2026年4月6日月曜日

哀愁の焼きそば

 


 みんなが大好きなのにナゼか「格下」みたいに扱われている料理といえばソース焼きそばだ。ある意味、正当な日本料理の一つだが「家で食うもの」というイメージが強いせいか、外食ジャンルにおいては注目されることが少ない。

 

「縁日の屋台で食うもの」という固定観念もソース焼きそばが邪険に扱われる?理由の一つだ。もっといえば「カップ麺で充分だろう」みたいな先入観も世の中に根強い。

 

「ラーメン食べに行こうぜ」「蕎麦食べに行こうぜ」「うどん食べに行こうぜ」という会話は日々全国各地で展開されているが、「焼きそば食べに行こうぜ」はかなり少数派だ。

 

焼きそば専門店が少ないことも理由だ。どうにもこうにも主役にはなれない哀愁がソース焼きそばには付きまとう。あくまで「ついでに食べるもの」だからメニューの多い大衆居酒屋ではよく見かける。

 



こちらは日本橋のコレド室町テラスにある居酒屋「大金星」のソース焼きそば。一時間に一度焼きそばを作ることをウリにしているから店員さんもその旨を客に告知する。結構な割合の客が「それなら頼もうか」と、さもついでみたいな感じで注文する。

 

そういうシステムゆえにこの店では焼きそばはエース級と呼べるが、たいていの居酒屋さんでは肩身が狭そうにメニューの端っこに表記されている。なんとなく切ない。

 

23人で居酒屋に行ったとする。他のメニューの“ついで”に注文したはずなのに全員で取り合いになる。そのぐらい誰もが好きなのに「ソース焼きそば愛」を声高に叫ぶ人が少ない。ちょっと不思議な気がする。

 

焼きそば界隈でも高級中華系の料理になるとイメージが変わる。単価も高いゴージャス系の一品が人々から称賛される。あちらは肉や魚介類といった具材の豊富さがウリだ。ソース焼きそばは比較対象にもされない。

 



こちらは神保町「揚子江菜館」の上海焼きそばだ。こちらはタマネギぐらいしか具材は見当たらないので高級と言えるほどではないが、昭和の文豪・池波正太郎が愛したというストーリーのせいで人気を集めている。実際にウマい。

 

「格下」扱いされることのないそうした中華料理店の焼きそばは名物料理と呼ばれたりご馳走っぽいイメージになったりする。ソース焼きそばだとどうしても世間からのリスペクトとは無縁だ。哀しい話だと思う。

 



ソースという冠が付くと問答無用でB級扱いされてしまうようだ。そんな現実はソース好きな私からすれば由々しき問題だ。ソース焼きそばのトッピングとして豪勢に肉を盛り付けるような取り組みが世の中で広まって欲しいと思う。

 

ステーキ載せ焼きそば、リブローストンカツ載せ焼きそば、極太エビフライ載せ焼きそば等々、ソース焼きそばをベースにしてもゴージャス路線を目指すことは可能なはずだ。

 

下の画像は自宅で作ったポークソテー焼きそばだ。生姜焼き用の豚肉をガッツリ載せたことでご馳走っぽい感じに仕上がった。ディナーカレーという呼び名をパクってディナー焼きそばと名付けたいぐらいだ。

 



とはいえ、安直で手軽な「おやつ感」がソース焼きそば人気の生命線だという見方も否定できない。闇雲にゴージャス路線を目指すのも違うような気もする。

 

やはり、ラーメン界隈のように創意工夫をこらした専門店が増えることがソース焼きそばの地位向上には欠かせない。


ほんの30年前ぐらいを思い返せば今ほどラーメン屋さんは溢れかえっていなかった。メディアやSNSの影響で現在のような大賑わい状態が確立されていった経緯がある。

 

ソース焼きそばだって何かのきっかけで大ブレイクしないとも限らない。どこの街を歩いても焼きそば専門店が簡単に見つかる日が来ることを夢に見て残りの人生を歩んでいこうと思う。

 

大げさでスイマセン。

 

 

 

 

 

2026年4月3日金曜日

悪あがきオジサマ?

 

「いい歳して…」「年甲斐もなく…」。オジサン、オバサン、はたまた爺ちゃん婆ちゃんに向けて使われる言葉だ。年齢相応の自覚ナシにハッチャけたりするとそう言われる。

 

思慮分別は大事だ。歳を重ねれば身についてないとダメだ。そんなことは百も承知だが、人間は煩悩の塊だからコトはそう簡単ではない。私も「いい歳」バリバリだが、まだまだ現役でいようと悪あがきの日々である。

 



サザエさんパパ・磯野波平よりはるかに年上になってしまったがいまだに若い女性の尻を平気で追っかけている。我ながらご苦労なことだと思う。狩猟本能?がまだ残っているせいで年甲斐のない行動ばかりである。

 

波平さんが若い女性を追っかけ回すのはきっと世間が許さないだろうが、私は独身だし波平さんより毛髪もある。それより何より波平さんという人物が設定された時代と今では世相も違う。

 

すいません、単なる言い訳です。

 

女子を連れていく店選びには気を遣う。さすがにファミレスに行くわけにもいかない。ヘタに若い人に迎合したよう店を選ぶのもイヤだから必然的にオジサマ的世界になる。

 

フレンチみたいなジャンルは私自身が詳しくないし、ワイン中心の食事が苦手だから当たり前のように和食だ。なかでも鰻屋さんを選ぶことが多くなる。オヤジ独壇場の世界だ。こっちとしては気が楽である。

 


お寿司屋さんもオヤジ独壇場の世界だが、それなりに親しい相手じゃないと連れて行きにくい。歯が浮くようなセリフをぶっ放している姿をお寿司屋さんの大将に見られるのは小っ恥ずかしい。

 

銀座のホステスさんと銀座の寿司屋に行くようなパターンなら問題はない。同伴というあの街の文化が根っこにあるので周りも同類ばかりだったりする。そうじゃない場合はやはり厄介だ。

 

普段、一人で行くことの多い店に女性を連れて行った場合、私は間違いなく普段とは違う顔つきや口調でスカしているはずだ。そんな姿を顔見知りの大将に観察されるのは負けた気がする。やはりカウンターというポジションだと落ち着かない。

 

鰻屋さんのテーブル席でウンチクを得意げに語っているぐらいが収まりが良い。白焼きと冷酒の相性だとか、うざく、う巻き、肝焼きのあれやこれやを話していれば済む。

 



一人酒、一人メシが好きなのに、ずーっとそれだけだと何かが違う気がして時には女子との闘いに身を置きたくなる。それこそ「いい歳して…」の極みだが、いったいいつになったら下心みたいな邪念は消えていくのだろう。

 

「ダンディーぶったオジサマ」というカテゴリーに分類されているつもりの私だが、そう自認してから既に長い年月が経つ。もうすぐそこに「オジサマ」から「お爺ちゃん」への扉が待っている。煩悩の炎がいつまでも燃えているようでは何かと厄介なのも確かだ。

 

本心からそう思う反面、生涯現役で頑張らねばという気持ちもまた否定できない。まさに迷走状態である。まあ、ボケ防止には役立っているはずだし、その発想や行動自体が私にとってはサプリみたいなものかもしれない。

 



本格的なお蕎麦屋さんもオヤジワールドを展開するには悪くない。蕎麦がき、蕎麦湯などのウンチクを語りながら、うどん派が多い若い人を相手に調子に乗っていられる。それ以前に私自身の胃腸に優しい。

 

赤ちょうちん系ではないちょっと高級な焼鳥屋さんや私にそこそこ知識がある郷土料理系の店、小洒落たホテルのラウンジなどもテキトーなウンチクを語りながら過ごすには適している。ロイホの料理のほうがウマいなどとは口にせずにいつもスカしている。

 



これから所帯を持つ可能性はゼロだし、考えてみればそうした行動は大いなるムダである。ムダという現実に昔から気付いているのにムダなことって楽しさと比例しちゃうからやめられないのだろう。

 

今の時代、コスパだタイパだとすぐに合理性追求こそ美徳みたいな風潮がある。それが大事な部分もあるが、そればかりだと味気ないし面白みに欠ける。

 

世の中、たいていの面白いことはムダがあってこそ成り立っている。それが真理だ。

 

このブログも「富豪を目指す」という旗は降ろして「大いなるムダを奨励する」ことを基本テーマに据えようかと思う。

 

思い切ってブログのタイトルから変えようかと思いついたのだが、ヘッダーとかの編集の仕方がよく分からないから当面はこのままでいきます…。

 

 

 

 






 

2026年4月1日水曜日

マニアックな時間

 

先週末は思い立って甲子園観戦に行ってきた。夏とは違って春の甲子園にはあまり興味が無かったのだが、前半の試合をテレビで見ていたら案外ハマってしまい準々決勝が行われる日に合わせてチケットを手配して出かけた。

 



準々決勝が一番面白いというのが野球マニアの昔からの定説だ。この日は14試合。確かにどの試合も熱戦だった。満足満足。

 

2試合目は序盤に8対0というシャバダバな展開になったので中座して隣接する甲子園記念館で各種展示物をノンビリ眺めていた。昭和の頃の甲子園での伝説の試合に関するグッズや資料を見学して萌えた。

 

そうこうしているうちにスマホで試合経過をチェックしたら8対0で負けていたチームが同点に追いつく勢いで反撃していたので慌てて球場に戻る。その後に大逆転する凄い試合になった。

 

甲子園のチケットは再入場できない決まりだ。いったん外に出ちゃうとチケットは無効になる。ただ“オトナ買い”で複数のチケットを入手していた私には問題なし。

 

1日4試合も観戦する予定とはいえ球場から出られないのは困る。もともと私は違う位置の座席に移動しながら観戦する“富豪ファン”として複数のチケットを買ってしまいがちだ。無駄遣い精神がこういう場面で役に立つわけだ。

 




甲子園球場の楽しみの一つがベタな関西メシを楽しめる点だ。東京人にとっては新鮮だ。球場メシだからバツグンにウマいはずもないが充分に異国感?を楽しめる。ぼっかけメシや牛すじ焼きそばも食べてちょっと興奮する。

 




牛すじ焼きそばの具がシャバダバだったので別途ドテ焼きを買ってトッピングしてみたらなかなか素敵な見た目に変貌した。こういう無駄は無駄とは言わない。素晴らしき創意工夫である。

 



昼間は春のぽかぽか陽気でシェイクを片手に楽しい時間を過ごしていたが、さすがに夕方の4試合目にもなるとうすら寒かった。有難いことにお湯割り焼酎を扱っている売り子さんがいたからマメに呼んで買いまくった。

 



 

4試合をしっかり観戦した後は球場近くの居酒屋に行く。ドテ煮や酢タコをつまみに焼酎をグビグビ。絵にかいたようなオッサンタイムである。宿は球場近くに押さえていたので帰り道の心配もなくノンビリする。

 

隣に座っていたコテコテの関西オヤジ様としばし野球談議に花を咲かせる。この人は浪商出身とのこと。浪商といえば古くは張本勲、高田繁、牛島香川のバッテリーである。

 

東京人だから完全アウェーな私だったが、かつて張本御大に銀座で親切にしてもらった話や高田サマが最近登場した東京六大学野球のレジェンド始球式をわざわざ間近で見に行った話を繰り出して大いに盛り上がった。

 



東京の野球好きオヤジが甲子園に行って大阪の野球好きオヤジと昭和の野球ネタで飲み明かす。夢のような時間である。大げさか。こんな想定外の時間こそが一人旅の醍醐味かもしれない。

 

で、すっかり酩酊したからホテルに戻って結構早くに寝てしまい、翌朝は早めに目覚めた。この日は甲子園は休養日で試合無し。大阪の街ブラでもしようかとも思ったが、スマホの予定表を見ていたら東京で見たかった別の野球の試合があることに気付いてとっとと帰京することにした。


 


午前中の新幹線で一路東京へ。買った駅弁は二つ。「おとなのえんがわ寿司」なる一品がお気に入りになった。たいていのえんがわ押し寿司は脂っぽいだけで美味しくないが、こちらはビチャビチャ感はなくシャリに刻みわさびがまぶしてあって確かに大人向きだった。また見つけたら買いたい。

 

で、東京駅から神宮球場へ向かう。社会人野球と六大学野球の対抗戦が行われていた。六大学ファンとしては新チームのメンバー構成をチェックできる意味合いもあるから興味が尽きない。

 

1試合目の東大は日本製鉄鹿島に3対5で惜敗、2試合目の明大はNTT東日本に5対5で引き分ける結果となった。何が面白かったかといえば球場の「音」だ。

 



前の日の甲子園はアルプススタンドの大声援や万単位のお客さんの応援で賑やかだったが、この日の神宮はお客さんはぜいぜい数百人ぐらいだっただろうか。おまけに応援団は来ていなかったから客席からの声はまるで無し。ただただグランド内の音だけが響いていた。選手同士が掛け合う声、打球音、ピッチャーが発する気合、ミットに収まるストレートの乾いた音。なかなか新鮮だった。

 

それにしても甲子園で高校野球をしっかり観戦した翌日に神宮で大学と社会人の試合を観戦するのは何ともマニアックな行動だ。プロ球団のスカウトみたいである。

 

ちなみに昨年夏にわざわざ北海道まで日米大学野球を観戦しに行ったのだが、その時の日本代表チームのメンバーの多くがプロで活躍し始めている。ロッテの開幕投手を務めた毛利、西武で開幕からスタメン捕手として出場した小島、広島で活躍する平川、勝田、中日の中西や桜井、巨人の山城など。その他にも阪神の立石、ヤクルトの松下など今後ガンガン出てきそうな選手は多い。

 

そういう選手たちがいずれ日本を代表するようなビッグネームになったらやってみたいことがある。「俺はアイツが学生時代からガラガラの球場で見ていたよ」と居酒屋で隣り合わせた野球好きオヤジ相手にマウントをとることだ。何だかバカみたいだが、バカみたいなことを真剣に目指すのは案外楽しい。