2010年3月31日水曜日

グアム

グアムに行ってきた。「素敵なお父さんと思われるように家族サービスに励む」ことが目的だ。

思えば30年ほど前、初めての海外旅行がグアムだった。当時の親の偉さや有り難さを今更ながら思い知る。そのぐらい家族サービスはくたびれる。

そんなわけで温かい海を前にしてもダイビングや水中撮影は封印。一応、撮影機材の一部は持参したのでホテル前の浅瀬のサンゴを少しだけ撮影。



滞在先はヒルトンリゾートを選んだ。理由は目の前の海のサンゴ。余計な砂浜が無い分、沖まで泳がずにすぐに岩礁地帯。透明度も良く、シュノーケリングに最適。

EOS-KISSにトキナーのフィッシュアイズームの組み合わせで水面近くの南国っぽい写真とか、半分陸上、半分水中のいわゆる半水面写真を撮ったりして遊ぶ。この写真のために重い防水ハウジングをわざわざ持っていった。

私の自由時間はこの時間だけ。一人でぱちゃぱちゃ遊んでいたわずかな時間だけだ。残りの時間は娘のカヤック挑戦に付き合わされたり、息子のプール遊びのお守りをしたり、女王様、いや奥様のお買い物をにこやかに見守ったり、運転手としてアチコチ移動した。

何かと便利なので、ヒルトンではタシクラブという、いわゆるクラブルームを選択。部屋はスイートタイプにした。

どでかいベッドでも一家全員ではやはり窮屈。結局、私がリビングエリアのソファーで5泊。有料のエキストラベッドをケチったから仕方ない。お父さんはつらい。

そういえば、水中写真家が本業の私だ(?)。娘がシュノーケリングをしながら魚に餌付けしている写真も撮影しないといけない。えっちらおっちら娘を引っ張って泳ぎながら撮影に適した場所を探す。


滞在中、曇りがちだったのだが、日射しが強いタイミングを見計らって何とか撮影。こういう写真は特殊な撮影機材さえあれば誰でも撮れるが、娘には「世界中でこんな写真を撮ってくれるお父さんはいない」と恩着せがましく言っておく。

家族連れの旅行だと、洒落た店で食事をする機会はない。バイキングレストランで冷凍のタラバガニをつつくか、固い肉を頬ばるようなイメージだ。

そうは言っても食の追求は大事だ。今回私の秘密兵器は「カニフォークとカニ酢」だ。どうでもいい味の冷凍タラバもカニフォークでほじくると気分がよい。

カニ酢も大正解だ。カニ酢が不要な真っ当なカニを食べるよう心掛けたいものだが、冷凍で大味なカニにはやっぱりカニ酢だ。味がはっきりと変わる。ウッシシだ。

カニ方面とは別に私が欠かせないのが「ソース」。醤油は海外でもポピュラーだがソースは貴重。海外には日本オリジナルの中濃ソースを持っていくようにしている。

揚げ物や卵料理にはソースが必需品。オムレツや目玉焼き、ウインナー、ハムあたりの海外の定番朝飯にはソースが大活躍。コンビニで売っている小さな携帯用サイズを持参。バッチグーだ。

今回の旅行では大失敗がひとつ。大失敗というか大がっかりだ。ヤシガニ事件とでも名付けよう。思い出すだけでも腹立たしい。

カニ好きオヤジとしては街中で「ヤシガニ」の看板を出す和食屋を見つけた以上、突撃しないわけにはいかない。実際に突撃してみた。

「今日はヤシガニはあるのか?」
「冷凍モノが常備してある」

この段階でやめておけば良かったのだが、好奇心で結局注文、冷凍されたいくつかの個体を見せられて選ばされる。重量で金額が決まる。大したサイズでもないのだが70ドルも取られた。

チビチビ飲みながら待っていると調理済みヤシガニ登場。ところがどっこい。なんとクリーム煮だ。勝手に茹でガニを想像していたので愕然。これでは味なんか分かりはしない。

おまけにカニの殻が問題。包丁やハサミが入れられて食べやすくなっているのが普通だろうが、ここの店は全然ダメ。

無造作にトンカチでたたき割ったのだろう。細かく粉々に砕かれているから、わずかな身を食べようとしても細かい殻が口に広がる。

観光客相手の店とはいえ、最低最悪だ。ヤシガニ以外の料理は極々普通だったので、とんだ地雷を踏んでしまったわけだ。大失敗。

食べ物といえば、今更ながら思い知ったことがある。ルポライター風に表現すると「アメリカに毒されて」とでもいおうか。

トニーローマとかあの手のファミリー系ジャンクレストランの味に妙に馴染む自分の味覚センスがちょっと切ない。

普段エラソーに、ダシがどうだの、白身の刺身の旨味がどうだとか、酢〆の加減はこうだの、四の五の言っているくせに、グアムあたりで“アメリカンジャンク”をニコニコ頬ばって大喜び。

なんだかなあ~。でもそれが現実。

ヨーロッパやアジア方面では、すぐに和食屋を探す私だが、アメリカ圏では、ハンバーガーだとかプライムリブあたりのジャンクフードを連日ワシワシ食べても平気だ。なぜだろう。

きっと生まれ育った年代が影響しているのだと思う。昭和50年代に発育期、思春期を迎えた世代は、なんだかんだ言ってアメリカ絶対みたいな感覚があった。

ウェンディーズだシェーキーズだ、ヴィクトリアステーションだ・・・って感じ。

「ドクターペッパー」「マウンテンデュー」に衝撃を受けた世代とでも言おうか。

この手の料理の味わいは大体似たり寄ったり。口に入れてひと噛みした瞬間に弾けるインパクトがすべて。でも中毒になるような妙なウマさも感じてしまう。

今回のグアムでは、大型ショッピングモールのフードコートはもちろん、シャーリーズ、キングスといった地元で人気のファミレスに日参。

なかでも一押しはルビーチューズデイという店。ハワイでも人気のチェーン店だ。肉や魚に付いてくる特製ソースが毒毒しくもクセになる味だった。

たった6日で3キロも太った。チクショー。

2010年3月29日月曜日

リゾートマンション

リゾートマンションがあぶれてるらしい。中古物件はかなりの値崩れ状態とのことで、購入希望者にとっては今が買い時みたいだ。

サウナ好き、温泉好きの私もインターネットでちょこっと調べてみた。正直、結構ビックリ。思ったよりも安い値段で結構な物件がゴロゴロ出てくる。私が無知だったのだろうか。

国産の高級車を買うぐらいの予算で、温泉大浴場にサウナが付いたそこそこの広さの物件が見つかる。メルセデスの新車程度の予算があれば随分選択肢が広がる。

若い頃伊豆方面に水中撮影によく出かけた。週末基地としてダイバー仲間とリゾートマンションの共同購入を考えたのだが、結構高くて断念した記憶がある。

私が金持ちになったのか、物件価格が崩壊状態なのか。多分後者だと思う。宝くじに当たらなくてもローンでも組めばあっさり買えそうだ。

熱海あたりなら新幹線で東京駅から40分ぐらいで着いてしまう。平日だってブラッと行ける。真剣に考えてみようか。

真剣に考えてみると、物件価格はともかく、管理費やナンチャラ積立金とかが結構バカにならない。設備のよい物件ほど高い。毎月の固定費として見逃せないコストだ。

物件価格だけなら堅実なサラリーマンだって充分に手が届くが、毎月の固定費がネックになって簡単に流通しないのだろう。

結局、買えるのは「もうひとつの財布」を持つオーナー経営者という理屈になる。「もうひとつの財布」、つまりは会社の資金だ。

会社の名義で購入する福利厚生用施設であれば、当然、毎月の固定費だって会社の経費だ。利益の出ている会社であれば、痛くない出費だ。

税務署的な目線では、リゾートマンションを会社の施設として資産計上・経費処理する場合、あくまで役員・従業員を問わず利用できる施設かどうかが問われることになる。

そうは言っても、税務調査官が実際に現場を確認に行くことは考えられないし、中古リゾートマンション程度の資産購入に目くじらを立てて執拗なチェックがあるとも考えにくい。

対税務署的安全策としては、福利厚生施設の利用規程やマニュアルなんかを社内に整備しておくことが一般的だ。そのほか、社長専用ではないという社内利用状況が分かるような資料を“作成”しておくようにと指導する税理士も多い。


なんだかんだいって世の中の消費行動における絶対的な存在が「もうひとつの財布」を持つオーナー系企業の経営者だ。

リゾートマンションをはじめとする不動産しかり、メルセデスあたりの高級車しかり、ゴルフ会員権しかり。高級料亭とかの費用だってポケットマネーというパターンは考えにくい。

一方、不動産や高級車を売りたがる側のセールスマンはこのあたりの常識が今ひとつ認識しきれていないキライがある。

年収3千万円の勤め人と、年収1千万円でも代々続く安定したオーナー系企業の経営者では、ほぼ例外なく後者のほうが大胆な消費行動がとれる。

中古リゾートマンションを一生懸命販売しようとしている業者の宣伝を見ながら、このあたりのピントのズレが目に付いた。こうした機微が分からないと中々物件は捌けないだろう。

それにしても、温泉露天風呂、サウナ付きの熱海のリゾートマンション、本当に気になる。どうしたもんだろう。

2010年3月26日金曜日

同情、思いやり、差別

パラリンピックに関するニュースの扱いが少ないという指摘をアチコチで聞いた。なかなか難しい問題だ。

身体障害者のためのパラリンピックに対して知的障害者を対象にしたスペシャルオリンピックスなどは、もっと注目度が低いわけだから、メディアの扱いを言い出したらキリがない。

テレビや新聞は視聴者や読者の求めるものを優先して報道する。そのテーマへの関心が低ければ扱いも当然小さくなる。当然のことではあるが、そこに障害者問題が絡むと微妙な空気が流れる。

障害者問題の難しさはここにある。「障害者に目を向けないことは悪」、「障害者に優しくない人は冷たい人」みたいな少し窮屈な方程式が存在する。

障害者への接し方や考え方は、人それぞれであり、一方的に決めつけたり強制できるものではない。

「高度医療が障害者を生き残らせている」という発言で批判を浴びた鹿児島県阿久根市の市長も、市長という立場での発言に批判が集まったわけで、個人の考えまで糾弾しようとしても無理がある。

もちろん、そういうことを公に発信して悦に入っている神経というか、品性の低さには個人的に呆れる。まあそれも現実だろう

私自身、ダウン症の子を持つ親として障害の世界を少しは覗いてきた。まだまだ“ビギナー”だが、いろいろな考え方や現実に接する。

高度医療のお陰で障害者が幸せに生きているケースはもちろんある。それを健常者の“上から目線”で得意気に語りたい御仁がいるのも仕方のないことなのかもしれない。

わが家のダウンちゃんは、有難いことに身体的な発達が比較的順調だ。大きな理由は生後数ヶ月で始めた専用の赤ちゃん体操だろう。専門医の指導によって早めにスタートしたことが影響しているようだ。

赤ちゃん体操自体が医療機関の指導によるものなので、いわば高度医療のおかげで育っている部分があるわけだ。

実際に障害と向き合っていると、第三者からの親切は何より有難い。社会の支えがないと成り立たないことを痛感する。ただ、変な同情だけで対応されると少し困るのも確かだ。同情より的確な指摘の方が有難い。

同情という感情はなかなか厄介だ。有難いと思うべきかも知れないが、根底に「可哀想だ」とか「不幸なんでしょう」という哀れみの前提がある。

「同情することが思いやり」みたいな認識が世の中には根強いが、これには少し違和感がある。「思いやり」と「同情」は大きく異なる。ちょっと口はばったいが、そんな思いにとらわれることは少なくない。

なんかクドい言い回しになってしまった。障害者への接し方、障害者問題の捉え方については「同情より理解」をお願いできるととても有難い。

そう考えると闇雲にパラリンピックのニュースの扱いを大きくすることが正しいかどうかは微妙だ。

競技自体の面白さ、選手へのキャラクター的関心度合いが広まった上でメディアの扱いが大きくなるのなら素晴らしいが、もともとマイナーな競技だから現実は厳しいだろう。

「理解」してもらうのに何が一番大切か。まずは障害の実際について知ってもらうことしかない。

知らなければ何も出来ないし、思いも及ばない。教わっていないことに対処できないのはどんなジャンルも同じだ。

英語を教わっていない人が英語で話しかけられたら、ただただビックリして、恐怖心すら覚える。逆に英語をそれなりに知っていればその範囲で対応可能だ。

私自身、障害者問題に関して教育を受けた記憶がない。周囲に障害を持った人がいれば自然と「知る」ことは出来たのだろうが、そんな機会や経験がなかった。多くの人が同様だろう。

もちろん、私自身、仮に障害者問題を学んだり、経験したからといって、障害者に対して思いやりを持てたかどうかは分からない。いまだって思いやりの気持ちを持てているか怪しい。

ただ、少なくとも、「まったくの無知」であることと「何となく知っている」ことの差は大きいと思う。

簡単なことでいいので「へえ、そうなんだ」と感じるような機会を多くの人に経験してもらえると嬉しい。

声高に「差別を無くせ!」みたいな演説をぶつつもりはない。綺麗事ではなく差別は必ず存在する。

障害うんぬん以前に、デブやハゲはもちろん、服のセンスが悪いとか、趣味嗜好が特殊だというだけでも平気で差別される。

私自身、「五体満足なら男の子でも女の子でもどっちでもいい」みたいな言い回しを平気でしていた。少し考えれば障害を持つ人にとっては差別的表現でしかない。

今でも職場で「めくら判を押すなよ」とか言ってしまう。差別意識が有る無しに関わらず、差別と感じる人がいる以上それはやはり差別だろう。

ただ、そうした「言葉狩り」に矮小化した差別論議はあまり生産的だとは思えない。言葉狩りだけがひとり歩きすれば、結局は“危うきに近づかず”になってしまう。「理解」どころか「知ってもらう」ことすら難しくなる。

悪意に満ちた差別、意図的な差別は別だが、そうではない無知や未経験を理由にした“ライトな差別”とはうまく付き合っていくしかない。

その上で、差別を「区別」ぐらいに収めてもらうことを考えていきたい。

2010年3月24日水曜日

旅鮨

一人で旅に出ると食事の問題が少し厄介。せっかくの旅先、その土地ならではのウマいものをそれっぽい店で味わいたい。

郷土料理が自慢の料亭なんかだと一人では入りにくい。ラーメン屋や定食屋で済ますのも味気ない。目的地が海に近ければ結局寿司屋を選ぶ。

「旅鮨」。勝手に私はそう呼んでいる。旅鮨の良さは、知らない土地にいる解放感を手持ちぶさたにならずに楽しめること。

ポツンと4人テーブルに案内されてしんみり食事するより、カウンター越しに板さんと世間話でもしていれば酒のピッチも進む。仕事関係とかどうでもいい連れに横に座られるなら一人で座ってる方が百倍快適だ。

これまで印象的なお寿司屋さんを随分訪ねた。そこそこ下調べもするし、地元の人の情報にも頼るので、大きく外すことはない。それでも相性が合う合わないはたった一度の訪問でもはっきり分かる。居心地がよい店なら何度でも行きたい。

ざっと思い出してみても富山市の「難波」、唐津市の「つく田」、札幌の「ふしみ」あたりは再訪したい店。快適な空間でプロの技が味わえた。

備前市伊部の「心寿司」、京都「呑太呂」網走「むらかみ」あたりは地元色が濃かった。旅先ではその土地ならではの気配や食材にありつきたいが、そういう点で印象的だった。

他にもこのブログでいつも激賞する函館の「梅乃寿司」、千葉・館山の「大徳家」あたりは“旅鮨”を振り返ると瞬間的に頭に浮かぶ。

名前を忘れてしまったお寿司屋さんの中にも結構印象的な店は多い。銚子市内の某店では、昼から酩酊していた私を酔い覚ましに午後の仕入れに市場まで連れて行ってくれた。

店に戻って再び痛飲。しまいにはクルマで駅まで送り届けてもらって切符まで代わりに買ってきてもらった。

鹿児島の某店では、目の前で揚げてくれる出来たてアツアツのさつま揚げをどんどん進められ、ナマモノを食べずに酩酊した。

居心地の悪かった店にも随分あたってしまったが、なるべくそういう記憶は抹消するようにしているので、楽しい思い出ばかりだ。

先日、静岡の伊東を訪ねた際に新たな旅鮨記録が加わった。「松鮨」という名の小さいお店だ。観光地・伊東だ。駅周辺の店は避けようとネットの評判を頼りに駅から結構離れたお店に狙いをつけた。

昼時だ。混雑覚悟で行ってみたが、先客は無し。カウンターだけの古い店で良く言えばレトロ、悪く言えばちょっとボロい。

以前、鳥取県の境港でこの手のレトロ寿司屋に入って居心地の悪い思いをした記憶が甦る。引き返そうか少し悩んだが、喉が渇いていたので思い切って突入。

年輩の大将が、奥からのっそり登場。威勢の良い感じは皆無。でも温厚そうな様子にちょっと安心。

ビールを頼んで、あれこれ食べたい旨を最初に伝える。ランチ握りの客ではないことを何気にアピール。ゆっくり腰を落ち着けていろいろ注文する客だと判断されれば、向こうだって悪い気はしないはずだ。

金目鯛と平目を刺身でもらう。金目鯛が妙に美味しい。軽く昆布ジメされているのがその秘密だという。大げさに喜んで食べていたら、大将もそれなりに乗ってきてくれた。

わかめの根っこを使った酢の物の小鉢が出てきた。チョロッと出してもらう一品を喜んで、その手の珍味が大好きだと言うことをアピールすると、たいていはまた違った一品を用意してもらえる。

こげ茶の珍味が登場。ひとくち食べてみると内臓系珍味を味噌漬けにしたような濃厚な風味。実にウマい。正体を当てようと必死にアレコレ言ってみるが全然当たらない。

正解は金目鯛のアラをすりつぶして6時間煮込んだものだという。味噌はまったく使っていなかった。甘味、旨味が凝縮されて酒の肴コンテストをやったら上位入賞間違いなしだと思う。

普段なら、とことん呑みまくるパターンだったが、そのあと野暮用があったため、時間にもさほど余裕が無い。仕方なく刺身をちょっと追加して握りに移行。


金目鯛の昆布ジメが素直に最高だったので3貫も食べる。小アジの酢ジメも単純明快にウマかったので普通サイズのアジと食べ比べたりして、これもオカワリ。

地元静岡のわさびにこだわりがある店なので、千切りにしたわさびで巻物も作ってもらう。シャリも至極真っ当で何個でも食べられそうな味だった。

店構えやサイズから見て、まさに「鄙にも稀な・・」的な印象を受けたが、大将とあれこれ話をしていたら結構な有名店だったみたいだ。

「男の隠れ家」とか「dancyu」に何度か掲載されたらしい。大将は一見無口な感じだが、そんな話をちょっと自慢げにしている姿は素直に可愛い。

ネタがたくさん揃っている路線ではなさそうだが、ピンポイントで地元産のウマいものを堪能したい時にはオススメだ。

2010年3月19日金曜日

治郎八に憧れて

前回は、歴史の中のパトロンを書こうとして話が逸れてしまった。龍馬伝のなかでも今後出てくる「大浦慶」がそういう役まわりだ。

大浦慶は茶の輸出で成功した女性の大富豪であり、幕末の志士たちを援助したことで知られる。龍馬との関係も濃かったようだが、今回の大河ドラマで誰が演じるかはまだ発表されていない。

「富豪記者」を名乗る以上、タニマチとかパトロンには興味がある。銀座あたりで有名人を引き連れて嬉しそうに呑んでいる御仁を見かけることがあるが、あれはあれで憧れる人も多いのだろう。

私の場合、芸能関係より芸術関係でスポンサーを気取れるようになってみたい。そう書くと何かスカしてるみたいだが、単純に陶芸家のタニマチになってみたい。

以前から器が好きなのだが、作るよりも集める方に関心がある。陶芸家が年齢を経るごとに作風が変わっていくのを追体験したり、作り手の人柄が滲み出るような作品を探すのが楽しい。

若い陶芸家を長年にわたって支援したらきっと面白いと思う。人間の定点観測みたいだ。作風の変化をあれこれ指摘しながら濃い付き合いをしてみたい。ときには珍味をぶら下げて工房を訪ねて、手捻りなんかを指導してもらう。いい感じだ。

ついでにカウンター割烹とかお寿司屋さんのスポンサーになって、店の器を仕切るのも楽しそうだ。料理あっての器だ。珍味用の小鉢とかに妙にこだわった店が出来そうだ。

ついでのついでに言えば、酒蔵のスポンサーにもなって、店の料理や器にバッチリの酒を仕込ませる。

ついでのついでのついでに言えば、和服姿の凛々しい艶っぽい女将のスポンサーになって店を切り盛りしてもらう。

もっとついでにいえば、無口で2枚目の板前と怪しい雰囲気になってしまう女将に嫉妬の炎を燃やしてイジイジしてみたい。

キリがない。おまけに実に陳腐な発想だ。我ながら情けない。文化・芸術に資するという高邁な思想がまるで欠落している。反省。

パトロン業界?のなかで鳴く子も黙る伝説の存在が「バロン薩摩」だろう。フランス社交界で爵位もないのにバロンと呼ばれたスーパー浪費家だ。

薩摩治郎八。20世紀前半に放蕩の限りをつくした御仁で、18歳の時のフランス留学時、1ヶ月の仕送りが現在の価値にして1億円だったというスケール。

その後、パリの豪邸を拠点に華々しく浪費活動を展開、ヨーロッパ社交界で勇名をとどろかす。

遊びまくる一方で、外務省が資金不足で出資しなかった留学生の宿泊研修施設をパリに自前で建設。元老・西園寺公望の要請に応えたというお大尽ぶり。

文化・芸術支援にはとくに莫大な資材をつぎ込み、画家の藤田嗣治のパトロンであったことは有名。その一方で気に入らない芸術家には一銭も出さないこだわりも徹底していたとか。

終戦後、没落するものの、豊富な人脈を活かしてひょうひょうと暮らしたらしい。

晩年がまたいい。見そめたストリッパーと徳島に阿波踊りを見に行って、脳溢血で倒れ、そのまま親子ほど年の離れた彼女と貧乏暮らし。

現在の価値で600億円ものカネを一代で使い切ったとも言われる。晩年に受けたマスコミ取材でも、大散財について実にあっけらかんとしていたらしい。

歴史上の人物のうち、誰になりたいかと聞かれれば、私は迷わず「薩摩治郎八」と応える。

信長や秀吉、家康あたりは気苦労が絶えないだろうし、明治維新の元勲も何かと大変そうだ。殺されちゃったりする。

やはり治郎八になりたい。

そんな考えでいいのだろうか・・・。

2010年3月17日水曜日

そういえば先日、2億円の宝くじに当たる予定だと書いたが、600円しか当たらなかった。ビックリだ。色々な計画を練り直す必要に迫られている。

困ったものだ。次はサマージャンボに賭けよう。

さてさて、今日の話題に移ろう。

レキジョとかいって歴史好きな若い女子が増殖中らしい。現代の男が頼りないから昔の偉人が魅力的に映るようだ。

福山雅治が龍馬になってしまうような「美化」をやられたら現代人など逆立ちしたって太刀打ちできない。

ちなみに私は小学生の頃から歴史好きな少年だった。源平合戦とか戦国時代にしびれた。行きたい場所も歴史にちなんだ観光地が多かった。

親にせがんで「姫路城と赤穂の旅」とかいうシブいバス旅行に参加したことは何よりの思い出だ。あの頃はまだ健全だった・・・。

“ナマ姫路城”にただただ興奮。女性の裸体を初めて見た時より興奮したし、青年時代にグランドキャニオンで見た朝焼けの大パノラマよりも感動した。

最近、NHKの「龍馬伝」を見るようになった。歴史好きとはいえ、なぜか幕末が苦手だったので、最初は興味がなかったのだが、さすがに見始めれば面白い。ちょっと中毒だ。

幕末よりもそれ以前の時代が好きだった理由は、きっと写真と肖像画の違いにあるような気がする。

幕末あたりになると絵ではなく実写が普通になり、そこに映し出された顔が妙にリアルで何か拍子抜けしたような印象がある。

もっと古い時代だと皆さん権力を背景にした肖像画のお陰で、どことなく威厳に満ちて、それこそオーラを感じる。歴史の教科書に出てきた源頼朝なんて渡哲也もビックリのナイスな感じだ。
頼朝より義経好きだった私にとっては、子供向けの本で描かれる義経の美男子ぶりに憧れた。今でいえばジャニーズ系美少年なのに京都・五条大橋で乱暴者の弁慶を退治しちゃったりする。萌えた。

でも、その後、教科書か何かに載っていた義経の肖像画があまりに貧相な感じで愕然とした。

歴史書の記述など“歴史業界”では「義経はブ男」だったというのが定説になっており、いにしえのファンとしては残念な限り。そうはいってもドラマや映画では、義経は間違いなくシュっとしたいい男が演じるから良しとしよう。




上から高杉晋作、大久保利通、勝海舟、佐久間象山の画像を並べてみた。なんかリアルだ。何とも言えない。ビミョーだ。やはり私にはもっと古い時代の肖像画の方がホッとする。あくまで絵画の雰囲気から歴史上の人物を想像したくなる。

ちなみに今日の画像はすべてネットから無断で拾ってきました。スイマセン。



順番に織田信長、足利尊氏、加藤清正だ。写真だとこういう雰囲気は出ないだろう。肖像画だと色々と空想は膨らむ。

大人物はみんな大柄だったようなイメージすらあるが、日本人の体格の変遷を思えば、肖像画で登場いただいた方々は、せいぜい150~160センチだったはず。

歴史上の人物についてハンサムだのブ男だの論じても仕方ないが、1枚の写真が映し出したハンサムぶりが後世の評価を決めた人物もいる。

いわずと知れた土方歳三だ。

新撰組副長であり、函館戦争で最期を迎えた。歴史的功績というより、この写真のハンサムぶりで若い女性に圧倒的な人気を誇る。

しょっちゅう函館旅行をしている私にとってはすごく見慣れた顔だ。函館中どこに行ってもこの顔だらけと言っても大げさではない。

確かに今っぽい雰囲気だ。このイメージと忠義に殉じたという史実がレキジョをワクワクさせるのだろう。

新撰組といえば局長・近藤勇が中心だが、1枚の写真のせいで、人気の点で土方歳三に大きく水をあけられている。ちょっと気の毒だ。近藤勇さんの写真は載せないでおこう。

今日は、歴史の話を枕にパトロンのことを書こうと思っていたのに全然違う話になってしまった。

龍馬伝にもいずれ出てくるであろう茶の輸出商とか、いわゆるタニマチ方面をテーマにするつもりだったのに、ついつい高杉晋作の顔写真を見ていたらこんな内容になってしまった。

2010年3月15日月曜日

熱海

ひょんなことで先週の平日、温泉宿で1泊する機会があった。伊豆の伊東で会社関係のヤボ用があったので、どうせなら泊まってしまおうと企んだ。

ここ数年、“一人温泉”が妙に好きになった私だ。伊東ではかつて「いずみ荘」、「青山やまと」に出かけた。サウナがある宿が条件なので選択肢は限られる。

行ったことのある宿にするか、初訪問の宿にするかチョット悩む。「陶心庵米屋」と伊豆高原側の「坐漁荘」を候補にした。平日なので割増料金を払えば一人でもウェルカムらしい。

こういうことを悩んでいるうちが旅の楽しみだ。ウジウジ決めきれないのが楽しい。そうこうしているうちに“面倒くさがり病”が頭をもたげる。

チェックアウト後に出社することを考えると東京に近いほうがいい。なんだかんだ悩んだことはまったく無意味となって、結局熱海に足を向けた。

熱海では「大観荘」だ。もう5回ぐらい行っただろうか。文句をつけたい点もあることはあるが、私にとって妙に居心地が良い宿。メシ良し、風呂良し、サウナ良し、眺めや庭の感じもいい感じ。


最近ハヤリの格好いい和モダンの高級旅館にも興味はあるが、やはり伝統が醸し出す雰囲気はポッと出の宿とは一線を画す。

客層もミーちゃんハーちゃんはいない。大声で携帯と話しているテカテカした御仁もいない。のんびり現実逃避するにはバッチリだ。

部屋も広く、海の眺めも気持ちがよい。各部屋にはマッサージチェアもある。気取らずにジジイムードに浸れる。

古いだけでなく、適度なリノベーションもしっかり行われていて、昨年には個室食事処が誕生。これはこれで効率的。部屋に臭いが残らないし、布団敷きのタイミングも気にならない。


大観荘の食事は安定感がある。奇をてらった創作料理みたいなものは無い。キチンとしたマトモなメニューが揃う。前菜類もマトモ、刺身もマトモ、お吸い物もマトモ。こういうマトモさは結局、客に対する誠実さだ。


牛肉と蕨の小鍋仕立てもカキと白身魚の南蛮漬けも味付けの加減が至極マトモ。ミョウガの酢漬けなんかも酢加減がバッチリ。ちゃんとした料理人がちゃんと作ってるんだと思う。

ちょっと誉めすぎか。まあ悪く言えば「印象に残らない味」とも表現できる。そうは言っても「印象に残らない味」ってある意味誉め言葉かも知れない。変にインパクトの強い料理が苦手な人なら満足できる。

シメのご飯は春っぽいちらし寿司。デザートはそのまんまのイチゴ、キウイに少量のヨーグルトムース。ゴタゴタしたスイーツが苦手な私にはそういう単純さが良い。

朝飯しかり。丁寧に味付けされた味噌汁、温かいまま供されるアジの干物、たらこ、蒲鉾、小鍋の湯豆腐、ひじき、漬け物、そのほか諸々。何だか分からない食べ物がまったくない。とはいえ、それぞれの味付けや素材が上等だから実にホッコリする。

単純を貫くことは基本的なレベルが高水準だからこそ可能なんだと思う。

やっぱり少し誉めすぎだ。あえて悪く言えば、旅行に「ハレの日」的な高揚感を求める人には地味すぎる宿かもしれない。

肝心の温泉は大浴場が3カ所。それぞれにサウナが併設されている。これって貴重だ。3カ所とも昔ながらの高温ドライサウナ。ミストサウナとか低温サウナとかインチキみたいなサウナじゃないことが私にとっては最高。

遠くに海の絶景が眺められる貸切の露天風呂も3カ所。そのほか私のお気に入りが「温泉床」。蒸し風呂みたいなものだ。

スノコの上で横になる。下には熱い温泉が流れていて湯気が心地よい。顔だけ外に出るような形のかまぼこ形のカバーをかぶせられてローストされる。いや蒸される。

iPodを耳に入れてしばし蒸される。砂蒸し風呂のような感じだ。ジンワリ温まって15分もするとビシバシと発汗。基本は30分だが、15分ほど延長してもらう。

蒸しすぎで、すっかり余計な脂を落とされた鶏肉のような気分になれる。そういう気分になりたい人にはオススメだ。

なんかダラダラ書き殴ってしまった。それにしても平日の温泉宿はノンビリできる。やはり命の洗濯は平日に限る。

2010年3月12日金曜日

恥知らず

もはや犯罪と表現しないと不自然だろう。国交省が管轄する空港需要予測のデタラメぶりは異常だ。予測と実績が比較できる72カ所の空港のうち、9割が需要予測を下回ったとか。

年間利用予測37万人に対して実際の利用者が5万人弱だった北海道の紋別空港をはじめ、予測に対して実績が2割にも満たない空港がゴロゴロ。滅茶苦茶な話。

テレビや新聞もさかんに批判的な報道を展開していたが、これも一種の風物詩。批判する方もされるほうも慣れっこになっているだけ。

批判すら気にしない悪人どもには「罰」という観点で対処すべきだろう。あまりにも無責任。民間企業がここまでひどい予測をもとにプロジェクトを失敗させたら、ハラを切る人間が出る。

建設ありきで数字をでっち上げ、再検討をしないまま「きっと予測通りになるはず」と傍観する極悪体質。誘致した首長や関係者も空港完成後数年もすれば勇退や人事異動で我関せずを決め込む。誰も責任を取らないし、責任を取らせる制度も風土もない。

日本航空の破綻だって、赤字路線を渋々飛んでいたことが要因のひとつ。結局回り回って、税金投入という事態になって該当地域以外にもツケがまわってくる。

空港に限らず、高速道路や無用な橋なんかの道路関係でも昔から大甘な需要予測の弊害は指摘され続けている。

族議員の介入、ヒモつき政治献金、官僚の天下りという“ズブズブシステム”がもたらす構造的な犯罪だ。このあたりを正すことを期待されて政権の座についた民主党だが、一向に斬り込む気配がない。

同じ税金でも、納める税金はわずかなミスにも加算税という罰がつく。悪質で高額な脱税なら刑事事件として立件され、懲役刑も用意されている。

一方の使われる税金はどうだ。意図的なウソデータを作り上げて、それを根拠にムダ遣いしても罪にならない。納税者をバカにした話。

国交省航空局の言い分がまた凄まじい。

「空港によっていろんな事情があり、一概に需要予測が甘かったとはいえない」。

傲慢不遜極まりなくてビックリする、居直りと言うにはあまりにふざけた内容。まさにバカにつける薬はない。

税金のムダをチェックする会計検査院という組織があるが、役所のふざけたムダ遣いを見つけても、基本的にはその悪事を「指摘」するだけであり、極悪脱税犯がとっ捕まった時に比べれば屁のカッパだ。

西洋の「罪の文化」に対して「恥の文化」と表現されてきた日本の国民性。いまや中央省庁が先頭に立ってウソとデタラメを繰り返す「恥知らずの文化」になってしまった。

2010年3月10日水曜日

2億円

2億円が当たってしまう予定なので、使い道を思案中だ。

先日、ジャンボ宝くじを思いつきで6千円分も買ってしまった。年末ジャンボは9千円も買ったのに600円しか当たらなかったから今度はきっと大当たりだ。

宝くじを買った日、子供を二人連れてノンビリ散歩していた。すると、わが家の息子と同じダウン症のお子さんを連れたお母さんが宝くじ売場に入っていくのを目撃。

ダウン症の子が生まれる確率は古今東西千分の1だ。確率論的にそういう境遇の親子が接近遭遇するのは珍しい。ましてやそんな強運?なお母さんが買いに行った売場だ。同じく強運の私もあやかろうと後に続いたわけだ。

先月のこのブログでダウン症の我が息子が「福子」だとか書いてしまった以上、立証責任は私にある。

これまで3年以上もの間、わが子は私に幸福や教訓をいくつも運んでくれた。しかし、いまだに富は運んでこない。今回はチャンスだろう。きっと。

動き回りたいさかりの我が家のダウンちゃんに引っ張り回されていたので、娘に買い方を任せた。娘の選択はバラ10枚と連番10枚。娘には「当たったら半額やる」と宣言した。

小学校低学年の娘は宝くじの仕組みもよく知らないし、それ以前に金額的な概念がまだ育っていない。

「いくら当たるのか?」と聞かれたので「2億円だ」と答えたところ「1億円が私のものね」と答える。

「Wiiのソフトは10本ぐらい買えるのか」と聞かれたので「千本でも買えるぞ」と答えたら満面の笑みだ。

娘に1億円を取られてしまうので、私も1億円しかもらえないことになる。ちょっと早まったようだ。簡単に1億円を失ってしまう。

ちなみに出資者が私、クジを選んだのが娘だった場合、当たった賞金から1億円を娘にくれてやったら贈与税とかがかかるのだろうか?ちょっと悩む。

まあ、総理大臣の贈与税脱税も見逃されるぐらいだから心配はないだろう。

さてさて1億円なり2億円が当たったらどう使おうか?こういう妄想は誰もが一度はしたはずだ。

貯金するという選択は話が面白くないので、貯金以外でアレコレ考えてみた。結局、土地を買うとか金地金を買うとか、そういう夢のない結論になってしまう。それも面白くない。

本気で考えてみた。

そのうえで出た答えは次のようなもの。

「会社に5千万円プレゼントする変わりに1年間まるまる休暇をもらって世界中を放浪」。

なかなか良い選択だ。なぜ5千万円も払わねばならないのか良く分からないが、そのぐらい払っておけば安心だろう。誰に遠慮することもない。「すいません、ちょっと休暇を」などと低姿勢にならずに堂々と威張って戦線離脱できそうだ。

家族は基本的に留守番だ。学校とかがあるし。しょうがないから夏休みと正月ぐらいは私の滞在地に呼び寄せてやろう。

何かこんな妄想を書き連ねていたら切なくなってきた。そんなヒマがあったらとっとと労働しないといけない。

それでもやっぱり考えてしまう。世界放浪の次はどうしよう?ハンサムスーツでも買ってモテモテ人生でも歩もうか。。。

この辺にしておこう。どうもストレスがたまっているようだ。

2010年3月8日月曜日

邪道は美味しい

邪道などというと大げさだが、普段食べているジャンルのものに一ひねり加えるだけで妙に嬉しくなることがある。

お寿司屋さんの突出しがウマかったら、軍艦巻きのネタにして握りで食べるといった程度の一ひねりだ。

私にとってこのパターンの代表が「ツナ軍艦」だ。高田馬場・鮨源で一定の周期で作られている突き出し用のツナサラダが主役。寿司ネタとしては、本来邪道なんだろうが、ウマいんだからしょうがない。

本マグロなど極上のマグロを二次利用したツナだからマズいはずがない。いつもコンモリと盛ってもらってチョロッと醤油を垂らしてペロリだ。

先日は、ホタテの身やヒモ、キモなんかを混ぜ合わせてマヨ風味にした突出しが出たので、懲りずに軍艦巻きで食べた。お土産として持ち帰ったほど。

こちらのお店では、生きた車海老でエビフライを作ってもらったり、クジラで竜田揚げを頼んだり、ホッキ貝をバター焼にしてもらったりとアレコレとわがままオーダーをしている。

先日は、厚岸の小ぶりなカキをバター焼にしてもらった。生で食べられるカキをバター焼で堪能するわけだから贅沢だ。

カキから滲み出たエキスがバターと混ざり合う。そんな極上の“残り汁”が小皿に浮かんでいる。

飲み干したい、なめ回したい感覚で睨んでいたら、優しい板さんが即席リゾットにしてくれた。

残り汁に寿司飯を投入して、ちょっと炙ってくれた。そりゃウマいはずだ。カキの旨味エキスとバターのコク、ほんのり酸味のシャリ、ちょこっと焦げた風味がミックスされる。邪道バンザイだ!

この日、邪道ついでに海苔の変わりに脂ののったサーモンで“イクラ親子軍艦”を作ってもらった。回転寿司的な見た目だが、それぞれの素材が上等だとさすがにウマい。
邪道バンザイだ。

邪道というほどではないが、ウニもちょっとひねってみた。ミョウバンのない極上の甘~いウニがあったので、バクバク食べたいが、健康を考えるとそうもいかない。

1貫だけで我慢したのだが、シャリをほんの少しにしてもらって、ウニだけはアンバランスなほどに盛ってもらった。

ウマい寿司は、ネタとシャリのバランスが合っていることが絶対条件というのが一般常識だ。そんなことは百も承知だが、上等なウニやイクラだったら、あえて常識なんてけっ飛ばしたくなる。

口中に広がるウニ、ウニ、ウニ。思い出したかのように時たまシャリの存在を感じる。おまけみたいなシャリがアクセントになってウニを引き立たせる。邪道バンザイだ。

最後はスーパーカッパ巻きだ。邪道というにはおとなしい組み合わせだが、普通のカッパ巻きにすりゴマをヤケクソのように投入するのがスーパーの由来だ。

電動擂りゴマ機がないと作れない一品だ。ひと言で言って気が狂ったぐらいゴマを投入する。キュウリが口の中で主役にならないようにゴマだらけにする。

口の中が大げさではなくモゴモゴするぐらいの感じだ。正直変な食べ物だと思う。でも無性にこれが食べたくなる時が私にはある。

いっぱい噛んでいるとゴマだんごを食べているかのような錯覚すらある。最後の一品に最適だ。

以前は、気が狂ったかのように辛いかんぴょうわさび巻きをシメに食べることが多かったが、最近は涙腺がゆるくなったので食べていない。

あれもあれで最高なのだが、あまりにワサビが効いていると、一瞬にして酔いが覚めてしまう。寿司デートの後に、酔ったままでは上手くいかない行為を予定している時にはオススメだ。

話がそれた。結局、どんな世界でも一ひねりは大事でしょう。

2010年3月5日金曜日

クルマ・ヒエラルキー

政治力学によるパフォーマンスにしか見えない米中によるトヨタバッシング。嵐が去るのをじっと待つしかないのだろう。

ということで今日はクルマの話題を書く。

旅先や出張先でレンタカーを利用することが多い。たいてい小回りのきく1500~1800㏄クラスを選ぶ。このクラスも昔に比べれば随分ガッチリ感が増した。高速を飛ばしても恐くない程度には進化している。

とはいっても、この手のクルマに乗っていると、やはり厳然たる車社会のヒエラルキーを痛感する。追い越しや割り込みなどの場面で、高級車から虫けらのように扱われる。

技術の進歩によって小型車の安全性も上昇しているが、真の安全性はそういう物理的なものとは別次元だと思う。

ムリな追い越しや割り込みをされないような雰囲気を漂わしていることこそが最高の安全策。やはり、しみったれたクルマは危険だ。「車格」はつくづく大事。

だからメルセデスの安全性には説得力がある。私だって小ベンツはともかく、Sクラスをあおったりはしない。無意識に線引きをする。

私のようなマニアではない人間にとって、クルマは結局のところ面構えがすべてなのかもしれない。

私もその昔はクルマ好きだったのだが、30代後半ぐらいから随分と冷めてきた。きっと飲酒量の増加と関係があるのだろう。昔と違ってクルマと酒は両立できなくなってしまった(本来それが当たり前だ!)。

新車、中古車あわせて相当の数のクルマに乗ってきた。長く持ってしまうと下取りの関係で損なので頻繁に変えていた時期もある。

国産はもちろん、ドイツ車、イギリス車、アメ車、イタ車・・・、思えば凄い数のクルマに乗ったような気がする。

セダンにクーペ、ワゴンにオープンカーに四駆・・・、何でもありだった。今ではあまり強いこだわりはないのだが、最近の高級車市場の傾向はちょっと興味深い。

エレガントなクルマ、スポーティーなクルマといえば2ドアが普通だったが、最近は事情が一変。セダンのプレステージ感にクーペのエレガントさをミックスした高級車が続々登場している。

きっかけはメルセデスのCLSシリーズの成功だ。Eクラスじゃ中途半端、かといってSクラスもジジくさいという人々に圧倒的な支持を得たCLSは確かに独特のデザイン。いい感じだ。

BMWも次期8シリーズとして色っぽい4ドアクーペを出すみたいだし、アウディも今年登場予定のA7がその路線だ。

各メーカーが次々にSUVを市場に投入したのと似たような状況だ。SUVといえば、その昔は一種のオタクのシンボルだった“四駆”が発展したもの。ポルシェですらカイエンを投入して大当たりした。

その昔“四駆小僧”だった私も、5年ぐらい前にカイエンに乗っていた時期があったが、あまり好きになれずにすぐに手放してしまった。「四駆なのにエレガントで速い」ことがちょっと不気味だった。

最近の「スポーティー4ドアクーペ」なら私が感じた不気味な感じはない。単純にカッコイイ。そうはいっても運転席の頭上あたりが大柄な人間には少し窮屈なんだろうか。

4ドアクーペの中でもデザイン的に抜きんでているのがアストンマーチン・ラピード。無条件にセクシーだ。

http://www.asahi.com/car/newcar/TKY201002050178.html

10年ぐらい前、ジャガーのXK8に魅せられ、しばし愛用していたことがある。アストンマーチンと同じデザインの系統だったのだが、その後継車が4ドア化したわけだから気になる存在。いつかは手に入れてみたいと思う。でも高い・・・。

そういえばポルシェ初の4ドア車であるパナメーラというのもある。個人的にはあの顔が好きじゃないのだが、売れてるのだろうか。

ちなみにランボルギーニまでもが4ドア市場に参入するらしい。いにしえのスーパーカーブームを記憶している人間にとってはビックリ仰天ではある。

http://www.goo-net.com/goo_news/news_category9/n_number993.html

さてさて、高級車といえば日本の制度・慣例上、個人名義よりも会社名義で購入されるケースが多い。メルセデスのSクラスなど大半が法人所有だ。

社用車の世界で昔からポイントになっているのが税務署の視線。高価すぎるとか、個人の趣味嗜好が強すぎるクルマだと会社名義での経費処理にイチャモンがつくのではという危惧は少なくない。

大原則は、業務に必要で業務に利用しているのかという点に尽きるのだが、これも個別現実的に判断するしかない話。

まことしやかに囁かれているのが「2ドアはダメだ」とか「赤いクルマはマズい」みたいな話。

こうしたクルマだと社用車としての経費処理を否認されるという“伝説”があるのだが、税法上も通達上もそんな規定は存在しない。

あくまで目立つようなクルマだと税務署に目を付けられやすいという一般常識が飛び火したような表現だ。

逆説的にいえば「4ドアなら問題なし」という単純な理屈になってしまう。まあそれならそれで先ほど紹介したランボルギーニだって立派な4ドアだ。税務署が社用車としてお墨付きを与えたクルマという屁理屈が成り立ってしまう。

それもそれで妙な話だ。ちなみに税務署的視線が良く分かる経営者向きの専門新聞はコチラです。

2010年3月3日水曜日

浪漫が足りない

「景気の底にたどり着いたので、そこからは上昇するだけだ」みたいなテレビCMをよく見る。やはり景気に光が射し込まないとすべてが煮詰まったままだ。

先日、銀座8丁目の「かに道楽」にいた。何を食べたいか考えながら、ひらめくものが無いとついついベタに「かに道楽」を選ぶ。私のカニ好きは病的だ。

禁煙のテーブル席は、御門通りを見下ろす2階の窓側。金春通りあたりがまっすぐ見える。飲み屋街として銀座でも濃いエリアだが人通りがまばら。月末、天気も良く温かな日なのにそんな状態。なんとも元気がない。

街に活気がないと、そこにいるのが面白くない。わざわざ繁華街に出て行く以上、賑やかな街の空気とか、集う人々が持つエネルギーを吸収したい。陰気な空気などご免こうむりたい。


カニミソ甲羅焼とかカニ刺身を頬ばりながら、人通りを眺めるが、夜が更けてきてもまばらな状態は続く。

考えてみれば、カニ道楽あたりのレストランだって満席になっているのを見かけない。いまどき安定的に満席になる店など希少な存在だろう。予約が取れないことで有名な店を攻めるには今がよい時期なのかも知れない。

“檀家まわり”と称するクラブ活動をしていてもたいていの店が空いている。状況を“取材”してみても「厳しい」という反応ばかり。結構深刻みたいだ。

バブル崩壊後、いろいろと不景気はあったが、昨今の不況は深刻らしい。同伴客やアフターの客も激減しているとか。

客層が変わったという指摘も興味深い。あの世界独特の空気を楽しむ客が減って、プロを求めない客というか、短絡的な若い客が増えたそうだ。

口説き、口説かれ、騙し、騙されみたいなイジイジした時間なんかはまるで無意味とばかりに「ところで、ヤレるの?ヤレないの?」というストレート?な御仁ばかり増殖中らしい。

いいとか悪いとかではなく、それも時代の特徴だろう。情緒が無い、深みが無い、趣が無いなどと表現するのが適当だろうか。

ちょっと格好つけすぎかも知れないが、強いて言うなら「浪漫が足りない」。

夜の街ではいろんなフリをして、いろんなフリをされ、さまざまな思惑を交錯させながら酔っぱらうのが正しい。

突き詰めてしまえばどうってことのない男女の関係を味気ないもので終わらせないために演出しているのがあの世界だ。

街や店そのものが舞台装置であり、女性陣は女優だし、客だって、いわば男優だ。

私だって、仕事にしか興味が無いカタブツの聖人君子であり、本当はホモなのに、あの街に行けば一生懸命にスケベオヤジを演じる。女性に好かれる男になろうと演技に磨きをかけているわけだ。

安直にヤレるヤレないと騒ぐようようではせっかちすぎるし情緒もない。まさにガサツだ。男のホンネは確かにその一点にしか向いていない。それは認める。だとしても、クネクネ道をさまよってこそオトナだと思う。

クネクネ道がかったるいなら、吉原の社用族専用の超高級店に行けば良い。あれはあれで無形文化財技能保持者みたいな凄い世界であり特筆モノだ。。。と知り合いに聞いたことがある。

やはり、キチッとした住み分けも必要だろう。

だんだん話がそれてきた。今日は何を書きたかったんだろう。

そういえば、銀座方面では世相を反映してスナック的価格のお気軽なお店も増殖中。先日も新規開店のその手の店に顔を出してみた。

これも住み分けの一種だと思う。居心地が良ければお手頃価格だけに悪くない。そう言いながら初めて会った南米出身のオバサンに延々と説教されたりした。

ちょっと微妙だ。でも最近すっかりM気味の私だ。また行ってしまうのだろう。

2010年3月1日月曜日

エセ文化人

中年男にとって恥ずかしいことは教養が足りないことだろう。40年以上も生きていると、知っていて当然、知らないと間抜けみたいな事柄が増える。若い頃、若さを理由にバカを貫けたことに比べると実に厄介だ。

かといって、知らないものは知らないし、今更興味のないことを吸収するのも面倒だ。だから自分が好きなジャンルについては、多少大げさにでも詳しいフリをしてしまう。

私が好きな葉巻を例にとろう。そこそこの知識しかないのに、時に精通者然とした顔で語ってしまうことがある。なんか情けない。一種の見栄張り状態なんだろう。もっと素直にならないといけない。

そのほかに好きなジャンルといえば器の世界だ。とくに徳利やぐい呑みといった酒器には目がない。一応知識もあるほうだろう。一時期は随分と専門書なんかも読みあさった。

私の場合、ただの酒器好きなのだが、陶磁器といえば美術品的要素や歴史もある関係から世間的には“文化的なもの”という印象がある。

文化的な要素を持つ器といえば、本来は茶器を指すのが普通だ。それでも同じ陶磁器というつながりのお陰で、ただの酒器好きオヤジである私も「文化的な陶磁器というジャンルに詳しい教養のある人」と他人に錯覚してもらえる。この点はラッキーだ。

単に酒をあおるのでは飽きたらず、器を取っ替え引っ替えしたいだけのアル中オヤジが「教養のある人」に昇格できるのだから悪くない。ウッシシだ。

先日も初めて入った割烹のカウンターで「マイぐい呑み」を片手に酩酊していた。板前さんとお女将さんからマイぐい呑みの質問攻めにあい、適当に格好良いことを喋っていたら随分とヨイショされた。

ほとんどの話が受け売りだが、多少でも器に興味のある人が聞いたら面白いのだろう。私自身も興味を持ち始めた頃はそうだった。器勉強中だという板前さんにすれば面白い話だったのだろう。帰る頃にはすっかりエセ文化人のできあがりだった。

私のビジネスバックは「マイぐい呑み」を入れるためだけにあるようなもの。巾着袋に仕舞い込んだぐい呑みが常時2つは入っている。

たまに入れ替えるが、備前と唐津を用意していることが多い。上の画像は唐津の現代作家の作品でお気に入りのひとつ。少し小ぶりなので熱燗に向いている。全体に丸い感じが柔和な雰囲気で掌で遊びたくなる。

基本的には備前焼の無骨な感じが一番好きな私なのだが、気分や精神状態によっては唐津の柔らかい感じに惹かれる。いつの間にか自宅や会社で使っている湯飲みも唐津ばかりだ。

唐津焼は同じ佐賀県の有田焼と異なり、釉薬を使いながらも土そのものの味わいが特徴的な素朴で艶っぽい焼物だ。

唐津の盃の魅力は、藁灰を主とした釉薬が焼成段階で微妙に変化する点だ。暖かみのある乳白色系の肌合いに、焼成過程で鉄分などが器の表面に溶け出し、青や黒のアクセントが加わる。

釉薬を薄めにかけている作品だと土のザングリした感じが器の表面に残って微妙にぬくもりを感じる。豪快すぎず、凛としすぎず、酔うための器としては最高だ。

今まで何度も産地に直接足を運んだが、風光明媚で酒も魚も美味しい。青い海と雄大な松原が印象的だが、穏やかでありながら力強くもあるあの空気が唐津焼に独特の風合いをもたらすだろう。

なんて、いっちょまえの表現をしてしまった。文化人みたいだ。

唐津は福岡から電車に乗ってボーとしていると乗り換えもなく到着する。福岡出張のついでにちょっと時間を作って足を伸ばすことをオススメします。