体調不良が思ったより長引いているので、今週は更新をお休みします。
健康が一番だと再認識しています。。
東京出身。富豪になりたい中年男。幼稚園から高校まで私立一貫校に通い、大学卒業後、財務系マスコミ事業に従事。霞ヶ関担当記者、編集局長等を経て現在は副社長。適度に偏屈。スタイリッシュより地味で上質を求め、流行より伝統に心が動く。アマノジャクこそ美徳が信条。趣味は酒器集め、水中写真撮影、ひとり旅、葉巻、オヤジバンドではボーカル担当。ブログ更新は祭日以外の月曜、水曜、金曜。 ★★★スマホでご覧頂いている場合には画面下の「ウェブバージョンを表示」をクリックしてウェブ画面に飛ぶと下側右にカテゴリー別の過去掲載記事が表示されますので、そちらもご利用ください。
2020年1月24日金曜日
ナポリタン万歳!
お年寄りになると子ども返りしていくという話がある。50代の私はさすがにお年寄りというジャンルではないが、子ども返りの話は何となく理解できる。
いっぱしの大人になると、子供っぽいモノを避けるようになるが、それもウン十年も続けば変わってくる。
子供時代、すなわち自分の原点の頃のモノへの懐かしさが募るのは当たり前のことだと思う。
などと、もっともらしい話を書いたが、言いたいことは昔ながらのナポリタンが大好きだ!!という話である。なんじゃそれ・・・。
ナポリタンなんて本場には存在しない怪しい食べ物だ、とか、あれはパスタというジャンルではない等々、大人になると知ったような顔してコキおろし始める。
確かにそうかもしれないが、子供の頃はあんなに好きだったのに、大人になったからといって全否定しちゃうのもヘンテコな話だ。
イマドキの小洒落たパスタ料理と比べて格下扱いされがちなナポリタンだが、結局、大人達もナポリタンを愛しているのも真実である。
昔ながらのナポリタン、喫茶店のナポリタンといったフレーズに世のオジサマ達は敏感である。やたらとメニューばかり多い大衆居酒屋でそんな一品を見つけると、酔ったついでにこぞって注文してしまう。
で、ケチャップ味が濃いの薄いの、ピーマンやタマネギの切り方がどうのこうのと熱く語り出す。居酒屋ナポリタンがたいしてウマいはずはないのに食べちゃうわけだから、結局はみんな大好きだという証だ。
この画像は、京橋の老舗洋食屋さん「モルチェ」で食べた一品。明治屋の地下にあるニクいメニューを揃えた店だ。
華族会館の流れをくむレストランだが、お値段は手頃なレベル。グラタンにハンバーグ、各種フライやカレー、オムライスといった定番メニューが揃う。
客層がオッサン、オバハンばかりな点もイカしている。オジイサン、オバアサンといったほうが的確かも知れない。
こういう店のデンとした雰囲気は若者にはドンくさく感じるのだろうか。時代に迎合しない感じが逆に中高年には居心地の良さにつながっている。
日本人がアルデンテなんて言葉を知らなかった時代のナポリタンである。粉チーズをブリブリかけることに興奮した時代のあの甘酸っぱいナポリタンだ。
厳密にいえば、昔のナポリタンというジャンルの中では高級路線だろう。喫茶店系ではなく、昔の子供がおめかしして食べたような“ちゃんとしたナポリタン”だ。
油がギトギトでケチャップが酸っぱすぎる雑な感じの大衆ナポリタンも魅力的だが、“おめかしナポリタン“は、昭和の子供にとってハレの日のご馳走だったような気がする。
素直にこういう食べ物に感激できるのは一種の子ども返りなのかもしれない。20代や30代の頃だったら、わけもなくカルボナーラのほうがオシャレだと思っていた。愚かである。
パスタ百花繚乱の今の時代だからこそ、ナポリタンの独自性は際立つ。逆にオシャレな食べ物として注目されてもいい。
ナポリタンって、ナウいし、チョベリグだよね! 昭和世代の逆襲みたいで悪くない。いかがだろう。
パスタの本場イタリアでは、ジェノバのジェノベーゼ、ボローニャのボロネーゼは当然のように定番である。
日本生まれのナポリタンをナポリに輸出して定着させるプロジェクトに取り組んでみるのも面白いかも知れない。
寿司におけるサーモンだのアボカドだって、外国からの逆輸入でわが国に定着したようなものである。
昭和のシンボルだったナポリタンがイタリア人の間で大人気になったら実に素敵だと思う。
2020年1月22日水曜日
ネットで買うウマいもの
面倒な調理は苦手だが、それなりにウマいものにはこだわりたい。そんなワガママのせいで、随分と通販などのお取り寄せに励んできた。
最近はだいぶ収集癖?も治まってきたが、それでもちょっと物珍しいモノを見つけるとすぐに欲しくなる。
ネットスーパーで扱っていた「うまくて生姜ねえ!!」という万能調味料である。名前のセンスはさておき、なぜかこれにハマってしまった。
万能調味料である。炊きたての白米にそのまま載っけてもイケる。炒めた豚肉やカツオのような魚のトッピングにしてもバッチリだ。
そのまま口にするとビミョーな味である。味がキツい。でもコメや相性の良いおかずに合わせると俄然実力を発揮する。クセになる味だ。
一時期ハヤった食べるラー油などより罪悪感?は無いし、ショウガが本気でグイグイ攻めてくる感じがヘルシーに思えて悪くない。
大手メーカーが量産している商品より、こういう謎めいたものでお気に入りを見つけると何だか嬉しい気分になる。
隠れ家レストランを知っているとちょこっとドヤ顔になってしまうような感覚だろうか。“知る人ぞ知る”の知る人側にいるような気分になる。
そんなくだらない感覚で、大手メーカーの量産系を避けていたのだが、最近はエバラの「おろしのタレ」にもハマっている。
大きめのスーパーならどこでも置いてある定番品である。大根おろしが素材なのに日持ちするなんて気持ち悪いと敬遠していたのだが、食べてビックリ。やたらとウマい。
何にでも合うところがステキだ。私が最近ハマっている食べ方は豚しゃぶのタレとして使うパターンだ。
これまた市販のダシをたっぷり入れて沸騰させた鍋にしゃぶしゃぶ用の豚肉をドバっと投入。茹ですぎない程度にさっさとザルにあけ、湯切りした状態でドンブリ飯に載っける。そこにおろしのタレを投入して軽く混ぜ合わせるだけ。
超簡単である。作業時間もごくわずかで美味しい豚しゃぶ丼が出来上がる。朝からそんなものを作って食べるほどハマってしまった。
で、エバラのタレに敬意を表すついでに同社が出している「たまねぎのたれ」にも手を出してみた。
なぜかこちらはスーパーで見かけたことがない。ネットで取り寄せたのだが、私にとってド真ん中ストライクだった。
初めて食べてみた時は若者みたいに「ヤバい」と口にしてしまったほど。ジャンクといえばジャンクな味だが、鰹だし風味に溢れ、肉や魚、野菜に豆腐まど何にでも合う味だ。
先日は、余ったご飯で適当に炒めご飯を作ったのだが、味付けが弱かったので、完成間際にこのタレをちょろっとまぶしてみた。一気に味が引き締まって驚いた。
続いては、そうめんの代表的ブランド「揖保乃糸」から発売されている中華麺である。こんな麺があることは知らなかったが、ネットで冷やし中華を探索していたら見つけた。
さっそく取り寄せてみた。確かに中華麺なのだが、そうめんや冷や麦っぽい風味がどことなく漂っていて、一般的な中華麺とは違う。ソーメン系のあの喉ごしが中華麺なのに感じられる。
わが家の冬の常備品である「冷やし中華スープ」で味わってみた。あみ印食品のこのスープは、2~3倍に薄めて使うタイプなので気分や用途で味が調節できて、これまたオススメである。
一言で言うなら安っぽい味なのだが、昭和の、いわゆる街中華が出していた気取ってない冷やし中華の味そのものである。
おぼろ豆腐に刻みネギを大量にぶちまけておろし生姜を加えて、この冷やし中華スープをドバっとかけると、得も言われぬ美味しさになる。
話がそれた。揖保乃糸中華麺の話だった。麺の風味を味わうには、そばやソーメンみたいにスープは猪口に別に用意してつけ麺として食べるのが良いと思う。いわゆる中華もりである。
ウソ偽りなくかなり美味しい。つゆにはチョロッとだけ麺をつけて、江戸っ子がそばをたぐるようにしてズズズっと味わうと、やたらと爽やかな味わいだ。
酔った後のシメにこんなものが出てきたら、1キロぐらい食べちゃいそうである。
普通の冷やし中華をイメージすると少し違う。別な種類の冷やし麺のひとつといった趣である。
まだまだ紹介したいものはいろいろあるのだが、長くなったからこの辺で。
2020年1月20日月曜日
親バカとビジネス
この春から一人暮らしを始める娘の住まいが決まった。いわゆる女子学生専用物件である。
親バカである。普通のアパートでいいはずなのに、ついつい過保護になってしまった。
女子学生専用のセキュリティーなどが付いている物件で、当然男子禁制である。父親の私の入館にもあれこれ条件があるらしい。
一人暮らしの若い女性が、帰宅した際に暴漢に侵入され襲われるパターンのアダルト動画を日常的に見ている私である。やはり娘が住むなら男子が立ち入れない物件にしてもらいたい。
男が来ないのは安心といえば安心だが、肝心の娘が男の所に行ってしまえば同じである。まあ心配してもキリがない。
門限もあるようだが、門限を過ぎたからといって入れないわけではない。外泊届けも必要らしいが、具体的な運用がどの程度キッチリしているかは不明だ。
とりあえず、普通の賃貸物件より規則は厳しい。とはいえ寄宿舎のように制約だらけというわけでもない。
子供を心配する親に一応の安心を感じさせる物件というわけだ。いわば、親バカにつけ込んだ、いや、親心にうまく寄り添った仕組みの物件である。
賃料自体は近隣の賃貸物件とさほど変わらないが、管理費が妙に高く、礼金代わりの入館料や敷金代わりの保証料などもかなり高い。
契約内容も普通の賃貸物件より貸す側にかなり有利な内容だ。一般の賃貸物件であんな契約内容だったら、まず契約する気は起きない。
でも契約しちゃった。それが親バカというものである。娘が未成年のうちはそんな物件に入れた方が間違いないと思い込んでしまう。親にとって一種の自己満足なのかも知れない。
わが社も以前から副業的に賃貸物件を持っているが、過去には学生専用物件の運営を検討したこともある。
立地次第ではあるが、防音機能があれば音大生を筆頭に入居者が途切れないという話もある。
学生限定、とくに女子学生限定なら、スポンサーである親がとりあえず安心する材料になる。供給過剰のワンルーム物件の賃貸経営にとって、この部分だけでもアドバンテージだろう。
保証金の金額や退去期間の制限なども厳しく設定しやすいし、何よりある程度余裕のある親が契約者になってくれるわけだから、賃料滞納リスクも抑えられる。
なかなかウマいビジネスだと思う。
まあ、そんなことより娘の独り立ちが近づいているから、甘甘父ちゃんとしては出費がかさむばかりだ。
こういう流れになると分かっていたら、昨年の引越しの際に、娘と同居できる規模の物件にしておけば良かったと後悔している。
娘と同居なら私のフザけた日常も軌道修正されるだろうし、その分、寿命も伸びたかもしれない。
今の物件だとさすがに狭い。遠からず次の住まいのことも考えないといけない。来年には中古マンション価格が暴落するらしいから、真面目にあれこれ検討しようと思う。
2020年1月17日金曜日
もんじゃ ロイホ 万世
もんじゃ焼き。謎めいた食べ物である。東京名物らしいが、根っからの東京人である私にとって無縁の食べ物である。
もんじゃ焼きが好きだと熱く語る人は私のまわりに一人もいない。世代の問題かと思って娘に尋ねてみたが、もんじゃが大好きという若者もいないらしい。
観光客のためのものなのだろうか。謎だ。一応、もんじゃファンもいるだろうから滅多なことは言えないが、誰がターゲットなのか昔から不思議だった。
今の住まいは、もんじゃの本場・月島から程近い距離だ。電車だったら隣の駅である。謎のもんじゃへの興味は募るばかりだったので、某日、娘に頼んで連れていってもらった。
一人で行こうとは思わない。だいたい注文の仕方も作り方も食べ方も不明だ。若者に頼るしかない。
黙々と食べてみた。人生初のもんじゃ体験である。人生で初めてという事実に感動した。でも残りの人生で食べる機会はなさそうだ。
昔の駄菓子屋にあったおやつが原型らしい。おやつだか食事だか分からないところが不思議だ。ファストフードの極みみたいなものだろう。
驚いたのは、店が混んでいると何から何まで客が自分で作らないといけないという点だ。
もんじゃやお好み焼きなら分からなくはないが、焼きそばやチャーハンまでセルフでやれと言われてたじろいだ。
凄い商売である。もんじゃは娘に任せたものの、焼きそばとチャーハンは私がせっせと作った。
店は材料を提供するだけだ。バーベキューの材料を用意するキャンプ場みたいな話である。
正直、ファミレスに行ったほうが間違いはないし快適だ。まあ比べる話では無いのかも知れないが・・・。
ファミレスに話を移す。ファミレスといえばロイヤルホストの美味しさには驚かされる。いつも同じようなメニューしか選ばないのだが、パスタなんかの味付けも本格的で満足出来る。
ファミレスの中では高級路線を歩んでいるようだが、多少値段は高くてもちゃんとしたレベルの料理が出てくるなら納得である。
日本に来る外国人旅行者はヘタな飲食店を探し歩くより毎日毎食ロイヤルホストに通ったほうが間違いないと思う。メニューは豊富で和食もある。
高級ファミレスといえば「肉の万世」に時々出かける。高級ファミレスというよりステーキレストランというジャンルかもしれない。肉料理全般のメニューが豊富だ。
ファミレスと比べると値段はやや高いが、赤身肉のステーキはかなり美味しいし、食べ応えのあるロブスターもあるし、粗挽きハンバーグなども肉肉しくて他では味わえない路線だ。
牛すじ煮、スペアリブ、コロッケなんかもあって酒のツマミにも事欠かない。昔ながらのベタなナポリタンにパーコーが載っかっているパコリタンというジャンクメニューが私のお気に入りだ。
カツサンドも当然作りたてで出てくる。ムホムホ言いながら頬張りたくなる味だ。こういうラインナップは子連れの時ならではの楽しみである。
気取った店でダンディーぶって過ごしている時には、ついつい渋いメニューを選びがちだが、男はいくつになっても子供っぽい食べ物が気になって仕方ないのも事実だ。
システマチックに一定水準以上の味をしっかり提供してくれるチェーン店の底力は侮れない。
そう思うと、チャーハンまで客に作らせるもんじゃ焼屋が繁盛していることが不思議でならない。謎は深まるばかりである。
もんじゃ焼きが好きだと熱く語る人は私のまわりに一人もいない。世代の問題かと思って娘に尋ねてみたが、もんじゃが大好きという若者もいないらしい。
観光客のためのものなのだろうか。謎だ。一応、もんじゃファンもいるだろうから滅多なことは言えないが、誰がターゲットなのか昔から不思議だった。
今の住まいは、もんじゃの本場・月島から程近い距離だ。電車だったら隣の駅である。謎のもんじゃへの興味は募るばかりだったので、某日、娘に頼んで連れていってもらった。
一人で行こうとは思わない。だいたい注文の仕方も作り方も食べ方も不明だ。若者に頼るしかない。
黙々と食べてみた。人生初のもんじゃ体験である。人生で初めてという事実に感動した。でも残りの人生で食べる機会はなさそうだ。
昔の駄菓子屋にあったおやつが原型らしい。おやつだか食事だか分からないところが不思議だ。ファストフードの極みみたいなものだろう。
驚いたのは、店が混んでいると何から何まで客が自分で作らないといけないという点だ。
もんじゃやお好み焼きなら分からなくはないが、焼きそばやチャーハンまでセルフでやれと言われてたじろいだ。
凄い商売である。もんじゃは娘に任せたものの、焼きそばとチャーハンは私がせっせと作った。
店は材料を提供するだけだ。バーベキューの材料を用意するキャンプ場みたいな話である。
正直、ファミレスに行ったほうが間違いはないし快適だ。まあ比べる話では無いのかも知れないが・・・。
ファミレスに話を移す。ファミレスといえばロイヤルホストの美味しさには驚かされる。いつも同じようなメニューしか選ばないのだが、パスタなんかの味付けも本格的で満足出来る。
ファミレスの中では高級路線を歩んでいるようだが、多少値段は高くてもちゃんとしたレベルの料理が出てくるなら納得である。
日本に来る外国人旅行者はヘタな飲食店を探し歩くより毎日毎食ロイヤルホストに通ったほうが間違いないと思う。メニューは豊富で和食もある。
高級ファミレスといえば「肉の万世」に時々出かける。高級ファミレスというよりステーキレストランというジャンルかもしれない。肉料理全般のメニューが豊富だ。
ファミレスと比べると値段はやや高いが、赤身肉のステーキはかなり美味しいし、食べ応えのあるロブスターもあるし、粗挽きハンバーグなども肉肉しくて他では味わえない路線だ。
牛すじ煮、スペアリブ、コロッケなんかもあって酒のツマミにも事欠かない。昔ながらのベタなナポリタンにパーコーが載っかっているパコリタンというジャンクメニューが私のお気に入りだ。
カツサンドも当然作りたてで出てくる。ムホムホ言いながら頬張りたくなる味だ。こういうラインナップは子連れの時ならではの楽しみである。
気取った店でダンディーぶって過ごしている時には、ついつい渋いメニューを選びがちだが、男はいくつになっても子供っぽい食べ物が気になって仕方ないのも事実だ。
システマチックに一定水準以上の味をしっかり提供してくれるチェーン店の底力は侮れない。
そう思うと、チャーハンまで客に作らせるもんじゃ焼屋が繁盛していることが不思議でならない。謎は深まるばかりである。
2020年1月15日水曜日
高いから嬉しい!?銀座みかわや
年明け早々からサッポロ一番について熱く語っているようでは、富豪を目指す者として問題だから、今日はちょっと高いモノの話を書く。
食べ物に関しては、「高価イコール美味しい」という感覚がつきまとう。先日も千疋屋フルーツパーラーで2千円以上もするパフェを食べたのだが、案の定ウマいなあと喜んでしまった。
実際に美味しかったのだが、「千疋屋だから」「2千円だから」という“高級な気分フィルター”が一種の調味料になっていたような気もする。
高くてもマズいものはある。高いのにごく普通のものもいっぱいある。残念ながらそれが実態だ。あえて高値だから人気を集めるという現象だってある。
ウダウダ書いたが、高くてウマいものは、その値段を払ってまで食べたんだぜという喜びもスパイスになるのは確かだろう。
ニッポンの洋食というジャンルは外食のジャンルの中でも値段の判断が厄介だと思う。
ハンバーグ、エビフライ、クリームコロッケをはじめ、オムライス、ハヤシライス、ビーフシチューといった面々である。
街の定食屋でも普通に食べられる。その反面、老舗高級ホテルのカフェラウンジや銀座の資生堂パーラーみたいな高級店も存在する。
3千円ぐらいのピラフやカレー、5千円ぐらいのシチューやハンバーグも珍しくない。街の定食屋さんの750円のA定食に入っているものと同じでもまるで様相は違う。
個人的に「高い洋食」はとても魅力的だ。日本橋たいめいけんに行く際も、わざわざ値段の高い2階席に行きたがる。
ハヤシライスにウン千円払ったぜ、クリームコロッケがウン千円もしたぜ、という敗北感にも似た気分が一種の高揚感につながる。
一種のMである。700円ぐらい出せばウマいオムライスは食べられるのに2500円のオムライスに興奮してしまう。Mであり変態だ。
でも、オムライスにそこまで予算を投入できるほど、オレって食い物にはこだわりがあるんだぜ的なヘンテコな自己陶酔感も味わえる。
なんだか前振りが長くなったが、銀座にある老舗洋食店「みかわや」に久しぶりに出かけて、変態Mオヤジとしてハッピーな時間を過ごした。
銀座っぽい店の代表格だろう。この店、タンシチューは5千円オーバーだし、帆立のクリーム煮は4千円ぐらいする。洋食なのに気軽には行けない感じがM心をくすぐる。
グラタンにカニクリームコロッケ、ハンバーグである。どれも子供の頃に家で母親が作ってくれたものである。
ごくごく一般的な料理を高い値段を払ってまでムホムホ食べる。贅沢と言ってしまえばそれまでだが、これこそが高級洋食屋さんの醍醐味だ。
実際、味のほうも抜群だ。誰だって笑顔にしてしまう魔力がある。プロが本気で作る伝統の味である。ウットリした。
ハヤシライスも味のバランスが絶妙で、毎日でも食べたいと思えるほど。前菜の盛り合わせもすべて丁寧に仕上げられていたし、タルタルソースもさすがの美味しさだった。
安くてウマいのことは絶対的な正義ではあるが、高くたって構わないと思わせてくれる食べ物は大人の心の安寧に必要だと思う。
なんだか大げさだ・・・。
ちなみに、こういう老舗洋食屋さんのメニューで見かける昔ながらの変な料理表記も楽しい。
メニューを見てコロッケをクロケット、シチューをシチウなどと書かれているのを見ると、洋食ファンである私の気分はアガる。
「みかわや」の場合、ステーキがステーク、サラダがサラドだった。注文する際に口にするのが恥ずかしいから、その二つは頼まなかった。
サラド・・・、言えない。
2020年1月10日金曜日
子供っぽく生きよう
50代のオジサマとして生きていると、昔より肩の力が抜けていることを痛感する。良いことだと思う。
思い込みが弱くなったというか、こだわりがユルくなっているのは確かだ。そんなことを実感するのが、はるかに年下の人の話に素直に耳を傾ける時だ。
たとえば35歳ぐらいの頃だったら二十代前半の人の話を聞いても、ハナっから「ケッ、若僧が何を言ってやがる」的な反応をしがちだった。
ああいう反応は自分自身に余裕がなかった表れだろう。40代まではそんな突っ張った感覚があったように思う。
今では何でもかんでも素直に感心しちゃう。30代、いや20代の人の話もフムフム頷いて、素直に参考にさせてもらう。
今の時代は世代間の情報格差が昔より格段に広がっていることも理由だとは思うが、どうでもいいジャンル、たとえばタピオカやバナナジュース、はたまたOfficial髭男dismの話なんかも素直に聞く。
オジサマ族の悪いクセは、自分の固定観念に縛られちゃうことだ。私にもそういう部分は多々ある。それだと気分が新鮮にならないし、どんどん感性が化石みたいになってしまう。
アンチエイジングという言葉は嫌いだ。不自然に若ぶったり、無理やり若者に迎合するのはゴメンだが、ちょこっと好奇心を持って世間を俯瞰することは大事だ。
さもないといろんな感覚が錆び付いてしまう。適度に若僧サマ達の話を面白がる感性は維持したいものだ。
早いもので何度目?かの独身生活になって7年ぐらい経った。仕事ではオッサンとの付き合いしか無いが、独り身だからプライベートではうら若き女性達にあれこれと付き合ってもらうことは多い。
娘が社会人になって自立するまでは、パートナーみたいな人を探すつもりはないし、真面目に恋愛する予定も無い。必然的にそういう人達とはあくまで薄っぺらいお付き合いである。
薄い付き合いでも、世代の違う人達と関わることで参考になる話を聞くことは多い。吸収できることも少なくない。
若僧だから、浅い付き合いだからという理由で勝手に壁を作ってしまえば、興味深いはずの話にもアンテナが反応しなくなる。実にもったいないことだ。
放っておくと自然と老け込んじゃう年齢なんだから意識してアンテナの感度は高めないといけないと思う。
最近、週刊誌で読んだ阿川佐和子さんと東海林さだおさんの対談が興味深かった。
東海林さんが御年82歳ということにビックリしたが、さすがに今も毎週のように風刺漫画を連載しているだけあって、感性がとてもフレッシュだ。
「近頃の若いヤツらは・・・」「イマドキのヤツらは・・・」という若者批判の声を聞くと、今でも自分が批判されている側に該当している気分になるらしい。
良い意味で“年寄り”という自覚がないみたいだ。立ち位置や目線という点ではわざわざ老け込む必要はないわけだから、東海林さんの思考法は中高年世代も大いに見習いたいものだ。
また、東海林さんは大人が忘れてしまった子供の必死さ、真剣さに学ぶべきという趣旨の持論を展開する。
ブランコをこぐのも死に物狂いだし、身体中に全エネルギーを集結させて絶叫するし、何をするにもバカみたいに必死だ。東海林さんはその姿勢が羨ましいと主張していた。
確かに年齢とともに周りとのバランスばかり気にし始めるのが普通の人間だ。それが結果的に人生を退屈にし始めている点はあるのかもしれない。
考えてみれば、子供って常に「我関せず」みたいに予定調和とは無縁に生きている。人と話が噛み合わなくてもヘッチャラだ。単純明快という点で、一面的には人生の達人なのかもしれない。
子供っぽいと言えばネガティブな意味だが、中高年にとっては前向きな意味合いにもなり得る言葉かも知れない。
人様に迷惑をかけない程度に、子供っぽく生きてみようかと思う年の初めである。
2020年1月8日水曜日
サッポロ一番
年末年始はウマいものをたくさん食べたが、一番ウマかったのは「サッポロ一番」かもしれない。だいぶ久しぶりに食べたのだが、改めて大ファンになった。
インスタントの袋麺が全盛期だった昭和の頃、私が好きだったのは出前一丁でも中華三昧でもチャルメラでもなくサッポロ一番だった。
いわば「ふるさとの味」である。あまりに身近だったし、日常そのもの?だったから価値に気付くことはなかったが、ラーメン百花繚乱時代の今になって、ブレない凄みに尊い価値があることを痛感する。
みそ、塩、しょうゆ。すべて好きだ。今は旨辛や豚骨、塩とんこつといったシリーズもあるらしいが、私が子供時代には無かったからそっちは無視。あくまで基本の3味しか知らない。
何より素晴らしいのが「そのままで充分ウマい」という一点だ。すなわちトッピング無しでも満足できる。究極の完成形である。
家で作るラーメンといえば、チルドタイプの生麺を使った商品が世の中に数多く出回っている。即席麺というジャンルではそんな“麺々”がヒエラルキーの一番上に位置している。
私も札幌や喜多方の名店の名を冠したチルド麺をよく買うのだが、ああいうラーメンは「そのままではダメ」である。ネギやチャーシュー、煮卵などをトッピングしないと美味しくない。
美味しくないというか、トッピング無しでは食えたものではない。未完成状態と断言してもいい。
対してサッポロ一番は何も加えずに満足できる。これは私だけの偏った意見ではないはずだ。出来上がった時の見た目が安っぽくみすぼらしい様子だとしても大丈夫である。単純明快に美味しい。
これは凄いことだと思う。
ご存じサッポロ一番塩ラーメンにはゴマの小袋が同封されている。あの香ばしさが決め手みたいだから、調子に乗って家にあったゴマを別途大量にふりかけてみた。
悪くはなかったが、あえて言えば必要の無いトッピングだった。やはりそのままで完成していることを思い知らされた。
考えてみれば、焼きそば業界のカリスマ「ペヤング」も同じだ。チルド麺の焼そばを作る際にはキャベツや肉などを足さなければウマくないが、ペヤングは余計なトッピングなど受付けない潔さが特徴である。
袋麺ではなく、カップ麺業界ではあらかじめ「かやく」というヘンテコな名称のトッピング材が用意され、それが味のバランスを整えている。カップヌードルにしてもアノ謎肉がポイントである。
サッポロ一番にはそういう助っ人はいない。でも美味しい。クドいようだが、これって凄いことだと思う。
ついでに言えば、サッポロ一番は鍋を火にかけて調理しないと作れないという致命的な弱点がある。洗い物だって出ちゃうわけだ。
にもかかわらず、カップ麺全盛の世の中になっても絶滅せずに人気を維持している。あまたのカップ麺ですら消滅していく厳しい世界にあって、袋麺なのにサッポロ一番はどこでも売っている。
一応、サッポロ一番のラインナップにはカップ麺も用意されているが、根っからのサッポロ一番支持派にとってはあれは邪道だ。あくまで袋麺こそが真骨頂である。
このブログでは、いままでさんざんペヤングを絶賛する話を書いてきたが、サッポロ一番を取り上げてこなかった。
失態である。大いなる見落としだ。
ペヤングは不幸な事件を乗り越えたあたりから、どんどんアバンギャルドな路線を突っ走っている。信者である私もついつい追いかけてしまう。
対するサッポロ一番はどこか悠然と構えている印象がある。そこがまたニクい。我が道を行くという凜とした姿勢を感じる。もはや神々しい気配すら漂う。
正直に言えば、私だってサッポロ一番にメンマやザーサイ、はたまた生卵を落として食べることもある。
でもやっぱり何も入れない状態で一気に2袋をたいらげるのが一番好きな食べ方である。
だからいつも購入する「5袋入りパック」だと余りが出ちゃう。2セット買わないと割り切れないのが困りものである。
サッポロ一番が世に出たのは1966年の1月だとか。ほぼ私と同じ歳である。タメと呼んでもいい。
生涯にわたる付き合いになりそうである。
インスタントの袋麺が全盛期だった昭和の頃、私が好きだったのは出前一丁でも中華三昧でもチャルメラでもなくサッポロ一番だった。
いわば「ふるさとの味」である。あまりに身近だったし、日常そのもの?だったから価値に気付くことはなかったが、ラーメン百花繚乱時代の今になって、ブレない凄みに尊い価値があることを痛感する。
みそ、塩、しょうゆ。すべて好きだ。今は旨辛や豚骨、塩とんこつといったシリーズもあるらしいが、私が子供時代には無かったからそっちは無視。あくまで基本の3味しか知らない。
何より素晴らしいのが「そのままで充分ウマい」という一点だ。すなわちトッピング無しでも満足できる。究極の完成形である。
家で作るラーメンといえば、チルドタイプの生麺を使った商品が世の中に数多く出回っている。即席麺というジャンルではそんな“麺々”がヒエラルキーの一番上に位置している。
私も札幌や喜多方の名店の名を冠したチルド麺をよく買うのだが、ああいうラーメンは「そのままではダメ」である。ネギやチャーシュー、煮卵などをトッピングしないと美味しくない。
美味しくないというか、トッピング無しでは食えたものではない。未完成状態と断言してもいい。
対してサッポロ一番は何も加えずに満足できる。これは私だけの偏った意見ではないはずだ。出来上がった時の見た目が安っぽくみすぼらしい様子だとしても大丈夫である。単純明快に美味しい。
これは凄いことだと思う。
ご存じサッポロ一番塩ラーメンにはゴマの小袋が同封されている。あの香ばしさが決め手みたいだから、調子に乗って家にあったゴマを別途大量にふりかけてみた。
悪くはなかったが、あえて言えば必要の無いトッピングだった。やはりそのままで完成していることを思い知らされた。
考えてみれば、焼きそば業界のカリスマ「ペヤング」も同じだ。チルド麺の焼そばを作る際にはキャベツや肉などを足さなければウマくないが、ペヤングは余計なトッピングなど受付けない潔さが特徴である。
袋麺ではなく、カップ麺業界ではあらかじめ「かやく」というヘンテコな名称のトッピング材が用意され、それが味のバランスを整えている。カップヌードルにしてもアノ謎肉がポイントである。
サッポロ一番にはそういう助っ人はいない。でも美味しい。クドいようだが、これって凄いことだと思う。
ついでに言えば、サッポロ一番は鍋を火にかけて調理しないと作れないという致命的な弱点がある。洗い物だって出ちゃうわけだ。
にもかかわらず、カップ麺全盛の世の中になっても絶滅せずに人気を維持している。あまたのカップ麺ですら消滅していく厳しい世界にあって、袋麺なのにサッポロ一番はどこでも売っている。
一応、サッポロ一番のラインナップにはカップ麺も用意されているが、根っからのサッポロ一番支持派にとってはあれは邪道だ。あくまで袋麺こそが真骨頂である。
このブログでは、いままでさんざんペヤングを絶賛する話を書いてきたが、サッポロ一番を取り上げてこなかった。
失態である。大いなる見落としだ。
ペヤングは不幸な事件を乗り越えたあたりから、どんどんアバンギャルドな路線を突っ走っている。信者である私もついつい追いかけてしまう。
対するサッポロ一番はどこか悠然と構えている印象がある。そこがまたニクい。我が道を行くという凜とした姿勢を感じる。もはや神々しい気配すら漂う。
正直に言えば、私だってサッポロ一番にメンマやザーサイ、はたまた生卵を落として食べることもある。
でもやっぱり何も入れない状態で一気に2袋をたいらげるのが一番好きな食べ方である。
だからいつも購入する「5袋入りパック」だと余りが出ちゃう。2セット買わないと割り切れないのが困りものである。
サッポロ一番が世に出たのは1966年の1月だとか。ほぼ私と同じ歳である。タメと呼んでもいい。
生涯にわたる付き合いになりそうである。
2020年1月6日月曜日
閲覧数ベスト10
長すぎた休みも終わって今日から再スタート。今年もよろしくお願いします!
ここ数年、年末にはこのブログの年間閲覧数の上位を振り返ってきたのだが、昨年は忘れてしまったので、改めて昨年のベスト10を調べてみた。
マニアックなテーマに絞るか、世間で盛り上がっている話や話題の固有名詞を盛り込めば閲覧数は増えるものだが、このブログはただただ私の好き勝手な雑文に終始している。
もう10年以上も凝りもせずに脈略も何もない話を書き続けているから、これからもそんなノリで続けようと思う。
昨年最も読まれたのはお寿司の話。なぜこれが一番だか私にも分からないのだが、おそらく何人かに引用されて多くの人の目に触れたのだと思う。
おまかせ寿司、みやげ寿司
2番目も同じような理由で多くの人に読まれたようだ。もしくは館ひろしファンのせいかもしれない。
熟年 ビンテージ
続いては変態的テーマだ。カップ麺の話など滅多に書かないのに多くの人に読まれた。私のヘンテコな食べ方の真似をした人もいるのだろうか。
蒙古タンメンを改造してみた
銀座ネタは毎年根強い人気?がある。何となく閉鎖的な部分がある世界だからネット情報が参考にされるのかも知れない。
銀座のクラブに漂う「気」
続いては私の好きなテーマだ。ワイ談を文化的?で高尚?に語りたがるのが私の生きざま!である。こういうテーマばかりを集めて下ネタ読本にでもまとめてみたいものだ。
いろエロな漢字
お次は台湾旅行の話。有名店の固有名詞が検索でヒットしたことが上位になった理由だと思う。
鴨、ガチョウ、小籠包の罠
最近はあまり書かなくなったダウン症関連の話も多くの人に読んでいただいている。息子が小さかった頃の葛藤を経て、大きく育ってくると、ある意味で「普通」になるから意気込んで書くことが減ってしまった。
ダウンちゃん中学生になる
続いてはこれまたちょっとエッチな話。やはり下ネタ総集編を考えるのもアリかもしれない。
脚と太もも
残りのふたつは次のような内容だ。
ひとり遊びのススメ
靴は人なり
ブログを11年も続けてくると、自分にとっての“近現代”を振り返ることが出来て結構重宝している部分もある。
2,3年前だと思っていた話が10年近く前のことだったり、綺麗さっぱり忘れ去っていたことが昔の話を見ることで甦ってきたり、脳トレ効果もあるみたいだ。
今年もウダウダと書き続けていくので、おつき合いしていただけると嬉しいです。