が徐々に深い世界に突入してきた。
などと書くとカッチョいいが、私が言いたいことを言い出し始めただけだ。
やれ、そこのテンポを変えよう、やれ、イントロはこうしよう、コーラスをここにも入れよう等々、勝手なことをほざいている。
アコースティックギター2人とボーカルの私。計3人の組み合わせである。幸か不幸か、いや、不幸の極みで私は楽器が演奏できないから、言いたいことを言いっぱなしである。
きっと、「あのヤロ-、気楽なことを言いやがって、いつか刺し殺してやる」と他の二人から思われているはずだ。
メンバーチェンジしてから何度も練習を重ねたが、段々と新たな役割分担みたいな感じが固まりつつある。
基本的に去年のライブとは全曲入れ替えなので、演奏する方は大変だ。コードはこなせても、オカズ?の加え方、ボーカルである私とのバランスなど、詰めるべき点は数多い。
12月のライブを目指して、そこそこ形になりつつあるが、ここから先の着地点の見つけ方にこの先しばらくはアーダのコーダと議論することになりそうだ。
まあ、何だかんだ言って、音楽の良さを痛感する機会を与えてくれたバンドメンバーには感謝である。
普段、音楽を特別意識することなく聴き流しているが、楽しい時や苦しい時、今まで生きてきた節目節目の場面で音楽には世話になってきたのだと思う。
テレビでよく放送している「懐かしのヒット曲」「青春歌謡ベスト100」みたいな番組を見ていても、それぞれの曲ごとに自分のその時点の記憶がパッと甦ったりする。
好きだった歌に限らず興味の無かった歌でも、当時の社会背景、世相ごとに自分の記憶がオーバーラップして懐かしい。
誰だって、意識するしないは別として、いろいろな音楽を聴くたび自分の歩みを思い返す。楽しい記憶、甘酸っぱい記憶、苦い記憶、消し去りたい記憶・・・。さまざまな気持ちがわき上がってくる。
そういえば、最近の楽しみの一つが「太陽にほえろ」を観ることだ。なぜか映る千葉テレビがなぜか定期的に放映しているので、自動録画設定をして楽しんでいる。
この画像は「ヤマさん」だが、いま放送されているのは勝野洋が演じる「テキサス刑事」が売り出し中の頃の分だ。
あのオープニングの井上堯之バンドのテーマ曲に今更ながらシビレまくっている。盛り上がる場面の「テキサス刑事のテーマ」とか、その他もろもろのメロディーが私自身の幼い日々を思い出させる。
それにしても、「太陽にほえろ」が国民的大ヒット作になったのには、間違いなくテーマ曲や挿入曲の格好良さがあった。今聴いても実に完成度が高いと思う。
「昭和枯れすすき」とかが大ヒットしたような40年近く前の世相を考えると、あんなシビれる楽曲を世に出した卓越したセンスに驚くばかりだ。
全然違う話だが、ついでにいえば、35年以上前に独特なボーカルスタイルを確立していた世良公則の凄さも今考えると革命的だった気がする。
「あんたのバラード」が大ヒットしたあの年、他のヒット曲と言えば、狩人の「あずさ2号」とか、郷ひろみが樹木希林と歌っていた「お化けのロック」である。
私自身、当時は世良公則の歌い方を気味悪く感じていたが、その後の日本の音楽の流れを考えると、彼の歌いっぷりは一種の事件だったのかもしれない。
なんだか話が逸れてしまった。
というか、何を書こうと思って書き始めたのか分からなくなってしまった。
まあ、いいか。
子供の頃、音楽が記憶に刻まれ始めたのは、朱里エイコの「北国行きで」とか金井克子の「他人の関係」あたりだろうか。なんとも怪しげな空気感に惹かれた。
子供だから、アグネスチャンとか桜田淳子も大好きだったが、楽曲が持つ迫力という点では、「ジョニィへの伝言」とか布施明の「積み木の部屋」とか、風の「22歳の別れ」、中条きよしの「うそ」あたりが印象に残っている。
何となく物語チックな歌が好きだったみたいだ。そのほかにも「思いでまくら」や「わかってください」なんかには萌え萌え~って感じだった。
今思えば、不幸を歌にしたような曲ばかりである。
何かを暗示していたのだろうか。
まあいいか。年の瀬ライブを無事にこなせるよう頑張っていかねば。