私はプチ歴史好きである。このブログでもそんな話を幾度となく書いてきたが、もちろん高尚な学術的研究みたいな次元ではない。歴史上の人物のスベった転んだみたいな話や江戸時代の習俗みたいな話に興味がある。
裏面史という意味では遊女にまつわる話は避けて通れない。古来より春を売る商売は存在し、その社会的位置付けも時代と共に大きく変わったようだ。
遊郭、花魁、白拍子、岡場所、飯盛り女、夜鷹などそっち系の言葉が出てくると興味がぐんぐん湧いてしまう。時代と遊女の関わりの話は興味が尽きない。
そんな題材を扱った本なども目にするとつい買ってしまう。吉原の花魁が時のファッションリーダーだった華やかな話の裏で、亡くなった遊女は寺に投げ込まれていたみたいな哀しい話もある。
性の問題というとどうしても裏側に隠されてしまうが、国が始まってから今に至るまでどんな時代にもそれぞれ性文化があった。そこから生まれた表の芸術や文化もあるわけで、裏の部分にフタをして知らん顔するのはおかしな話だと思う。
その昔まだ若かった頃、江戸時代の遊女の生まれ変わりだと強く信じている女性と親しくなったことがあった。詳しくは書きようがないのだが、普段はごく普通のおとなしい性格なのに状況に応じて別人格が顔を出す。
その人いわく、昔の遊女絡みの話を読んだり聞いたりすると無意識のうちに涙が止まらなくなるのだという。本人の思い込みによるところが大きいというのが私の率直な印象だった。
とはいえ、男性とキスすることに抵抗があるなど昔の遊女と共通するようないろいろな習慣の話もしていたから、ひょっとしたら生まれ変わり説もあり得るかもと感じた。
そういう方面の話が嫌いではない私にとっては、そうした話をあり得るかもと捉えるほうが楽しい。単に眉唾モノと片付けるだけでは退屈だ。
輪廻転生、Reincarnationなどの言葉で語られるように生まれ変わりをめぐる不思議な話は世界中に存在する。ただの妄想とは言えないような事例も数限りなく報告されている。
先週で最終回を迎えてしまったドラマ「妻、小学生になる」を毎週物凄く楽しみにしていた。しょっちゅう泣いた。10年前に死んだ妻が10歳の少女になって帰ってくるという奇天烈な話だったのだが妙にハマった。
生まれ変わりではなく、死んだ妻が一時的に小学生に憑依していたという設定だったのだが、冷静に考えればバカみたいな話だ。でも私は何の違和感も覚えずに真剣に見てしまった。とても良いドラマだった。
そういう非科学的な話は一笑に付されることが多いが、世の中には不思議な話はいっぱいある。オカルト的な話を闇雲に信じているつもりはないが、それなりに不思議な体験もしてきたから、人知の及ばないことがあっても驚くほどでもない。
だから遊女の生まれ変わりを自称する人の話を頭ごなしに否定する気もなかった。ひょっとしたらそんな話があってもおかしくない。いや、そんな話があったほうが世の中「いとをかし」だと思う。
なんでもかんでもドライに気軽に効率ばかりが優先される今の時代にあって、昔の遊郭文化にみられたような「面倒くさいこと」「妙なしきたり」「暗黙のルール」みたいなことはどんどん失われていく。
厄介より簡単なほうが有難いが「厄介の効用」もあながち捨てたものではない。厄介さの中から学ぶ事柄は多い。それこそ学校や教科書では教えない大人の嗜み的なことはその多くが非合理的な習慣や不条理な経験によって身に付くものだろう。
そういう意味でも昔の遊郭文化を始めとする性産業の裏面史的な話を知るのは大人としての知的好奇心、いや痴的好奇心が刺激されてなかなか面白い。
今日はそんな話を書いたついでに10年前に考察した昔の吉原と現代の銀座のヨモヤマ話を織り交ぜたアーカイブも載せておこうと思う。
http://fugoh-kisya.blogspot.com/2012/02/blog-post_27.html
いつの時代も男として生きている以上、イキとヤボを気にしながら世の中を渡っていきたいものだ。