B級グルメという表現はちょっと気の毒だ。それを真剣に作った人やそれを心から食べたいと思った人にとっては間違いなくA級の食べ物である。
時折、無性に牛丼が食べたくなる。物凄く食べたい時に食べる牛丼のウマさはミシュランの星付きだとか食べログ4点台の店やらを軽く凌駕する。大げさに言えば毎日でも食べられるような気がする。
若い頃は値段の関係で特盛にしたり牛皿を別注することはなかなか大変だった。さすがに今になれば“大人買い”みたいな気持ちでドカドカ注文する。
上の画像でも合計1000円程度である。中途半端な鰻重だって3千円はとられることを思えば何とも有難い話だ。円が弱くなったからインバウンドの観光客から見れば驚天動地の世界だろう。
肉片がチョロっとだけ載っかってメシばかり目立つ「並」は空腹の時には拷問みたいに感じる。肉をかき分けてもまだ肉があるぐらいドッサリ載せると束の間の幸福感に包まれる。痩せ細った小さい鰻を載せた鰻重を食べるなら絶対にドカ盛り牛丼を頬張ったほうが心が平穏になる。
近年は吉野家も松屋もすき家も牛丼以外に焼肉丼やらカルビ丼やらの変化球メニューを投入してメニューに変化をつけているが、あれこれ食べ比べてみてもやはり王道の牛丼が結局一番美味しいと思う。
B級扱いといえばモツ焼きも代表格だろう。昔とは違い流通の進化もあって臭いヤツに当たることも無くなった。カシラ、ハツ、タンあたりの歯応えがある路線が私の好みなので割とちょくちょく食べに行く。
モツ焼き屋さんのサイドメニューはたいてい簡単なものが多い。冷奴やオニオンスライス、梅きゅうあたりである。さっさと出てくるし、うまいまずいを論じる必要のない安定感が良い。何より低カロリーである。
赤ウインナーもあれば頼んでしまう。シャウエッセンのほうが絶対に美味しいのは分かっているのだが、大衆酒場の空気が調味料になるからこのテの店ではついつい注文する。
マカロニサラダも私の心をくすぐる。きゅうりやオニオンばかりではさすがに侘しい。炭水化物は正義だから何てことのないマカロニでもマヨ味をまとったぶっきらぼうな姿にグっとくる。
時々、妙にウマいマカロニサラダに遭遇すると宝くじで1万円が当たったぐらいの興奮を覚える。マカロニの茹で加減がちょっとアルデンテで味付けもいい塩梅だとお代わりしたくなるほどだ。
最近では人形の「カミヤ」というモツ焼き屋で出てきたマカロニサラダが良かった。歯ごたえもあって量も多くてウマいモツ焼きよりもこっちのほうが私をトリコにした。ウマいものを求めてというよりタバコを吸いながら軽く飲みたいぐらいの感覚で暖簾をくぐったのだが、マカロニサラダのウマさに一人でニンマリしまくった。
基本的に大衆酒場ではウマくも何ともないマカロニサラダが出てくるのが普通だ。時にビチャっと水っぽかったりヘンテコなカレー味だったりすることも珍しくない。
それでもマカロニサラダという固有名詞というか単語を目にしただけで必ず注文したくなる魔力がヤツにはある。自宅で食べたいとは思わないのに大衆酒場ではなぜか外せない。個人的にはポテサラよりマカロニサラダ派である。
時にはソースをかけるのも一興だ。目玉焼きだろうがオムレツだろうが唐揚げだろうがソースをかけたくなる私にとって「マカロニサラダ+ソース」という一見摩訶不思議な組み合わせは黒ホッピーを引き立ててくれる逸品になる。
こんなことを力説したところで誰の参考になるか怪しいものだが、こうした「B級」と称される食べ物の美味しさにこだわることは平凡な日常にちょっとしたスパイスを与えてくれる気がする。