東京出身。富豪になりたい中年男。幼稚園から高校まで私立一貫校に通い、大学卒業後、財務系マスコミ事業に従事。霞ヶ関担当記者、編集局長等を経て現在は副社長。適度に偏屈。スタイリッシュより地味で上質を求め、流行より伝統に心が動く。アマノジャクこそ美徳が信条。趣味は酒器集め、水中写真撮影、ひとり旅、葉巻、オヤジバンドではボーカル担当。ブログ更新は祭日以外の月曜、水曜、金曜。 ★★★スマホでご覧頂いている場合には画面下の「ウェブバージョンを表示」をクリックしてウェブ画面に飛ぶと下側右にカテゴリー別の過去掲載記事が表示されますので、そちらもご利用ください。
2018年3月30日金曜日
ローマ パスタざんまい
娘との旅行、第二の目的地はローマ。パリほどの寒さではなかったものの、ローマも冷え冷えとしていた。コロッセオも雨模様で街の散策も傘が欠かせなかった。
列に並ぶことが何よりも苦手な私なので、コロッセオやバチカン美術館のチケットは日本を出発する前にネットで確保した。これからローマに行く予定がある人には強くオススメする。
雨で寒いなか、この作戦は正解だった。いずれも大行列を横目にスイスイ入れて、無駄な待ち時間を過ごさずに済んだ。
泊まったのはバチカンにほど近いエリアにある「NH Collection Roma Giustiniano」。イタリアっぽさ、ヨーロッパさとは無縁な近代的なホテルだが機能的で快適だった。親子旅ならこういう路線のホテルが何かと無難だ。
ヨーロッパのホテルは全室禁煙が普通だ。私にとっては、いかに隠れてタバコを吸うかが課題なのだが、今回の部屋には広いテラスがあったので、室内の椅子を持ってきて快適にスパスパできた。
バチカンの大聖堂にかかる虹を眺めながら優雅にタバコが吸えたから、それだけで大満足。
珍しく晴れた日は、いそいそと旧市街を散策。「ローマの休日」で有名なスペイン階段に行ったり、トレビの泉で娘にコインを投げさせたり、正しいオノボリさんとして過ごす。あの映画はオードリーヘップバーンの可憐さよりグレゴリーペッグの渋さがポイントだと娘に力説する。
私にとってローマは大学生の時以来だ。運悪く扁桃腺が爆発してホテルで寝込んでいたので、すべての名所が初訪問である。
これまでイタリアのアチコチに出かけて、いっぱしの顔をしているクセに、ローマを知らないのは問題である。
というわけで、観光だけでなくせっせと名物パスタを食べまくってきた。
ローマ名物といわれるのがカルボナーラだ。画像のようなリガトーニというショートパスタで出てくることが多かった。これは「Fortunato al Pantheon」というちょっと高級路線の店で食べた一品。アルデンテを通り越したパスタの固さが気に入った。まさにカッチカチ。私好みだった。
日本式とは異なり、生クリームは使わず、卵とチーズと黒コショウで味付け。具材もベーコンではなく、豚ホホ肉の塩漬けが定番。この塩辛さが味の決め手みたいだ。
もう一つの名物パスタ「アマトリチャーナ」も塩漬けの豚ホホ肉が使われている。トマトの酸味としょっぱい肉のバランスが絶妙で何回でも食べたくなる味だった。
これは別の店でカルボナーラとアマトリチャーナを相盛りにしてもらった時の画像。見ているだけでヨダレがこぼれそうになる。
イタリアの面白さは地域ごとに定番料理がアレコレ揃っている点だ。パスタにしても地域色が強い。
チーズもローマのほうはパルミジャーノではなく、ペコリーノロマーノという羊の乳が素材のものが主流だ。カルボナーラもそっちのチーズじゃないと本物ではないんだとか。
まあ、ウンチクを書き始めても仕方がない。
要するに今回もムキになってパスタを食べてきた。カルボナーラ、アマトリチャーナの2大巨頭以外にもアレコレ味わってきた。
印象的だったのが「カチョ・エ・ペペ」。塩とコショウという名前のパスタだ。ローマの貧困地区が発祥らしい。文字通り具は無い。チーズとコショウだけで味付けしてある。
冷やし中華も具ナシで食べるのが一番好きな私である。具ナシのパスタと聞いたら食べないわけにはいかない。
ホテルのスタッフにオススメレストランを聞いて繰り出した「3Quarti」という店で食べた一品は最高だった。コショウを数種類使って味に複雑さを出しているようで、濃厚なチーズの風味も絶妙でムホムホいいながら頬張った。
この店では他にもポルチーニの幅広麺バージョンと、スズキとピスタチオのパスタも食べた。幸せMAXである。
朝はホテルでシャンパンブレックファーストと洒落込み、昼と夜はパスタばかり食べていた。朝も画像で分かる通り、「どん兵衛」をメインにするヘンテコメニューだったから、ローマでの3日間は私の身体は麺類に占拠されていた。
娘の手前、パスタしか食べないのはヘンテコだからトリッパやリゾット、肉料理も注文するのだが、私の関心はあくまでパスタである。
娘は娘でジェラート屋めぐりにハッスルしていたから、必然的にパスタの摂取量は私に集中する。デブまっしぐらだ。
パリではマカロンやエクレアを頬張り、ローマではジェラートをペロペロする。これって女子高生にとっては天国だろう。きっと娘の旅の印象はスイーツだらけだと思う。
あと数年もしたらブランド品がどうちゃらこうちゃらと言い出すはずだ。スイーツに夢中になっている今の年頃なら私の財布も慌てないで済む。そんな考えでジェラートは常にダブルで食べさせた。
娘もデブまっしぐらだった。
さてさて、話がまとまらなくなってきた。最後に載せる画像もパスタだ。バチカン近くを散策していたときに通りすがりで入った店で食べたトリュフのパスタである。
これまたチーズベースのソースとトリュフの相性が抜群で麺の固さもバッチリで叫びたくなるような味だった。
やはり私にとってはフランスよりイタリアのほうが食事の点で満足度が高い。”タンスイカブラー”にとってパスタの国は夢の国である。
そんなことより、旅行が終わってから娘のインスタグラムに綴られていた父親への感謝の言葉を見つけて、ホロホロと泣きそうになった。ワガママで面倒くさい娘にずっと付き合ってくれてありがとう。これからも良いパパでいてくれといった趣旨だった。
そのぐらいのことで感激するのが父親の弱点でもある。そんなもんだ。
まあ、その一点だけでも旅の意義はあったと思う。バッチグーである。
2018年3月28日水曜日
パリ エクレア トリュフ
パリとローマに行ってきた。新婚旅行である。
ウソです。娘との二人旅である。
高校生の娘にヨーロッパの空気感を体感させようと計画したわけだ。というのは言い訳みたいなもので私自身が行きたかったのが本音だ。
オペラ座で華麗に舞う私だ。浮かれている。一人旅ではこんな画像は撮れないから行った甲斐があった。
寒波が到来していた影響で、春の気配はまったく無く、冬枯れの雰囲気が漂っていた。季節外れの雪にもふられた。束の間の旅行者にとっては、そんな風情もまた味わいがある。
ヨーロッパ初訪問の娘と一緒なので王道の観光に精を出した。パリではエッフェル塔や凱旋門を間近で眺め、ノートルダム大聖堂などを拝観して、セーヌ川沿いを散策するコースである。
リピーターである親として、分かったような顔をしてテキトー極まりない解説をして過ごした。
イッチョマエにモネの睡蓮が見たいという娘の要望に応えてオランジェリー美術館にも出かけた。
7年ほど前、この絵の舞台となった通称「モネの庭」を訪ねたことがある。パリから特急電車で1時間ほど移動して、なぜかそこからレンタルのママチャリをこいでゼーゼー言いながらたどり着いた。
モネの庭は日本庭園が参考になっているとか、作風は浮世絵を意識していたといった文化的な解説よりも、父親のママチャリ武勇伝のほうが娘としては興味深かったようだ。
滞在したホテルはサンジェルマンデプレに程近い「K+K Hotel Cayré」。モダンで機能的なホテルだった。
これまでこっち側のエリアばかりに泊まっているので今回もエリアで選んだ。目の前に地下鉄の駅、すぐ隣にスーパーマーケットもあって何かと便利だった。
ヨーロッパのホテルはビックリするほど狭い部屋が主流だが、ここは結構広めの部屋が比較的手軽な値段で予約できたのでオススメ。
ローマに移動したあと、帰国前日にパリに戻った時は、コンコルド広場近くの「Hotel Mayfair」に泊まった。某ブラックカードの特典でアーリーチェックインも出来たし、朝食もタダだったので満足。
こちらはヨーロッパ調の雰囲気に満ちたお洒落なホテルだった。2つのホテルともローシーズンならではの価格だったので助かった。
旅の醍醐味といえば食事だが、パンがあまり好きではない私としてはフランスでの食事はあまり嬉しくない。今回もカップ麺を持参したほどである。
一応、でんでん虫やオニオングラタンスープ、舌平目のムニエルなんかも教科書通りに食べてはみたが、私としてはシャンパンか白ワインを飲んでばかりだった。この画像はモンパルナスの「ラ・ロトンド」(La Rotonde)での食事。
現役JKである娘としては食事よりもスイーツに目を輝かせていた。ピエールエルメ、ラデュレ、メゾンドショコラといった日本でもお馴染みの店を見つけては、いちいち食べる。無名でもウマそうな店を見つければいちいち食べていた。
ついでに私もいちいち食べまくった。エクレアはどこで食べても絶品だった。娘と一緒だったおかげで、すっかり甘党オジサマの出来上がりである。
印象的だったのはトリュフ専門のレストラン「メゾンドトリュフ」(MAISON DE LA TRUFFE)。
実はこの店、パリ行きの飛行機の中で知った。機内番組でやっていた「モヤモヤさまぁ〜ず パリ編」で“みむちゃん、たけちゃん”が嬉しそうに食べていたのを観て、無性に行ってみたくなったわけだ。
そんなミーハー根性が幸いして、何とも優雅で満足できる食事にありつけた。ちょっと高かったけど、旅先では財布のヒモが緩むから仕方がない。
順番にスクランブルエッグ、パスタ、リゾットである。もちろんすべてに黒トリュフがブリブリふりかけてある。
物凄い濃厚な香りに満ちあふれて、舌よりも鼻から先に幸せになる感じ。中でもトリュフの醍醐味を一番感じたのがスクランブルエッグだ。
“みむちゃん、たけちゃん”が番組でふざけながら紹介していなければ、わざわざ豊富なメニューからスクランブルエッグなど注文しなかっただろう。「さまーず」サマサマである。
付け合わせのパンですら、トリュフ入りのオリーブオイルにヒタヒタして食べると妙に美味しく変身する。ここでもシャンパンをグビグビしながらハッピーな時間を過ごした。
その後、しばらくはゲップまでトリュフの香りだった。
ちなみにフランスやイタリアの飲酒年齢が16歳からだと聞いて、娘にもちょろちょろ酒を飲ませたのは母親には内緒である。
長くなったので、続きは次回ローマ編で。
2018年3月26日月曜日
今日も過去ネタです
あさって水曜から通常の更新に戻ります。
★ラブラブ活動と景気
http://fugoh-kisya.blogspot.jp/2011/10/blog-post_17.html
★ラヴレター
http://fugoh-kisya.blogspot.jp/2011/10/blog-post_19.html
2018年3月23日金曜日
2018年3月19日月曜日
小休止です
今週は都合により更新をお休みします。過去掲載分をアップしますので、よかったら覗いてください。
★ローマの休日
http://fugoh-kisya.blogspot.jp/2011/06/blog-post_29.html
★血液型はB型です
http://fugoh-kisya.blogspot.jp/2013/10/blog-post_30.html
2018年3月16日金曜日
野球少年だった頃
3月も後半になれば球春到来である。今年の注目はやはり「大谷翔平」だ。二刀流というマンガチックな活躍を本場アメリカで見せて欲しい。
その他に注目しているのは「松坂大輔」だ。甲子園時代から見てきた希代のピッチャーの最終章に興味がある。
野球を好きになったのは40年以上前の小学生の頃だ。ちょうど長島さんが引退した昭和40年代の終わりだ。
あの頃のスター選手としてまっ先に名前が浮かぶ王貞治、野村克也、張本勲、等々、みなさんオジイチャンにになってしまった。アッという間だ。
今ではプロ野球の監督12名のうち半分ぐらいが私より年下だ。なんだか複雑である。巨人の高橋監督なんか10歳も下だからビックリだ。
NHKのBSで「球辞苑」という番組がある。オフシーズンに放送される番組で今期は明日土曜が最終回。
毎回毎回、野球におけるややマニアックなテーマを一つだけ取り上げる番組だ。お笑い的構成の中にも実に深い技術的な分析が繰り広げられていて貴重な番組だと思う。
「内野安打」「初球」「けん制」「ゲッツー」「引っ張り」「カーブ」「グリップ」。これまで放送されたテーマだ。それぞれの話だけを1時間近くに渡って掘り下げるのだからヘンタイ的な面白さだ。
かつての名選手や現役選手への取材によって、エピソードや意図、対応策やコツ、技術的なこだわりがテンコ盛りに紹介される。
つくづく今の野球少年がうらやましい。こういう番組で得る情報は技術向上に物凄く役立つはずだ。
私が野球少年だった頃は、こんなマニアックな映像番組はなかったし、学ぶのは本がメインだった。
コーチや先輩の指導もテキトーだった。闇雲に走ったり投げさせるだけで、技術的な細かい指導を受ける機会は滅多になかった。
一度だけ元プロ選手に指導してもらった時に、投げるときの足の踏み出し方、足の指の向きなどを丁寧に教わって、その的確さと緻密さに驚いたことがあった。
まあ、私の場合は甲子園を目指すような高いレベルでやっていたわけではない。高度な指導を受けてもそれをモノにできたかは微妙である。
ヘタれた軟式野球部だったし、お山の大将みたいな態度のピッチャーだったから、サボることばかり考えていた。それでももっと速い球を投げたかったし、変化球やコントロールなど克服したいことは山ほどあった。
今のようにアチコチから動画や映像で具体的な情報を入手できる環境がうらやましい。タイムマシンに乗ってあの時代に行き、録画した番組を野球少年だった私に見せてやりたいと思う。
野球の話ついでに、このブログで「キャッチボール」について書いた話を改めて載せてみる。
http://fugoh-kisya.blogspot.jp/2010/07/blog-post_30.html
キャッチボールをしなくなって何年が経つだろう。なんとか機会を見つけたい。
私にとっての「今やりたいこと」の一つがキャッチボールである。
2018年3月14日水曜日
安倍さんと麻生さん パート2
先週、このブログで安倍首相と麻生財務相の話を書いたが、財務省の公文書改ざんが明らかになったことで、彼らにとっての逆風は一気に強まっている。
「我ら富士山、他は並びの山」。一昔前までは財務官僚の自負を表す表現としてよく耳にしたフレーズだ。
最強官庁とも言われる財務省の犯した前代未聞の公文書改ざん。役所の解体論まで出てくるほどの失態だ。
会計検査院に対しても改ざん文書を提出していたわけだから全納税者への背信行為である。ある意味、会計検査院までナメてかかっていたわけだから、さすが?最強官庁である。
会計検査院は、憲法上、国会や内閣から独立した機関となっているが、肝心の予算は財務省が査定しているのが実情。そう考えると財務省の“上から目線”も当然のことだろう。
それにしても「辞任はしない」と繰り返す麻生さんの居直った感じはどうなんだろう。先週金曜の国税庁長官の辞任騒動後も、1時間に及ぶ記者会見の間、一貫して「オイラにや関係ねえ」みたいな様子にしか見えなかった。
私はあえて言えば自民党支持だ。共産主義はもちろん、社会主義的な政策を受け入れちゃったら“富豪”を目指せないから、必然的にそうなる。
それでも昨今の不祥事への政権の対応を見ていると、安倍政権の「終わりの始まり」を感じるし、そうである方がマトモだと思える。
コロコロと首相が替わるようなのも困りものだが、今のような一強支配は必ず腐敗する。森友問題はその証だと感じる。
森友学園に対する国有地の格安払い下げが問題になってから1年あまり。これまで様々なトピックスがあったが、キモの部分は安倍首相の昨年2月の発言だ
「私や妻が関係していたら総理大臣も国会議員も辞める」。語気を強めて語ったのは周知の事実。財務省が公文書を改ざんせざるをえなかった背景とも言われている発言だ
財務省の元々の決裁文書からは、首相夫人に関する記述が削除されていた。内容は学園側との関係性に関するもの。
要するに「首相夫人が後押ししている学園だから可能な限り要望に応えることになった」という“特例扱い”に至った言い訳みたいな記録だ。
夫人と学園がズブズブの関係だったかどうかは分からない。例えそれが学園側の作り話だったとしても、窓口になった近畿財務局は間違いなく「首相夫人との密接な関係」を認識していたことになる証拠だ。
「私や妻が関係していたら総理も議員も辞める」という首相の発言からすれば、これって間違いなくアウトだ。そう解釈するのが普通だろう。
おそらく、首相サイドとしては、夫人が土地取引に直接関与していたわけではない、取引に関わる意図はなかった等々の強弁で首相夫人と学園側との関係を否定するだろう。
「“関係”とは言ったが、“関与”とは言っていない」。そんな屁理屈みたいな反論を知恵者達が集まって検討しているはずだ。
総理大臣の国会での発言が御都合主義的な詭弁でごまかされていいはずがない。そんなことが罷り通ったら、言葉の重みという概念自体が消滅してしまう。
ちなみに、財務省が公文書から削除した内容の中には「日本会議」に関する記述もあった。安倍さんや麻生さんを支持し、また関連議連では二人とも特別顧問になっている保守団体だ。
森友学園の籠池さんが日本会議大阪代表という肩書きを使用していたことに関して、近畿財務局側が背景説明の趣旨で文書に記載していたわけだ。
日本会議の綱領には「我々は、悠久の歴史に育まれた伝統と文化を継承し、健全なる国民精神の興隆を期す」と謳われている。
日本の伝統的な精神って、「恥の文化」という言葉に代表される精神性ではなかろうか。
恥ずべき行為に対して居直ったり、ごまかすことは、伝統的な精神性とは真逆なことだろう。
トップとしての責任をとらずに自分勝手な言い訳に終始する。ただただ見苦しいと思う。
何だかエラそうな書きぶりになってしまった。私自身、もちろん立派なゴタクを並べられるような人間ではないが、さすがに国の2トップの不始末に腹が立って書き殴ってしまった。
2018年3月12日月曜日
敬語フェチ
「とりま」、「りょ」。若者言葉の一種だ。それぞれ「とりあえずまあ」、「了解」の意味。いつの時代も若者は変な言葉を使う。
私だって高校生ぐらいの頃は意味不明な言葉を使っていたから、どうこう言う話ではない。
昔と違い、今はLINEやメールという文字情報が飛び交うからヘンテコな造語というより極端に省略するのが主流なんだろう。
普段、友達同士では変な言葉を使っているはずの若い女子が綺麗な敬語を使っているのを聞くと、ちょっと萌える。途端に「ちゃんとした人」に思えてくる。
あくまでプライベートでの関係が前提だ。仕事の付き合いでの敬語には何も感じない。楽しくホゲホゲした気分の時に投下される敬語こそグッとくる。
敬語フェチ、敬語萌えという世界があるそうだ。ネットの世界ではそんなコミニュティーもあるらしい。
この画像はネットの知恵袋で見かけた質問だ。妙にそそられてわざわざ載せてみた。素敵な?話だと思う。。。
敬語フェチの世界、なんとなく理解できる。
さてさて、その場の状況によっては、相手に敬語を使われると他人行儀に感じることは多い。距離をとられた気になる。
しかし、和気あいあい、もしくはイチャイチャしている時に笑顔で敬語を使われるとモリモリした?気分になる。
だいぶ前に、かの「みうらじゅん」師匠がベッド敬語について熱く論評していた。若者の草食化、セックスレスは「敬語レス」が原因だろうという趣旨だった。
タメ口の応酬に比べれば、確かに「ベッド敬語」には独特ななまめかしさがある。私自身も大好物である。
それにしても「ベッド敬語」という5文字であの空気感を表しちゃうところが師匠の師匠たるゆえんだ。
「そこはダメです」
「もう許してください」
「好きにしてください」
すべて敬語にすることで、何でもない言葉に妙な背徳感が漂う。
だいたい、男女のまぐわいなんてものは、背徳や禁断といった背景があってこそ面白い。敬語が持つ魔力はエッチ方面において格好のスパイスになるわけだ。
時々遊んでくれる女性が何度か会ううちに徐々にタメ口に近づいてくると、少し残念な気がする。
ひょっとすると、そっち方面の敬語が減ってくるからかもしれない。それを理由にまた別の相手を探しているようではゲスの極みである。
ちなみに敬語だけでなく、私にとって馴染みの薄い関西弁などを浴びせられる?のもモリモリ気分になる。
「何ばしようとね」
「いい加減にしんしゃい」
「アカン、そんなことせんといて」
こういう言葉を聞かされた時の私は間違いなくヒヒ親父感たっぷりで好色丸出しの顔付きになっていると思う。
東京モンにとって方言には独特の魅力がある。普段は標準語で話している人が何かの拍子で方言に変わると、うらやましいような気分になる。
当の本人はそれをコンプレックスに感じるようだが、大きな勘違いだ。私から見ればバイリンガルと同じ。2種類の言語を操るわけだから素直にカッチョイイと思う。
敬語が上手な人と可愛い方言を聞かせてくれる人と3人で川の字になって一夜を過ごしてみたい__。そんなバカげた妄想が頭に浮かぶ。
春うららである。
2018年3月9日金曜日
不便な時代
愛煙家にとってつくづく不便な世の中だ。来年で平成も終わるが、平成の主な出来事のひとつが禁煙ファッショの到来だろう。
私がタバコを吸い始めたのは昭和50年代。まだまだ世の中が牧歌的な頃だった。今の若い人には信じてもらえないが、男性はほぼ100%喫煙者だったように思う。
テレビCMもクルマとタバコばっかりだった。タイムマシンであの頃に行けば、おそらく想像を絶するタバコ天国にワクワクしちゃうはずだ。
今はテレビドラマでも喫煙シーンは皆無だ。昭和の頃はオジサン達は必ずプカプカしていた。「太陽にほえろ」の山さんも長さんもプカプカしていた。
今はどこもかしこも禁煙。もはやそれが当たり前だから仕方ない。毎日毎日、億劫な思いをしながら寒空の下や誰もいない空間でプカプカしている。
こう不便だとタバコをやめる人は加速度的に増えるだろう。気をつけないと周りに誰も愛煙家がいない状況になりそうだ。
筒井康隆の短編「最後の喫煙者」では、国家の弾圧にもメゲずにタバコをやめなかった主人公が、最後は軍から攻撃され、結局は剥製にされて博物館に展示されてしまう。
初めて読んだのは昭和の終わり頃だった。当時はそんな話に爆笑できたが、30年経ったら思った以上に“弾圧”が強まっている。
私もいつかはタバコをやめようと思っている。理由は単純に不便だからである。今はまだ居酒屋あたりでは快適にタバコをプカプカできるから、そのあたりまで規制された時が潮時なんだろう。
ちなみに禁煙治療に健康保険が適用されるようになって10年以上が過ぎた。暴論かも知れないが、いまだにこの取組みに違和感がある。
分かりやすく表現すれば「タバコをやめない人は病人」ということ。喫煙者への冒とく!?である。
「たばこ事業法」という法律がある。第1条には次のように書かれている。「我が国たばこ産業の健全な発展を図り、もつて財政収入の安定的確保及び国民経済の健全な発展に資することを目的とする」。
愛煙家はこの高邁な目的を支えているわけだ。れっきとした法律でこんな勇ましいことをうたっているのに、かたや病人扱いである。
こういうのを論理破たんと言うんじゃなかろうか。
いわば、国策としてせっせとタバコ事業を推進することで病人を次々に作り出して治療には国費を投入するというヘンテコな仕組みだ。
誤解のないように強調するが、問題にしているのは喫煙の是非ではない。財政危機の要因である医療費増大という状況の中で禁煙治療にまで保険適用を認めている現実がトンチンカンだということ。
こう言うと「タバコをやめさせずに病気になる人が増えれば結果的に医療費は増大する」という反論が返ってくる。
屁理屈みたいなものだ。
習慣性のある嗜好品はタバコ以外にもいくらでもある。それらの愛好者をいちいち病人扱いしていたらキリがない。
タバコをやめる際に一番大事なのは「医師」ではなく「意思」である。極めて単純なことだと思う。
今日は嫌煙家の人には不快な話でスイマセン。
私がタバコを吸い始めたのは昭和50年代。まだまだ世の中が牧歌的な頃だった。今の若い人には信じてもらえないが、男性はほぼ100%喫煙者だったように思う。
テレビCMもクルマとタバコばっかりだった。タイムマシンであの頃に行けば、おそらく想像を絶するタバコ天国にワクワクしちゃうはずだ。
今はテレビドラマでも喫煙シーンは皆無だ。昭和の頃はオジサン達は必ずプカプカしていた。「太陽にほえろ」の山さんも長さんもプカプカしていた。
今はどこもかしこも禁煙。もはやそれが当たり前だから仕方ない。毎日毎日、億劫な思いをしながら寒空の下や誰もいない空間でプカプカしている。
こう不便だとタバコをやめる人は加速度的に増えるだろう。気をつけないと周りに誰も愛煙家がいない状況になりそうだ。
筒井康隆の短編「最後の喫煙者」では、国家の弾圧にもメゲずにタバコをやめなかった主人公が、最後は軍から攻撃され、結局は剥製にされて博物館に展示されてしまう。
初めて読んだのは昭和の終わり頃だった。当時はそんな話に爆笑できたが、30年経ったら思った以上に“弾圧”が強まっている。
私もいつかはタバコをやめようと思っている。理由は単純に不便だからである。今はまだ居酒屋あたりでは快適にタバコをプカプカできるから、そのあたりまで規制された時が潮時なんだろう。
ちなみに禁煙治療に健康保険が適用されるようになって10年以上が過ぎた。暴論かも知れないが、いまだにこの取組みに違和感がある。
分かりやすく表現すれば「タバコをやめない人は病人」ということ。喫煙者への冒とく!?である。
「たばこ事業法」という法律がある。第1条には次のように書かれている。「我が国たばこ産業の健全な発展を図り、もつて財政収入の安定的確保及び国民経済の健全な発展に資することを目的とする」。
愛煙家はこの高邁な目的を支えているわけだ。れっきとした法律でこんな勇ましいことをうたっているのに、かたや病人扱いである。
こういうのを論理破たんと言うんじゃなかろうか。
いわば、国策としてせっせとタバコ事業を推進することで病人を次々に作り出して治療には国費を投入するというヘンテコな仕組みだ。
誤解のないように強調するが、問題にしているのは喫煙の是非ではない。財政危機の要因である医療費増大という状況の中で禁煙治療にまで保険適用を認めている現実がトンチンカンだということ。
こう言うと「タバコをやめさせずに病気になる人が増えれば結果的に医療費は増大する」という反論が返ってくる。
屁理屈みたいなものだ。
習慣性のある嗜好品はタバコ以外にもいくらでもある。それらの愛好者をいちいち病人扱いしていたらキリがない。
タバコをやめる際に一番大事なのは「医師」ではなく「意思」である。極めて単純なことだと思う。
今日は嫌煙家の人には不快な話でスイマセン。
2018年3月7日水曜日
地味な日々
このところ地味な日々を過ごしている。インスタ映えみたいなキラキラ感はまったくない。でも、それが妙に落ち着く。
ちょっとマズいかもしれない。現役の男たるもの、もっとアクティブにブイブイ頑張らないと老化が進んでしまう。
週末によく会う娘に「パパはどんな一週間だったの?」といつも聞かれる。そのたびに「地味だったぞ」と答えて、叱責?される。
いつも娘が横取りしていくバレンタインのチョコが例年より少なかったことも問題視された。
2月は冬眠を決め込んで銀座通いもサボっていた。郵送でいくつもチョコはもらったのだが、例年の収集ぶり?に比べると減ったから娘としては不満顔である。
夜の街からいただくチョコは、有名店などの高級品が多いらしい。高校生の娘としては宝の山に見えるみたいで、来年の2月はちゃんと銀座に通えと諭されてしまった。
3月になった途端、スーパーのラーメンコーナーにアイツが帰ってきた。冷やし中華である。旬も何もあったもんじゃないが、私としては感激の瞬間である。
そんなことに感激しているのも地味に暮らしている証だ。自宅で冷やし中華に合いそうなチャーシューをあれこれ食べ比べしたり、トッピングを温玉にするか半熟ゆで卵にするかで真剣に悩んだりしている。
遊びに来る娘のために買っていたアイスクリームもすっかり自分自身の楽しみになってきた。自宅で一人のんびり甘いものを食べながらお茶をすすっている時間が以前より増えている。
加賀棒茶のティーバックが今のお気に入りだ。ほうじ茶系統の味なのだが、より甘味と深みと香ばしさがあって美味しい。
その昔、かこっていた女性、いや、親しくしていた女性の部屋を訪ねるたびに出してもらって以来、すっかりお気に入りになった。今では海外旅行に行く際にも持参するほどだ。
さてさて、話は変わる。
その昔、誰だったか忘れたが、著名な評論家のエッセイか何かで「自宅の近所で飲むヤツは出世しない」という趣旨の話を読んだ記憶がある。
最近、近場で飲むことが増えたせいで、その話をやたらと思い出す。案外マトを得た話だと思う。
近場で気軽に飲むのはラクチンだ。裏返せば、ハッスルしていないという意味でもある。少なくともエネルギッシュではないだろう。
その評論家サンの言いたいことは、何事も手近に済ましてばかりでは小さくまとまってしまうという警鐘だったのだろう。
どこで飲もうが大きなお世話だが、我が身のテンションの違いを思い起こせば、言わんとすることは分かる。
近場がホーム、遠征した歓楽街がアウェーだとしたら、アウェーの緊張感に身を置くことも大事なのは確かだろう。
別に緊張して飲めという話ではなく、ホームではどうしたってダラダラする。キリっとした立ち居振る舞いなど無縁だ。
それはそれで幸せだが、男にとってどこか気を張っている瞬間は大事だ。そういう感覚が錆び付いちゃうのは考えものだ。
中高年にもなれば、何かと疲れているからフヌケて過ごしたい。でもフヌケるのは簡単だ。少しだけでもキリっとする自意識を忘れないようにしないと、とことんフヌケてしまう。
自意識過剰と言われようとも、一応、そんな感覚は忘れないようにしたいものだ。
2018年3月5日月曜日
安倍さんと麻生さん
5年と2ヶ月。安倍政権が発足してからの年月だ。第一次政権の時の在職日数と合わせると、既に戦後3番目の長さだとか。
佐藤栄作、吉田茂という大物に次ぐ第三位。数字だけ見れば大宰相だが、そんな貫禄をちっとも感じないのは気のせいだろうか。
国会論戦で自らヤジを飛ばしたり、最近もFacebookに朝日新聞を揶揄する書き込みをしたり、どうにも大物感とは程遠い。
まあ、マヌケな野党議員や朝日新聞にイラつくのは当然だが、それを態度や行動に出しちゃうあたりが度量の限界なのか。
くすぶり続ける森友問題の対応にしても「なんだかな~」という印象しか無い。
森友問題では、会計検査院が財務省による国有地売却価格の値引きを過大だと指摘している。単純に失策であり不祥事以外の何ものでもない。
問題はコトの発端だ。仮に安倍首相の“知らぬ存ぜぬ”が真実で、単に官僚による忖度(そんたく)がきっかけだったとしても、忖度を招いたことへの責任はある。
もちろん、忖度されたことで法的に罪に問われることはないし、辞める辞めないという次元の話ではないかもしれない。
それでも、忖度を招いたことを自らの不徳として詫びるような言動があっていいはずだ。
世の中、不祥事が起きれば、当事者はもちろん上役やトップにまで責任は及ぶ。当たり前のことだ。これが組織の緊張感維持に欠かせない。
モラルや道義的な意味合いだけでなく、民法にも「使用者責任」は規定されている。近年ではヤクザの親分にも暴対法の使用者責任が適用されるようになった。
組員の犯罪は、親分への忖度で行われとしても親分の責任が問われるわけだ。知っていたか否か、指示をしたか否かに関わらず、上に立つ以上、責任は生じる。
親分がボソっと「アイツは許しちゃおけねえ」とつぶやく。子分が意を汲んでそいつを袋だたきにしちゃったとする。これも「忖度」だ。もちろん、親分の責任が問われる。
極端な例えで正しくないかもしれないが、上に立つ人間の責任ってそういうことだと思う。
「僕は無関係だもん」と逃げ回ったり、ましてや居直るような人物ってどうなんだろう。ビミョーだ。杓子定規な強弁を続けるだけでは、無自覚極まりない。
財務省理財局長時代の国会答弁を理由に今の国税庁長官をどうするこうすると騒ぐ向きもあるが、あれだってコトの本質を隠すズレた話でしかない。
「すべて悪いのは財務省」として幕引きをはかりたい政権側の思惑通りだろう。
今の国税庁長官はあれであれでアウトだろうが、国会に呼んで追求すべきは彼なのだろうか。
森友学園に格安で国有地を払い下げた時の理財局長は彼ではない。あくまで彼の前任の理財局長に話を聞くべきであって、肝心のその当事者への追及が浮上しないこと自体が怪しい。
ついでに言うなら、麻生財務省の「我関せず」みたいな様子も腑に落ちない。コトが安倍首相への忖度であろうがなかろうが、インチキな処理をしたのは財務省であり、その責任者である財務大臣が悠然と構えているのがブキミだ。
今年の自民党総裁選も現状では風が吹く気配がない。安倍政権は更なる長期政権になる公算が強い。在職日数だけがどんどん大宰相に近づいていく。
大きく話は飛ぶが、結局、自民党内の派閥が牽制し合っていた中選挙区制時代の政権運営と、現状の小選挙区制をもとにした政権運営の違いが「なんとなく安倍一強」を作り上げたのだろう。
なんだか脈略のない小難しい話になってしまった。
2018年3月2日金曜日
ズサンな銀行について
レインボーブリッジが出来てから25年も経つそうだ。ビックリだ。まだ10年ぐらいかと思っていた。時が経つのは早い。
山一証券が潰れたのももう20年前の話だ。大蔵官僚のノーパンしゃぶしゃぶ問題も同じ頃の話だ。アッという間である。
ノーパンしゃぶしゃぶ、行きたい行きたいと思いながらもう20年も経ってしまったわけだ。
ちょっと前の本だが、山一証券の破たんの裏側に迫った「しんがり」を読んだ。WOWOWでドラマ化された作品もアマゾンプライムのおかげで自宅でじっくり見ることができた。
主演の江口洋介が格好良すぎたことが引っかかったが、とても見応えのあるドラマだった。
「社員達は悪くありませんから!」。破たん会見で当時の社長が泣きながら叫んだシーンを覚えている人は多いだろう。
あの頃の社会は金融不安という言葉に覆われていた。実際、長銀や拓銀などが破たんして、国会論戦も金融関連が中心。
立憲民主党の枝野代表や自民党の石原伸晃、渡辺喜美あたりが政策新人類と呼ばれて一気に知名度を上げたことを思いだす。
山一は自主廃業という道を選んだため、直接には税金が投入されることはなかった。ただ、その後の金融再生法などの誕生により、大手銀行には公的資金という名の税金が注入される道筋をつけることになった。
あれから20年、金融不安、金融危機という言葉は聞かれなくなったが、今の銀行はカードローン問題という新たな闇を抱えている。遠からず世間を揺るがす大問題になることは確実だろう。
「サラ金より過激」。銀行カードローンの現状を表す言葉だ。返せる見込みの薄い人にまでジャブジャブと融資が続いている。
2012年に3.6兆円だった貸付残高は、いまや6兆円ほどまで膨らんでいる。貸金業者に課される規制は、「銀行はサラ金ではない」という理由、すなわち銀行法による“保護”のおかげで無関係。
だから、やりたい放題がまかり通っている。一応、自主規制の名目で融資に上限枠を設ける大手銀行もあるが、その上限枠もサラ金よりユルいのが実態だ。
金融庁の検査でも、すべての銀行で顧客状況の把握に課題が指摘されている。もはや異常事態だろう。
年収以上の金を貸す、主婦、アルバイトだろうと簡単に審査は通過、収入確認もいい加減・・・。何が起きるかは誰でも分かる。
多重債務者の大量発生だ。それが意味することは銀行にとって膨大な不良債権が貯まり続けるということ。
昨年9月にようやく金融庁が実態把握に向けた検査に乗り出したが、今まで何をしていたのかという疑問も残る。
すでに銀行の融資残高はサラ金の2倍以上。どこかのタイミングでにっちもさっちもいかなくなるのは誰でも分かる話だ。
いざとなったら公的資金、すなわち税金で救ってもらえる。今の制度ではそれが成り立つわけで、それを念頭にズサンな貸し出しが続いているとしたら納税者への背信行為だろう。
今のままでは無責任経営の尻ぬぐいに税金が使われる可能性は高い。その時、誰がどう責任を取るのか。銀行の当事者責任はもちろんだが、監督する立場である国の責任が徹底追求されて然るべきだと思う。