2024年9月30日月曜日

銀座の手


10年ぐらい前か、もっと最近か忘れてしまったが、週に何度も夜の銀座をぶらぶらしていた。すっかりご無沙汰している。中央区民になったのが56年ぐらい前だからナゼか近所になったら足が遠くなった。

 

銀座で食事をする機会は多い。先日も変な時間に一人ふらっと洋食の老舗「スイス」に入ってクリームコロッケや名物のハヤシライスを食べた。隣席にいた外国人家族が私の食べているものを物珍しいそうに覗き込んでくるのには辟易としたが、疲れていたからペラペラな英語?を繰り出すこともなく日本人的薄ら笑いをしたままやり過ごした。

 



気のせいか、ハヤシソースの量が以前より減ったように感じてちょっと萎えた。近頃の物価高の影響だろうか。銀座の老舗ならそのあたりはドーンと構えていてほしいものだが、それも客側の勝手な言い分だろう。

 

さて、夜の銀座の話だった。お盛んな頃はアフターまで付き合わされて帰宅が早朝になっちゃうこともあったが、いまやすっかり好々爺みたいな暮らしだ。あの頃の絶倫、いや元気さはどこにいったのだろう。

 

先日、長い付き合いのママさんの誕生祝いで某クラブに出かけた。銀座界隈から届いた豪華な生花が店中に飾られなんとも賑々しい光景だった。ついでに私の気分もちょっとアガった。

 



やはり夜の銀座のきらびやかな空気感はビタミン剤というか栄養ドリンクみたいなプラセボ効果がある。あの活気とエネルギーに溢れた空間に身を置くことは健康増進効果?につながると本気で思った。

 

平成から令和と時代が移り変わるうちに東京の「街の色」は均質化が進んだ。街ごとのカラーの違いが薄れてきたわけだが、7丁目8丁目あたりの夜の銀座には今も昔ながらの独特な空気感が漂う。

 

他のどこの繁華街ともビミョーに違うスノッブな気配というか、どこか凛とした風を感じる。「ヨソイキの街」とでも言いたくなるようなちょっと日常から離れた雰囲気が根強い。

 

中高年男にとって、自分の現役感や向上心の大切さを再認識する効果もあると思う。私自身、たまには気取った顔してこの街を闊歩するぐらいじゃないとどんどん劣化しちゃうような気がしてナゼか反省したい気分になった。

 



腑抜けた日々から抜け出て少しだけ背筋を伸ばしたくなるような感じだろうか。きっとマメに銀座通いをしていた頃は私の背筋は今よりシュッとしていたはずだ。

 

以前ほど銀座通いをしなくなった理由の一つとして「アウェー感」を味わえなくなったことがある。多分に年齢的な意味合いは強い。夜の銀座に初めて迷い込んだのが20代の終わりで、30代ぐらいはまだおっかなびっくりだった。その頃はまだ昭和の良き時代を感じさせる妙に迫力がある謎めいた白髪の老人みたいな客層が珍しくなかった。

 

そんな空気の中に若造の私が割り込むわけだからアウェー感バリバリである。なんとなく小さくなって隅の方で飲んでいた。背伸びした気分が楽しかったし、かなわない感じというか、一種のMっぽい状況が面白くなってハマっていった。

 

40代になって徐々に慣れと図々しさが加わって「小さくなって飲む」ような感じではなくなり、40代も半ばを過ぎると知ったかぶりも強まってアウェー感も薄れてきた。いわば純粋にオッサン化が成立してしまったわけだ。

 

そうなると通い慣れた店も増え、訳知り顔で態度も大きくなり、店に入った途端に太田胃散を持ってきてもらったり、梅昆布茶だけで過ごしてみたり、いつの間にか「カッコつけて飲む」というあの街ならでは嗜み?も忘れてしまった。

 

銀座のクラブで飲むならどこかシュッとした姿勢や心意気を守りたいものだが、ぐうたらするようになったことで何となく昔に感じていた面白さを忘れてしまったわけだ。

 

そんなこんなでご無沙汰続きのお店は多い。ちょっと残念である。でも、先日久しぶりに某クラブで痛飲してみて、久しぶりという立場ゆえのアウェー感を味わえたのは新鮮だった。

 

現役男たるもの時にはこういう場所で気取った様子で過ごすことは案外大事だ。変な話、それも一種の努力だろう。努力を怠ればいろいろと錆びついていく。

 

最近は冒頭のハヤシライスの時みたいに銀座に出ても食事だけ済ませるととっとと帰宅しがちだ。以前なら帰宅する際にクラブ街を見ながら後ろ髪を引っ張られるような感覚もあったが、今ではそれも感じない。

 

とはいえ、ここ1,2ヶ月は不思議なことに夕飯の行き帰りなどに旧知のクラブ関係者に道端でやたらと遭遇する。そんなに大勢知り合いがいるわけではないのに立て続けに顔見知りの黒服さんやホステスさんに遭遇している。

 

“銀座の手”がそろそろ私を掴みに来ている前兆なんだろうか。それならそれで素直にまたあの街の魔法にかかって楽しい時間を過ごしてみることにしよう。

 

 

 

 

2024年9月27日金曜日

人類の教科書?

 

それにしても翔平さんは凄いの一言である。もはや賛辞も出尽くした感がある。いわゆる5050の達成の仕方も常軌を逸していた。プレッシャーという言葉も彼にとっては一種の栄養剤みたいな効果を発揮するみたいだ。

 



国民栄誉賞の話もまたぞろ出てきた。かつて「まだ早いので」で辞退した経緯があるものの政府としても放って置くわけにはいかないのだろう。政治利用だとの批判もあるが、そんなことを超越した実績と存在だから、今となっては政府も「お願いだからもらってくださいませ」といった感覚だと思う。

 

アメリカ有数の部数と影響力を持つワシントンポスト紙は翔平さんを賛辞するコラムでノーベル平和賞にまで言及したそうだ。成績だけでなく、試合中でも誰にでも挨拶してゴミまで拾う人間性が全米規模で浸透してきた証だ。

 

野球界、スポーツ界を超越した存在になりつつあるのは確かだ。人種差別が根強いアメリカで誰もが翔平さんを称えている現実は、彼が日本人のイメージだけでなくアジア人全体のイメージを大きく変えた。これって凄いことだと思う。

 

風刺画に描かれる日本人といえば、ごく最近までメガネに出っ歯で首からカメラをぶら下げている情けない姿が定番だった。何十年も染み付いたそんなイメージを翔平さんが一人で塗り替えたといっても大げさではない。

 

個人的に野球を好きになって半世紀近くが経った。リアルタイムで翔平さんの傑物ぶりを見られることはこの上なく幸せだ。早死にしちゃってたら今の異次元の活躍は見られなかったわけだから、本気で「生きていてよかった」と思う。

 

私が小学生の頃、数年に一度来日して観光気分で親善試合をこなすメジャリーガーのパワーとスピードに日米のレベルの違いを痛感させられたことを今も思い出す。別次元に思えたほどだった。

 

いまその世界で疑いようもなくNo.1の選手になった翔平さん。こんな日が来るとは想像もできなかった。かつて野茂投手が海をわたって風穴を開けて以来、日本人のピッチャーは結構通用することを知った。

 

しかし、野手に関してはイチローの傑出ぶりはあったものの、パワーの点では小粒なイメージは拭えず、あの松井秀喜でさえ中距離打者に路線変更せざるを得なかった。

 

その点、大谷選手は渡米後も進化を続け、マウンドに立てばメジャーのトップ級の速い球を投げ、打席では比類なき長距離弾をかっとばす。おまけにあの盗塁の稼ぎっぷりである。

 



「ダメな漫画家が描くストーリー」とさえ言われるほどありえない活躍を平然とやってのける。多くの人がいまや「大谷慣れ」に陥っているが、冷静になって見れば見るほどあの活躍ぶりは異常だ。歴史的傑物だということは論を待たないし、何気なくテレビ観戦している時は皆が歴史の目撃者になっているわけだ。

 

例の5050を達成した際の母校・花巻東高校の佐々木監督の言葉が翔平さんの凄さを端的に表していた。今シーズンは投手が出来ない状態の中でホームランと盗塁を量産したことに対する感想だ。

 

いわく「『これしかできない』ではなく『他に何ができるか』という思考力に驚かされる」。この表現が進化を続ける翔平さんの凄さを端的に表している。絶え間ない向上心の大事さを思い知らされた気がした。

 

我々凡人が偉人たちと決定的に違う点は、自分の限界を低い次元に設定してしまうことだろう。自己啓発書などでもさんざん言われている話ではあるが、自分の限界や天井を高く設定することの大事さは言うまでもない。

 

言うは易し…ではあるが、それを実践し続けている翔平さんの姿勢は、いかなるジャンルにおいても、また老若男女を問わず教訓に満ちていると思う。

 

翔平さんは今年で30歳だ。アスリートの世界ではベテランの域にある。十分な実績もある。にも関わらず現状を維持するような素振りは見せない。今の地位を築いた中にあっても少年時代と同じように進化しようとする姿勢はどんな称賛の言葉をもってしても追いつかない。

 

思えば、今シーズンは新天地への移籍に加えて開幕早々にイッペーの事件に巻き込まれた波乱のスタートだった。そう考えると彼の超人的な精神力や集中力、進化を求めるブレない姿勢にはただただ頭が下がる。

 

もはや偉人や歴史的傑物といった次元をも超えた「人類の教科書」みたいな存在になっているのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

2024年9月25日水曜日

舘ひろしとか

 

今日は更新が間に合わなかったので過去ネタを2つ載せます。

 

  

舘ひろし

https://fugoh-kisya.blogspot.com/2009/06/blog-post_03.html

 

 

スーツ ポケットチーフ

https://fugoh-kisya.blogspot.com/2016/06/blog-post_27.html

 

 

2024年9月20日金曜日

ウイスキーとサウダージ


その昔、大人の男たちはウイスキーばかり飲んでいた。テレビCMもやたらとカッチョ良くウイスキーを扱ったものが多かった。子ども心に凄く美味しそうに見えたからよほど演出が巧みだったのだろう。

 

その後、カクテルやワインの台頭、焼酎ブームやサワー類の普及で徐々にウイスキーの地位は低下していった。シングルモルトのブームみたいな限定的な流行はあったものの、いま若者の飲み会で全員が「ウイスキーの水割り」を飲んでいる光景は見られなくなった。

 

その後、サントリーの響など日本製のウイスキーの美味しさが世界にバレてしまい、上等な日本のウイスキーは品薄状態である。折からのハイボールブームによって安いウイスキーが復権?する世情になった。

 

ハイボールで人気のサントリーの角やトリスなど大衆的なウイスキーはその昔は財布に余裕のない階層や若者向けの商品だった。サントリーなら初心者はホワイト、普通の人はオールド、ちょっと上級なリザーブ、エラい人はローヤルと一種の線引きというかランク付けがあったように覚えている。キリンが出していたロバートブラウンも妙に洒落たイメージだった。

 

響はもちろん、山崎や白州も無かった時代だ。いわば、カローラ、マークⅡ、クラウンみたいなしっかりしたクラス分けがウイスキーの世界にも存在していた。あれも昭和の特徴だったのだろう。

 

その一方で「舶来ウイスキー」も別格な扱われ方をしていた。酒税法だか関税の絡みで今よりもやたらと輸入モノが高価だったから一種の貴重品として思われていた。


アイラ島のシングルモルトだ何だと細かい情報が身近ではなかった時代だ。バランタイン、オールドパー、シーバスリーガル、ジョニーウォーカーなど海外モノというだけでリッチでキザなイメージを漂わせていた。

 

セブンスターよりマルボロやラーク、ハイライトよりもケントやクールがシャレオツ?だったタバコと同じだろう。昭和のニッポン人は洋モノコンプレックスが強かった証だ。海外旅行帰りのオジサンたちは必ず洋モノのウイスキーをエッチラコッチラかついでいた。

 

いま、オールドパーもバランタインも昔に比べれば大衆的な値段でそこらへんで売っている。海外旅行の土産で持ち帰る人など皆無だ。変われば変わるものである。


オールドパーは明治新政府の岩倉使節団が初めて日本に持ち帰ったウイスキーとも言われる名品で、かの田中角栄さんもこればかり愛飲したことで有名だ。

 https://fugoh-kisya.blogspot.com/2008/03/blog-post_10.html

 

私自身、オールドパーを好んだ祖父にあやかって銀座で飲む時はオールパー一択である。今ではオールパーは夜の街では安い部類に入る。祖父つながりというこじつけみたいな理由のおかげで高価なウイスキーを注文しないで済むという副次的効果?に救われている。

 

このブログでもオールドパーへの私の思い入れを何度も書いた。正直言って味は好みではない。独特な風味のせいでロックでは飲む気にならない。あくまで習慣だから飲んでいるだけだ。

 https://fugoh-kisya.blogspot.com/2017/11/blog-post.html

 

先日、夜も遅い時間にふとウイスキーが飲みたくなった。普段飲まないせいで自宅にストックがなかったからウーバーでデリバリーしてくれる店を探した。角とかトリスを飲むのはイヤだ。コンビニあたりの品揃えでは私個人のイメージに合う「上質な大人のウイスキー」がなかなか見つからない。

 



ようやく見つけたのがサントリーローヤル。ロイヤルではない。ローヤルである。さっそくデリバリーしてもらった。ローヤルを飲むのは何十年ぶりだろう。恥ずかしながら私のウイスキーに関する知識は四半世紀前の状態で止まっている。ウイスキーにそれなりに詳しい人が今日の話を読んだらきっとトンチンカンに感じるのだろう。

 

20年ぐらい前までは自宅では「響」ばかり飲んでいたが、気づけば品薄になって妙な高値で取引されるようになったので随分とご無沙汰だ。サントリーの「碧」というウイスキーも聞いたことがなかった。ましてやそれがローヤルよりも高い値付けの商品だとも知らなかった。若者向けの安モノかと思っていたほどだ。

 

だからウン十年ぶりに再会した「ローヤル」にちょっとワクワクした。昔だったらご立派なご隠居さんみたいな人が悠然と飲んでいたウイスキーである。今ではたいして見向きもされていないらしいが、私にとっては充分である。

 

夜更けの静かな時間に映画を見ながらローヤルをロックで楽しんだ。相棒はバカラのロックグラスだ。昔に感じた「ハイクラスなイメージ」って大事だ。とても美味しかった。これが聞いたことのないウイスキーだったらどんなに高級でもワクワクしなかったと思う。思い込みってつくづく味覚を左右するものだと痛感。

 



その昔、マセガキだった私は高校1年生の分際で友人と渋谷のパブに出かけて人生初のボトルキープをした。確かロバートブラウンだった。ウイスキーの味などちっともわからなかったのに「ボトルキープ」という行動自体に憧れた。可愛い思い出だ。もう45年ぐらい前になる。あれからどのぐらいウイスキーを飲んだのだろう。

 

大人になってからはウイスキーは主に女性のいる酒場で飲んでいた。私のお馬鹿な言動やゲスな男心の横にはいつもウイスキーがあった。そんなことをしみじみ思い出しながら一人夜更けに味わったローヤル。なんだかサウダージな時間だった。

 

 

 

 

 

 

2024年9月18日水曜日

一人前の男

 

もう10年近く前にこのブログで私の朝メシ事情を書いた。朝からドカ食いすることを得意になって書いている。

https://fugoh-kisya.blogspot.com/2009/04/blog-post_24.html

 

砂糖菓子みたいな甘いパンなんかで朝飯を済ますのは信じがたいみたいな強弁ばかりだが、ここ1,2年で私の朝食スタイルも変わった。菓子パン2つかそこらで簡単に済ませることが増えた。これも加齢の一つだ。ちょっと残念な気持ちがする。

 

ほんの5年ぐらい前には朝起きた瞬間から空腹を感じてガッツリと食べていた。変われば変わるものである。先日は起きてまもなくサッポロ一番を食べたのだが、なんと1袋分しか作らなかった。私にとってこれは異常事態である。袋麺は一度に2袋というのが私の常識だったが、1袋でこと足りてしまった。ビミョーだ。

 



先日は「なか卯」のデリバリーでも想定外の事態になった。月見ナントカ丼が美味しそうだったので、それをメインにカツ丼も食べようと思ったのだが、月見ナントカ丼を食べただけで満足してしまった。


カツ丼は手つかずだった。2つ食べるつもりで両方ともご飯は並盛にしたから、なんと並盛の丼モノ一つで満足してしまったわけだ。これって個人的には事件である。

 

世の中にはびこる食における「一人前」は健康な男子から見れば絶対に少ない。これは真理だろう。カップ麺にしても昔は少数派だったデカいバージョンが増えたのがその証である。

 

一人前というシケた量で満足してしまったことが自分の中ではショックだった。加齢の現実だろう。でも見方を変えればようやく私も還暦を目前にして「一人前の男」になれたということか。


いやいや、我が身の劣化を都合よく解釈するのはダメだ。大食いは健康のバロメーターである。「一人前」ならともかく、これから歳を重ねたら「半人前の男」という出来損ないみたいな存在に落ちぶれてしまう。そんなのはイヤだ!

 

そうは言っても、もちろん今もとりあえず食い意地の張った食生活は基本的には変わらない。朝飯は別としてその他の食事の際には目の前に料理が1個しか置かれていないとザワザワした気持ちになる。あれこれ並べて迷い箸になるぐらいを好む。

 

そんな贅沢なことが出来る時代に生きていることをつくづく有難く感じる。江戸時代の飢饉の頃や戦後間もない困窮の時代だったらはたして真っ当に生きていけたのだろうか。無理だったと思う。

 

さてさて、先日は無性に洋食の気分になって一人ふらっと銀座の煉瓦亭に夕飯を食べに行った。最近は「ピラフ禁断症状」に見舞われる日々で、私好みのピラフを求めてパレスホテルか東京會舘に行こうかと思ったのだが、煉瓦亭の近くにいたので吸い寄せられるように突入。

 




ピラフはないがピラフっぽい炒めメシはアレコレ揃っている。この日は「ハムライス」にしてみた。ここ1ヶ月以上も健康を意識してコンビニフードを封印していたから有害っぽい味!が妙に恋しかった。

 

不健康業界?では大物級の存在であるハムを多用した炒めメシである。ハムライスという投げやりな名称がまた良い。チキンライスだったらその響きからいろんな夢や希望が広がるが、ハムライスには怪しげな印象しかない。

 

コンソメベースの味付けでこの店が得意とするざく切り玉ねぎのアクセントが嬉しい。具材はハムとマッシュルームが基本。昔ながらのピラフっぽい味を楽しめた。

 

「一人前の男」ならこれだけ食べて黙って帰ればいいのに、卓上にアレコレ並べたい私は他にも料理を注文した。プレーンオムレツとエビのコキールである。

 




食べたかった前菜が品切れだったので、ビールのツマミとしてオムレツである。もちろんソースをベチャベチャかけて味わった。さすが洋食業界の老舗だけあってケチのつけようのないウマいオムレツだった。

 

でも、妙に高い。いつの頃からかこの店の値付けが上昇傾向にある。これも近頃の物価高騰の影響だろう。プレーンオムレツは確か2600円だった。気軽な雰囲気がウリの店にしてはなかなか強気な値段である。

 

コキールもここに来たら外せない。いわばグラタンやドリアの上だけバージョンである。ざく切り玉ねぎやエビに加えて細かく切ったゆで卵などが濃厚なベシャメルソースと渾然一体になっている。野趣あふれる?スタイルが煉瓦亭のコキールだ。

 




コキールをおかずにしてハムライスを主食にガツガツ食べる。やはり私にとって食べるというエネルギー補充方法は「一人前」ではダメである。


朝だけは「一人前の男」に成り下がってしまったことは忸怩たる思いだが、それ以外の時は今後も「二人前、三人前の男」として頑張って行こうと決意を新たにした。




 

 

 

 

 

 

2024年9月13日金曜日

宇能鴻一郎先生


宇能鴻一郎さんが亡くなった。90歳だったそうだ。言わずとしれた官能小説の大家だ。私が若い頃、富島健夫、 川上宗薫と並んでそっちの世界における三大巨匠だった。いや、やはり宇能鴻一郎大先生が抜きん出ていたような気もする。「宇能鴻一郎」という漢字5文字を見るだけで下半身がムズムズした。

https://news.yahoo.co.jp/articles/888f34f1a430042f45ceb1d5806bdbc5f6eec281

 

インターネットなど無い時代、若者がエロを学ぶ教科書は主に男性誌であり、一般の週刊誌や夕刊紙がそれを補足するような感じだった。過激なグラビアには興奮したが、学ぶという点では官能小説に頼った。随分とお世話になった気がする。

 

「あたし、〇〇なんです」といった女性一人称を使った宇能鴻一郎先生の作品は多くの青少年をトリコにした。野球少年が大谷翔平を夢の存在と捉えるのと同様に我々は宇能鴻一郎作品の中に夢を見た。

 

メディアの訃報記事によると先生が官能小説の世界にカジを切ったのは70年代からだという。その後、世の中は経済成長からの浮かれモードに入っていく時代だ。宇能鴻一郎作品は当たりに当たった。右を見ても左を見ても先生の連載小説だらけ。

 

簡潔明瞭、ワクワクする展開、連載という一話が短い世界でも必ず毎度盛り上がる描写が盛り込まれていた。女性一人称という異次元な感じにも興奮した。スケベなのは男ばかりだと考えていた少年の私に新たな女性像を教えてくれた。

 

その後、レンタルビデオが大流行する時代になり活字から動画にエロの教科書は変わっていった。それでもエロ動画の世界で一般的な「女性一人称モノ」はあくまで宇能鴻一郎作品が源流だ。

 


 

たまたま最近、大先生の初期の傑作短編集を読んだので訃報に殊更感じ入った。メディアの扱いが大き目だったことからも一時代を築いた傑物だったことが分かる。元は純文学の人で以外に知られていないが芥川賞作家でもある。

 

芥川賞を受賞した「鯨神」という作品も私が読んだ短編集に収められていた。官能小説のかけらもない江戸時代の捕鯨をめぐる壮大な人間模様が描かれている。60年以上も前の作品だが、情景描写が凄まじく細かく臨場感たっぷりのまさに手に汗握る小説だった。

 

奇しくも「情景描写が凄まじく細かく、臨場感たっぷりの~」と紹介したが、その後の官能小説もいうなればそんな能力が遺憾なく発揮されたのだろう。そりゃあ高校生ぐらいだった私の下半身が暴れるのも当然だ。

 

短編集の表題作である「姫君を食った話」もすこぶる面白かった。官能小説とはちょっと違うが、フェチ的な要素も盛り込まれている。高貴な姫君を守り抜こうとした護衛の侍をめぐる切なくも哀しい歴史物語がベースだ。

 

新宿あたりのもつ焼きで隣り合った謎の僧侶とのやり取りが大昔の姫君と侍の悲恋と交錯する。もつ焼きの解体処理や新鮮な臓物の食感や味わいも物語のキモになる。一種独特の読後感に包まれる名作だ。

 

宇能鴻一郎作品は、アダルトビデオが普及する前のポルノ映画でも存在感を発揮した。「宇能鴻一郎の濡れて立つ」「宇能鴻一郎のむちむちぷりん」などタイトルすべてが「宇能鴻一郎の~」という冠付きだった。


あの冠は一種のお墨付きだった。JISマーク、いや、モンドセレクション金賞、いや、カーオブザイヤー受賞みたいにそれが頭についてれば間違いないみたいな印象を観る側に与えた。例えは不謹慎だが「宮内庁御用達」ぐらいの信頼感につながっていた。

 

私が宇能鴻一郎作品を初めて読んだのはいつだっただろう。おそらく小学校高学年か中学の始め頃だろう。自宅においてあった週刊誌の連載を覗き読みしたのが最初だと思う。間違いなく45年以上も前のことだ。

 

その後、半世紀近くにわたってエロいことばかり考えて生きてきた。大人になってからは宇能先生に続く第二の師匠である全裸家督・村西とおる先生にも影響も受けた。思春期からウン十年、いろえろと変なことに熱中してトライアンドエラーの日々を過ごしてきた。


そしていま、エロの道を語らせたら人後に落ちぬほどのスケベオヤジになった。「西郷どん」の訛り発音である「せごどん」をモジって「性豪どん」などと私を評する友人もいるぐらいのところまで辿り着いた。

 

気づけば宇能大先生が描写していたようなムホムホな場面や行為、はたまたそれを超越したようなヘンテコなことも経験するまでになった。タイムスリップが可能なら全盛期の宇能大先生の元に駆けつけ数多くのネタを提供できるぐらいに成長?したと思う。

 

すべては宇能鴻一郎先生のおかげである。私に痴的好奇心の奥深さを教えてくれた原点の人である。あちらの世界に行っても男性陣に夢を与えてほしい。

 

 

 

 

 

 

2024年9月11日水曜日

豚肉が活躍する場面


牛肉より何となく低い位置づけに甘んじているのが豚肉である。昔ならともかく今では抜群にウマいブランド豚もあるし、高齢化社会のせいで牛肉のクドさをツラく感じる人も増えたから、かつてよりは復権傾向にある。

 

私も肉類の中で豚肉が一番好きだ。若い頃は牛、豚、鶏の順番で好んだが、歳とともに鶏、豚、牛の順番に逆転し、今では豚肉がダントツで1位の座にある。週に4,5回は豚肉をワシワシ食べている。

 



ふるさと納税で取り寄せるのもこだわりの豚肉ばかりだ。いまハマっているのが沖縄の最上級ブランド豚と言えるパイナップルポークだ。旨味、甘味、食感ともにキングオブ豚肉だと個人的には感じている。

 

生肉だけでなく味噌漬けの逸品も定期的に取り寄せている。塩コショウもいらずにただフライパンで焼くだけでウマい豚ステーキが味わえる。解凍済みの場合、あれこれと小袋を破って投入するカップ焼きそばよりも簡単に出来上がる。

 

外食産業における豚肉はビミョーな存在だ。焼肉屋さんでは牛の独壇場で豚肉は肩身が狭い。やきとん屋さんに行けば豚だらけだが、あそこでは内臓など二軍扱いの部位が主役だ。トンカツ屋さんは揚げ物専門だし、豚しゃぶ専門店は数自体が少ない。

 

そう考えると豚肉はどこか居場所を探してさまよっているボヘミアンみたいな位置づけなのが残念だ。豚肉愛好家としてはこの点が以前から悩ましい問題だと感じている。

 

豚肉が大活躍する場面といえばラーメン屋さんを忘れてはいけない。チャーシューと名乗ってブイブイとこの世の春を謳歌している。ラーメンの世界では牛肉よりもエバっているのが豚肉だ。おまけにチャーシュー麺を声高らかに注文すると普通のラーメンを頼んだ人より上級国民みたいに扱ってもらえる。ウソです。

 



先日、期間限定のヤケクソチャーシュー麺を堪能してきた。各地に展開する喜多方ラーメン坂内のキャンペーンだ。メガ盛りと名付けられたこの商品はチャーシューが23枚も投入されている。

 

これを注文するとカタコトの日本語をしゃべる店員さんの目はキラキラと輝き、「アナタは上級国民なんですね!?」と尊敬されているような空気が店中に漂う。ウソです。

 

1年ぐらい前のキャンペーンの際も食べに行った。実に幸せだった覚えがある。山頭火の有名な俳句に「分け入っても分け入っても青い山」があるが、まさにそんな感じだ。どかしてもどかしてもチャーシューだらけ。これを幸せと呼ばずにどうしましょうって感じだ。

 



私はラーメンを食べる際、口の中が麺だけになることを嫌う。ネギでもメンマでもいいから麺以外も加えて一緒に味わいたい。


冷やし中華なら逆に余計な具材ナシで麺だけを味わいたいのだが、不思議とラーメンだと違う。麺と一緒に別な素材が口の中に混ざってほしい。それにはもちろんチャーシューが一番である。

 

でも一般的なラーメンはともかく、チャーシュー麺といえども麺を食べ終わるまでの数十口すべてにチャーシューを含めることは難しい。ましてや普通のラーメンなら1枚か2枚のチャーシューをウサギみたいに小さく刻むように齧りながらセコセコと麺と一緒に食べる。

 

気付いていない人が大半だが、多くの人が食べ進む麺の減り具合に合わせてチャーシューの残りの分量を必死に計算している。ラーメンマニアは別として案外そんな人は多いと思う。


私もそうだ。そんな悲しい思いを大人になった今も続けるのはゴメンだ。子供の頃にチャーシューを大事にし過ぎたトラウマのせいで、気づけばチャーシューだらけのラーメンに憧れる習性が身についてしまった。

 

そんな変態的嗜好を持つ私にとってこのヤケクソチャーシュー麺ほど有難い存在はない。麺を食べる数十口すべてにおいて常にチャーシューがしっかり口の中に参加している。もはや麺を食べに来たのではなく「チャーシューの麺添え」みたいな食べ物に感じる。

 



運ばれてきた時の画像と完食した際に撮った画像データを見比べたら所要時間は9分だった。前に食べた時も9分だった。やはりそれなりにせっせと食べないとキツくなってくるのかもしれない。

 

豚肉愛、チャーシュー愛の強い私ですら正直にいえばチャーシューの最後の34枚は飽きていた。でも「チャーシューに飽きちゃうチャーシュー麺」って考えてみれば物凄く贅沢かつ幸せな一品だ。

 

 

 

 

2024年9月9日月曜日

カツオ賛美

 

魚の王様みたいな存在がマグロだ。日本人なら誰もが好きな国民魚だろう。赤身もトロもそれぞれの美味しさがある。山の中の旅館ですら夕飯時にはマグロの刺し身が出てくるほどポピュラーだ。

 

私も上質なマグロの赤身が大好きだ。テキトーな店、安さを売りにする店ではシャバダバな?味の無い残念な赤身が出てくるが、真っ当な赤身の刺し身は香りも味の濃さも強くて極上だ。

 

シャバダバなマグロでも山かけにしたり、ヅケにしたり工夫次第で美味しく食べられる。そういう点も含めて「マグロへの愛」は日本人の総意みたいなところがある。

 

と、四の五の書いたのは前フリで、実は今日はカツオの話を書く。私はカツオが大好きで時折無性に食べたくなる。マグロは無性に食べたい気分にならないからカツオへの愛はかなり強いのだと思う。

 



ウマいやつ、マズいやつが混在するのはカツオも同じだが、味の濃い正しいカツオに出会うと物凄く幸福感に包まれる。上等なマグロにも勝るとも劣らない食感に濃厚な旨味、鉄分感?の強い後味が独特の美味しさにつながっている。

 

春のカツオもウマいが秋からのいわゆる戻り鰹のエロティックなねっとり感はヘタなマグロのトロよりもイケてると思う。マグロばかり王様扱いされているのが不思議なほど秋からのカツオは最高だ。

 



カツオの面白いところは生魚の中で唯一にんにくと合わせても負けない点だろう。かつていろんな魚で生にんにくスライスとの相性をチェックしてみたが、カツオ以外はすべて不合格だった。高知が発祥と言われるカツオのタタキににんにくスライスをどっさり加える食べ方は、和食業界の変化球みたいで楽しい。もちろん抜群に美味しい。

 

その昔、高知を旅した際、カツオの押し寿司のシャリの中に細かく刻まれたにんにくがまぶしてあったことを思い出す。コメの中に生にんにく?って感じで驚いたのだがこれがやたらと美味しかった。シャリの上のカツオパワーゆえの逸品だった。

 

私の場合、カツオを刺し身かタタキで食べることが多い。お寿司屋さんでも握りで食べるよりツマミとしてカツオ単体を味わうことが多い。にんにくが出てこなくても生姜たっぷりの醤油との相性は抜群だし、薬味たっぷりのポン酢で味わうのもアリだ。

 



カツオそのものはもちろんウマいが、なぜだかオニオンスライスや刻んだネギなどの薬味をどっさり使うとまた違った美味しさを感じる。このあたりも醤油一辺倒のマグロと違った面白さだろう。

 

受け売りだが、カツオとマグロは分類上は「スズキ系サバ科」に属する親戚筋みたいな関係にあるそうだ。そこからマグロ属とカツオ属という別ジャンルの魚に分かれているらしい。鮮度が落ちるのはカツオのほうが早いそうなので、上等な刺し身に関して言えばマグロよりも有難い存在といえるわけだ。

 

お寿司屋さんでは時々は握りでも食べる。春のカツオより脂が乗ったこれからの時期のカツオのほうがシャリとの相性が良い気がする。酢飯とカツオの香りが混ざり合う一瞬に悶絶してしまう。

 



ウマい魚は香りの有無がポイントだろう。匂いではない。あくまで香りである。ちょっと抽象的だがふわっと漂うウマい魚独特の香りこそが味を左右する。上質なマグロの赤身もそうだが、カツオの香りも食欲を刺激する。

 

相変わらずオチというか、とくに結論めいた話は無い。ただ、カツオの社会的地位?がマグロに比べて今ひとつ低いことがどうにも気になる。「サザエさん」に出てくるカツオ君のせいだろうか?

 

マグロももちろん美味しいし私も当然のように大好きだが、日本中に浸透している「マグロ最強!」みたいな風潮を感じるにつけ「カツオを忘れちゃいませんかい?」と叫びたくなる。

 

そろそろ秋の風が吹く季節だ。これからズンズン美味しくなるカツオをバンバン食べようと決意している。

 

 

 

 

 







2024年9月6日金曜日

サイドメニューの誘惑

 

サイドメニュー。なんとなく心惹かれる言葉だ。昔から食卓にはあれこれと並べたくなるクセがある。大食漢なのか、意地汚いのか卑しいのか、きっと全部当てはまる。

 

居酒屋みたいにいろいろな食べ物を並べてゆったりするのが最高だから、焼肉屋さんに行っても余計なサイドメニューをたくさん頼んで後悔しがちだ。

 



焼肉屋なんだから鮮度の良い生肉を目の前で焼いて食べるのが間違いのない過ごし方だ。分かっちゃいるのだが、メニューに「茹でタン」などを見つけると悩まず注文する。

 

わざわざ用意されているサイドメニューって何だかその店の得意ワザが隠されている気がする。たぶん気のせいだが、そう思いながら注文すると意味もなく得をした気分になる。

 

洋食屋に行ったらエビフライやグラタンやシチュー、オムライスみたいな王道メニューを堪能すれば万事OKなのだが、「ついでの小皿料理」みたいなメニューを見つけると条件反射みたいに注文してしまう。

 



たとえば中央区新川にある洋食屋さん「津々井」では決まって「生ベーコンのカルボナーラ風」という小皿を頼む。サイズ的に手頃だから主役の料理たちの前にチビチビ味わうのが楽しい。

 

鰻屋さんに行っても鰻重、白焼、うざくといった基本形の料理以外に気の利いたツマミを23つ頼みたくなる。強欲なのかワガママなのか、たぶん両方だろう。

 

お寿司屋さんに行っても、刺し身をちょこっと食べてから握りをドシドシ食べればいいのに、ウダウダとサイドメニューに固執する。先日は新富町の「なか山」で珍しくうざくがあったから鰻屋さんで日頃食べているくせにここでも注文。ヘタな鰻屋さんより丁寧な仕上がりで美味しかった。

 



秋になるにつれて通いたい気分になる銀座のおでん屋さん「おぐ羅」でも、決まって注文するのがカツオのタタキとクジラベーコンである。おでんよりもそっちを目的に訪ねている気がする。

 

もともと、おでんは好きではない。20年ぐらい前に「ちょっと高級なおでん専門店でシッポリ飲む姿が絵になるオヤジ」を目指して行き始めたから、正直言うとおでんは二の次である。

 



クジラベーコンはいまや高級品になり、時折気の利いた居酒屋で見つけても満足の行く一品に出会うことがない。味の抜けた安っぽいハムみたいなクジラベーコンにうんざりすると、この店の真っ当なクジラベーコンが欲しくなる。

 

おでん屋、寿司屋あたりだとサイドメニューを頼むのはいわば普通のことだが、やはり焼肉屋だと肝心の焼き肉を二の次にしてしまうことにちょっぴり罪悪感も覚える。

 

若い頃に焼肉は徹底して食べまくったから、きっと一生分のノルマ?はとっくに果たしてしまったのだろう。今では2,3切れの肉を焼けば満足して、サイドメニューに好奇心を集中させてしまう。

 

人形町に「オキデリ」という小洒落た焼肉屋さんがある。なかなか上等な肉を揃えている人気店だ。普通の焼肉メニューも豊富だし、どれもハズレはないが、サイドメニューがまたニクい路線なのが嬉しい。

 



削ったチーズのせいで中身がよく見えない画像だが、「おつまみビーフシチュー」という逸品である。ご飯に合わせたくなる味付けではなく、サワーやハイボールにこそお似合いの味だ。正直、これを3つぐらい頼んで黙々と酒を飲んでいたほうが個人的には幸せなような気もする。

 



ユッケも味付けが丁寧で、やはりこれを2つぐらい頼んで一人で抱えて酒のアテにしたら最高だろうと思っている。要するに焼肉は知らん顔してビーフシチューとユッケがあれば満足しちゃうぐらい美味しい。

 

焼きたての肉をタレにつけて白米にバウンドさせて食べるのが焼肉屋メシの王道であることは百も承知だ。でもこの店のようにサイドメニューに「温玉のせ牛すじ丼」なんかを見つけてしまうとそっちが無性に食べたくなる。

 



上等かつ鮮度の良い生肉を焼いて食べるべき場所なのに、そっちには目もくれず、余りの?スジ肉を駆使した丼メシに嬉々とするのはヘンテコかもしれない。でもそんなアマノジャクこそ外食の面白みだとも言える。

 

スジ肉といえば焼肉屋さんに置いてある肉の中でランク的には下位の食べ物である。でもそれが妙に美味しく感じちゃうのも事実だ。これが長年にわたって安い肉を使った牛丼屋に洗脳されてきた私の味覚の現実なのかもしれない。でもウマいんだからしょうがない。

 

 

 

 

 

 

2024年9月4日水曜日

リハビリ中の人


史上初のホームランと盗塁の「5050」に向かって突き進むのが大谷翔平サマである。野球を好きになって半世紀が経つが彼をこの目で目撃できたことは幸運としかいえない。

 



誰も指摘しないが、彼はいま「リハビリ中のピッチャー」である。肘の手術を受けて来年に復活登板するためにリハビリに励んでいる。そんな選手が打者として「5050」を成し遂げそうだから驚天動地としか言いようがない。

 

野球肘を修復するトミージョン手術を終えたピッチャーのリハビリはかなり過酷だという。翔平さんにはそんな常識も通用しないからビックリである。

 

かつて巨人のエースだった桑田投手はリハビリ中に黙々と走り続けたことが知られている。同じ場所を走り続けたせいで練習場の芝生が剥げてしまい「桑田ロード」と名付けられたほどだった。

 

いま思えば打撃も守備も抜群に上手だった桑田選手もリハビリ中にピッチャー以外で試合に出たら面白かっただろう。そんな妄想をするぐらいリハビリ中のピッチャーが別の役割で大活躍していることは異次元の世界の話だ。

 

翔平さんはあの巨体を軽々と走らせて悠々と盗塁を成功させる。一般に盗塁巧者といえば昔の阪急・福本や今のソフトバンク・周東のように身体は細めでホームランには無縁の選手ばかりだ。


翔平さんは並み居る巨漢メジャーリーガーよりもデカいホームランをかっ飛ばすのにバンバン走れちゃうからこれまた異次元である。

 



盗塁成功率は92%を超えているそうだ。闇雲に走っているわけではなく高い技術と洞察力あってのことだろう。野球センスは今風にいえば鬼レベルである。翔平さんが走るたびにくれぐれもケガだけはしないように祈っているのは私だけではないだろう。

 

打点の多さも特筆モノである。打順が34番ならランナーを置いて打席に入る確率が高いわけだが、翔平さんは1番バッターである。1番バッターがシーズン終盤の今になって打点王争いをしていることも超絶的な話である。

 

ついでにいえば、愛犬に始球式をやらせるという無謀な企画まで完璧に成功させちゃうあたりも、いわゆる「持っている」という強運ぶりの上をいく凄味と言える。スターとスーパースターとの差はそんなところにも確実に存在するのだと痛感した。

 

これまたついでの話だが、今シーズンの始めには「イッペー事件」があったことも忘れてはならない。あれだけの事件に巻き込まれたら普通の人間は正常な精神状態ではいられない。翔平さんはアノ事件をすっかり大昔の話だったかのようにどこ吹く風とばかりにバリバリ活躍している。驚嘆するしかない。

 

メンタルお化けと呼ぶにふさわしい超人ぶりだと思う。

 

野球に興味のない人にとっては連日報道される翔平さんの話題はウンザリだろう。まさに大谷ハラスメントである。大谷ファンの一人としてその点はお気の毒だと思う。素直にごめんなさいと言いたくなる。

 

でも野球好きや野球に関心がある人にとっては既に好き嫌いを超越した存在になっている。野球好きの中には翔平さんのアンチが存在しない。そう断言しちゃうほどのポジションまでたどり着いていると思う。反論もあろうが「王・長嶋を超えた」とさえ感じる。

 

個人的に注目しているのは来年の活躍だ。リハビリも順調そうで来年は「投手大谷」が復活する。一般的にトミージョン手術あけのピッチャーは球速が上がると言われる。翔平さんははたしてどうなるだろう。

 

日本人の最速記録は翔平さんと佐々木朗希が記録した165キロである。手術明けに復調したらそれを超えてくる可能性もある。大いに注目だ。

 

ちなみにメジャーリーグの最速記録は怪物左腕・チャプマンの169キロである。異次元男である翔平さんならひょっとすると170キロを投げちゃうかもしれない。「そんなバカな!」を今までも成し遂げてきたわけだから案外あり得る話かもしれない。

 

複数回のトミージョン手術を受けると投手寿命は短くなるのが相場だ。投手大谷もそう考えると年齢的にも来年から23年で限界が来るのだろうか。だとしたら来年、再来年あたりの剛腕ぶりをしっかり目に焼き付けたいところだ。

 

かつてイチローが引退会見の席上で「翔平はホームラン王とサイヤング賞を交互に取るぐらいの選手にならないといけない」と語ったことを覚えている。その頃の翔平さんはまだ今のようなスーパースターレベルではなかったから単なる夢物語にしか聞こえなかった。

 

気づけばあれから5年半が過ぎた。夢物語だった話が確実に現実に近づいていることにただただ驚いている。

 

 

 

 

 

2024年9月2日月曜日

飲んだ後のシメ


酒を飲んだ後にラーメン。これって戦後ニッポンのオヤジ達にとって一種の決まり事みたいなところがある。アルコールで疲れた肝臓は脳に糖質を補充するよう指令を出すらしいから「シメのラーメン」は理にかなった話だとか。

 

私の場合、シメのラーメンならぬシメの牛丼を食べてしまいがちだ。麺も好きだがコメのほうがもっと好きだから牛丼の頭の大盛りに加えて牛皿まで別注するようなスットコドッコイ的な食べ方もしてしまう。

 



食後に必ず後悔の念に襲われるのだが、酒に酔うと正常な判断が出来ないから仕方がない。いつも正常な判断ばかりしようと奮闘努力している真面目一本槍の私?だから時にはこういう脱線もしたくなるのだろう。

 

もちろん、シメに麺類を選ぶこともある。先日はかなり満腹だったにも関わらず冷たい麺が無性に食べたくなった。銀座の外れにいたのだが、通りすがりの「紫龍」という店に吸い込まれて冷やしつけ麺を注文。

 

満腹なのにナゼか大盛りを頼んでしまうのが私の悪いクセだ。どんなジャンルにおいても「並」を頼むことは私にとって敗北である。牛丼にしても特盛を基本に最低でも頭の大盛りを注文する。「並」を頼むようになったら男がすたるとさえ感じている。バカである。

 

 


 

キンキンに冷えた麺が心地よかった。つけ麺というジャンルに違和感を持ち続けている偏屈な私だが、冷たい麺に冷たいつけ汁だったら素直に美味しいと思う。ソーメンやもりそばと同じ系統である。

 

別な日、バンド練習の飲み会の後に怪しげなつけ麺にトライしてみた。赤坂の「ホルモンらーめん8910」という店だ。熱々の付け汁の中にブヨブヨのマルチョウみたいなギトギト系ホルモンが何個も入っていた。

 

中途半端な辛さのつけ汁に冷めた麺である。私が苦手なパターンだったのだが、麺自体は美味しかったので、つけ汁に麺をちょっとだけつけるように食べた。ホルモンはギトギトだったから残した。

 


 

これで1300円である。なんともビミョーな値付けだと思う。一緒にいた友人が頼んだ普通のホルモンラーメンは990円。つけ麺スタイルにしただけで3割アップである。つけ麺はラーメンより高い値付けにすることがそっち業界では定番になっているのだろうか。

 

飲んだ後の麺というとナゼか蕎麦やうどんを選ばない。我ながら不思議だ。きっと「油っぽい」という要素を求めてしまう不良性感度みたいな心理が影響しているのだろう。もりそばがシメだと何だか優等生みたいである。無頼漢になれないくせに無頼を目指すような感覚か。

 

もちろん、最初から蕎麦屋で過ごしていれば蕎麦をとことん食べてオシマイである。その後に別な店でシメの麺類を食べる気にはならない。当たり前か。

 

昨年から日本橋に住み始めたせいで界隈にいくつもある蕎麦の老舗や人気店をあれこれ訪ねてみた。どこもそれぞれ美味しいのだが、いまだに以前住んでいた場所の近くにある蕎麦屋までわざわざ出かけてしまう。築地の外れにある「さらしなの里」である。

 

とくに風情のある店ではない。悪くいえばどうってことのない造りでごく普通の街場の蕎麦屋といった構えの店である。でも何となく落ち着くし、一品料理メニューが豊富で天ぷらもウマい。肝心の蕎麦も安定の美味しさだ。

 

蕎麦の人気店の中には一人前の量が異常に少ないところが少なくない。冗談かと思うようなこともある。それに比べてこの店は真っ当な量で出てくるのが良い。一品料理をアレコレ食べた後に蕎麦を2種類注文したらちょっと苦しくなるぐらいだ。

 



 

この日は天ぷら、そばがきの他に鴨焼き、だし巻き卵などを注文。だし巻き卵はほんのり甘めの味付けが嬉しい。東京の卵焼きは甘くないと正しくない。これは大事なポイントだ。

 


季節の変わり蕎麦も楽しい。今の時期はさらしな蕎麦に紫蘇が混ざった紫蘇蕎麦だった。連れが頼んだので一口もらったが定番化してほしいぐらいウマかった。

 


 

蕎麦の種類も豊富でいろいろ頼んでみたい気持ちはあるのだが、いつも定番で済ませてしまう。十割蕎麦と二八蕎麦である。つゆは辛口で濃い。正統派の東京の蕎麦だ。蕎麦で腹がパンパンになるのは結構幸せなことだ。

 

シメのラーメンをあれこれ語ろうと思ったのに結局は蕎麦讃歌になってしまった。


ちなみに冷たい麺ではないが、期間限定で「やけくそチャーシューラーメン」が復活するという通知が届いた。


喜多方らーめん「坂内」の幸福の極み麺?である。前回のキャンペーンの際はインスタの画面を見せないと注文できないようだったので、わざわざ友達登録して職場の近くの店舗でトライしてみた。




友達登録のおかげで今回の通知が来たわけだから食べに行かないわけには行かない。いつまで経ってもチャーシューが無くならない幸せを味わいに行こうと思う。さすがにこればかりは飲んだ後のシメには無理だ。キチンとしたディナーとして攻めに行くうもりだ。