2024年1月26日金曜日

南麻布の寿司屋騒動


 

先週あたりX、すなわちツイッター界隈で話題を集めたのが南麻布の寿司屋騒動。いわゆる港区女子が寿司屋の店主に殴られそうになったと投稿したことでヤイノヤイノの騒ぎになった。

 

コトの真偽は知らない。要は客単価5万ぐらいの高級寿司屋を舞台にした客と店のトラブルの話だとか。ネット民がイジくり回すには格好の素材だったわけだ。ネット上の喧々囂々を経てお店側が気の毒でしたみたいな論調が優勢みたいだ。


常識で考えてお客さんに掴みかからんばかりに怒りまくるって余程ヘンテコな客に当たったのだろう。違ったらすいません。まあ、いろんな人がいろんな所に怒りの導火線を持っているから真相は分からない。

 

さてさて、騒動の舞台になったお店もそっち系らしいが、いつの間にか凄い値段の高級寿司屋が世の中に溢れるようになった。SNSでは“映え投稿”の舞台としてちょくちょく出てくる。人様の趣味をどうこう言えないが一人あたり5万も必要な寿司屋って私に言わせれば大いなる謎である。


そうしたお店は当然のように高級なモノをどんどん出して来るが、たいていはコースしか用意されていない。「お好み」では注文出来ない。そんなパターンなのに結構な数の店が大繁盛しているという。その点が謎だ。


そういうカテゴリーの店が増えたことはいわば時代の要請、時代の副産物みたいな側面もあるのだろう。総マニュアル化時代、はたまた“手取り足取り時代”ならではだと感じる。


勝手な先入観だが、その類の店の客層、とくに常連サンの客層って「一種独特」なんだろうなあと思う。一種独特という控え目な言い方をしてみたが、冒頭で書いた騒動の話を耳にしても「なるほどね」としか感想が出てこない。

 

ネットの評判やミシュランがどうしたみたいな「イケてる情報」を盲信している人にとっては魅力的なんだろう。イヤミっぽく言わせてもらえば「一人5万もする寿司屋で食べたんだぜ」という部分が自尊心みたいなものをくすぐるのかもしれない。

 

寿司は元々ファストフードだからといって安さだけにこだわるのも変だが、一人あたり5万などと聞くとさすがにちょっと違うと感じる。しっかり飲み食いしてせいぜい2万円ぐらいあれば充分に満足できるお店はいくらでもある。

 

一応、私は寿司屋の修行(客として!)をウン十年にわたって励んできた。口幅ったいが寿司通と言えちゃうぐらいの知識もある。全国各地のお寿司屋さんで時に笑われ、時に叱られ、時にボッタくられながら自分なりの寿司道?を極めてきた自負もある。

 

だからコースしか提供しない店には行かない。好きなものを好きなタイミングで好きな量だけ楽しめるのがカウンターという形式を採用している寿司屋での特徴的な食べ方だ。


「高級レストラン」というジャンルにおいてこんな贅沢な食べ方ができるのは世界広しと言えども寿司屋だけだろう。個人的にはその部分を楽しまなきゃもったいないと思う。


「おまかせ」なるコース料理の提供はお店の都合を押し付けられているだけで、好きでもないものまで食べなきゃならないのは私にはストレスであり苦痛だ。

 

おまかせというスタイルはそもそも古い時代に銀座あたりの社用族のために苦肉の策みたいに始まった食べ方だろう。接待する側もされる側もトンチンカンな注文をして恥をかかないための方策という意味合いも含まれていた。

 

実際に何を頼んでいいのか分からない人には有難いスタイルだ。いわば“緊急避難的”な食べ方だとも言える。でも毎度そんなパターンで食べていては進歩もない。まあ進歩など考えていないのなら構わないのだろうが、せっかくの国民食である。自分なりの好みや食べ方を確立したほうが楽しいと思う。

 

マナーだとか食べる順番だとか細かいことを気にする人は多いが、基本的には好きなものを頼めばいい。その日その日で白身だったらどれがオススメなのか、貝なら何が美味しいか、酢〆したネタは何があるか等々、大雑把に店側にやんわり尋ねれば済む話。

 

気に入ったネタは再度注文すればいいし、そこそこ食べたあとで他にどんなオススメがあるか聞いてみたりと自由に注文できるのがカウンターを挟んで職人さんと対峙する醍醐味だと思う。そんな会話すら出来ないようなコワモテ?な雰囲気の店だったら客商売としてビミョーな店だろう。

 

若い人なら「回っていないお寿司屋さん」というだけで構えしまうのも分かる。場数を踏むしかないし若者なら頑張って場数を踏むべきだろう。いっぱしの中年男であれば経験をタテに自分なりのスタイルで注文したほうがスマートだと感じる。

 

もちろんこれはあくまでも私個人の意見である。おまかせ一辺倒の超高級寿司ファンの皆様、気を悪くされたらごめんなさい。


話を変える。

 


 

というわけで、自分なりの寿司道?を楽しんでいる私だが、好きなネタの第一位の座はここ数年ずっと海老である。真っ当な店の茹で海老の美味しさは格別だ。江戸前寿司の花形だと思う。

 

その昔、札幌のお寿司屋さんで茹で海老を頼んだつもりが生の甘エビが出てきた。おとなしく食べた後で「次は普通のエビを」と注文、すると店の大将から「普通って何だよ?さっきのが普通だ。火の入った海老なんかウチには無いよ」と怒られたことがある。

 

今でこそウンチクオヤジとして店主に議論もふっかけられるが、当時は修行中?の身だったからシュンとしてしまった覚えがある。あれはあれで勉強になった。地域の違いに応じたTPOみたいなことを知る良い経験だった。

 

私がおまかせコースを敬遠する理由の一つがマグロのトロがさも本日のハイライトみたいに出てくる点だ。年齢とともにトロが苦手になってしまったせいだが、トロたくやネギトロだったら喜んで食べる。ワガママみたいな話だが、人の好みってそのぐらいビミョーである。

 





あらあじめグジャグジャ?なすき身ではなく刺し身を叩かずに巻いてくれる店だとなお嬉しい。その昔、すき身のことを「あれは築地の裏路地でバイトの外国人が古いマグロに油を振りかけながら裸足で踏んづけて作ってる」という冗談を聞いて以来、その状況が頭に浮かぶようになってしまい何となく敬遠しがちだ。バカである。

 

子供の頃、紹興酒を飲んでいた祖父に「その茶色い飲み物は何?」と尋ねたら「中国の肉体労働者の汗だよ」と悪い冗談で返された。幼い私は半分ぐらい信じてしまい戦慄が走ったのだが、それに似たヘンテコな思い込みである。

 





話が迷走してしまった。とりあえず私が好きなのは海老の他に穴子、小肌、鮪の赤身やヅケ、ヒラメの縁側、昆布締めした白身、アオヤギあたりだ。年々、好みがオジイサン的になってきた。熱燗をチビチビしながらこういった寿司を食べているとホッコリした気持ちになる。

 

あれこれと書いたが、どんな店だろうとホッコリした気分で過ごせるかが良い店かどうかの決め手であることは間違いない。

 

 

 

 

0 件のコメント: