すっかり普通の言葉になったのが「映え」である。“インスタ映え”などで使うアレだ。昔で言えば“絵になる”といった意味だろう。
それにしても若い人の画像はいまや加工が当たり前で、こんな私ですら娘のスマホで撮影されると妙にシュッとした風貌に変わる。
もはや若者にとって人物画像は自動的に加工されるのが当たり前みたいである。わが娘ですら私のスマホで撮った自分が映った画像には興味を示さない。
整形手術と一緒で、見た目が良くなるのなら結構なことでヨソの人間がとやかく言うことではない。でも、今の若者がオッサン、オバハンになった時にはきっと後悔するんじゃなかろうか。
若い時の自分や友達の姿を画像で振り返っても加工だらけだ。本来の姿とは違うわけだから懐かしさも変質しちゃうような気がする。
まあ、そんなことをブツクサ書いていること自体が私の旧人類化の証拠なんだろう。
カッコつけたい、自分を飾りたいというのが誰にだって共通する心理だ。行き過ぎちゃうと、いわゆるマウンティング的なウザったさしか残らない。その線引きが上手かどうかが人としてのセンスなのかもしれない。
“忙しい自慢”などはシャバダバの典型だ。「忙しくて3時間しか寝てない」「忙しくてメシも食えない」等々、やたらとアピールする人がいる。
聞かされた方は同情するような表情の裏で「要領が悪いんだろうか」「この人は無能なのか」と思っている。
若者が必死に忙しいアピールをしたがるのは分かるが、いい歳したオッサンがそんな感じだと実にカッチョ悪い。
たとえ忙しくても余裕があるフリが出来るかどうかが大人と子供の分かれ道のような気がする。
「昨日は10時間も寝ちゃったよ~」「昼飯、2軒もハシゴしちゃったよ~」などとウハウハ語っているようなオジサマのほうがカッチョいいと思う。
ちょっと偏った意見だろうか。
忙しい自慢、メシ食ってない自慢みたいな路線の人は、いわゆる“構ってちゃん”的な性質を持っているのだろう。
それはそれで分からないではないが、大人ならもうちょっと変化球を繰り出すぐらいの余裕が欲しい。
「もう5年ぐらい新しい下着を買ってないぜ」「今年は一度もステーキを食べてないぜ」「もう30年ぐらいキスしてないぜ」等々、そこから話が広がるようなひとクセあるネタで構ってちゃんぶりを発揮すればいいと思う。
変な話、人は他人の“頑張っている感”にはあまり興味がない。インスタやFacebookなどで、やたらと頑張っている感じやキラキラした感じを見せられると時にゲンナリする。
もっと日常に転がっているドジな話や悲喜劇的な話のほうが見ていても楽しい。私がひねくれているだけなのだろうか。
「予約困難店でフォアグラを食べた話」より「賞味期限が1ヶ月過ぎた生卵でTKGを食べた話」のほうが楽しいし、ワインのウンチクよりワインをこぼしたシミに悪戦苦闘した話のほうが役に立つ。
なんだか今日は偏屈オヤジ丸出しの話になってしまった。
もっと大らかに過ごさないとどんどん“お爺さん化”が進んでしまいそうだから気をつけようっと。
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