2017年3月31日金曜日

バンコクぶらぶら

タイ旅行の続き。クラビでのんびりした後はバンコクに3日ばかり滞在した。バンコクも15年ぐらい前までは頻繁に“悪さ”に出かけたが、今回は極めて品行方正に過ごす。

高校生の娘にとっては、あの街の若いエネルギーは刺激的だったようだ。数え切れないほどの店が競い合うショッピングモール、バッタもんが集まるの夜の露店街、そこからチラリと見えるゴーゴーバーの怪しげな光景などキョロキョロしっぱなし。

バンコクらしさを味わうのに最適なのがチャオプラヤー川沿いのホテルだ。「オリエンタル」に泊まるのはおこがましいので、今回はシャングリラを選ぶ。

シャングリラウィングとクルンテープウィングに分かれた造りだが、クルンテープウィングはスカイトレインの駅から徒歩1分だし船着き場にも至近距離だから便利だ。


部屋にバルコニーもあるから喫煙者には有難い。こちらのウィングにいれば、朝食だけでなく、アフタヌーンティーや軽食などのいわゆるラウンジサービスも受けられる。プールサイドでのドリンクも無料だし、かなり贅沢気分が味わえる。

ホテル競争が激しいバンコクでは、名だたる高級ホテルに格安で泊まれるが、川沿いのホテルはやや割高。私も普段なら別なホテルを予約したはずだが、愛する娘ちゃんのためにちょっと奮発した。

おかげで深夜便で帰国する際は、空港までメルセデスのSクラスで送ってもらう。それはそれで教育上は非常によろしくない。ちょっと反省。

それにしても久しぶりにブラブラしたバンコクは「伸びゆくアジア」を象徴するかのように15年ぐらい前とは大きく様相が変わっていた。

その昔、よく歩いた中心街でも自分の位置関係がよく分からない。記憶力のせいではなく、ニョキニョキと新しいビルが増えたせいだ。視界がさえぎられちゃって違う土地に来たかのように感じた。

高齢化がズンズン進むニッポンとは違って若者の熱気が国全体を覆っているようにも思えた。

さて、食べ物の話である。タイの人気料理といえば「プーパッポンカレー」にトドメをさす!?。蟹のカレー炒めである。


蟹のカレー炒めと聞いてイメージする食べ物とは微妙に違う。というか、実際に食べてみないとイメージが湧かない味である。

この画像は元祖である「ソンブーン」での一コマ。横着な私は蟹の殻無しでオーダーする。だから見栄えがイマイチである。


こっちの画像は隣の席に運ばれてきた通常のプーパッポンカレーである。これがノーマルだ。

見た目の話はともかく、このソースが絶品だ。カレーだけでなく卵が相当使われている。一口食べた途端に「何じゃこりゃ!」と叫ぶウマさだ。そのままで良し、ご飯モノに混ぜてもウマい。

バンコクに来る前のクラビでもレストランに入るたび「蟹カレー炒め」に惹かれたのだが、我慢に我慢を重ねてバンコクのこの店でようやく解禁。幸せだった。






タイ初体験の娘と一緒だから今回は王道系のベタな料理ばかり食べていた。おかげで失敗もなく、結局、旅行中はタイ料理以外は一切食べないという快挙?を達成した。

画像は上からグリーンカレー、グリーンカレーの炒めメシ、春雨炒め、カオソーイ(カレーラーメン)、パッタイ(平打ち米麺の焼そば)。

どれも美味しかった。やはりタイ料理はあの気候の中で食べると一層ウマさが際立つ。

よく食べ、よく歩き、よく泳ぎ、よく喋って過ごした一週間の旅。たくさんの思い出が出来て楽しかったのだが、当然のごとく帰国後はヘロヘロに疲れ果ててしまった。

娘相手に頑張りすぎる私の悪いクセはあと何年ぐらい続くのだろう。

2017年3月29日水曜日

クラビ 娘と二人旅


タイのクラビに行ってきた。15年ぐらい前に潜水旅行で訪れた場所だが、今回は娘との二人旅。ただホゲホゲしに行くのが目的の旅だ。

クラビといえば、切り立った石灰岩の岸壁と美しいビーチのコントラストが特徴だ。その昔、ダイビング目的で訪れた時も水中よりも陸の景観に感動した。

昨年のこの時期、娘と香港・マカオに出かけた。予想以上に実りある時間が過ごせたので今年も二人旅を計画したわけだ。



春から高校生になる娘と別々に暮らすようになって4~5年が経つ。とはいっても頻繁に会っているし、最近はしょっちゅうウチに泊まりに来る。

コミュニケーションは充分とれているつもりだが、やはり旅という濃い時間を共に過ごすことで、普段とは違う深いやり取りができた。


今回の宿泊先は「Golden Beach Resort」。手頃な中級ホテルだ。目抜き通りであるアオナンビーチに近い立地に惹かれて選んだ。

ムフフな女性とのムフフな旅行なら高級隠れ家リゾート「Rayavadee」あたりを選びたいところだが、相手は高校生の娘ちゃんである。繁華街を冷やかしたり、気軽なB級グルメ散策を想定して適度な宿を選んだ。



部屋はコテージ形式。それなりに洒落ていた。プールからはクラビらしい切り立った岸壁が臨めたし、予想よりもちゃんとしていた。値段ばかり高い高級リゾートよりもオススメかもしれない。

1泊の料金は朝食付きで1万8千円ぐらいだった。日本に比べれば格安だが、クラビ全体で見れば結構高い。まあ、この歳になって安さばかり追い求めるのもイヤだ。ファミリー旅行ならちょうど良いホテルだろう。

ホテルのある中心地・アオナンビーチエリアから船で10~15分移動するだけで別天地のようなビーチが広がる。船じゃないと行けない秘境っぽい感じが楽しい。

タイ独特のロングテールボートをチャーターして近辺の島巡りやビーチ巡りをするのが定番の過ごし方である。


設備が無いビーチに行っても“売店船”が並んでいる。売店と言ってもペットボトルや缶入り飲料をただ売るわけではなく、フルーツシェイクや簡単な料理もその場で作ってくれる。

いわば海の家のような機能だ。こういうところで食べるモノって街中の高級レストランよりも遙かに美味しく感じる。

夜になったらホテル近くの繁華街をブラブラ歩く。オカマショーの営業に励むオカマちゃんが着飾ってウロウロしている。娘は大興奮である。仕方がないからオカマにチップをはずんで写真をたくさん撮る。

レストランはどこも安い。酒を飲まない娘と一緒だと尚更安く感じる。最近、世界的に人気を集めているマッサマンカレーがどの店でも人気のようだ。


マッサマンばかり食べる娘を横目に日々クタクタな私はビールとモヒートをグビグビ飲んで、ヤムウンセン(春雨サラダ)やソムタム(パパイヤサラダ)、サテ(串焼き)をつまむ。ビミョーに辛いから酒が進む。




娘に対してはとくに「エエ格好しい」になってしまう私だが、よく考えればそのせいで何とかそれなりにキッチリしていられるような気もする。

ちゃんとヒゲを剃ったり風呂にまめに入ったり、小綺麗な服を着たりするのも、年頃の娘に「キモオヤジ」と思われたくないというケナゲな気持ちが関係している。

ハゲ散らかさないように薬を飲んだり塗ったり、得体の知れないサプリを飲むことだって、将来、娘が私を思い出す時の残像が「ハゲオヤジ」にならないように必死に工作しているわけだ。

男の子だったらこうはならなかっただろう。もっとガサツな感じで接していたはずだ。そう考えると娘の存在は有難い。感謝しなければいけない。

そんな考えだからいつまで経っても「甘過ぎるパパ」のままだ。もう高校生になったことだし、厳しく接するよう態度を改めたいところだ。

99%無理だと思う。

2017年3月27日月曜日

小休止パート2


今日も過去ネタを二つアップします。
また水曜から通常通りの更新に戻ります。


まずは哲学的かつ高尚な話

★フェティシズム

http://fugoh-kisya.blogspot.jp/2013/06/blog-post_28.html



続いては5年前に書いたソッチ系の人をめぐる哲学的かつ高尚な話。

★おかまちゃん

http://fugoh-kisya.blogspot.jp/2012/04/blog-post_13.html

2017年3月24日金曜日

小休止


ちょっと休みを取っている関係で今日の更新はサボります。過去ネタを二つ載せますので、よかったら覗いてください。

まずは5年以上前に世の中の不条理を嘆いた話。このあたりから老化?がスタートしたのかもしれない。



★文句ばかり言うオッサン
http://fugoh-kisya.blogspot.jp/2011/09/blog-post_30.html




続いては若き日に頑張って日々鍛錬していた話。いまやチャレンジャー精神は無くなってしまった。


★エエ格好しい
http://fugoh-kisya.blogspot.jp/2012/09/blog-post_14.html


2017年3月22日水曜日

涙の役割


男が人前で泣くな。そう教わってきたし、そう思っているし、その通りに生きてきた。

なんて書くとチョット格好いいが、切ない映画を見れば泣くし、ハマショーのライブでも泣く。そんなもんだ。

そうはいっても、簡単に涙を見せてはいけないという思いは人並みにある。大げさに言えば泣くことは悪いことぐらいに思っている。

ところがどっこい、涙を流すことって人にとって大切なことらしい。ストレス解消には眠ることが一番有効で、それ以外の唯一の方法が泣くことなんだとか。

そもそも涙が出るのは心身の健康を維持するためで、このままだと危険だと脳が判断すると強制的に涙を出してストレスをコントロールするらしい。

フムフムって感じである。私がハマショーのライブで泣くのは、感激しすぎてバカになっているから、それ以上バカにならないように脳が“危険”だと判断して冷まそうとするのだろう。

先々週、友人が急逝した話を書いたが、その通夜の場でガンガン泣いてしまった。止めどなく涙がこぼれて我ながら慌てた。見る人が見たらあれは号泣である。

あの日は通夜に向かう前から変なテンションだったのだが、友人の遺影を目にした瞬間に感情が崩れてしまい、やはり脳が危険信号を発したのだろう。

でも不思議なもので、ひとしきり泣いた後に一種独特なスッキリした感覚が身体を支配した。脳波が安定したというか、何かを突き抜けたような別次元の感覚に変わった。

しっかり泣いちゃって良かったのかもしれない。とことん我慢して唇を嚙んで耐え続けたら心のバランスが壊れてしまいそうだったから、本能的に脳がバランスをとったわけだ。

涙の効能、なかなか大したものである。

ちなみに世の中には「涙活」という言葉もあるそうだ。悲しい映画や切ない朗読劇などを活用して定期的に泣く機会を作ろうという活動だ。

なんだかヘンテコな習慣のような気もするが、上に書いてきたような涙の効能を考えると健康法としては理にかなっているのかもしれない。

「涙活」は主に女性に人気らしい。確かに女性のほうが泣くのは得意である。男ほどにはこらえずに涙を流すのが女性という生き物だ。いうなればストレスコントロールの達人なのかもしれない。

男より女のほうが遙かに寿命が長い理由もひょっとしたらそのあたりに秘密があるのだろう。

というわけで、今後は闇雲に「男は泣いてはいけない」などと気取らずにビービー泣いてやろうと決意した。

以後、私がオイオイワンワン泣いているのを目撃しても、単なる健康法の実践なので気にしないでください。

2017年3月17日金曜日

某月某日


某月某日。仕事終わりに知人と落ち合う。「千代田線沿線が便利なの」とのことで湯島で近況報告を兼ねた異種格闘技戦、いや世界平和を語りあう。

その後、小腹が空いたので寿司屋へ。前から行ってみたかった「一心」に赴く。かなり遅い時間だったので店内はまばら。

ウマい肴を前にカピカピ飲む。知人を帰した後、飲み足りない気分だったから中学高校の先輩が営むバーに立ち寄る。

先日急逝した友人と最後に飲んだ店だ。しばし感慨にふけってマッカランをチビチビ。

先輩も私と同じく中高年独り者である。人生の悲哀を語りあう。ちょっとしんみり。

その後、隣に座っていた若い裁判官と打ち解ける。酒のせいでクドいオッサンと化した私は“法の番人”相手にウダウダと人生を語る。

その後、零時を回ってだいぶ経った頃に酔っ払いサラリーマンが入ってくる。舌打ちして睨み付けようかと思ったら見覚えのある顔だ。

お互いしばし観察した後で、中学高校の1コ下の後輩だと判明。調子よく先輩ヅラしてスカした顔で思い出話に花を咲かせる。

ふと後輩が真顔で言った。

「先輩、随分変わっちゃって分かんなかったですよ。すっかりジジイじゃないですか。デブだし。ダメですよ、そんなんじゃ」。

ガーン!!。手厳しい批評である。落ち込む。

ションボリしながら後輩の飲み代もこっそり支払いトボトボと帰路につく。

家で鏡に向かい顔面をマッサージして「ジジイ打開」に向けた無駄な努力をしてみる。

でも、後輩からのそんな指摘もあながち悪いものではない。シュッとした男でいようと改めて自分に気合いを入れるきっかけになる。

などと、ポジティブに考えながら、なぜか冷凍チャーハンを電子レンジでチン。深夜1時半である。

そんなことをしているからダメなんだろう。反省。

でも、後輩が私のことが分からなかった理由は、おそらく花粉症のせいだ。きっとそうだ。

今年初めて花粉症になった。時々、顔全体が腫れぼったくボヨボヨ?した感じになる。そのせいだ。たぶん。そうであって欲しい。

花粉が憎い。

2017年3月15日水曜日

野球に教わった

野球が好きでよかった。先日の「WBC・日本VSオランダ」をテレビ観戦した率直な感想だ。大熱戦が心底面白かった。あんな興奮を味わうことは滅多にない。

昨日の試合も素晴らしかったが、オランダ戦の死闘は日本の野球史に残る空前絶後の壮絶な試合だった。

先週、一次リーグ開幕戦となったキューバ戦を東京ドームに観に行ったのだが、野球の国際大会を生で観戦できたこと自体が昭和の野球少年には夢のように思えた。

このまま2次リーグを突破できなくても満足しちゃうぐらい楽しませてもらっている。いや、そんなことを言ってはいけない。やはり米国を舞台にした決勝リーグに進んで日本野球の奥深さを世界に見せつけてもらいたいものだ。

ちなみに日曜のオランダ戦の瞬間最高視聴率は32・6%だったそうだ。やはり日本人にとって野球は別格だ。5時間近い熱闘を飽きずに見ながら野球の面白さ、奥深さを改めて痛感した。

WBCという短期決戦だから野球の「質」が違う。年間150試合以上の戦績で順位を競う通常のリーグ戦とは異なり、一発勝負に近い感覚だから緊迫感が物凄い。

甲子園の高校野球が国民的行事になっているのもリーグ戦とは違う一発勝負の総力戦だからだろう。野球が持つ面白さ、恐さ、切なさ、やるせなさといった要素がより強調される。


レジェンド・長島さんが言うように野球は「人生そのもの」だと思う。大げさだとは思わない。人生の縮図というか、教訓がたくさん詰まっている。

どんなに傑出した選手だろうとチームの中では1つのポジションを占めるに過ぎない。信頼や助け合いといった相互扶助が機能していないと勝てない。

それ自体はチームスポーツであれば野球以外も同じだが、野球には野球ならではの特徴や奥深さがある。

表裏ごとに攻守が逆になる。攻めた後は守り、守った後は攻めることを9回に渡って均等に繰り返す。攻守のバランスが優れた側に軍配が上がる。まるで人生そのものである。

攻撃にも工夫が必要だ。出塁すること、チャンスを作ることが第一歩。送りバントなど自己犠牲の手法が尊ばれ、つなぐ姿勢に徹することが必要となる。

強打者と呼ばれる選手だろうと、フルスイング一辺倒ではダメ、引っ張り一辺倒でもダメ、場面ごとの状況に応じたバッティングが必要だ。

守る際もとにかく状況判断が大事になる。これが不得手な選手はまずレギュラーにはなれない。

ピッチャーとキャッチャーで状況判断に応じた配球を組み立て、それが野手陣の立ち位置まで左右する。

剛球投手だろうと、直球一本勝負ではダメで、時に変化球を交えて相手の様子をうかがう。状況によっては敬遠という策もとる。いわば“逃げるが勝ち”の精神だ。

油断していれば盗塁という被害をこうむる。集中を欠けばエラー、すなわち失策でそれまでの努力が水泡に帰す。

実力だけでなく、運やツキが勝敗を左右することも珍しくない。ちょっとした神様のイタズラで結果が変わることも受け止めるしかない。

うまく表現できないが、生きていく上での教訓みたいなことがテンコ盛りだと思う。

私自身、中学生の頃は弱小野球部でピッチャーだった。ピッチャーをやる子供はだいたいが“お山の大将”である。自分が一番だと錯覚して、変にエバって独り相撲状態に陥り、結局試合には勝てなかった。そんなものである。

独りよがりにならず、自己犠牲を厭わず、相互扶助精神を磨かないとチーム力が向上しないのは当然だが、それに気付いたのはだいぶ後のことだった。情けない限りだ。

野球少年時代の自分の愚かさは今も私の脳裏をよぎる。トラウマに近い感覚かもしれない。あの頃を反面教師にして生きていたいと思っている。

さてさて、野球の基本はキャッチボールだ。キャッチボール自体が多くの示唆に富んでいる。「たかがキャッチボール」だが「されどキャッチボール」だ。

相手の力量に応じて捕りやすい球を投げないといけない。自分が暴投しても拾いに行くのは相手だ。相手の暴投もこっちが拾いに行く。お互いがお互いの責任を負ってしまう。深い。

相手への思いやりが絶対条件になる。丁寧に投げないと迷惑をかける。相手の失投をうまくキャッチしてリカバリーする気配りも大事である。

なんだかんだと野球にはいろいろなことを教えてもらった。子供の頃に戻ってやり直してみたいことがあるとすれば、一に野球、二に勉強だろう。

2017年3月13日月曜日

サバよむ人々


「30過ぎたオバサン」。こんな発言をよく耳にする。バカな話だ。30歳を過ぎたぐらいでそんな扱いは実に不適当である。

私が30過ぎの女性にモテたいから言っているわけではない。本心からそう思う。

昭和の頃に比べるとすべての年齢層で若返りが進んでいる。成人式だってハタチではなく30歳を境にしてもいいと思う。

谷村新司の「22歳」という歌を時々カラオケで歌う。♪22歳になれば少しずつ 臆病者になるわ 何故かわかる?あなた~♪という歌詞でアンニュイな雰囲気が漂う名曲だ。

しかし、今のご時勢の22歳を想定すると歌で描かれている世界とのギャップが激しいと思う。それこそ32歳ぐらいの設定のほうがピンとくる。

30過ぎぐらいの女性が何となく自らの年齢的価値?みたいなものに自信を無くしていることはもったいない。もっと堂々と女盛りの真っ只中にいることをアピールした方が建設的だろう。

サバをよむという言葉がある。鯖は傷みやすかったから取引の際に急いで大ざっぱに数えたことが語源なんだとか。

20代の女性が3つも4つもサバをよんでいると気の毒になる。ティーンエイジャーを相手にアイドル活動をしているのなら仕方ないが、一般人のくせに必死にサバをよむのはマヌケだと思う。

知り合いに31歳なのに24歳で通しているモデルさんがいる。メイクや着るもので20代前半に見えなくもないが、正直にいえば痛々しい。

男と女では全然比較にならないのだろうが、男の場合、若く見られることがマイナスになることもある。頼りないというイメージだ。

私自身、若い頃に社内の急な世代交代でポジションが上がった際には「逆サバ」に励んだ。25~6歳の頃は33歳ぐらいを自称していた。

男の場合は小僧扱いされたくない心理が働くから若く見せようとはしない。結構なオッサンになって5歳も10歳もサバよんでいる中高年がいるが、あれは見苦しいだけだ。

まあ、そうはいっても、もし私が出会い系サイトなんかで悪さをするなら、間違いなくサバよんじゃうはずだから、あまりエラそうなことは言えない。

サバよみ問題は年齢だけではない。「バツ2」を「バツ1」と言い張る男や、30人もの男性経験があるのに「3人だけ」と答える女など、とかく世の中の男女のせめぎ合いの中ではサバが大漁?状態である。

経験人数問題については女性の場合「サバよみ100%」だが、男の「逆サバ」、すなわち誇張も困ったものだ。

さすがに恋する女性相手には実際より少ない人数を“申告”するが、男同士だと見栄を張って数倍にかさ上げして語りはじめる。

男の狩人精神のなせるワザ?である。狩猟の成果や狩りの腕前が村社会での地位を左右した古代人時代のDNAのせいで、ムダに頑張って話を大きくしてしまう。

これまた痛々しい話である。気をつけないといけない。

先日、若い女性から歳を聞かれた際に「50歳だ」と答えた。ホントは51歳である。サバをよむ気は無かったのだが「50の大台」を強調したくて「もう50になっちゃったんだよ」と言ったわけである。

するとなぜか干支を尋ねられて正直に答えたら、しばし間があいた後に「サバよんでませんか?」と言われてしまった。たった1歳なのに詰問調である。

不思議なもので、そう指摘されると自分が「若く見られたいオッサン」だと思われているようで途端に恥ずかしくなった。

おまけに必死に弁解したものだから何だかアワアワしちゃってカッコ悪いったらありゃしない。サイテーである。

中途半端なサバよみは簡単にほころびる。どうせなら徹底的にウソで塗り固めないとダメだ。

「誠心誠意ついたウソは真実になる」。確かそんな格言があったと思う。サバよみ組の人々はそんな意気込みで頑張っていただきたい。

でも、そんなメンドーなことに気を向けず、あるがまま、ありのままで過ごしている人が一番カッコいい。

2017年3月10日金曜日

初体験の衝撃


時々、思いつきで特製パスタを作る。私にとって「特製」とは「適当」という意味である。

本格的に料理をするのは何となく負けた?ような気がするので、安直かつテキトーにチャッチャと出来るパスタはシングルオジサマ向きである。


この日の素材はカキとキャベツと昆布の佃煮である。瓶詰めのみじん切りガーリックと同じくアンチョビペーストをオリーブオイルで熱しながらカキに火を通し、そこにフジッコ煮を投入。

パスタはリングイネを使用。標準茹で時間12分のところアルデンテにするために7~8分程度で引上げ、フライパンで待機する上記のソースと絡めながら炒めて味を微調節する。

キャベツは適当なサイズに手でちぎってパスタを茹でている時に鍋にぶち込む。茹ですぎないためにパスタを引き上げる3分前ぐらいに投入するのがポイント。

これだけで結構ウマいパスタが完成する。人様に出せるレベルだ。包丁もまな板も使わず、パスタを茹でる鍋とフライパンだけ。横着そのもの。

そこそこ長く生きてくると、何をどうすればどんな感じで美味しくなりそうか、少しは想像がつくようになる。

年の功である。ダテにいろんなものを食い散らかしてきたわけではない。一応は経験として蓄積されているわけだ。

と、エバったことは言いながら最近つくづくうらやましいと思うのが若い人の味覚経験の伸びしろである。

なんだかクドい言い回しになったが、若ければ若いほど「初めて食べるウマいもの」がこれからワンサカ待っていることが実にうらやましい。

時々、若い人と食事をともにすると結構な頻度で目ン玉ひんむいて衝撃を受けている姿を目撃する。

あの喜びは人生の中でもトップクラスの喜びだと思う。食欲は人間の欲望の中でも性欲と並ぶものだ。いわば初めて女性の生乳?に触れた時のアノ感動と同じ喜びが初めて味わうウマいものの喜びである。

意味不明でスイマセン。

私自身、思い起こせば衝撃的にウマかった初体験はいくつもある。初めて飲んだマックシェイク、初めて食べたフィレオフィッシュ。いずれも幼稚園の頃だが鮮明に覚えている。

昭和40年代である。日本がまだ後進国の時代?である。そりゃあビックリした。幼な心に興奮した記憶がある。ハンバーガーはハンバーグだからどうってことはなかったが、タルタルソースは強烈なインパクトだった。

同じ頃、初めて口にした「焼肉のタレ」にも衝撃を受けた。焼肉屋さんが今のようなポピュラーじゃなかった時代だ。

ニンニクが苦手だった祖父だか祖母の影響で焼肉屋さんに行ったことがなかったのだが、ある日、母にせがんで連れていってもらった。

肉の美味しさよりも、あのタレの味が初めてだったので、兎にも角にもタレタレタレ!って感じで、タレをヒタヒタ塗りまくったライスをドカ食いした。

イマドキの焼肉屋では「塩でどうぞ」などとフラチなことを言われるが、私は今も昔もこの先もタレ派である。

カルボナーラにも興奮した。ミートスースかナポリタンしか知らなかった昭和の子供の前に現れたクリーミーな憎いヤツである。萌えた。

大人になってからはアワビの肝に悶絶し、フグの白子に卒倒し、生きているマイカのはらわたのウマさに天地がひっくり返る思いをした。




他にも例を上げればキリがない。無添加生ウニだのカラスミだの子持ちの鮎だのイバラガニの内子、上海ガニのミソといった酒飲みの相棒はもちろん、ポルチーニのパスタやゴルゴンゾーラのリゾット、はたまたバンコクあたりで人気の蟹のカレー炒めなども初めて食べた時に目玉が飛び出そうになった。

ついでにいえば、ういろうを初めて口に入れた時の驚きや赤福を知ったときの感激、フルーチェを初めて自分で作って食べた時の絶頂感なんかも死ぬまで忘れないかもしれない。

初体験のアノ表現しがたい感動や感激は、二度目以降は急速にしぼんでいく。もちろん、ムホムホ言いたくなるほどウマいのだが「初めての衝撃」にはかなわない。

似たような言い方をすれば、ポピュラーな食材でも正しくウマい本来の味を知ってしまえば、格落ちの品に喜びを感じられなくなる。

ウマいカニを知ってしまったら、安い旅館のバイキングで出される食べ放題のカニを避けちゃうようなことである。

「知ってしまった悲しみ」などと表現すると気取り過ぎだが、若い頃は旅先などで未知の味にむしゃぶりつくのが物凄く楽しかった。驚きと興奮が美味しさを更に高めてくれていた。

もちろん、今だって未知の味はいくらでもあるのだろうが、あったとしても既に知っている何かの延長線上だったり、アレンジが変わっただけだったりする。

年齢とともにすべての面で感度が鈍ってくるのは当たり前だが、それが今までの蓄積のせいなのかと思うとチョッピリ切ない。

まだまだ初体験の興奮を求めてさまよいたい。

2017年3月8日水曜日

また会いたかった


つくづく人の運命は分からない。同級生が急逝したことで実感した。仲間内でもとくに元気なヤツだったのだが、前触れもなく逝ってしまった。

前日の夜は近所に住むお兄さんと普通に酒を飲み交わしていたそうだ。本人にとっても想定外だったはずだ。どれだけ無念だろう。

今日は彼のお通夜だ。認めたくないけど認めざるを得ない。アイツの遺影に手を合わせて焼香するなんてまったくイメージできない。行きたくない。あらためて葬儀というものは哀しい現実を受け入れるために必要な儀式なんだと思う。

幼稚園から小、中、高校とともに過ごした。小学生の頃は一緒に悪ふざけばかりしていた。とことん明るく、バカ話が大好きな男だった。

子供の頃からサッカーが抜群に上手で、高校の時は国体の東京代表にまで選ばれて、後にJリーガーになるような連中と渡り合っていた。

喧嘩もした。当時、少林寺拳法をかじっていた私とジャレ合っているうちに、どっちのキック力が強いのかで争いになり、蹴り合いだけのヘンテコな喧嘩をした。こっちが一発ケリを入れる間にヤツからは二発のケリが飛んできた。悶絶した。

大人になってからも底抜けの明るさは変わらず、歯科医として活躍するようになってもキャラは昔とまったく同じで、子供の頃からちっとも進歩がないケッタイな話で場を盛り上る男だった。

去年の春と夏に飲んだときもヤツの“絶口調”ぶりにみんなで腹を抱えた。節制してスマートになり、他の誰よりも若々しい様子だったから、尚更、急な訃報が信じられなかった。

昨年末にFacebookでやり取りした際の「また飲もう」が最後のやり取りになってしまった。

「また飲もう」。しょっちゅう使っている言葉だ。何気なく使っている「また」とか「そのうち」が二度と実現しないことになるなんて日頃は考えもしない。でも現実に起こりえる。切ない。

「苦しまなかったようだからよかった」「お子さんが小さくなくてよかった」等々、せめてもの救いになるような話を友人達と語り合う。そんなことしか言葉が出ない。

もっともらしい言い方だが、本人にとってみれば「もっともっとやりたいことがあった」、「大学生の子どもが大人になっていく姿を見たかった」ということでしかない。

無念を残さずに逝ける人などいないはずだが、あまりにも突然人生の幕が下りてしまった彼の無念さはどれほどのものだっただろう。

もちろん、残されたご家族にとっても無念の一言だと思う。今はどんな慰めの言葉も空虚に響くだけだろう。

喪失感の大きさは他人に推し量れるものではない。心の痛みは時間が経つことだけでしか和らげる方法がないから、落ち着かれる日が来るまで時間が駆け足で進んで欲しいと思う。

人は必ず死ぬ。そんなことは百も承知だが、51歳になったばかりの彼の早すぎる死は、否が応でも様々なことを教えてくれる。

日々の何気ない瞬間がとても大事だということはもちろん、「また今度」や「近いうちに」という気軽な約束に保証などないという切ない現実もそうだ。

ヤツの訃報を聞いて以来、どうにも心がザワつく。やるせない気分が晴れない。そんなことを書くと「カッコつけちゃってよ~、バカじゃないの!」と彼から突っ込まれそうだ。

くだらない話を必死の形相で語る姿、スケベな話で嬉しそうにハシャぐ姿、少しシビアな話でも照れ隠しですぐに笑い話に切り替えようとしていた繊細な気配り・・・。

すべてが思い出になってしまった。

また会いたかった。

合掌。

2017年3月6日月曜日

好き勝手に好きなモノを

馬肉ユッケである。相変わらず好きなモノを好き勝手に食べている。とても幸せなことだと思う。

食生活に気を使っている人は私が思っている以上に多い。持病がある人が症状を悪化させないように食事制限をするのは分かるが、とくに問題のない人でも意外に身体のことを考えて食べている。

私も立派な中高年だから「食と健康」を意識しないといけないのだろうが、好きなモノしか食べていない。別に健康に問題があるわけじゃないから、それで構わないと思い込んでいる。間違いなのだろうか。

「野菜を食べなきゃ」「根菜類は大事」などと根拠もなく理念もなく口にする人がいるが、その理由を私が納得するように理路整然と解説してくれる人はいない。

いわば「なんとなく身体に良いはずだ」という固定観念である。「なんとなく」程度で強く勧められてもピンと来ない。

イヤミっぽい書き方だが、これは決してアマノジャク精神で言っているのではなく、本気でそう感じている。

野菜や根菜類をバリバリ食べたら、目のかすみが無くなるとか、急に足腰が軽くなるとか、アッチが顕著に硬くなるとか明確に効果を実感できるなら喜んで食べる。でも、そんな魔法みたいな話はない。

「運動した方が良い」という話は理解できる。そこそこ身体を動かした後は体調がスッキリするのを自覚できるから納得できる。それに比べると野菜だの根菜類だの言われても何となく鵜呑みに出来ない。

実際、野菜を毛嫌いしている私の健康状態は50年以上の長きに渡って大きな問題はない。青汁やサプリを真面目に摂取していることがその理由だとしたら、嫌いなモノを無理して食べる必要はないという理屈になる。

塩分の多いもの、脂肪の多いもの、尿酸値が高いもの等々、それぞれ身体に悪いことは分かるが、毎日毎日食べるわけじゃなければ構わないはずだ。

意識過剰で毛嫌いするのがもっとも良くないと思う。

メリハリは大事だが、好きなモノを好き勝手に食べることは楽しみであり喜びだ。ストレスがない分、身体に良い効果を与えると思う。

「外食はダメ、家庭料理が正しい」という変な決めつけもバカげている。塩を入れ過ぎて油も使いすぎた家庭料理だってある。

そんなヒドいものを食べるなら、マトモな素材を使ったプロの料理を食べた方が身体に良い。コスト的に外食がダメで家庭料理が良いというのは分かるが、健康面では関係ないと思う。

マックのハンバーガーは身体に悪いといいながら、得体の知れないレトルトハンバーグを家で食べていたら、どっちもどっちである。

グジグジとそんなことを書き連ねても仕方がない。何事も意識過剰はよろしくない。野菜嫌いの王様みたいな私でも、最近は居酒屋でもろきゅうを食べるようになった。

生のキュウリである。そんな天敵のようなものを自ら注文するようになった自分を誉めたくなる。今まで一切手を付けなかったトン汁に入っている野菜も4分の1ぐらいは食べるようになった。


梅干しは身体に良いと思って?時々注文する梅サワーである。おかわりするたびに梅干しが増えていき、4~5杯も飲んだら梅干し王国が完成する。ここまでいくと単なる塩分過剰で逆に不健康ドリンクになっている。


こちらは酔って入ったラーメン屋での一コマ。“なんちゃら系”というイマドキっぽい看板に誘われたのだが、油ギトギトで塩がキツ過ぎて、食べられるシロモノではなかった。

チャーシューまでショっぱい。周囲の若者達は普通に食べていたが、私は4分の1ぐらいしか食べられなかった。

注文しちゃったからといってゲロまずい食べ物を頑張って食べるのも身体に悪いはずだ。塩分や脂の問題以前にマズさによるストレスが問題である。

好きなモノを好き勝手に食べて、おまけに健康でいたい。虫の良い話だが、なんとかそんなワガママを押し通してみたいものだ。

2017年3月3日金曜日

女性の図太さ 工作員


今日は雛祭り。女性にまつわる話を書く。

男より女のほうが図太い。とりあえず断言しておく。おそらく大半の人が賛同してくれるはずだ。

パっと見は男がドカンとした感じで、女はクニャっとした感じである。一般的には、男のほうが強そうで女のほうが弱いイメージだ。

実際には平均寿命は10歳近く違うし、赤ちゃんの頃だって女の子のほうが丈夫なケースが多い。根本的に強い生きものだから、図太さという点でも男より上だ。

強がっていても男はヘタレた部分が多い。繊細といえば聞こえはいいが、打たれ弱いしクヨクヨするし神経質だ。女性のほうがはるかに大らかだ。


20歳ぐらい年上の上司を自ら誘惑して不倫関係になった女性の話を聞いた。誘惑しようと思ったきっかけは「上司が使えないから」だとか。

つまり、自分が思うように仕事を進めたいから肉体関係を武器に上司を手玉に取ったのだという。確信犯である。

その女性は新しい企画開発に励んでいるそうで、仕事をうまく進めるために次なるターゲットとして社長さんに狙いを定めたらしい。素晴らしい図太さである。

別な女性から聞いた話だが、こちらもなかなかエゲツない。

上司と不倫関係を続ける一方で婚活に励み、ようやく結婚相手を見つけた。そして自分の披露宴の際に不倫相手だった上司にスピーチを依頼したんだとか。

最後に上司と関係を持ったのは披露宴の数日前だったらしい。いやはや実に肝っ玉が据わった女性だ。

世の中には想像以上にそんな話が転がっている。ダンナのお兄さんと密かに関係を持っている人やご近所のお年寄りとフシダラな状態にある専業主婦の話も聞いたことがある。

アダルトビデオも真っ青なムホムホな世界がアチコチで繰り広げられている。

萌える。

いや、萌えてばかりもいられない。女性陣の図太さは、そういう話に関してボロを出さない点である。「私は清楚です」みたいな顔してシレっと隠し通している。そこが凄い。

男の場合、詰めが甘いのか、根本的にマヌケなのか、そうした怪しげな話はすぐにバレる。ちょろっと追及されるだけで目が泳いじゃって挙動不審になって言葉もたどたどしくなる。

余裕綽々な様子を見せる女性とは大違いだ。表面的にはキャアキャア、キーキーわめいたりするのが女性の特徴だが、根っ子の図太さは男とは比べられない。

私の思い過ごしだろうか。いや、そんなはずはあるまい。

ここで書いてきたような女性陣の図太い武勇伝を寝物語で聞かされたりすると、世の中に潜むダークサイドを覗いちゃったような気分になる。

「別れさせ屋」の工作員をやっていたという女性にいろいろ聞かせてもらったことがある。

依頼主は離婚したい主婦。ダンナに女性を接近させて、鼻の下を伸ばしたダンナがその女性とネンゴロになったら証拠写真などを突きつけて有利な条件で離婚交渉を進めるという話。

“ツツモタセ”の応用系、未来形みたいな話である。私が聞いた工作員の場合、ターゲットのダンナが通っているスポーツクラブに潜り込んで、会員同士として接近し、徐々に関係が深まるように画策したんだとか。

そんな商売がフツーに成り立っていることが恐ろしい。

結婚相手としてふさわしいかどうかを見極めるために「工作員」が使われることもあるらしい。

つまり、恋人がいるのに近づいてくる女性にホイホイ乗っかっちゃう男かどうかを試すために工作員の女性がさりげなく仕掛けるんだとか。

そんなのに引っかかって「アンタは浮気体質だ。信用ならない」などと言われても堪ったものではない。

「来る者拒まず」が信条?の私だったらイチコロである。いとも簡単に落とし穴に落ちるだろう。まあ、それが健全な肉食男としての当たり前の感覚だと思う。

つくづく、自分自身の離婚協議中にそんなワナが仕掛けられなかったことに安堵する。バカな私のことだから、仕掛けられたら大損害を被ったはずだ。

家庭不和を抱えていたり、離婚協議中の男性はくれぐれも女性からのアプローチには神経を尖らせたほうがいい。

近づいてくる女性は“手練れ”である。不自然に逆ナンパみたいなことをするわけではなく、偶然を装ってさりげなく近づいてくるらしい。

「女性のほうから誘ってくる」。これ自体が、もう絶対にヤバいパターンだと警戒するしかないのだろう。

自分がモテる男だと錯覚しないことが何より大事である!

そうはいっても、男から誘ったかのように上手に仕向けるのが女性という魔物の得意戦術である。

男が自分の力で口説き落としたと思っていても、実際は女性のペースに呑まれているのが男のサガだ。

まあ、アーだコーだとビビってばかりでも仕方がない。もちろん、すべての女性が腹黒いわけではない。真面目でおしとやかで尊敬に値する女性のほうが断然多い。と信じている。

もろもろの注意事項を頭に入れて男道を歩んでいくしかない。

2017年3月1日水曜日

バニーガールが大好きだ


バニーガールが大好きだ。ホントに好きだ。どうしたもんだろう。

先日、バニーちゃんがいっぱいいる店に行く機会があった。ムホムホ爆発だった。

どんな顔の女性達がいたのかちっとも覚えていない。赤や青や紫や白やピンクのバニーちゃんの衣装しか記憶に無い。


あの衣装は世界文化遺産だと思う。考案した人にはノーベル賞をあげてもいい。世の男性陣を幸福にしてくれる近現代最高の発明だと思う。

バニーちゃんの店の後に銀座のクラブに流れたのだが、バニーちゃんが一人もいないからドンヨリしてしまった。ヒドい話である。私の目と脳は実に単純に出来ているのだろう。

露出の面で言えば間違いなくビキニの水着や普通のランジェリーのほうが上だ。でも、バニースタイルのほうが8億倍ぐらいグッとくる。実に不思議だ。

私も年齢相応に様々な経験を重ねてきたから、親しくなった女性にバニーの衣装を着てもらったことは何度もある。しかし、通販で売っていた衣装は何となくチンケで興ざめ。やはり安物を買ってはいけない。

あの衣装はパーフェクトに決めないとダメである。まるで意味のないカフスをしないだけでヌルい感じになるし、絶対に網タイツじゃないと合わない。普通のストッキングでは違う雰囲気になっちゃう。

色気をアップさせようとガーターストッキングを合わせている画像がネット上に出回っていたが、あれもダメ。やはり腰まで覆うようなアミアミこそが太股の外側からヒップラインへの曲線を美しく見せる。


Amazonで売っていたバニー衣装の画像を拝借した。衣装だけみると素っ気ないがこれが全部揃っていないとダメである。どれか一つ欠けても0点だ。

そして大事なのがハイヒールである。室内でのプライベート鑑賞会?だろうとハイヒールは必需品である。

以前、ここで書いたことがあるが、私のバニーガール好きは子供時代に溯る。小学校6年生ぐらいの頃に祖父に連れて行かれたプレイボーイクラブがきっかけだ。

六本木のロアビルにあったゴージャスな空間でお尻プリプリのバニー姉さん達がうろうろしていた。鼻血ブー状態である。

ファミリーイベント的な催しに連れて行かれたのだが、そんな微笑ましい記憶は一切無い。ただただブッ飛んだ。

峰不二子やキューティーハニーにドギマギしていた頃に目に飛び込んできたのがバニーガールである。ただただアワアワした。

不二子ちゃんやハニーはアニメだったのにバニーちゃんは「実写版」である。リアル過ぎるにもほどがある。

子供のくせに禁断の姿を目に焼き付けてしまった私は、あの「半ケツ網タイツ」の衝撃が大き過ぎて、その後の人生をオッパイ星人ではなくお尻フェチ男として歩むことになった。

http://fugoh-kisya.blogspot.jp/2015/02/blog-post_20.html

Tバックが好きになったのだって、今は亡き飯島愛のおかげというより、幼い日に見たバニーの衣装が多分に影響しているのかもしれない。

あの衣装の場合、どう頑張ったってTバックを着用するしかない。そんな妄想が私の性癖?に大きく影響を与えたわけだ。


いい歳して旅先でコッソリこんな写真を撮影しちゃうのも、すべては子供の頃の衝撃のバニー体験のせいである。私が悪いわけではない。

それにしても、つくづく不思議なのが男の感覚だ。ハダカより中途半端な露出のほうが刺激的に感じてしまう。私だけではないはずだ。

人間以外の動物にそんな趣味があると聞いたことはない。サルだってトラだってカエルだってそんな趣味はない。だいたい皆さん真っ裸である。

大脳がもたらした神秘なのだろう。アダムとイブが禁断の果実を食べてしまったことを境に葉っぱで局部を隠すようになったのが人間のエロの出発点である。

葉っぱの派生系がTバックであり、その延長線上にバニーちゃんの衣装があるわけだ。

まあ、なんでもいいけどバニーガールが大好きだ。それがすべてである。