2016年4月27日水曜日

姫路城萌え


子供の頃、歴史が好きだった。歴女(レキジョ)ならぬ歴ガキだった。でも興味があったのは日本史だけで、世界史は苦手だった。

世界史の場合、出てくる人物の名前がカタカナだからピンと来ない。おまけに出てくる人物名は“なんとかアヌス”ばかりである。子供だったからアヌス攻めに耐えられなかったのだろう。

というわけで、義経、信長あたりの男の子が憧れる定番ヒーローに始まり忠臣蔵に萌えまくる日々だった。ちょっと大袈裟か。

同時に好きになったのが城である。あのカッコ良さ、あの威風堂々とした佇まいに惚れた。絵を描く時も城、欲しいプラモデルも城という時期があった。

10歳ぐらいの頃、母親にせがんで「赤穂と姫路城をめぐるバスツアー」に参加した。いま思えば親は大変だったろう。わざわざあんな距離をバスに揺られて行ったわけだから頭が下がる。



そんな懐かしい記憶をたどりながら40年ぶりに姫路城に行ってきた。昨年、平成の大修理を終えたばかりだ。俗称である白鷺城をもじって「白過ぎ城」と呼ばれるほど綺麗になった。

旅行好きだから世界の古い城や宮殿をいくつも見ているが、姫路城の壮麗さは世界的に見ても別格だと思う。日本人としての身びいきもあるが、それでも超絶的に美しい。ため息が出る。

江戸時代から天守閣が残っている城は日本に12カ所あるが、姫路城の威容はやはり日本一だ。さすがに日本で最初に世界遺産になっただけのことはある。計算され尽くした連立天守の美しさは、これぞ日本の美意識とうなりたくなる。



今の形の姫路城が完成したのは、戦国乱世が収まった頃だから、この城は攻められたこともなく、ここから攻めに出たこともないそうだ。

とはいえ、徳川政権の黎明期だから西国大名への睨みを効かせる意味で江戸城に匹敵する大天守を作ったという。それまで各地の城は黒色を基調にしていたのに対し、姫路城は屋根瓦の継ぎ目まで漆喰を使ったことで「白鷺」に例えられる美しさに仕上がったわけだ。


知ったかぶって書いているが、40年ぶりの訪問を前に姫路城関連本をいくつも買って読みあさった一夜漬けの知識である。

40年前はただただ「カッチョエエ~」と眺めていただけだったが、オジサマになると真剣に予習するようになる。その分、楽しみも何倍も大きくなる。やはり人間は中年以降が楽しい。

予習した知識によると、大天守と石垣それぞれの高さのバランスは最も案分比として美しく見えるように計算され、5階建て(5層)の各階の高さも見た目を考慮して微妙に変えてあるそうだ。

遠くから見た時、下から見上げた時など、どこから見ても美しく見えるように部分ごとに高さが緻密に考え抜かれているわけだ。尋常じゃない美意識の産物だと思う。

今回は晴天に恵まれ、城の周りだけで1万歩以上ブラブラした。何とも気持ちの良い時間だった。大半の旅行者が気づかないマイナーなお堀遊覧にも参加した。



短い距離をチョロチョロと和船で遊覧するだけなのだが、歩き疲れた身体にはなかなか快適だった。行政の指導とやらでヘンテコな傘をかぶらせたのは興醒めだったが・・・。

姫路城に出かける前の日は、こんぴら歌舞伎を見るために香川県の琴平にいたのだが、少し時間に余裕があったので隣町の丸亀にも城を見に行った。

丸亀城も現存天守閣を誇る地域のシンボルである。姫路城と比べちゃうと気の毒な規模だが、それでも質実剛健な佇まいである。石垣の美しさが特に印象的だった。




姫路城も丸亀城も平地の中の丘陵部分に築かれた平山城という分類なのだが、丸亀城は山城に近い感じで、天守閣まで辿りつくのにヒーヒー言ってしまった。

天守閣の中の階段もバカが作ったんじゃないかと思えるほど傾斜が急でオジサマはヘロヘロになってしまった。

やはり足腰というか体力面では40年前の少年の頃のほうが遙かに優秀だった。

「中年の頭脳に少年の脚力」。そんな状態だったら城めぐりも楽チンなのだろうが、さすがに叶わぬ夢だ。

以前から老後の趣味は「日本全国城めぐり」と決めているのだが、なによりも足腰を鍛え直さないと話にならない。

もっと無理な体位で頑張ったりしないとダメだ。

どうしてそんなオチにしてしまうんだろう。

2016年4月25日月曜日

過去フェチ 寝取られ系 一夫一婦制


ネットで一夫一婦制について調査していたら、Yahoo!知恵袋というQ&Aサイトに溢れるヘンテコなエッチ系の質問と回答を長々と読んでしまった。

(一体、私は何がしたいんだろう)

興味をひかれた内容は、肝心の一夫一婦制の問題ではなく、いわば変態性癖に関するものだ。

「彼女の過去の変態プレイの話を聞いて異常に興奮してしまった私は異常なのでしょうか?」

「妻の浮気を知ったのですが、怒りよりも現場を想像して興奮が抑えられません。これって変態なのでしょうか?」

ネット上にはそんな切なくも哀しい相談が大真面目に寄せられていて、答える人々も結構真剣にアドバイスを送っている。

なんだか不思議な世界である。でも、経歴詐称ならぬ「性歴詐称」せずに開けっぴろげに高尚な?趣味を語ることは潔いことだと思う。



それでも、特殊な趣味の世界を見知らぬ人に相談するのはどうかと思うが、私もヘンテコな性癖があるから、似たような人が大勢いることにちょっとホッとした。

私はいつから「過去話」が好きになったのだろう。男性女性に限らず、相手の過去に妙に興奮することを「過去フェチ」というらしい。

過去といっても、もちろん対象はエロ方面の経験話である。最近はNTRと呼ばれる「寝取られ系」というジャンルも脚光を集めているが、私の場合、現在進行形だとチョット抵抗があるので、あくまで過去ネタが基本だ。

そうはいっても、私にも「NTR」の素質はある。大学生の頃、親しくしていた女性が筋肉ムキムキのイケメンとどこかのプールで仲良くしていたという目撃情報を聞き、怒りよりも妙な興奮を覚えたことがあった。まさに寝取られ系である。

思えば、あの時の屈折した感情が今現在に至る変態への第一歩だったのかもしれない。

(そんなことを真面目に考察してどうするんだろう)

過去フェチのキモは妄想である。妄想するしかない。だから自由に詳細を頭の中に描くことが出来る。皆様にも脳トレとして強くオススメしたい。

相手が親しい人ならよりリアルだが、一歩間違えると嫉妬心が変態マインドとせめぎ合ってメンドーである。まあ、それこそがこの道の達人を目指すうえでは欠かせないポイントではある。

その点、ちょっと知っている人ぐらいがベストかもしれない。親しくない人のほうが逆に構えずに過去ネタを披露してくれるケースも少なくない。

私はそういう話を聞き出す能力?には少し自信がある。コツはいろいろある。でも、ここで明かすわけにもいかない。

(そんなこと自慢してどうするのだろう)

これまで数多くの人からご協力いただいて、さまざまな「武勇伝」を聞かせてもらった。目玉が飛び出そうになるほど凄まじい話も随分と聞いてきた。

それを聞いて悶々とするだけでは無意味である。皆様から寄せられた情報と似たようなシチェーションの無料エロ動画を探して一人でムホムホと妄想の彼方をさまよっている。

どんな検索ワードで探しているかは恥ずかしくて書けない。いや、ちょっとだけ書く。「面接」「黒人」、そして「廃屋で監禁」。その他もろもろである。

そんなキーワードが当てはまる「実際に起きた過去話」を聞かせてもらってきた。白状してくれた人々には表彰状と金一封を差し上げたいほど感謝している。

口ばっかりで大した経験のない私などは、自分が聖人君子じゃないかと思える。世の女性達の武勇伝を聞くに連れ、もっといろいろな世界を覗かねばならないと決意を新たにしている。

(バカですいません)

なんだかんだ言って変態かマトモなのかという線引きは非常に難しい。多数派か少数派かという基準しかないのが真理である。

変な話、「正常位」という言葉があること自体、なんだか納得できない。それ以外は「正常ではない」ということになる。

正常位じゃないのなら「異常位」である。上になったり後ろを向いたら異常ということだ。大半の人が変態という理屈になってしまう。

今日は、一夫一婦制をめぐる興味深い話を紹介したかったのだが、ただの変態仮面としての私の生きざまをさらしてしまった。

ということで、まったく脈略はないが、人間が一夫一婦制になった進化の謎を考察した2種類の話を紹介する。とても面白かった。こういう高尚なワイ談?は大好きだ。


まずは、子殺しの予防や子育てサポートという視点でのアプローチである。
http://www.afpbb.com/articles/-/2958978


続いては、細菌が原因ではないかという観点からの考察だ。
http://www.natureasia.com/ja-jp/research/highlight/10628


2016年4月22日金曜日

こんぴら歌舞伎 古典芸能

「こんぴらさん」で知られる香川県琴平に行ってきた。2年前に琴平温泉に行った際に、こんぴらさんの長~い参道は歩いたのだが、今回は歌舞伎を観ることが目的だ。

急に行くことにしたので、JTBがネット販売していた土産付きの割高なチケットを仕方なく購入。内心、どんな土産がもらえるかと期待していたのだが、どうでもいいお菓子ばかりで途方に暮れた。

さて、いそいそ出かけた理由は市川中車こと旧友の香川照之の舞台が観たかったからだ。最近いろいろ世話になったので差し入れのユンケルなどを持参して訪ねた。

場所は「金丸座」。現存する日本最古の芝居小屋で国の重要文化財だそうだ。何とも風情のある空間だった。

劇場ではなく「芝居小屋」という呼び名がしっくりくる。平場の座席であぐらを組んで観劇するのは情緒たっぷりで貴重な体験だった。


役者との距離が近いのも魅力である。息づかいまで伝わるようで、静かな場面でもかなりの迫力があった。

私のお目当ては市川中車と片岡愛之助の「あんまと泥棒」という二人芝居である。いわゆる古典モノではなく、世話物と呼ばれる分かりやすい演目だ。

ドラマ「半沢直樹」でそれぞれ主役を食うほどの熱演を見せた香川照之(市川中車)と片岡愛之助が丁々発止のやり取りを見せる。面白くないはずがない。

客席も大盛り上がり。古典芸能鑑賞中には必ず一度は熟睡する私ですら一瞬たりとも眠くならなかった。他の演目ではしっかり寝てしまったのだが・・・。



それにしても高松空港から琴平に至るまで周辺エリアのどこにでも貼ってあったポスターの写真がファンキー?でズッコケそうになった。市川中車、ちょっと気の毒である。

でも、さすがの職人芸という感じの芝居だった。自分を格好良く見せようという邪気がまったくない市川中車の良さと、勢いがあってけれん味のない愛之助の良さがぶつかり合って見応え満点だった。

わざわざ飛行機とレンタカーを使って観に行った価値はあったので大満足。相変わらずマイレージの無料航空券を使ったのだが・・・。

もともと古典芸能には興味がなかったが、そこそこ長く生きていると何だかんだと観る機会はあった。

多くの人が「とっつきにくい」と思っている世界だが、観に行ってしまえば意外に「とっつきやすい」ものであることを痛感する。

歌舞伎にしても、ほとんど現代語で演じる今回のような演目もいっぱいある。そんな芝居を選べば単純明快に面白い。未体験の人にはぜひ気軽な喜劇調の演目をふらっと観に行くことをオススメしたい。

その昔、狂言の世界で活躍する人と親しく付き合ったことがあった。狂言などまったく知識もなかったが、あれこれ教わったし、何度も舞台を観せてもらった。

狂言はいわば喜劇そのものである。思った以上にとっつきやすくて面白いものだと勉強になった記憶がある。

小学校の教科書か何かに出ていた「附子(ぶす)」という話も狂言の演目である。毒だから舐めてはダメといわれていたものが実は砂糖だったという有名なドタバタ話だ。

情念や幽玄の世界を描く能の合間に演じられるのが狂言だから、必然的に楽しい気分になる演目が多い。決して敷居の高いものではない。

これまた偶然なのだが、以前住んでいた家の隣の住人が高名な能楽師だった。お隣さんだからしょっちゅう顔を合わせるうちに能の舞台に招待してもらったり、お互い酔っ払い状態で帰宅した時に鉢合わせして、その人の家で飲み直したこともある。

その後、その人は人間国宝になった。私が思っている以上の凄い人だったみたいだ。酔っ払って平気で古典芸能談義?をふっかけていた若き日の自分がかなり恥ずかしい。

狂言の人、能の人、歌舞伎の人。それぞれに接点があったのだから、もっと真面目にそっちの世界を研究していれば、今頃は古典芸能評論家としてブイブイ活躍できたかもしれない。ちっとも向学心がなかったことを反省している。

後悔先に立たずである。



結局、今回もさぬきうどんと骨付鶏の画像がシメである。香川県の誇る2大グルメ?である。

食欲という煩悩が私の人生の大半を占めているような気がする。

2016年4月20日水曜日

教訓があるのなら


熊本を中心に九州各地で被災された方々に心よりお見舞い申し上げます。



東日本大震災から5年、良くも悪くもあの時の教訓はたくさんあるので、救援、復興活動が少しでもスムーズに進むことを願うばかりだ。

5年前、いわゆるモヤモヤ病みたいな感覚に陥った人は多い。私自身も多少そんな心理状態になったが、被災された当事者のことを思うと他の人がモヤモヤしていても始まらない。

街角の募金やコンビニのレジ横の募金箱に小銭を入れることだって尊い。何も出来ないなどと自分不信にならないようにしたいものだ。

わが社の新聞のコラムでも書いたことがあるのだが、俳優の杉良太郎さんの印象的な発言を紹介したい。東日本大震災の被災地への支援を「売名ではないか」と尋ねられた際の答えだ。

「ええ、偽善で売名ですよ。偽善のために今まで数十億を自腹で使ってきたんです。私のことをそういうふうにおっしゃる方々もぜひ自腹で数十億出して名前を売ったらいい」。

言い得て妙とはこういうことだろう。杉さんはこうも言う。

「1億3千万人で売名しましょう」。

その通りだと思う。思惑や狙いなんてどうでもいい。実際に支援することだけが正義だ。

話を変える。

5年前、このブログでも支援に関する話をいくつか載せた。

売名だろうと、はたまた節税が目的だろうと義援金を出すこと自体が尊いといった話などを思いつくままに書いていた。

いまも思いは同じなので、再度いくつかの話を載せたい。不謹慎だと言われるようなことでも結果的に被災地の助けになるのなら何でもやればいいと思う。


義援金でトクをする?


明るい気

普通に戻る



2016年4月18日月曜日

豚しゃぶは蕎麦つゆ 美らしゃぶ亭


牛肉が重たく感じるようになった私にとって、しゃぶしゃぶは豚が絶対である。
牛のしゃぶしゃぶはもう何年も食べていない。怪しいシャブは一度も経験がない。

豚しゃぶなら今でもガンガン食べられる。トンカツの時にはちょっと敬遠したくなる脂身も、豚しゃぶだとクドさを感じずにウホウホ食べる。


ポン酢やゴマだれではなく、蕎麦つゆで食べる豚しゃぶが最高だと思う。私の信念である。

個人的な意見だが、ポン酢もゴマだれも自己主張が強い感じで主役の肉を押しのけてしまう印象がある。牛よりも爽やか?な豚しゃぶの場合、とくにそんな気がする。

その点、蕎麦つゆは優秀である。あくまで脇役としての立場を自覚して、豚肉閣下の邪魔にならないようにしっかり支えている感じだ。

というか、蕎麦つゆ自体のダシのような味わいは豚肉本来の旨味と甘味を引き出す作用があるのだと思う。

10年ぐらい前だったか、豚肉天国である鹿児島を旅した際に「豚しゃぶと蕎麦つゆ」という最強の組み合わせを初めて知って感激した。それ以来、かたくなに蕎麦つゆ派である。


銀座8丁目にウマい豚しゃぶ屋がある。その名も「美らしゃぶ亭」だ。昨年オープンした極上の豚肉を味わえる店だ。万人ウケする美味しい店だと思う。

中学高校時代の後輩が本業とは別に経営する店だが、そんな身びいきで誉めているわけではない。単純明快にウマい。

常時、5~6種類の上等な豚肉をラインナップしている。店名の通り、沖縄産の銘柄豚を揃えているのだが、どれもバラ肉、ロース肉それぞれが旨味たっぷりでハッピーだ。

豚しゃぶ以外は沖縄料理がアレコレ用意されている。ラフテーもウマいし、焼きテビチ(豚足)もウマいし、突き出しのキャベツに付いてくる肉味噌まで抜群にウマい。

店のオーナーである後輩の人脈の広さのせいで、スポーツ選手やプロ格闘家など「モリモリ食いそうな人達」もしょっちゅう見かける。

先日訪ねた時も隣の席でオリンピック柔道金メダリストとJリーガーがモリモリ食べていた。

もちろん、ガッチリもっさい系のお客さんだけでなく、場所柄、着物姿の綺麗どころもチラホラ。みなさん楽しそうに「しゃぶパーティー」を楽しんでいる。


この店の豚しゃぶには、蕎麦つゆ、シークワーサーポン酢、シークワーサー塩ポン酢という3種類のつけだれが用意される。どれもそれぞれ美味しいが、当然、私は蕎麦つゆだ。

有難いことに頼んでもいない野菜がセットで出てくることはない。あくまで肉単体でオーダーできるのが嬉しい。3~4人で行っても野菜は一人前といったワガママな注文も普通に出来る。

豚しゃぶのシメには沖縄そばか雑炊が用意されている。いつもそこまで食べきれない私はいまだに未体験。極上タマゴを使った「TKG」しか食べたことがない。


大衆的な価格の店ではないが、内容を思えば納得の値付けだろう。どうでもいい牛肉のしゃぶしゃぶをどうでもいいお仕着せのコース仕立てで食べさせられるよりも遙かに価値があると思う。

上質かつ正しくウマい豚しゃぶと一品料理を堪能して、豊富に揃った酒を陽気に飲んで過ごす。大人が快適に憩える店だと思う。

なんだか今日は淡々とお店を誉めただけで終わってしまった。

今度後輩に一杯おごってもらおう。

2016年4月15日金曜日

水中撮影ノスタルジー


その昔、誰でも持っていたのが「写るんです」。最近になってジワジワ人気が再燃しているそうだ。


使い捨てカメラとも呼ばれていたが、正確に言えばカメラではない。レンズ付きフィルムである。観光地でカメラを忘れてもそこら中で売っていた。お世話になった人は多いだろう。

いまだに販売されていたこと自体に驚いた。写真といえば今やスマホでパシャッが定番だ。「写るんです」の復権は「味わいのある写真」を求める一部の人が支えているらしい。

ちょっと分かる気がする。

30年前、私が水中写真に興味を持ち始めた頃はデジカメという夢の機械が登場することなど想像もしていなかった。

もちろん、電話が小さくなって持ち運びできて、おまけに写真まで手軽に撮れちゃうことなど夢にも思わなかった。

水中撮影に励む時も、せっせとカメラにフィルムを装填して、最大でも36枚しかシャッターを押せない制約の中で一生懸命撮影した。

当然、現像するまで出来映えが分からないからカメラやストロボの細かい設定を間違えて、ほとんどの写真がダメになっていたこともあった。




20年ほど前、マレーシアのマブールという島に2週間滞在して毎日毎日アホみたいに潜り続けたことがある。帰国後、写真屋さんに持ち込んだフィルムは60本以上。現像代を払うために貯金をおろしに行った記憶がある。

なんだか今と比べるとまったく別な星の話みたいだ。


お金もかかった。水中写真は特殊な環境ゆえ撮影機材次第で出来映えが大きく左右される面がある。当時は自由になるお金の多くをそっち方面に投入していた。

にもかかわらず、気づけばデジタル時代に突入。アナログから移行するには莫大なコストをかけた撮影機材を捨てるハメになる。しばし踏ん張ってみたのだが、結局ムダな抵抗だと悟り7年ほど前にデジタル一眼に移行した。

撮影枚数の制約もないし、撮影した画像をその場でチェックできる。あきれるほど便利になって喜んだのだが、なぜだか、それからしばらくして撮影意欲が低下。最近では1年に1回出かけるかどうか。すっかりヘタレ状態になってしまった。

他にやることも多いし、体力的なこともモチベーションが下がった原因だが、水中撮影を昔より面白く感じなくなってしまったことも大きな理由だと思う。

変な話、熱くなっていた当時はフィルム時代の不便さを楽しんでいたのかもしれない。性格的にMだし・・・。

その場で撮影結果が見られない、シャッターも36回しか押せない。当然、水中でフィルム交換は出来ない。とにかく1枚1枚を大事に撮影していた。そんな制約の中で一発勝負みたいな感覚で苦悶しているのが楽しかったのだろう。

やはりドMである。




今日ここに載せた画像はすべてフィルムで撮影したものだ(クリックで拡大されます)。データ化した際に画質の劣化はあるものの、フィルム写真としての風合は残っていると思う。

冒頭で書いた「写るんです」の話も、結局はデジタル写真の「ヴィヴィッド過ぎる感じ」とは異なる風合を求めた結果だろう。

個人的な意見だが、デジタル写真には、シャープ過ぎる感じ、キンキンした感じがつきまとう。フィルムのほうが良い意味でヌルい感じ、ユルい感じが漂う。



もちろん、イマドキのデジタル写真は撮った画像の雰囲気や風合をさまざまにアレンジできる機能も当たり前のように付いている。

いとも簡単にヌルくもユルくも出来ちゃうわけだ。でも、うがった見方をすれば、そんな機能が必要なほど元になる画像がカッチカチということなのかもしれない。

まあ、ぜんぶ私の先入観とノスタルジーが入り交じった主観である。トンチンカンなことを書いていたらご容赦願いたい。




すっかり懐古趣味みたいな話になってしまった。

「昔はよかった」とか「俺たちが若い頃は」などと得意になって語るジジイになるのはイヤだったのだが、どうやらそっちの路線バリバリである。

いかんいかん、現役でブイブイ頑張るには後ろを振り返っている場合ではない。

水中に潜らなくなった変わりに、シーツの海に潜って怪しい画像をせっせと撮影することにしよう。

2016年4月13日水曜日

霊的な力 妖精の話


謎の占い師さんに会ってきた。昨年の夏頃に行ったきりなので9ヶ月ぶりの訪問だ。

その占い師さんは、四柱推命や易などをベースに方位などにも詳しい。それだけなら普通なのだが、霊視みたいな能力を融合させて色々なものを見抜く特殊な人である。

まあ、スピリチュアルな部分がキモである。

信じるか信じないかはアナタ次第です!って感じだが、私は63%ぐらい信じている。

過去にインチキ占い師にも遭った経験がある。一番ひどかったのはダウン症の我が息子を「直せる」と言い切ったバカだ。

病気や症状だと勘違いしていたのだろうか。そんなことが可能なら私だって金髪で青い目の白人になれちゃう。きっと馬を牛にすることも出来るのだろう。

話を戻す。久しぶりに訪ねた占い師さんの話だ。都合の良い部分だけを受け入れて、一種のカウンセリングのように活用するのが丁度いいと思う。

今回も、9ヶ月ぶりだというのに、こちらから話し始める前に、娘のことをズバっと言い当てられた。母親との関係性というか、娘の現状の結構細かい内容である。

笑っちゃうほどピントが合っている指摘に改めて驚いた。なかなか面白かった。

ウソかホントか、元嫁の考えや思惑なども随分と解説された。それに関連して私と子ども達との向こう数年間の関係性、距離感の流れを観てもらった。私にとっては悪くない話だった。

変に高いお金を取られるわけではなく、もちろん、変な壺を売りつけられるわけでもない。前向きな気分転換になるので時々は通い続けようと思う。

その占い師さんと私の間には今までもちょっとばかりスピリチュアルな現象があった。その人によると私も少しだけソッチ方面の感度が高いそうで、それが諸々の現象の理由らしい。

とはいえ、お化けも見たことがないし、何も予知できない。強いて言えば「なんとなく何かを感じる」という実にチョロっとした感度でしかない。おそらく誰にでもある第六感ってヤツだと思う。

スピリチュアルみたいな感度は誰にでもあるのだろうが、当然その強弱はさまざまだ。

その占い師さんみたいな人が10だとして、普通の何も感じない人が1だとする。せいぜい私は2ぐらいである。たまにお化けが見えちゃう人は5、しょっちゅう見えちゃう人は7とかそんな感じだろう。

聞くところによると誰もが幼い頃には、説明がつきにくい「感度」を持っているらしい。幼い子供にしか見えない「何か」が存在するという話はよく聞く。

母親によると私も幼い頃はしょっちゅう「怖いもの」を見て泣いていたそうだ。

私の娘もいつもナゾの話をしていた。最初は冗談だと思っていたのだが、くり返し聞くうちにどうやらウケ狙いの話ではないと思えるようになった。

娘が見ていたのは「怖いもの」ではなく、小さな人形ぐらいのサイズの女の子だとか。娘がトイレに行くとちょこんと隅のほうにいるという。

娘は怖がるわけでもなく、普通に仲良く友達付き合いをしていたらしい。ちゃんと名前もある。時々は子供部屋にも現れたそうだ。そのうち、その「友達」は妹も連れて現れるようになったようで、ごくまれに外出先でも出会うこともあったとか。

「気のせい」の一言で済ませるのは簡単だが、「気のせい」の「気」には「霊気」だって「妖気」だってある。

その後、成長した娘はさすがに「友達」を見る機会はなくなった。でも、もうすぐ15歳になる今でも、その「友達」のことを鮮明に覚えていて、楽しく会話したことなどをはっきり思い出せるという。

ちょっと怖いような不思議な話である。

娘にもそれなりにスピリチュアルな感度があるのだろうか。時々、変な声を聞くことがあるとも言っていたし、私が2だったらアイツは2・5ぐらいかもしれない。

お化けがどうこうではなく、個人的には「得体の知れないこと」はあると思う。スピリチュアル的なことを信じる、信じない以前に、ごく単純に「わけのわからんことはあるもんだなあ」と本能的に思う。

それでいいと思う。必死になって科学的に解明したり、頭から全否定する必要もないだろう。

何気ない暮らしの中の習慣だって、「わけのわからんこと」に左右されている。

仏壇に手を合わす、お墓参りに行く、お盆の迎え火や送り火、はたまた初詣やお宮参りに合格祈願、はたまた節分の豆まきや恵方巻きだって、すべて言ってみればスピリチュアルな行為である。

霊的なこと、スピリチュアルっぽいことすべてを否定するなら、そうした日常的な行為も全部ムダで無意味なことになってしまう。

今日はオチがないから、私の不思議体験を紹介して終わりにしたい。

沖縄で撮ってしまった水中心霊写真の話は怖すぎるからパスして、とある温泉宿の話。

あてもなくドライブ旅行に出かけた若い頃、長野県の某所で民宿に毛が生えた程度の安い旅館に泊まった。

旅の疲れで眠りに落ちたのだが、隣の部屋のワイワイ騒ぐ声がうるさくて何度も目が覚めてしまった。男性が3~4人で酒盛りしているらしく、そっち側の壁を蹴っ飛ばすとしばらく静かになる。でも、そのうちまた騒がしくなるという繰り返し。熟睡できずに朝を迎えた。

部屋を出たときに唖然とした。私の部屋は建物の一番端っこだった。もちろん、私が蹴っていた壁側には部屋など無い。

ゾっとした。

でも、壁を蹴ったら静かにしてくれる幽霊って何なんだろう。今も不思議に思う。

2016年4月11日月曜日

銀座のクラブ 同伴 アフター


夜のクラブ活動につきものなのが「同伴」、「アフター」である。店に行く前や店がハネたあとにオネエサンと食事に行くことを意味する言葉だ。

同伴と言っても客である男達が意気揚々と女性を同伴するわけではない。あくまでオネエサンに「同伴される」わけだ。

「する」と「される」では微妙に違う。世の男性陣の悲しい?現実である。

聞くところによると、夜の世界で今のような同伴出勤の制度が確立されたのは40~50年ぐらい前だとか。

それ以前の「カフェの女給さん」の頃からあるにはあったらしいが、同伴ノルマを達成できないと罰金というシステムになったのが昭和40年代以降だとか。

ということで、私も時々は同伴に付き合う。正直に言って、シラフで綺麗な女性と二人で食事をするのは苦手だ。余計な妄想で頭がいっぱいになる。

アフターなんてもっと苦手だ。同伴なら、その後で店に行くわけだから事務的な雰囲気もある。アフターは店が終わった後だから妄想が止めどなくふくらんで余計な所までふくらみそうになる。

だから滅多なことでは付き合わない。だいたい深夜になると激しく眠いのでそれどころではない。


この画像は5年ほど前の春、綺麗どころと同伴メシの前に花見に立ち寄った時のもの。花びらで彩られた着物と千鳥ヶ淵の桜の組み合わせだ。

何とも良い雰囲気で気にいっている画像なのだが、明るい時間にこういう格好の女性を連れ歩いていたせいで他の花見客の視線がグイグイこっちに向けられて参ったことを思い出す。

オネエサン達の事情はさまざまだ。完全売上制の女性もいれば、細かなノルマを課せられる女性もいる。1ヶ月での同伴回数や同伴以外でも自分が呼ぶお客さんの組数など結構細かく決まっている。

ノルマのせいで罰金を引かれまくって雀の涙ほどの給料になってしまう悲惨な女性もいる。

そんな事情のせいかは知らないが、「肉弾同伴」みたいな話も耳にする。お色気攻撃である。まあ通常の自由恋愛ならとやかく言う話でもないが、「営業」のためにソッチ方面で努力する話も無くは無い。それも現実だ。

冒頭で同伴のことを「食事に行くこと」と書いたが、より正確に表現するなら「食事等に行くこと」である。「等」がポイントである。

実際に仕事で付き合いのある紳士のムフフな場面を銀座近辺の某ホテルで目撃したことがある。見るからにその筋の女性と変な時間に客室階に向かって行く姿が勇ましく見えた。「食事」ではなく「食事等」のパターンだ。

まあ、食うか食われるかという意味では「食事」みたいなものかもしれない。

私の場合、そんな事件に?遭遇するわけではないが、以前、完全個室の怪しいカラオケボックスを同伴の待ち合わせ場所に指定されて煩悩の海に沈められたことがあった。深夜のアフターでなぜか人のいない工事中のビルに潜り込んだこともある。

それぐらいである。

本当です。一応そういうことです。

話が逸れた。同伴がテーマである。

なんだかんだ言って、その後、高い酒場に連行されるのに、その前に食事まで御馳走させられるわけだから男にとっては大変である。

男の切なさ、いじらしさ、いや、単なるアホさを象徴する謎の仕組みだと思う。

今でこそ「同伴」という言葉に恐れおののいている私だが、青春時代には「同伴喫茶」のせいで「同伴」という言葉に熱い血潮を沸き立たせていた。

いつのまにか消滅してしまった同伴喫茶だが、私が高校生の頃にはまだまだ健在だった。半個室のような造りで男女がイチャイチャしたり、それ以上の展開に励む場所だった。

消防法だか建築関連法の関係で、個室といっても完全密閉ではなく壁と天井の間が少し開いていた。隣の会話も聞こえてしまうヘンテコな空間だった。

ある時、可愛い女の子と同伴喫茶でこの国の未来を語り合っていた時のこと。お金が足りずに帰るに帰れなくなったことがある。必死で対策を考えたあげく、壁の上のその開いたスペースから金欠の窮状を訴えるメモを隣席に放り込んだ。

不足していたのはわずかに500円ぐらいだったのだが、しばらくしたら無言になった隣の席から壁越しに硬貨が飛んできた。物凄く有難かった思い出だ。私にとっては銭形平次なみのヒーローだった。

あれから35年。あの人達は今も元気に頑張っているだろうか。顔も知らない人に助けられたことで人の世の情けを学んだ高校生時代の私である。

そんな可愛い少年だった私も、歳を取るに連れ「うなじとウナギ」とか言って変な画像を撮影してウホウホ鼻の穴をふくらませている。諸行無常である。


同伴喫茶は消滅し、同伴といえば、夜のクラブ活動専用の言葉みたいになってきた。そのせいで、ネット上のレストラン情報に表示されている「同伴不可」がペットの意味だと気づかず、オネエサンとの同伴を規制している店だと解釈したマヌケな私である。

本気でバカだと思う。

銀座の場合、多くのクラブが同伴での出勤時間は8時半。遅刻するとせっかく同伴してもオネエサン達にはペナルティーが科せられる。だから8時25分頃の銀座8丁目界隈はかなり賑々しい雰囲気が漂う。

上機嫌で綺麗どころと連れだって歩くオジサマ達は「義理」か「愛情」か「下心」のいずれか、もしくは「夢」を心に抱いてそれぞれの店に消えていく。

そんなさまざまな感情が入り交じった8時半前後のあの街の空気が割と好きだ。

なんだか情念が渦巻いている感じがして、眺めているだけで変なアドレナリンが出そうになる。

2016年4月8日金曜日

ラーメン ほりうち 知味斎 珍宝館


ファストフードの王者と言えばラーメンだろう。世の中、ラーメンで一喜一憂している人が大勢いる。純然たる国民食であり、もはや文化と呼んでも大げさではない。

と言いながら私はあまりラーメンを食べない。理由はただ一つ。コメが好きだからである。

酔っ払ったあとのシメというか、「後悔する余分な一食」も私の場合はラーメンより丼モノを選ぶ。

どうせ太るなら麺よりコメだ。先祖代々からの言い伝えである。ウソです。

私の友人にラーメンのせいで身を持ち崩した男がいる。彼が精魂込めて書き続けている何の参考にもならないラーメンブログが開設1周年を迎えた。

http://blog.livedoor.jp/kin_nosuke/

毎日のようにラーメンである。塩分摂取過剰で彼が早死にしてしまうのが残念でならない。

先日、彼のブログを参考にラーメンを食べに行く機会があった。

とある日の夕方、虎ノ門方面で難しい相手との会合があったのだが、終了後はお疲れモードのせいで銀座に出る意欲が湧かず、かといって近くの新橋で「焼きとん&ホッピー」の気分でもなく、トンカツもウナギも食べたくなかった。

要は酒を飲みたくない日だったわけだ。

熟考すること5分ほど、脳裏に「ラーメン」が浮かぶ。最近、彼のラーメンブログに「新橋にチャーシューがゴロゴロ乗ったラーメン屋がある」と書かれていたので、そこに行くことに決定。

で、スマホに向かって「新橋 チャーシュー ラーメン」という検索ワードを入れてみた。

結果、ゴロゴロとチャーシューが乗ったラーメン画像が載った食べログか何かの情報が出てきた。住所をチェックしていそいそと向かう。

「ほりうち」という店だった。空いている席に座り、チャーシューがゴロゴロのラーメンを注文。待ち時間に友人のブログを見直してみる。

うん?違う店だ。ヤツが気が触れたように紹介していた店はここではない。「満来」という店だった。

http://blog.livedoor.jp/kin_nosuke/archives/1051250086.html

心の底から友人のブログが「ちっとも役に立たない」ことを痛感する。違う店に来てしまったやんけ?ボケ!と心の中で恨み言を叫ぶ。

要するに、彼のブログが検索結果の上位に表示されなかったことが私の誤りの唯一の理由である。やはり彼の責任である。

どんな検索ワードで調べても常に検索上位に表示されるように彼のブログには一層の奮起を期待するものである。

で、「ほりうち」のラーメンである。


チャーシューがゴロゴロ入っていた。それだけで嬉しい。薄切りで脂身ばかりのデロデロしたチャーシューは苦手だ。

「とろとろチャーシュー」などと称していると敬遠したくなる。その点、こちらの店ではグワシっとかじれるチャーシューだったからハッピーだった。

昔のごく普通の醬油ラーメンだった点も保守的なオジサマには有難い。最近は、泥みたいなスープを有り難がる風潮があるようだが、あれは大人の食べ物ではない。

つけ麺も意味不明な感じがする。ぬるいし、どうにも中途半端なのであまり興味が湧かない。個人的な意見です。スイマセン。

やはり、奇をてらわない昔ながらのラーメンにホッコリする。


こちらは担々麺である。担々麺に関しては、いわゆる「ニッポンのラーメン屋」よりも「四川料理がウリの中華料理屋」で食べるほうがウマいと思う。

最近、担々麺の名店としてネット上で評価が高かった湯島のラーメン屋さんに行ってみたのだが、パッとしなかった。

辛いだけで旨味が足りなくて、担々麺と言うより“山椒麺”と名付けたほうがいいと感じた。

この画像の担々麺は、練馬側の江古田の外れにある街場の四川料理屋「知味斎」という店の一品である。

以前、この店から遠くない場所に住んでいた際に何度も訪ねた店だ。街場の冴えない(スイマセン)店なのだが、かなり本格的でウマい料理を出す。

先日、数年ぶりに担々麺を食べに行ったのだが、相変わらずのウマさだった。担々麺が好きで近所に住んでいたら是非行くべき店だと思う。


以前はなかった肉糸担々麺なるメニューも頼んでみた。担々麺に付きものの挽き肉の代わりに豚肉とザーサイなどのピリ辛炒めがドカンと乗っていた。これはこれでウマかった。

まあ、普段あまりラーメンを食べないくせにアーだコーだ書いたところで説得力はない。

ラーメンについても自分なりの主張を展開したいところだが、世の中のラーメン好きから非難されるのが恐いからおとなしくしていようと思う。

2016年4月6日水曜日

「竹馬の友」の有り難さ


友がみな われよりえらく見ゆる日よ
花を買ひ来て 妻としたしむ


石川啄木の有名な短歌である。若い頃の啄木がくすぶっている自分の心境を表した歌だ。

若くもないのに最近、つくづくそんな心境になる。友が偉く「見える」わけではなく、実際に偉いから、そんな心境になる。

私の場合、独身貴族だから花に親しむ相手がいないので、くすぶらずにひとり酒を飲むぐらいである。やはり、この歳になると、人の値打ちは結局のところ人間性に尽きるということを痛感する。

啄木が詠んだ「偉い」は若い時代だから、名のある会社で頑張っているとか、稼ぎが良いとか、そういった表面的な要素を指しているのだろう。

私が感じている「偉い」はそういう部分ではない。50歳も超えてくると、社会的地位の面でズンズン偉くなった友人も少なくない。それはそれで素晴らしいが、それよりも高邁な人格というか、心根の部分の高潔さに触れると凡なる自分を反省したくなる。


先月、ここでも書いた俳優の香川照之の話もそうだが(http://fugoh-kisya.blogspot.jp/2016/03/blog-post.html)、先日も、中学高校時代のつながりの有り難さを痛感した。

私の近親者の医療対応でバタバタするなか、とある旧友が実に穏やかに、かつ迅速丁寧にピンチを救ってくれた。

脳外科における先端医療分野で活躍する彼はテレビなどのメディアにも引っ張りだこ。要するに物凄く多忙な男なのだが、常識外れの時間に急に連絡を取った私に快く対応してくれただけでなく、現場に的確に指示を出してくれた。

その後は自ら動いてくれて完璧なケアを施してくれた。まったくもって頭が下がる思いだった。

「凄い先生」という世間の評判をひとつも鼻にかけることもなく、極めて親切に親身に患者の立場に立った目線で対応してくれた。

まごうことなき人格者である。

私自身、かかりつけとして毎月のように彼のところに通いたいものだが、彼の専門分野が高度すぎて非常時ぐらいしかお願いする機会が無さそうなのが残念である。

まあ、非常時なんて無いほうがいいのだが、それでも彼に診てもらいたいと思えるぐらい人間的に尊敬できる人物だと思う。

旧友のつながり。日常の中で意識する機会はないが、これほど得がたいものはない。当たり前だが、どんなに頑張ったって今から作れるものではない。

20代、30代の頃には気付かなかったが、やはり子供時代に付き合いが始まった面々との関係には一種独特の空気感がある。

母校がさほど規模の大きくない一貫の男子校だったせいで、それぞれがそれぞれの道に進んだ後でも「同じ釜のメシ」的な意識が強いのかもしれない。

癒やしだのやすらぎだの、そんな感覚ではないのだが、独特の安心感みたいな関係といったところか。やはり何も利害関係がない幼い頃に知り合ったという一点が大きいのだろう。

私自身、今も付き合いがある大学の友人はほぼ皆無である。旧友といえば、結局は小中高を過ごした母校の面々だ。

20代の頃、何度もバカ騒ぎ旅行に出かけた面々もそうだし、30代の頃に草野球に励んだメンツも、40代で始めたオヤジバンドのメンバーもそうである。


先日、やはり旧友が営む神田の「その田」で「お座敷天ぷらの夕べ」を開催した。そう書くと格調高いが、開始後20分も経ったらただのバカ騒ぎである。

50ヅラの男達が10代の頃と一つも進化していないアホ話を繰り広げるわけだから、ヨソの人が見たら異常な世界かもしれない。


目の前で天ぷらを揚げてくれる旧友は、さすがに真剣に仕事師としての顔を見せる。にもかかわらず、客側に座る我々は真面目に「食」を語ることなど一瞬もなく、延々とバカ話だけに没頭する始末。

いつ包丁が飛んでくるかと内心ビビっていたことはナイショである。

その後、1時間3000円という大のオトナが行ってはいけない?キャバクラに流れ、案の定とっととシッポをまいて退散。そして居酒屋で三次会。

深夜の居酒屋で交わした会話は100%がワイ談。中学生の放課後レベルかそれ以下の内容で、まかり間違っても大人になってから知り合った人とは絶対にしない下品かつ低レベルな話ばかり。

でも、それこそが旧友との付き合いの楽しい部分である。大人になってから親しくなった人とは、エロ話で盛りあがるにしても、どこか大人としてのブレーキがかかる。

言葉の使い方や相手の反応にちょっとは気を遣う。相当親しくなっても、そんな「大人ブレーキ」が働くわけだが、小学校や中学校から気心が知れた関係だと、ノーブレーキだ。アクセルだけである。

ふだんは先生だの社長だの呼ばれている面々が気軽に暴走できるのも同じ場所から巣立った安心感があるからだろう。

50歳にもなれば、それぞれが想像以上に厄介事や葛藤を抱え、世間様の荒波の中で何とか折り合いをつけながら生きている。

そんな日常の合間に、小学校や中学時代の微笑ましくもケッタイでゲスな話を肴に酒を酌み交わす。結構貴重な時間だろう。

20代30代の頃とも違う、おそらく60代70代の頃とも異なる「ユルユルと解放される時間」を味わえるような気がする。

思えば10年ぐらい前のmixiからその後のFacebookといったSNSが活性化したことも旧友とのつながりがうまく保たれている一つの要因だと思う。

それ以外に、我々の場合、やはり小学校から高校まで一緒だったIT関係の仕事に携わっている旧友が、退学や留年した面々まで含めて広範な連絡先付きの同級生メーリングリストを整備してくれたことが大きなポイントだ。

連絡先の整備だけでなく、時々、各界で活躍する旧友の近況などが情報として流れてくる。私の場合、オヤジバンドのライブ告知を案内させてもらうぐらいだが、おかげで、結構な人数の同級生が覗きに来てくれる。実に有難い。

便利な時代に生きていることを実感するが、そうした便利さだって、誰かが頑張ってアレンジなりカスタマイズしなければ狭い世界でのネットワークとしては有効に使えない。

やはり、リスト整備や管理を引き受けてくれている旧友の存在が非常に大きいのだろう。

もう人生後半戦だから、みんながヨレヨレになる前に感謝状を贈呈することを真剣に検討しないとなるまい。

2016年4月4日月曜日

ランボルギーニのスニーカー


今日はスニーカーの話。運動靴である。

スニーカーが世の中にあふれ出したのは70年代の終わり頃だったと思う。単なる運動靴だったものが格好いいアイテムに変化したわけだ。

当時、中学生で色気づき始めた私もコンバースなどに憧れた覚えがある。今のようにカラフルで超絶的デザインのスニーカーは無かった。今に比べればかなり地味で、ちょっとしたラインやワンポイントにオシャレ感が漂っていた。

中学生の頃、キャンバス生地のコンバースを手に入れた私は、わざわざ原宿まで靴ヒモを買いに行ったことがある。

スニーカーの靴ヒモは白色一辺倒だった時代である。ブルーの靴ヒモが欲しくてもそこら辺で売っていなかったのでノコノコ原宿まで行ったわけだ。

靴ヒモをわざわざ色付きに変えるという行為が物凄くカッチョいいことに思えた。
実に牧歌的な?昭和の話である。

その後はデッキシューズやコインローファー、はたまたウェスタンブーツまで手を出すようになり、スニーカーへのこだわりは薄らいでいった。

今の歳になってデニムにスニーカーというのもシックリこないので、すっかりスニーカーとは縁遠くなった。

そうはいっても「本格紳士靴大好きオジサマ」としては、オトナっぽいスニーカーを見るとロクに履きもしないのに欲しくなってしまう。


先日行った香港で自分用に買ったのは「ランボルギーニのスニーカー」である。ランボルギーニがファッション分野にまで進出しているとは知らなかったが、偶然見つけたショップで全品70%引きのセールをしていたので、つい目にした一足を買ってしまった。

いつもは「イギリスかイタリアあたりの老舗の専業紳士靴メーカー」の靴こそ絶対だと思い込み、スニーカーもそうした老舗ブランドの逸品に惹かれる。なのになぜだか「ランボルギーニ」である。まるで脈略がない。

大幅値引きのせいで1万円ちょっとで買えた。定価で買いたいとは思わないが、セールのおかげで「ランボルギーニの運動靴」というアマノジャク的購買意欲がそそられてしまった。

ヨーロッパのセール時期などに私がドバドバ衝動買いしてしまう靴はスーツに合わせるオーソドックスな紐の革靴である。ただ、その手の紳士靴店で見かけるスニーカーに一目惚れすることもある。

スニーカーは運動靴である。だったらアシックスとかミズノのカッチョ良くて機能性にも優れるものを買えばいいのに、ついついブランド名に惹かれてヤケに高い運動靴を買って後悔したことが何度もある。


履き古したこの靴はイタリア・ボローニャを拠点とする伊達オヤジ靴メーカー「ステファノ・ブランキーニ」である。

新品の時は独特な渋い風合いがバッチグーだったのだが、何年も履いているうちにヨレヨレである。スーツ用の革靴はマメに磨いて手入れするのに、スニーカーは放ったらかしにしちゃうのが私のダメな点だ。

スニーカーは履き古してこそナンボ、といった子供時代の習性が影響しているのだろうか。

今の世の中、エルメスだろうがジョン・ロブだろうがベルルッティあたりでもスニーカーをラインナップに加えている。運動靴のくせに10万円を軽く超えるようなオッタマゲも存在する。

さすがにその手のスニーカーは履き古すような路線ではないのだろう。でも、それってスニーカー、すなわち運動靴として本末転倒なような気もする。悩ましい問題だ。


これは今の私のお気に入りである。フランスの「マシュー・クックソン(MATTHEW COOKSON)」というメーカーのスニーカーだ。

パリの6区、7区あたりに店を構えているのだが、ちょうどその近辺に宿を取るので、パリに行った際には覗きたくなる店だ。しっかりした洒落た靴を作っている割にバカバカしく高くないのも魅力。

これは一昨年のパリ旅行の際に買った時の画像だが、新品の頃は色合いが官能的だった。ただ眺めているだけでワクワクした。

近所の散歩などにはなるべく使わず、一応大事に履いていたのだが、そろそろ元気がなくなってきた。ちゃんと手入れしないとヨレヨレの末路を辿りそうである。

まあ、そんなシケシケしたことを言わずに10万円のスニーカーをポンポン履き潰すような豪快な性分を目指さないと「富豪」への道は遠い。


ちなみに、靴とは無関係だが、最近買った私のお気に入りが「セブンイレブン傘」である。香港で雨に降られた時に、道行く人々が使っていたのを見て一目惚れした。70㎝サイズでワンタッチオープンのスグレモノである。

日本円で900円ぐらいだった。こんなものを嬉々として使っているようでは、やはり「富豪」への道は遠い。

2016年4月1日金曜日

おひとりさま中高年


この世に生まれて半世紀も経つ。人生の折り返し地点は過ぎ、まさに後半戦である。

平均寿命を考えれば、まだ30年ぐらい残り時間はあるが、ヨレヨレになってからの余生を除くと、果たしてあと何年ぐらい現役でいられるのだろうか。20年か10年か。いずれにせよアッという間だろう。



一人暮らしをしていると、必要以上にそんなことに思いを馳せる。いまさら誰かと暮らす予定はないので、いずれ「おひとりさまの老後」とやらに直面する。意味不明な画像でスイマセン。

一人でいるのは若い頃から好きなので、それ自体は問題ない。好き勝手に過ごせるし実に気ままである。健康であれば何も支障はないのだが、あちこち身体が言うことをきかなくなった時に一人でいるとどんな感じなのかは不安になる。

かといって、世話になるためだけに誰かと暮らすのも変な話である。トンチンカンだ。こっちが思っているように世話になれる保証はないし、逆にイビられるハメになったら堪ったものではない。

やはり介護付き高齢者施設の権利を早々に確保するぐらいの計画性が必要なのだろうか。10年、20年なんてアッという間である。呑んだくれていないで、そういう問題を真面目に考えないといけないのかもしれない。



「願わくば 花の下にて 春死なん」。

西行法師の歌をつぶやきながら桜を眺めている今日この頃である。陽気のせいでおかしくなっているのだろうか。

さて、普通に家庭に暮らす50歳の人は老後問題をどのように想像しているのだろう。伴侶がいようといまいと老化には勝てないわけだし、お互い年を取ればどちらが介護される側になるのか分からない。

どちらかがそんな事態になった時に夫婦不仲だったらどうなるのだろう。考えるだけでゾッとする。でも、今の日本にはそんな現実がゴロゴロしている。

最期の瞬間にどういう境遇でいられるのか。こればかりは努力や鍛錬で何とかなる話じゃないから恐い。どっかの宗教にでも頼ってみようか。ヤバいヤバい。そんな心境が怪しい宗教に引っかかるきっかけになるのだろう。気をつけようっと。

さて、今の世の中、おひとりさまにとっては非常に暮らしやすい環境だ。都市部ならば24時間営業のコンビニがたくさんあるし、一人用のお惣菜も簡単に手に入る。

ネットスーパーなどを使えば重いものも玄関まで運んでくれる。実際に私自身もそんなサービスを最大限活用している。

クリーニングも宅配で済むから、自分で洗濯するのは肌着や靴下、タオルぐらいだ。全自動で乾燥機付きだから実に簡単。

聞くところによると便利屋さんという商売が繁盛しているそうで、ゴキブリが出たから退治に来てくれとか、単なる話し相手に来てくれとか、そんなオーダーも受付けてくれるらしい。

いずれは、茶飲み相手の宅配や将棋相手の宅配、孫の代わりに遊んでくれる子供の宅配、ゲートボールのメンバーの宅配などありとあらゆるデリバリーが可能になるのかもしれない。

それはそれで結構だが、いずれにしても料金は発生するわけだから老後の資金はちゃんと考えないとならない。

宝くじはあきらめずに買い続けようと思う。

私自身、今の暮らしで不便なことを考えてみた。掃除やシーツ、布団カバーの交換が一番億劫だったが、今は週1回来てくれる家政婦さんがやってくれるから楽チンである。

食事も出来合いのもので済ませられるし、家庭の象徴である味噌汁だって、下手な人に作ってもらうよりイマドキのフリーズドライのほうがウマかったりする。

お裁縫。これがもっとも不便なことかもしれない。ボタンが取れたらお手上げだ。私が通った学校では家庭科が授業になかったから縫い物は人生で一度もやったことがない。

だからボタンが取れたシャツはその都度捨ててしまう。

ウソです。職場に持っていって女性社員に頼んだり、実家に行った際に母親に頼むなどして対処している。

裁縫の他には「服をたたむ作業」に難儀している。どうでもいい服なら問題ないのだが、時折、温泉宿に持参する作務衣とか、ちゃんと畳んでおきたいものが上手く出来ない。

しかたなくハンガーに掛けておくのだが、たたんで収納しないと場所を取って仕方がない。

ボタン付けと作務衣をたたむ作業のためだけに誰かにプロポーズするわけにはいかないので困っている。私の人生にとって大いなる課題である。

さて、どうでもいい話を書き殴ってしまった反省を込めて、今日は「おひとりさま中高年評論家」として一推しのレトルト食品を紹介する。


イオングループのプライベートブランド「トップバリュ」の上級ライン?である「トップバリュ・セレクト」のハンバーグがそれ。

その名も「まるでステーキ デミグラスハンバーグ タスマニアビーフ100%使用」という商品である。略称で呼びにくいのが難点である。

湯煎するだけでレストランもビックリのウマいハンバーグが堪能できる。湯煎する時間がミソである。なんと「12分」である。普通のレトルトハンバーグなら5分程度である。それを12分もかけろというところがニクい。その大袈裟な感じが何となくウマそうである。

実際にウマい。いまや絶対王者?のようなセブンの「金のハンバーグ」を始め、世に出回る数々のちょっと高級なレトルトハンバーグを片っ端から食べてきた私が太鼓判を押す美味しさだ。

レトルトなのに400円ぐらいする。主婦が絶対に買わない値段である。それがまたいい。現役の「おひとりさま中高年」を狙い撃ちしているかのようだ。

「トップバリュ」シリーズのお惣菜は置いていても「トップバリュ・セレクト」は置いていない店が多いのが問題である。私の場合はイオン傘下になったピーコックで調達している。

数あるレトルトハンバーグの中では「富豪」気分を味わえる一品である。

スーパーでわざとらしくカゴの上の方にこのハンバーグを2つぐらい載せて歩いていると、松屋で特盛り牛丼の他に生卵と漬け物を注文した時のような富豪気分になれる。

バカでスイマセン。